48 魔国ガルアディス
異世界の空はどこまでも澄みきっていて、美しいというよりも殺風景という印象だった。
ただ、現在の僕にとって、それをどうこう考える余裕はなかった。
「さ、寒いんですが......それも異常に......」
「すみません。もう少しですので、それまでご辛抱を......」
余りの寒さに耐えられず、思わず泣きを入れてしまう僕に、目の前の背中が申し訳なさそうに答えた。
当然ながら背中が物を言うはずもない。その背中の持ち主である女竜戦士が答えたのだ。
「それにしても絶景よね」
「ん~、景色よりも、空腹の方が......」
僕のポケットに納まる氷華が空高く飛ぶ飛竜から見下ろし、美しき景色の感想を述べるのだけど、やはり一凛はお腹の具合の方が重要らしい。
因みに、愛菜は別の飛竜に乗っているので、ここには居ない。しかし、きっと僕と同じで、あまりの寒さに縮こまっていることだろう。
現在の僕は、取ってつけたような飛竜の二名座席に納まり、空の旅を満喫している。というか、凍えそうになっている。
ただ、その不格好な搭乗席からすると、恐らく本来は一名搭乗なのだろう。
それそうと、なにゆえこんな状況になっているかというと、それは僕にもよくわからない。
というのも、目の前に居るこの女竜戦士――カラクが是非とも城に来てくれというので、致し方なくそれに従うことにしたのだ。
勿論、一凛の空腹を考慮した訳ではない。
では、なぜ大人しく従っているかというと、懇願の瞳を見せるカラクの押しに負けたからだ。
カラクの様子からして悪い状況にはならなだそうだし、この世界の情報も欲しいという理由もあり、色々と思案した結果、首を縦に振ることになったのだ。
「それじゃ、君等は魔族で、あの村の人も含め、ここは魔族の国でいいんだね?」
「はい。ここは魔国ガルアディスです」
僕の問いに、カラクは少しだけ振り向いた状態で頷く。
魔国ガルアディスか......名前だけ聞くと、めっちゃヤバそうな気がするんだけど......
褐色の肌、銀の髪、金色の瞳、額に生えた角、どれをとっても日本人の僕からすれば異質に映る。
その容姿は外国に行けば目にしそうなのだけど、さすがに角となると外国人でも異質に感じるだろう。でも、それだけで人間ではないと言うには、彼女はあまりにも人間らしかった。
ただ、どうしても気になるのが、人族の存在だ。なにしろ、村人は僕や愛菜を見て逃げ惑ったのだ。
「あの~、人族ってどんな人達なんですか?」
「悪魔です」
これまで優しげな表情で接してくれていたカラクが、人族と聞いた途端に眉を顰めた。
悪魔ね~。って、この世界の悪魔って、どんなのだろう? あれ? そういえば、彼女が話してるのは日本語? 村人の言葉も日本語だったような......いや、僕が聞き取れたんだから日本語だよね? だって、英語の成績は......お察しだもん。
見た目が人間であるが故に、これまで気付かなかったことに思い至る。
そう、言葉が通じることに対する疑問だ。
「あの~、どうして僕の言葉が分るのですか?」
「えっ!? 竜神様がガルアディス語でお話しされてますので......」
「はぁ? 僕がガルアディス語を?」
どうやら、彼女には僕の言葉が母国語に聞こえるみたいだ。
おかしいな~、僕は日本語しか話してないんだけど......というか、日本語しか話せないんだけど......
