第11話 イリュージョン


 クライブが人質交換の場所に選んだのは、ハドソン川沿いにある埠頭の一角であった。

 既に作戦会議は終えており、各自が役割と段取りを把握している。

 グランドチェロキーはすぐに逃げられるよう倉庫の脇に隠し、ゾーイとルナが車内で待機していた。彼らは確保した人質を安全な場所まで逃がす役割。

 ワイアットは辺り全体を見渡せる漁業施設管理棟の屋上にて監視役を請け負い、インカムで逐一状況を知らせている。

『こちらワイアット。やつらが来た。南側から大型車二台だ』

 デジタル双眼鏡を片手にワイアットが連絡。彼の視線の先には二台の黒塗りの車。

 通信を受け取ったクライブは交換の品を台車に乗せて、コンテナの脇に身を隠していた。

「オーケー、そのまま見つからないよう待機しててくれ。背中を取られないようにな」

『了解だ』

『クライブ』

 続いて別の相手からの通信。別の場所で身を隠すエルから。

 今更伝える情報など何も無く、彼女が送る言葉は、ただ一言。

『頼んだぞ』

 インカムを耳に押し当てながらクライブは微笑み、しいて気楽な調子で応じる。

「任せなって。お前はアフィンを抱きしめる準備をしときな」

 そして――待ち合わせ場所に車が現れる。倉庫と川に挟まれた通りに、報告どおり二台。

 停車した車からは筋肉質の見るからに屈強な男達が続々と降り立ち、その中には蛇を連想させる怜悧で容赦ない眼差しの女――シャルロットの姿もあった。アフィンの姿は確認できないが、おそらくまだ車の中。既に主導権を奪われている以上、慎重に切り札を隠すのは当然。だがクライブは彼らの到着と同時に、堂々と物陰から姿を晒す。台車を道の中央へと移動させながら。

 シャルロットや男達がその姿を見て銃を向けてくることは無かったが、視線は今にも射殺さんばかりに殺気に満ちていた。

 彼我の距離は一〇ヤード弱。狼の群れと対峙するようなその場所で、しかし立ち止まったクライブは落ち着き払った様子で右手を胸に当て、左手を横に広げて頭を下げていた。

「ようこそ皆々様、世紀の大泥棒カーニバル・フェイス主催のショーに起こしいただき、誠、感謝の極み」

「茶番は結構よ。盛大な歓迎が欲しいなら、派手にクラッカーを鳴らすのもやぶさかじゃないけどね」

 シャルロットは冷ややかな笑みを浮かべて告げる。一回りも大きな男達を回りに率いて中央に立つ女傑。その逆鱗に触れることの恐ろしさに、むしろ周りの男達の方が僅かな緊張を抱いている様子であった。クライブはそんな彼女にとっておきのスマイルを浮かべ、運んできたものを示した。台車の上に彼の腰ほどもある箱状の物。ただし今からマジックでも行うかのように真っ赤なクロスがかけられ、中身が隠されている。

「まあまあそう仰らず、本日は遠路はるばるお越しいただいた皆様のために楽しい楽しいイリュージョンを用意しました。特とご堪能あれ――」

 次の瞬間、大きな音が響いた。サプレッサーによって減音された銃声は、だが映画のように完全な無音とはいかない。

 インカム越しにその音を聞いていたエル達が最悪の可能性にゾッと背筋を震わせる。

 しかし弾丸はクライブの顔面の一インチ横を通過していた。

「次は当てるわよ?」

 抜く手も見せず銃を構え引き金を引いたシャルロットが、冷ややかに告げて首を傾げる。

 今までいくつもの命を奪ってきた者の、容赦とは無縁の瞳だ。脅しではなく本気であるのは明白であった。が――それでもクライブは微笑みを湛えたまま、何事も無かったように芝居を続けた。

「こちらに用意しましたのは皆様ご所望の〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟です。ただし――」

