第14話 急襲

 街が朱色に染まる黄昏時。未だ多くの人で賑わう休日の公園――バッテリーパーク。その中にFBI職員が一般人に扮し紛れていた。犬の散歩をする男、デートをするカップル、ベーグル屋の店主、ランニング中の女、皆上着の内側に小型マイクを装着している。

 約束の時間の一〇分前に、シャルロットは手ごろなベンチに座り、ジルグムの到着を待っていた。手錠は外しているが、特に今のところは逃げ出そうという気配はなし。傍らには〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟の持ち運びに利用したアタッシュケース。もちろん中身は空。その様子を周囲の職員の他に、公園の外側に停車した大型バンの内部で、ロックス、ゼルギウス、オズワルドの三人が見張っている。ベンチの近くに設置した隠しカメラ及び、シャルロットと職員達が衣服に装着した小型カメラの映像が中継され、複数のモニターに表示されている。それらを眺めながら、改めて疑問に思ったのか、ただの退屈しのぎか、ゼルギウスが狭そうにその巨体を捩りながら告げた。

「〝チューバ・ミルム〟〝スターキューブ〟〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟、この三つの共通点は?」

「ガラクタ」

 オズワルドがさらりと告げ、ロックスが軽く笑い、ゼルギウスも苦笑する。

「俺達からすればな。だが〝リッパー〟は収集家コレクターってわけじゃない」

「プラネタリウムで狙いを定めて、レールガンでスターキューブを発射するとか」

「星でも撃ち落す気か? そういうのは〝ブルース・ウィリス〟に任せろよ」

 相変わらずジョークばかりの二人。見かねてロックスが口を挟む。

「そもそもその三つは用途が別と考えた方がいいのでは?」

「そうなると、〝リッパー〟が最終的に用いたいのはレールガンと見ていい。目的はともかく、それが〝結果〟だ。ならば、残りの二つは〝手段〟だろう」

 オズワルドの考察に、二人も異論はなかった。しかし問題の〝手段〟に見当がつかない。

「資金源ですかね?」

「いくら金をかき集めても、レールガンを打ち出すほどの魔力は買えないし、そもそもその流れは〝ユグドラシル〟が見張ってる。どうあっても実用は不可能なはずだ」

「ですが彼の行動は、それを実現可能とする手段があるかのように見えてなりません」

「確かにな……俺達は何か見落としているのかもしれん」

 オズワルドとロックスが神妙な顔で思案する。

 そこでゼルギウスが禿頭を掻きながら気楽に告げていた。

「ま、何にせよ、〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟がやつの計画に必要なら、渡さなければいい。ここでやつを逮捕できれば、それで万事解決だ」

 どうやら自ら持ちかけた議論が面倒になったようだった。無責任と言えばそうであるが、決して間違ってはいない。オズワルドは少々呆れたように嘆息した後、立ち上がっていた。

「俺もその辺りをぶらついてくるよ」

「怪しまれるなよ」

「注意するよ。公園にいる子どもを怪しむ大人がいるならな」

 こういう時こそ、彼の持つ身体的欠点は強みに変わるのであった。


 ブルックリン総合病院へと搬送され手術を受けたビルは、既に目が覚めて会話が可能となっていた。普通なら全身麻酔が切れ目覚めるまで相応の時間が必要ではあったが、〝ワンド〟には身体能力強化の他にも薬物耐性の機能もあるため、回復が早かったのである。

