情熱と音楽の国の魔王


情熱と音楽の世界に朝日が昇る

すべての生命に恵みを注ぐ

例えそれが魔の者たちであっても、容赦なく照りつける


「ぎゃあああ!」


まばゆい朝日の下で元乙女の絶叫が響く


頭ががっちり腕枕ホールドされて、銀の悪魔に抱きしめられている

すーはーすーはーうなじに顔を埋めて満喫されている。鼻息がこそばゆい


「なんでどうしてベッドの中にいるの」

「あるじ様の寝息を直に感じたくて。ああ、もう朝日が昇るなんて夜は短いですね」

そういう問題じゃない。なぜズボンの紐を解こうとするんだ


「うおお、離れろ!!」


どごっ


思い切り肘鉄がきまる

吹っ飛んだディレイが「ありがとうございます!」とか口走っているが、気にしてはいけない


「うっ、う、どうしてこんなことに……」

こーさまのおはようボイスで爽やかな朝を迎えるはずが

なぜ朝っぱらから変態に襲われて、貞操の危機を感じねばならぬのだ。


うっ、う、なんだこれ

本で読んだ物語と違う。王子様の「お」の字もない。訊いていた話じゃない。なんだこれ、責任者を出せ。

じりじりと類の瞳に涙の粒が灯る。


「ねえ、ルーインさま、もっともっと。骨の一、二本折れたって構わないんですよ」

ご褒美を期待したディレイがチラチラと主を伺う。


魔王様の栄えある世界再臨第一日目は、こうして幕をあけたのである


***


腹が減ってはなんとやら


「うわー豪華!」

テーブルにぎっしり並んだフルコース。寝起きの受難も忘れ、思わず歓声が漏れる。

まさにファンタジー。

中世ヨーロッパ的にガチな干し肉とかしかなかったらどうしようかと思ったが、全くの杞憂だった。

スイーツだけでも何十種もある。お皿の柄まできっとこだわっているのだろう。オーナーの真心が伝わってくる。

トロトロのオムレツに仔牛肉のソテーオーロラソース。シャキっと詰みたての青野菜のサラダ。さんま。

うんっ!?さんま!?

さ、さんまはおかしいがとにかく素敵な朝食だ


「主様にこのような粗末な御食事で申し訳ないです。神の目を欺き、あなたのお身体を生成できる辺境には、このようなみすぼらしい宿しかなく……。」


ディレイが不服そうにぶつぶつ言う

こ、これで粗末ならば一体何を食していたんだ


「都に出ましたならば、私の所持する最高級ホテルで、金箔スイーツをお腹壊すほどたべましょうね。私の膝の上で、恐怖にあえぐ愚民どもを見下ろしながら」

色んな意味で食べたくない



お腹がいっぱいなるとどんな時でも幸福を感じてしまうのはなぜだろう


しゃりしゃりと青草を踏みしめてあたりを探索する。


のどかだなあ

澄み切った朝の空気がおいしい


遠くに牛がのんびりと草を食んでいる。万年雪の山峰。アルプスのハイジ的光景。

ファンタジーとかよく貧しく寂れ切った村とか出てくるが、縁遠い。

この世界は下手したら地球よりもずっと豊かなんじゃないか


「ではルーイン様、魔法の練習を致しましょうね。」

開けた草地に出て、ディレイがにっこりと笑う


すいっと人差し指を立てる


「光よ」

大気中から光の粒子が収束して、ディレイの指先に灯る


おおお!

凄い!

ルーモス光よ的な!!!

これだ!

これぞ私の求めていたキラキラ魔法のファンタジーなのだ!


「さあ、主様もどうぞ」

えっ、えっ、やり方とか、よく判らなかったぞ


「簡単ですとも。大気中に流れる魔素を制御し、事象を捻じ曲げるのです。通常はその契約機関―つまり宗派ごとの制約を受けますが、その機関そのものである魔王様は何の制約も受けません。」


は!?


「まあ、なんとなーく、のイメージで良いのですよ。魂に記憶がございますから。ささ、レッツトライ」


そ、そんなてきとーで魔法が使えるのだろうか。なんだか物凄く原理が難しそうだったが。

さあさあ、と急かされるままに、おずおず指を掲げる。


「ひ、ひかり……よ?」


じん、と指先に未知の力の流れる感覚がして。

しゅるしゅると指先に光の粒子が収束していく。


おおおお!!!


