第13話 化かし合い

「まーたまた、仲間をたくさん失いましたね」

 追っ手を撒き、手下とは別れて一人隠れ家へと戻ったジルグム。そんな彼を出迎えたのは、無事の帰還に対する労いとは程遠い、冷たい非難であった。事の顚末を聞いたフェルが、ソファへと寝転びながら呆れたように溜息をついている。

「ホント大丈夫なんですか? 割とガバガバな計画だとは思ってましたけど、ここまでグダグダやってて」

 〝チューバ・ミルム〟の見上げる巨体が聳えるその場所で、お気に入りのソファを奪われたジルグムは、仕方なく壁に背を預けて腕を組んでいた。連邦捜査官との戦いで感じていた昂揚が、未だ彼の口元に余韻の笑みを浮かべている。

 フェルの当てこすりめいた言葉を話半分に聞きながら、二人の有能な捜査官にジルグムは大いに感謝していた。彼の闘争心に火をつけ、戦争の始まりを実感させてくれたからだ。

 その得がたい収穫を前には、女性にソファひとつ譲るのも、数年苦楽を共にした仲間を失ったことも、取るに足らない出来事だ。

「サマドの脱落は、確かに予想以上に早かったね。彼らは〝暴動〟のための大事な駒だったんだが……でもまあ、それぐらいなら想定内、まだまだ巻き返しは可能だよ」

 五年をかけて集めて仲間は一枚岩とは言えず、準備した計画も綻びだらけではあるが、その分にガチガチに練った作戦よりも臨機応変に動くことが可能だった。ゴールにさえ辿り着ければ予定していたルートなどいくら違えようと構わない。そしてテロ行為は殺人とは違い、後の逃走を考える必要がない。完了した時点で終了――勝利なのだ。

 それこそがテロ行為の真髄であることを、ジルグムはサマドたちから学んでいた。

「ところでそれ、なんだい?」

 先ほどからフェルが顔に塗りたくっている灰色の物体を、ジルグムは怪訝そうに覗き込む。せっかくの可愛らしい顔立ちが、なにやら恐ろしい化け物にでもなったかのようだ。

 だがフェルは特に恥じるような様子も無く、得意気に微笑んでいた。

「泥パックです。美顔効果があるらしいので」

「へぇ……泥ね? てっきりデスマスクでも作っているのかと思ったよ」

「殺人鬼は、さすが発想がダークですよねぇ」

 フェルがせせら笑う。特別気分を害した風も無くジルグムは顎に手をあて唸った。

「ねえ、それ、私にも効果あるかな?」

「は? あなたも美顔に興味あるんですか?」

 怪訝そうにするフェルに、ジルグムは屈託の無い笑みを返した。

「そういうわけじゃないが、今から人前に出るからね。身だしなみは整えておかないと」


 シャルロットを逮捕した後、気を失った彼女を別階層の医療室へと預け、エルはFBI凶悪犯罪課のオフィスへと戻っていた。見張りを他の局員に頼んでまでそうした理由は言うまでも無い。部屋の奥にその姿を認めるや否や、エルは一目散に駆け寄っていた。

「アフィン!」

 アフィンは席のひとつを貸し与えられて座り、キャラメルマキアート――わざわざ職員の一人が外で買ってきたドリンクをご馳走になりながら、数名の職員と談笑していた。

 姉の呼ぶ声を聞いて、妹はパッと顔を輝かせ立ち上がる。

「お姉ちゃん!」

 アフィンはカップを置いて、急いで姉の傍へと駆け寄った。頭一つぶん低い少女の小さな身体を、エルは力強く抱きしめる。

「すまない、本当に。私のせいで怖い思いをさせてしまったな……」

「お姉ちゃんのせいじゃないよ。それに、私なら全然平気。ほら、ピンピンしてるでしょ?」

 アフィンが明るい調子で告げ、そこでエルは僅かに身を離して彼女の顔を覗きこむ。

「でも、やっぱり頬が赤い……」

「二年前に、ベッドから落ちて膝を打ったときの方が五倍痛かったよ」

 アフィンが姉を笑わせようとして告げ、エルは泣き笑いのような表情になる。

「もう、どっちが慰められてるかわからないな。ごめんな、情けないお姉ちゃんで」

「そんなことないよ。ちゃんと約束通り、私を助けに来てくれたもん。お姉ちゃんは完璧で最高だよ、だから――あーもー、泣かないでー? もう……私まで泣いちゃいそうだよ」

