第27話 ケダモノ
――――途端に、ルルカの全身からは禍々しい闘気が、煉獄の炎の如く激しく、そして刺すように冷たい殺気を持って立ち昇った。
「!?」
「な! なななんだァー!?」
劣勢に立たされたラルフ一行を含め、敵である
「……ふっ…………ふふふっ…………」
笑気。
何か、劇的な変化を経たルルカの歪んだ口からは、笑気が零れる。
俯き気味だったルルカが顔をゆっくりと上げ…………。
顔を上げきって、遠くの
「――ひィ――――」
邪智暴虐の大男の背中に、ぞくり、と……とてつもなく冷たい、絶対零度の空気そのもののような
「――!?」
――――消えた。
眼前に佇んでいるはずの娘が、消えた。
――――と――――
「グギャアアアア……」
ボジュウウ…………。
――――美術館が繰り出した思念体が一体、真っ二つに分かたれて消滅した――――
と、思うが早いか。大量に放ったはずの思念体は次々と何かに引き裂かれ、消滅していく。
「――な、なんてことだ……!」
抜きん出た武芸と心眼を持つラルフだけが辛うじて、目の前の現象を捉えていた。
――――それは、ルルカが突然消えたわけでも、ましてや神通力でも、第三者の介入でも何でもない。
ただひとつ。
ルルカが単騎、常人の眼にはまず捉えられないとてつもない速さで、この空間の壁と言う壁を跳ねて駆け回り――――思念体の真芯を
――ガァイイイイィィィンンン!!
「ぬっ、くっ!?」
「……うふふっ…………あと何回、耐えられますの?」
ギリギリギリギリ、と刃と魔力壁で鍔迫り合いを起こしながら発するルルカの声色と形相は――――もはや、これまでの彼女ではなかった。
金色に輝く瞳。舌なめずりをする口元。凡そ人間の限界を軽々と超えて跳躍する脚。そしてその手に握る刃よりも鋭い殺気。
残虐な、飢え切ったケモノを思わせ、風の化身や悪魔を思わせ……そしてどこか蠱惑的な
と、次の瞬間。ルルカがまた超スピードで消えた。
「ヌ! くっ……うええいっ――くあっ!!」
ミュージアムは全身をあらゆる方向、角度から斬りかかるルルカを辛うじて魔力壁で防御――――否、しきれていない。所々捉え損ねて、首筋や四肢から鮮血が飛び散る!
「――ヌアァア、ケモノっ子がぁ、しゃあらくさい真似をォオ!!」
ピンポイントでガードするのは不可能と判断したのか、魔術杖を抱えて強く念じ、ブウウウウン……と全身を魔力壁で隙間なく覆った。
「――ああ、あああ。もっと……もっと、もっと血を頂戴! ――
一瞬、危ない色香を漂わせながら……闘争心が暴走した凶悪な笑みでルルカは踏み込み――――勢いを付け回転し、跳躍した!!
――――ギャリリリリリィィィイ!!
「ぬ、あ、小娘、なんという……!」
「うふふふふ――――あはははははははは…………!」
ルルカは、全身をバネにして溜めた跳躍エネルギーから、体幹を軸に全身をコマにして――――突進し、猛烈な勢いとスピードで回転斬りを放った!!
