15 猫の名前は


 世の中とは、どこまで皮肉なのだろうか。

 魔物を倒して最強を名乗るつもりが、そう決意した矢先に、こともあろうに葬るべき魔物を保護してしまった。


 猫用の液状おやつをペロペロと舐めながら、嬉しそうに尻尾をフリフリしている黒猫風の魔物を眺め、思わず嘆息してしまう。

 ただ、溜息を吐きつつも、あまりの可愛さに思わず頬を緩ませてしまう。

 すると、氷華はティッシュで鼻を拭きながら、困ったと言わんばかりの表情を向けてくる。


「ねえ、どうするのよ……くちゅん!」


「どうするのって言われても……倒す訳にはいかないだろ?」


「そうだけどさ~、もしかしたら、めっちゃ大きくなって、私達が襲われるかもよ?」


「ん~、襲ってくるのかな? そんなことしないと思うけど……お前、僕等を襲うのか?」


 問い掛けが自分のことだと感じたのか、キレイに舐め終わった器を名残惜しそうに眺めていた黒猫魔獣が視線を向ける。

 その表情は、「心外だな~そんなことしないよ」と言いたげに見える。いや、否定の言葉まで口にしていた。


「ニィ~」


 まあ、これを否定の言葉だと感じるのは、間違いなく先入観というか思い込みだと思うけど……

 ただ、この黒猫魔獣が僕等を襲うとは思えなかったのだ。


「ほら、そんなことしないって言ってるよ?」


「はぁ~、呆れた! 黒鵜君が猫好きだとは知らなかったわ。くちゅん!」


 呆れた様子の彼女が肩を竦めるのだけど、どうやら、くしゃみは止まらないようだ。というか、思いっきり猫アレルギーというか、猫型魔獣アレルギー?


「フニィ~」


 どうやら魔獣の方は彼女と違う感想なのか、嬉しそうに脚に擦り寄ってきた。


「うはっ、めっちゃ可愛い~。ねえ、みてみて、すんごく懐いてるし。というか、猛獣も子供の時から育てたら懐くんだよね?」


 胡坐あぐらを掻いて座り込んでいるのだけど、その脚の上に乗ったかと思うと、そこが定位置だと言わんばかりに丸くなる。

 その愛らしさに負けて良く分からない理屈をねる。

 その間も気持ちよさそうにする黒猫魔獣の頭をゆっくりと優しく撫でてやると、長い尻尾をゆっくりと揺らめかせていた。


「お腹いっぱいで眠くなったみたいね。まあ、猫缶二つにおやつまで食べたし……ちょっと食べ過ぎじゃないの?」


「きっと、お腹ペコペコだったんだよ」


「ん~、やけに擁護ようごするわね……まあいいわ。もし危険だと思ったら、その時は容赦なく始末するわよ」


「し、始末だなんて……そんな酷いこと……」


 自分の感情が少しばかり支離滅裂だと思いつつも、彼女の言葉に不満を抱いてしまう。

 なにしろ、どれだけ可愛かろうと、魔物は僕等にとって倒すべき敵なのだ。

 それを理解してるのだと思う。彼女は少しばかり真面目な表情で正論を口にした。


「でも、自分の命の方が大切だわ」


「そ、そうだけどさ……」


 その考えは理解できる。

 仮に、この黒猫魔獣が森で襲ってきたなら、間違いなく戦ったはずだ。

 ただ、こうやって懐いてくると、魔物を皆殺しにするという発想が馬鹿げているような気がしてくる。


 そうだよね……魔物だからって殺さなきゃいけないって訳じゃないよね。魔物達だって野生の動物と同じだけなんだよね……弱肉強食が全てなんだよね……じゃ、どうすればいい?