 そのぶん熱するような痛みが襲うのも早く、モルヒネの量も多くなり――薬が効き難いというのは良し悪しだった。その点は医師側も理解して相応の医療を行っていたのだが。

「目が覚めたら、すぐにでも現場に出ると言い出すかと思ってましたよ」

「事実そうした。もちろん妻に止められたがな。復縁したばかりで、あまり大きく出れなかった」

 ベッドで引っ付いたばかりの腕を動かさないようギプスで固定されたジムが仏頂面で告げた。ベッドの隣に座ったリナリスは、彼の無事な姿にホッとしながら微笑む。

「鬼リーダーに意外な弱点発見ね」

「鬼リーダー? 私はそのように言われているのか?」

 ジムがただでさえ皺が深くなっていた顔を更に強く顰め、リナリスは慌てて咳払いした。

「今のは聞かなかったことに」

 少しショックだったのだろうか、ジムはそれ以上追及しなかったが、何やら難しい顔で窓の外へと視線を向けていた。その姿にリナリスは噴き出しかけて口元を覆う。

 ジルグムに腕を斬られたという報告を聞いたときは愕然としたが、案外と元気そうで安心した。今すぐは無理だとしても、この様子ならば現場復帰もそう遠くは無いだろう。

「君も良くやってくれた。エルの窮地に援護してくれたそうだな? 感謝する」

 ジムの言葉は、リナリスの後方で控え佇んでいたワイアットに向けられたものだ。

 少々蔑ろな扱いを受けつつも、一応は先に優先して助けてもらった彼は、一緒にビルの見舞いにやってきていた。どこか妙と感じるまでに優しい声音のリーダーに、ワイアットは思わず萎縮する。

「いえ、俺は特に何も。少し援護をしただけです」

「……そうか」

 ジムは静かに頷いていた。

「すまないが、リナリスと二人で話をしたい」

「あ、はい、わかりました」

 やんわりと退室を促され、何とも言い難い不安を覚えつつも、ワイアットは応じていた。

「――一階のロビーで待ってるよ」

「ええ、後で」

 リナリスは微笑み、その背が完全に遠ざかるのを確認してから、笑みを消して前を向きなおす。まだ彼女は若いといっても、この上司とはもう五年以上の付き合いであり、こういった時の彼が真剣な話をしようとしているのは容易に察せられた。

「それで、どうしましたか?」

「君たちに私が頼んだ仕事を覚えているか?」

「……ワイアットと協力しつつ彼を見張れ、でしたね」

「ああ」

 その時点でリナリスは彼が何が言いたいのかを理解する。彼はワイアット・バーンレイドという男への疑念を失っていない。しかし窮地にあったエルを援護した彼の功績を考えれば、既にリナリスはそれも払拭できたものと考えていた。ジルグムの仲間であるシャルロットの犯行を阻止するメリットなどどこにもないはずだ。

「彼は本気で兄を捕まえようとしてると思いますが……」

「だめだ、まだ信用するな」

「ビル……」

 ビル・ラングフォードは決して無慈悲な人間ではないが、情に流された判断はしない。

 とても疑り深い。石橋を叩き、確たる証拠がないまでは全てに疑いを持ち続ける。

 捜査官歴三〇年以上、彼はそうやって犯罪者を捕らえ、着実に功績を積み重ねてきた。

 リナリスには、一度こうなった彼を説得できるだけの言葉を持ち合わせていない。

 しかしビルも、ただ闇雲に彼へと疑いを抱いていたわけではないようだ。

「彼は何かを隠している。それにエルと彼二人だけで、人質交換を成功させたという話は、どうにも腑に落ちない」

「それは……エルのことも疑っているということですか?」

「いや。彼女は信用に足る人間だと私は信じている。だがワイアットは、殺人鬼の弟だ。確かにその目には濁りを感じる。裏で共謀している可能性は、やはり捨てきれない」

「……」

「ワイアットに関して、フェルディーニを尋問したか?」

「いえ、尋問したロックスはその繋がりを疑ったりしていませんでした。後で尋ねるよう、伝えておきます」

「頼む」

 リナリスはそこで腕時計を確認し、立ち上がった。

「私はそろそろ。仕事がまだ終わってませんので」

 いかに元気そうとはいえ、彼はまだ手術を終えたばかりの身だ。あまり面会を長引かせれば、気を使って席を外したラングフォード夫人も気分はよくないだろう。

 ビルはそこで動く右手の指を立てて厳命する。

「いいか、もう一度言うぞ。くれぐれも、やつを信用するな」

 実際のところ――リナリスはエルよりも外交的でいて、その実、他人への情は薄かった。ワイアットに関して彼女は特に悪い印象も抱いていないが、決して好意的にも思ってはいない。個人的感想では、彼が裏切り者である可能性はほとんど無いと感じている。

 だが上司の命令に背いてまで庇おうとも思わなかった。

「了解しました」

 リナリスが惑わずに応じ、ビルが満足したように頷く。

 ワイアットがもし裏切るような行動を取れば、彼女はエル以上に躊躇い無く引き金を引ける自信はあった。口ではなんだかんだと言いながら、エルは情に脆い。そんな彼女に好感を覚えつつも、それがもたらす危険をリナリスは承知している。

