第10話 カウンターアタック
ひとまず博物館の外へと出たエルは、無駄とはわかりつつも、昔使っていたクライブの携帯の番号にかけていた。だが当然その番号は既に使われておらず、人工音声の無慈悲な返答を受けるばかり。
エルは焦慮に汗すら滲ませながら、そこではたと張り込み用のバンの存在を思い出す。
リナリス達にはエルの車を貸したので、まだここへ来た時のまま停車してあるはずだ。
ならば館内の監視カメラの映像データをリンクしている車内のモニターが、数分前の出来事も録画している。〝
「ああ、ここにいたのか!」
通りに停車させたバンの近くまでたどり着いたところで、エルは誰かに声をかけられた。
盗みのために騙した警備員かと思い、ビクリと背筋を震わせ振り返る。
だが案に反して、そこにいたのは見知った人物であった。
「お前……?」
ワイアット・バーンレイドだった。通りの向こうから駆け寄ってきた彼は、長らく走っていたらしく、少々肩で息をしていた。
「……リナと一緒に行ったんじゃないのか?」
「途中まではね。でも君が心配になって、戻ってきたんだ。嫌な予感がして――そしたら案の定、すごい騒ぎになってるし」
彼の言うとおり、博物館前はてんやわんやといった状況だ。逃げ出した大勢の来館者達が外に溢れ返り、かけつけた数台のパトカーがランプを回して停車している。そのうち重窃盗事件であることが発覚すれば、更に増援がくるかもしれない。
この騒動をエルが引き起こしたと知れば、仲間達はどう思うだろうか?
いや――そんなことさえ今の彼女にはどうでもよかった。
誰にどう思われようと、仕事を失おうと、刑務所行きになろうと――妹さえ無事であるならば、一向に構わない。だがそれだけの切実な願いにも拘わらず、無惨に踏みにじられる瞬間は刻一刻と迫りつつあった。
「ああ、でも良かったよ、すぐに合流できて」
「良いわけあるか……」
「エル?」
「お前に愛称で呼ばれる筋合いはない……今すぐリナと合流しろ」
エルは胸の内は様々な感情が溢れかえり、今にもパンク寸前であった。
このような状況で、誰かに構っている余裕などあるわけも無い。エルは改めて前を向き、バンの方へと歩み出す。そんな彼女を、ワイアットが慌てて追った。
「待ってくれ、何かあったんだろ? ここまで来たんだ、俺も協力する」
「うるさいっ! 私についてくるな! 邪魔をするな!」
癇癪を起こして叫び、エルは再び振り返って憤然とワイアットの胸に指を突きつける。
あくまで捜査官として命令したつもりであった。しかし悲痛に満ちた表情と、その瞳に溢れる涙は堪えきれず――もうそうなっては、今の彼女はただの少女に等しかった。
「……何があったんだ?」
今にも声を上げて泣きそうになる女性を前にして放っておけるほど、ワイアットも薄情ではない。彼はそっと彼女の肩に手を置き、その顔を覗きこみながら、優しく訴えかける。
「エル、俺は味方だ。大丈夫、必ず力になる。話してみてくれ」
エルの中で燃えさかっていた誰かね構わず当り散らしたい敵意が、急激に萎れてしまう。彼女はもはや堪えきれなくなったように顔を歪め、零れる涙を頬に伝わせた。
「妹が……誘拐された。フェルディーニに……〝
ワイアットはその内容に衝撃を受けたように凝然とし、エルは寒さに震えるように自身を抱きながら言葉を紡ぐ。
「だが、無理だ……無理なんだ。あいつはそう簡単に捕まるやつじゃない……あと一時間じゃ、どうやったって捕まえられっこない……!」
認めがたくも、それが現実であった。意気込みだけで捕まえられる相手ならば何の苦労も無い。クライブは捕まえられず、エルは妹を失う他、もはや未来は無かった。
だがそうして項垂れる彼女の両肩を、ワイアットが力強くつかむ。
「エル、諦めちゃだめだ! 弱気になるな!」
エルが涙に濡れる目を見開き、ワイアットがそんな彼女を見つめながら勇気付ける。
「君の妹は、きっと君が助けに来ることを待ってる。なら、君だけは絶対に諦めちゃいけない。そうだろ?」