 そうして互いにいとおしげに抱きしめあう姉妹の姿に、周囲の職員達が温かな眼差しを送っている。目を真っ赤にして鼻を啜らせていたエルは、そこで二階のビルの個室のガラス壁越しにロックスが見下ろしていることに気付く。

 彼はその場に一人で、目線があった瞬間にひとつ頷きかけていた。促されたわけではないが、エルは深呼吸で自分を落ち着かせてから、妹から身を離す。

「アフィン、すまない、少しだけ待っててくれ」

「うん、大丈夫。私の事なら気にしないで」

 アフィンはニッコリ笑って頷く。まったく何をどうやってこんなに良い子に育ったのだろうかと疑問にすら思いつつ、エルは妹の頭にキスをしてから、女性職員の一人に声をかけた。

「すまない、妹を頼む」

「休憩所にいますので」

「ありがとう」

「それじゃあ、また後でね、お姉ちゃん」

 手を振って去っていく妹に軽く手を上げて開閉、次いでエルは階段を駆け上がった。

「随分と派手にやりあったようですが、怪我はありませんでしたか?」

 部屋に入ったエルに、まずロックスは身を案じて尋ねていた。いつもの微笑に多少の陰りがあるのは、この部屋の所有者の不在が原因だろう。

「私なら何の問題も。それよりビルの容態は? 腕を斬られたと聞いた」

「今は病院で手術中です。断面が綺麗であったため、無事に繋がる可能性は高いとのことです。もちろん、すぐには現場復帰などできませんが」

 ロックスは淡々と、しいて事務的に報告していた。

「部門長から現場担当官の代行を命じられました。これからしばらく私が指揮を取ります」

「あなたが?」

「何か問題でも?」

「本当に問題がないと?」

「言ってくれますね。妹を誘拐されたあなたはどうなのです?」

 ロックスがわずかばかり苛立ったように問い返すが、エルの戸惑った表情を見て、すぐに反省するように小さく溜息をついていた。

「すみません、余裕がないのは認めます。不満があるのなら――」

「違う、貴方の能力には何の疑問も持っていない」

 エルは慌てて手を掲げ彼の思い違いを正そうとする。確かに現場担当官というにはロックスは少々若いが、彼の能力の高さは誰もが認めるところだ。

「友人が大怪我を負ったんだ、大丈夫か心配しただけだ」

「問題ありません。仕事が手をつかないほど取り乱してはいませんよ」

「なら、いいんだ。あなたが適任だ、ボス。従うよ」

「ありがとうございます。――ですが、ボスはやめてください」

 ロックスがこっ恥ずかしそうに苦笑し、エルはほんの少し微笑みを返して――それから、ロックスに事の次第を打ち明けていた。博物館に向かってから、シャルロットの逮捕に至るまで、いったい何が起きたのかを。クライブの事も、昨日の件も含めて全て。

 アフィンもまたここへ来た時点で事情を話していたが、クライブの事は慎重に伏せていたらしい。どこまでも気の効く妹に対し、だが姉はどうしようもなく不器用で正直だった。

 事の真相を聞き終えたロックスは、両手を組んで無言のまま何度か頷いていた。その情報を細かく咀嚼していくように。

「ロックス、私は――」

「あ、まさか辞職するなんて言わないでくださいね?」

「いや……しかし私は、やつらに協力して〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟を盗んだんだ」

「もちろん、それは人質を取られていたからですね?」

「ああ。だが――」

「エル」

 ロックスは指を立てて彼女を黙らせてから、ゆったりとした口調で言い聞かせた。

「あなたはよくやりました。人質を無事奪還して、〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟を取り返し、犯人逮捕にも至りましたしね。結果から見て何の問題もありません。特にあなたが盗みを協力した証拠の映像もありませんし、博物館側もあなたを訴えたりはしないでしょう」