ルルカのナイフからも激しく火花が散ったが――――
「うあ、あ……ぬおおッ!」
果たして、魔力壁はルルカの凄まじい回転エネルギーを伴った斬撃に屈し、遂に砕け散る――――
「――もう、お終い……♡?」
ちょうど回転を止めた辺りでルルカがそう淫靡に呟くと、空中でそのまま突撃槍を思わせるほど鋭い蹴りを繰り出し、
「ぐ、ゲボアハァッ…………!」
しなやかな脚から繰り出された蹴りの威力は、まさに突撃槍そのものであった。
「す、凄い……!」
「な、なんて強さよ……」
「……王国の酒場で見たものと同じだ……ルルカの別人格、か……!」
ロレンスとウルリカが感嘆と戦慄の声を上げ、ブラックが呟く。
「――げほっ……うえああ……ま、待て――――」
「――アハハハハハハ! まだまだ……まだまだまだまだですわあーッ!!」
人格が交代したルルカはなおも跳躍し、嵐のように
ルルカが跳び回る度、目に見えない斬撃でじわり、じわりと全身から無数の鮮血が飛び散る…………。
悲鳴を上げ、大男の全身から噴き出る血で、忽ち辺りは朱に染まっていく。
「あははははは!! そうら、逝きなさい――――!」
本来のルルカとはかけ離れた……本来の彼女が酒場で語った通り、残忍で悍ましい殺戮を始めるルルカの別人格は……もはや戦闘狂のそれであった。とうとう、
「――んっ? ……なあに? 止めないでくださる…………これからが本尊だというのに……」
そこで、辛うじてラルフが彼女の振り上げた腕を掴み、止めた。
「……
ラルフ本人でも目で追うのがやっとだったルルカの動き。驕っていた
ラルフは全力で、万力のような力を込めてルルカの両腕を掴んで止めている。それほどの力でなければ、止められないのだ。
人間の筋力というものは、日常に於いて本来のパワーの半分以下も引き出されない。全開のパワーを込めると、普通筋肉や骨が損傷するので、脳が自然とリミッターを作動させるのだ。
だが、そのリミッターが外れる瞬間がある。
一つは大声を出すことで10%ほど。そして二つは薬物や暗示催眠などでトランス状態に陥らせて理性を一部麻痺させ、強引にリミッターを解除することだ。
リミッターを完全に解除した状態ならば、華奢な女性ですらも片腕で大の男を軽々と持ち上げるほどの腕力がある。武芸……ルルカの場合戦闘用の剣舞などの訓練を積んだ者ならば、生来の運動センスも相まって更に比較にならぬ怪力が出るだろう。故にラルフの腕力でも掴み止めるのはやっとである。
「それ以上はやめるんだ。殺してはならないっ」
「離して。このピンチを切り抜けたのは
「――ヌウンッ!!」
「!!」
と、ルルカが一瞬ラルフへ気を逸らした瞬間――――最後っ屁のつもりだろうか。
「――――!! ベネット! 逃げてッ!!」
ベネットの危機に、ルルカは主人格へと戻った。だが、間に合わない!
――ごおおおおおおおおっ…………!!
ベネットは火炎に巻き込まれた。
しかし――――
「べ、ベネット…………無事か!!」
火炎が消えると、ベネットはしゃがみ込んだままだったが……法力による守護壁が張られている。
ベネット自身の意志だったが――――どうやらそれだけではない。
これまた、
「――――この…………!!」
人格を交代こそさせないものの、どこまでも卑劣な破廉恥漢の所業に、ルルカは怒りが収まらない。ラルフの手を振りほどこうと全身を揺らすが、ラルフはしかと動きを止める。
――ブラックも険しい顔つきで歩み寄り、ルルカの前に立ち塞がった。
「……殺すことは私の
「……ブラック様――――で、でも! ここで
「ならば、君はわざわざ、こんな外道と同じ存在に成り下がる気か? ……危険が迫ったとはいえ、喜んで生命を弄ぶ存在と……同列になると君は言うのか!?」
「……そ、それは。でも!
