74 無意味な戦い


 もう無理だ。スパゲティだけは勘弁して。くるな! スパゲティ!

 触手のようにうねるスパゲティ襲われる悪夢によって、目を覚ましたのは数時間前のことだ。

 一日にして、いや、僅か一食にしてスパゲティが苦手な食べ物になった僕は、現在、葛飾へと戻ってきていた。

 昨夜は、吐き気を堪えつつ引きあげたものの、葛飾との決着をつけるために、朝からそそくさとやって来たのだ。

 正直言って、僕としてはスパゲティの件もあり、二度と来たくなかったのだけど、氷華と一凛から凄まれて逃げる訳にはいかなかったのだ。


「ジャリがわざわざやられに来たか」


 マスカレードを着用した眞知田さんが踏ん反り返ると、氷華のまなじりが吊り上がる。


「ふん。そのミルクタンクを氷漬けにしてやるわ」


「いや、うちが陥没させてやるぜ」


 いやいや、陥没したら死ぬからね......てか、世の男から恨まれるよ?


 どうやら、踏ん反り返ったが故に、強調された胸に触発されたのは、氷華だけではなかったようで、一凛も拳を突きつけていた。


 ここまでの様子だけを見ると、眞知田さんに軍配が上がってるかも......だって、二人を足しても勝てなさそうだもん。


 眞知田さんは自慢げに胸を張り、恰も貧乳は悪だと言わんばかりの視線を向けている。


 そんな彼女は、ふんっと鼻を鳴らすと、己が提案を口にした。


「あたいが力づくで一網打尽にしてもいいけど、それじゃ与夢あとむが可哀想だから、お前達にチャンスをやろう」


 いやいや、名前を呼ぶのは勘弁して......だいたい、一網打尽になんてならないと思うよ?


「あら? 今から負けた時の言い訳を用意するのね」


「なんでもいいや、全部、うちがぶっ飛ばしてやるぜ」


 僕の不満を他所に、氷華と一凛の二人が毒を吐くのだけど、眞知田さんは全く気にしていないようだ。


「ふん、威勢のいいジャリ共だ。まあ、小娘相手に本気になるのも大人げないからな」


 小娘って、眞知田さんも、確かまだ十八だよね? ほとんど変わらないじゃん。


 そう、九重さんからもらった情報では、同盟会議に参加していた葛飾王国の三人は、みんな十八歳とのことだった。

 こんなファンタジー化なんて起きなければ、華の大学生活を送っていたはずだ。

 ただ、どうもしても気になるのが、あのマスカレードなんだ。だって、普通の人ならあれを付けようなんて考えないと思うんだよね。


 キラキラとデコレーション化されたマスカレード姿の眞知田さんに向けて、氷華がタンカを切る。


「なんでもいいわ。どうせ私達が勝つんだから」


 彼女にしては、やたらと好戦的な気がするのだけど、やっぱり乳の所為なのかな?


「まあ、今のうちにほざいてろ。まずは、知世と薫を倒してみな。そしたら相手してやるよ」


 眞知田さんが適当にあしらうと、両側に立っていた倉敷知世さんと穂積薫ほづみかおるさんが一歩前に出でた。


 この二人は、同盟会議の時もそうだけど、昨夜のスパゲティ事件でも一緒に居た面子だ。

 今は二人ともマスカレードを付けているのだけど、それを外すと可愛らしい顔をしている。


「子供相手に、なにムキになってんだか」


「はぁ、仕方ないわね」


 倉敷さんと穂積さんは、あまりやる気がないのか、どう見ても呆れ気味だ。


 まあ、彼女達が呆れている理由とは、間違いなく反対だと思うけど、僕もこんなことをしても意味がないと思うんだ。だってさ、僕等が本気で戦ったら大変なことになるのだ。なにしろ、街一つを滅ぼすのに、然して苦労しないほどの力を持ってるんだから。


「ねえ、眞知田さん、こんなこと止めませんか?」


「ごめんね。与夢。でも、国を背負う者としては、引けない時もあるのよ」


 眞知田さんは、打って変わって優しげな声色で己が意思を伝えてくる。

 そして、僕の行為は、火に油を注ぐだけだったみたいだ。


「黒鵜君は引っ込んでちょうだい!」


「黒鵜、今は白黒つける時だ。黙ってな」


「ほんと、ガサツなジャリどもだな。うちの与夢に罵声を浴びせるとは!」


 ちょ、ちょ~~~、いつから僕が眞知田さんちの子になったんだよ。てか、名前は止めて......