「……しかし」

「あなたが自責の念に駆られる必要はありません。しかしどうしても自分が許せないのなら、これからも多くの犯人を捕まえてください。そのほうが償いになる。違いますか?」

 尚も迷うように視線をめぐらせるエルに、ロックスはダメ押しのように言葉を継いだ。

「もう一つ。あなたはとても有能で、チームに欠かせない主力メンバーなんです。ただでさえ今はビルがいないというのに、あなたまで抜けたら、その穴を我々にどうしろというのですか?」

「それは……」

「私が過労になったら、それが理由であなたを訴えるかもしれませんね」

「ロックス」

 エルは降参するように苦笑し、頷いてみせた。

「ありがとう……本当に」

 彼は優しかった。これだけ言葉を紡ぎながら、クライブ・ファーニバルに関することを一切言及しなかった。犯罪者との協力など限りなく黒に近いグレーゾーン。

 ただし今回は情状酌量の余地ありと判断して水に流してくれたのだ。

「お気になさらず。ですが、次からはちゃんと報告して欲しいものですね」

「イエス、ボス。だが出来ることなら、次がないことを祈りたい」

「間違いありません。――ですから、ボスはやめてください」

 二人はそこで笑いあい、それが引いた辺りで折り良く内線の音が響く。ロックスが受話器を取って応答し、すぐにそれを元に戻した。

「フェルディーニの意識が戻ったようです」

「尋問は私にやらせてくれ」

「いえ、それは私が。あなたは帰ってください」

「え?」

 意外な言葉にエルは目を丸くし、ロックスは立ち上がって上着の皺を整えながら告げた。

「あんなことがあった後ですから、今日のところは妹さんと一緒に過ごしてください。いえ、休日出勤が続きましたので、明日は休むといい。隠れ家セーフハウスも用意しておきました。腕利きの護衛官も二名つけます」

「だが――」

 エルにとってシャルロットはとても許せるような相手ではなく、だからこそ自分の手で決着をつけたい相手だった。しかしロックスは首を横に振っていた。

「フェルディーニを逮捕した件はお手柄です。とても。貴女には尋問する権利がある。しかし今は家族を優先してください。妹さんも平気そうには振舞っていますが、やはり相当怖かったと思いますよ」

 それを言われれば、エルは弱かった。揺らがざるを得ない。アフィンは本当に優しい子で、誰かが悲しそうな顔をする度に、笑顔で元気付けようとする。たとえどれだけ自分が怖くて泣きたくとも、彼女は明るく振舞う。今回もまた姉の前で明るくしていたが――あの子もまだ一五歳の少女なのだ。凶悪犯に誘拐された後で、平気であるわけがなかった。

 エルはしばし逡巡するように間を置き、やがて頷いていた。

「わかった……お言葉に甘えて、そうさせてもらうよ」

 ロックスが微笑んで頷き返し、エルは後の捜査を仲間に託してその場を後にする。

 だがそうして扉を潜ろうとしたところで、ふと思い出して振り返った。

「今さっき、私が抜けたらその穴をどうするかと――」

「良い休日を」

 ロックスが何食わぬ顔で告げ、エルは微笑んで部屋を後にしていた。


              ◆


 取調室には応急治療を受けたシャルロット・ティナ・フェルディーニが座らされていた。

 へし折れかけた首や腫れ上がった頬に湿布を張り、出血した頭部には包帯を巻いている。

 満身創痍――まだ拳銃で足でも撃たれた方がマシだったといった有様だ。

 彼女の向かいには、今し方現れたばかりのロックスが座り、ゆったりとした動作で持ち込んだファイルを開いていた。シャルロットの経歴が纏められたもの。――既に全て記憶済みではあるが、ロックスはそうした記録を尋問前に必ず読み返すようにしていた。

 まるで焦らすかのような彼を、シャルロットはいかにも不機嫌そうに見つめている。マジックミラーの裏側の傍聴室には三人の捜査官が集っていた。天井に頭がつきそうなほどの巨漢のゼルギウス、彼の腰ほどしか身長のない見た目少年のオズワルド、そして知的美人のリナリス。男捜査官二人は立ったまま。リナリスは机の前に座り調書を作っていた。

