88 氷河期の板橋区


 時として、自分の知らぬ間に他人から恨みを買うことがある。


 多くの傷ついた者が横たわり、あちらこちらから呻き声が聞こえてくる光景を眺めつつ、そんなことを考えていると、懸命に治療を続けていた愛菜がやってきた。


「あの、黒鵜さん、また枯渇しちゃいました。お願いします」


「う、うん……」


 今にも抱き付かんばかりに寄ってきた愛菜に、おどおどしながら口付けをする。

 だけど、それ以上のことは何も起こらない。だって、これはマナの回復だからだ。

 ただ、何も起こらないのは、二人の間だけだ。


「くそ~、オレ達の救世主を……」


「オレの女神になんてことを……」


「あの野郎、さっきから何回目だと思ってやがる」


「許せね~! だいたい、オレ達に怪我を負わせたのも奴なのに……」


「ぬっ殺す! オレは奴をぬっ殺すぞ」


「やめとけ、あれは人外だ。お前じゃ無理だよ」


 はぁ~、めっちゃ、やり難いんだけど……


 際限なく浴びせかけられる殺意と罵り声を受け、マナ回復が終わった愛菜から唇を離しながら、ゲンナリと肩を落とす。


 そう、殺意を向けてくる者達は、西東京グループの面子であり、僕のみならず、一凛や氷華が散々と痛めつけた者達だ。


「恨まれるのも仕方ないわね。黒鵜君、暴れ過ぎよ」


「黒鵜、ダメだぞ! ちゃんと謝らないとな」


 はぁ? それを君等が言う? なに責任を押し付けてんのさ。


 まるで他人事の如く言ってのける氷華と一凛に呆れてしまう。


「あのさ、確かに、僕の所為かもしれないけど、君等も散々やったでしょ? 氷華、君は自分の台詞を覚えてる? 容赦しちゃダメだって言ったんだよ?」


 思わずクレームを入れるのだけど、二人は耳が聞こえなくなったのか、そっぽを向いて口笛を吹いている。

 なんとも、都合の良い耳をお持ちで羨ましい。


 二人がしれっとしている理由は簡単だ。なにしろ、彼女達の攻撃を受けた者達は、思ったよりも被害が小さいこともあって、憎まれ度合いが低いのだ。

 というのも、一凛は亜空間に閉じ込めていた者達を解放するだけだし、氷華は瞬間解凍で元に戻してしまったからだ。

 もちろん、凍傷を負った者も居るのだけど、腕や脚が付いているだけマシだろう。


 それに比べて、炎獄の魔法使いと戦った者達は悲惨だ。

 だって、骨折なんて軽傷だと思えるほどに重傷患者ばかりなのだ。それこそ、腕や脚がないなんて当たり前の状況だ。

 そして、それを瞬時に治してしまう愛菜は、既に西東京の者達にとって女神的な存在となっていた。

 そんな彼女がマナ枯渇する度に口付けを繰り返しているのだ。奴等からすれば、憎さ余って憎悪億倍といったところだろう。


「それにしても、まだ終わらないの? お腹が空いちゃった」


 責任逃れをする二人に半眼を向けていると、やることがないのか、座り込んだ萌が空腹を訴えてきた。


 それも少なからず仕方ないと思う。だって、熊太郎の登場で眞銅に逃げられてから、既に四時間は経過している。本来なら、飛竜の焼肉でも食べながら、今回のことについて話している頃合いだ。