 だからこそ、彼女は自身が非情に徹する気でいた。だが――今回の場合、何も後ろめたい秘密があるのは、ワイアットに限った話ではなかった。


 リナリスは一階ロビーでワイアットと合流した後、パーキングへと向かった。そうして車へと向かう途中でワイアットが彼女へと尋ねていた。

「リーダーとは何の話を?」

「あなたのことよ。信用できないって」

 リナリスがあっさりと白状した。上司を裏切ったわけではなく、こちらが疑いを持っていることは一番最初から彼も知っている。隠しても仕方ないと判断した結果だ。

 リナリスは自分の車――スバルの黒のフォレスターへと乗り込み、ワイアットが助手席へとついてから怪訝そうに訊く。

「……車の運転のこと?」

「違うわ。クライブの話を伏せてたからよ」

 そう――それこそが、リナリスの抱える後ろめたさの正体だった。

 エルとワイアットだけで事態を収拾したとは思えないという、ビルの推測は正しい。

 しかしそれはワイアットによる裏工作ではなく、クライブの助力による結果である。

「彼とエルの関係、知ってたの?」

「もちろんよ。エルは私の大親友でもあるのよ? 何があったのか、本人から聞いた」

 シートベルトを締め、車を発進させる。リナリスは隣の彼とは違い安全運転第一。

 車はゆったりとパーキングから通りに出る。

「〝カーニバル・フェイス〟の正体を知った後に、エルはクライブとの関係を自分から打ち明けたわ。どうせ調べられたらわかる秘密を、隠すほうが後々問題になるって言って。皆、彼女には非があるわけじゃないと納得した」

 当然の話だ。犯罪者と交際関係にあるのならともかく、犯罪者になる前にその男と交際していても罪になどなるわけがない。しかもエルはその後、彼に一度手錠をかけている。

 クライブのそれは凶悪犯罪ではないが、エルは暇を見つけるたびに彼の動向を探り、個人的に彼を追いかけていた。そしてついに逮捕に至ったのだ。残念なことに、そのときは護送を担当した職員のミスでクライブには逃げられてしまったが、それはエルの失態ではない。彼女は身の潔白と、捜査官としての覚悟を証明して見せたのだ。

 だが――今回の一件は少々言い訳が難しいところなのだ。

「今日のこともエルはロックスに真実を知らせていたけど、彼は目をつぶってたわ」

「じゃあ何でビルには秘密に?」

「ビルはロックスほど甘くない。エルよりも法の味方なの。以前エルはもうクライブとは関係を断ったって言ってたけど、結果として今回の一件でそれが嘘になってしまった。場合によってはクビにされかねない。だったら最初からあの場にクライブなんていなかったことにして、あなたが代わりに疑われてもらったほうが助かるの」

「つまり俺は身代わり?」

「痛くない腹だって言うなら、探られたっていいでしょ?」

 ワイアットは返答に困った様子で窓の外を眺めた。犯罪者――クライブとの協力はたしかに問題かもしれないが、アフィンを救うためにそうせざるを得ない状況であったのも間違いない。ワイアットもそれが理由で彼女がクビになるのは理不尽だと感じる。好意を覚える女性のためにならば、痛くも無い腹を探らせるほうが確かにマシだろう。ただし、それはまるでエルとクライブの仲を黙認するかのようで、少々彼としては複雑な気持ちだ。

 車がブルックリンから橋を越えてマンハッタンへと舞い戻る。そうしてチャイナタウンを通過し、ラファイエット通りを南下して連邦ビルへと向かう。

 その途中でしばし考え込んでいたワイアットが再び口を開いた。

「君はエルとクライブの関係を、どう思ってるの?」

「間違ってる――なんて、あなたの望んでる答えは言わないわよ」

 リナリスが冷ややかに返答した。まるで問いかけがくることを予測していたように。

「私はエルの味方。エルが幸せなら、多少の倫理に背いても気にしないわ。クビになるかもしれないけど、それで好きな人と結ばれるならそれも良いと思ってる。それも彼女の人生だものね……」

 別に味方されることを期待していたわけではなかったが、ワイアットはその返答を意外に思い、彼女の方を振り向く。

「エルが犯罪者になってもいいってこと?」

「そうじゃない。エル自身はクライブと一緒になって泥棒になったりしないわよ、絶対。そこまで器用じゃないから、あの子は。でも足を洗った彼と高飛びすぐらいなら許せるってこと。まあ、それも無いでしょうけどね……」