「打って変わって、ボスが銀行マンみたいになったな」

 いつもの皮肉っぽい口調でオズワルドが告げ、気の良いゼルギウスが温和に笑う。

「ロックスは優秀だ。少し手緩いが、そのぶん熱くならず慎重に物事を判断できる」

「別に俺も能力を疑ってるわけじゃないが……」

「物腰が穏やかだから、舐められないかちょっと心配ね」

 リナリスもまた懐疑的に告げ、オズワルドが頷いていた。

「俺もそれが言いたかった」

「なんだオズ、ひょっとして自分が代行を指名されると期待してたのか?」

「まさか。見ての通り、俺はリーダーとして貫禄に欠ける。――お前はどうなんだ?」

「ハハッ、他人のお守は苦手だ。臨機応変に対応しろとしか言わないぞ」

 そこで大小二人の男性捜査官の視線が、リナリスへと向けられた。彼女は目を瞬き、慌てて手と首を振る。

「私? どう見ても器じゃないでしょう?」

 さもありなん――三人の視線がマジックミラーの先を向き、同時に頷きあっていた。

「ロックスが適任」

 もちろん、防音加工によってミラーの向こう側の取調室には彼らの会話は届いていなかったが、ロックスは大方三人が今頃自分の噂をしているだろうと見抜いていた。

 その能力こそ信頼を置かれているものの、やや頼りないと思われることも。

 ビルと比べれば見劣りすることは事実として理解しながら、ロックスはあくまでいつも通り、柔らかな笑みを湛えたままに目前の犯罪者と向かい合っていた。

 無理に気負って大きな自分を演じるつもりはない。

「なんだか意外ね。てっきりエルネスティーネにじっとり睨まれると思ってたのに。ひょっとして、すっかり傷心なのかしら?」

「無駄話はしません。質問に答えてください」

 ロックスは相手の問いをさらりと受け流し、まるでカウンセラーでもあるかように、穏やかな口調で尋ねる。

「まず簡単な所から。あなたは誰に雇われましたか?」

「……」

「ああ、黙秘していても有利にはなりませんよ。むしろ逆。今後の待遇を考慮するなら、情報を洗いざらい吐いてしまうべきです」

 ロックスが告げるも、シャルロットが嘲るように鼻を鳴らして逆に尋ね返していた。

「あなた捜査官らしくないわね。荒事はあんまり得意じゃないんじゃないの?」

 二度ほど瞬いてから、なるほど――と、ロックスは微笑み頷いた。シャルロットは完全に彼のことを舐めきっていた。

「勘違いなさらないでほしいのですが、私が穏やかな口調をしているのは、横柄な態度で無駄な諍いを生まないためです。いついかなる時も、あまり腹を立てないようにしてるんですよ。おかげで友人も多いんです、各方面にね」

「……それで?」

「いえね、あなたの身に何が起きても、少々のことならば違法性を感じない人も多いでしょうね、というだけの話です。そして私も見た目ほど品行方正というわけではありません」

「あら、脅すつもり?」

 シャルロットが馬鹿にするように口の端を吊り上げる。どうせこけおどし――その手には乗らないといわんばかりに。

「ははっ、笑えますね」

 ロックスがさもおかしそうに笑い、パチンと手を叩いた。すると――

「――ッ」

 シャルロットは突然引っ叩かれたように、顔を歪めて身体を震わせる。

「おや、どうしましたか?」

「あなた、何を――」

 彼女が何かを言いかける前に、ロックスが再び手を鳴らす。それがただの癖でもあるかのように。乾いた音が取調室に響き渡り、そのたびにシャルロットが身体を震わせた。

「おやおや、エルに受けた怪我の痛みがぶり返してきたのですかね?」

 彼は相手を脅してもいないし、暴力を振るってもいない。たとえ弁護士を通して訴えたとしても、その行動の違法性を立証するのは困難だろう。捜査官の魔力使用記録は極秘情報扱いであり、明確な外傷でも残らぬ限りデータは閲覧できない。

 あまりに自然な仕草で、ロックスは軽く手を叩いている。彼は今、〝塵法術ナノ・ウィッチクラフト〟を用いて音を変換――まるでガラスをナイフで引っかく不快音を何倍にも膨らませたものを室内に響かせていた。にこやかに微笑みながら、当人はまるで意に介していない様子で、ゆったりと何度も、連続で手を叩く。

