第20話 最終局面

 やがて変化は唐突に――皆のもとに等しく訪れる。

 アリゾナ州北西部――グランドキャニオン。世界に三つある〝ユグドラシル〟のひとつが、その広大な峡谷の一角に存在する。魔力の流れを制御する遺跡〝ミーミスブルン〟はもはや原形をとどめないほどに内装を作り変えられ、最古と現代の技術の粋を寄り合わせた最新鋭施設へと変貌していた。その周囲には大規模な軍基地が建てられ、兵器数、兵員数ともに世界最多の、最大最強の要塞と化している。そこが国内のみならず世界の三分の一のエネルギー源であるならば、いかなる勢力からも死守せねばならないため、防備の徹底は当然であった。だが――つつがなくその莫大なエネルギーを南北中央のアメリカ大陸に振り撒いていた〝ミーミスブルン〟が、不意にその流れを完全に停止させていた。

 星の核から無限に沸き立つ泉のように生まれる魔力の吸出しの数値が、不意にゼロになったのだ。遺跡施設に勤務していた局員達は唐突な一大事に狼狽するしかない。もちろんそれは想定しうる事態ではあった。そもそもが未だ明確になっていないところの多い技術を間借りしているようなものであり、いつ不慮の事態に襲われても不思議ではなかったのだ。さりとて遺跡にトラブルが生じた際の対処法など殆ど持ち合わせていなかったのも、無理からぬことなのである。それを今更になって間抜けと責めるのはお門違いだ。

 沸き立つ水があれば人が寄る。その水が何故沸き立つのか、原理を知らなくとも。急に水が涸れ果てることを想定し、対応策にあけくれる間は、その水を飲まないようにしようなどとは誰も思わないだろう。生きていくためにそれは当然であり、水場を頼る生活はやめようなどというのは有り得ない選択だ。問題は、依存し、頼りきり、やがては当たり前のものと――そうそう悲惨な事は起こるまいと楽観していた、その点だった。

 その甘さを漬け込まれる形で――アメリカ大陸全土に、決定的ともいえる大混乱が生じることとなった。

 魔力を源としたエネルギー供給が途絶え、都市部から全てのリアルタイム変換で送られていた電力がダウンした。街から信号の明かりが消え、テレビが消え、通話が途絶え、ホログラムが消失。

 交通に混乱が生じ、各地の道路でクラクションが鳴り響く。だが数秒後には、必要最低限の都市部機能が回復。変電施設の予備電力が起動したのだ。一瞬の危機を脱したが、いわばそれは一時凌ぎの状態である。まだ昼間とはいえ唐突な停電を受けて困惑する一般市民たち。唯一事情を知るエルたちは、異変に際してすぐさま車を路肩に止めていた。

「予備電力が起動している。だが停魔力状態は〝ユグドラシル〟を奪還しないと解除されない。いつまで保つか……」

 エルが窓の外の様子を見ながら冷静に告げ、対照的にリナリスは腹を立てた様子でハンドルを叩いていた。

「歴史に残る最低最悪のテロね。最高にイカれてるじゃないの」

「ああ、まったく同感だ」

 後部座席のワイアットも苦々しい顔で頷く。予備貯蔵の電力により都市機能が回復したにもかかわらず、ビル街のあちこちからクラクションの嵐はいまだに鳴り響いている。今の一瞬だけでも、各地で交通事故が発生したのだろう。だがこの程度の混乱などは前置きに過ぎない。魔力が途絶えた時点で、ジルグム一派が〝ユグドラシル〟の制御をまんまと掌握せしめたのは疑う余地も無い。ならばその魔力は既に〝チューバ・ミルム〟へのチャージを開始しているはずだ。もはや終焉のカウントダウンは開始されている。

 未然に防げなかったことの悔しさに――しかし忸怩たる思いに浸る余裕さえ与えられなかった。不意に銃声が鳴り響いたのだ。それも各地から大量に。

「なんだッ!」

 通行人たちが恐慌を起こして逃げ惑い始め、周囲が更なるパニックへと陥る。一時的に車が動かせなくなるほどに。エル達はそこで、通りの向こうで銃を乱射する男達の姿を確認した。アサルトライフルを手にした二人。どちらも顔をフルフェイスのヘルメットで隠している。誰を目標としたわけでもない、完全な無差別殺戮。まるで内紛で治安の安定しない発展途上国のよう。銃弾の一つはリナリスのフェレスターのフロントガラスにも直撃して貫通。三人はすぐさま車から降りていた。