「言っただろう。それは飽くまで君の生命を守っている存在の余波だ。――自衛という言葉を盾に、生命を
「う…………」
躊躇うルルカに、今度はラルフが告げる。
「……心配しなくてもいい。ここまで追い詰められたのは、リーダーを務める俺のミスだ。この場は『もう一人のルルカ』に助けられたよ。まずはありがとう……だが、それ以上にすまなかった。君が『汚らわしい』と忌み嫌う人格に委ねなければならなかったことにな。」
「……ラルフ……様…………」
「――だが。制御してこその戦力だ。君の生命が助かるのは喜ばしいことだが……暴走した結果、君以外の人まで倒れてしまったら? そうして嘆き悲しむのは……君だけではないはずだろう?」
ラルフは、視線を後ろの――――よたよた、と歩み寄るベネットへ向けた。
「…………ルルカ…………お姉様。」
「ベネット…………」
ベネットは顔を悲しみに歪めながら、伏し目がちに呟く。
「……アチキを想って戦ってくれたのは嬉しいですニャ。でも。だからといってルルカお姉様が……人を喜んで殺すような人のままで苦しみ続けるのは…………ただ死ぬことよりも、もっと嫌ですニャ。――アチキだって、そこのオトコは憎い。それでも、殺したり死んだりするのを見るのは、例え仲間の仇でも、嫌ですニャ…………」
「………………っ」
ベネットは心の裡の冷たい涙を流した。
眼前で悶絶する外道から受けた、悍ましい過去によって植え付けられた、他人の人生と生命を弄ぶ所業…………その悲しみと虚無から学んだが故の涙だった。
『心に決めた仲の人にだけは、そんな道に外れて欲しくはない』という、願いの…………。
ルルカは動転した気持ちを何とか宥め……両腕を下ろしナイフを腰元の鞘に納めた。
「……申し訳ありませんでした…………それで、あの……」
「心配はいらん! この外道はこの分だと余罪がたんまりありそうだ。レチア王国の裁判にかければ、まず極刑だよ。先ほどの風水師や破戒魔術師ともども、な。それに……一旦、王国へ戻るんだろう、ラルフ?」
ブラックは、ルルカが殺気を納めた時点で剣呑なトーンを緩め、いつものように傲岸不遜な態度で手を振った。
「はい。充分準備してきたつもりでしたが、やはりここで体制を立て直すべきだと思います。……ルルカ。君やベネットの過去の辛さは察する程度しか出来ない。だが、一度人の道を外れ、苦労して戻って来たんだ。わざわざ再び人の道を外れて外道に身を落としてまで、復讐をする必要などないさ。」
「……その通りです。我が王国で捕らえた罪人は、我が王国で責任を持って裁きますとも。」
ロレンスは、傷薬で手当てをしながらも、力強く同意した。
「――――くくくくくっ! だ、だぁがあ……吾輩いる限りぃ……否! 少なくとも吾輩の意識がある限り! 転移術は簡単に使えんよぉ? どうやって王国まで戻るのカネ? ――そこの双剣使いのケモノっ子。今からでも遅くはないぃ……そのものたちを裏切り、吾輩のコレクションに加わらんカネ? なぁに、君の別人格の要望に応えるよう、最大限の生贄を捧げ――――ぶげぇッ!!」
「心配しなくても、オレたち、テクテク歩いて王国まで戻るぜ……テメエの意識が無くなろうが、何度でも起こしてやる。一思いに死ねるなんざヌル過ぎるぜ――――道中、オレの歌を、テメエにだけは耳がぶっ壊れる寸前までフルテンの音量でたっぷり聴かせてやるぜ。YEAAAAAAAAAAAAAAH!!」
どこからともなく、ヴェラはヘッドフォン、否……小型のアンプを
「ふぎああああああああアアアアーッ!! 耳が! 頭がァーーーッ!?」
「実はさっき……このカオスな階を進んで来た時。
そう叫んで、もう一撃。
死なない程度に与える拷問としては、十分すぎるものである。加えて、歌い続けていれば、魔物たちが寄ってこないことは先ほどブラックが証明している。さほどの労苦も無く、一行は王国へ一時帰還出来るだろう。
「ヴェ、ヴェラ様……」
「……やるとなったら、エグいにゃね……」
「寝るなァ!! オラアアアアアア!! YEAAAAAAAAAAAAA!!」
――――そうして一行は、
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