 シャルロットは手錠をされているため、耳を塞ぐこともできない。

「やっ、やめろっ――」

「うん?」

 ロックスはしれっとした顔で首を傾げ、そこで笑みを浮かべたまま机に身を乗り出し、彼女の顔を覗きこむ。そして静かにささやくように告げた。

「ああ、ただ手を叩く音が不快だったのですね。これは失礼。怪我の影響だろうね。だが、耳が悪いならそう言ってください。こっちも、言われないとわかりませんので。それとも、その耳が聞こえなくなるまで素直にならないつもりだったのかな?」

「――」

「おやおや、聞こえなかったですか? ではもう少し大きな声で喋りましょうか?」

 ロックスは微笑んだまま――ただし瞳には全くといっていいほど慈悲のない暗さを孕んでいる。シャルロットは顔中から脂汗を流し、観念したように小さく頷く。

「……質問に答えるわ」

 何度も両耳をナイフで刺されるような感触に、シャルロットはあっさりと屈服する。

 傍目には根性無しにも見えるほどに――指摘を受ければ彼女はとんでもないと反論しただろう。彼女の返答に満足したようにロックスはにっこりとし、椅子に座り直して告げた。

「ありがとうございます。ではもう一度尋ねますね。――あなたの雇い主は誰ですか?」

 マジックミラーの向こう側で一部始終見ていた捜査官たちは、しばし水を打ったように静まり返っていた。彼の放つ高音はマイクには拾えないもので、三人のもとにまでは届いていない。ただし彼が何をしたのかは、わからないはずもなかった。問題はその違法行為を躊躇無く実行したロックスの行動力。決して褒められたものではないが、彼に対する今までの評価を改めるに充分なものであった。今し方のやり取りはただの雑談として調書には残さず、リナリスが冷や汗をかきながら隣に問いかける。

「手緩いけど、熱くならず慎重に物事を判断できる、だった?」

「あー……いやぁ、人は見かけによらないもんだなぁ」

「よらないもんだ」

 ゼルギウスが誤魔化すように笑い、オズワルドがその通りだといわんばかりに呟く。

 彼らが言うと説得力が違うと、リナリスは密かに思った。次にロックスが何か過激な行動を取れば、彼女はさすがに止めに入らねばと警戒していたが、それ以降はシャルロットも観念したように素直に質問に答えていた。腕自慢の男達を束ねる傭兵部隊の女傑も、既にエルとの戦いの時点で精神を疲弊させていたのか、それともそこまで義理立てする相手でもなかったのか、はたまた想像以上にそれが不快な音であったのか――とにもかくにも、依頼主であるジルグムに関しての情報も、決して出し渋ったりしなかった。

「〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟を何故狙ったのです?」

「私は盗めと依頼を受けただけ」

「ジルグム・バーンレイドに?」

「そう」

「ふむ。――あなたは傭兵部隊〝フルプレート〟に身を置いていますね?」

「ええ」

「何故、窃盗団のような仕事を? 畑違いではありませんか?」

「どこも経営難よ、仕事を選り好みできる立場でもない。金次第で何でもやるわ。そして私たちには充分なスキルがあると、ジルグムが見込んだだけよ」

「なるほど」

 ロックスはただ一つ頷く。真偽に関係なく、聞き出した情報をただ情報として一つ一つ記録に加えていく。疑う場合は全てを話させた後で。

 ビルの傍で学んだ聴取術。彼のスタイルにも合っている。

「〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟の用途は?」

「どういう意味?」

「バーンレイドは、依頼の品をどのように使うつもりなのですか?」

「さあね。彼は顔が割れてるし、室内で星でも眺めたくなったのかしらね?」

 シャルロットがつまらなそうに嘯き、ロックスはそこでしばし沈黙した。

 その視線から冷ややかな圧力を受け、彼女は慌てた様子で態度を改めた。

「知らないわよ。本当に知らないの……」

 ロックスはただひとつ微笑んだだけで、再び質問を続けた。

「引渡し場所は?」

「それも知らないわ。無事に品を盗んだ後で連絡する手筈になっていたから」

「期限は?」

「明朝よ。でも成否問わず今日の午後五時までに連絡するよう言われてるわ」

 そこでロックスは腕時計を確認した。午後四時一二分。押収した携帯端末に、現時点では何の連絡もなし。シャルロットの逮捕がまだジルグムに知られていない可能性――無きにしも非ず。彼自身、逃走に手一杯だったならば? 賭けてみる価値はある。

