27 炎獄の魔法使い

※ 少し残虐な内容が含まれています

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 怒り? そんな言葉で語れるほど温い感情ではない。

 憎しみ? その程度の表現で言い表せる気持ちではない。

 では、なんだというのだ? それは自分でも分からない。いや、そんなことはない、気が狂いそうなほどに激怒してる頭ですら理解できた。それは狂気と殺戮の感情だ。

 そう、氷華と一凛の死は、いつまでも甘っちょろい僕を悪鬼へと変貌へんぼうさせた。


 氷華と過ごした、ちょっと痛かったり辛かったりしたけど楽しい日々。

 時に呆れ、時に笑えた、一凛との愉快な日常。

 脳裏では、そんな思い出がまるでリピートされるかのように繰り返し映し出されている。

 だけど、胸の内では、それを過去形にした奴等、ろくでもない奴等に無惨むざんな死を与えたいという感情が渦巻いている。


「ちょ、な、なんで立てるのよ」


 気が付けば、立ち上がっていた。いや、気が付くというよりも、何も意識していなかった。

 すでに虫の息だと思っていたのだろう。血濡れた僕が立ち上がったことで、嘲りの表情を浮かべていた葛木の顔が一気に引き攣った。


 どうでもいい。いやいや、もっと恐怖を、苦痛を、絶望を、嫌というほど味合わせたい。


 ただただ胸中で渦巻く感情に突き動かされている。

 そんな僕の腹部に新たな傷が刻まれ、まるで花を咲かすが如く鮮血が飛び散る。

 それでも、不思議なことに痛みなんて全く感じなかった。そして、喜ばしいことに、その攻撃のお陰で、僕に、いや、氷華と一凛を死に至らしめた直樹の姿を見つけることができた。

 僕が倒れないことに恐怖しているのか、直樹は銃を持ったまま驚愕の表情を浮かべている。


 奴が二階から狙撃している姿を見つけ、頭の中は殺戮の手段だけで埋め尽くされる。


「正義? 何が正義なものか、あんたの正義なんて蛆虫うじむしにも劣るよ。さあ、苦しめ。さあ、呻け。さあ、後悔しろ。自分が愚かだったことを思い知れ!」


 恐怖に顔を引き攣らせる直樹に呪詛じゅその言葉を放ち、続けて赤く血に染まった右腕を奴に向ける。そして、中指と親指で音を鳴らす。

 それは、あたかも静寂の世界をノックすかの如く、ショッピングモール内に響き渡る。

 だけど、それを掻き消すかのように、直樹が苦痛の呻き声をあげる。


「ぐあっ! ひっ……オレの、オレの脚が……」


 奴の呻き声が響き渡る。

 そんな奴を嘲笑うかのように、千切れ飛んだ奴の脚が一階の床に転がる。


「まだまだ序の口だよ? もっともっと苦しんでくれなきゃ」


 小型の爆裂で奴の脚だけを吹き飛ばした。

 それは意図した攻撃ではない。なにしろ、いまや狂気に襲われた意識の中では、奴等に恐怖や苦痛を与えることだけが繰り返し思考されているからだ。いや、もう一つあった。それは、奴等の無残な死だ。

 そんな思考は、苦しむ直樹にあざけりを与えた。


「な、直樹!」


「直樹!」


「もっと泣き喚いてよ、もっと苦しんでよ。まだまだこれからだよ」


 直樹を心配した葛木と蔵人が声を上げる。それは、まさに歓喜の声だった。それこそ甘い蜜だった。

 怨讐おんしゅうに突き動かされ、奴をおとしめる言葉を口にしながらも、笑みすら浮かべることはない。

 ただただ、奴等に苦しみを与える方法、奴等に絶望を感じさせる手段、奴等に自分達の行動を後悔させる手口、そして、奴等に惨い死を迎えさせる手順だけが頭の中を巡っている。

