第11話 笑う女

 正午を過ぎた頃、私は家を出た。悠さんとの待ち合わせ時刻に遅れない為だ。

 結局、彼女から直接の連絡が来たのは、つい一時間ほど前だった。勿論、中野君の携帯を使っての電話だった。結局、彼は悠さんの家に宿泊したのだろう。仲の良いふたりを羨ましいと思う誰かさんは、その事実を知っただけで歯噛みをしてしまうのだ。もう。

 目的の駅に着いた後、モールへの連絡通路ではなく、その隣にある階段を下りていった。南口にはバス停があり、誰かを待っている人が見受けられる。そこで、しばらく退屈な時間を過ごした。新しく友達になれるかもしれない相手だ、気合を入れた方がいいのかもしれないが、どうにもやる気が出ない。

 綿菓子のような雲を眺めていると、名前を呼ばれたような気がした。声のした方に向き直ると、悠さんが私の元へと駆け寄ってくるところだった。ふわふわした、往年の名子役みたいな格好をしている。眺めていたら、飛びつかれた。

「りっちゃん!」

 突進の勢いを保ったまま抱き付かれて、体格差もそれほどない私はよろめいた。そのままくるくると回転して、階段横の広場へと連れていかれる。この細い身体の何処にそんなパワーがあるのだろう。

 いつまでも抱き付いている彼女を引き剥がして、まっすぐに立たせる。その頬は、いつかみた夕焼けのように赤くなっていた。疑問に思ったが、あえて尋ねないまま彼女の言う通りに移動を開始した。これからお昼ご飯を食べに行くのだ。その前に雰囲気を悪くするわけには行かない。

 道中、悠さんと色々なことを喋った。小説と中野君の話ばかりだ。私達を繋いでいるのは彼と、彼が依存している小説だ。だから、それも当たり前のことなのかもしれない。

 不思議なことに、彼女は私と手を繋ごうとする。親しくなるために、彼女はスキンシップを求めているのかもしれない。私はどうだろう、中野君と仲良くなるために彼と触れ合いたいと思うのだろうか。少しの間考えてみて、どちらに転んでもその理由をこじつけて正当化できる、ということに気が付いた。

 今の私はとても不安定だ。他人の悪意を純粋に信じ切っていた頃のように、黒く塗りつぶされたレンズ越しに世界を眺めることは容易い。同様に、中野旭という男性の好意を私にとって都合のいいように解釈し直すことも簡単だ。

 例えば、彼女が私の手を握ることを、威圧行為の一種だと考えてみよう。私達は友達だ、友達の親友を奪えないでしょう? 奪うなら、それ相応の覚悟がなければいけないし。しつこく体に触れるのは、私が拒絶するのを待っているのか? 自分を受け入れてくれる相手を拒絶するよりも、牙を剥ける相手に殴りかかる方が楽ちんで、しかも自らの評価を下げたりしない。だから彼女は、私の不快感を煽っているのだろうか? いや、手を握られるくらいわけないけど。

 エトセトラ、エトセトラ。考えても仕方のない妄想ばかりが脳裏をよぎる。目の前の相手にだけ集中することが出来ない。

 やっぱり、どうしようもない性格だな。

 悠さんに付き従っていくと、市役所に程近い喫茶店へとたどり着いた。店の奥、四人掛けの席へと案内される。メニューを眺めると、どうやらオムライスも提供してくれるらしい。普通のお店よりも低価格であること以上に、そのサイズに驚く。私達以外のお客さんが食べているオムライスは、どうみても一人前とは言い難い大きさだった。

 うん、あれは大盛だろう。どこにも、大盛に変更可能だとは書いていないけれど。

 戸惑っていると、悠さんに肩をつつかれた。手を握る時とは違い、思いのほか優しく、緊張しているような弱い動作だった。

「りっちゃんは、ここに来るの初めてですか」

「そうよ。悠さんは、いつもここに?」

「駅から五分ですもん。よく来ますよ。それで、ご注文はお決まりですか?」

「……オススメを教えて貰っていい?」

 優柔不断だから、複数の選択肢からひとつを選び抜くのは苦手なのだ。

 珍しいナス入りデミグラス、異色のチーズカレー、王道のケチャップ、それ以外にも沢山の種類がある。週に五回通っても全商品を制覇することは難しいそうだ。

 悠さん曰く、これだけ味にバリエーションがあるのは、近くに市役所があるのが影響しているらしい。お昼時に、職員がここへ食べに来ることが多いのだそうだ。彼らが飽きてしまわないように、ということなのだろう。

