第7話 魔手
「本当に撃てるんですか、これ?」
ソファで煙草を吹かしていたジルグムに、いつの間にか傍に現れた少女が問いかけた。
いかにも疑わしそうに、胡乱気に目を細めて。
「そうでなきゃ困るね」
などと言いつつも、特に緊迫した様子もなくジルグムは軽く笑っていた。懐疑的な相棒に対して楽観的な自分――丁度釣り合いがとれていると彼は思っている。
彼等がいるのはまるで飛行機の格納庫のように広く天井の高い屋内であった。部屋の端々に大量の粗大ゴミが積み上げられている。その中からジルグムはまだ使えそうなソファを持ち込んで空間の隅に設置し、自室のようにくつろいでいた。元々彼が隠れ家に用いていた部屋は、どこぞのこそ泥に場所を突き止められたために、引き払うしかなかった。
ジルグムはソファの手すりに置いた灰皿に煙草の灰を叩きながら、視線の先で働く男達を眺め、嗜虐的とも取れる微笑を浮かべる。
「――ただ彼等も命がけだ、半端な仕事はしないよ」
「バカな人達ですね。死にたくないからと、必死で人殺しの兵器を作るなんて」
少女――フェルが可愛らしい顔をしかめて侮蔑も露わに鼻で笑う。年の頃は一八前後。腰まで伸ばした金色の髪と、同じように輝く金色の瞳。とても愛らしく、しかし痛烈なまでに妖しい。艶美な笑顔で近づき、首筋に喰らいつく吸血鬼のように。身を包むブレザーの制服はニューヨークでも屈指の名門校のものだが、まず間違いなく彼女は通っていないだろう。その少女はジルグムにとって唯一腹の底に秘めたものを打ち明けられる、全幅の信頼を置いたパートナーだった。その化けの皮を剥がした中身が、決して見た目通りの可愛らしい女の子でないという秘密も知っている。
「だがそのうち愚かしさが愛おしくなる。この出来損ないを作った愚かな天才のおかげで、計画は随分早まったからね」
「ま……しっかり傍観させてもらいますよ? 私、あんまり働きたくないんで」
「結構。この舞台の主役は私だ」
芝居かかった調子で告げ、ジルグムはゆったりと大麻を吹かす。大して美味くもなかったが、身体に染み付いた習慣というものはそう簡単には拭えないらしい。煙草しかり、人殺ししかりである。ジルグムとフェルが語らうそのすぐ手前には、見上げるほど巨大な大砲のような兵器が置かれていた。
何十枚もの歯車を組み合わせたような巨大タービン。――まるで中央がくびれたパイナップル。そこに直結する砲身は戦艦の主砲並みに長大。その周囲には固定具のようにタラップが取り付き、複数名の男達が整備に勤しんでいる。
そう――彼等がテロリストの仲間と共謀し盗んだレールガン――〝チューバ・ミルム〟は、出来損ないの兵器の汚名を返上すべく、着々と発射の準備が進められていた。もっとも、発射に必要なエネルギーは当然として未だ得られておらず、今のままではただの巨大な模型とさして変わらないのだが。
「そうだ、それより例の物は?」
ジルグムはふと思い出して尋ねる。その調子を傍目に見れば、よほど重要な案件と思ったかもしれない。ただし実際は野暮用もいいところであった。
フェルは学生鞄に無造作に突っ込んでいた大き目の紙袋を取り出した。
「朝食ですか? ちゃんと買って来ましたよ。あなたっぽいやつを」
ジルグムは煙草を灰皿に押し付け、袋を受け取り、その中身を見て笑みを浮かべた。
たっぷりのフライドチキンが、まだ揚げたての温かな湯気を発していた。
「おお……すごく良い臭いだ」
「ここはゴミ臭くてわからないですよ、全然」
わざとらしく鼻を摘むフェルの不満にはまるで構わず、ジルグムはいそいそと取り出した一つにさっそくかぶりつく。
「んんっ、美味いな。仲間集めに五年世界を飛び回ったけど、やっぱり私にはこれが一番合ってる」
