73 狂気の葛飾王国
決裂という言葉は、まさにこういう状況で使うのだと思う。
同盟決議が水泡に帰し、
それを不機嫌な表情で見やっていた
まあ、同盟には反対だったし、九重さんには悪いけど、これでいいのかもしれない。でも、なんか釈然としないんだよね......
というのも、同盟会議がおじゃんになったというのに、九重さんはちっとも残念そうにしていないのだ。
いったい、どういうつもりなのだろうか。いや、この笑顔が曲者なんだよね......
「九重さん、すみません。こんなことになってしまって」
怪訝に思いながらも、一応は謝るべきだと感じて頭を下げてみたのだけど、九重さんは笑顔のまま首を横に振った。
「いや、いいんだ。おそらく、こうなるだろうと思ってたから」
ん? もしかして、ダメもとで集めたのかな? それはそれで、少し気分が悪いけど......いや、それよりも気になることがあったんだ。
「あの~、一つ聞かせてください」
「ん? いいですよ。何ででしょう?」
笑顔で頷く九重さんに、僕はずっと疑問に思っていたことを口にする。
「そもそも同盟を結ぶ意味があるんですか? それぞれが、なんとかやってると思うんですけど。もしかして、何か起こることを知ってるとか?」
「あははは」
ん? なにがおかしんだろう。なんか、変な事でも言ったかな?
「大和や愛菜ちゃんから聞いていたよりも、ずっと賢そうだね」
むむ......一応は、褒めてるのかな? でも、なんか釈然としないな~。てか、愛菜はなんていったのさ。
少しばかりカチンときて愛菜に視線を向けると、彼女は必死に首を左右に振っていた。
「わ、私は、別に思慮が足らないなんて言ってませんよ? 直感的に行動する方だといっただけです」
「それの違いは。どこにあるのかしら?」
「語るに落ちたな」
氷華、一凛、君等は黙ってようね。
「ごめん、ごめん。別に腐したつもりじゃないんだ。感心しただけだよ」
いやいや、九重さん、それって、全然フォローになってないからね。
「九重さん、別に謝ることはないですよ。だって、その通りだもの」
「ちょ、ちょ~、氷華!」
これは、どう考えても虐めだと思うんだけど......ちょ、一凛、なんで無言で肩を叩くのさ! 君だって似たようなもんじゃないか!
僕等のやり取りが面白かったのか、九重さんはクスクスと笑っていたのだけど、直ぐに話を切り出した。
「実を言うとね。東京も三大勢力が出来上がりそうなんだ。品川を中心にしたグループ、江東区のグループ。あとは、渋谷かな。それで、その三大勢力がかなり怪しい動きをしてるんだ。なんといっても、関東は生産力がないから物資の奪い合いが酷くてね。おそらく、近いうちにこっちに仕掛けてくるはずなんだよ」
それで同盟を急いでいたのか......というか、別に飲み込まれる分には問題なさそうだけど......きちんと統率してくれるなら願ったり叶ったりだと思うんだけど......
僕の表情から考えを察したのか、九重さんは途端に渋い顔で首を横に振った。
「これがね。かなり残虐な奴らみたいなんだ。男は奴隷、女は玩具らしいよ?」
「そんな奴等、私が氷漬けにしてやるわ」
「うちが東京湾までぶっ飛ばしてやるぜ」
女は玩具というのが気に入らなかったのか、氷華が眉間に皺を寄せ、一凛はシャドーボクシングみたいに拳を振り抜いた。
「そんな奴等が襲い掛かってくるってことですか? でも、ダーリンならイチコロだよね?」
「確かに、黒鵜さんの力は凄いけど、被害なしとはいかないですよね」
萌は楽観的に考えているみたいだけど、愛菜の言う通りだと思う。だって、集団で多方向から攻められたら、こっちは人手が足らないもの。まあ、バカみたいに猪突猛進してくれたら嬉しんだけど、グループを纏め上げるほどの人が、そんな単調な攻撃なんてしてこないよね?
