「映像」ノハナシ
「砂嵐」
まだテレビでアナログ放送をしていた頃、私はまだ幼かった。夜中に尿意を催し、隣で両親が寝ているのを起こすのを申し訳ないと思って静かにトイレに向かった。用を足して寝室へ戻ろうとする途中、ふとリビングの方からぼんやりと光を感じて、気になった私は廊下からリビングを覗き込んだ。すると寝る前には消したはずのテレビがザザーという不快音を流しながら砂嵐を映していたのだ。なぜ今まで音に気が付かなかったのだろうと不思議に思いながら、一人で消しに行くのも怖くてその場を後にしようとした。振り返って歩き出した瞬間、その不快音の隙間から微かに、けれど確かに聞こえた。
「消せよ」
まるで生身の人間がそこにいて発したような生々しい声だった。途端恐ろしくなった私は全力で寝室まで走って行った。両親は尋常でない私の様子に驚いて起きてきたが、見に行くとテレビの電源は消えていたらしい。
「レンタル禁止」
私の家の近くに頻繁に利用しているレンタルビデオショップがあった。
見逃した映画やもう一度見たい作品などはもちろん、自分の生まれる以前の古い作品も好きでよく借りていた。ある日いつものように最新作を借りに行って、ついでに旧作を物色していると一本だけ遠くから見ても異様と分かるディスクがあった。真っ黒いケースに誰かが《レンタル禁止》と書いたラベルが貼り付けられているだけで、作品の説明はおろかタイトルすら記載されていなかった。どうしても好奇心に勝てなかった私はそのディスクを手に取ると、カウンターに持ち込んだ。店員に見せてどうしてもこれが見たいと訴えると、どうやらバイトのようだった彼は二つ返事で私にそれを貸し出した。
帰宅してから他に借りた映画や何やらには目もくれず、いの一番にそのディスクをプレイヤーに入れて再生した。
開始してから10分ほど真っ暗な画面が続き、突然薄暗い部屋と、両手足を手錠や足枷のようなもので繋がれ口をガムテ―プで塞がれた男が映し出された。カメラはその狭い部屋の奥から固定で男を真ん中にとらえて映していた。それからというもの、ひたすら何の変化もなく一切の音もなく男が映っているだけで、さすがにつまらなくなって停止しようとした。リモコンを手に取ってチラッと画面を見ると、男のいる部屋の隅にあるドアが開いた。慌ててリモコンを置いて見ていると、紙袋に穴を空けただけの覆面を被った恐らく男が入ってきた。手には大きな鋸を持っていた。それに気が付いた監禁された男はバタバタと暴れ出し、そこから急に音声が入った。男のくぐもった絶叫と手錠と足枷から鳴る金属音が部屋に響いている。覆面の男は体を精一杯動かして抵抗する男の右腕を掴むと、手に持った鋸の歯をあてて乱暴に押し引きし始めた。血が溢れ男の絶叫はさらに大きくなる。うまく刃が入っていかないのか、覆面の男の手つきはどんどん荒くなり、男の絶叫はもはや人のものとは思えないものに変わっていく。十数分経って男の右腕が無残にも切り落とされる。男は辛うじて意識があるようだったが白目をむいて、ガムテープの隙間から口と鼻から出た体液が滲んで出ていた。覆面は部屋に会ったペットボトルの水を男の顔にかけ、無理矢理意識を戻した。それから左腕、右足首、左足首と切っていく。その度に男は水をかけられていたが、左腕を切られた時点でもはや生死は不明だった。全てを切り落とすと、覆面の男は血まみれの鋸を置いて血濡れた手で残った水を覆面の隙間から飲み干した。空のペットボトルと投げ捨てると、今度はカメラに向かって顔を向け、暫く凝視したのちに部屋を後にした。
そこで再生が止まった。私は自分が失禁してしまっていたことにも気が付いていなかった。一気に吐き気がせりあがってきて、慌ててトイレに駆け込んで嘔吐した。体中の震えが止まらず、何も考えられなくなった。
そして、玄関のドアが開く音がした。
「最期の挨拶」
長年病気で入院していた祖父が、ついに他界した。
医者からは今年一年が峠だと言われていたのでショックは小さかったが、それでも悲しくて訃報を聞いた時は涙が止まらなかった。葬式のために祖母、私の両親、叔父、叔母、そして私で祖父の遺品を整理することになった。私は祖母と二人で祖父の病室に会ったものを片付けることになった。祖母が衣服をまとめている間、私はベッド横にある小さな物入の整理をすることにした。財布や好きだった小説、お見舞いに来た時に一緒に作った折り紙が入っていて思わず涙が出た。泣き腫れた目をこすって片付けていると、滅多に使わなかった携帯電話が出てきた。随分前に買っていたガラパゴス携帯だった。開くと電源が入ったままで、普段使わないのにどうしてだろうと気になって、私は少し調べてみることにした。私はポチポチいじっていると、ひと段落着いた両親と叔母叔父が食事でも行こうと病室にやって来た。
とくに電話をした記録はないし、メールは覚えようとして結局断念していたので送信した形跡はなかった。もしかしたら、と思って私は動画フォルダを開いた。
「……これ」
思わず声が出た。動画のファイルが一つだけ残されていた。日付は、祖父が亡くなるちょうど前日の夜だった。私はその場にいた皆にそのことを伝え、その場で再生することにした。再生すると、内側カメラで自身を映した祖父の姿があった。
『……これでいいのか。ええ、こんな機能を使うのは初めてで上手くできているかわからないが、こうして皆に話をするのもこれが最後だろうと思うから、話しておく。三年前に病気が見つかって、それから治療の甲斐なく悪化の一途をたどり、入院してから家に帰るという願いは果たされなかった。今、後悔は無いかと聞かれれば、それだけが心残りだ。だけど、入院してから毎日見舞いに来てくれた妻や、同じ病室の人たちといい関係を築けたことは本当に良かった。こうして今日まで笑顔を忘れずにいられたのはそのおかげだ。そして、忙しい中で見舞いに来てくれた息子夫婦や子どもたち、孫にも本当に感謝している。……ああ、さっき心残りはそれだけだ、と言ったが、もう一つあった。孫が結婚する姿を見られないのはとても悔しい。はは、こんなこと考えていたら死ぬのは本当に嫌だな……。だけどもう、ダメなのが分かる。何故かはわからない、医者もそんなことは言わなかったが今日で終わりだと強く感じている。だから最後に言っておこう。俺は幸せだった。お前の夫になれて、お前たちの父になれて、お前のおじいちゃんになれて、本当に幸せだった。最後の最後まで笑顔でいられて、本当に幸せだった。……もう眠くなってきた。そろそろ寝ようと思う。それでは、おやすみ』
皆、涙を流して、嗚咽を漏らしてその映像を見た。祖父の死に顔は、まるでいい夢を見て眠っているような、そんな表情だった。
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