まるで腹をすかせた子どものようにチキンをがっつきはじめたジルグムに、フェルはさも呆れたように肩を竦める。この無邪気な姿を見て、誰が彼を世間を恐怖に彩った〝ニューヨークの切り裂き魔〟だと思うだろうか。
「食欲出ないので、私の分もあげます」
「おいおい、注意しなよ? 人間はお腹が空いたら死ぬんだ。君の魂は悪魔でも、もう身体は人間なんだからね。魂と肉体を結びつける以上、肉体の死は魂をも引きこむんだ」
「したり顔で言われなくても知ってます。が、一食ぐらいは平気です。――いいですか、人間の女は空腹よりも美を優先する傾向があるんです。これも立派に、人間らしい行動なのですよ?」
そこでフェルは腰に手をあてこれ見よがしに扇情的なポーズを取る。人の世界に不満ばかりの彼女ではあるが、その新たな身体に関してのみ概ね満足しているらしい。
ジルグムは指についた脂を舐めながら、にんまりとして称賛を送る。
「確かに美しい。君、良い身体を手に入れたね」
そんな彼らの語らうソファの傍らには一つのマネキンが放置されていた。
物にあまり執着を持たないジルグムだが、それだけは五年前から後生大事に取り置いている。言わば記念品だ。もはやそこに魂は無いが、こいつにも最後の瞬間を見せてやりたいという、特に意味の無い感傷のような思いがあったのだ。
ああ我ながら人間らしくなったものだと、彼も自分を嗤わざるを得なかった。
◆
プエブロ新遺跡は〝ユグドラシル〟と同じく、紀元前約四千年――世界最古とされるメソポタミア文明よりも更に以前、人類がかつて今以上の英知を極めたとされるグロリア文明の建造物だ。一説ではその技術は幻の大地アトランティスから持ち運んだものとも言われているが、真相は定かではない。
ある日を境に、人類史から忽然とその文明は消えた。壊滅時の記録がほとんど無いため、原因は何もかも不明。やがてアメリカ大陸で栄えたアメリカン・インディアンたちだけが、その謎を知っていたとも言われている。もちろんそれも都市伝説程度の信憑性。
そんな謎だらけの――近年まで存在の真偽のほどすら定かではなかった時代の数少ない遺物。そのひとつが〝
「それが〝リッパー〟の次の狙い?」
不意にリナリスが背後から画面を覗き込み、エルはドキリとして跳ね上がった。
彼女のパソコンのモニターには〝
「おそらくな。情報屋から得た情報だ。確度の程は、五分五分といったところかな」
「じゃあ、一度見に行く?」
「ああ、それが良さそうだ」
情報源に関しては特にリナリスも深く追求しなかった。捜査官と言えどあらゆる情報に通ずるためには、多少グレーゾーンに足を突っ込むこともある。軽犯罪に手を染める小物を見てみぬ振りをし、その者が持つ情報で大物を釣り上げるのだ。故に必要に迫られない限りは、細かなことは見過ごす方が良いと判断されることは多かった。もちろんリスクに関しては自分で責任は持たねばならないが。
努めて平然を装っていたエルに対し、そこでリナリスが若干怪訝そうに目を細めていた。
「ところでエル、何かあったの?」
「え?」
「ちょっと顔に隙のある感じがする。いつもより怖くないわ」
言われてエルは思わず頬に触れ、そこで苦笑する。
「私がいつも怖い顔をしているみたいじゃないか」
「してるわよ。いつもこんな――」
「リナ」
エルが厳しい目をして窘め、リナリスはあっさり降参し手を合わせる。
「ごめんごめん、冗談よ。でも様子が変だと思ったのは本当」
「特に何も……今後は引き締める」
「あら、残念、ふわっとしてて可愛かったのに」
「からかうな」
「あー、いいかなお二人さん?」
