第21話 クリティカル
銃を手にした敵はまだ五人以上も残っていた。いかに優秀な捜査官の二人組みとはいえ、〝ワンド〟が使えない今の状況はあまりに厳しいはずだ。SWAT部隊にも暴動鎮圧後には駆けつけてくれる手筈になっているが、それもいつになるかはわからない。すぐにでもワイアットがレールガンの発射を食い止め、彼女達を助けに戻る必要があった。
そうして息が上がるのも堪えて全力で駆け抜け、ワイアットは目的の改装中の施設へと入り込んだ。その瞬間、視界に飛び込んできたそれに瞠目せざるを得なかった。
まるで冗談のように長い砲身が頭上に伸びている。
〝チューバ・ミルム〟――今までの悲劇を全て茶番に貶めるほどの、大災厄を振り撒く兵器がそこにはあった。本来出来損ないであったはずのそれは、今は延々転送されてくる魔力をたっぷりと蓄えながら、その巨大なタービンが回転する瞬間を今か今かと待ち構えている。呆然とその偉容を見上げていた彼に、そこで声がかけられた。
「ようこそ――」
ビクリと背筋を震わせ、ワイアットはすぐさまそちらに銃を構える。
ジルグム・バーンレイドがそこにいた。オンボロのソファに腰掛けて、大して美味くもなさそうに大麻を吸い、煙を吐き出している。
「――と……言いたいところだけど、立会いは不要だったよ。マンハッタンのどこからでも、この歴史的瞬間を誰もが、その目に見ることが出来たはずだからね」
ワイアットは彼に銃を突きつけながら叫んだ。
「武器を捨てて投降しろジルグム! お前はもう終わりだ!」
「その台詞、前回の焼きまわしだね、ワイアット。まるで進歩が感じられない」
「――ッ」
返す言葉もなく、ワイアットは歯噛みするしかない。確かに今この状況は以前の再現だ。ゆったりと寛いでいるにも拘らず、今のワイアットには彼に打ち勝つビジョンがまるで見えてこない。圧倒的有利であるはずなのだが、引き金を引いても、到底ジルグムを仕留められるとは思えなかった。
「ま、君の言葉は正しいがね……確かに、これで終わりだ。そしてここから新たな時代が幕を開ける。この〝チューバ・ミルム〟の一撃と共に」
「いい加減に芝居がかった言い草はやめろジルグム! 遊びじゃないんだぞ!」
「あー……うん。それはこっちの台詞だよ」
「……何?」
思わぬ返答を受け、ワイアットは眉を潜める。ジルグムは無造作に吸っていた大麻を指で潰してほうり捨て、鞘に収まった刀を掴み、立ち上がって弟に近づいた。
ワイアットが威嚇するように銃を突きつけるも、まるで頓着せずに歩みを止めない。
「君は密かに、自分に都合のいい嘘を望んでいた。その望みをかなえたのは私だから、よくわかるよ。君には借りがあるし、せっかく見ている夢から起こすのも忍びなかった。だがこれ以上邪魔をされたら、さすがに困るんだよ」
「な……何を、言ってる?」
問いかけながらも、ワイアットの心の奥底で警鐘が鳴り響くような感覚があった。
今、彼の目の前に立つ男が、何かを根底から覆す言葉を吐き出そうとしている。今まで彼が積み上げた全てを打ち崩す何かを。
ワイアットは、しかしその内容に心当たりが無かった。無いにもかかわらず、ただひたすらに恐れていた。漠然たる恐怖が胸の奥底から沸き立つ。
いや――
理解しているくせに、認めることを心が拒否していた。
「君だよ、ジルグムは。ワイアットじゃないんだ」
ジルグムが、そう言った。
目の前のジルグムの顔をした男が、ワイアットにそう言ったのだ。
「……なっ……えっ……?」
「君はワイアットじゃない。君こそがジルグム・バーンレイドだ」
「なっ――何を……じ……ジルグムは……お前だ……」
ワイアットはすっかり震えていた。構えた銃口の狙いも定まらず――いや、もはや銃を突きつけていることも忘れたように、ただ困惑の表情で相手を見つめることしか出来ない。
「違う。私はジルグムじゃない。身体だけは確かにジルグムだが、まったくの別人――いや、そもそも私は人ですらない。私は、悪魔だ。覚えていないか、ジルグム? 五年前、お前の前に現れたマネキンだよ」
覚えている。その光景を――ジルグムだけしか知りえないはずのその記憶を、ワイアットは確かに覚えていた。何故?
