第5話 敏感女

 満天の夜空に煌めく星々の様に、ノート一面が文章で埋め尽くされていた。

 それは小学生の頃、一度だけ参加した山岳キャンプでみた光景に似ている。

 矢印で繋がる部分もあれば、黒く塗りつぶされて消されたところもある。クの字型の記号によって挿入された文字列を切り裂いて現れる新たな展開、固定概念なんてガラクラと言わんばかりに新鮮な感性で描かれた小説。以前読んだ作品と違って、誰も傷つくことのない平和な物語だった。ただし、文体は相も変わらず好戦的だ。主人公が過去語りするだけの小説なんて、これまた一次選考で落ちるような作品じゃないか。ネームバリューのある作家ならともかく、新人がやるべきことじゃない。

 無数に散らばる星々を繋いで星座を探し出すように、美しい言葉の流れを求めて旅をした。瞳と心がつながって、文字が溢れる大宇宙への冒険が始まる。気付けば、彼の小説に耽溺していた。

 小説を読み終えた後は、楽しかった物語を思い出すようにして背表紙を撫でることがある。同じように、ノートを優しく指でなぞった。

 顔をあげると、中野君がにこにこしていた。

「そんなに面白い? 気に入ってくれたら何よりだけど」

「……別に」

「うへへ。いやぁ、読んでもらえるってすごく嬉しいことだね」

 作品を褒めたわけでもないのに、満足そうに笑っている。悔しくなって、その頬をつまんだ。これが二日目……初めて言葉を交わした次の日の雰囲気だとは、友人のいなかった私には信じられない。何より、寡黙だと思っていた中野君がこうして微笑んでいることが信じがたいのに。

 溜息を吐きつつ、いまだ微笑みの消えることのない中野君を見つめた。彼は人生をとことん楽しんでいるようで、羨ましい限りだ。

 前期最後のテストが終わった後、彼が所属する文芸部を訪問した。部室は、彼を追いかけているときに何度か訪れた部室棟、その六階の中央あたりに位置していた。六畳ほどのスペースに原稿用紙や印刷済みの何やらが散らばっていて、綺麗とは言い難い。部屋の隅には大きな本棚があり、ライトノベルから一般文芸雑誌まで、ジャンルや年代も様々なものが詰め込まれている。ここにいれば、一日中暇をしなくて済みそうだ。

 夏休みの間に、出来れば掃除をしてほしいものだけど。

 小説を読み終えた後、中野君に幾つかの質問をした。部活の活動日程や活動場所、所属している人数や男女比など、聞きたいことは山ほどある。

 彼曰く、文芸部はいつもここで活動を行っているらしい。毎週木曜の午後四時を過ぎた頃から集まって、部誌の作成やら日々の活動やらに勤しむ日々を送っていたそうだ。文芸部員は全員数えても両手に収まり切る程度だが、女性も三人ほど参加しているらしい。といっても、男女ともに半数くらいは幽霊部員になっているらしく、実際に活動しているのは男性四人に女性二人の六人しかいないらしい。狭くてモノがあふれている部屋だと思っていたが、その人数なら仕方がないかもしれない。片付ける人もいないのだから。

 しかし、活動がゆったりしていることを聞いて安心した。昨日貰った原稿も、実はまだ手を付けていない。楽しみにしていた小説を開くには勇気がいるのだ。期待していたよりも遥かに鮮烈な楽しみがそこにあったとしても、実物が予想以下だった場合に受けるダメージのことを考えると苦しいのだ。だから、どうしようもない。

 尋ねたかったことも、あのノートに書かれていた小説に関すること以外はすべて聞き終えた。

 文芸部に所属しているだけあって彼も相当な小説バカで、話題はいつの間にか本のことになっていた。

 文芸関連の話をしていると、中野君の口調は熱っぽくなった。本当に好きなんだな、と小学生みたいな感想を抱いてみる。でも、そういう一途な人は嫌いじゃない。好きなものの話が出来る相手というものは、いつだって恋しいものだ。