 肢体をバラバラに吹き飛ばすのか、はたまた生きたまま身体の端から焼くのか、そんな非情で凄惨せいさんな光景ばかりが思考を支配する。

 だけど、次の瞬間、勘が囁いた。本能が頭を動かせと言っている。

 それに従って頭を右に倒すと、左耳が風切り音を拾う。

 空気を叩くような音で攻撃を受けたことを知り、おもむろに視線を背後へと向ける。


「く、くそっ、ば、化け物が!」


 視線の先では、銃を構えた蔵人が罵り声を口にしていた。


「ああ、ここにも蛆虫が居たんだったね」


 して感銘かんめいを受けることなく、軽いノリで指をパチンと鳴らす。

 すると、蔵人が持つ拳銃が爆発する。その衝撃で奴の両手が千切れ飛んだ。


「ぎゃーーーーーー! て、手が……はあああああああ、手がーーーーーーーーーー!」


「うっさいな~。飛翔!」


 右手が吹き飛んだことで、蔵人は痛みと混乱で騒ぐ。

 その叫び声は、歓喜よりも煩わしさを抱かせる。

 苦しむ姿は望むところなのだけど、うるさいのは願い下げだ。

 だから、奴に人差し指を向けて魔法を唱える。

 途端に千切れ飛んで転がっていた奴の手が宙を浮遊したかと思うと、吸い込まれるかのように、持ち主である奴の口に叩き込まれる。

 強引に叩き込まれた己が手の所為で、奴の歯が折れて弾け飛ぶ。


「ふぐ、ふごぐご、ふぐぐぐぐぐぐ」


 いまや両手の無くなった蔵人は、血濡れた両腕で必死に口の中の手を取り出そうとする。

 でも、それが上手くいくことはない。なにしろ、口に入った手を掴もうにも手首から先がないのだ。

 自分で取り出すことが叶わないと知ると、奴は何を思ったのか、恐怖に顔を凍らせて逃げ出そうとする。


「逃がすわけないでしょ。あんたは燃えてよ! 炎撃!」


「ふがっ、ふがーー! ふがーーーーーーーーーーー!」


 愚かだと感じつつも、すかさず魔法を発動させると、奴の脚から炎が灯る。そして、まるで人間発火のように一気に燃え上がった。

 それでも、一瞬にして死に至らぬように加減していることもあって、奴は熱さに苦しみながらも必死に炎を消そうともがく。


「ああ、頑張って消してみてね。まあ、無理だろうけど……次は――」


 蔵人にあざけりの言葉を投げかけ終わると、徐に視線を二階へと戻す。

 そこでは、片足となった直樹が必死に逃げようとしていた。


「ああ、逃げようなんて、甘い甘い。さあ、懺悔ざんげの時間だよ。浮遊!」


「うわっ、うわっ、や、やめろ、や、やめろ!」


 機関銃を杖代わりに逃げようとしている直樹に魔法を掛ける。

 すると、まるでワイルドボアをさばいていた時のように奴の身体が宙に浮く。

 そして、床に尻餅を突いてガクガクと震える葛木の隣で下ろしてやった。

 ああ、葛木に関しては、あまりの恐怖に腰が抜けたのかもしれない。というか、失禁までしているようで、床が水浸しになっている。ただ、この場合は、尿浸にょうびたしなのかもしれない。


 それは良いとして、騒ぎ立てる直樹が床へと到着すると、腰を抜かした葛木が必死にい寄る。

 そして、青い顔でガクガクと震える直人にすがりり付いた。


「な、直樹……く、蔵人が……」


「か、万葉かずは……くらと……」


 ガタガタと震える二人を睨みつけるでもなく、どう始末すれば奴等が苦しむかと考える。

 奴等が苦しむためのには、どんな魔法が良いかと思案しているのだ。

 というのも、現在の自分なら自由自在に魔法を操れるような気がするのだ。

 どういう理由で魔法を手足のように使えているのかは分からない。でも、今はそれを気にすることすらない。

 ただ、思考しつつも口は勝手に動き始める。


「さあ、どんな死に方がいい? ああ、簡単には殺さないから安心してね」


「ゆ、許してくれ。オレ達が悪かった。何でもするから、物資なら好きなだけ持って行ってもいい」


「ご、ごめんなさい。こ、怖かったの。殺されると思ったから……」


 直樹と葛木が命乞いを始める。


「な~んだ。悪かったって理解してるんだ。だったら、罰を受けても文句は言わないよね?」


「ゆ、許してくれ。た、助けてくれ」


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 必死に命乞いしているのだけど、突如として奴等の瞳が輝いた。