「クビには反対なんだよね?」

「エルはまだ決断できずにいる途中だもの。答えを出すまでは庇うわ、全力でね」

 リナリスは口調こそ穏やかだったが、その表情はどこか苛立っている風であった。率直な所、彼女もクライブのことを気に入っていないのはその顔から読み取れた。友人を振り回す面倒な男、といった印象なのだろう。彼女が本当にエルのことを大事な友人として心から幸せを願っているのがよくわかった。

 リナリスは車を路肩に止めた。二人は降り立ち、FBI連邦ビルへと向かう。そうして並び歩きながら、リナリスは勘繰るような笑みでワイアットの顔を覗きこんでいた。

「それともあなた、エルにはクライブより自分が相応しいって言いたいの?」

「言った」

「え?」

「クライブに直接ね」

 彼の返答に、リナリスがポカンとし、ややあってから噴き出す。

「見かけによらず根性あるわね」

「俺って、そんなに見かけ悪い?」

 気を悪くした様子のワイアットに、しかしリナリスは遠慮なしに笑って、自分の頬を両手で揉んでいた。

「健康悪そう。こけてるもの。もうちょっとお肉食べなさい」

「うっ……」

 ワイアットはジルグムの悪夢に振り回され、最近まで酒に溺れていた。そうして不摂生がたたり、五年前と比べて一〇キロも痩せたぐらいだ。必ずしも見た目が全てではないが、まるで気を使わないのも問題だ。

 ワイアットは食生活の改善を検討しつつ、リナリスと共にオフィスの扉を潜り、一階ロビーを歩む。そうしながら、リナリスは先程よりもずっと面白がるような顔をしていた。

「まあ別に私もクライブの味方ってわけじゃないわ。もしあの子が幸せになるなら、付き合うのはどっちでも――」

 言い切る前に、彼女はハッと後ろを振り返っていた。ワイアットも同じように、驚いた顔で後ろを見遣る。異変は、音だった。オフィス内で聞こえてくるはずのない轟音。

 エンジン音が急接近してくる。ガラス扉の向こう側からは、視界に広がる装甲車。

「――危ないッ!」

 その瞬間、誰のものともしれない叫びは掻き消された。

 装甲車が戸を突き破り、ガラスが甲高い音を砕ける。尚も驀進を止めずに車両はロビーを滑り、その巨体がワイアットとリナリスの目前へと迫った。


               ◆


 刻一刻と約束の時間が迫りつつも、バッテリーパークにジルグムの姿は未だ確認出来なかった。ゼルギウスも今は軽口を控え、神妙な面持ちでカメラの映像を睨んでいる。

「現れると思うか?」

 ロックスはその問いに答えず、疑念を膨らませていた。

 沖合いに見える自由の女神を、観光客の団体がカメラで撮影している。写真に映りこむ可能性が高いその場所は、あまり待ち合わせ場所に適しているとは思えなかった。

 仮にジルグム本人ではなく代理人が送り込まれるとしても、それは同じこと。

 木を隠すには森の中と言うが、そうだとしてももっと適切な場所があるだろう。

 罠の可能性。――だとするなら、目的は何か?

 一方でゼルギウスは、ロックスとは別の懸念を抱いている。体がサイボーグとなる以前より彼は独身だったが、大の子ども好きだった。妹夫妻の甥と姪もいたく可愛がっている。

 ここには小さな子ども連れの家族も少なくない。ジルグムが仮に約束通り現れるとしても、穏便に逮捕に至ることを祈るばかりであった。

『こちらライナー、異常なし』

『ジョージ、こちらも異常なしです』

 バンに届く覆面捜査官達の連絡は全て同じく、状況に何ら変化なし。

 ベンチに座って待っているシャルロットの表情にも、僅かな焦燥が滲みはじめる。作戦失敗は、ロックスとの取引の無効を意味する。――すなわち死刑。彼女も命懸け。

 公園の片隅でベーグルをかじりながら、オズワルドが油断なく周囲を見渡していた。平穏でのどかな休日の公園。こんな緊張感で目を光らせているのは彼等ぐらいのものだろう。

「時間だ。怪しいやつはどこにもいない。感づかれたか?」

 オズワルドが静かに淡々と告げ、無線越しにその声を聞いていたロックスは顎に手をやり考える。この手のやり取りは時間厳守とはいえ、相手があのジルグム・バーンレイドとあれば決して不自然ではない。ロックスが彼と合間見えたのは一度きりだが、あの男からは何者にも縛られない独特の雰囲気を感じていた。まるでただの大きくなり過ぎただけの悪童のような。ならば少々の遅れなど気にもかけずに、口笛でも吹きながら気楽に今この場に現れても何の不思議もなかった。

 しかし――どうにも説明しがたい引っかかりを感じているのも確かだ。

 そもそもこんな囮に騙される相手ならば苦労はない。それとも、騙されているのはこちらか? ――何に? この状況を作り出すことで、彼が何を得するのか?

