「公園」ノハナシ
「ブランコ」
私が幼いころよく通った公園にブランコがあった。
二人分のブランコのうち、なぜか片方だけ白いテープにぐるぐる巻きにされて遊べないようになっていた。子どもながらにそんなブランコの様子に恐れを感じていて、使えるもう片方のブランコにも乗らないようにしていた。
ある日、いつものように学校から帰ってきた私は持ち物を玄関に雑に置くと、急いで公園まで向かった。夕方のこの時間は近所の子どもたちが集まってとてもにぎわっている。顔見知りや初めて会う子まで、関係なく全員で遊べるのがとても好きだった。その日はいつも姿を見ない子が一人でブランコの前に立っていた。テープに巻かれた不気味なブランコを不思議そうに眺めていたと思えば、隣の使えるブランコに座って遊びだした。私はなぜだか嫌な予感がして、その子から目を離せずにいた。楽しそうにブランコに乗るその子はどんどん勢いをつけて、振り子の運動よろしく高くブランコをこいでいく。鎖がガチャンガチャンと派手に音を立て、ついに地面から九十度の高さになった。その子の体がフワッと浮いて、鎖から手が離れた。振り上げられた勢いを保ってその子はブランコから体を投げ出され、数メートル先の地面に思いきり体を打ち付けた。
その場にいた子どもたちの笑い声、親たちの世間話の声が一斉に止み、すぐに絶叫が公園を支配した。一目散で駆け寄ったその子の親であろう女性は大声でその子の名前を呼んで泣いている。その子は目を覚まさなかった。
呆然としていた私はふと、ブランコの方を見た。彼の遊んでいたブランコが、その横のブランコに巻き付けられた白いテープに巻き込まれるように、ぐるぐるに捻じれていた。
「かくれんぼ」
放課後、馴染みの五人でかくれんぼをすることになった。学校からほど近い公園を範囲とし、鬼が一人で残りの四人が隠れることになった。じゃんけんの結果、僕は鬼を免れ田中君が鬼になった。目を瞑ってから三十秒の間に四人が隠れ、そのあと田中君が探し始める。僕は公園の中のトイレにあった用具入れに身を潜めた。微かにタバコの臭いと、使用済みのおむつが入ったゴミ箱から汚物の臭いがする。あまり長く留まれないなと思いながら、意識を集中させて田中君の気配を探った。
遠くで誰かが悔しそうに声を上げているのが聞こえた。きっと見つかったのだろう。僕はドキドキしながら微動だにせずにいると、トイレに足音が近づいてきた。ついに田中君がトイレに入ってきたと思って息を止めて足音に集中する。しかし、トイレの中に響くのは革靴でコンクリートの床を叩くコツコツといった音だけだった。田中君ではない。その足音の主は用を足すわけでもなく、二~三往復トイレの中をうろうろすると、ピタリと足音を止めた。なんなんだ、と思っていると今度は個室のドアが開かれ始めた。乱暴にバタン!と戸を開け、舌打ちをするとまた乱暴に戸を閉める。二つ目の個室、三つ目の個室と同じ動作を繰り返し、ついに最後の四つ目の個室を開け閉めしたあとに、声が聞こえた。
「……収穫なしか」
そう呟いた男は、コツコツと足音を立てながらトイレを去っていった。得体のしれない恐怖に体を震わせ、出るに出られずにいると今度は聞き慣れた足音がトイレの中に入ってきた。ドタドタとした足音が聞こえ、すぐに僕の名前を呼ぶ田中君の声がする。緊張の糸がぷつりと切れ、僕が勢いよく用具入れから飛び出すと、田中君は驚いてしりもちをついていた。田中君に手を引かれながらトイレを出ると、公園の出口付近に白いバンが見えた。そこに乗り込んでいった男は公園に不釣り合いな黒のスーツと、黒い革靴を履いていった。
「七日間だけ」
私は友達がいなかった。学校ではいつも一人、休み時間に遊ぶ友達も給食の時間に話す友達も誰もいなかった。家に帰っても共働きの両親が夕方帰っていることはほとんど無くて、用意されている冷めたご飯を電子レンジで温めて一人でテレビを見ながら食べていた。常に一人。それが当たり前だと思っていた。
いつも通り一人でトボトボと学校に向かう月曜日の朝、近所の公園に見慣れないおばあさんがいるのが見えた。ベンチに座り、誰もいない公園をただボーっと見つめていた。だけどどうしてか、その表情は嬉しそうだった。気になった私は、学校に行くのを止めておばあさんのもとへ駆け寄った。