凄い、魔法だ、憧れの魔法少女だ、あれ、いや待てよ今私は男だから違うのか。魔法男子なのか

などとよくわからない感動をしてしまう

だがその感動はすぐに急速な戸惑いに代わる


しゅるしゅる


あれ、止まらない。止まらないぞ。どんどん光の玉が成長していく。わわわわ。


「わわっ」


慌てて巨大な光の塊を振りほどこうと払う


するっと指先からこぼれたエネルギー弾は、ごうっと瞬く間に加速し……、


どぉぉぉおおおおおん!!!!!!!!!


山峰が轟音を上げて崩れ落ちる。


「あ、あわわ。あわわあわあわわ」


「やー、見事な火の玉ストレートでございますね。さすがは破滅の魔王でございます!もう少し力を絞れると、より一層完璧でございますね!」


天まで渦巻く火柱をバックにのほほんとディレイが讃える

あわわわ、どういうことだ。軽くマッチを灯そうとしたら、核兵器ばりの大破壊。


のどかな村が地獄の恐慌に陥る


鍬を投げ出した農夫が、絶叫しながら逃げていく


「ぎゃー魔王だ終わりだ何もかも終わりだ俺たちは殺され嬲られ牛は飛ぶんだ」


牛が飛ぶの!?


「さっ、火元がバレる前にトンズラこきましょう」

ふわっと体が浮いて猫のように抱えられる。

立ち上る噴煙など物ともせずに、涼やかな流し目が笑う。星屑の飛ぶウインク付き。


***


ごとんこどとん


なだらかな小道を馬車がのんびり揺れる

窓の外を流れる緑。ふかっと身体が沈みそうなソファは、残念ながら堪能できそうにない


頑なに拒んだはずなのになぜお膝抱っこされているのか。


窓の外を村と牧草地が交互に流れていく。遠くに波打つなだらかな丘陵。


途中、通り過ぎた村々の総てが大騒ぎ。いわく、魔王が復活した。と。


お昼ご飯を頂いた酒屋のおかみさんが、ぎゅっと手を握って加護をくれた。


「旅のぼっちゃま、魔よけのお札を持っておいきな!悪魔が触れると激痛が走って溶けちまうのさあ!魔王ルーインだっていちころさ!」

うう、心が痛いよう。人を騙して悪いことをしている気がするよう。そしてチリとも痛くないが教えるべきだろうか。そして私はぼっちゃまではない。


ごとんごととん


村々の人々が櫓を組んで、昼間からキャンプファイヤーが燃えている。


魔除けの踊りらしい。


「魔王退散!そら、生贄の羊を放り込め!」

「今夜は焼肉よー!!!」


メエエー!メエエー!ンモー!