 その情報は中野君から入れ知恵されたものであることも、悠さんは教えてくれた。嫉妬を煽ろうとしているのか? そんな風には見えないけれど。

「とりあえず、デミグラスにします。家だと、いつもこの味だし」

「じゃ、私は何にしようかなー。ホワイトマッシュルームかなー。ナスは苦手だし、カレーはこの前食べたしなー」

 メニューを開きながら唸る彼女が、数学の公式を見て躓く高校生のようにも見えてきた。幼気な感じが中野君の好みに合致するのだろうか。ううむ、それを彼女に尋ねてみるのも違う気がするなぁ。

 しばらくして狙いを定めた悠さんが、私の分の注文も済ませてくれた。彼女がここに何度も訪れているのは本当のことのようで、店員の女性と軽く言葉を交わしている。単純に、羨ましいなと思った。

 ふと横を見ると、色白い肌をした人が黙々とオムライスを食べていた。女性みたいな顔をしているが、恐らく男性だろう。向かいの席に座った女性から呼ばれている名前を聞いた限りでは、そうとしか考えられない……源氏名かもしれないけれど。

 彼をみていると、中野君の顔が浮かんでくる。小説を書いているときの中野君に、隣に座る男性はよく似ている。冷たくて尖っていて、それでも何か熱いものを胸の奥に秘めているような雰囲気があった。

「りっちゃん。聞いてる?」

「……ごめんなさい。ちょっと寝惚けていたみたい」

「ふっふー、そんな油断しているあなたにはこれですよこれ」

 前後関係も不明瞭なまま、頬を突かれた。最初は控えめだったその動きが、段々激しさを増していく。首をくすぐる様に指がざわめき、鎖骨から下へと流れるように動いていく。悠さんの頬が吃驚するほど緩んでくのをみて、私は彼女の手を掴んだ。これ以上はいけないと、本能が叫んでいる。

 嫌じゃないけど、ダメだと思う。

「あの、どうしたんですか」

「緊張をほぐそうかなと」

「その割には、指の動きがおかしいというか」

 いやらしいというか。うへへ、と悠さんが笑った。どういう理屈か、エロ親父が浮かべる笑みはこんな感じなんだろうな、と思ってしまった。

 手をワキワキと動かしつつも、彼女は手を退けてくれた。瞳の奥には、煮詰めたタピオカが放つような鮮やかな光が灯っている。悪戯好きなんだな、たぶん。

「りっちゃん、表情が硬いよ? おっぱいは柔らかいのに」

「それ、セクハラよ……大体、いつ触ったの」

「さっき抱き付いたときです。やー、私のは小さいので、たまには癒されたいというか、そのぷにぷに加減を確かめたいと言うか。りっちゃんの胸にはご利益が詰まっていましたね」

 希望じゃないのか、とは言わなかった。言うだけ無駄な気がしたし、自身の体形について語り出すと墓穴を掘ってしまいそうだ。この子、嫌いにはなれないけれど、あまり好きにもなれないかもしれないな。

 警戒していると手を差し出された。そっと手を出すとにぎにぎと握手を交わされた。何をしたいのだろうと不審に思っていると、指と指を絡めて再びにぎにぎと指を動かし始めた。結局、訳が分からない。

 私にとって、彼女の握手はマッサージのようだった。丁度いい力加減で、手のツボを刺激されている。なんだか、ちょっと気持ちいい。

 でも、悠さんにとって、これには違う意味があったらしい。

「うひひ、恋人繋ぎです」

「……もしかして、あなたってかなり自由な人?」

「旭のお友達ですから。灰色の脳細胞は全神経を尖らせているのです」

「意味が分からないんだけど。ほら、サラダが来たわよ。手を離して」

「いいじゃないですか、もう少しくらい。ハナさん、みてくださいよ。私達、ものすごく仲良しなんですよ!」

 三十代前半と思しき店員さんは困ったような顔をして、私と悠さんとを見比べた。私が諦めたように首を横へ振ると、彼女は何も言わずにキッチンへと戻って行った。なるほど、かなり理解のある人らしい。

 何事もなくて良かった。お店の人に迷惑を掛けないように、と悠さんを嗜めようとした。視界の端、店内からも窺うことの出来るキッチンで、豊かなひげを蓄えたダンディな店主がにこやかに笑っていた。明らかにこちらを見ているが。……もしかして、邪推しているのか? 私達の関係を?