「そんな訳で同盟なんて言い始めたんだけど、私も上手くいくとは思ってなくて、これは前振りなんだよ。そう、きっと川上さんが、ああ言うだろうと思ってね」
「えっ!? 私の意見を見越してたんですか?」
くくくっ、所詮、氷華もその程度って訳さ。僕のことを笑えないよ?
「ちょ、ちょっと、なに嫌らしい笑みを浮かべてるのよ」
「いてててて! やめて、ギブ、ギブギブ!」
ほくそ笑んだつもりが、モロに顔に出ていたのか、氷華が真っ赤な顔で僕の首を絞める。
なぜか、背後から締め付けられてるのに、背中は涼しいままだ。
それをちょっぴり悲しく感じる年頃だったりする。
「うんうん。仲が良くてなによりですね。それはそうと、そんな訳で黒鵜さん達にお願いがあるんですよ」
「お願い?」
「はい」
背中の虚しさに肩を落とす僕を他所に、九重さんはにこやかな笑顔を崩すことなく頷くと、国興しについて僕等に手伝ってほしいと頭を下げてきたのだった。
同盟会議が不発に終わり、しかし、それが布石だったと聞かされ、国興しの手伝いを頼まれたのだけど、正直いってあまり乗り気ではなかった。
まあ、九重さんが国主となって荒川自治区の面倒を見てくれたら、僕もお役御免で呑気に暮らせるのだけど、それの手伝いと言われると、少しばかり面倒だと思ってしまう。
「まあ、いいんじゃない? 葛飾に乗り込んで、あのホルスタインをぎゃふんと言わせればいいのよね?」
「その役、うちがもらった! あのミルクタンクをぺしゃんこにしてやんぜ。まずは、あの目障りな乳からだな」
ちょ、ちょ、ちょ、ちょ~、氷華、一凛、君等、何言ってんのさ。絶対に面倒なことになるんだよ? それに、ミルクタンクをぺしゃんこって、世の男が泣くからね。やめたげてよ。ああ、僕は別に巨乳好きじゃないから、問題ないけど。と、一応は言っておこう。
「でも、あたしは、街中の暮らしより、海の見える場所でのんびりと暮らしたいかも」
「それ、それがいいですね。私も南の島で、黒鵜さんと一緒にのんびりと暮らしたいかもです」
萌と愛菜の脳内は、既に南国ビーチになってるみたいだね。
君等、その前に、国を興すのがどれだけ大変か分かってるの? まあ、僕も理解できてる訳じゃないけど、きっと、めちゃめちゃ大変だよ?
「は~い。到着で~す」
ああ、もう北千住か......それよりも、これからどうしようか......
距離的にも近いだけあって、あっという間に戻って来たんだけど、いまだ今度の方針を決め切れていない僕は、少しばかり頭を悩ます。
「取り敢えず、学長室に集まりましょ」
「えっ!? その前に、飯にしようぜ~~」
「あっ!? ごはん賛成! 飛竜の焼肉がいい!」
氷華が作戦会議を始めようとするのだけど、一凛と萌――暴食魔人コンビが、夕食が先だと騒ぎ始める。
しかし、物資が乏しくなってきているので、以前のように毎晩の食事を飛竜の焼肉って訳にもいかない。
もちろん、氷華はそれを理解してるので、暴食魔人コンビに釘を刺す。
「飛竜の肉は、特別な時だけよ」
「な、なんだと......」
「ブーーーッ! ブーーーッ!」
まあ、一凛と萌がブー垂れるのも分からなくもない。だって、めっちゃ美味しいからね。
「まあ、飛竜は無理だけど、時間的には夕食を先にするのに賛成かな」
「そうですね。そろそろ夕食時ですし、時間をズラすと、料理班の人達にも申し訳ないですから、その方が良いと思います」
愛菜が話した通り、現在の荒川自治区では、基本的に給食制や配給制を執っている。
実際、物資の節約や様々な手間を考えると、その方が効率的なのだ。
「はぁ~、分かったわ」
愛菜が僕の意見に賛成してくると、氷華は溜息を吐きつつも、肩を竦めて首を縦に折った。
ところが、そこに明里と千鶴が、生徒会の面々と共に姿を現した。
「あっ、お帰りなさい」
「どうでしたか?」
あっ、そういや、なにも伝えてなかったや......