「ん?」


 疑問に思う間もなく、吹き抜けとなった各階から魔法の攻撃が放たれた。

 途端に、命乞いをしていた直樹と葛木が勝者の笑みを湛える。


「馬鹿な奴等だね。ほんとに愚かな奴等だよ。手出しをしなければ死なずに済んだものを……いや、こいつら等は死んだ方がいいんだろうね」


 不思議なことに、各階から放たれた魔法を見ることなく感じ取れた。

 それと同時に、蔑みの言葉をこぼしながらも指を鳴らす。


「炎壁!」


 魔法を唱えると、一階のホールに居る僕等を囲むように炎の壁が生まれ、各階から放たれた魔法を焼き尽くす。


「えっ!?」


「ひうっ!」


 炎の規模が余りにも桁外れだった所為か、直樹と葛木の二人は燃え上がる炎の壁を目にして、驚きとおののきで顔を凍りつかせる。

 その瞬間に、奴等は敗北という文字を頭に浮かべたのだろう。

 一瞬にして敗者の表情となった二人に、懇切丁寧に教えてやる。


「ああ、僕は炎獄の魔法使い黒鵜与夢だ。それで、あんた等は愚かな蛆虫うじむしだよね。害虫はこの世から消えたほうがいいよね。いや、そうあるべきだ。焦土!」


 ショッピングモールに居る者全てに教えてやるつもりで、高らかな名乗りと毒々しいののしりをくれてやると、容赦なく指を鳴らす。

 すると、各階で地獄の業火に相応しき炎が上がる。


 そう、気付いてしまったのだ。いや、氷華と一凛が死をもって気付かせてくれたのだ。

 この混沌と化した世界で、一番危険な存在は魔物ではなく人間だということを。二人がその身をもって、愚かな僕に教えてくれたのだ。


 あちこちから悲鳴や呻き声、助けを求める声が上がる。だけど、全く罪悪感もなければ命を刈り取ることに抵抗も感じない。

 それどころか、唖然あぜんとしている眼前の二人に告げる。


「あんた等がやったことは藪蛇やぶへびだったんだよ。ここに居る者を始末して物資を得るつもりなら、とっくにそうしてるし、とても容易いことなんだよ。そもそも、そんなつもりなんて微塵もなかったのに……そう、あんた等がやったことは自殺と同じなのさ」


「す、すまない。お、オレ達も自分達を守るために……だから、許してくれ。助けてくれ」


「し、知らなかったの……だから……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 既に勝てる見込みが無くなったと感じたのか、直樹と葛木が必死に謝り始める。