 そこでクライブはケースにかけられていたクロスを一気に取り払い、投げ捨てた。

 銃を突きつけていたシャルロットが目を見開きながら、咄嗟に銃口を上へと向ける。 

 彼女達が傭兵であるなら、武器装備に関して知識を持つのは当然だ。〝それ〟が何かなど瞬く間に理解できただろう。いや、たとえ一般人でも一目に脅威を感じ取れたはずだ。

 それほどまでに、判りやすい形でクライブは危険性を表現していた。

 一フィート四方ほどの透明なケースの中には、確かに〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟が収められている。しかしその隣に添えられているのは、これでもかと言うほど大量に積まれた粘土のような塊――プラスチック爆弾。信管のコードは、ケースの上に置かれた業務用電卓のような数字ボタンのついた機械と連結。その上の液晶ディスプレイには一ずつ減り続ける数字。明らかにタイマー。四〇〇カウントからスタート。――残り六分四〇秒。表示がゼロになればどうなるか、想像できない者はこの場にいなかった。

「強引に蓋を開ければ、たっぷりのセムテックスが盛大な爆炎を彩り、さらには周囲の爆薬にまで引火して、会場は木っ端微塵となるでしょう。まさに盛大なカーニバルだ」

 クライブは説明を続けながら、ケース傍らのポリタンクを持ち上げ、中身を手前に蒔き始める。それは旧世代燃料――魔力変換装置の普及により先進国ではほとんど見ることが無くなった、ガソリンだ。その強い臭いが、あたりに立ち込めはじめる。

「ちなみにケース内の圧力を測っているため、横穴を開けても爆発します。しかも見ての通り、タイマーは既に起動中で、表示がゼロになれば、これまた『ボンッ』なのです」

 狂った放火魔よろしく躊躇いも成しに周囲にガソリンをまく彼の姿に、悪行を生業にしてきたシャルロットたちも呆気に取られていた。それがもし何かの拍子で引火しようものなら、焼死体になるのはクライブ一人である。

 プラスチック爆弾は信管が無い限り火の中に入れても爆発することは無いが、周囲一帯が燃えさかれば爆弾を制御する装置にも影響があるだろう。それ以前に、熱によるケース内の圧力変化も危うい。こうなっては――シャルロットも銃を下げるほか無かった。

「こいつ……イカれてんじゃないの」

「はてさて、どのようにすれば安全に中身を取り出せるのか?」

 クライブは空になったポリタンクを遠くに投げ捨て、ニヤリと笑みを浮かべながら、その指先を大仰に振りかぶり、ケース上の機械装置を指差した。

「答えは簡単。特定の七桁の暗証番号を打ち込めば、爆弾は無事に解除されるのです!」

「どこがイリュージョンよ……」

 苦々しい顔でシャルロットが呟き、周囲の男達も動揺した様子でざわめく。

 いかに荒くれごとに向いた腕自慢の彼らも、こうなっては下手に動けない。

 彼らは今の今まで相手を見誤っていた。その男は〝お祭りの顔カーニバル・フェイス〟。警察やFBI捜査官すら手玉に取り続けた一流の詐欺師。

 場所の指定をクライブに譲った時点で、この場が彼の独壇場となるのは必定だった。

「しかしケースを開けるには一つ条件が。アシスタントとなる少女が必要不可欠です。歳は一五、髪はピンクの特別可愛い女の子が理想的だ。はてさて? しかし困ったぞ、会場内には見当たらない。このままではイリュージョン失敗だ!」

