第18話 親友


 ヘリはニューヨークを出発し、プエブロ新遺跡のあるオハイオ州を目指していた。速度一〇〇ノットオーバー。目的地までの距離は五〇〇マイル強もあるが、障害物のない空の道を猛スピードで直進となると二時間もあれば到着できる。ヘリ到着予定地から車に乗り換えて向かっても、遺跡調査の予定時刻から一時間前には現場に辿り着く計算だ。

 直接ヘリで降りられるだけのスペースは遺跡前の広場にもあったが、そんなところを教授達に見られれば警戒されて取り逃がしてしまうだろう。彼らには何も知らぬまま、現場まで来てもらう必要があった。叶うならばいったい遺跡で何をするのかを直前まで見届けたいところである。犯罪を明確に立証するために。

 現在ヘリはペンシルベニア州の都市上空を突き進んでいた。その後部座席に、二人の特別捜査官を乗せて。その一人である少年姿の捜査官オズワルドは、頬杖を突きながら眼下に広がる町並みを窓越しにぼんやりと眺めていた。瞳に映りこむ光景から、ほんの僅かにでも何かを汲み取れないか――そうく期待するように。

「オズ? ――おい、オズ!」

 ゼルギウスが大声で呼びかけてきた。かの巨漢は座席二人分を占領しながら、天井の低さに辟易した様子でやや前かがみになっている。しかし傍からすれば問題は上より下。重金属を詰め込まれた身体は実に六〇〇ポンド――雄のヒグマほどの重さもあり、底板が抜けないか心配だった。そんなサイボーグの相棒の呼びかけに、オズワルドは面倒そうに振り返った。

「何だ? 小便なら我慢しろ。漏らしたら突き落とすぞ」

「お前と違ってガキじゃないんだ、そんな相談するか」

 口を開けば悪態ばかり交わす二人だが、その程度はただの挨拶のようなものだった。

「思い詰めた顔してたから、どうしたのかと思ってな。ヘリに酔ったか?」

「まさか」

「じゃあ何だ? 言えよ相棒」

 威圧感のある見た目とは正反対に、世話焼きな面があるゼルギウスは、本当に人の顔を良く見ている。いつも不機嫌そうなオズワルドの異変など、彼ぐらいしか見抜けないだろう。やれやれと溜息をつきながら、オズワルドは答えた。

「俺はアレンタウンの生まれだ。ちょうどそこに見えてる」

 彼は眼下の街を指差す。中々に栄えた都市なのだが、ギャングが多く犯罪件数が国内でも極めて高い。オズワルドは幼少の頃、毎日のようにサイレンの音を聞いていた。それが街に常時流れるBGMだった。音のない静かな片田舎があることを当時は知らなかった。

「珍しいな」

「そうか? クソ溜めみたいなところだが、そこそこ栄えてる」

「そうじゃない。その身体のこと以外で、お前が自分の過去を話すなんて、今まで無かっただろ?」

 ゼルギウスが軽く笑いながら告げた。不意を衝かれたオズワルドはしばし憮然とした後、不機嫌そうに鼻を鳴らす。いつもの自分を取り繕うように。

「別に。なんの面白みもないクソ話だ、わざわざ教える必要も無かった」

「ま、そんなクソ話でも、道中の暇つぶしぐらいにはなるだろ?」

 いつもならば、そこまで言われても無視を決め込む所だろう。無愛想だなんだと罵られて、それを受け流し、おしまいだ。だがオズワルドは故郷の町並みを眺めながら、不意に語り出していた。ほんの気まぐれに、いつもの素っ気無い口調で。

「俺のお袋はシングルマザーだった。父親のことは聞いても話してくれなかったが、一度祖母が口を滑らせてた。どこぞの誰かに強姦されて孕まされた、養育費が掛かるだけのいらない子ども。中絶したほうが良かったお荷物。それが俺らしい」

「……」

「ある日、俺は製薬会社の事故に遭い、見ての通り成長が止まった。母も祖母も俺の不幸を涙を流して嘆いてくれたが、裁判で三〇万ドルを勝ち取ったときは大喜びだった。俺もその後は良い暮らしができたし、学費を気にせず大学にも通えたから文句はないんだがな」