 違います、と言いたかった。私と悠さんとの間には、何ら特別な関係があるわけではない。そもそも、出会ってから日が浅いのだ。友情は交流した年月に比例して膨れ上がっていくものだと、中野君が小説に書いていた。私だってそう思う。だから彼らには誤解をしないでほしいのだが……私がそれを説明するのは、ちょっと難しい。

 視線を逸らすと、隣の席でオムライスを食べていた男の人も私達を見ていた。宙に浮いているスプーンには、すくったオムライスが乗せられている。それが落ちる前に、向かいに座っていた女性がパクリと食べてしまった。

 ずっと注目を浴びているわけではないにせよ、全部で二十席しかない狭い店だから、どこからも見られていそうだ。私にはその気がないから、妙にむず痒くなる。

 悠さんは、これで平気なのだろうか。

 上下に手を振っていると、十五回を過ぎたあたりで悠さんの手がすっぽ抜けた。間髪入れずにフォークを持ち、これ以上の狼藉は許すまいと身構えた。私が警戒していることを知って、悠さんもすごすごと自分の分の食器を手にした。……最初からそうしていればいいのに。

 運ばれてきたサラダはとても美味しかった。コーンの黄色、ニンジンの赤、レタスと胡瓜の緑。特に良かったのは、水分を抜いたニンジンだ。歯に挟まるほど固くはないけれど、サラダ特有の水っぽさもない。むしろ、スナック菓子のような歯ごたえが心地よかった。

 サラダを食べながら、悠さんとお喋りをする。私が言葉に詰まっても、彼女は親し気に話しかけてくれた。手を触ろうとしたり、頬に触れようと腕を伸ばしてこなければ完璧だ。なぜ彼女がここまで私に優しくしてくれるのか、その理由を考えてみても分からない。もしかしたら、と浮かんだ考えは既に否定した。好意を信じるより、からかわれていると考える方が正解に近づけるだろう。

 私は、人間の悪意を信じているのだから。

 運ばれてきたオムライスは、普段食べているものを一回りも二回りも大きくしたようなサイズだった。食の細い私は悠さんに手伝って貰いながら、四苦八苦して山を崩していく。味を変えれば気分も変わると悠さんに勧められ、何度か彼女の注文したホワイトクリームのオムライスも味見させてもらった。なるほど確かに美味しかったのだが、「あーん」を要求されるのは予想外だった。

 うむ、本当に予想外だ。

 食べ終えた後は、ちょっとお腹が痛いくらいだった。悠さんはまだ余力を残しているらしく、メニュー片手に次回の予定を立てている。また連れてこられるのか、今度はサイズを小さく出来ないか店員さんに尋ねてみることにしよう。それが無理なら、中野君に手伝って貰おうか。彼も健啖家なのだから。

 お腹が膨れたからなのか、段々と眠くなってきた。それに伴って心のバリケードが緩んでいく。

「それで、悠さんは旭のことどう思っているの?」

 そんなことを彼女に尋ねる余裕も出来た。彼女は、平気そうな顔で笑っている。

「友達ですよ。まあ、親友レベルですけど」

「それだけ? もっと深い仲だと思っていたけど」

「そんなことはないですよ。私には他に好きな人がいるんですから」

「そうなんだ? それ、誰なの」

 恋敵が減るかもしれない、と薄汚れた好奇心を抱きながら彼女に質問を重ねる。

 つと、向かいに座っていた彼女が席を立った。不思議なことに、私の隣へと場所を移動する。見ていると、手を握られた。つい先程の、柔らかく手を包まれる感覚ではない。がっしりと指を掴まれて、彼女の眼には薄らと涙が滲んでいた。

「私は、あなたのことが好きなんです」

「……それは勿論、友達として、ということよね」

 意図が掴めずに尋ねると、彼女はそっと、首を横に振った。

 友達として好きではない。なるほど、これで選択肢はふたつに絞られるわけだ。本気か冗談か、という話ではない。悠さんと私が同性であることを考えて、そしてこれだけの短期間でそれだけの好意を向けられる理由も特にわからないという理由を添えて、答えをひとつに絞り込んだ。