 ロックスはしばし考え込むように間を置いた後、提案した。

「バーンレイドに連絡し〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟の引渡し場所を尋ねてください。もちろん――」

「素知らぬ振りをして?」

「その通り」

 従順になっていたシャルロットの瞳に、不意に打算の色が浮かぶ。

「私に何かメリットがあるの?」

「裁判では、逮捕後は捜査に協力的であったと証言してあげましょう」

「なにそれ、話にならないわ」

「今までの罪状を見れば、間違いなくあなたは極刑です。しかし協力すれば終身刑で済ませるよう手を回しましょう」

 残りの生涯を刑務所で過ごすのは辛いことだが、死ぬよりは良いはずだ。死んだほうがマシなどという言葉など、死とは程遠い生き方をしてきた者しか吐けない言葉だろう。

 常に死と隣り合わせの戦場を練り歩いた彼女ならば、死を覚悟できても、自ら死を望む精神は持ち合わせていない。地を這いずり泥を舐めても生きる道を選ぶはずである。

 それがロックスが打ち出した彼女に対するプロファイリング結果。

 だが案に反して、シャルロットは首を横に振った。

「裏切りは命懸けよ。刑務所に逃げ込んだって殺されかねない。そんな条件じゃ無理よ」

「では何を望むのですか?」

「免責を書面化して。検事のサインつきで」

「甘えないでください」

「なら協力しないわ。電気椅子のほうが、原形もとどめずに死ぬよりマシだもの」

 シャルロットは譲るまいと、椅子にのけぞって座る。

 ジルグムをおびき寄せるために、シャルロットを見逃すか否か――

 何事も慎重に考えてから発言するロックスではあったが、この場は即答を返していた。

「そうですか。ならば、もうあなたに用はありません。お望みどおり電気椅子へどうぞ」

 淡々と資料とメモをまとめ、小脇に抱えてロックスは立ち上がる。プライドや損得勘定の問題ではない。人を殺した犯罪者を見逃す理由など、どこにもないということだ。ジルグムはまた別の方法で捕らえればいいだけの話である。

「拘置所まで護送させます。お疲れ様でした」

 ロックスは迷う素振りも見せずに踵を返して退室しようとする。彼のあまりにも迷いの無い動きを本気と見て、シャルロットが慌てた様子で呼び止めた。

「待って。――わかった、そちらの条件で電話するわ」

 ロックスは立ち止まり、再び机の前へと戻って微笑みを浮かべる。もちろん彼女が何も言わなければそのまま立ち去るつもりではあったが――焦って応じる可能性が高いと踏んでいたのも確かだ。何よりも生存に貪欲な女なのはわかっていた。