 芝居がかった仕草で頭を抱えて嘆き、クライブは口の端を吊り上げて相手を見遣る。

 すっかりペースを奪われていたシャルロットが、巻き返しをはかろうと携帯端末を取り出していた。

「いい加減にしろ道化。さっさとケースを開けて中身を渡せ。女を殺すよう命令するぞ?」

「おや、そんなことをしたらどうなるか、たった今説明したはずだが?」

「お前が小娘と何らかの関係があるのはお見通しだ。あんな下手な嘘に騙されると思ったか? 大方、エルネスティーネと男女の関係にあるのだろう?」

 それがただの鎌かけか否か――まだ化かし合いも可能でもあったが、クライブはあっさりと引き下がって認めていた。

「あら、バレた? いい外道っぷりだと思ったんだけどな。まあ俺って普段が良い奴すぎるし、ちょっとわざとらしすぎたか」

 クライブは頭の後ろを掻きながら、都合の良い解釈をしていた。兎にも角にも優勢に転じたと見て、シャルロットが手に持った端末を揺らしながら口の端を吊り上げる。

「早くしないと、本当に部下に命じるわよ」

 クライブは深々と溜息をつく。そこで――今までは常に飄々と笑みを浮かべていた彼の顔から、不意に表情が消え、どこまでも冷ややかな視線で相手を見据えていた。

「あのさ……よく考えろよ。エルは知っての通り妹を溺愛してる。人質が死ねば、絶望して自殺すらしかねない程に。そうなるとそっちも困るだろ?」

「別に? 何とも思わないけど」

「馬鹿かお前。物事を順序立てて考えられないで、よく犯罪者なんてやってられるもんだ」

 人質にナイフを突きつけられるような状況でも、クライブは構わず相手を挑発するように嘲笑し、シャルロットは見るからに苛立った様子で目を細める。

 屋上に隠れて一部始終を見守っていたワイアットは冷や冷やしていた。インカムで会話を聞いていたエルも、雲行きの怪しさに今にも飛び出しかねない心境にあった。

 だがクライブはほんの僅かにも怯むつもりは無かった。ここで一歩でも退けば、その時点で敗北――人質を取り返せなくなる。チキンレースは先に臆した方の負けだ。

「お察しの通り、俺はエルに惚れてる。だからこそ、あいつのいない人生に何の未練も無いんだよ、俺は。もし人質に手を出してみろ? ヤケクソになって、この場でテメエらごと何もかも全部ぶっ飛ばしちまうぞ」

「……ハッタリよ」

「じゃあ試してみるか?」

 クライブは懐に手を突っ込み、瞬間、男達が咄嗟に反応して一斉に銃を抜き構えていた。

「やめなさいッ!」

 しかしシャルロットがすぐさま手を横に伸ばして彼らを制止する。もし仮に銃弾によって火花でも散れば、たちまちガソリンに引火してしまう危険性があった。クライブは向けらた銃口の群れにも臆することなく、懐から取り出した物を掲げ、彼らに向ける。それは何の変哲も無い、ジッポライターだ。だがこの場においては全てを吹き飛ばす爆弾同然の代物。クライブは躊躇いも無くフリントホイールを指先で弾き、火をつける。

「よく見ろ、俺の逃げ道はどこにある? 遮蔽物さえ遠いぞ。あるのは爆弾だけだ。あくまでハッタリだと信じるなら、今すぐ人質を殺せ。その後で全員仲良く後を追おうじゃないか。これだけの爆弾だ、この場の全員が即死できる。間違いだったと後悔する間もないうちにな」

 彼の冷然たる眼差しの前に、ジッポの小さな火がたゆたう。気化したガソリンに引火することすら危ぶまれる。長さも判然としない導火線に火がついているも同然の状況だった。自殺願望者でも無い限り、並みの精神力ではこのような行動はとれまい。

「さあ、決めろよ。目当ての物を手にするか、全員死ぬかだ」

 その決意――その言葉を、インカム越しに倉庫の一角に隠れたエルもまた聞いていた。

 その心臓は張り裂けそうなほどに高まり、目尻には涙さえ浮かぶ。

 まったく――彼は一体どれだけ人を泣かせれば気が済むのか。先の発言が、シャルロット達を信じ込ませるためのハッタリであるのも確かだろう。クライブにとってもアフィンが傷つけられては困る相手なのは間違いない。だがそれでも、全てが嘘であるなら、その言葉がこれほどまでにエルの胸に強く響くことは無かったはずだ。事実、彼は二人の姉妹のために命を懸けてその場に立っている。エルは言葉で言い表しようも無いほどの感謝の気持ちと、そして見てみぬ振りをし続けた本音を認めざるを得なかった。