 これが本気だとするならば。

「つまり、玩具として、という意味ね」

「りっちゃん、もしかして私をからかっているんですか」

「三割くらい本気よ。……なに、冗談でしょ?」

「どうしてですか。私はこんなにも真剣なのに」

「そうは言われても」

 じっと覗き込むと、彼女の瞳に微かな悪戯心が垣間見えた。彼女の態度が嘘であることを、指摘したほうがいいのだろうか。だが、万が一にも彼女が本心から私への好意を伝えているのだとしたら、どんな態度をとるのが正解なんだ。

 友達が多い人は、常にこんな状況と隣り合わせなのかしら? だとしたら私は、友達の数を減らしてでも平穏な生活を望みたい。

 返答に困って、視線を右左に泳がせる。周囲のお客さんは好奇心をその瞳に宿らせていて、誰も助けてくれそうにない。問題は身内で処理しろということだろうか、ぐぬぬ、そこまで親しくないのだけれど。

 潤んだ瞳を私に向けていた悠さんは、唐突に抱き付いてきた。額を胸に押し付けてきて、息が苦しくなる。色白い男の人が噎せて、向かいに座っていた女性に窘められていた。いや、そんなことよりも。

「悠さん、やめてください。その気がないのに、そういうことはするべきではないと思います」

 ぐいぐいと彼女の身体を引き剥がそうとする。思いの他、抵抗する力が強い。抱き付き慣れているのか、この人。困っていると、悠さんが顔を挙げた。真剣そのものといった強い視線が溶けるように消え、彼女は相好を崩した。

「ダメか。旭なら、この辺りで本気になってくれるんだけどなぁ」

「え?」

「いや、『僕は本当に好きな人としか付き合いたくないんだ』とか言われて、フラれるまでがオチなんですよ。りっちゃんなら、なし崩しでお付き合いできるかなーって淡い期待もあったんですけど」

「私だって……」

 言葉を詰まらせると、悠さんがその身体を離した。

 ふぅ、と溜息を吐くと、周囲の人も吐息を漏らした。緊張した空気が弛緩して、私達を眺めていた周囲の人々も穏やかな表情になる。キッチンでフライパンを振るう店主がさっきよりも笑顔になった。常習犯がいるのかもね、と真横でヘラヘラしている彼女に視線を送る。

 私を驚かしておいて、彼女に悪びれる様子はなかった。

 つんつんとその肩をつつく。

「ええと、本気だったわけ?」

「七割くらい本気ですね。玉砕覚悟、知っていて火の海に飛び込んだわけです」

「どうして、そんなことを?」

「だってー、りっちゃんは旭のことが好きでしょ? 旭もりっちゃんのことを好きだろうから、これは早めに唾をつけねばって」

「………………そうなの?」

「あれ、旭のこと嫌いでした?」

「いや、別に、私はそんなこと言っていないけど」

「ですよねー」

 あはは、と何事もなかったかのように笑う。

 だけど私の方はそれどころではない。会って数日の人に見抜かれるほど、私から中野君への好意は筒抜けなのだろうか。個人的な意見を言わせてもらえば、私は完全に隠し通せていると思っていた。大体、私が好きなのは彼の書いた小説の方だ。あれを読むと心がじくじくと痛み、知らなかった世界が私の目の前に広がっていく。だから私は彼の小説が好きだし、彼本人には製作者へと向けるべき好意を抱いているつもりだった。

 だけど、他人から見れば、そうではないらしい。

 ……私は彼のことを、本当はどう思っているのだろう。

「ねえ、悠さん」

「なんですかな、りっちゃん。やっぱりお付き合いしてくれるんですか?」

「いや、それは無理だけど。恋愛における『好き』って、どんな感じなの」

「え? ビリビリでバチバチでズキズキする感じですよ。りっちゃんも、旭のことを考えるとそうなるでしょ? 一目惚れしたら、雷がドーン! って感じですし」

 まるでショートした電化製品みたいだ。昔のアニメの曲で、ショートする思考回路が何とやら、とヒロインが歌っていたことを思い出す。それと似たようなものだろうか。

 中野君のことを考えてみる。心臓が高鳴る、なんてことはない。だけど身体が奥の方からじんわりと温まって来て、頬が熱くなっていくのが分かる。お店の冷房が弱くなったか、それとも食事の後で眠いからか、と言い訳をするのは見苦しい。

 ここまで来てしまったら認めてしまった方が楽でしょ。

 でも、私は彼が好きなわけじゃないし。

 だったら、悠さんと中野君が親しくしていても、嫉妬するべきじゃないわ。

 だけどそれは、お気に入りの玩具が他人のものになるのが怖いからで。

 玩具? それは、大好きなものの比喩かしら? それとも自分が依存していて、自分だけのものに出来ると思っている事物のたとえ?