エルは相手の顔をまじまじと見つめ返し――やがて頷いた。
「ああ……そうだな……その通りだ」
どれだけの苦境でも、最後の瞬間までエルが諦めるわけにはいかなかった。アフィンはとても健気で素直な子だ。今も姉が助けに現れるのを信じて疑わずにいるだろう。助けると約束したのは他ならぬエル本人だ。
エルは危うく妹の信頼を裏切り、その命を見捨てるところであった。
「ありがとう、ワイアット……」
彼女は自分自身に対して深々と溜息をつき、頬の涙を拭おうとしたところで――両肩を摑む手の存在を思い出し、そちらに視線を向けていた。
瞬間、ワイアットは慌てて両手を離す。
「あ、す、すまない、勢い余って」
「いや……大丈夫だ」
おかげで僅かばかり落ち着きを取り戻し、思考力も戻っていた。彼には言葉で尽くせないほどの感謝の念を覚えていたが――同時に現状も正確に理解する。
「しかし、やはり駄目だ……」
「エル」
「違う、そうじゃない。つい昂ってお前に秘密を話してしまったが、それをやつらに知られたら妹の命が危うくなる」
エルは既に失敗し、情けを貰っている身だ。いつ切り離されてもおかしくない以上、今ここでワイアットと会っていることすら知られれば非常にまずい。
「確かに、そうだな。じゃあ、俺は別の方向から――」
彼が言いかけたその時、二人のすぐ傍らに大型車が停車していた。白のSUV――ジープ、グランドチェロキー。犯人達かと思わず身構えたエルは、しかしリアドアから現れた人物に目を見開くことになる。
「よっ、お迎えに来たぜ、お姫様」
冗談めかして指を振りながら、ニッと笑うその男の登場に、エルは驚きのあまり、追い詰められた精神が生み出した幻影なのではないかと疑った程だ。
「く……クライブ……?」
間違いなくクライブ・ファーニバルはそこにいた。その証拠に彼女の隣に立つワイアットも、彼の姿を目撃していた。
「クライブ? こいつが例の〝カーニバル・フェイス〟?」
「さっきは悪かったなエル。だがここから、一発大逆転のチャンスだ――」
何故首尾よく盗みを終えたはずの彼が再び現場に舞い戻ってきたのか――そんな疑問はワイアットだけが抱いたものだ。クライブの真意を、その言葉を最後まで聞くこともなく、エルは動いていた。まるで獲物に跳びかかる飢えた豹のように。目にも止まらぬ勢いでクライブに接近し、両肩をつかんでシートの上へと強引に押し倒していた。
常に極上のスリルを笑って楽しむクライブも、これにはさすがに仰天する。
「ちょ、まっ、待て待て待て! 落ち着けエル! 俺の話を聞け! うわ、殺さないで!」
今にも絞め殺されかねないと恐怖したクライブがもがいて叫び――だがその頬に水滴が落ちた瞬間、彼はもがくのを止めた。
「エル……?」
「頼む、助けてくれ、クライブ……アフィンの命がかかってるんだ……!」
エルは恥も外聞も気にせず、ただ懇願した。
彼の持つ宝だけが、妹の命を繋ぐ唯一の手段なのである。
「頼む……
そうして少女のように泣き出してしまったエルに、クライブは優しげな笑みを浮かべ、両手を伸ばし、彼女の頬を包んで涙を親指で拭う。
「落ち着けエル。泣かなくていい。俺は君の味方だ」
「クライブ……?」
「大丈夫だ、あとは俺に任せろ。状況は全部、ちゃんと知ってる。――そもそもアフィンを助けるために、俺はあれを盗んだんだからな」
ハッと目を見開くエルに、クライブは勝算ありげにニヤリと口の端を吊り上げる。
その悪童めいた笑みに散々煮え湯を飲まされ続けたエルではあったが、このときばかりは何よりも頼もしいと感じていた。
グランドチェロキーはコロンブス通りを南下し、ロウアーマンハッタン方面へ進んでいた。運転席ではメキシコ系の褐色肌の男性が鼻歌混じりにハンドルを握り、助手席では白人の女の子がラップトップパソコンを膝に載せ忙しなくキーをタイプしていた。二人ともクライブの仲間である。車の後ろ側は本来七人は搭乗可能のはずたが、お世辞にも広々とした空間とはいえなかった。備え付けの座席は全て畳まれ、所々に用途不明の機械類が散らばり、あるいは吊されている。クライブが盗みに扱う秘密道具の数々。