 ロックスが疑心暗鬼に襲われたように黙考し、そこでゼルギウスが彼に尋ねた。

「どうするロックス。続行か、撤収か? 決めるのはボスであるアンタだ」

 促されたロックスが、ゆっくりと口を開く。しかし彼が声を発する前に――事態が動いた。全くの予期せぬ形で急変する。

 周囲を見渡していたシャルロットの身体が、唐突に仰け反っていた。同時に地面が弾ける音が響く。銃殺――シャルロットの頭部に弾丸が打ち込まれたのだ。

 最も現場に近いオズワルドがすぐさま身を低くして叫んだ。

狙撃手スナイパー! フェルディーニが撃たれたぞ!」

 変装していた職員達が遮蔽物へと隠れ、射殺された瞬間を目の当たりにした周囲の一般人達がパニックを起こし逃げ惑い始める。

「オズ! 状況を!」

『フェルディー二は即死! 頭部を一発で貫かれてる! 向かいのビルからの射撃だ!』

クソッデミット、オズとA班はそのまま隠れて! B班は一帯を封鎖! 応援を呼びます!」

 オズワルドの報告にすぐさま応じて、ロックスは苦々しい表情で指示を飛ばす。

 ジルグムに出し抜かれた。彼は罠であることを気付いていたのだ。例え相手が凶悪な犯罪者とはいえ、シャルロットを死に追いやったのはロックスのミスであった。

 悔恨の念に駆られながらもロックスは迅速に無線で応援を呼ぼうとし――だがそこで、逆に彼らの元へとオフィスからの緊急連絡が届いていた。


              ◆


 銃撃が嵐のごとく吹き荒れていた。削岩機による工事が行われているかのような轟音が重なって鳴り響き、次々と壁に穴が穿たれる。

 FBIニューヨーク支部の拠点たる連邦ビル一階ロビーは、比喩ではなく戦場と化していた。襲撃してきた装甲車はロビーに乗り込んだ後に停車、その後部ハッチからは武装した部隊が吐き出された。見えるだけでも八人。彼らは装甲車を盾に、何の勧告もないままに攻撃を開始したのであった。装備はM16A1アサルトカービン、防弾アーマーにフルフェイスのヘルメットによる完全武装。装備こそ軍用品だが、装甲車は現金輸送車を改造したもの。さしずめテロ機甲部隊だった。

 襲撃に際し、リナリスとワイアットはすぐさま受付カウンターの後ろへと隠れていた。

 その遮蔽物が銃弾にも耐えうる頑丈な代物であったのは不幸中の幸い。先程からリナリスが拳銃で果敢に応戦している。ただし武装と人数の差は如何とも出来ず、構えては弾幕に隠れるの繰り返しで、彼女も相当苛立っていた。

「何なのよこいつら! ああもう、お家に帰りたいわ!」

「同感だね! ――クソッ、しっかりしろッ! おい!」

 物影でワイアットが気を失った男性職員の頬を叩くが、反応しない。装甲車が何らかのジャミングでも発しているのか、携帯が圏外になっていた。リナリスは頭を低くしたまま上に手を伸ばして受付の電話を本体ごと取り、内線をかけようとしたが、電子音すら聞こえなかった。それもそのはずコードが千切れていた。リナリスはそれを乱暴に投げ捨てる。

「ホント最低! 私こういうの得意じゃないのに!」

「君だってFBI捜査官だろ?」

「エル達みたいにSWAT兼任じゃないの! それに踏み込む経験はあっても、踏み込まれたのは初めてよ! なんなのあいつら! FBIの拠点に乗り込んでくるなんて、正気とは思えないわ!」