 結局、説得も虚しく、僕等は決闘を行うべく場所を移すことになるのだった。









 あれから場所を移動して、僕等は彼女達が本拠地としている都立農産高校から少し離れた場所にきている。

 そこは、広い更地というには、至る所に建物の残骸が転がっている場所で、元々は大きな建物があったのだと思えた。


「さすがに、この広さがあれば問題ないだろう」


 いやいや、問題大ありだよ? 広いって言っても、小学校の敷地くらいしかないじゃん。


 眞知田さんは、納得の表情で頷いているのだけど、どう考えても僕等が戦うには狭すぎるような気がする。いや、この場合、僕や氷華が、と言った方が良いかもしれない。

 というのも、近接戦闘を得意とする一凛の場合は、これで十分だといえるからだ。


 やっぱり、僕等の力を見誤ってるんじゃないのかな......氷華がやり過ぎなきゃいいけど......


 めっちゃ心配になってきた僕は、氷華に視線を向ける。


 だめだ。めっちゃ、やる気になってるよ......


 彼女の眼差しは、まさに獲物を見つけた肉食動物を思わせた。


「さっさと始めましょ。時間が勿体ないわ」


 氷華は女王の如く優雅な動作で一歩前に出るのだけど、それを一凛が女豹の如きしなやかな動きで押し留めた。


「まてよ。まずは、うちが出る」


「ちょ、ちょっと、一凛!」


「いいじゃね~か、偶にはうちに譲れよな」


「んっも~、その代わり、一人倒したら交代よ」


「わかったわかった。じゃ、行ってくるぞ」


「あっ! 一凛――」


 氷華と交渉が成立した一凛は、僕の制止に耳を傾けることなく前に出る。


 大丈夫かな~。絶対にやり過ぎそうなんだけど......彼女達って、そんなに悪そうな人達じゃないし、怪我をさせるのは気の毒なんだよね......


 気合いの入った一凛を見やり、僕の不安はさらに募っていく。


 そう、僕の中では、敗北なんて間違っても起きないと感じているのだ。

 彼女達にどんな能力があるかは知らない。ただ、僕は相手のオーラを感じ取れるような気がする。

 そして、本能が囁くのだ。彼女達は僕等に適わないって。


「じゃ、こっちは、私から行くわ」


 一凛が前に出たのを見て、向こうは倉敷さんが歩み出る。

 すると、氷華が一凛と倉敷さんに背を向けた。


「さあ、私達は下がりましょ。ここに居ると邪魔になるわ」


「そうだね......ねえ、大丈夫かな?」


「何言ってるの。一凛が負ける訳ないじゃない」


「いや、そうじゃなくって、やり過ぎないかと思ってさ」


「ふふふ。それはあるかもね。そうとう頭にきてるみたいだし。ヤバい?」


「ちょ、ちょ~~~」


 僕の不安を伝えると、氷華はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。


 なんか、嫌な予感がしてきた......


 僕は膨れ上がる不安を必死に抑えながらも、一凛達との距離を取る。

 それに続くように、眞知田さん達もこちらへやってきた。


「さて、瞬殺されなきゃいいがな」


 それはないよ。眞知田さんには申し訳ないけど、こんなことは時間の無駄なんだよ。


 僕は溜息を吐きつつ、頭を横に振る。ただ、その態度を彼女は勘違いしたみたいだ。


「大丈夫よ。与夢。ちゃんと手加減してくれるから、死んだりしないわ」


 いや、そんな心配はしてないんだけど......というか、一凛がそうしてくれないと困るんだ。まあ、愛菜もいるから、即死しなきゃ大丈夫だと思うけど、遺恨が残るのも拙いんだよね......


 チラリと愛菜に視線を向けながら、再び溜息を吐く。

 そのタイミングで、一凛の声が聞こえてきた。


「いつでもいいぜ」


 一凛は空手の構えをとり、不敵な笑みを見せていた。

 そんな彼女の手と足の先は、黒いモヤに包まれている。

 どうやら、闇の魔法で強化しているみたいだ。


 ちょ、ちょ~~~、マジ? 一凛、倉敷さんが死んじゃうよ?


「ふふふ。じゃ、行くわよ!」


 一凛の力量を知らない倉敷さんは、木刀を右手にしたまま笑顔を見せるのだけど、次の瞬間、彼女はその場から消えた。


 えっ!? 速い......いや、違う......