 風見鶏か、こいつら……ほんとにゴミだな……こんな奴等の所為で……氷華……一凛……


 再び頭に大切な仲間だった二人のことが浮かぶ。

 それは、狂わんばかりに悲しみと憎しみで僕の心をむしばむ。


「いいよ。許してやる」


「ほ、ほんとうか!?」


「えっ!? ほ、ほんと?」


 甘言かんげんに喰いついた二人は、再び風見鶏であるかのように笑顔を見せた。

 そんな二人に許してやる条件を教えてやる。


「あんた等を許して、氷華と一凛が生き返るのなら、いくらでも許してあげるよ」


「ふぐっ……」


「ひうっ……」


 生き残れる条件を聞いて、到底不可能だと判断したのだろう。直樹と葛木は銅像のごとく固まる。


「お、お願いだ。なんでもするから。たすけて、たすけてください」


「あ、わ、私、クロっちの女になるから、なんでもするから、エッチだって、何したっていいんだよ?」


「うるさい! この豚ども! あんた等なんかいらね~! なんもいらね~! あんた等なんか、この世にいらないんだっつ~の! 炎撃!」


「ぐあーーーーーーーー! あづい、あづい、あぐっ……ふげっ……」


「きゃーーー! ぎゃーーーーー! ぐぎゃ……ぐげっ……」


 見るに堪えない者達に向けて魔法を放つ。文字通り火達磨となって異臭を放つ。

 ただ、このショッピングモールには、既に多くの人間の焼ける臭いが充満しているお陰で、二人の焼ける臭いもして気にならない。


「終わった。氷華、一凛、敵は討ったよ。でも……」


 大火災といっても過言ではないショッピングモールを見渡す。

 ところが、復讐を終わらせたというのに、自分の気分が全くスッキリしないことに気付く。

 そう、復讐なんて虚しいものだった。だって、ここゴミどもを片付けても、二人は生き返らないのだ。

 自分の行為が無駄だったと感じると、少しずつ怒りが収まる。

 だけど、怒りが収まる度に悲しさが増していく。


「氷華、一凛、ごめんね。僕がもっとしっかりしてたら……これだけの力があるんだから、僕がもっと上手くやれば……」


 赤く染まった二人に近づきつつ、心から謝罪する。

 止まらない涙で視界がままならない。それでも彼女達の側へとゆっくりと歩み寄る。

 ただ、悲しみに暮れながらも、自分の異常性に気付いた。


 どうして僕は死なないんだろう。彼女達よりも派手に撃たれているはずなのに……


 己が身体をまさぐって撃たれた傷を確かめたる。ところが、どこにも傷跡が残っていない。

 そのことに驚きつつも、巨竜と戦った時のことを思い出す。


 あの時、僕は死んでたはずなんだけど、なぜか無傷だったんだよな……確か、ココアが……


 そこで、すっかり忘れていたココアの存在を思い出した。


「ココア! どこ? どこにいるの?」


「ウナ~~」


 なんてことはない、ココアは氷華と一凛の下敷きになっていた。

 彼女は抜け出せないまま、二人のことをペロペロと舐めている。


「び、びっくりした~。ココア、無事で良かった……」


「ニィ~~~」


 安堵の息を吐くと、彼女は頭を上げて返事をしてきた。だけど、直ぐに頭を下げて一凛を舐め始めた。


「ダメだよ。ココア。二人をゆっくり寝かせてあげよう」


「フニャ!」


 一凛を舐めているココアを抱き上げようとすると、彼女はいつもと違って嫌そうな声を上げた。


 ああ、ココアも二人が逝ってしまって寂しいんだね。


 離れたがらないココアを見て、気が済むようにさせてやろうと抱き上げるのを止める。

 ただそこで一凛の素肌が少し見える。そして、異常に気付いた。


 あれ? 服に穴が開いてるのに傷がない? えっ? 氷華は?


 慌てて氷華の傷を確かめる。

 すると、直樹に撃たれた所為で、彼女の服の数か所に穴が開いているのだけど、そこから見える素肌は傷一つ無かった。

 それに気付いて彼女の胸に耳を当てる。だけど、無情にも鼓動が伝わってくることはなかった。


 あう……傷が治っても心臓が動いてないんじゃダメじゃんか……てか、ココアが傷を治したのかな?