 この大学出身の作家が三人もいるという話をしていたところで、思い出したように中野君が立ち上がった。山積みにされた書類の中に何かを探しに行く。崩れる紙束相手に奮闘している姿を見ていると、以外と彼の背が高いことに気付いた。どのくらい身長差があるのか気になって、近づいてみる。彼が作業中だから正確ではないだろうが、頭ひとつ分くらいだ。

 そうすると、彼の身長は……。

「うわっ」

 背後に私がいたからだろうか、振り返った彼が仰け反った。運悪く後ろに傾いた拍子に紙束の雪崩が彼を襲った。降りかかる紙に埋もれた彼に手を差し伸べる。軽すぎたのか、私の方が引っ張られてしまうことになった。直接の救助は諦めて、紙を除けることにした。

 上半身を覆う紙を取り払った後は、本人にも手伝って貰う。無事に抜け出た中野君は、部屋が更に散らかってしまったことを嘆きながら一枚の紙を差し出した。そこには入部届と書いてあった。

「よければ、文芸部に入らないか? 特に規約はないし、幽霊になっても誰も文句は言わないから」

「……本当に? 何か、やらなくちゃいけないことがあったりしない?」

「特にないよ。ウチは、強制力も人望もないサークルだから」

 それで、どう? と彼が尋ねてくる。その瞳は不安と期待が混ざり合った、独特の色をしていた。

 自分より背の高い人が下手に出ている、ということを考えただけで興奮できる人間になりたい。冗談だけど。

 悩む振りをしながら、入部届を受け取る。記入が必要なものは名前、所属学部と学年、連絡用のメールアドレスがひとつだけ。このくらいなら書く手間も少ない。ぱぱっと空欄を埋めて用紙を彼に手渡そう。

「私が部員になる意味、ある?」

「そういうことを言われると、ちょっと難しいところがあるな」

「……冗談。いいわ、部員になってあげる」

「ホント? やった! 今度、部員を紹介するよ」

 他の人に興味があるわけではないけれど、挨拶くらいはしておいた方がいいのかもしれない。

 受け取ろうとした彼の手から、入部届けを遠ざける。豆鉄砲を食らった鳩みたいに惚けた顔をしていた。悪戯を完璧に成功させた後は頬がどうしようもないくらい緩んでしまう。同じ動作を三回繰り返すまでには、彼も顔一杯に笑みを浮かべていた。

「立田さん、なかなか悪戯好きだね」

「そう? このくらい普通じゃない?」

 手が用紙をかすめたのは一度だけ、彼は反射神経が鈍いようだ。パターンを変えながら、からかい続ける。なんだか、幼い頃家で飼っていた猫と遊んでいるような気分だ。

 我慢できずに立ち上がった彼が脛を机の脚に打ち付けたところで、いたちごっこは終わりにしてあげた。別に、怪我をさせたいわけではないのだから。

 打った脛は痛いだろうに、楽しそうに笑っている。なんだか、変な人だ。

「清楚な見た目に反して、意外にやるじゃないか」

「中野君も、もっと寡黙な人かと思っていたのに、よく喋るよね」

「僕は親しい人か、そうなりたい人としか喋らないんだ。人見知りだから」

「あら、私と一緒ね」

 ふへへ、と笑いながら相手の顔色を窺う。彼が何も疑っていないのが、不思議でしょうがなかった。

 そう言えば、悪戯をしていて思い出した。服の話である。胸元が緩いことを指摘されたから、今日はチューブトップを着込んでいるのだ。昨日よりも気温が低いはずなのに薄らと汗が滲むのには、そういう理由がある。吸汗性に優れた素材らしいが、そもそも汗をかかないような生活をしたいのだからこれは失敗だった。高校のときも同じことを考えたから使用していたのだし、結果として現在も引き出しの奥へ仕舞いこまれていたのだろ。