そこで遠慮がちに近寄ってきたワイアットが、奥の専用オフィスを指差す。ガラス壁の向こう側でリーダーであるビルと副官的存在のロックスが何かを話し合っていた。
「ボスがお呼びだ。今から会議だって」
「わかった、すぐに行くわ。――ごめんなさい、声かけにくかったかしら?」
「まさか。ボスの言伝を預かる方が緊張したよ」
ワイアットはジョークを告げて微笑む。昨日に比べて仕事熱心な物腰――あるいはエルに対するアピールかもしれない。もちろんエルは特に感心もしていなかったが。
一分後には会議室の席に七人が集っていた。エルとリナリスにワイアットを一時添えたチーム――ジルグムの捜査を担当。巨漢ゼルギウスと見た目少年であるベテラン捜査官オズワルドのペア――〝チューバ・ミルム〟の追跡。リーダーのビルと相談役のロックスのコンビ――その両方を取り扱い、指揮する。前口上などなく、ビルが早々に本題へと入る。
「〝リッパー〟の中東での情報を洗った。そこで引っかかったのがこの女だ」
全員に配られた資料には一人の女性の写真と経歴が記載されていた。それと同様の情報がパワーポイントで会議室のモニターに投影される。
「シャルロット・ティナ・フェルディーニ?」
「どこぞの貴族みたいな名前だな」
「ごきげんよう、皆々様」
ゼルギウスとオズワルドが茶化し、ビルが厳しい視線を向ける。
「スラム出身だ。偽名でないなら没落貴族か、捨てられた妾の娘といったところだろう。まあ、彼女の生い立ちはこの際どうでもいい」
シャルロットは三〇代、写真でも艶美な雰囲気を放つ黒髪の女だった。その鬱屈とした濁りのある瞳を見て、エルは彼女を一瞬で嫌いになる。骨の髄まで腐った悪人の目だ。
「この女は三年ほど前まで我が国で暗殺業を生業にしていた。素性が明らかとなって指名手配された後は海外を転々としながら傭兵として活動していたようだ」
モニターに過去彼女の起こしたものと思われる事件の写真が表示される。被害者は基本的に男性。ベッドの上で首をワイヤーで絞め殺されているケースが多い。性行為中に殺害するというのは典型的な女性暗殺者のやり口だ。ただしシャルロットは場合によって万能に対応するらしく、狙撃や刺殺の例もあった。その多芸は転職にも役立ったのだろう。
「上院議員の暗殺容疑まであるのか」
「真相究明のために、CIAもこの女を血眼になって捜していました」
資料を見ながら驚き呟いたエルに、ロックスが捕捉を告げる。ビルが頷き、ラップトップパソコンを操作してパワーポイントの映像をスライドさせた。
「中東での活動記録もある。紛争地帯にて反政府側に武器を流すパイプ役を請け負っていたようだ。そこで調べ上げたリストの一部だが、ここを見てくれ」
ビルが指示棒を使って、押収品の発注資料の文字の一部を示した。ローマ字表記はされているものの、明らかに英単語ではない。〝Bizenosafune〟
「ドイツ語かしら?」
リナリスが眉を潜め、そこでワイアットがハッとして告げた。
「日本語だ。備前長船。ジルグムが愛用している日本刀の名称だよ」
「日本刀? お前の兄貴はニンジャにでも憧れているのか?」
からかうようにオズワルドが告げ、ワイアットは苦笑交じりに事情を語る。
「祖父が日本人で、小さい頃から剣術を習っていたらしいんだ。ジルグムにとって祖父と刀は〝力〟の象徴だ。祖父が亡くなった後も、我流で腕を磨いていたらしい。俺はあんまり興味なかったんだけど……」
少々複雑そうな顔をしてから、ワイアットは切り替えるように頭を振り、更に説明する。
「日本刀はただのナイフなんかとは比にならないほど、とても丈夫な刃物だ。そこに魔力的加工を加えれば更に丈夫となって長持ちする。けど……そうと言っても限度がある。特にジルグムの斬り方は強引な力技だ、いつへし折れてもおかしくない」