「……うう」

「大丈夫ですか、結構お悩みのようですが」

「私にとって、中野君って、何なんだろう。友達……だと思うんだけどなぁ」

「ふっふー、りっちゃんは私の友達だけど、私が一目惚れした相手でもあるんですよ」

「あれ、私達って友達だったかしら?」

「んなっ!」

 冗談よ、と言って彼女の頭を撫でた。悠さんと中野君は似ている。どうにも嫌いになれない相手だし、私と親しくしてくれる優しい人だ。何より、一緒にいて不快にならないのが有り難い。

 私、人間って嫌いだもの。

 お昼時に長居するわけにも行かず、私達はお会計を済ませて喫茶店を出ることにした。歩いて数分のところに大きな公園があるらしく、悠さんの先導でそこへ行くことになった。半分くらいシャッターの降りている商店街だ、今月末のお祭りや、年に数回行われるイベントのときは不思議と盛り上がって街も賑わうらしい。

 閑散とした街を救うには、熱気が必要なんだろうなぁ。

 アーケードの下をてこてこと歩く彼女は、家出をしてきた小学生みたいだ。背も小柄だし人懐っこいし、着用できれば問題ないなんて思っている私より服のセンスも断然いい。中野君が可愛がる理由も分からなくはない。じゃ私はどんな風に見えるのだろうと、商店街のガラスウィンドウに自分を映す。

 地味だなー。野暮ったいなー。まあ、お姉さんっぽくはあるけれど。

 どうにも悠さんが私に惹かれた理由というものが分からず、そもそも告白した理由を尋ねてみた。中野君のことがなくても私へ告白したかという質問にイエスと答えた彼女に、私は少なからぬ驚きを返した。

「好きになったら一直線に勝負です。一目惚れした自分の感性を信じて、ひとつのことにすべてを賭ける! これが恋って奴ですよ」

「そうなのかなぁ。私とか、何処に惹かれる要素があるの?」

「そりゃ勿論、天然モノの美人で、綺麗な人ってところですよ。真面目そうな雰囲気とか、年上のOLさんみたいですごくいいです」

「その言葉が本当なら、私はもっとモテていていいと思うのだけど」

「ふふっ、甘いですねぇ。本物の美人は、本人が思っている以上に冷たい印象を周囲に与えるものですよ」

 悠さんが腕を伸ばして、細い指が頬にあたる。そして首の後ろに手を回されて、ポニーテールを掴まれた。ふむ、彼女も中野君と同じ性的趣向をお持ちのようで。

 私のポニーテールを掴んだまま、楽しそうな顔をしている。このままタイミングを逃すと、もう聞けなくなってしまうかもしれない。それは嫌だから、前々から気になっていたことを尋ねた。

 私よりも、悠さんの方が中野君と親しいけれど。

「悠さん、中野君にも告白したのことあるの?」

「ありますよ。当然です。で、人生で初めてフラれました」

「それまでは無敗だったの? すごいじゃない」

「だって、誰にも告白したことありませんもん。まあ、旭みたいに真面目な男の子なら初めての相手に最適だろうと思って、適当にやったらダメだったわけですよ」

「……すごいわね」

「りっちゃんも、旭に告白したらどうですか? 絶対、旭はオッケーしますよ」

「それはどうも。だけど、ほら、そういう関係じゃないし。私と中野君は、ただの友達だから」

 にへにへと、彼女は笑いを堪えきれていない。なぜか恥ずかしくなって、私はその頬をつまんだ。お餅かと思うくらい、彼女の頬は柔らかかった。

 悠さんに連れてこられた公園は、御城のすぐ隣にあった。昔は堀だったところを埋め立てたとか、あの御城の城主になった人はほとんどがロクな目に遭わなかったということを教えて貰った。歴史に詳しくない私は、彼女の話を頷きながら聞くことしか出来ない。