「連絡を入れてなくてごめんね」
話しかけてきた明里と千鶴に、頭を掻きながら謝るのだけど、彼女達は首を横に振る。
ただ、即座に自分達の要件を口にした。
「いえ、それは良いのですが、実は葛飾王国の使者が訪れたんです」
「えっ!? 葛飾から?」
「はい」
「何と言ってきたの?」
明里が僕の問いに頷くと、すぐさま氷華が割って入った。
その表情は、いかにも「あの乳牛め!」と言わんばかりに顰められていた。
「それが、戻りしだい葛飾に来いと」
「偉そうに! あのミルクタンク! 仕方ないわね。例の件もあるし、直ぐに出発しましょうか」
「それが......」
氷華が毒を吐きながらも頷くと、明里は途端に押し黙った。
「ん? どうしたの? なんか拙いことでもあったの?」
明里の態度が気になって声をかけると、彼女の左隣に居る小柄な少女――書記の美奈が口を開いた。
「あの~、ジャリは要らんとか言ってましたけど、ジャリってなんですか?」
「あのアマーーーー!」
「あの野郎、黒鵜を食う気だな」
美奈の言葉に、氷華と一凛が激怒する。
ただ、
「えっ!? 葛飾は食人なんですか?」
「ばっ、バカ! そっちの食うじゃね~よ」
途端に、会計の
ああ、暴力はダメだよ。てか、晶紀ってやっぱり一凛に似てるよね......
「それで、どうするんですか?」
結局、千鶴が話を戻すと――
「私が氷漬けにしてやるわ」
「うちがぶっ飛ばしてやる」
――氷華と一凛の二人が声を張り上げたのだった。
目の前には、いまだ温かそうな湯気を上げるミートスパゲティが置かれている。
小さな丸テーブルの上に置かれたそれは、まさに凶器だと思えるほどに不味かった。いや、これを人に食べさせる行為こそが狂気と言えるかもしれない。
見るからにレトルトなんだけど、どうやったらこんなに不味くなるのかな......
一口食べれば悶絶し、二口食べれば昇天し、三口食べれば土に還るのではないかと思いつつも、これを残すわけにはいかない。
なにしろ、僕の向かいでは、可愛らしい女性が両肘をテーブルに突き、両手の上にニコニコとした笑みを湛えた顔を乗せているのだ。
その様子は、まさに幸せ絶頂と言わんばかりであり、その笑顔を歪ませることは、まさに罪だと感じさせられる。
どうしてこんなことになったのさ......
僕は意を決して、その飲食禁止すべきだと思えるスパゲティを無理やり飲み込む。
だって、噛んだら余計に味がしそうだし......一気に飲み干すしかない。
スパゲティって、飲み物だっけ? などと考えつつ、とにかく味覚を発動さないように、必死に思考を別方向へとむける。
だけど、きっと、その行動が裏目に出たんだと思う。
「あはっ! そんなに美味しい? もっと落ち着いて食べないと、身体に悪いわよ? それに、お代わりもあるから、慌てなくてもいいのよ?」
はぁ!? ちょ、ちょ、ちょ~~~~~~~~! お代わりとか、僕を抹殺するつもり? どうしてなのさ。どうしてこんなことに......
さて、少し時を遡るとしようか。
葛飾王国からの伝言を聞いた僕等は、然して時間をかけることなく指定の場所へと辿り着いた。
だって、西に荒川を渡れば、そこは葛飾区なのだ。
ただ、僕等を待ち構えていたのは、全く予想だにしていない展開だった。
なんと、マスカレードをしていない可愛らしい女性が、行き成り僕の腕を取ったのだ。
そして、その可愛らしい女性こそが、葛飾の王である
その可愛らしさにも驚きだったのだけど、彼女の態度が更にぶっ飛んでいた。
「きゃはっ! 与夢~! よく来たね。早く早く」
彼女はそう言って、有無も言わさず僕を引っ張り始めた。
もちろん、氷華や一凛に向けて、「ちっ、ジャリも来たのか」なんて毒を吐くのも忘れていなかったし、彼女の胸の弾力が半端なく、氷華のみならず、一凛、愛菜、萌の三人からも冷たい視線で貫かれた。
そんな訳で、僕は何が何やら分からないうちに、彼女の住まいだという都立農産高校の一室に連れ込まれたのだ。
「これは、どういうことかしら? 黒鵜君、彼女と知り合いなの?」
眞知田さんが空となったお皿を持って台所へと消えたところで、怪訝な表情を続けていた氷華が口を開いた。
「いや、初対面というのは語弊があるけど、同盟会議の時が初めてだよ?」
実際、僕はそれどころじゃないんだけど......二杯目なんて食べたら、マジで死んじゃうよ? なんで、そっちを心配してくれないの?