「実家に帰ったりはしてないのか?」

「もう二〇年、出てったきりだ。連絡もとっていない」

 そこでオズワルドは小さく溜息をつく。齢四〇を越える彼が、こうして過去を語るのも、また二〇年ぶりぐらいだった。過去を語るたびに、皆が同情する。嫌な話をさせてすまなかったと。しかし同情されるたびに、その言葉の方が癇に障るのだった。『お前は可哀相なやつなんだ』と言われているようで。死ぬまで可哀相なやつなのだと決め付けられるかのようで。あるいは、それが事実なのだと再確認させられるようで、心の洞は大きくなった。やや気まずい沈黙が二人の間に流れる。ヘリ操縦士も今の話を聞いていただろうが、聞こえていない振りをしていた。オズワルドが自分の気まぐれを今更ながら後悔し――だがそこで、ゼルギウスが口を開く。

「俺は生まれも育ちもニューヨークだ。親父が一流企業の重役で、家庭は裕福だったが、どうも折り合い悪くてな、ハイスクール卒業したら逃げ出すようにして軍に入隊した」

 聞いてもいないのに語り出され、オズワルドは怪訝そうに眉を潜める。

 どこ吹く風と、ゼルギウスは言葉を続けていた。

「他国同士の争いに介入して、地球儀上のどこかもわかんねえような国の、クソしてもケツもまともに拭けねえような環境で、ひたすら敵に銃弾をねじ込む毎日。世論が戦争反対に傾いてたから、帰還した時は周囲にボロクソに言われたよ。まああの地獄から生き延びて、五体満足のままだったんだ、それだけで満足だったがな」

 そこでゼルギウスは自身の両手を見つめた。オズワルドの四倍はあろうかという巨大な掌を。

「その俺が、FBIにスカウトされ、自爆テロを未然に防ごうとしてこの通り。戦場で失わなかった全身をあっさりダメにして、目が覚めたらサイボーグになっていた。さすがに驚いたぜ。映画のオファーでも受けたのかと思った。まあ、契約書ちゃんと読まずにサインしたのは俺なんだけどな」

 ゼルギウスが何がおかしいのか、そこでゲラゲラと笑っていた。そこで呆気にとられたように無言で見つめていたオズワルドに気付く。

「悲惨な過去アピール大会じゃなかったっけか?」

 思わず噴き出しかけたオズワルドは、それを堪えて斜に構えた笑みを浮かべる。

「じゃあ優勝は俺だな」

「なんで? 俺も中々だろ?」

「ありがたみが無いんだよ。俺はその話、もう三回も聞いてる」

「おお、まだ三回か? 長い付き合いなのに、少ないもんだな」

「なにせお互い、酒が飲めないからな。腹割って話す機会がそもそもないんだよ」

「ああ酒! アルコールを摂取すると身体の機能に不具合が出るから禁止だとよ! そんなのありかよ!」

 概ねその頑丈な身体に満足しているゼルギウスも、その点だけは今尚、不満らしい。

 いまさら思い出したように憤慨する彼に、オズワルドは降参する。堪えきれずに笑い声を漏らしていた。二人はそろってゲラゲラと笑い、ヘリの操縦士が少々呆気に取られていた。ひとしきり笑い終えてから、オズワルドが告げる。

「まあ、仕方ない。ままならいものさ、人生」

「ま……そうだな」

 相棒の結論にゼルギウスが肩を竦めながら認め、しかし答えを付け足した。

「ままならないなりに、運が良かった方だ」

「ああ……そうかもな」

 オズワルドは再び窓の外を眺めながら、認めていた。生きているだけ儲け物と考えるべきなのだろう。世の中には志半ばで、無念のまま喪われる命も多い。だが――オズワルドは疑問に思うのである。