空いた場所に膝を抱え座っていたエルは、それらをまとめて押収してやりたい欲求はあったものの、流石に我慢した。今回はクライブの協力が必要不可欠だったからだ。
「やつらにそのまま〝
エルの向かいに座ったクライブは説明しながら、なにやら変わった機械の一つをいじっていた。まるで業務用電卓を巨大化させたような装置の下部から、いくつかのコードが伸びている。エルがそれを何かと尋ねても、『後のお楽しみ』としか彼は答えなかった。
クライブの座る隣にはアタッシュケースがあり、そこに〝
「だが、やつは私に見張りをつけていた。外で合流しても同じことじゃ……」
「見張りはお前がぶん殴って倒したろ?」
「あ……あいつがそうだったのか」
「なんだ、気付かずにやったのかよ。別に盗み役と監視役を分ける必要はないだろ?」
「あの時は、そこまで頭が回らなかったんだ……焦ってたから」
「あー、そろそろいいかな?」
どこか所在なさげにしつつも一緒に車に乗ってついてきたワイアットが、そこで小さく挙手して二人の会話に割り込んでいた。彼の両手の人差し指が、エルとクライブをそれぞれ示す。
「君達、お知り合いなの?」
エルが複雑な表情を浮かべて黙秘し、一方でクライブは迷いも無く気楽に答えていた。
「幼馴染なんだ。こんな小さいときからね」
「捜査官と、泥棒が?」
「なくもないだろ、ワイアット・バーンレイド? あんただって元警官で、兄貴は――」
「クライブ」
エルが窘めるように睨み、クライブは肩を竦めて口を噤む。先の発言も、そして名乗るまでもなくプロフィールを調べられていることに関しても、ワイアットは特別気分を害した様子も無く、落ち着いて微笑んでみせる。
「別に構わないよ、こっちが先に言ったことだ。――それはそれとして、君たちは、付き合ってるの?」
「ワイアット……」
クライブに負けず劣らずのぶしつけな質問にエルは嘆息し、今度はワイアットへと厳しい視線を向ける。しかし今度もまた、クライブがあっさり教えていた。
「学生時代付き合っていた」
「勝手に言うなよ……」
「事実だろ?」
非難するエルに、クライブがどこふく風と受け流し、ワイアットは更に訊いた。
「じゃあ、今は?」
「まあ、トムとジェリーみたいなもんかな」
クライブが冗談めかして答え、エルは殊更に不機嫌な顔になる。
ワイアットはなるほど、と頷いてそれ以上は追及しなかった。彼にとっては難敵の登場であったが、人命に係わる緊急事態故、今そちらは些事に等しい。
エルもクライブに対して言いたいことは山ほどあったが、今は喧嘩をしている場合ではなかった。ここは一時休戦が最善である。そこで彼女は、はたと思い至り尋ねた。
「ところでお前、どうやってアフィンが連れさられたことを知ったんだ?」
その問いに、今度はクライブが気まずげな表情になる番だった。
「あー……怒らない?」
「言ってみろ」
「君の携帯電話を盗聴してた。この間、部屋に入った時にちょちょいと細工を……」
ちょっとした悪戯を打ち明けるように、クライブが人なつっこく笑う。一方エルはニコリともせず、怒りを露わに指差した。
「貴様……犯罪だぞ!」
「でも、怒らないって約束だろ?」
「約束してない!」
「なんてこった、その通りだな。でもおかげで、助かっただろ?」
「うっ……それは……」
途端、エルは返す言葉を失い、しかし尚も複雑な思いで非難する視線を向けていた。
プライバシーの侵害は最悪だが、それがなければ状況は今頃もっと不利であっただろう。
なればこそ起訴するつもりはないが――はたして、そう易々と水に流してよいものなのか。エルのジトッとした視線に、クライブは降参したように謝罪する。
「悪かったよ。ジルグムが君を狙わないか気が気じゃなかったから、すぐに駆けつけられるようにしたかったんだ。心配だったから」