 クライブは自らの命を掛け金に、全てを差し出オールインした。地雷だらけの会場で狂気のダンスを舞えるような人間は、この場に彼を置いて他にはいない。

 最も果敢に立ち向かったシャルロットも、ややあって負けを認めた。

「……人質を渡したら、その場でケースを開けなさい」

 その返答にクライブはひとまずジッポを閉じた。銃を構えていた男達も、ゆっくりとそれを懐に戻す。ひとまず周囲の緊迫が僅かに緩まる。ただし未だ黄色信号。

「そしたら人質ごとその場で撃ち殺すだろ。俺達が離れてから番号を教えてやる」

「舐めないで。解放するのは人質だけ。あなたはその場に残ってケースを開けること。本物だと確認できたら、あなたも見逃してあげるわ」

 シャルロットはそこだけはてこでも譲るまいとした。

「それとも、やっぱり命は惜しいのかしら?」

 ここで渋るならば、クライブの覚悟にも疑いを持たれることになる。彼はジッポライターを胸ポケットにしまいながら了承した。

「いいだろう。約束だ。俺はこの場で爆弾を解除する」

 そこでシャルロットは最も近くにいった男の一人に命じ、後ろに待機させていた車まで向かわせた。大型バンのバックドアを開け、そこから一人の少女をおろす。

 スカーフを猿轡にし、両手を背の後ろで縛られた女の子――アフィンが、よろよろと地面に降り立っていた。シャルロットはあたかも遠くに隠しているように見せかけて、やはり一緒に連れてきていたのだ。

 男に促されるまま歩むアフィンは、特に何の説明も受けていなかったのか、ただひたすら困惑の表情を浮かべている。向かい立つクライブの姿を見ても、その男性が何者かもわかっていない様子だ。

 男に連れられ傍らに立った少女に、シャルロットは少し悩むような間を置いたが、もはや下手な駆け引きはしないほうがいいと判断し、その背を乱暴に押し出した。

「……行きなさい」

 アフィンはよろめき、膝をつきそうになるのを堪えてから、恐る恐るといった調子でクライブの傍にまで駆け寄った。彼らの傍にいるよりはマシであると判断して。しかし、やはり途中で不安になったのか、クライブの一歩手前で警戒するように立ち止まっていた。クライブはそこで彼女に微笑みかけ、安心させるように告げた。

「もう大丈夫だアフィン。安心しろ、エルも来てるぜ」

 その言葉にアフィンはハッと目を見開き、そこでようやく最後の距離を詰めて近くへと寄った。クライブはその口から猿轡を外し、口周りを拭ってやってから、続いて手の縛りからも解放する。相手を味方と判断したものの、アフィンは未だ少し警戒したような視線で彼を見ていた。

「えっと……あなたは、FBIの人、ですか?」

「やっぱり忘れられてるか。仕方ないよなぁ、お前が五歳の頃に別れたきりだから」

 少々物悲しい気分になっていると――そこでアフィンは少し目を瞬いた後、両手で口元を覆った。

「ひょっとして、まさか、クライブお兄ちゃん……?」

「おお、覚えててくれたか!」

 今度こそアフィンは心の底から安堵した様子で、クライブの胸に迷わず飛び込んでいた。

「……ああ! お兄ちゃん、助けに来てくれたんだっ……!」

「ははっ、大きくなったなぁ。あんなにちっこかったのに、いつの間にかすっかり美人さんだ」

 クライブは再会に喜び笑うも、抱きとめた小さな身体が震えていることに気付くや、小さく溜息をついてポンポンと優しくその背を叩いた。

「……怖かったか。そりゃそうだ。だがもう心配ない、家に帰れるぞ」

 そうして再会を喜びあう二人を見せつけられ、シャルロットは顰め面になっていた。

 二人から親愛の様子を見て取ったからだ。彼らの間にも関係があったのならば、あっさりと引き渡さずに刃をつきつけて脅す方法もあった。何も人質の使い道は殺すだけではない。足を抉り悲鳴の一つでもあげさせれば、たまらず相手は爆弾を解除せざるを得なかっただろう。しかしこうなってしまえば、今更嘆いてもどうにもならなかった。シャルロットは銃をアフィンの背中へと突きつけながら告げた。