「なによ、こんなときに!」

 リナリスは驚愕に叫びながらドアを盾にして身を低くし、エルは懐の銃を抜き放ち、車の陰に隠れながら応射。一〇〇フィートほど離れた男の二人を、瞬く間に戦闘不能にした。

 〝ユグドラシル〟からのバックアップが途絶えているため、〝塵法術ナノ・ウィッチクラフト〟は使えない状況。今のは元々卓越しているエルの射撃技能によるものであった。

 安堵したのも束の間、後方で暴走するトラックが建物の一つに突っ込み、後部の荷台から複数の武装した男達が降り立つ。逃げ惑う一般市民を標的に、容赦なく銃弾をばらまく。

 エル達は注意を請け負うために、すぐさまそちらへ発砲。彼女達の存在に気付いて男達が応戦。豪雨のように返ってきた銃弾を車を盾にして防ぐ。

 ワイアットも近場のポストに隠れながら持参した銃を構え、撃ち返していた。

「こいつらは陽動だ! レールガン発射までの時間を稼ぐつもりだ!」

 彼の意見は、おそらく正解だろう。ここはFBIのお膝元ともいえる連邦ビル近く。捜査を攪乱させるためにこうして闇雲に暴れまわっているのだ。

 ジルグムと手を組んでいたサマド率いる過激派組織も、元々はこの暴動――否、テロ行為に参加する計画あったのだろう。ロックス達の活躍で未然に戦力を減らすことには叶ったが、それでも多くの人員がテロに参加していた。

 彼らは一様に、目的達成のためならば自らが捨て石となることも厭わない。決して反故にはできない命懸けの契約下にあるというのは、もちろんこの場の三人は露とも知らぬこと。だが知っていたところで、彼らの凶行を許すわけも無い。〝ワンド〟が使えない以上、武装には雲泥の差があったが、決して怯まずに撃ち返していた。

 市民を標的にしている以上、武装解除を呼びかける必要は無い。

「最悪だわ、またドンパチさせられるなんて!」

 一週間ほど前に激戦を演じたばかりのリナリスが声高々に嘆く。しかも今回は身体能力強化の援護は抜き――常人の状態での応戦だ。だが元々〝ワンド〟を使用していないワイアットは、その点で士気が下がることはなかった。以前よりも消極的な戦いしか出来ずにいるリナリスに、冗談を告げる余裕さえあった。

「今からマーベル・スタジオに行ってヒーロー達を呼んできてくれ。アベンジャーズが一網打尽にしてくれるはずだ!」

 それを聞いてリナリスは笑った。表情は変化させず、声だけで。

「ハーハー、ウケル――けどその一〇倍はムカつく! 無駄口叩かないでカット・ザ・クラップ!」

「和ませたかったんだ!」

 いらぬ反感を買ってワイアットはたじたじになりながらも、言われたとおり銃弾を放っていた。

 そこで二人は、いつの間にか最も頼れる戦力の一人が撃つ手を止めていることに気づく。

「エル? ちょっと手伝ってよ!」

 エルは身を低くしながら、車内に備えてあるラップトップ端末を座席において操作していた。

「〝チューバ・ミルム〟を用いるなら膨大な魔力が一極集中するはずだ。そのポイントを割り出せば――」

 人口分布や温度差のように、魔力濃度が寒暖色の差で表現するツールがあった。魔力の使用分布を測定するためのもだ。エルはリアルタイムの状況を調べ、そして拳を握りこむ。マンハッタンの地図上に、有り得ないほど濃密な赤――ほとんど黒の部分が一ヶ所だけあった。マンハッタン島最北、インウッドにある衛生局のゴミ処理施設だ。 

「ビンゴだ! 急いで――」

 エルの言葉は爆音に掻き消される。敵側に更なる増援が加わったのだ。トラックに装甲を付加し、荷台上部に銃座を取り付けた改造装甲車が向こうの通りから現れたのだ。銃座の重機関銃がばら撒かれ、盾にしていたリナリスの車がズタズタに引き裂かれていく。

「もう無茶苦茶よ! 戦争じゃないの!」

 リナリスが絶叫に近い声をあげ――だが先日手痛い襲撃を受けたばかりのFBIも、そうそう何度も彼らの蛮行を許し続けるわけが無い。

 一発目の銃声が鳴り響いてから数分と経たずに、完全武装したSWAT部隊が連邦ビルから出撃し、展開していた。一瞬前まで圧倒していたはずのテロリスト達は、錬度のまるで違う本物の〝特殊部隊〟の猛反撃を受け、瞬く間に形勢が逆転していく。エルたちに向けられていた銃撃も既に途絶えていた。