 胡坐の上でスヤスヤと眠りに落ちた黒猫魔獣を眺めながら葛藤する。

 だって、魔物にも命があるのだ。襲ってくるのならいざ知らず、無暗に殺すのは間違っているはずだ。

 ただ、人的被害、特に自分や大切な者に危害があるのなら、そこは弱肉強食の法則に従うしかないと思う。

 でも、魔物を殺さなくても問題ないほどに強くなれば、無暗に殺す必要もないのかもしれない。

 それで自分の大切な者達に被害が出なければだけど……


 魔物の殺生について考えていると、何を思ったのか、氷華が予想外の提案をしてきた。


「取り敢えず、名前を決めてあげたら? 呼び名に困るでしょ? それに、名前を付けたら懐くかも……って、思いっきり懐いてるみたいだけど……くちゅん!」


「名前か~~、何がいいかな~、タマとかクロはNGなんだよね?」


「愛情が足りないわ……」


 いやいや、そんなことを言ったら世の中のタマやクロに失礼だよ。


 一般的でありがちな名前を口にしたのだけど、彼女の偏見で即座に却下された。

 なんだかんだとネガティブなことを言ってはいるけど、彼女もこの黒猫魔獣を可愛いと思っているみたいだ。


「ほら、その子もいい名前を付けて欲しいってよ!」


 氷華に指摘されて視線を下げると、満腹で寝ていたと思っていた黒猫魔獣が、物欲しそうな顔を向けていた。


「そうか……名前が気になるのか?」


「フニィ~」


 どうやら、名前がとても気になるらしい。ああ、これも勝手な思い込みだ。


「なまえ、なまえ、なまえね~~、って、そもそも、この子ってオスなのかな、メスなのかな?」


「さあ、私にも分からないわ」


 今更ながらに、素朴な疑問を抱いて首を傾げるのだけど、どうやら彼女にも分からないようだ。だから、仕方なく本人――本猫? に聞いてみることした。


「君はオスかな?」


「……」


 特に考えることなく男かと聞くと、黒猫魔獣はなぜか不服そうに沈黙した。

 もしかして、人の言葉が解るのだろうか。黒猫魔獣の態度を見て更なる疑問を抱いてしまう。

 ただ、現時点では、言葉云々を棚上げして、性別の判断を行う。というか、その態度からして、取り敢えずオスでは無さそうだ。


「じゃ、メスなんだね?」


「ウニャ」


「おおっ、メスみたいだね」


「はぁ~、マジでやってるの? その子に聞いても仕方ないじゃない」


「でも、ちゃんとメスだって返事したよ?」


 呆れて反論する彼女を他所に、メスの名前を考え始める。


「ん~、ニャウ、ミア、シズ、静乃、天乃――」


「ダメダメ、天乃はダメよ! というか、行き成り和名になったのはなんでよ!」


 思いつく名前を羅列していくと、慌てた氷華がダメ出しをしてきた。


 ん? なんでダメなのかな? まあいいけど……黒色だしな~、どうしよう……黒、くろ、クロ、ん~。黒色って何がある? チョコ? コーヒー? ココア? ん? ココア……ココア……可愛いかも……


