6 再会

「きっと……いろいろあったのでしょうね。もう、あなた自身の家に帰る気力さえ残されていないようですね。それは、余程のことです」


 (拡げていた新聞を折り畳んでカウンターのテーブルに置き、おもむろに立ち上がる。)


「あなたが声をあげて助けを求めたのかどうか、私は知らない。そんな選択ができないほどに、人を信じられなかったのかもしれない……。どちらにしろ、そうやって、しばしば自分自身で全てを終わらせようとする人はいます。私は、彼らの選択は間違っているとは思わない。人に勧められるものでないことは確かですけどね。ただね、あなたは……」


(ゆっくりと、テーブルに突っ伏している男に近づく。)


「私のことを知りすぎてますよ。自分から全てを終わらせるには、気づき過ぎてる。本当は、知っていたんじゃないでしょうかね……ここに来たときから。

 残念ですけど、終わりませんよ。ここへ迷い込んだ以上、あなたの思い通りにはならない。私がさせません。あなたがあの人のことを口にした以上、ここであなたを終わらせる訳にはいかないのですよ。

 おかしいでしょう? どうして私の待ち人のことを、あなたがそんなふうに思い詰めた様子で語るのですか? 

 全てがどうでもいいなら、捨てなさい。捨てられるだけの物は捨てなさい。ただし、一つだけ処分に困る物があるでしょう? 自分自身……なんてものでもありませんよ。

 あなたの中にもいるのでしょう? 私が長年待ち続けるあの人……あの人の思い出が。

 全てがどうでもいいと嘯き、自らを終わらせようとしながら、まだ割り切れていない自分が愚かしいと嘆きながら、あなたはここまで来たのです。自分自身の人生、今まで歩んだ全てを恨んでね。でも、いつも最後には恨み切れない部分にぶつかる。

 あの人……あの人はまだどこかにいるのです。あなたは、本当はあの人に会いたいはずだ。それを、素直に認めればいい。それだけでよかった。

 全てを終わりにすることと、あの人の思い出を持ち続けることならば、全てを終わらせる方がはるかに楽だと思ったのでしょうね。

 ……わかりますよ、私にも」


(テーブルに突っ伏している男の背中に手を添えた。)


「私は、あなたですからね。あなた自身の、影ですから。そして、あなたが生まれた時に一緒に生まれた、寂しさというヤツですよ。あなたが弱さだといい、自分の中から消したいと思った部分です。遠ざけても、ちっとも離れず、あなたに人を疑うことを教え、嘘をつかせた張本人です。

 でもね、不思議と、あの人を待ち続ける思いだけは、あなたと同じで、それ以上でしたよ。私の方がずっと素直だったとも言えます。だから、こうやって、願いは聞き入れられたのです。私はやっと、あなたに会えました。長い間待ったかいもありましたよ。でもあなたはどうやらまだ私に会うには早すぎるようです。

 今はゆっくりお休みなさい。次に目覚めた時には、もう少し素直になっていることを祈りますよ。

 あなたは私を忌み嫌っていましたが、私はそれ程あなたを嫌ってはいません。だから、そばにいつもいたんですからね……。

 今し方あなたが口にしたもの。懐かしい味がしたでしょう? まだあなたが人間不信ではなかった頃の味。なんの不安も抱かなかった日々でしたね。

 今では、あなたは何も信じず、誰も信じず、ここで全てを終わらせることが唯一の望みになってしまったようですが、私もあなたも、あの頃はまだ全てにおいて希望を抱いていたのです。

 しばらく、あの寂しさ……つまり、私の存在さえ気付かずに、あなたはごくごく普通の子供として、幸せな日々を過ごせていたんですよ。私自身、あなたにとって、それほど罪深い存在だとは、自分でも思っていませんでした。だから、共にいたんですがね……いつも。

 でも、そうもできなくなって、あなたは、どんどん私から遠ざかっていった。なぜそうなったか、あなたはよくわかっている。

 わかっているのに、全てを終わらすなんて……バカらしいですよ。あなたにはまだやることがある。少なくとも、ここを訪ねてくる何人もの人を知った限りでは、あなたはきっとみすみす自分から全てを終わらせる行為がどれほど愚かしいかを知るはずです。

 同じあなたの一部でありながら、私だけが知っていて、あなたはまだ知らないことがある。それは、過去と未来の関係に似てますね。結局は同じ一本の線上にあるのですよ。でも、ある地点を境に、過去と未来では決定的に違います。過去は、今までの経験上強く疑うことを知っています。でも、未来は、信じてみることも大事だということを新しく知るのです。

 そして、あなたはまだここにいる。一歩踏み出すか退くかすれば、すぐに過去か未来に行ける地点。

 ある地点です……現在という、地点。

 このままここで眠り続け、永久に目覚めないか、再び目覚めることを望むのか……。

 私はもう、知っているんですけどね。少し前から……。

 あなたが全てを捨てる必要なんて、何一つなかった。あなたが自らの手で全てを終わらせる必要も何一つない。

 だって、私を捨てて、私を終わらせればいいんですからね。私は、あなたが生きていく上において、何一つ必要ない。あなたが一番捨てたがっていた、弱さと寂しさなんですからね」

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