「つまり、替えが必要になる?」
「そう」
話を聞き、エルも段々と飲み込めてきた。
「中東では〝リッパー〟とサマドが共同で反政府活動し、そこにフェルディー二が武器を流していた、ということか?」
「推測の域だが、おそらくそう見て間違いない。その証拠にフェルディー二はつい先週、このニューヨークに姿を現している」
更にスクリーンの映像がスライド。今度は人々の多く映る空港の広場を俯瞰した写真だ。
そこにはカツラ等で変装こそしているものの、シャルロットと近しい風貌の女性が映っている。
「これは先週のニューアーク・リバティー国際空港の監視カメラの映像だ。偽造パスポートの疑いで調べていたところ、彼女の正体が明らかになった」
エルはそれを見て、ふと昨日のクライブの言葉を思い出していた。
「……仲間、か」
「どうした、エル?」
彼女の独り言に、ビルが耳ざとく反応していた。エルは慌てて背筋を伸ばす。
「あ、いえ、情報屋から次に狙われる品が何か、情報を得ていたんです」
「……ほう? それは何だ?」
「〝
いつも明朗な口調で語るエルにしては珍しく、嘘をついた罪悪感から尻すぼみになる。
だがビルはかまわず頷いていた。
「報告遅れは失点だが、おかげで狙いが絞れた。お手柄だ。――エル、リナ、それにワイアットは早速、博物館の張り込みに向かえ」
「ボスは行かないのですか?」
「ああ。もう一点、気になる情報があった。今朝ブルックリンの廃工場で、中東系の男が入り込む姿を見たと、迷子の犬を捜していた近所の住民から警察に通報があったらしい。その後調査に向かった市警によると、無人ではあったが事件性の高いものを発見したようだ。そちらは私とロックスが向かう。お前たちは館長と話をして警備状況を確認し、以降は張り込みにつけ。もちろん犯人を警戒させないよう、下手に警備レベルを引き上げるな。こちらの調査が問題なければ、我々も後で合流する」
「了解しました」
「それで、俺達は?」
ゼルギウスの問いに、ビルは資料を手早く片付けながら答える。
「引き続き例の『出来損ない』の行方を探しつつ、ここで待機だ。何かあれば援護は頼む」
「了解」
「話は以上。解散だ」
ビルとロックスが早々に会議室から立ち去り、ゼルギウスが隣のオズワルドにいた。
「楽できそうだな」
「俺は現場のほうが気楽だ」
「そりゃまあ、坊やは家で勉強よりお外で遊びたいわな」
「黙れプラモデル野郎」
二人の言い合いは、まるで親子喧嘩。
いつものじゃれ合いなので誰も止めはしない。エルとリナリスも資料を抱え立ち上がる。
「大きな進展――とはいえ、ここからは持久戦になりそうね」
うんざりとした調子でリナリスが嘆き、エルが微笑む。
「だが喜べ、無料で展示物を眺められるぞ」
「興味ないわ。自由研究の課題もないしね」
「俺も人の方を眺めておくよ」
ワイアットも溜息混じりにリナリスに同意していた。
どうやら二人とも隕石や恐竜の化石は好きではないらしい。なので、エルは先ほどの冗談が半ば本気であったのは黙っておいた。
「エル」
会議室を出て、ひとまずデスクに車の鍵を取りに向かったところで、後方からオズワルドが呼び止めていた。見た目小さな少年の捜査官は、彼女の隣を過ぎ去りながら気遣うように告げていた。
「お前は優秀だが、まだまだ新米だ。連絡があればすぐに駆けつけるから、くれぐれも無茶はするなよ」
「あ、ああ、了解したよ」
不意を衝かれて、エルは目を丸くしつつ頷く。そうして立ち去るオズワルドを唖然として見送っていると、後から続いたゼルギウスもまた不思議そうに顎に手を当てていた。