「えへん! えへん!」
彼女の返事を聞いて首を傾げていると、何やら氷華がワザとらしい咳ばらいをした。
それに気付いて視線を向けると、ポケットから上半身を出して、自慢げに胸を張っている。
勿論、その胸は人間の時よりも遥かに薄い。もう、平面といっても過言ではないくらいだ。
「氷華、どうしたの? 風邪? 大丈夫?」
「違うわよ! 失礼ね。私のお陰よ」
「何が?」
「相変わらず察しが悪いわね。言葉よ。こ・と・ば!」
鼻高々な氷華に問い掛けると、言葉が通じる理由が自分だと自慢し始めた。
ただ、そう言われても、はいそうですかと納得できない。だって、カラクの言葉は日本語に聞こえる訳だし、彼女には僕の言葉がガルアディス語に聞こえるのだ。どう考えても氷華が何かやっているようには思えない。
「どういうこと?」
「精霊は万物の素なのよ。だから、私達が居ると誰が何語で話そうと、その意味がそのまま相手に伝わるのよ」
「もしかして、勝手に翻訳して聞こえるってこと?」
「まあ、そんな感じね」
鼻高々な氷華を他所に、今度は一凛が自慢げに胸を張る。
勿論、氷華と同様にかなり薄っぺらだ。
「すげ~だろ! 『勝手に翻訳』だぞ!」
「ちょっ、パクリみたいな名前を付けないでよ」
自慢げにしていた氷華が、割り込んできた一凛にクレームを入れる。
しかし、一凛は気にしていないのか、ニヤリとした笑みを僕に向けてくる。
ふむ。どうやら自分が役に立ってるって言いたいみたいだね......確かに今更だけど、二人が居なかったら言葉が通じなかったのか......そこまで考えてなかったや。というか、もっと簡単に事が進むと思ってたんだけど......
そう、僕は聖樹の近くに転送されると考えていたのだ。だから、この世界の情報を得てとか、全く以て考えていなかったのだ。
ただ、そうなると......
「じゃ、君等が翻訳を止めれば、僕等の言葉は相手に悟られないということだよね。確かに、これはなかなか便利かも」
「い、いえ......」
「うぐっ......」
僕は日本語を使うことで気密性が確保できると考えたのだけど、それを口にした途端に氷華と一凛が口籠った。
「どうしたの?」
「いえ、翻訳はオート機能なのよ」
「そ、それって、君等が翻訳してるんじゃなくて、存在がそうさせてるってことじゃないの?」
「まあ、有り体に言うとそういうことになるわね」
どうやら翻訳は彼女達の能力ではなく、万物の素である彼女達の存在自体が勝手に作り出す産物のようだ。
まあ、居なければ得られない効果だけど、それって、氷華や一凛の力じゃなくて、リリとララの力だよね?
嘆息しながら少し冷やかな視線を氷華と一凛に向けていると、前席に座っているカラクが話し掛けてきた。
「竜神様、もう直ぐ到着です。城が見えてきました」
彼女は前方に手を向け、到着が近いことを教えてくれる。
余りの寒さから、景色の美しさなど見る余裕のない僕は、それを聞いてホッとするのだけど、どうも竜神様という呼ばれ方がしっくりこない。
初対面で行き成り竜神様と呼ばれ、それに首を傾げた僕は直ぐにそれを否定したのだけど、彼女は頑として聞き入れてくれなかった。
勿論、その呼び方の理由を尋ねたりもした。だけど、竜神様は竜神様ですと一点張りで、全く以て竜神様と呼ばれる理由が分からないのだ。
そんな訳で、それ以上は追及しても意味がないと考え、敢えて問うことをしなかったのだけど、何度聞いてもしっくりこないのだ。
しかし、次の瞬間、僕の眼に巨大な城が映る。
「こ、こりゃ凄いや」
「絵に描いたような城ね。それに湖畔の城とか雰囲気あり過ぎだわ」
「きっと、ご馳走にありつけるぞ」
僕の驚きに続いて、氷華と一凛が感想を述べるのだけど、一凛の場合は、城を見た感想というには少しばかり異質だ。