「お喜びのところ悪いけど、約束よ。今すぐケースを開けて」

「わかってるよ、慌てなさんな。人質を逃がすのが先だ」

 クライブは余裕な物腰を崩さなかったが、その銃口を見るや、素早くアフィンを背に庇っていた。

「アフィン、特に怪我はないよな?」

「うん。ほっぺ叩かれたけど、それだけ。あと爆弾とか発信機なら何もつけられてないよ」

「賢い子だ。さあ、あの扉から向こうの建物の中へ。そこにエルが待ってる」

「お姉ちゃんが……! あ、でも、クライブお兄ちゃんは?」

「俺なら大丈夫だ。野暮用を先に済ませるよ。ほら、早く行け」

 クライブは少女の額に優しくキスをし、その場から反転させてポンと背中を叩いて送り出す。アフィンは言われたとおりそちらへ向かおうとしつつも、すぐに舞い戻って背伸びし、彼の頬へとキスを返していた。

「絶対無事でね、お兄ちゃん」

「ああ、当然だ」

 アフィンは少々後ろ髪を引かれるようにしつつも、自分自身がこの場における最大の弱点であることを察したように、反転して急いで駆け去っていった。クライブはその背中に銃が向けられないよう、彼らとの間に立ちながら両手を広げてみせる。

「お待たせして申し訳ない。では爆弾解除&ケースの解放タイムだ」

「それはもういいから、さっさとやりなさい」

 いい加減我慢の限界と言った様子でシャルロットが凄み、クライブはあえてゆったりとした動作でケースに近寄る。そこで――

『クライブ! アフィンは無事こちらで確保した!』

 今にも泣きそうなエルの叫びが耳元から響いた。

『お前も早く逃げろ!』

 クライブはにやりと笑みを浮かべた。姉妹の感動の再会に立ち会えなかったのは残念だが――〝カーニバル・フェイス〟のイリュージョンの山場はここからだ。

「オーケー、なぁに時間はかからないよ。指先一つで、お手軽に大当たりジャックポットさ」

 それはシャルロットとエル、二人に対して向けた言葉であった。

 そうして彼は言葉通り、その人差し指一つで装置のボタン、一ヶ所を連打していた。

 打ち込まれた数字は全て『7』。ディスプレイからタイマー時間が消え、並んだ『7』がチカチカと点滅し、スロットマシーンの大当たりの音色を響かせる。

 呆気に取られて、シャルロットは頭を振っていた。

「本気で馬鹿にしてくれるわね……このクソ野郎マザーファッカー

「まさか。馬鹿にするのは――ここからさ!」

 瞬間、自動で開放されたケースが、全くの出し抜けに爆発していた。

 ただしプラスチック爆弾の爆発ではなく、猛烈な勢いで白煙が撒き散らされたのだ。

 爆弾解除と同時に発動する、スモーク爆弾だった。交換が無事にいった際に仕込んでいた、逃走用の細工である。

 クライブは白煙が周囲一帯の視界を奪うと同時に、開いたケースから〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟を拾い上げ、走り出す。狼狽しつつも男達はすかさず銃を構え、闇雲に発砲していた。

 その銃弾のひとつが地面を削り、途端、散った火花にガソリンが引火し、周囲に巨大な炎が舞っていた。その熱波を受け、数名が僅かに怯む。

「撃つなバカども! 物がダメになったらどうする気だ!」

 シャルロットが叫び――そこで勢い良く走り出していた。

 そうして男達が浮き足立っている間に、まんまと逃げ出したクライブは嘲笑う。

「ハハッ、ざまあみやがれ――うおッ!」

 途端、走っていたクライブは派手に正面から倒れていた。もちろんただ躓いたわけではない。手錠の片側のようなフックが見事に彼の足首を捉え、引きずり倒したのだ。フックの後ろには強靭なワイヤーが伸び、その先に繋がる釣竿のリールのような巻き取り装置をシャルロットが握っていた。彼女は燃え上がる炎をものともせずに突破し、こちら側までやってきてそれを投擲したのだ。