「オズが人の心配なんて珍しいな。ゴマでもすったか?」
「そういうタイプに見えるか?」
「確かに生意気だ」
ゼルギウスは低い声で呵々と笑う。女性にしては長身のエルだが、この七フィート越えの大男と並び立つと、たちまち小さな少女のようであった。その点でエルはいつも妙にホッとした気分を味わう。足の長さは彼女にとって自慢でもありコンプレックスでもあった。
「そうだエル、あのワイアットって野郎には気を許すなよ。あくまでも殺人鬼の弟だ」
「わかっているよ、心配するな」
おざなりな返事にゼルギウスは腰に手をあて軽く溜息をついた。たしなめるように。
「エル、真面目な話だ」
「大丈夫だ。変な動きを見せたら、容赦なく撃ってやるさ」
エルは人差し指と親指で銃を作り、ウィンクしながら『バン』と告げる。その指先には、エレベーター前でリナリスと共にエルを待つワイアットの背中。
ゼルギウスは再び笑い、彼女の背中をポンと叩いた。
「ならいいんだ」
「なんだ二人して。まるでお父さんだな」
「よせよ。娘より先に嫁さんが欲しい」
ゼルギウスは立ち去りながら嘆く。今度はエルが笑う番であった。
◆
アッパーウエストサイド、ブロードウェイ沿いにあるステーキハウス『エストレージャ』。そこがエルの妹アフィンのアルバイト現場であった。
「グリルステーキセットのお客様、お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」
とびきりのスマイルを浮かべてから、アフィンは料理を置いたテーブルから立ち去る。そうして運ばれてきた鉄板焼きのステーキにも手をつけず、学生の男性客はその後姿――特に揺れる短いスカートとその先に伸びる真っ白な足を食い入るように眺めていた。
可愛く、人当たりも良く、おまけに胸も豊満――男性客から人気が出るのも自明の理である。男達が彼女に対してどのような劣情を抱くのか、一五歳のアフィンとて全くの無知というわけではない。が、『触らない限りは罪は無い』と割り切る程度に肝も据わっていた。
また、ここの店長であるラトリーシャはアフィンの母親の友人であり、元ルチャリブレの女チャンピオン。店員に少しでもちょっかいを出す客がいれば躊躇いも無くゴリースペシャルをお見舞いする。頼もしい店長のおかげでウェイトレスは皆、安心して働けた。
ちなみにエルは店の定休日に、たまにラトリーシャから色々とルチャの必殺技を教えてもらっているらしい。――ますます人間離れしていく姉に、妹としては少々複雑。
「アフィンちゃん、お疲れ様。今日はもう上がっていいよ」
ランチタイムのピークが過ぎたところで、ラトリーシャが告げた。笑顔の眩しい、恰幅のある黒人女性だ。日曜の昼だけに忙しかったが、アフィンは疲れも見せずにっこりと微笑み返した。
「ありがとうございます。それじゃあ、お先に失礼しますね」
更衣室でウェイトレス服から着替えるアフィンを、隣で先に着替え終えた同僚のジーナがまるで目を奪われたように見つめていた。若々しく可愛らしいそばかすがチャームポイントの少女だ。学校こそ違うが、歳が近いことから、アフィンがここでバイトを始めてすぐに仲良くなった子だ。そんなジーナの食い入るような視線に気付き、アフィンは困った顔でシャツを胸元に寄せた。
「ジーナ、あんまりジロジロ見られたら、恥ずかしいよ」
「ごめんごめん、ちょっと羨ましくて。――はぁ、幼い顔して何でそんなにスタイルいいのかしら」
「幼い顔は余計。もう、気にしてるのに」