「その時、私は君に契約を持ちかけた。ジルグム・バーンレイドに人ならざる力を与える代わりに、死後この身体をもらうと」
覚えている。自分が――違う、ジルグムが、キャッシュカードの契約のような気楽さでその取引に応じていたことを。何故?
「馬鹿な……悪魔? そんなこと、あるはずが……」
「そこでジルグム、君は条件を付け加えた。弟のワイアット・バーンレイドを殺した場合、その身体を修復し、自分の魂を移してほしいと。その後、抜け殻となった身体を私に譲るとね」
覚えている。確かにそんな条件を口にしていた。ジルグムが。何故?
「何故、そんなことを……?」
「私なりの推測を返してあげてもいいが、それは君が、自分の胸に聞くべきだ。君なら知っているだろう? なにせ、君自身のことだからね」
覚えている。その理由を、確かにジルグムは覚えていた。快楽殺人を繰り返し、その後でまた殺しを繰り返すためだった。人が変われば、当然捜査の手も止まるだろう。
悪魔との契約を果たした後も、また楽しみを続けることが出来て、一石二鳥だ。
我ながらいい考えだったと、彼は思う。少々の誤算はあったものの。
何故も何も無い。彼の言うとおり、自分のことだ。自分の経験と考えだ。
「兎にも角にも、無事、契約は成された。お前は五年前、あっさり返り討ちにして殺した弟の身体に移り込み、私は死体安置所からこの身体をもらった。検死医に記録を改竄させて。――わかったかい? それが真相だ」
覚えていない。それはそうだ。それはワイアットの知らないジルグムの記憶。
待て――と、彼は疑問に思った。自分がどちらだったかを、彼はふと忘れてしまった。
混乱しきっていた彼は、だが不意にその震えを止めていた。唐突に、全てを理解して。
「あ……そうか……」
覚えている。全部覚えていた。何故こんな風に、自分が歪んでしまったのかその理由もすぐに理解できていた。ワイアットとして蘇った彼は、ワイアットの人生の記憶も持っていた。その時々の感情も全て。当然だ。魂はともかく、脳は彼の物を使っているのだから。
だからこそ、自分がワイアット・バーンレイドであると誤解してしまったのだ。突然現れた、ジルグムの記憶を悪夢という名前のフォルダにまとめて叩き込み、呪い続け――
「そっかそっか……そうだったな」
ワイアットは――ジルグムはポリポリと頭を掻き、突きつけていた銃を不意に思い出したように見つめ、あっさりと引き下げていた。対してジルグムは――ジルグムの身体を持つ悪魔は、にこやかな笑みを浮かべて彼の肩を叩いていた。大事な友人へそうするように。
「良かったジルグム、やっとわかってくれたな。私を恨む理由はどこにもない。過去の悪夢は全部、君が自身で招いた結果だ。だからこれ以上、私を邪魔しないで欲しい」
優しく正すような悪魔の言葉に、ジルグムはまだぼんやりとしている頭の感覚を振り払うように首を素早く振り続けながら、茫洋と間延びした口調で返していた。
「あー……うん、いいけどさ……えーっと、ところで……何でこれを撃ちたいんだ?」
「この〝チューバ・ミルム〟は燃費こそ悪いが、その破壊力は絶大だ。このマンハッタンに打ち込めば、万単位の人が死ぬ。その魂を供物として捧げることにより、魔界への扉が開くよう島に仕掛けを施した。扉が開けば、向こう側から我が眷属があふれ出す。これこそが私やフェルがわざわざ自らの身体を捨ててまで抜け穴を通り、こちらの世界に来た理由だよ」
なるほど、とジルグムは頷き、次いで小さく溜息をついた。今まで謎に包まれていた答えも、蓋を開けてみれば、そんなものである。まるでB級映画だ。
どちらかと言えば劇的なのは自分の方だろうと、ジルグムは思う。
今まで五年間抱いていた喜怒哀楽、苦悩、葛藤、その全てが嘘偽りだと気付かされ、しかも驚くほど抵抗の無いまま全てを受け入れている自分がいる。こんな陳腐な悲願を夢想する悪魔よりも、この舞台の主役に相応しいのは、ジルグム・バーンレイドなのは間違いない。だが――一応は友人である男の手前、冷め切ったリアクションを返すのも可哀相かと思い、ジルグムは微笑みを返していた。