「……」
エルは不機嫌面のまま、しかし足の指先をほんの少しピクピクと動かす。足が犬の尻尾のように素直な感情を示すのは、彼女自身はまったく気付いていない癖だった。
「そう怒るな、機嫌直せって。君だって俺が浮気してないか携帯を勝手に見ただろ?」
「一〇年以上前の事だ! それに、あれは……お前が内緒で私の友達と連絡をとってたから……」
「でも完全な誤解だったよな。君の誕生プレゼント選びを手伝ってもらってたんだから。でも俺は怒らずに許し、しょげる君に優しくキスまでした」
「ッ……」
エルは顔を赤くして彼を睨んだ。周りには他にも人がいるというのに、クライブは構わずに二人の過去話を赤裸々と語る。助手席の女の子は気にした様子も無かったが、運転席の男は先ほどから必死に笑いを堪えている様子であった。ワイアットもまた複雑な表情で二人の遣り取りをみている。
「わかった、これで貸し借りなしだ! ……だから、そういうこと人前で言うな」
「よし。――んじゃほら携帯貸して、直すから」
「いい、後で自分でやる」
エルは拗ねた子どものようにそっぽを向いた。ちなみに言えば、今彼女は携帯の電源を切っていた。FBIに現状を知られれば、余計な介入を受ける可能性が高い。組織を裏切る行為であることは承知していたが、今はアフィンの安全が最優先だ。
「って、そんな話は重要じゃない――お前が〝
「抜かりはないよ。さっきちゃんと一報しておいたから」
「一報?」
「俺にとってもアフィンは価値があるとね」
はたとエルは思い出す。シャルロットとの会話中、キャッチ音が響いていたことを。タイミングから考えてあれがクライブからの連絡だったのだろう。
そこでワイアットが懐疑を示した。
「それはそれで危険じゃないか? 価値は失いたくないが、大きすぎてもつけ込まれる」
「もちろん一工夫してある。まあ、ここは俺に任せておけって」
クライブは余裕有りげに指を振って見せ、そこで懐から携帯端末を取り出した。
「さて、ここいらでもう一連絡しておこう。こういうときは、相手に主導権を渡さないのが重要だ」
そこでクライブは周りに静かにするよう、人差し指を立てて唇につける。
交渉を丸投げするのは多少の不安があったものの、ここまで来ればエルも腹をくくって頷きかける。クライブが頷き返し、次いで端末にUSBコードをつなげ、その反対側を助手席の少女に渡した。説明無いままに受け取ったそれを、彼女は戸惑うことなく膝の上のラップトップパソコンに繋げる。彼女は予め自分の役割を知っていた。
「いーよ」
少女が素っ気無く告げ、クライブは頷き、手早く番号を入力――通話ボタンを押す。
すぐに繋がり、ハンズフリー機能で通話を開始した。
「ハーイ、もしもし、ご機嫌いかがかな、シャルロットちゃん?」
『良くないわね。でもあなたが死んだらきっと改善されるわ』
シャルロットの声音は低く重い。出し抜かれたことの苛立ちが多分。その声――妹を誘拐した女の忌々しい声音を聞いた瞬間、エルの心臓は瞬く間に激しく高鳴る。今し方の落ち着きも、瞬間的な激昂が全て押し流しそうになった。
彼女の動揺を見て取り、ワイアットが顔を覗きこんで首を振る。ここで彼女が声を発すれば結託を見抜かれ、瞬く間に不利になる。無言で忠告する彼へ大丈夫だと告げるように、エルは静かに何度か頷いてみせた。険しい顔だけは、どうにもならなかったが。
「そうかい残念だね、ストレスの日々は死ぬまで続くよ。――ところで、アフィンちゃんの方はどう? 価値に関わるから、傷物にしないでくれよ?」
『それはそっちの出方次第よ。傷物にされたくなかったら――』
「おいおい、誰が壊れた玩具を欲しがると思う? アフィンちゃんは可愛いままに保管しておいてくれよ? くれぐれも俺の楽しみを奪わないように」
『楽しみ?』
「壊す楽しみさ。特に純粋無垢な女の子は俺の大好物でね。それに彼女の姉には散々煮え湯を飲まされた。こいつは復讐でもあるのさ。徹底的に犯して壊して、全裸で家の前に捨ててやるつもりだ」