 ところが、いざ戻るぞとなった段階で、約束が違うと、祭りからクレームが入ったのだ。

 そう、戦いを収めた時に、怪我を負った者の治癒は何とかすると約束してしまったからだ。

 そんな訳で、現在は、僕等の攻撃の産物――負傷者を愛菜が治癒しているという状況だ。


「ごめんなさい。あと少しで終わります」


「いやいや、悪いね。愛菜、君ばかりに苦労させて」


「いえ、私にはこれくらいしかできませんから」


 やっぱり、愛菜ってとても良い子だよね。ほんと、爪の垢を煎じて、あの二人に飲ませたいよ。


 そそくさと負傷者の手当てに戻る愛菜から視線を外し、なるべく関わるまいとしている氷華と一凛に視線を向ける。

 すると、何を感じたのか、氷華が嘆息する。


「はぁ~、はいはい。私も悪いです。でもいいじゃない。愛菜は役得で嬉しそうなんだし……」


「だよな。てか、いったい何回やったんだ? 変わって欲しいくらいだ」


 あ~、今度は開き直ったよ? もういいけどさ。


 まるで謝れているような気がしないのだけど、愛菜との口づけにクレームを入れないところを見ると、少なからず責任を感じているのだと思う。


 まあ、それよりも、問題は例の黒幕だよね。だって、葛飾の時もそうだけど、完全に僕等の行動を把握してるような気がするんだけど……


「ねえ、黒幕の件だけど――」


「そんなの決まってるわ。黒幕は――」


「乳牛はうるさいわよ。頭の中まで脂肪が詰まってるのかしら」


「高脂肪乳は黙ってろよ。白黒にペイントするぞ」


 黒幕の話を持ち出すと、唯姉が直ぐに乗ってきたのだけど、彼女が核心にせまろうとしたところで、氷華と一凛が罵声を浴びせかけた。


 なんか、どんどん毒が酷くなってない? 高脂肪乳って、もの凄く聞こえが悪いんだけど……てか、こうなるといつもの奴が始まるよね……


「なんだと! このパ○パンノーパイが! 乳もなけりゃ毛も生え揃ってない癖しやがって!」


 案の定、唯姉が怒髪天の勢いで罵声を浴びせかける。


 てか、これ、悪口なの? 単に事実だと思うんだけど……


 唯姉の嘲りの言葉を耳にして首を傾げていると、一凛がニヒルな笑みを浮かべて一歩前に出た。


「おいっ! 高脂肪乳! うちの連れをけなすな。許さんぞ」


「ぬぐぐぐぐぐっ! って、一凛! なによ! あなたは違うとでも?」


「ん? だって、うちは生えてるし」


「……」


 一凛のむごい対応を受けて、氷華は顔を俯かせ、わなわなと震えながら押し黙る。

 すると、途端に、唯姉が表情を曇らせた。


「す、すまん。まさか、本当に生えてなかったとは……悪気はないんだ……」


 あれ? 知らなかったんだ……てか、謝ってるし……


 どうやら、適当に罵ったらヒットしたみたいで、申し訳なく感じたのだと思う。唯姉は申し訳なさそうに謝った。

 ところが、その態度が氷華の心を逆撫でたのだろう。

 彼女は両手を空に向けて声を張り上げる。


 何をする気なのかな? 元気玉?


「うるさい、うるさい、うるさい! みんな凍え死ね!」


「うわっ! 氷華っ! まって! ちょっ、だめっだってば!」


「やばっ、パ○パンの女王が発狂したぞ。みんな逃げろ!」


 突如として狂乱する氷華を止めようとするのだけど、それが間に合わないと知ると、一凛はさらに油を注ぎながら避難の声を高らかに上げると、我先にと逃げ出したのだった。









 真夏の奇跡ではないのだけど、氷華が放った氷漬けの魔法は、氷河期の初夏と呼ばれるようになり、多くの者から恐れられるようになった。

 その有様と言えば、半径五キロが氷の世界に生まれ変わり、身を凍らせるほどの吹雪が荒れ狂っていた。

 それは、ここのみならず、帝京大学まで氷の世界に変えてしまった。


 ただ、その所為で、彼女はマナ枯渇となって倒れてしまった。だけど、熱い口付けで目覚めることになると、すっかり気分を良くしていた。


「治療も終わったみたいだし、そろそろ移動しましょうか。ここは寒いわ」


 まるで自分の所為ではないと言わんばかりに、氷華は肌を摩りながら進言してきた。

 そうなると、当然ながら黙っていられないものが居る。


「何言ってんだ、ジャリ! お前がやったんだろ!」


「このバカチン! 自分のやったことくらい責任とれよな。この不毛!」


 唯姉と一凛が、すかさずツッコミを入れる。

 もちろん、機嫌の良くなったはずの氷華がまなじりを吊り上げる。


「なんですって!」


「もうやめようよ! 時間の無駄だよ。それに無くても、僕は問題ないからね」


 彼女達の戦いが始まると長いのだ。

 だから、即座に割って入るのだけど、なぜか、氷華はモジモジとし始めた。


「そうなんだ……そっち系なのね」


 はぁ? そっち系って、別にロリじゃないからね。ちょ、ちょ~、一凛も、唯姉も、なに、その冷たい視線……てか、もういいや、好きにして!