 そもそも生きていることに目的なんてものが無ければ、いったいどうやって生きていけばいいのかと。皆が何かしら折り合いをつけていくのであろうその問いに、人生の半分近くを終えても尚、彼はまだ何の答えも見つけられずにいた。


 やがてヘリはオハイオ州南部、チリコシーという町に到着していた。背の高い建物などほとんどない、一帯が多くの樹木に囲まれた田舎町だ。

 発着場などという気の効いた場所など必要ない。そこ各地に開けた平地があり、ヘリは郊外の道路脇にある広場へと着陸していた。路肩には手配しておいた車とスーツ姿の男が二名待機している。現地のFBI職員だ。車はゼルギウスの巨体が入り込めるよう、注文どおりの大型車だ。地響きを立ててヘリから降り立ったゼルギウスに続き、軽々と地に立つオズワルドはその場に留まり、いそいそと車の方へ進む相棒の背中に呼びかけていた。

「なあゼル!」

「ああ! なんだ?」

 ヘリの回転翼音はまだ鳴り響いていた。この後、別の場所で待機する予定にある。互いの声は無理にでも最大にするしかない。――それがどうしようもなく恥ずかしい。

 もう何年も味わったことも無いような羞恥に、オズワルドは決まり悪そうに視線を彷徨わせてから、しかし素直に打ち明けていた。今言わなければ、一生言わないだろうから。

「俺、お前のこと気に入ってるよ。お前と会えてよかったと思ってる。最高のダチだよ」

 彼ぐらいのものだろう。オズワルドの持つ身体的な障害を、侮辱するわけでも、腫れ物に触れるように扱わず、他愛の無い弱点であるかのように遠慮なく冗談にしてしまえるのは。この二〇年の捜査官生活で得られた物の中で、それが彼にとっては唯一の救いであった。らしくもなくオズワルドがてらいのない感謝の言葉を告げて、ゼルギウスもまた完全に不意を衝かれて、口をぱくぱくとさせていた。唐突過ぎて焦った様子だ。

「おっ……おい、なんだよ、急に。もう仕事の時間だぞ。恥ずかしい話を続けるのは終わりだろ?」

「まあ、たまには言わせろよ。じゃないと、本気で嫌ってるみたいじゃないか」

 オズワルドが、困ったようにはにかむ。見た目通りの少年のような表情――演技でなく浮かべるのはとても珍しい。そんな顔をされてはゼルギウスは混ぜ返すこともできず、困りきった様子で溜息をついてから、再び車の方へと向かおうとする。しかしそのまま無視してしまうのが気が引けて、仕方ないと腹をくくって再び後ろを振り向いた。

「一度しか言わないからよく聞けよ! 俺もだよ相棒! ――ああ、クソ、お互い、いい歳だろうが! ガキみたいなこと言わせんな! さっさと行くぞ!」

「照れんなハゲ」

「うるせえチビ!」

 子どものように言いあってから、オズワルドは苦笑を浮かべたまま小さく溜息をついた。その立ち去る背中をしばし見つめ、やがて懐から携帯端末を取り出す。

「出発前にロックスに到着連絡する。先に行っててくれ」

「車で話せばいいだろ?」

「これだからアイアンマンは嫌いなんだ。二時間ぶりに、ようやく地面に脚がついたんだぞ。少しぐらい休憩させろ」

 いつもの調子で憎まれ口を叩くオズワルドに、むしろゼルギウスはホッとした様子で肩を竦めていた。馴れ合いは、むずがゆくて仕方が無かったのだ。

「そりゃ悪かったよ、生身の気持ちを忘れてたぜ」

 ゼルギウスは笑いながら歩み出し、巨体を車へと押し込んでいた。その様子を見届けてからオズワルドは携帯端末を耳に当てる。――どこにも通話をかけていないそれを。

 防弾ガラスの向こう側に見える親友の横顔を見つめながら、オズワルドは発信ボタンを――命を摘み取る決断のそれを、躊躇いも無く押していた。

「――じゃあな、相棒……」

 刹那、車内に隠された爆弾が起動し、爆発を起こした。腹にまで響く、巨人が大地に立ったかのような轟音。特殊防弾使用の窓が内側からの衝撃にひび割れながらも、寸でのところで耐え切っていた。その頼もしさが、逆に車内の人間にとって仇となる。頑強な車体の各部から黒煙が漏れてはいるものの、その紅蓮を決して外には出すまいとした。