「おいおい、初めから全開か?」


 眞知田さんの声が聞こえてきたのだけど、僕は戦いに意識を集中する。


「はっ!」


 消えた倉敷さんは、瞬時に一凛の背後に現れたかと思うと、右手の木刀を振り下ろす。

 その一振りは、移動の速度と比べると、酷く遅く感じられた。


 ああ、そういうことか......高速移動じゃないんだね。


「甘いぜ。そんな軟な攻撃なんて食らわね~」


 倉敷さんが発した気合いの声で気付いたのか、はたまた、木刀が振り下ろされる音で察したのか、どちらかは分からないのだけど、一凛は即座に倉敷さんの背後に回り込む。


 そう、その移動の速さは、倉敷さんの瞬間移動テレポートには敵わないけど、目にも止まらぬほどだ。


「な、なんだと!?」


「ふふふ」


 その光景を目の当たりにした眞知田さんが驚きを露わにすると、腕を組んで戦いに視線を向けていた氷華がほくそ笑む。


 いやいや、ふふふじゃないんだけど......ちゃんと手加減してよね。


「えっ!? まずっ!」


「ちっ、逃げられたか」


 一凛が放った蹴りは空を切り、彼女は渋い顔で舌打ちする。

 多分、倉敷さんは見失ったと感じたのだろう。即座に瞬間移動でその場から離脱したのだ。


「ちょっ、マジ? 私と同じ魔法が使えるの!?」


 瓦礫の上に姿を現した倉敷さんは、驚愕の表情で慄きを声にする。

 しかし、一凛は不敵な笑みを浮かべたまま、首を横に振る。


「ちげ~よ。てか、いくら移動が速くても、あんな攻撃じゃ、うちを倒すなんて不可能だ」


「くっ、言ったわね。じゃ、少し本気でやるわよ」


「死ぬ気でやらないと、うちには勝てんぞ?」


「マジで、そうみたいね......それじゃ、本気でやるけど、そっちには回復の手立てがあるよね?」


 ちょ、ちょ~、何を言い出すのさ。これ以上は拙いって......


 過熱していく展開に、僕は焦り始める。だけど、一凛はニヤリと犬歯を見せた。


「ああ、大丈夫だ。死ななきゃ平気......いや、死んでも平気かもな」


 な、なななな、なに言ってるのさ。死んだら拙いじゃん。


 あまりの発言に、僕は呆れて声をなくす。


「えっ!? ほんとに? まあいいわ。それなら全開でやるわよ」


「いいぜ! かかってきな!」


 よくないってーーーーーーー!


 一瞬にして姿を消す倉敷さん、即座に黒球を作り出す一凛、二人を見やり、僕は両手で頭を抱えて心中で絶叫するのだった。









 雲一つない青空。

 ただ、青一色というのは、少しばかり味気なく感じてしまうのは僕だけだろうか。

 それでも、どこまでも透き通るような空には、薄っすらと二つの月が浮かんでいて、どこか神秘的に思えてしまう。


 そんな晴れ渡る青空の下では、なぜか耳をつんざく音を轟かす稲妻が走っていた。

 ただ、轟いているのは、稲妻の音だけではない。


「私の雷撃が......そんな馬鹿な」


 瞬時に色んな場所へと移動する倉敷さんが、驚きの声を轟かせているのだ。

 その引き攣った顔は、まるで自分が放った雷撃でも食らったかのようだ。


「まだまだな。悪魔と戦った時は、こんなもんじゃなかったぞ」


 一凛は自分に向かってくる雷撃を黒球で防ぎつつ、瞬時に倉敷さんの死角へと回り込もうとする。


「攻撃能力は大したことないけど、あの瞬間移動が厄介ね」


 白熱する戦いを眺めていた氷華が、少しばかり悩ましげな表情を見せた。


「攻撃が大したことないだと......」


 氷華の漏らした感想を耳にしたのだろう。眞知田さんが瞳を見開いて絶句する。


 だから、初めから無意味だって言ったよね? まあ、確かにあの瞬間移動は厄介だけどね。というか、一凛との相性が悪いんだよね。僕や氷華なら範囲攻撃でイチコロなんだけど......


 驚く眞知田さんを他所に、僕は戦いの行方について考える。


 このままじゃ、負けることはないけど、勝つこともないよね。一凛はどうするつもりなのかな? もしかして、相手のマナ切れを待ってる?