哀れ、生贄にされた子羊たちの悲鳴が鳴り響く。どさくさに紛れて牛も放り込まれる。ドコドコ響く太鼓の鼓動


一心不乱に踊り狂う人々。

サバトのよう


ぎゅっと類を抱きしめたディレイが、悠然と窓から踊りの輪を眺めて目を細める


「この世界は情熱と音楽の世界。人も悪魔もみんななにかにかこつけて歌い踊るのですよ」

「ディレイも歌うの?」


「音痴なので歌いません」

音痴なのか…


「懐かしいですね。昔もこうして主人さまをお膝に乗せて、天上から宴を楽しんだものです。最もその時は豊穣の神に捧げる、祈りの舞でありましたが。」

すりすり類の頭に頬を寄せる。スースー匂いを嗅ぐ。


「また宴を開きましょうね。世界を恐怖と混沌に染め上げて、心地よい悲鳴の狂宴を楽しみましょう」


いいえ、私は遠慮しておきます


***


ガタゴトと一日中馬車に揺られて

ようやくお尻がディレイのお膝から解放される


「ルーイン様、疲れたでしょう。お姫様抱っこ」

「結構です」

全力で固辞し、よろよろと大地を踏みしめる。


もうすっかり日暮れだ


地平線の彼方に、太陽が悲鳴をあげて落ちていく。

キラキラと光の残照が夜空と混じって、夜はもうすぐそこ


きれい。怖いくらいだ。


明日なんて来ませんよと言われても信じてしまいそう。

夕暮れの切なさはどうして命の終わりを連想するのだろう


「……!」


夕日と絡み合った夜空を見て絶句する


月が二つ


知らない世界

空に落ちていくような錯覚を覚える。


ふいに、その、感情に気づいて……


不意に類は叫び出したい衝動にかられる。


「主さま?」

類は答えない。類は主さまなどではないのだから。


「離して!」

絡んだディレイの手を切ってにげる。

飛び出す。どこまでも疾走する。踏みしめた草の香が弾ける。


知らない。知らない空、知らない月、知らない空気の密度


知らないはずなのに

懐かしい。


誤魔化しようなく心に湧く、歓喜の渦

「戻ってこれた」という、感覚


めちゃくちゃなことを言われて、めちゃくちゃな一日。

性別まで変わっているのに、心の底でするりと納得している自分がいる。


決定的なのは、あれほど嫌なディレイから逃げる気が全く起こらない。

それどころか…


……大好きな声優さんと、前世の恋人とやらが全く同じ声


そんな偶然あるだろうか?


無意識に選んでたんじゃないか?

私がこーさまの声にあれほど魅入られたのは、きっとディレイの影をみたから

前世の恋人を求めていたからなのではないか


いる!


私の中に知らない誰かがいる

真っ黒な情念の渦がとぐろを巻いてうねっている。


悪魔を愛し、世界を憎む誰か

胡乱げに世界を見下す何か

それはきっと、闇夜に潜む獣よりもずっと恐ろしいもの


こわい


「……ううう」

息が上がって、足が止まる。力なく膝を支える。

じんと目頭が熱くなって、堪えたのはずの涙がぽろぽろと落ちる。


「ルーイン様、一人歩きは危のうございますよ」

ぱっと虚空を滑る様にディレイが姿を現す。最初から距離などなかったよう。


「ルーインなんかじゃないもん。私は類だもん。勝手に色々押し付けないでよ」


「……ルーイン様はルーイン様でございます」

ディレイが穏やかな声で宥める。少し困ったような、楽しむような

それが余計に類をいらだたせる。わけもわからぬ癇癪は大粒の涙となって湧き出る


「ううう、やだあ、怖いよー帰りたいよお。魔王なんて嫌だよー!魔王ってあれじゃん、人類の敵じゃん、勇者に殺されちゃうやつじゃん。そんなのやだよー。ひっく」


「私が必ずお守りいたします。今度こそ」

ぎゅっと、ディレイの腕が類を抱きしめる。ふかっと胸に包まれる


なでなで


長い指が愛おしそうに類を撫でる


「何よお、ディレイが私を呼んだんじゃないのお、ばかあ。帰りたい、お母さんの和食が食べたい。」

力まかせに胸をたんたんと叩く。が、頑丈な腕の檻はびくともしない


「ええ、私の我儘です。どうしても会いたかったのです」


「ディレイのことなんて知らない覚えてない。知らない人に好かれても嬉しくない」

酷いこと言ってるなあ私、とちらりと頭の隅で思う。いくら変人でも、一万年想い続けていたらしいのに。気の遠くなるような年月だ。


ふんわり微笑むディレイ。銀の瞳に月の光が照る


「私のことを再び好いてくださるまで何億年でも待ちますよ」


太陽が落ちきって満天の星空が二人の頬を染める


子供のダダのように泣きじゃくる類を、ただただ微笑んでディレイはよしよしと優しくあやす。


二つの月に見つめられても、一つに重なった影はじっと動かない


いつしか身をすっかり預けていることにも気づかずに。

ただただ類は心地よい指腹を享受するのであった。


***


とんとんとん


小気味のよい音で目を覚ます。


大きなベッドの上

身を起こす。さらりと紫のショールが肩を滑り落ちる


そうか、私、泣き疲れていつの間にか眠っちゃったんだ


昨日にもまして豪華な宿だ

コンドミニアム一棟貸し切りタイプ


遠く、ダイニングキッチンにディレイが立って、いそいそ炊事をしている。


大きな背。

さくさくと葉野菜を刻んでいる


ことことと蓋を揺らす鍋


沢山の音の中にそれが混じる


ふんふん


……うそつき


歌うんじゃないか


少し調子はずれで、とっても懐かしい歌声

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