 一瞬だけ喜びに打ち震えたのだけど、氷華の心臓がピクリともしていないことを知ってガックリと項垂れた。

 でも、傷が治っていることを不思議に思い、視線をココアへと向ける。

 その時だった。なにを考えたのか、ココアが僕に飛び掛かってくると、右手の指に爪を立てた。


「いてっ! ココア、どうしたの? いつもはこんなことしないのに……」


「ナァ~」


 指から滴る血を眺めながら、爪を立てたことを疑問に思うのだけど、彼女は真剣な眼差しでひと鳴きした。

 その瞳は、なにやら言いたげに見える。

 傷を治したことを尋ねるのも忘れて、彼女の黒い身体を抱き上げる。


「ねえ、何が言いたいの?」


 慌てて問い掛けると、彼女は僕の指を見詰め、その次に氷華へと視線を向けた。


「指? 氷華?」


 指と氷華の顔を繰り返し見詰める彼女を見遣って首をかしげると、彼女は僕の腕の中から飛び降りた。

 そして、再び見上げてくる。

 ただ、その表情は、恰も嘆息しつつ、ダメな奴だな~と言っているように思える。


 落胆を見せるココアは氷華の胸の上に乗ると、前足を彼女の口の上に置いた。

 続けて血が滴っている僕の指をジッと見詰める。

 その仕草でやっとココアの言いたいことを理解した。


「ああ、僕の血を飲ませろって言ってるんだね」


「ウナ~!」


「分ったよ。って、もしかして……」


 ココアの不思議な行動に、心臓が破裂せんばかりに高鳴る。

 そう、生き返るかもしれないと思えたのだ。


 慌てて氷華のかたわらにひざまずくと、赤く染まった自分の指を氷華の口に入れる。


 生き返れ! 生き返れ! 生き返れ! 生き返れ! 生き返れ! 生き返れ! 生き返れ! 生き返れ!


 心中で願いを繰り返しながら、指先を氷華の口に突っ込んだまま凝視する。

 すると、彼女の胸がピクリと動いたように感じた。


「氷華!? 氷華!」


 生き返ったのではないかと、必死に彼女の身体を揺さぶる。


 まさに奇跡だった。冷たくなっていた氷華の身体が脈打ち始め、血の気の失せた顔に赤みが差す。次の瞬間、彼女の瞼がゆっくりと開いた。


「ん、う、んん……あ、あれ? 黒鵜君? あれ? 私、撃たれたはずよね……」


「氷華----! よかったーーーー! ほんとに生き返ったんだね」


「ちょ、ちょっと、黒鵜君! な、な、なにやってるのよ。こら、どこを触ってるの!」


 必死に抵抗するのを無視して、横たわる彼女の身体に抱き着く。というか、彼女の胸に顔を埋めていた。

 嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、彼女が恥ずかしがっているなんて考えもしなかった。

 そんな行動に呆れたのか、それとも状況を理解したのか、彼女は抵抗するのをやめて僕の頭を優しく撫で始めた。


「もうっ、困った人ね……でも、無事で良かったわ。ところで、一凛は?」


「あっ! 忘れてた」


 彼女の声で一凛の存在を思い出す。

 慌てて身体を起こして一凛に触る。

 一応は確かめてみたのだけど、やはり脈はなく、冷たくなったままだ。


「やばっ、急がなきゃ」


 どれほどの時間まで生き返ることができるか分からないのだ。急ぐに越したことはない。

 ただ、自分の血を彼女に与えようとして慄く。いつの間にかココアに引っ掛かれた傷が治っているのだ。


「うわっ、もう治ってる……どうしよう……いや、風刃!」


 その治癒能力に驚きつつも、己が指を魔法で切り裂く。

 焦っていた所為か、少しばかり制御を誤ったようで、予想よりも深く切れてしまう。だけど、指が落ちるようなことはなかった。

 でも、その行動に驚いた氷華が声を上げる。


「ちょ、ちょっと、な、なにやってるの!」


「まあまあ、問題ないから」


 身体を起こした氷華が慌てた様子で窘めてくるのを押しとどめ、景気よく滴る血を一凛の口へと注ぐ。

 これまた氷華には理解不能だったのだろう。驚きを露にするのだけど、今度は口を挟むことなく黙って見ていた。だけど、青白くなっていた一凛の顔に血色が戻ると、途端に声をあげる。


「えっ!? こ、これって、どういうこと? 何がどうなってるの?」


 さすがに、その出来事を黙って見ては居られなかったのだろう。彼女が身を乗り出して尋ねてくるのだけど、実際のところ僕にも理解不能だし、ここまでの経緯を話す気にもなれなかった。


