第4話 殺人鬼の弟

「今朝、アメリカン・インディアン博物館で殺人強盗が発生した。犯行時刻は午前五時頃。被害者は警備員八名、全員がバラバラに切断されて殺されていた」

 FBIニューヨーク支部の本拠、連邦ビル――凶悪犯罪課の取調室。青年は螺子で脚を固定された机を挟んでビル・ラングフォードと向かい合っていた。

 今年で五五歳になる課の現場指揮官。白髪の混じる髪を後ろに撫で付けてまとめた初老の男性。しかしがっちりとした体躯は、彼がまだまだ現役であることを物語っている。

 そんな彼と同室しているだけで、威圧感に空気が張り詰めた。

「この殺害方法には見覚えがあるだろう?」

 ビルは机に置いたファイルの一ページを開き、躊躇いもせずに机に置いて青年へと見せる。そこには数枚の写真が添付されていた。瞬間、青年――ワイアットは油を無理矢理飲まされたかのような、堪えきれないまでの嘔吐感と嫌悪感を覚える。見覚えがあり見慣れているといっても、それは彼にとって人生最大のトラウマ。受けた衝撃は大きい。

 写真は赤だった。どれをとっても、鮮烈な赤。人間のバラバラ死体が、様々な角度から映されている。人の肉が、まるで生肉店のケースに並べられる商品のように斬りに分けられている。どれほど特ダネに飢えた記者が手にしてもまず間違いなく掲載は差し控えるであろう、あまりにグロテスクな写真だ。いよいよもって悪夢の再開は明白となり、ワイアットは大きく溜息をついた。

 黙示録のラッパが聞こえた方が、彼にとってはまだマシであった。それは最悪であっても、まだ他人が引き起こしたもの。実の兄が引き起こしたものではない。

 ジルグムの弟――ワイアット・バーンレイドは、げっそりと頬がこけた、見るからに不摂生の祟る男性だった。若い見た目をしているが、今年で三二歳になるため、青年と呼ぶのは誤りかもしれない。彼は人生に多くの絶望と挫折に晒され、疲れきった表情をしている。ただ兄と同じく元の顔立ちはハンサムであり、若かれし頃はさぞ女性に持て囃されたことが予想できた。

「ジルグム……」

「そう。〝ニューヨークの切り裂き魔〟ことジルグム・バーンレイド。君の兄の起こした連続殺人、その殺害方法に酷似している。真似しようと思って真似できるものじゃない」

 初老の捜査官は眉一つ動かさず、淡々とした口調を保っている。事実に感情を交えず、ただ情報として処理しているように。暦年、凶悪犯罪に関わることで洗練された鋼の精神がそこには具現されている。嘔吐寸前のワイアットの反応こそ極めて人間らしいものだが、今このときばかりは彼の鉄の心が羨ましかった。

「そしてこっちが、監視カメラに残されていた映像です」

 ビルの後方に控え佇んでいた別の男性が、新たなファイルをワイアットの前に出した。

 今し方の惨殺写真を下に隠す、さりげない気遣い。

 ロックス・ロナード。短く整えられた銀髪に、灰色の瞳、知的な雰囲気のある細いフレームの眼鏡。年の頃はおそらく三〇代半ばだが、二〇代と告げても通用する。

 柔和な微笑を常に湛え、人懐こい雰囲気を漂わせている。彼が見せた写真は、さっきのような猟奇的な代物ではなかった。

 だが、ことワイアットに対してそれは、心にナイフを突き刺すあまりに残酷なものだった。酷い追い打ちを受けて、目を逸らしたくなる衝動を堪えきれず、彼は今度こそ両手で頭を抱えてしまう。ビルがほんの数秒だけ待ってから、尋ねていた。

「間違いないかな?」

 その写真は博物館の外に設置された監視カメラの、動画の一部を切り取ったものだ。

 堂々と歩むジルグム・バーンレイドの姿が俯瞰で捉えられていた。鮮明とは言いがたくとも、ワイアットがその男を見間違えるわけがない。ワイアットは今にも泣き出さんばかりに目を赤くしながら、頷いた。