「趣味合うね! 似たもの、俺も使って――のおっ!」

 言い切る前に、激昂したシャルロットが勢い良く飛びつき、クライブの上に馬乗りになっていた。突撃の勢いのまま両手で握られたナイフが鼻先にせまり、あわや脳天を貫かれる寸前にクライブは相手の手首をつかみ、押し込みを防ぐ。

 おかげで〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟は手放す羽目になり、勢いで転がっていく。

「きょ、今日は! よく女に! またがれるなッ!」

 この期に及んでも、クライブの軽口は止まらない。あるいはこんな状況だからこそ、軽口でも叩かないと落ち着いていられないのか。

 そこでが物陰からグランドチェロキーが飛び出してくる。

「クライブ!」

 リアドアから身を乗り出して叫ぶエル。車の奥に身を隠すアフィンの姿が見える。

「バカヤロウ! 俺はいいからさっさと行けコラぁ! アフィンを守れッ!」

 クライブが顔を真っ赤にしながら叫び、逡巡するエルが返事をする前にゾーイが即断してグランドチェロキーを全速で発進させていた。

 クライブは一瞬の隙をついて首を捻り、頭の代わりに地面をナイフで突かせ、体勢が崩れたところで畳んだ足を突き出す。シャルロットは苦悶を吐き、ナイフから手を離して後ろへ跳んでいた。クライブはその間に耳元のナイフを掴み取り、足を拘束するワイヤーにたたきつけてそれを引きちぎる。

 そこでシャルロットが狙いを〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟へと変え、そちらの回収に駆けていたことに気づく。この状況でも個人的な怒りよりも仕事を優先したプロ意識には舌を巻くしかない。急いで止めに向かおうとするも、そこでシャルロットの部下の男達が複数、白煙と炎の壁を越えてこちらへやって来た。もちろん各々が銃を手にしている。更にシャルロットも走りながら手にした銃を構えていた。

 クライブは大慌てで逃げ出し、すぐ傍にまで寄っていた物陰へと身を投げる。その後ろを危ういところで銃弾の雨が掠めていった。ただしそこは行き止まりだった。

 クライブが物陰で釘付けにされている間に、〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟を手にしたシャルロットが乗ってきた車に乗り、部下数名と共に素早く去っていく。ただし完全撤退ではなく、クライブの始末には三人が残されていた。相手が丸腰であることに気付いた男達は、にやりと笑みを浮かべ、顔を見合わせ物陰へと接近した。

 煮え湯を飲まされた彼らの怒りもシャルロットに負けず劣らず怒髪天を突くものであった。絶体絶命のピンチだが、逃げ道はどこにもない。

「おいコラ! 何もたもたやってやがんだ腰抜け!」

 クライブが苛立ちながら叫ぶ。男達に対してではなく、未だ動きを見せない仲間に対して。そこで、全く別角度から発砲音が鳴り響いた。根気強く待ち構えていたワイアットによるもの。ただし発砲は屋上からではなく男達の後方から。事故及び犯罪防止用の擬似エンジン音が鳴り響き、大型車が炎の壁を突破して急接近してくる。男達が乗ってきた二台目のバンだった。奪った車の運転席からは、片手で銃を構えたワイアットの姿。

 男達は慌ててそちらにむけて銃を向けるが、わずかに遅かった。

 ワイアットの銃弾は狙い過たず二人の男を射抜き、一人を車のバンパーで弾き飛ばす。

 勢い良く突っ込んできた車に、丁度敵に飛びかかろうとしていたクライブもまた轢き殺されるのではないかと慌てたが、バンは大型車とは思えない華麗なドリフトターンを決めてカーブを曲がり急停車。クライブの横を絶妙に回り込んでいた。