「ん、んん……暑い……臭い……」


 意識の戻った一凛が周囲の熱さと悪臭に苦言を申し立てる。

 まあ、それも仕方ない。未だにショッピングモールは火の海なのだ。

 だけど、そんなことは如何でも良いのだ。


「一凛! 良かった!」


「ちょ、お、おいっ、おい! 黒鵜! そ、そこは……ダメだって! いきなり襲い掛かるなよな! ものには順序があるだろ」


 上半身を起こした一凛に抱き付くと、彼女は慌てた様子で両腕をバタバタとさせている。

 でも、直ぐに氷華から冷たい声が投げかけられた。


「ねえ、黒鵜君。ドサクサに紛れてなにやってるのかしら」


「こら、どこに顔をうずめてんだ!?」


 死した者が生き返るという神の如き出来事に、感動と喜びを隠せずにいた。だけど、自分達が死んだことも知らない氷華と一凛は、その行動を許容できなかったのだろう。二人は燃え盛るショッピングモールの中でクドクドと説教を始めた。









 氷華と一凛の説教は辛かったけど、嬉しさで胸がいっぱいになっていたこともあって、それはしたる問題ではなかった。

 それよりも、事情を知った二人が、僕の血についてもそうだけど、ショッピングモールの有様に驚きを露にしていた。


「それにしても派手にやったな。これってあの正義君たちか?」


「自業自得よ! 人を騙し討ちになんてするからこんな事になるのよ。特に、あの女……」


 消し炭となった者達を見遣った一凛が片眉を吊り上げて感想を述べると、眉間にしわを寄せた氷華が毒を吐いた。

 ただ、これまでもそうだけど、やたらと葛木を敵視する氷華を疑問に思う。そして、その気持ちがそのまま問い掛けとなって口から零れ出る。


「ねえ、氷華」


「なに?」


「なんで、氷華は葛木……あいつを敵視してたの?」


 氷華は途端に渋い表情となった。でも、ひとつ大きな息を吐き出すと、仕方ないと言わんばかりに肩を竦めて話し始める。


「あの女、二枚舌なのよ。表では黒鵜君と仲良くしている振りして、裏では悪口とか言い捲ってたのよ。だから、前から嫌いだったの。最低な女よ」


 ああ、そんな事情が……てか、なんでそんなことを知ってるんだ?


「ねえねえ、氷華って僕と同じ中学だよね?」


「う、うぐっ……ち、ちが……そんなこと、どうでもいいでしょ。それよりも、これからどうするの?」


 言葉に詰まった彼女は、問いに答えることなく顔を顰めて露骨に話を代えてきた。


 ああ、こりゃ、絶対に答える気がないパターンだな……


 彼女は大抵のことは何でも話すのだけど、とかく自分のことになると、まるで貝のように口を閉ざしてしまう。

 これまでの付き合いで、それを理解していることもあって、追及することを諦めて嘆息する。


「取り敢えず、ベースキャンプにもどろうか」


「そうね。それが良いと思うわ」


「必要な物も粗方手に入ったし、それでいいんじゃないか」


 案という程のものでもない。それでも、取り敢えずゆっくり休みたいと考えて、コンビニに戻ることを提案した。

 すると、氷華のみならず、一凛も賛同してきた。

 どうやら、彼女達もここからさっさと離れたいようだ。


 こうして僕達はいつまでも燃え盛っているショッピングモールをあとにした。

 ただ、あとで知ったことだけど、僕達を騙し討ちするという直樹の案に賛同しなかった者も居たようで、ショッピングモールにはそれなりの人数が生き残っていたようだ。

 そして、その者達が触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、「炎獄の魔法使いには手を出すな」という処世訓を流布することになるのだった。



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あとがき


 いつも読んで頂いてありがとう御座います。m(_ _)m

 この話を以て第一章を終わりとさせて頂きます。

 第一章は、与夢が一人前の魔法使いなるお話とさせて頂きました。


 今後のお話ですが、まだまだ続きます。

 ただ、ストックが大ピーーーーーーーンチ、サラリーマン業務も大ピーーーーーーーンチということで、少しだけ書き溜めの時間を設けたいと思います。

 大変申し訳ありません。

 第二章からは、少しずつ話を広げていければと考えております。

 これからも宜しくお願い致しますm(_ _)m

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