 でも、格好いいな、とは思った。好きなものに入れ込める人は、それだけで良く見えるものだ。

 彼女に誘われるまま、キノコの形をしたベンチに座る。彼女が私を好きな理由、というのが話題の中心だったはずなのに、気付けば悠さんから私へのお説教が始まっていた。

「りっちゃんははやく告白するべきなんですよ。好きな人にサクっと告白して、いちゃコラする日を一日でも多くするのが人生ってものですよ?」

「だから、中野君とそんなことするつもりはないの」

「怖いんですか? 最初から諦めることの出来る恋なら、たいしたものじゃありませんね」

「あなただって、似たようなことをしているじゃない」

「違いますよ。私は、一時休戦ってところです。好きな人には、私以外に好きな人がいるんですから」

 ついつい、と心臓の上を指で突かれた。その形がいやらしいものに変化したのを見届けて、彼女の手を払った。

「隙があるようで、意外に身持ちが固いんですね」

「当たり前じゃない。友達だって、ふたりしかいない人見知りよ」

「そのふたりが、彼氏と彼女になればいいですね!」

「……それはどうかしら」

 前半はともかく、後半は難しそうね。妹ならいいのだけれど。

 唸りながら悠さんが立ち上がり、何事かを思案している。ロクなことじゃない、と断言できるほど彼女はダメ人間ではない。考え事にも飽きたのか、それとも何も思い浮かばなかったのか、彼女は遊具の方へと駆け出していった。そして遊ぶには不適切な格好だったことを思い出したのか、肩を落として帰ってくる。

 んー、疲れているのだろうか。主に、精神的な面で。

「大丈夫? 悠さん」

 声を掛けると、彼女は顔をあげた。その表情は曇っていた。理由を尋ねると、彼女は曇った顔のまま私の隣に座り込んだ。そして、パタリと倒れ込んでくる。ふむ、膝枕がご所望か。してあげないけど。

「あの、そろそろ『さん』付けをやめてもらいたいです。いいですか、お姉様」

「どうして同年代の子からお姉様扱いされるのかしら」

「だって、美人さんだし。私、十九ですよ」

「あら、意外ね。同い年だと思っていたのに」

「うわっ、実年齢より老けて見えるんですかぁー」

 たった一歳なのに、と野暮なことは言わないでおいた。私だってそのうち、アラサーか否かに拘るような大人になるのだろうから。なるのかしら? たぶん、なると思うけれど。

 年齢のことで喋っていると、彼女は予備動作もなく泣き始めた。十代最後の夏を、どうにかして愉しみたいのだと言う。オーバーリアクションが他人と彼女を繋ぐ表現技法なのかも、と思えば別に不思議ではない。それが嘘泣きだと分かっていても慰めたくなるのは、彼女が可愛らしい顔立ちをしているから、なんだろう。この子も、人生を得しているなぁ。私のことを美人だと言うけれど、それで得した経験がないぞ。不公平だ。

 悠を慰めるために正面から抱き合っているのは暑苦しくて、結局膝枕に落ち着いた。……なんだこれ。中野君が見たら苦笑いしそうな光景だ。

 ひとしきり私の太腿に頬を擦り付けた後、悠は身体を起こした。すねこすり、という妖怪を思い出して少し笑う。彼女は、楽しげに提案をした。

「今度、プール行きませんか?」

「夏も終わりそうなのに」

「だからこそ、ですよ」

「まあ、私も行きたいけど。水着持ってないし」

「大丈夫! 今から水着を買いに行きましょう! お金ないなら貸してあげます!」

「なによ、そんなに私の水着姿がみたいの?」

「うん! や、そういう意図はないです……」

 今更訂正されても、という感じだが。断る理由も特に思いつかない。セクハラだけは勘弁願いたいが、流石に店舗での試着中にそんなことをしないだろう。プールでも然りだ。彼女の視線や態度が気になるなら、なるべく地味な水着を選べばいいし。周囲の視線は身体と心、両方に刺さるのだ。元々運動が出来ないタイプの人間だったから、目立つことなく高校生までの体育は乗り越えてきたけれど。

 大学生になってからは、これが初めてかもしれないなぁ。

 悠に誘われるまま立ち上がると、眩暈で視界が白くなった。ぼんやりとした心地よさが、酸素濃度の下がった身体に沁みていく。

 やっぱり、今年の夏は楽しくなりそうだった。

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