 リナリスがいつもの余裕もなくして声高に嘆く。しかしそれも無理からぬ状況であった。

 他の職員が三人ほどが別の物影で応射しているが、それでも戦力差は拮抗すらしない。

 謎の部隊は各地の遮蔽物へ移動を繰り返し、じわじわと戦線を伸ばしにかかっている。

 せめてもの救いは、障害物となる柱が多くて装甲車が身動きを取れずにいる点。

 これにより一撃で圧殺される最悪の展開だけは回避できていた。

 しかし大局的に見れば不利なのは彼等の方なのは間違いなかった。いかに強力な武装をしているといっても、一〇にも満たない人数でFBIの本拠に真っ向勝負を挑むなど無謀極まりない。日曜日だけあって人は少ないが、それでも当直の職員は待機している。これだけの騒ぎならば時間が経てば応援が駆けつけ、人数差など瞬く間のうちにひっくり返るだろう。にもかかわらず――彼等は止まらなかった。まるで死ぬことを畏れぬカミカゼ部隊のように。その鬼気迫る戦意を前に、オフィスで迎え撃つ全員が慄然としていた。

 一体何の目的があって、このような行動を取るのか――誰もが疑問に駆られ、それにいち早く気付いたのはワイアットであった。

「ジルグムだ……!」

「なんですって?」

 弾倉を新しい物に替えていたリナリスが反射的に眉を潜めて問い返すも、その時点で彼女も答えに至ったように苦い顔をする。

「やつの仕業だ! 狙いは押収された〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟だ!」

「ロックス達の方は陽動ってことね? でも彼の姿が――ああもう、そういうこと!」

「そうだ、こっちも陽動だ! 騒ぎに乗じて、別のルートから潜入している!」

 FBIを相手に無謀にも程がある。自殺行為にも等しいが、大胆不敵なジルグムらしくもある。しかし彼一人の肝が据わっているだけでは取れない作戦だろう。あの殺人鬼のどういった理想に共感してこの襲撃者達が従っているのかはワイアットにはわからないが、大した忠誠心であった。もちろん、ただの金銭目的ではないだろう。ここまで派手に暴れては、もはや退路などないことは彼らとて理解している筈だ。

 彼らは一体、ジルグムの何に夢を見たのか? それとも、自身の命よりも大切な物を彼に人質にされてしまったのか?

 兎にも角にも、ワイアットとリナリス達にとっては最大のピンチであった。彼らの悪質な無理心中に道連れにされる公算はあまりにも高い。この劣勢をなんとか持ちこたえなくてはならなかった。いや、それだけではいけない。別ルートから潜入してきているであろうジルグムを食い止めるためには、なんとかこの包囲を突破せねばならなかった。

 だが――そう思った矢先に、応戦していた職員の一人が銃弾に射抜かれて倒れていた。

「最低! ――あなた銃は撃てる?」

「もちろん。元警官だ」

 頼もしくワイアットが答えるも、リナリスには気休めにもならなかった。

「ああ、忘れてたわ。予備を貸したげるから援護して。あっちの内線を使うから」

 腰の銃に続いて弾倉を一つ手渡しながらリナリスが指差したのは、廊下を挟んで向こう側にある別の受付カウンターだ。

「まあこの騒ぎで来てくれないとは思えないけど、何もしないよりはマシでしょ?」

「けどこの銃撃だ。下手に動かない方がいいんじゃ……」

「〝リッパー〟の狙いがわかったのに、このまま放っておいていいの?」

 そう言われてはワイアットも臆病風に吹かれるわけにもいかず、頷くしかなかった。

「タイミングを合わせて」

 二人は一旦、銃撃の手を止めて待機する。柱の影から応戦する職員の残りの弾もあとわずかなのだろう。慎重に弾数を気にするような射撃をしている。

 リナリスは銃火がそちらに集中する気配を確認し、ポンとワイアットの背を叩いた。

 途端、ワイアットは立ち上がって激しく銃を連射。その隙に横へと飛び出したリナリスは片手で銃を撃つ。地を滑るような姿勢でありながら、猫のような俊敏さで駆け、更に一人を撃ち倒していた。

 リナリスは手を使わずに側転――足下に倒れていた職員の死体のホルスターから銃を引き抜き、減速せぬまま再び疾走。勢い良くスライディングし、床を滑ってカウンターの下へ――間一髪、無傷で銃弾の雨をかいくぐる。なびく彼女の長い髪が数本、銃弾で千切れていた。だが安心する暇も無く、狙い済ましたかのようなタイミングで受付カウンターを飛び越えて襲い掛かろうとした一人がいた。リナリスは身を滑らせたまま両手の銃をそちらに向けて連射。奇襲する男を返り討ちにして後方に吹き飛ばす。いかに防弾装備と言えど、至近距離からの銃弾連射の衝撃を受けて無事なわけがない。鉄バットで思い切り胸を叩かれるようなものだ。また防弾アーマーも全身くまなく覆えるものではなく、手や足のガードは甘かった。リナリスの放った弾丸は相手を吹き飛ばすと同時に両脚を射抜いて無力化していた。彼女は寝転んだまま片方の空になった銃は捨て、もう片方は弾倉を再装填し、遊底を引く。そしてやれやれと溜息をつきながら身を起こし――援護を終えて再び隠れていたワイアットが唖然として告げていた。