 衝撃はその殆どを車内で受け止めることになり、運転席に座っていた現地捜査官は木っ端微塵の即死だろう。そして後部座席に座ったゼルギウスも、この密室煉獄に堪えられるだけのスペックは有しているとも思えない。事実、火だるまになった彼が車内を突き破って外に脱出してくる気配はなかった。

 突如として炎上しだした車を、外で待機していたもう一人の捜査官が呆然として見つめ、その後頭部にオズワルドは懐から取り出した三八口径スミス&ウェッソン、リボルバー拳銃で射抜いていた。躊躇い無しに。次いでヘリの内側にいた操縦士の前にも回り込み、あっさりと頭部を撃ち抜く。これも躊躇い無し。まるで外出時に鍵をかける気軽さ。

 最後まで淡々と、この場の仲間であったはずの男達を皆殺しにしたオズワルドの胸中には、今まで感じたことの無い複雑な感情は確かにあった。

 先の発言に、何ひとつ嘘は無かった。オズワルドが素直に友人と思える相手はゼルギウスぐらいのものだろう。友情を感じている。感謝もしている。だが、固執はしていない。

 自分にさえ興味のない彼の世界で重要な役回りを務めたところで、簡単に弾かれるのは当たり前の事だ。

 だが、苦味はあった。確かな苦味が。人を殺して、初めて味わった感情変化。あるいは彼に僅かばかり残されていた――燃えカスのような良心がもたらしたもの。

 せめて涙の一つも零れたならばと思わずにいられず――しかしそこまで人らしければ、彼も親友を手にかけることを思いとどまっていただろう。

 オズワルドはしばし広がる苦味を噛み締めるように、憮然とその場に立ち尽くしていた。

 そこで新たな別の車がその場に現れ、停車していた。黒のSUV。中の者達がこの惨状を目の当たりにして、ただちに警察へ通報しようという気配はない。

 オズワルドはヘリの中へと一旦戻り、そこから隠し運んできたアタッシュケースを手にしてから、携帯端末を放り投げた。それは未だ回転するヘリのローターに直撃し、粉々に砕ける。GPSによる追跡防止の措置。

 次いで彼は現れたSUVへと近づく。後部座席の扉が開く。車内にはスーツ姿の男達。全員、鍛え上げられた体躯。ただし先のFBI捜査官たちとは違い、獣じみた雰囲気が漂う。ギャングかマフィアのように、暴力に香水を振り撒いたような胡散臭さ。

 オズワルドが無言の圧力を伴う視線に臆することなく車内に乗り込み、すぐに車が発進。

 ゼルギウスたちと向かうはずだった遺跡方面へと向かいはじめる。そこで助手席から若い女が振り返り、少年姿の捜査官へとにこやかに声をかけていた。場違いなほどに明るい調子で。

「ハァイ、坊や。お久しぶりですね。ご機嫌いかがですか?」

 輝く金色の髪と瞳を持つ女――〝フェル〟と名乗る悪魔だった。彼女を含めて全員が、ジルグムの仲間達だ。朋友あるいは傀儡。彼の身に何かあったときのみに動く予備部隊。

 ゼルギウスの乗り込んだ車に爆弾を仕掛けておいたのも彼女達の仕業だ。オズワルドは伝えられていたコードをタイミングを見計らい発信するだけでことは済んだ。愛想よく微笑みかけてくるフェルに対し、オズワルドは視線すら向けないまま冷ややかに返す。

「無駄口叩くな年増」

「と、年増……? どう見ても若いですが?」

「中身は腐ったババアだろ。化石になりそこなった時代錯誤の悪魔なんだからな」

 オズワルドは辛辣に切って捨てる。そうしてシートに仰け反る彼は、傍目にはただの小生意気な子どもにしか見えなかった。ただし単純な戦闘能力だけで言えば、この場で最も強力なのは彼なのである。周囲の屈強な男達よりも――フェルと比してもだ。