 まぁ、言われて気になってしまったからには、脱ぐ気にもなれないし。高校の頃より成長しているのか、息苦しい感じもするし。

 今度、時間がある時にでも、新しい服を買いに行こう。

 閑話休題。

「ねぇ、昨日の話なんだけど」

「昨日?」

 襟元を少し下げる。彼も思いだしたようだ。

 恥ずかしい思いをさせられたのだ、やり返しても問題はないだろう。

「何色だったか、覚えている?」

「……や、覚えてない」

「嘘は良くない。これでも私、傷ついているのよ?」

「あー、っと……」

 腕を組んで悩み始めた。やっぱりこの人、真面目でチョロい。

 どうやって困らせてやろうかと考えて、彼の瞳を覗き込む。

 目を合わせようとしても、どういう訳か逸らされてしまう。口が開きそうになるたび、強固な意志で閉じているようだ。どんな言葉が漏れようとしているのか分からないが、小説の中では使える単語も、口に出そうとすると恥ずかしくなるタイプなのかもしれない。ネット弁慶ならぬ小説弁慶だろうか?

 ずいずいと近づいて、彼の逃げ道を潰す。赤くなった顔を隠すように、彼は手で目元を覆った。なぜ、見られた私よりも見た中野君の方が恥ずかしそうにしているのだろう。おかしいではないか。彼の胃袋に穴を開けるべく、熱烈な視線を送り続ける。覚悟を決めたように、彼は溜息を吐いた。

「僕が見たのは肌の方だから、君が望むような答えは」

 彼が言い終えるより早く、頭をはたいた。ぽこんと可愛い音がする。

 今度は私が頭を抱える番だった。どこまで見たんだ、この人。

 思っていた以上に私は無防備だったのかもしれない。彼の記憶を消し去る魔法なんて使えないし、いっそのこと居直ってしまえば楽になるかもしれない。そうだ、ここまで来たらセクハラも辞さない覚悟をするんだ。がっしりと、中野君の肩を掴む。そのまま、心の底を覗き込む勢いで彼の瞳を見つめる。

 あぁ、私は何をしているんだろう?

「で、どうだったの」

「えーっと……」

「年頃の乙女の秘密を覗き込んだのよ。すべてを打ち明けるのが筋ってものじゃない」

「泣きそうな顔で言われると、罪悪感が百倍になるんだけど」

 上等じゃないか。普通の悪事の五千倍くらいは悪いことをしたなぁと思って貰わなくちゃ困る。

 眉の下がった困り顔になった中野君の肩を揺する。本当に泣きたくなってきた。弱い心を誤魔化すために思いきり振り回す。今の彼に責任をとれと言ったら、何でもやってくれそうだ。両手を広げた彼はまるで無抵抗で、言い訳を並べ立てることもない。

 ひとつ咳払いをしたあと、彼の視線が言葉を探して宙を彷徨う。ふむ、発言の意志はあるらしい。

 今の中野君は喧嘩に負けた犬のような、縄張り争いで追い立てられた犬のような顔をしている。実際、元からよく躾けられた狩猟犬のような顔立ちはしているのだ。怖いけれど、どことなく扱いやすそうな……実物を見たことがないのに、イメージだけで語るのはどうなのだろう。

「取り敢えず、立田さんのスタイルがいいというのは分かった」

「それで?」

「ドキドキしたことは否めない。けど、それ以上のことはしてないよ」

「それ以上って……」

 緊張以外に、何をすることがあるというのだろう。考えれば理解出来そうな気もしたけれど、踏み込まない方が幸せなこともあると追及するのをやめた。どんな人も蓋を開けてみれば悪意の塊なのだ。それは多分、中野君だって一緒だ。

「で、今日はどう?」

「今日って」

「格好のことに決まっているじゃない。これでも隙だらけかしら」

「そんなことないよ。真面目な感じで、いいと思う」

「見えてない?」

「みえない。絶対」

 彼の視線がどこに向いているか不安だが、チューブトップを着ている以上、問題はないはずだ。それにしても、ここまでとは……。男は狼だと言うが、彼の場合は理性で欲望に猿ぐつわを噛ませているだけなのだろう。善人の心に巣食う悪意が芽生える瞬間を見てみたい、なんて考えがふっと頭の中に浮かび、慌ててそれを打ち消した。