「ここは彼らに任せて、行くぞ!」

 やや茫然自失となっているリナリスの背を叩きながら助け起こし、身を低くして移動を開始。リナリスの車はもはやスクラップ同然と化したので、エルの車へと向かうことにしたのだ。途中SwAT部隊を呼び止め、事情を説明し応援を要請。しかしここ以外にもマンハッタンの各地で起こるテロ鎮圧のためにほとんど避ける人員がいないらしい。そもそもにおいて、〝チューバ・ミルム〟の発射という真偽の定かではない与太話よりも、今まさに市民に向けられている銃撃の方が彼らにとっては気にかけるべき脅威だった。

 上に話をつければ彼らを説き伏せることも可能でもあったが、エルは早々にその選択を切り捨てる。今は一分一秒が惜しく、手続きを通す暇などない。現在進行形で危険に晒される市民を捨て置けないのも確かだ。

 彼女達はあっさりと引き下がり、殲滅戦へと向かうSWAT部隊と別れる。そして運よく無事だったエルの車――銀のシボレー・キャプティバの前へと辿り着いていた。

 エルが鍵を取り出しながら急ぎ運転席へと向かい、そこでワイアットが素早くその前に回り込み、不意をついてその手から鍵を奪う。

「エル、代わって、俺が運転する!」

「お、おい、何を勝手に――」

「任せて! その方が速いから!」

 ワイアットが自信ありげに断言し、返事を聞かぬ間に運転席へと乗り込んでしまう。

 不満はあったが、ここで口論する暇も惜しく、エルは迷いもそこそこに助手席へと回り込んでいた。そして、その選択が間違いでなかったことは、すぐに証明された。

 大きな口を叩くだけあって、ワイアットのハンドルさばきはエルのそれよりも見事な物であった。常にアクセル全開でありながら、針穴を通す精密なハンドルさばきで車列の隙間を縫い、接触事故を寸でのところで回避していく。カーナビは混乱に際して情報過多となり既にパンクしていたが、彼は渋滞となる道を土地勘の高さから見事に回避していた。

 ただしあまりの荒々しさに、エルも到着するまで、無意識にシートベルトを握りしめたまま離す事が出来なかった。人気の無い路地を突き進み、キャプティバはタイヤをこすり付けるようにして急ブレーキ。出発からものの数分で、目的地へと到着していた。

 エルは目を丸くしたまま、ややあってから思い出したようにシートベルトを外す。

「驚いた。いい腕だな」

「ありがとう」

 ワイアットがさらりと笑顔で応じる。そうして二人が車から降り立ち――その後部座席ではリナリスがげんなりとした青い顔で頭を抱えていた。

「ついていけないわ……もう嫌……」

 エルは突入を仕掛ける前に、ひとまず車の後ろに回りこみ、トランクからケースに保管していた銃火器を取り出していた。H&KヘッケラーアンドコックMP6SD――内装式抑制器装備のマシンピストル、閃光手榴弾三個、そして多量の弾倉。ただしエルが装備したのは弾倉と手榴弾だけ。マシンピストルと吊るしてあった防弾使用のタクティカルベストは、やや遅れて車から降りていたリナリスへと渡していた。エルは素早い動きを好むため、基本的に防弾装備を好まない。ワイアットにも九ミリ弾の弾倉を三つ、更におまけとスタン警棒を渡した。

 脱走したジルグムが〝チューバ・ミルム〟の傍いる可能性は非情に高い。あの男を相手には心許ないにも程がある装備だが、無いよりは良いだろう。

 手早く準備を整えた三人はゴミ処理施設の敷地内へと入り込む。元来ニューヨークは焼却場や埋立地などのゴミ処理施設を持たないことを条例で取り決めていたが、〝ユグドラシル〟による魔力エネルギーの登場により事情は大きく変わった。今までゴミ処理は他の市に委託していたが、焼却費用は九割以下に低コスト化されたことで独自に行う方がより効率的で安価に押さえられるようになったためである。そうして出来上がったのがこのゴミ処理施設であった。もちろんそんな場所にテロリストが潜伏しているならば職員が気付かないはずも無いだろうが――どうやら施設の一部が改装作業中につき立ち入り禁止になっているようだった。おそらくは当施設の責任者を抱え込み、強引に彼らと兵器の存在を隠させたのだろう。ラップトップパソコンから地図データを受け取った携帯端末の表示を見ても、魔力集中点がその施設とピッタリ合致していた。あまりに大胆にすぎる潜伏方法に呆れそうになるが、今の今まで発覚しなかった以上、盲点を衝かれてしまったことは認めざるを得ない。エル達は敷地内を進み、改装中のシートに覆われた施設へと向かう。