「だが……やつは五年前に死んだはずだ」

「そうだ。検死医が死亡確認した記録がある。が――」

 ビルの言葉を受けて、ロックスがタイミングよく引き継いだ。

「今さっき発覚したばかりの情報ですが、当時担当だった検死医は、事件直後に辞職し行方が知れません。おそらくジルグムの死を偽装する手伝いをしたものと思われます」

 そこでワイアットが手錠の理由に得心が行き、どこか開き直ったような投げやりな調子で椅子にもたれた。

「……なるほど、ジルグムが生きているなら、俺がその手伝いをした可能性が高いと考えるわけだ」

「罪を認めるのかね?」

「まさか、侮辱もいいところだ。俺は五年前、やつを逮捕するために尽力した。あいつは俺の人生を滅茶苦茶にした。今でも忘れられない悪夢だよ」

 五年前、当時彼は二八歳の若手でありながら、次々と犯罪者を逮捕し、異例の出世で警部補まで昇進していた。だがそこで、栄光を一気に終わりにする事件に直面した。それが彼の二つ年上の兄ジルグムの引き起こした連続殺人事件だ。ワイアットは追い詰める寸前まで、兄が犯人であることを知らなかった。ジルグムはワイアットが一三歳の頃、両親が刺殺された事件と共に行方不明になっていた異父兄弟。てっきり犯人に誘拐され殺されたものとばかり思っていたが、兄自身が犯人であったことが、再開の瞬間に明らかになった。兄自身が打ち明けたのだ。その時のショックのあまり、ワイアットは最後の瞬間をおぼろげにしか覚えていない。まるで夢の中の出来事のように。ただし朝が過ぎれば忘れ去るような生易しいものではなく、五年に渡り彼を覚めない悪夢に引きずり込んだ。

 目の前で倒れるジルグム。血溜まり。ワイアットの銃が彼を撃ち殺したという事実は、後に病院で聞かされた。――兄を殺した自責。女達の死に顔。被害者達を自らが手にかけたような罪悪感。いつまでも悶々と苦しみ続けていた。だが――

「やつはたぶん、姿を消す必要があったんだ」

「何のために?」

 ワイアットの推測に、ビルは僅かに眉をひそめる。

「死人として身を潜めるために……いや、どこか別の場所で密かに活動していたのかも」

 五年に亘って蜘蛛の巣が張り詰めていたようなワイアットの頭が、次第に鮮明になっていく。ジルグムが死を偽装していたとするならば、ワイアットを散々責め苛んだ悪夢もまた偽りだったということだ。殺人鬼とはいえ兄を死に追い詰めた苦悩も。兄が何故そのような蛮行に至ったのか、何もかもわからないままに真実を失った苦痛も。

 まだ事件が解決していないならば、ワイアットが一人苦しんでいる場合ではない。

「まだ肝心なことを聞いていない。やつは博物館で何を盗んだ? この五年間の沈黙を破ってまで、いったい何を?」

 その問いかけを待っていたように、ロックスが更にファイルを追加で置いた。

 新たな写真は、真っ黒なルービックキューブのような代物だ。その隣は博物館のケースが綺麗に真っ二つに切断されている写真。かなり豪快な盗みの手段だ。

「プエブロ新遺跡の発掘調査で発見されたオーパーツです。名称は〝スター・キューブ〟」

 今ひとつピンとこず、ワイアットは目を瞬かせる。

「歴史も骨董もあまり得意じゃない……これは、人を殺してまで盗む価値があるのか?」

「用途不明の代物ですが、未知の材質で作られているため、価値は高いとされています。推定落札価格は五〇万ドルですね」

「……」

 ワイアットは説明を聞いても、釈然としなかった。彼は元警察官だが、FBIに精通するプロファイリングも学んでいる。過去の犯罪者の傾向から類似するものと照らし合わせ、犯人像を大まかに浮かび上がらせる技術だ。その観点で見るに、ジルグムは典型的な快楽殺人者だった。殺人行為そのものに性的興奮を覚えるタイプのものであり、そういった類いの人間は己が欲求を満たすことに尽力するため、それ以外のものに興味が薄く、泥棒などという行為に手を染めるのはどうにも腑に落ちなかった。