向かいで話を聞いていたエルが激しく非難するような視線をクライブに向ける。
彼は慌てて片手と顔を横に振った。――〝違う、ただの演技だ〟
『〝カーニバル・フェイス〟は弱い者の味方と聞いてたけれど?』
「そんな大層なもんじゃない。人気が出たら、女の子の方からわんさか寄ってくるだろ? 俺はそれを食べたいだけ。つまりお金より女の子が大好きなのさ」
『……聞いていたより、ずっと下衆ね、あなた。ちょっと気に入ったわ』
「そう? ならデートする?」
『遠慮しておくわ。それに腹黒な私はきっとあなたの好みじゃないでしょう。――それで、あなたのバービー人形はどこに届ければいいのかしら?』
「それについては後で地図データを送るよ。それじゃあ、良いトレードを期待してるよ」
楽しむような調子のまま通話を終えたクライブは、携帯からコードを外し、惜しげもなく端末をへし折って破壊し窓から放り捨てる。追跡防止のために。そこで殺意に満ちた目で睨んでくる幼馴染の存在に、大きくため息をついた。
「あのさ、そんな目で見ないでくれないかな?」
「いいかクライブ、もしアフィンに指一本でも触れたら、その頭蓋をアイスピックで砕いて酒樽に浸してやる」
「演技だって、演技! わかるだろ! 信じろよそこは!」
「どうだかな、アフィンほど可愛い子を私は知らない。本気で狙っているんじゃないだろうな?」
「おいおいおい――」
「演技にしては随分と真に迫っていた。散々煮え湯を飲まされただと? その通りだな。フン、土壇場で私を裏切るか?」
エルが憤然と腕を組んで、軽蔑した視線を向ける。弱りきったクライブは情けない顔で両手を広げた。
「ヘイ、ゾーイ、頼む、こいつになんとか言ってやってくれ!」
「あらん、アタシに振るの?」
すると運転席で愉快気に話を盗み聞きしていた褐色肌の男性――クライブの相棒ゾーイが、目をキラリと輝かせた。クライブは最も不味い相手に援護を求めたことに気付いたが、もはや手遅れだった。彼は今までの沈黙が嘘のように早口でまくしたてる。
「大丈夫よエルちゃん。そいつ貴女以外の女の子に興味ないから。いつもソファで寝転びながらエルちゃんとの昔のツーショットを眺めては、溜息ついてのよ、キモイでしょ?」
「おいこらゾーイ!」
「しかも飄々と女の子に声かけまくる割には、その気になった近寄ってきた相手がいるとすぐに袖にしちゃうのよ。なんでかって? やーね、決まってんじゃない、あなたの事を忘れられな――」
「そこまで言うな、このタマナシ! 俺の味方しろ!」
クライブが狭い車内で立ち上がって喚き――だがその瞬間、仏頂面であったはずのエルが堪えきれなくなったように噴き出していた。そのまま腹を抱えて笑い声をあげ、皆が呆気にとられてしまう。
「お、おい? そんなにおかしかったか?」
「アタシにタマが無いこと、そんなに意外だったのかしら?」
「いや……」
エルは笑いで滲んだ涙を指で拭い、笑い疲れて苦しげに息をし、深々と溜息をつく。
「……アフィンが攫われたと知ったとき、私は闇の中に叩き込まれた気分だった。ズタズタに引き裂かれて死んだほうがマシなぐらいに。だが今は、希望が湧いている。こんな馬鹿話できる余裕さえ持てた」
エルは周りを見渡し、微笑む。
「皆の助けに、本当に感謝しているよ。協力してくれて、ありがとう」
ポカンとして目を瞬いたクライブは、ややあってから脱力したように座り込む。
「君の方が演技派だな、おい」
「からかわれてばっかりなんだ。少しは返さないと、釣り合いが取れないだろ?」
「ったく……」
クライブは苦笑し、そこで運転席の男がヒラヒラと片手を振って見せた。
「ねえクライブ、場が和んできたところで、そろそろあたし達のこと紹介してもいいんじゃないの?」
「ああ、悪い、遅くなったが俺の友人たちを紹介しよう。――こっちの運転しているのが、ゾーイ。ファミリネームは秘密だそうだ。俺の使ってる秘密道具は、だいたいこいつの発明品だ。頼れる俺の相棒だよ」