 中野君なら私の歪んだ期待にも応えてくれる。そんなことを考えてしまう私は、相当な悪人なのだろうか。そっと胸に手を当てる。これ以上は隙を見せまいと、固く決意した。

 ……でも、やっぱり、からかってみたい。

「もう一度、みる?」

「おーっとォ、もうお昼だ! ご飯食べないと」

「ふむ、切羽詰ると逃げるのか」

「何のことかな。立田さんはご飯どうするの」

「私はお弁当があるから」

「なるほどね。僕は何も持ってないから、買ってくるよ。北館の購買に行くから、待ってて」

 言うが早いか、財布と携帯を尻ポケットに突っ込んで、慌てたように部室を出ていった。脱兎のごとく、私の追跡を許さない速さだった。

 逃げるとは、なんと卑怯な。でも、良かった。中野君は、やっぱりヘタレだ。セクハラに弱いことから考えて女性経験というものが少ないのだろう。分かんないけど。そんな彼を見送った後、私も洗面所へと向かった。個室で気分を落ち着かせてから、鏡の中の自分と対峙する。

 まず、服装の確認だ。

 これ以上、隙を見せるわけには行かない。性的な魅力をウリにするような女ではないし、むしろ遠ざかっていたいくらいなのだ。安っぽい女ではないことを全身で表現するのは難しいかもしれないけれど、真面目な雰囲気を滲ませることは簡単に出来る。高校時代のように、ピシッとした格好をすればいいからだ。

 身だしなみを整えて、身体のラインが妙に浮き上がっていないことを確認する。前屈みになってみたり、身体を後ろに仰け反らせたりしてみる。問題はない、蠱惑的には見えないはずだ。

 おへそも見えないし、完璧である。

 後ろで束ねていた髪を解くと、癖がついてしまっていた。それに、なんだか幽霊か悪霊の一種みたいにみえる。元通りに髪を縛り直すと、そこには年齢相応の顔をした私がいた。どこにでもいるような、普通の女子大学生だ。暗い雰囲気を纏っていると言われれば確かにその通りだが、それも陰湿なものではないと思う。でも、それ以上に地味だ。無表情で、何を考えているか分からない。なるほど、人が話しかけてこないわけだ。化粧の為に毎日鏡と向き合ってはいたけれど、考えてみたこともなかった。

 笑うと、どうなるだろうか? 鏡越しの自分に微笑みかけようとする。

 鏡の向こうから想像より鋭い視線が返ってきた。笑っていると思っていても、実は表情が変わっていなかったりするのかもしれない。このままだと、友達なんて出来るはずもないだろう。誰かの笑い顔を真似てみようと考えて、ふと中野君の顔が浮かんだ。

 ……頬が緩んだのは、バカなことを考えたからに違いない。

 廊下に出ると、蒸し暑い空気に息が苦しくなった。早く、部室に戻ろう。

 部屋に入ると、中野君が帰って来ていた。

 彼の目の前には、カップ麺とお弁当が置いてある。タイマー代わりにしていたらしい携帯が音を立てて、彼は慌てたようにスイッチを切った。お弁当の蓋を開けたり、蕎麦の出汁を入れたりと忙しそうだ。

「どこ行っていたの?」

「ご飯の前には手を洗うべきよ」

「なるほどね。僕は北館に行ったついでに済ませたから」

「そう。それにしても、結構食べるのね」

「週に一度の楽しみだよ。普段はパンばかり食べているし」

 それは知っている、と言いかけて口を噤んだ。まだ、そこまで知られていないはずだ。教えるべきことでもない。折角、こうして話せるようになったのだから。

 カップ蕎麦が湯気を立てているのを見て、部室棟の三階に給湯器があったことを思い出した。あれ、普通に使えるんだ。外から持ち込んだカップ麺に対してはセンサーが作動して給湯できません、みたいなことが書いてあった気がしたのになぁ。