「なにしてるの」
私が話しかけると、おばあさんはびっくりしたような顔で私を顔を見つめた。私がそれを不思議そうに見つめ返すと、おばあさんはすぐに笑顔を見せて答えた。
「景色を見ていたの。もう随分、このあたりには来ていなくて」
私がおばあさんの隣に座ると、そっとスペースを空けてくれた。
「どうして公園なんか見てるの。おもしろくないよ」
「ええ、そうね。でも、外に出て何気ない風景を眺めるのって、実はとっても贅沢なことなのよ」
「ふうん」
おばあさんが何を言っているのか、よくわからなかった。けれどその声に少し寂しさがあって、私は気になった。
「おばあさん、寂しいの」
また驚いた顔をした。すぐに笑ってみせたけど、やっぱりおばあさんは悲しそうだった。
「七日間だけ、外を見られるって言われたの。だからここに来たのよ。いつもあなたのような子どもたちの、楽しそうな声が聞こえるこの公園に」
その日はおばあさんとずっと話していた。気が付いたら夕方になっていて、私はおばあさんに促されて仕方なく家に帰った。
次の日も、また次の日も。学校へ行く途中におばあさんが公園にいるのを見かけて、夕方までお話をした。土曜日は両親が珍しく休みを取って私を遊びに連れて行ってくれた。帰ってきたころにはもう夜で、公園のこともすっかり忘れていた。
翌日、日曜日。早々家を出た父を見送り、昼出勤で支度をしている母と何気なくしていた会話にあのおばあさんが出てきた。
「そういえばあのおばあさん、おかしなこと言ってた」
「おかしいって? 」
「なんかね、七日間だけ、みたいな」
「……引っ越しでもしてしまうのかしら」
「うーん、わからないけど」
話しているうちになんだか不安になって、私は公園に急いで向かった。いつも学校へ向かっている時間、あのおばあさんは日曜日でもいるのだろうか。理由のない焦りに急かされて私は全速力で公園へたどり着く。ベンチにはおばあさんの姿があった。
「おばあさん! 」
私の声に振り返り、普段の倍は嬉しそうな笑顔を見せた。
「あらあら、もう会えないかと思っていたわ。昨日ここに来なかったから」
「あ……うん、昨日はお出かけしてたから」
「そうだったの。それは良かったわね」
昨日公園に行けなかったことをおばあさんは悲しんでいたのかもしれない。そう思うと胸が痛んだ。そんな私の顔を見て察したのか、おばあさんは私の頭を優しく撫でた。
「大丈夫よ、今日こうして会えたのだから。……実は、今日で最後なのよ、こうして外に出られるのは」
寂し気に空を見上げていた。
「あなたには、本当のことを話しておきましょう」
おばあさんは顔を私の方へ向けると、静かに話し始めた。少し、薄くなっている気がした。
「本当の私は今、病院にいるの。無駄に広い一人部屋で、体のあちらこちらに管を繋がれて、目も覚めないまま悪あがきのように延命処置を施されてるの。お医者さんの見立てでは残り半年だったけれど、つい一週間前、私のもとにある男がやってきた。彼は死神と名乗ったわ。紳士のいでたちをした若い男だった。彼は私に命が残り一週間だと告げると、心残りはあるかと聞いてきたの。私はすぐに答えたわ、もう一度この公園を見たい、と。すると瞬間、私の意識はここにあった。体だって触れることが出来た。でも誰も私に気が付かなかったわ。きっと今は霊的な存在になっているんだと納得した。そんな時よ、あなたが私に話しかけてきたのは。それからの一週間は楽しかった。朝あなたの声が聞こえると心がウキウキした。人と話すのってこんなにも素晴らしいことだったのね、これで悔いなく……あの世に行けるわ」
おばあさんは話し終えると、頬に涙を伝わせた。徐々に薄くなっていくおばあさんに抱き着いて、私はおいおい泣いた。姿が消えると私はそのままベンチに倒れこんだ。もう匂いも姿も無いけれど、背中と頭にあの温かい手の感触だけは確かに残った。
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