ゾーイはジッとしていれば爽やかな風貌の美丈夫だった。モヒカンの黒髪、ターコイズを連想させるブラウンの瞳、鍛えた肉体だが全体的にしなやかな細身で、足がとても長い。モデルをやっていてもおかしくないような体型だ。しかし話し口調や物腰、そして艶美な流し目がその印象を全く別のものへと変化させている。
ロングのワイシャツは胸元をはだけさせ、ピッチリとしたスキニーパンツを穿き、先の尖った運転しにくそうな靴がキラキラとシルバーの光沢を放っていた。
「どーもよろしくねぇ、お二人さん。――ところでそっちのお兄さん」
「え、俺?」
急に矛先を向けられたワイアットが、ギクリと背筋を伸ばしていた。直感的に危険を感じ取ったように。バックミラーを覗きこみながら、ゾーイがその分厚い唇にニンマリとした笑みを浮かべる。
「ちょっと影のある感じがそそるわね。アタシのタイプかも。今夜一杯どうかしら?」
「あ、あー……いや、その……」
「……プッ! やぁね、ヤダヤダ冗談よぉ! アタシ、ノンケには興味ないの。まぁ本気にしちゃって、可愛いわぁ、ウハハハハハハハハッ!」
ゾーイは車体が僅かに揺れるほど豪快に笑い、ワイアットは困惑の表情のまま凍りつくことしか出来ずにいた。慣れている様子で、クライブがさらりと流していた。
「変な奴だろ? ――で、こいつはルナ・フェザーライン。色々あって居場所がなくてな、うちで面倒みてる。だらけてるけど、凄腕のハッカーだ」
続いて紹介された助手席のルナという少女は、ミルクティー色のセミロングの髪、気だるげな伏し目がちの青い目をした可愛らしい女の子だった。年の頃はアフィンと同じか少し下ぐらいだろう。ウキウキと話すゾーイとは対照的に無口で大人しく、しかしファッションは派手なパンク系――デカデカと蝶の描かれた紫のキャミソールに、黒のジャケット、タータンチェックのスカート、白と黒の縞のニーソックスに、ヒールの高いロングブーツ。口にはチュッパチャップスを煙草のようにくわえて揺らし、言外に会話の参加を拒否している。ただし先のクライブの言葉には不満があった様子で、わずかに眉をひそめていた。
「今一番仕事してるし。――ベン、そっち右」
「ベンって呼ばないで言ってるでしょ。今はゾーイよ」
「ゾーン」
「混ぜんな」
ゾーイが低い声で叱責し、どこ吹く風とルナがパソコンを淡々と操作する。
立体デジタル画面上にはいくつものスクリプトが起動し、ルナはゲームでも遊ぶような感覚でそれらをフリックしては画面外に弾き出して消している。何の操作かは不明だが、中央に一番大きく表示されたカーナビの地図が現在地でないことだけはわかった。何かを追跡しているように見え、半ば答えを予感しつつもエルは身を乗り出して尋ねる。
「それは何の画面だ?」
「これ? 誘拐犯の居場所。さっきの電話から、誘拐犯のGPS情報を割り出した。案外と近い場所を車で移動中みたい」
振り返ってさらりと告げるルナに、エルは思わず苦笑を浮かべる。FBIにスカウトしたいほど見事な腕前だが、やってることは立派な違法行為だった。
ただし今はそれをやめさせるわけにもいかず――
「……私は何も見ていない。が、独り言で『良い仕事だ』と言っておくよ」
そうしてエルは目を伏せながら、元の位置へと座り直す。
そこでワイアットがクライブに尋ねた。
「どうして居場所を探る必要が? 交換場所を選ぶ権利はこちらにあるんだろう? 下手に探って向こうを刺激しない方がいいんじゃ」
「なるべく準備の時間を稼ぐためさ」
「準備? 何の?」
あるいはその問いを待っていたかのように、クライブは芝居がかった調子で人差し指を立ててウィンクしていた。
「もちろん、〝カーニバル・フェイス〟による愉快なイリュージョンの、な」
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