 眺めていると、割り箸を差し出された。

「なんだったら食べる? 箸、もう一膳あるけど」

「ふたつある方が疑問なんだけど」

「弁当とカップ蕎麦買ったら、二膳貰えた」

「そうなの……折角だけど、遠慮しとく。私、沢山食べられる方じゃないから」

「そっか。じゃ、いただきます」

 私も自前のお弁当を用意したところで、彼は手を合わせた。なんて真面目な。

 もくもくと、掌に収まるくらいのお弁当を食べる。彼は購買で売っているお弁当と、どんぶり鉢ぐらいのカップ麺を食べていた。細めの身体をしているのに、一体どこへ入っていくのだろう。人体って、不思議だ。

 食べながら、何を話すわけでもない。おかずを交換したり、味の感想を言い合うわけでもない。ただ一緒に食べているだけなのに、なぜか楽しい。高校生になってからの食事を思い返してみれば、こうして誰かと食べる機会が減っていたことに驚いた。昼は一人でお弁当をつつく毎日だったし、夜は家に帰っても家族が食べる時間には間に合わなかった。今だってそうだ。だから、こうして、何の変哲もない食事風景が特別に思えるのだろう。

 ご飯を飲み込んで、小さく笑った。彼が微笑み返してくれたのだから、きっと表情も変わっている。それは、とても良いことだ。知り合ったばかりの相手なのに、なぜか旧友に対する安心感みたいなものが去来する。残念なことに、それは小説でしか得たことのない知識だけど。

 彼に話しかけて、彼と関わろうという勇気を持てたのは本当に良かった。

 食べ終わった後、安らかな時間が訪れる。ぼんやりと、柔らかな眠気が私を包み込む。彼は少し物足りないようで、腕組みをして悩んでいた。これ以上、何を食べるつもりなのだろう。遅い昼食とはいえ、食べ過ぎだ。いつか身体を壊してしまう。

 軽く雑談をした後、部室に置いてあった花札を使って二人でも出来る遊びをした。花合わせやこいこいなんて、やったのは何年振りだろう? 中野君は終始、楽しそうにしていた。

「また遊ぼうよ」

「いいけど、私と? 変な人ね」

「よく言われる。君も言われない?」

「言われるほど友達がいないもの」

「それじゃ、僕が言ってあげよう。君は相当な変人だ」

 ふたりで、顔を見合わせて笑う。

 久しぶりに、誰かと笑う。

 夏の太陽に負けないくらい、身体が温かくなった。

「ところで、この部屋、ずっと窓が開いているのはどうして?」

 途中、花札が何度か捲れてからというもの、ずっと気になっていたのだ。じんわりと蒸し暑い季節柄、窓を閉めることも出来ずにそのままにしておいたのだが。部屋に散乱する原稿用紙が出ていかない程度に調整されているのは匠の技だけど、それよりクーラーを使った方がいいし。

「もしかして、何か理由があったりするのかしら」

 熟考するでもなく、彼は部屋の一角を指差した。薄汚れた何かの機械が、原稿用紙とちり紙の束に囲い込まれるようにして放置されている。風が吹くたびに、周囲の紙切れがかすかな音を立てた。

「あそこに冷房機があるのに、ってことかい」

「……まぁ、窓際にあるそれが、本当にクーラーなら」

「故障中なんだよ、実は」

「そうなの? 古い型みたいだし、仕方ないかもね」

「そりゃそうだけど、暑いのはどうしようもないもんなー」

 そういえば、と彼が鞄から何かを取り出した。水色のガラスに赤い金魚の模様が施された、可愛らしい風鈴だ。意外な趣味に目を見張った。

 窓辺の、風通しがいいところにそれを吊るす。

「文芸部なんだから、風流なことのひとつやふたつ、やらなくっちゃな」

 吹き込んだ風が風鈴を鳴らす。涼しげな音を共有する相手を横目に見て、ほんのりと体が熱くなった。私は何を考えている? 太陽が更に日差しを強めたのだ。そういうことにしておこう。

 その心地よい音に、ふたりで耳を澄ませた。

 今夜も、熱い夜になるだろう。

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