「さっきのは、謙遜してたの? こういうの得意じゃないって――」

「本当よ、専門外! いつもアクロバティックはエルの役なんだから!」

 実際、リナリスの〝塵法術ナノ・ウィッチクラフト〟は戦闘向きのものではなかった。彼女の能力は自分の声に感情の昂りまたは鎮静の効果を持たせるものである。ある時は陪審員の同情を誘い心を掴み、ある時は証人を激しく責め立てて怒らせるように、その声音で人の心を操作するのであった。これは銃を握り興奮した相手を落ち着かせて事を穏便に治めたり、心を閉ざした相手から話を引き出す際にとても効果的な能力だ。ただ〝感情を操る〟という性質から忌避されるのは当然であり、裁判等での使用を厳禁されていた。

 もちろん私生活での使用も禁止され、自分の能力を知るエルのような友人と大事な話をする際は〝ユグドラシル〟とリンクしていない事をアピールするよう気を使っている。それだけ心配の必要な、極めて優れた能力なのだが、現在のように問答無用な襲撃を受けているときは、これが瞬く間に無用の長物と化してしまう。話し合いの余地が無い状況――彼女の声に耳が貸される状況で無ければ、術は効果を発揮しない。迷いのない相手には付け込む隙がないのである。よって今の彼女は、身体能力と動体視力が少々強化されているだけで、他の特別捜査官のような強力な切り札は持ち合わせていなかった。

 それでも〝ワンド〟適性A判定の彼女は、それだけ戦闘力が高いのではあったが。

「一階オフィス! アッシュベリー捜査官よ! 謎の集団が一階ロビーに装甲車で突っ込んできたわ! バカ、ふざけてないわよ! 怪我人もいる! 狙いは〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟がある保管室よ! 二二階! こっちにも応援をお願い! 今! すぐに!」

 リナリスは受話器が壊れるほどに乱暴に叩きつけて通話を切り、苛立った溜息をついた。

「ワイアット、ここは私に任せて、あなたは上に行って! 物は二二階にあるわ!」

「だが――」

「すぐに応援が来る! 私が引きつけてあげるから、急いで!」

 上層へと向かうエレベーターホールは、受付カウンター奥を曲がった先にある。そこを渡るには無防備な背中を襲撃者に晒すことになるが――怖気づいている暇は無かった。

 ワイアットは頷き、そこで傍で気を失っている職員に目をやる。彼も銃を携帯していたため、緊急時につきそれを一時的に借りることにした。銃本体は残して弾倉だけ貰い、予備弾倉はリナリスへと放り渡す。そして二人はしばしタイミングを見計らうように沈黙。既に他の職員は弾切れを起こして遮蔽物から身動きが取れずにいた。激戦下にあったロビーから、しばし銃撃が途絶え――

「行って!」

 合図したリナリスは受付カウンターを飛び越え、再び銃声が荒れ狂う。

 リナリスは空中で銃を連射。その正確無比の射撃で相手を遮蔽物に釘付けにし、手前に倒れていた男のカービンライフルを奪い取り、更にそれをフルオートで撃つ。そうして牽制しながら疾走し、更に前進。命懸けの無茶な突撃であったが、なんとか手前の柱の影まで辿り着いていた。彼女と同時に動いていたワイアットも全速で廊下を駆け抜け、あわや頭を撃ち抜かれる寸前で廊下の角を曲がり終える。

 その姿を見送り、リナリスは空になったカービンを放り捨て、拳銃を両手で握り祈った。まるで十字架を手にするように。

「私あんまり敬虔じゃないけど神様、今回ばっかりはお願いします――神のご加護を!」

 リナリスは続いて婚約者の顔を思い浮かべそうになったが、そうすればもう生き残れそうな気がまるでしないので、彼の顔は脳裏から強制的に追いやっていた。

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