一凛についてはさておき、その城はそれ自体もそうだけど、周りの景色もとても美しく、感動に価する作りだ。
巨大な湖に張り出した小島のように佇んだ城には、鉛筆のように先端の尖った塔が何本も立ち、湖から生えだしているようにも見える。
城に続く橋を岸に辿ると、そこには白とオレンジで染められた大きな街があり、湖の向こうには高い山々が
未だ何が何やら理解できない僕は、城、湖、街、周りの景色、そんな様々なものに感動しつつ、飛竜に乗ったままその巨大な城へと舞い降りたのだった。
磨き抜かれた石造りの壁は、見事としか言いようがなかった。
海外旅行の経験がない僕は、洋風の城というものを目にしたことがなく、3Dゲームの世界でしか見たことのないのだ。
そんな僕は、美しき本物の城の作りに度肝を抜かれていた。
なにしろ、巨大な岩を綺麗に加工し、顔が映るくらいの鏡面に磨き上げているのだ。
「ふは~っ、こりゃ凄いや」
「鏡の城って感じね」
「ほ~、うちって、結構、可愛いじゃん」
「どうやって作ってるんでしょうか。それほど技術が発達してるようには見えませんけど」
カラクの案内で城内を歩く僕は、キョロキョロと城の内部に視線を向けな感嘆の声をあげる。
いつものように、氷華、一凛、愛菜の三人が僕に続い感想を口にしているのだけど、ここでも一凛は全く別のことに意識が向いているようだ。綺麗に磨かれた石に映る自分の姿を見やり、満足そうに頷いている。
精霊と融合している氷華と一凛なのだけど、その容姿は二人本来の姿ではなく、精霊であるリリとララの姿のままだ。
ただ、少し気になるのが、カラクが二人のことを全く気にしていないことだ。
普通なら驚いても良さそうなものなのだけど、この世界における精霊とは、気に掛けることすらないほどに普通の存在なのだろうか。
氷華と一凛がどれだけ騒ごうと、カラクは二人にチラリとも視線を向けない。
カラクの態度を不思議に思いつつ、彼女の後に続いて城内を歩いていたのだけど、氷華はもっと違うことに疑問を感じたようだ。
「ねえ」
「なに?」
ポケットから上半身を出した氷華が、腕を組んで頭を傾げたまま声を掛けてくる。
その雰囲気からして、なにやら気になることがあるようだ。
「城って、もっと警備兵が居てもいいと思わない? それに、さっきから目にするのは女性ばかりだわ」
「そう言われると、そうだね。竜舎には男の人もいたけど、城に入ってからは女の人との遭遇率が高いね」
「遺伝子的に、魔族は女性が生まれやすいとかですかね?」
氷華の疑問に僕が同意すると、左手の人差し指を頬に当てた愛菜が、自分の考えを口にする。
右腕に関しては、しっかりと僕の左腕に掛かっている。
それはそうと、愛菜の思考は真面で本当に助かる。
なにしろ、一凛に至っては抑々が脳筋派だったのに、精霊と融合した影響か、以前よりも遥かに思考が劣化しているように思えるのだ。
「男はみんな狩りに出てるとかじゃないのか?」
「何言ってるのよ。狩猟民族じゃないんだから、そんな訳ないでしょ」
素っ頓狂な一凛の発言に、氷華が呆れた様子でツッコミを入れている。
しかし、そんな僕等の遣り取りを他所に、カラクは巨大な扉の前で脚を止め、そこで番をする二人の衛兵らしき男に声を掛ける。
「竜神様をお連れしました。開けてください」
二人の男は、彼女の言葉を聞いた途端に驚きを露にし、慌てて一歩前に出る。
「ほ、本当に......」
「竜神様がこられたのか?」
槍を持った男達が信じられないといった様子で声を掛けてくると、カラクは彼等の言葉を無言の首肯で肯定した。
「やった! やったぞ! これで何とかなるぞ」
「うむ。これで人族の悪行を止められるぞ」
竜神様って......違うのに......こりゃ、どんどん深みに嵌ってるぞ......人族の悪行を阻止? いや、無理だから......抑々、そのために、この世界に来たんじゃないし......