 携帯端末はハンズフリーモードで取調室の机に置かれていた。

 それには専用機器が装着され、傍聴室からロックスの隣に着いたリナリスがラップトップパソコンで通信を逆探知するため待機していた。

 携帯の操作はロックスが行い、シャルロットが頷くのを確認してから発信する。

 しばし静まり返った室内に、呼び出し音が延々と鳴り響く。既にジルグムも彼女の逮捕を知って連絡を断ったのかと思われたが――不意に通話が繋がった。

『やあ、遅かったねシャルロット』

 穏やかな調子の男の声。今いる捜査官の中で唯一その声に覚えのあるロックスが、彼にしては珍しく眉間に皺を寄せる。間違いなくジルグム・バーンレイドの声であった。

「ごめんなさい、ジル。追っ手を巻くのに手間取ったの」

『例の物は手に入れられたのかい?』

「もちろんよ。手下は全員失ったけど」

『君らしからぬ失態だ』

「私が無事なら何の問題もないわ。そうでしょ?」

『たしかに』

 僅かに笑いあう。逆探知できないリナリスが首を振り、ロックスが小指と親指を立てて耳元で振る。――引き伸ばせ。

『今、どこにいる?』

「ウォール街よ。待ち合わせ場所は?」

『バッテリーパークへ。三〇分後、記念碑スフィアの近くのベンチで待っていてくれ。こちらから見つける』

「わかったわ」

 通話が切れる。非難を受ける前に、シャルロットが言い訳するように告げた。

「下手に引き伸ばせないわ。彼はそういうのに鋭いの」

 真偽はさておきと、ロックスは隣に尋ねた。

「どうですか?」

 リナリスは肩を落として首を横に振る。

「海外のサーバをいくつも経由して、逆探知しにくい細工をしてるわ。調べるには一日かかるわね」

 その返答にロックスは落胆の色は見せず、ただ一つ頷いていた。彼女は責められないと。

 だがマジックミラーの向こう側で、ゼルギウスが苦笑していた。

「まるでミジンコの角だな」

「何だって?」

 意味が理解できず、オズワルドが問い返す。ゼルギウスが当人がこの場にいないのをいいことに、意地悪なジョークを告げていた。

「ミジンコは外敵を確認して二四時間後に角を出すらしいぞ」

「失礼なやつだな、お前」

「お前をバカにして言ったんじゃないぞ?」

「失礼なやつだな、お前」

 オズワルドがそっぽを向き、忌々しげに舌打ちした。

 ちなみに――クライブの仲間のハッカーであるルナは先ほどほぼ同じ条件で、一分足らずの内に逆探知を成功していた。その事実を知れば、リナリスはすっかり自信を無くして休暇申請していたことだろう。彼女とて一応、電子戦には自信があったのだ。

「どうするの? 替え玉でも用意する?」

 シャルロットが探るように尋ねる。そんなわけがない、とわかった上で。

「もちろん貴女に行ってもらいます。手錠も外しましょう」

 ロックスが彼女の欲した答えを返した。ただし、と付け加えたが。

「ナノマシンを注入し追跡するので、逃げることは不可能ですよ。犯罪者のみに使用を許された特殊な物です。妙な行動をとれば、電撃が走り全身が麻痺して動けなくなります。その歳で介護が欲くないのなら、変な気は起こさないことですね」

 ロックスが笑顔で逃げ道を塞ぎ、シャルロットは露骨に嫌そうな顔をしていた。


「賢い女ですね。弱者の振りをして、慎重にこちらの様子を覗ってます」

 傍聴室へとやってきたロックスが溜息混じりに告げた。下手に口を割らない頑固な相手よりも、ある意味で油断ならない。どこに嘘を織り交ぜるかわからないからだ。

「こちらからはどう見えましたか?」

「リナの方が美人だな」

「どうも」

 ゼルギウスのお世辞をリナリスは特に喜びもせず受け取る。今し方、オズワルドの『ミジンコ』密告を受けたばかりですっかり機嫌を損ねていた。

「瞬きの数、手や脚の動き、声音、どこも不自然な挙動は見られなかった。ウォール街が符号かとも思ったけど、よほどの演技派でない限り嘘はついてないでしょうね」

 リナリスが滔々と語る。人間観察は弁護士資格を持つ彼女の得意分野であった。

「彼女は本当にただの雇われですか。ならこれ以上絞っても何も出ないでしょうね」

「なあ、ところでロックス」

 オズワルドがにやにやと笑みを浮かべて問いかけた。

「なんでしょう?」

「特注のナノマシン? そんなのが開発されてたなんて知らないぞ?」

「おや、そうですか? 実はこっそり実用化されていたんですよ」

 その言葉に、捜査官三人は沈黙で応じる。すぐばれる嘘をついたロックスは、ややあってから参ったように両手を広げた。

「内心ドキドキでした」

「嘘こけよ」

 失笑が起こり、それが止んでからゼルギウスが告げた。

「どうあれ、まずはデートの待ち合わせに急ぐか」

「その覗き見にな」

 オズワルドが相棒に続いて部屋から出て、そこでリナリスが面倒そうに告げた。

「私は病院へ。ビルのお見舞いついでに、ワイアットを引き取ってくるわ」

「なんだって? あいつ何かしたのか?」

 わざとらしく問いかけるゼルギウスに、リナリスがベッと舌を出してから答える。

「知ってて訊いてるでしょ? 危険運転とスピード違反で逮捕されたの」

「今頃、迎えが遅いって泣いているだろうな」

「尻拭いしてあげるんだから、感謝しなきゃ見捨ててくるわ」

 リナリスはぷりぷりとし、腕を組んで唇を尖らせる。それは一人除け者にして、親友のピンチを連絡しなかった彼への罰でもあった。

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