 平日であるが職員らしき人々は見当たらない。〝ユグドラシル〟からの魔力も途絶え、マンハッタン中で暴動が起きているため、仕事どころではないというのも確かだ。おそらくはほとぼりが冷めるまで、施設内で息を潜めているのかもしれない。あるいは家族を心配して家へと帰ったのか。――そこで不意に奥の建物の影から男が飛び出してきた。

「――会敵コンタクトッ!」 

 エルは咄嗟に飛び退き近場のコンテナの陰へと隠れる。一瞬前まで彼女達がいた空間を、銃弾の雨が貫いていく。その銃声を合図に、武装した男達がまたぞろ飛び出してきた。

「まったく、こいつらときたら! きりがないわね!」

 リナリスが苛立った様子で建物の影からマシンピストルを撃ち返し、別の場所に身を隠したエルもまた苦い顔で応戦する。リナリスと同じ建物の影に隠れたワイアットが焦れた様子で叫んでいた。

「あれを絶対に発射させるわけにはいかないんだ! こんなやつらに時間を食ってる場合じゃないぞ!」

 彼の意見はもっともだが、だからこそ相手も必死に最後の瞬間まで三人を釘付けにしようとしているのだ。ここが互いにとって正念場だった。

「やつらを押し返す! 二人は援護を!」

「ちょっとエル、わかってるの! 〝ユグドラシル〟のバックアップなしなら、私たちもただの人よ!」

 リナリスが通りを挟んで向こう側の相棒を諭し、しかしエルは不敵な笑みを返していた。

「違う。私たちはFBI捜査官だ」

「エル……」

「〝ワンド〟がなくても五分なだけだ。なら私たちの方が強い。そうだろう?」

 所詮、相手は銃弾をばら撒くしか能の無い半端者だ。多勢に無勢といっても、勝てない相手ではない。――エルは本気でそう信じていた。そんな自信に満ちた視線を向けられては相棒として応えないわけにもいかず、リナリスはやけくそになったように叫んでいた。

「ああもう、わかったわ、とことん付き合ってあげるわよ、まったくもう!」

「よし――じゃあ、行くぞ!」

 エルは両手の愛銃〝双子の雪ツヴァリング・シュネー〟を一旦ホルスターへと仕舞い、閃光手榴弾フラッシュバンを投擲。生じた凄まじい光と音で近場の敵を昏倒させ、有効範囲の外にいた男達も突然の閃光に驚き、慌てて物陰に隠れていた。エルはその隙に〝双子の雪ツヴァリング・シュネー〟を再び構えて突撃。

 二丁に構えた拳銃を、そうとは思えないほどの精度で連射し、打ち返そうとしていた男達を遮蔽物へ釘付けにする。そんな彼女の頭上――施設屋上からライフルで狙い撃ちにしようとしていた一人を、後方のリナリスがマシンピストルで薙ぎ払う。エルが戦線を半ば強引に狭め、しかしそれにより更に敵側からの反撃は激しくなっていた。

 だがその場で向こうの攻撃を押し留められれば、建物を回り込んで目的地にまでは行けそうである。エルは銃だけを物陰から出して牽制しながら決断する。

「ワイアット! 先に行け! お前が適任だ!」

「なっ……エル!」

 ジルグムと対峙するならば最も戦闘力に長けるエルが向かうべきであったが、リナリスとワイアットの二人だけを残しては押し切られる可能性が高い。かといって〝ワンド〟の扱えないリナリスではジルグムの相手は荷が勝ちすぎていた。もちろんそれはワイアットとて同じであるが、どちらにせよ彼にとっては決着をつけねばならない相手だ。

「だ、だが、俺はあいつに――」

 ワイアットは以前、ジルグムと相対して一矢すら報いることもなく大敗している。

 この土壇場で最も重要な役回りを演じるには、些か以上に力量不足であった。

 そうして二の足を踏むワイアットに、エルは撃ち返しながら叱咤する。

「何のためにお前はここに来たか、思い出せ!」

「エル――」

「お前の手でジルグムを止めろ! お前なら出来る! 五年前には一度できたんだろ!」

 ハッとワイアットは目を見開く。そう――彼女の言うとおりだった。その方法こそ失意のあまりに記憶にないのだが、かつて〝ニューヨークの切り裂き魔〟として悪徳を尽くしたジルグムを射殺したのは他ならぬワイアットであった。

 そして今、そのとき起こした奇跡の再現を求められていたのだ。

「――ッ、わかった、任せてくれ!」

 ワイアットは銃撃の手を止め、新たな弾倉を装填。リナリスがそんな彼に不敵な笑みで手を差し出し、応じて彼もその手をパシンと叩く。そして彼は決然と、その場の戦線を離脱していた。

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