僕は人生最大の危機を感じているのだけど、氷華は気にすることなく捲し立ててくる。
「じゃ、なんで、こんなことになってるのよ」
「ごめんなさい。実を言うと――」
僕が狂気に怯えて震えていると、同盟会議にも参加していた
それによると、眞知田さんには溺愛していた弟が居たらしい。
居たらしいというのも、ファンタジー化の犠牲になって、既に他界したとのことだった。
彼女の話では、その弟と僕がよく似ているというのだ。そして、その所為なのか、眞知田さんは同盟会議からすっかり様子がおかしくなったらしい。
「はぁ~、なんてことはない。ブラコンだったという訳ね」
あのさ、氷華。なんで君が溜息を吐いてるのさ。あの恐怖のスパゲティを食べるのは僕なんだよ? 少しは僕の身の心配をしてくれても良くない?
氷華の態度に不満を感じてると、笑顔のお陰で可愛さ三倍増しの眞知田さんが、三倍増しになったスパゲティを持ってきた。
ちょ、ちょ、ちょ、ちょ~~~~~~! 僕を殺す気なの!? いや、間違いなく抹殺する気だよね? てか、弟さん、魔物じゃななくて、眞知田さんの手料理であの世に行ったんじゃ?
その極悪なスパゲティの量を目にして、僕の恐怖は三倍以上に膨れ上がる。
そんな僕を助けるつもりなのか、はたまた、ただ単に自分の事を優先させたのか、氷華は座ったまま口を開いた。
「あの、少し話があるんですが」
「えっ!? まだ居たの? 知世、その虫を早くどこかへ連れてってよ」
「む、むむむ、虫って――」
氷華はあまりの怒りに、勢いよく立ち上がる。
しかし、眞知田さんは気にせず毒を吐く。
「虫じゃないの? 与夢を狙って寄り付く悪い虫でしょ?」
「むっかーーーーー! もう許せないわ」
「ちょ、ちょ~! ケンカするために来たんじゃないよね? 眞知田さんも、虫はやめてよ。僕の大切な仲間なんだから」
さすがに、眞知田さんの台詞を看過できず、僕は苦言を口にする。
でも、自分の彼女だと主張する勇気はなかった。
だって、そんなことを言ったら、即座に戦闘になりそうなんだもの......
ただ、気を使ってはみたものの、僕の言葉は、見事に彼女の機嫌を損ねることに成功する。
「むっ......与夢......完全に毒されてるみたいね。こんな小娘に誑し込まれて......許せないわ」
誑し込まれてって......てか、誑し込まれてみたい......
「いいわ。分かったわ。ねえ、ミルクタンクさん、私達と勝負しましょう。私達が勝ったら軍門に下ってもらうわ」
呆れる僕......というか、少しばかり妄想の世界に飛び立った僕を他所に、氷華がタンカを切る。
すると、眞知田さんも勢いよく立ち上がった。
「うるさい小娘だ。分かった分かった。木っ端みじんにしてやるさ」
こうして僕等は葛飾王国と戦いで決着をつけることになってしまった。
ただ、そのお陰で、悪夢のスパゲティから逃げ出せると、僕はホッと安堵の息を吐いたのだけど、世の中って世知辛いもんだね。
結局は、話が決まったところで、冷たい眼差しの氷華から八つ当たりが飛んできたのだった。
「さあ、黒鵜君、それを食べたら帰るわよ」
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