「へぇ……なるほど、楽しそうだなぁ、それは……」
「そうだな、君は殺すのがとても好きだった。ならば今から良いモノが見れるぞ。君が殺した人数など比較にならないほど、もっと多くの人が死ぬ」
かつての自分の顔で、悪魔がそんな風に告げる様を見るのは、思わず噴き出してしまいそうなほど滑稽であった。ジルグムはかなりはっきりしてきた思考を確信しながら、最後に頭を軽くゆする。
「な、悪魔さん」
「ディウスと呼んでくれ。忘れたか? 私の名だ」
「ああ、そうだった。なあ、ディウス。ひとつ言わせてくれ」
「……何だね?」
そこで不意に、悪魔――ディウスがその笑みを少し強張らせていた。何か嫌な予感を覚えたように。それは明察であり、しかし遅かった。先ほど追い込まれたワイアットのように。気付いたところで今更遅すぎた。ジルグムはにこやかな表情のまま、問いかけていた。
「あんたさ――契約違反してないか?」
◆
「動くな!」
振り返ったオズワルドとフェルの後方で、古代式のエレベーターを用いてその場に現れたゼルギウスが銃を構えていた。間違いなく声は彼であったが、その姿は見るも無惨にズタズタになっていた。
愛用のデザートイーグルも先の爆発で粉々になってしまったらしい。彼の巨大な手には玩具のようなサイズにしか見えないグロックを握っている。推し量るまでもないが、壁画前の見張りの男達は一網打尽にされ、その銃も彼らから奪ったのだ。
「追いついたぞオズ!」
銃を突きつけるゼルギウス。巨大な部屋に木霊したその野太い声を、酷く懐かしく感じてしまう。オズワルドもまた振り返ると同時に反射的に引きぬいたリボルバーを相手へと向けていた。そうしながらに口の端を吊り上げていた。嬉しそうに。
「ハハッ、あの爆発でよく生きてたな相棒。まあこうなるような気はしてたけどな」
「わかってて見過ごしたのか?」
「そうじゃないと盛り上がらないだろ?」
「ちょ、ちょっと……」
彼の不敵な発言に狼狽したのは、隣に立つ悪魔の少女、フェルであった。首尾よく〝ユグドラシル〟を制御下において満悦していたはずの彼女は、急な風向きの変化にすっかりうろたえていた。まさしく袋の鼠という状況だ。こうなる危険を予期して、なるべく発覚の遅れる作戦を練ったのだが、それを全てこの少年姿の捜査官に台無しにされてしまった。
だが当の本人はもはや彼女の事など眼中に無い。ただ自分を食い止めるためにここまで追いかけてきた元相棒の登場に喜び、笑みを浮かべていた。
「お前、いつから裏切ってた?」
「ずっと前さ。このクソ女が声をかけてきたんだ」
「何で応じた?」
オズワルドが急に笑みを消して黙り込み、そんな彼をゼルギウスが鼻で笑う。
「当ててやろうか? その身体を普通に戻してやると唆されたんだろ?」
「……」
「外の見張りを吐かせたぜ。どいつもこいつも悪魔と取引して従ってる連中だってな?」
ゼルギウスはあまりオカルト方面を信じてなどいないが、断固否定するほどの現実主義者でもなかった。信じてはいなくとも、もしかしたらそういうものもあるのかもしれない、と柔軟に受け止めている。もちろん最初は男達の言を苦し紛れのくだらない嘘と感じたが、不意に本当なのかもしれないと思い直していた。
オズワルドは金や女に興味を持たない。彼がFBIを裏切る理由などとんと思い浮かばなかったのだが――そういう事情ならば得心がいったのだ。
「ったく、俺が喋る前に全部喋るなよ。相変わらず空気が読めないやつだ」
オズワルドが呆れたように苦笑し、ゼルギウスは更に問い質す。
「俺を最高のダチだと思ってるっていう、あれも嘘か?」
オズワルドはその問いに一瞬の間を空けたが、微笑んで頷いていた。
「ああ……嘘だ。当たり前だろ、よく考えてみろよ。どこのダチがダチを爆弾で吹っ飛ばすんだよ。まだ気付かなかったなんて、マジでバカだなお前」
「もう――いい加減にしてください!」
黙って二人の会話を聞いていたフェルが、そこで我慢の限界に達したように叫んでいた。
部下の男達が想像以上に役に立たず、もはや彼女が頼りに出来るのはオズワルドだけだ。