 そもそもにおいてカテゴリーが違う犯行なのである。だとするならば――

「ジルグムはこれの用途を知っているのかもしれない」

「……というと?」

「あの男は金に興味なんてない。というより、金で買えるものに興味が無いんだ。人殺しだけを悦楽にして生きている」

 ワイアットの意見に、ビルは何度か頷いていた。

「……つまり?」

「これは人を殺すための何かなのかも」

「ふむ……なるほどな」

 ビルはまた頷く。無表情のまま、言葉の一つ一つをしっかりと頭に記憶するように。

 ワイアットは胸の内で長年消え失せていた情熱の火が灯るのを感じながら、軽く身を乗り出して懇願した。

「ラングフォード特別捜査官、俺にもこの事件解決のために協力させてほしい。出来ることなら何でもする」

 ビルはその提案を意外そうともせず、ただし今度は頷かなかった。

 傍らに控えて個人的発言を控えるロックスは、顎に手をあて腕を組んだ状態で、チラリと横に目を向けていた。そちらには大きな鏡。おそらくはマジックミラーで、隣の部屋ではワイアットを捕らえてきた捜査官二名がこの状況を見ているのだろう。

 しっかりと時間を置いた後、ビルは落ち着いた調子で告げた。

「ワイアット元警部補。君の容疑はまだ晴れたわけじゃない」

 そこに至ってようやく、ワイアットはこの初老の捜査官が黙って相手に語らせて情報を得るタイプであることを悟った。元警部補の推理に納得したように頷きながらも、その実、彼はジルグムではなく目の前の容疑者を推し量っていた。

「君の推測は面白い。だが証拠は何ひとつ無い。違うかな?」

「俺はやつの思考を読んで、前の事件では逮捕直前まで追いつめたんだ。今回も役に立てると思う」

「そうだろうか? 君の能力には正直疑問がある。調べさせてもらったが、五年前の事件後、君は心に大きな傷を負った。その後は様々な仕事を転々としながら、酒に溺れ、逮捕歴さえある」

「忌まわしい過去を忘れたかったから、酒を飲むしかなかったんだ。逮捕されたのも酔った相手にからまれただけで、俺からは何もしていない」

 ワイアットは相手の言い分に腹を立てたりせず、丁寧に落ち着いて反論した。

 ここで激情に駆られているようでは、捜査に加わる資格はなく、またビルもそれを試しているのではないか、と思ったからだ。

「勘が鈍っていないという保証は?」

「今の供述が全てだ。それで判断してくれ」

「まあ悪くはない。だが君が誤った方向に我々を誘導するかもしれない」

「あなた達がそれを見抜けないような間抜けなら、ジルグムは到底捕まえられない」

「――ははっ、言いますね」

 思わずと言った調子で、控えていたロックスが笑っていた。ビルがそれを窘めるように一瞥を送った後、再びワイアットに目を向けた。その威圧するような鋭い視線に気圧されず、ワイアットは畳み掛けるように言葉を紡いだ。

「ジルグムは両親を殺した。なんとしても捕まえたい。好きに見張りをつけてくれていい。盗聴器でも、手錠つきでも、何でも。必ず結果を出す」

 ビルは彼の瞳をまっすぐに見据え、そして最後の質問をした。

「もし兄と再開したとき、君は彼を撃てるか?」

「もちろんだ」

 迷わずに頷き、そこでワイアットは捕捉した。

「ただし手錠をかけるのが優先。更に言えば俺に銃の所持を許可してくれるならば、だが」

 その返答に満足したのか、ビルは初めて口の端を僅かに緩め、微笑を浮かべる。

「銃はともかく――捜査協力に関しては、検討しよう。しばらく待っていろ」

 ビルはファイルを纏めて早々に立ち上がり、ロックスを率いて部屋から退室する。彼らを見送った後、ワイアットは深々と溜息をついていた。

 ひとまずの試験は及第点には達したと見て。

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