二人の男はカラクの返事を目にして、一気に喜びを露わにするのだけど、僕としては嫌な予感しかしない。
だって、彼等が何を考えているかも分からなければ、人族の悪行も知らないのだけど、できればどちらにも関わりたくないのだ。
「気持ちは解りますが、それよりも、先に開けてください」
「おお、そうだった」
「すまん。今、開ける」
喜ぶ二人を柔らかな表情で眺めていたカラクだったのだけど、どうやら先を急いでいるようだ。少し申し訳なさそうに、彼等の喜びを遮る。
二人は嬉しさが最高潮なのか、彼女の言及に不快さを見せることなく、扉の両サイドに置かれた石柱にそれぞれが手を振れた。
その途端に、扉が重々しい音を立ててゆっくりと向こう側に開いていく。
「もしかして、認証システムなのかな? そうだとしたら、めっちゃ高度なんだけど」
「さあ、でも、何かの魔法が掛かってるんでしょうね」
「う~ん、凄いけど、今は食堂の方がいいな」
「雰囲気からして、謁見の間でしょうか?」
僕と氷華は扉の機構について話し、一凛と愛菜は開かれた扉の向こうに見える広間について話している。
しかし、僕等の会話を気にした様子もなく、入り口に居た二人の内の一人が声をあげる。
「竜神様の御成です」
その途端に、割れんばかりの喝采が湧き起こり、謁見の間らしき広い部屋を満たしていた。
城が揺れているのではないかと思うほどの反響に、僕は思わず足を止めてしまう。
「えっ!? な、なにこれ、ちょ、ちょっ――」
「いったい何なのかしらね。こんなに歓迎されると、少し気持ち悪いわ」
「別に氷華を歓迎してる訳じゃないだろ?」
「さっきの話からすると、人族を何とかして貰えると思ってるんじゃ......」
予想だにしていなかった状況に、僕等は戸惑ってしまうのだけど、恐らくは愛菜の台詞が
その証拠に、喝采を上げる者達から、助かったとか、これで何とかなるとか、奴等を追い返せるとか、そういった何かを願うかのような言葉が聞こえてくる。
「まずいね――」
「竜神様、どうぞ、こちらに」
「あっ、は、はい」
如何したものかと氷華に声を掛けようとしたのだけど、カラクの言葉で遮られてしまう。
本当なら一目散に逃げ出したいのだけど、この状況からするとそれも儘ならず、渋々と脚を進めることになる。
入り口から真っ直ぐ敷かれた紫色の絨毯をカラクに付いて歩くと、まるで勝者の凱旋であるかのように、けたたましいほどの拍手が鳴り響く。
本当は氷華と話し合いたいところなのだけど、こうなると会話すら儘ならない。というか、何を話しても聞こえないだろう。
拙いよ、拙いよ、拙いよ、これは拙い展開になってるよ。このままだと、間違いなく戦いの場に放り出されるはずだよね。いや、いざとなれば、トンズラすれば......
脚を進めながらも、僕はこの国を逃げ出す方法を考え始める。
そう、逃げ出すのはそれほど難しくない筈だ。別に拘束されている訳ではないのだから......
最悪の状況を考慮して逃げ出す算段をしていると、カラクの脚が止まった。
「お待たせしました。王命に従い、竜神様をお連れしました」
「ご苦労様です。ようこそ竜神様。いえ、
「はぁ?」
玉座から聞こえてくる声、その声が放った僕の名前、二つの出来事が僕の思考を停止させる。
逃げ出す算段をしていた僕は、気付かないうちに俯いていたのだ。その所為で玉座の前に立つ者の姿を全く認識していなかった。
それが不意打ちとなって、僕の驚きを加速させた。
「えっ!? 女の子? 魔王だよね? なんで女の子? いや、なんで僕の名前を? どういうこと?」
余りの驚きに素っ頓狂な声をあげるのだけど、玉座の前に立つ美しき少女は気にすることなく、ゆっくりと僕の前に歩み出る。そして、何を考えたのか寸前で足を止めたかと思うと、その場に膝を突いた。
「黒鵜様、どうか滅亡寸前の我が魔国ガルアディス――いえ、この世界をお救いくださいませ」
「はぁ? この国を救う? この世界を救う? いや、無理だから、僕にそんな力なんて無いから――」
「いえ、黒鵜様しかいらっしゃらないのです。精霊王がそう告げていました。故に、黒鵜様でも
紫の絨毯に膝を突き、恭しく頭を下げた少女が嘆願する。
叶えられることなら、いくらでも協力してあげたいのだけど、今の僕には無理な話だ。
だから、どう考えてもノーと言いたい。しかし、精霊王の存在を聞いたからには、無視してここから逃げ出す訳にも行かなくなった。
「精霊王?」
「はい。闇の精霊王のお告げです」
これって、呪縛じゃない? もしかいて、ベラクア様、僕を嵌めたんじゃ?
思わずこの状況は呪いに違いない感じた僕は、その場に崩れ落ちそうになるのを堪えつつ、荒川に居ついた精霊王ベラクアの言動を訝しく思い始めるのだった。
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