にもかかわらず、こんなにものんびりと会話を続けられては癇癪の一つも起すというものだ。
「さっきから何を余裕ぶってるんですか、早くなんとかしてくださ――」
「うるせえ、黙ってろ」
オズワルドはその銃口をフェルの頭部に向け、引き金を引いていた。
彼女は元々〝美〟を最も尊ぶ類いの悪魔であった。だからこそ、元の肉体を捨てて人間の世界へと渡るにあたり、まず美しい寄り代を優先的に求めたその判断を、最後まで彼女は後悔していなかった。いや、後悔する暇すら与えられなかったともいえる。
「なっ……えっ……?」
悪魔の魂を持つ少女は、頭部に風穴を開け、どさりと後方に倒れる。驚愕の表情のまま、一瞬で絶命していた。その特異性が嘘かとも思えるほどに、いともあっさりと。
既にオズワルドの抱えた狂気は、本物の悪魔すらも凌駕していたのかもしれない。少年の横顔が返り血に染まり、それを見たゼルギウスも思わずたじろいでしまう。
「おい……その女は、お前の仲間じゃなかったのか?」
「ああ? ああ、そうだったな。けど知ってるだろ、俺はあっさり人を裏切る男だってな」
「お前……」
もとより、彼に味方などいなかった。ずっと独りであった。成長が止まり、大人になる道を閉ざされてから、ずっとオズワルドは置いてけぼりにされたような気分のままでいた。
終電を過ぎた駅のホームで、明けない夜を待ち続けるように。
「なあオズ、俺もお前と同じだ。俺ももうまともな人間の身体じゃない。だが俺達は、人の魂を持ってる。重要なのは、そこだけだろ?」
悲しげに訴えかけるゼルギウス。いつのまにかホームの隣の席に座っていた男。
こんなに落ちぶれてしまったオズワルドを、今も尚、救う手立てがないかと考えている。
相も変わらず人の良すぎる相棒に+、オズワルドは溜息混じりに首を振った。
「わかってるよ……違うんだ。そうじゃないんだゼル」
それが彼個人の生まれ持った性質なのか、それとも大人になれなかった弊害なのか、はっきりとはわからない。他人に何の興味も湧かず、にもかかわらず、矛盾するようだが、悔しかったのだ。もし終電に乗り遅れなければ――あるいは朝が来て新たに始発がホームに辿り着いたのならば、彼も〝それ〟に参加できるのではないかと。
ならば友人になど目もくれず、飛びついてしまうのも当然だろう。
もっとも、今そのチャンスすらも彼は彼自身の手で台無しにした。悪魔を殺せば契約は果たされない。そうとわかりながら、それをあっさりと手放した。
「だったら何故だ?」
「ま、なんだ……」
自分がエル達のような美しい輝きを放てないことを、オズワルドは知っていた。誰もが彼を一目見て驚き、だが次の瞬間には忘れてしまう。
決して主役を張れず、脇役ですらなく、ただ傍らをうろつくエキストラ。そんな男が、悪役であれ、初めて皆のいる舞台に立てた気がしていた。中々に悪くない気分だった。
「俺だって、たまには目立ってみたかったのさ」
とどのつまりは――自身で失笑する理由でしかない。ただ単純に、お利口に我慢するのが嫌になっただけなのだ。現状に嫌気がさし、我武者羅に暴れてみたかった。まるでキレるティーンエイジャーのように。
辿り着いた場所は思っていたよりつまらなかったが――概ね満足している。
そしてオズワルドは、やはり躊躇いもなく引き金を引いていた。もちろん三八口径の弾丸程度ではゼルギウスの戦車並みの装甲をどうにかできるわけもなく――ただその表面で虚しく弾ける。反撃に放たれた弾丸が、過たずオズワルドの心臓を貫き、衝撃で身体を後ろへと吹き飛ばしていた。倒れて地に響く音は、とても軽い。その小さな身体に開いた小さな穴から、命が抜け落ちるように、血溜まりが拡がっていく。あるいはこの結末を望んでいたかのように――オズワルドの口元にはニヒルな笑みが浮かんだままだ。
「はた迷惑な相棒だぜ、まったく……」
銃を下げたゼルギウスは深々と溜息をつく。サイボーグの巨漢は、ただその場に佇みながら、無言でその死を悼んでいた。
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