 そもそも彼女は非力だった。フェルはその魂こそ悪魔であり、人の術とは外側の奇跡を扱えるとは言っても、見た目通りの少女程度の体力しかなく、取っ組み合いになればこの場の誰が相手でも負けてしまうだろう。それが見た目重視の身体を手に入れた代償である。

 オズワルドの発言にはフェルも少々気分を害していたが、彼我の力量差を正しく理解するからこそ、やや顔をしかめるに留めていた。

「失礼な人ですね……そんな大きな口を叩くんですから、例の物は当然持ってきてるんでしょうね?」

「ああ、やるよ」

 素っ気なく答え、オズワルドは持ち運んだアタッシュケースを助手席に回して渡す。待ちきれなかったかのように、フェルは受け取ったそれの鍵をいそいそと外した。そうして中かから現れたのは――〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟だった。ジルグムの目標であり、捜査官達が死守した品。オズワルドはそれを証拠室から密かに奪い、かつての仲間の努力を無に返したのである。フェルは満足げに頷き、ケースを閉じて後部座席の部下へと手渡す。

「よーし、これで〝鍵〟は手に入りました! 準備は万端整いましたね!」

「おい、待て。ベンジャミン・ロングはどうした?」

 車内に例の考古学者の姿がないことに気づいて、オズワルドが問う。

 フェルは既に遺跡のことしか頭に無いのか、鼻歌交じりに遠くを眺めながら答えた。

「ああ、もう使い道がないので丸めてゴミ箱に突っ込んでおきましたよ。彼を使っての潜入計画はバレちゃいましたからねー、ふふふ」

「浅はかな……」

 エルが教授の情報を嗅ぎつけたことをフェルに密告したのは、もちろん内通者のオズワルドなのであるが、その後の判断は彼女達の独断だ。オズワルドも他人の死を気にかけるほど善人ではない。だが誰かが邪魔になるたびに場当たり的に始末するやり方ではこの先何人殺せばいいのかわからず、それだけ痕跡を残して捕まる危険度が増す。

 慎重とは程遠い彼らのやり方には、オズワルドも辟易する思いだった。

「あなただってさっきバシバシ殺してたじゃないですか。――まあ大丈夫ですよ。あなたの手帳があれば、彼はいりません。ほら、ドレスコードはバッチリでしょう?」

 善後策の話ではないのだが――フェルは得意げに両手を広げ自分の格好を見せつける。

 彼女も、そしてその仲間達も、全員がスーツに身を包んでいる。胸ポケットにはサングラスも用意してあるようだ。絵に描いた捜査官の出で立ち。

 オズワルドの身体的特徴は前もって遺跡前のに伝えてあるため、彼の手帳が本物である以上、随伴の者達が本物の捜査官かどうかは調べられはしないだろう。教授を利用した侵入計画の応用――改良番だ。遺跡でテロリストを戦々恐々待ちうける地元職員達も、彼等を頼れる応援と思い込んでいる以上、より忍び込みやすいはずだ。

 ただ当然として、オズワルドの手帳が有効である内しか使えない作戦である。

「急げよ。そのうち俺の裏切りもバレる」

 オズワルドが運転手の男を急かし――だがフェルがそれをすかさず食い止める。

「あ、ダメです、法廷速度は守ってください。警察に目を付けられたくありません」

「チッ……悪魔のくせに」

 あっさりと口封じをする一方で、法定速度は守るそのちぐはぐさ。

 慎重かつ大胆なところは、犯罪者として洗練されて合理的と言えなくも無い。

 だが、それがオズワルドは至極気に入らなかった。そもそもフェルという女を見ているだけで、彼はどうしようもなく苛立ちが募るのであった。

 悪であるのは間違いない。にもかかわらず、この無垢な感じは何なのか。

 悪魔のくせに――その行動の全てが、自分よりもよっぽど人間臭いように思えた。

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