「そんなことよりも、さっきの話の続きをしたんだけど――」


 そう、実を言うと、黒幕の話が気になって仕方ないのだ。

 だけど、氷華は被せ気味に拒否してきた。


「ああ、それなら、ここじゃだめ。いえ、その話は暫くしないでおきましょ」


「えっ!? どうして?」


 疑問と不満を感じて、即座に問い質すのだけど、彼女はそれでも首を縦に振ってくれなかった。


「それに関しては、私に考えがあるの。だから、悪いけど、みんなも機会がくるまでそれには触れないで欲しいわ」


 どういうつもりなのかな? とても大切なことだと思うんだけど、氷華は何を考えてんのかな?


「まあ、いいんじゃね~か。うちは氷華に任せる」


 自信ありげな氷華を見て思うところがあったのか、それとも自分が思考することを面倒だと思ったのか、一凛は少し考え込んでいたものの、肩を竦めて賛成した。

 すると、今度は、唯姉の舌打ちが聞こえてきた。


「ちっ、まあいいや、あたいの考えだと、ジャリが気にするのも理解できるし、ここは従ってやるさ」


 えっ!? めずらしい……唯姉、どうしたの? 変な物でも拾い食いした?


 いつもなら噛みつきそうなものなのだけど、唯姉が素直に頷いたことに驚いていると、氷華がこれでお終いと言わんばかりに手を叩く。


「そうと決まったら、さっさと移動しましょ」


 ところが、そこに祭が割って入った。


「おいおい、ちょっと待てよ。連合国参加の話はどうなったんだ?」


 ああ、そういえば、そんな話もあったよね……


 今回の戦いで脅威を感じたのか、祭りが連合国に参加したいと申し出ていたのだ。

 だけど、氷華はまたまた首を横に振る。


「その件だけど、もう少し待ってくれない?」


「ん!? なんでだ?」


「それも、さっきの話に絡んでるからよ」


 いったい何を考えてるんだ? 僕にはチンプンカンプンなんだけど……


 どうやら、祭りも同様なのか、腕を組んだまま首を傾げている。

 でも、ここで何を尋ねても、きっと答えてくれないだろう。


 はぁ~、まあ、彼女が話してくれるまで待つしかないか……


「じゃ、帰ろっか」


 諦めて帰ることを告げたのだけど、またまた氷華から否定されてしまう。


「帰るって、何言ってるのよ。これから西東京に行くのよ」


「はぁ? なんで?」


「何でって、転移のマーキングが必要でしょ?」


「ああ、なるほど……」


 氷華の返事を聞いて、これについては納得する。


 結局、北板連合を救いにきたものの、眞銅に裏切られたことで、この地の者達を放置したまま、氷河期の板橋区を後にして西東京へと向かった。

 そして、転移のマーキングが終わったところで、一旦、北千住の拠点に戻ると、大量の飛竜の肉を運びだし、謝罪の意味を込めて西東京の者達に焼肉を御馳走することになるのだった。



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 いつも読んで頂いてありがとう御座います。m(_ _)m


 この話を以て第四章を終わりとさせて頂きます。


 さて、与夢は全く望んでいないのに、いつのまにか関東の一大勢力となった黒鵜連合国ですが、色々ときな臭い状況となってきました。

 第五章については、そんな不安定な状況下における与夢の奮闘になるかと思います。


 それで、第五章の投降開始ですが、まったく目途が立っていません。大変申し訳ありません。

 仕事の忙しいうえに、更新作品ばかりになってしまって、複数作品を投稿してしまったことを反省しております。

 そうはいっても、作品を投げ出す気もないので、頑張って進めていきたいと思っていますが、まずは執筆が止まっている「天恵」を進め、そこから書き溜めを進めたいと考えています。


 そんな感じで、全く先の予定が立たない状況ですが、頑張っていきたいと思います。


 ――なんとか、GWで書き溜めたい……


 それでは第五章で会いましょう。

 これからも宜しくお願い致しますm(_ _)m

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