 窓が下がり、運転席のワイアットが告げた。

「早く乗って」

「お、おう!」

 思わず腰を抜かしかけたことを悟られまいと、クライブは助手席に座りながら叫ぶ。

「〝最古の天象儀オールド・プラネタリウム〟取られちまったよ!」

「人質が解放できただけ上出来さ。――だが追うよね?」

「当然だ! アクセル限界まで踏め!」

 ワイアットは要求通りアクセルをいっぱいに踏み、急発進。クライブはダッシュボードに頭をぶつけかけ、慌ててシートベルトを締めていた。淡白で無害そうな顔をしながら、随分と荒々しい運転をする男だ。

「つーか助けに来るのおせえバカ! 今までなにしてんだ!」

「仕方ないだろ、俺はステイサムじゃないんだ、一人であの数を相手にしたくない」

「俺はしてたんですけどー!」

「君も今日からステイサムだ」

「わーい、うれしー。――ああ、クソ、思ったより良い性格してるなお前」

 クライブは苦々しげに告げた後、丁度良く備えられていたカーナビゲーションを操作し、USBフラッシュメモリを突き刺した。

「それは何だ?」

「シャルロットと取っ組み合いになったとき、ポケットに発信機を忍ばせてやった。その位置情報だ」

「やるね」

「当然。初めてでもないしな」

 デジタル地図上に発信機のアイコンが表示された。それを追ってワイアットの運転するバンが大通りを勢い良く驀進する。クライブはその荒い運転に身体を揺らされながらも、携帯端末を操作してインカムに繋げる。エルが感極まってまともに喋れる状態ではないだろうと予測し、助手席のルナに状況確認。数秒会話を交わした後、すぐに切った。

「エル達は無事だ。あとはブツを取り返すだけだな。――ところで、運転変わろうか?」

「問題ない。こういうのは得意さ。もう五年は運転してないけど」

「おいおいおい」

 クライブは大いに慌てて運転をやめさせようとしたが、ワイアットはニコリと笑ってそれを防いだ。アクセルを踏み込むという強引な力技で。

「大丈夫だよ、俺を信じて」

 そこで今までの運転はほんの準備運動程度であったというかのように、更なる加速を見せる。多くの車を、まるで縫うようにして追い抜いていく。

 ロウアーマンハッタンのビル街に、クラクションが嵐のように鳴り響いた。

「な、中々なもんだなオイ! ダニエル・モラレース顔負けだ! ヘイ、タクシー! ちょいと誘拐犯のとこまで! ――わわッ!」

 バンがその巨体を僅かに浮かしながら直角カーブを曲がる。クライブはまるでロデオをしている気分になった。しかしハンドルを握るワイアットは至って平然と微笑む。

「強がらなくても良いよ。チビってシートを汚しても、どうせやつらの車だし。ああ、でも臭いは勘弁かな」

「ハハッ、言うじゃねえか――うおっ!」

 危ういところで自転車と接触しかけるも、その飛び出しすら予測していたかのように、バンの巨体は回避してみせる。自転車に乗った青年は慌てて立ち止まり、その場でポカンとしていた。これでまだ一人も怪我人が出ていないのが奇跡にしか思えない。

「ちょっと待て! あんたそう言えば、捜査官じゃなかったよな?」

「元警官だけど、それが何か?」

「スピード違反の権限ねえじゃん! 捕まったら共々逮捕されるぞ!」

 ワイアットは今頃気付いたようにしばし沈黙した後、まるで示し合わせたかのようなタイミングで、後方からニューヨーク市警のパトランプがサイレンを鳴らした。

 これはまずいと、ワイアットは頷く。

「よし、手加減抜きで撒こう!」

「おい、ちょ、待った待った待った! ――うわあああっ!」

 抗議の声など掻き消す、更なるアクロバティックな運転をワイアットが披露する。拳銃の群れを前にしても眉ひとつ動かさなかったクライブが、たまらず絶叫を上げていた。

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