そこでアフィンはロッカーに備えついた鏡を見て、軽く溜息をつく。顔つきは姉のエルとそっくりなのだが、大人びているエルに対して、どうにもアフィンは幼い印象が強かった。もちろんまだ一五なのだから、まだまだ成長は見込めたが――二年前から胸しか成長していないアフィンは少々の焦りを覚えていた。
「いいじゃないエロ可愛いんだから。まったく、あなたほどの女の子にボーイフレンドがいないなんてまだ信じられないわ」
「お姉ちゃんより強い子じゃないと、お姉ちゃんに殺されちゃうよ」
「相変わらずお姉ちゃんの言いなり?」
「そういう言い方しないで」
「事実じゃない。お姉ちゃんが怖くて男の子と付き合えないんでしょ?」
「違うもん。お姉ちゃんを悪く言わないでよ」
ジーナは基本的に気の良い娘だが、お節介でズケズケ物を言うのが玉に瑕だ。
無論、アフィンとて年頃の娘だ。異性に何の興味もないわけではない。
しかしわざわざ姉に歯向かってまで付き合いたいと思うような男子にもめぐり合ったことが無いのも事実だ。もちろんデートを重ねることで好きになることもあるだろうが、イマイチそれも乗り気ではない。だがそうした考えもまた姉の影響といわれれば――少々言葉がつまるところではある。エルのプラトニックな恋路に、アフィンは婚期の遅れを心配する一方で、憧れる気持ちが無いと言えば嘘になる。
だがそんな話は友人相手とはいえおいそれと話せるものではなく――
着替えを終えたアフィンは、切り替えるようにパタンと強くロッカーを閉めていた。
「ほら、そんなことより早く行きましょう。今日は思う存分スカッシュしたいんでしょ?」
「んー、そうね。向こうでゆっくり続きを話しましょう」
「お願いだから忘れて」
アフィンは苦笑しつつ、友人の背中を両手で押す。
しかしそうして二人が店の外へと出たところで、アフィンは大変なことに気がついた。
「あ、ごめん、お財布ロッカーに忘れてきたみたい。ちょっと待ってて」
「オッケー」
ジーナが気軽に応じ、アフィンは急いで事務室へと舞い戻る。だがてっきりロッカーに忘れたものとばかり思っていた財布は、その休憩所のテーブルに無造作に放置されていた。
アフィンは目を瞬き、そちらへと近づく。
「あれ、おかしいな、なんでこんなとこに――」
「こんにちは」
「きゃっ――」
アフィンは小さく悲鳴をあげて振り返る。てっきり無人かと思っていたが、内開きの扉を開けると死角となる位置に、一人の人物が腕を組んで立っていたのだ。
「あ、ごめんなさい、ビックリして――」
アフィンは驚きすぎた自分に思わず笑い、しかしその見知らぬ人物に首を傾げる。
高級そうなダークスーツに身を包んだ三〇代の女性だ。柔らかく微笑みを浮かべているものの、目元は笑っていない。何故かその目を見ていると、巣にかかった獲物に歩み寄る蜘蛛の姿が思い浮かぶ。アフィンはうまく説明し難い直感的な不安を覚えつつも、曖昧な微笑みを浮かべて対応した。
「――えっと、店長のお客様ですか?」
すると女性は壁から背を離し、人当たりのいい笑みを浮かべ数歩歩み寄ってくる。
「いいえ。あなたのお姉さんの友達よ」
「お姉ちゃんの? あ、ひょっとして……?」
「ええ、察しの通り。――クリスティナ・ミラー特別捜査官よ、よろしくね、可愛い妹さん」
アフィンはそれを聞いてホッとしたはずであったが――何故か無意識の内に、詰められた分の数歩、後ろへと下がっていた。本能的にその女性が放つ何かに危険を感じ取っていたのかもしれない。だが当然として、アフィンは知らなかった。その女性が姉の職場で数分前に議題に上がっていた――シャルロット・ティナ・フェルディーニという名の元暗殺者であることなど。
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