 幾筋もの稲妻が宙を走り抜けるのを眺めつつ、僕は一凛の思惑を探るのだけど、そこで戦いに変化が現れた。


「じゃ、うちも、そろそろ本気で行くぞ」


「えっ!? まだ本気じゃなかったの?」


 ちょ、ちょ、ちょ、ちょ~、まさか、あれをやる気なの?


「うおおおおおおおおお!」


 一凛が気合いの声をあげると、途端に光の膜に包まれる。そして、次の瞬間には、ビキニアーマー姿で現れた。オマケに背中からは妖精の羽が生えている。


「あ~~~~~、とうとうやっちゃったよ......」


「は、恥ずかしい......ちょっと、やめなさいよ。一凛!」


 僕に続いて呆れ声を発した氷華が、人差し指でこめかみを揉んでいる。


 だよね。だよね。だって、めっちゃ恥ずかしいじゃんか......胸元なんてスカスカなのに......


「お、おいっ、あれにどんな意味があるんだ? ただのコスプレじゃないのか? てか、どうやって着替えたんだ?」


 あ~あ、眞知田さんまで呆れてるよ......まあ、意味はあるんだけど、あの格好は唯の好みだよ......


 そう、意味はある。一凛があの姿になった時には、精霊の力をフルに発揮できるんだ。だから、意味はあるんだけど......寒くないのかな? 今が春だとはいえ、まだまだ肌寒いんだよね。風邪をひかなきゃいいけど......


「いくぞ! 死ぬなよ」


 一凛はそう言うと、即座に地面に蹴りを入れた。

 途端に、地震のように地が揺れると、彼女を中心として半径二十メートルが陥没した。


「ちょ、な、なに地震を起こしてるのよ!」


 一気に足元が崩壊したことで、倉敷さんはバランスを崩して瓦礫と共に落下する。


「これで終わりだ。この状況じゃ瞬間移動もできんだろ?」


 精霊力を全開にした一凛は、一気に宙を蹴って倉敷さんの背後に回り込んだのだ。


「まずっ!」


「あっ! 一凛、ほどほどに――」


 焦る倉敷さんを見やり、僕が叫ぼうとするのだけど、それは少しばかり遅かったみたいだ。

 次の瞬間には、彼女は黒球に包まれて姿を消してしまった。


「お、おいっ! まさか――」


 倉敷さんの姿が黒球に包まれて消えてしまったことで、眞知田さんが焦ったのだろう。すぐさま前に出ようとする。

 しかし、一凛は宙を蹴って僕等のところへ戻ってくると、不敵な笑みを浮かべつつ首を横に振った。


「大丈夫だ。殺してね~よ。ちょっと、閉じ込めただけさ」


 彼女はそういうと、僕等の前に黒球を出し、瞬時にそれを消した。


「あれ? なんでだ?」


 ただ、黒球が消えて倉敷さんが現れたのだけど、その様子を目にした一凛は首を傾げた。


「お、おいっ! 知世! 大丈夫か!」


「と、知世! 生きてる?」


 地面に転がって、ピクピクしている倉敷さんを目にした眞知田さんと穂積さんが、慌てた様子で声を張り上げる。

 なにしろ、少しばかり焦げた倉敷さんは、どう見ても瀕死の状態に見えるのだ。


「ま、ままま、愛菜。直ぐに治療して!」


「は、はい!」


 拙いと感じて指示を送ると、愛菜は即座に再生魔法を始める。

 どうやら、なんとか間に合ったようで、倉敷さんに僕が血を与えるオチはなくなったのだけど、少しばかりやり過ぎた一凛には、お灸を据える必要があるだろう。


「一凛! やり過ぎだよ」


「いや、そんなはずはないんだが......うちは閉じ込めただけだぞ?」


 一凛にクレームを入れるのだけど、彼女は彼女で理解不能なのか、腕を組んだまま首を傾げている。


 えっ!? どういうこと? これって、一凛がやった訳じゃないの?


 僕も返事を聞いて混乱してしまうのだけど、そこに氷華が割って入った。


「ねえ、一凛。あなた、稲妻を収めた空間に彼女を閉じ込めたんじゃないの?」


「うえっ......そうだった......」


 一凛もこうなった原因を理解したのだろう。顔を引き攣らせて呻き声を上げる。


 ちょ、ちょっ、一凛、もう少し考えて戦えないの?


 結局のところ、一凛の対戦は、倉敷さんが自分の攻撃を自分で味わうという、皮肉な結果で幕を閉じたのだった。

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