 正直言って、発想の貧困さには自信がある。その証拠に、ココアという名前の響きでピンときた。


「ココア~」


「ウナーーー!」


「おおっ、気に入ったみたいだ。よし、お前は今日からココアだ」


「ウナ~~~ン!」


 黒猫魔獣は付けてもらった名前を気に入ったのか、頭を僕のお腹に擦り付けてくる。


「どうやら気に入ったみたいね。まあ、悪くない名前かな。可愛いし……くちゅん!」


「よし、名前が決まったところで、お風呂に入って寝るとするかな。お前、少し臭うし」


「えっ!?」


「ニャ?」


 僕等は既に食事を済ませている。あとは風呂に入って寝るだけなのだ。

 ただ、漂う臭いが気になって言及すると、不思議そうにするココアとは別に、なぜか氷華が慌てた様子で自分の身体を嗅ぎ始めた。

 その行動に疑問を感じなくもなかったのだけど、敢えて追及しないでいると、彼女は自分の体臭を確認すると安堵の息を吐き、ココアについて指摘してきた。


「大丈夫? 猫って物凄く風呂嫌いらしいわよ?」


「そういえば、よくそういうよね……」


 何の話か理解できなかったのか、ココアはキョトンとした顔で首を傾げているのだけど、この後の入浴は大惨事となった。

 だけど、それに疲れたお陰で、何も考える間もなく安らかな眠りに就くことが出たのだった。









 ヒンヤリとした感触が伝わってくる。

 頬を撫でるザラザラとした感触は、まるで紙ヤスリのようだ。

 ただ、舐められている場所が、昨夜引っ掻かれた頬の傷となると、ヒリヒリとした痛みで目が覚めてしまう。


「つ~、うわっ! なにっ! ああ……ココアか……びっくりした~」


「フニィーーーー!」


 頬の感触と痛みで覚醒すると、金色に輝く二つの瞳が眼前に迫っていて、慌てて飛び起きる。


 そういや、昨夜はココアを保護したんだっけ……慣れてないからびっくりするよね……


 突然、飛び起きた所為で、驚いて飛び退ったココアが訝しげな表情を向けてくる。

 しかし、なにやら要求があるのか、すぐさま側に寄ってくると、しつこく頭を擦り付けてきた。


「ん? お腹が空いたのかな?」


「ニィ~~」


「どうやら、当たりみたいだね。そうかそうか、少し待っててね」


 店舗の隅に置かれた猫缶を取りに向かうと、彼女は嬉しそうに付いてくる。


 う~ん、やっぱりめっちゃ可愛いわ~。これって癒しだよね~。


 尻尾をピンと立てて付いてくるココアを見て、思わず和んでしまう。


 その途端だった。突如として轟音と震動が伝わってくると、窓ガラスを封鎖していた陳列棚が物凄い勢いで倒れてきた。


「うわっ! 魔物か!?」


「シャーーーー!」


 その場を飛び退きながら、倒れた陳列棚の向こうに視線を向ける。

 どうやら、ココアもいっちょ前に戦闘態勢を執っているようで、耳を後ろに伏せ、尻尾を狸かと思うほどに膨らませながら威嚇している。


 そんな僕等を他所に、割れた窓ガラスからは軽自動車サイズのワイルドボアが顔を覗かせていた。


「ちっ、朝から魔物登場とか、いい迷惑だよね」


「フニィ~」


「今の音は、なに!?」


 ココアが賛同してくると、そのタイミングで事務所の方から氷華が現れた。

 昏睡のように寝入った所為で知らなかったのだけど、どうも彼女は休憩室で寝ていたようだ。


「朝からイノシシね。安眠妨害とか許せないわ。絶対に鍋にしてやるわ!」


 鍋……そうか……ワータイガーやヘルドッグだと抵抗があるけど、ワイルドボアなら食べられそうだよね……


 怒り心頭となっている氷華にチラリと視線を向けながら、場違いとはしりつつも、魔物が食べられるのではないかと考え始める。

 ただ、今はそんなことを考えている場合では無さそうだ。

 というのも、ワイルドボアの唸り声からすると、一匹ではなく数匹が襲ってきたと感じられたからだ。


「取り敢えず、外で戦おう。ここがグチャグチャになると、計画が水の泡だからね。って、入り口が封鎖されてるし……」


 ワイルドボアを片付けるために、慌てて外に出ようとしたのだけど、入り口は氷の壁で覆われていた。

 多分、氷華が不法侵入者――この場合、魔物を懸念して戸締りしたのだろう。


「解除! もういいわよ! ちょっ、ちょっと、急に飛び出したら――」


 すぐさま氷華が氷壁を解除したのを見て、急いで表に出たのだけど、慌てて魔法をぶっ放す羽目になる。

 というのも、相変わらずの考えなしの所為で、魔物の規模を見誤ったからだ。


「爆裂! 爆裂! 爆裂! ここはタタラ場じゃないんだよ!」


 そう、外にでたところで目にしたものは、数匹どころか一族でやってきたのかと思うほどの数だった。


「ほら、だから言ったじゃない!」


「ご、ごめん。こら、ココア、中で待ってなさい!」


「フニッ!」


 氷華から窘められるのだけど、それよりも一緒に出てきたココアのことが気になる。

 なにしろ、ココアはワイルドボアが一飲みしてしまえるくらいのサイズなのだ。どうしても心配になってしまう。


「氷撃! 氷壁! 氷撃! 氷壁! くちゅん!」


 氷華と言えば、全く気にした様子もなく氷壁でワイルドボアの突進を止めながら、鋭い氷の矢でその巨体を貫いている。


「ちょっと、これは多いわね……」


「そうだね。でも、これくらいで音を上げる訳にはいかないよ? 風刃! 風刃! 爆裂!」


「わ、分かってるわよ」


 氷華を叱咤しながら、突撃してくる魔物の脚を切り裂くと、動けなくなったところで爆裂魔法をぶち込む。


「上手いわね……なんか、一気に精度が上がってない?」


「ん~、なんでだろう? 整地したから?」


「それだ! とは言えないけど、可能性としてはアリかもね」


 ワイルドボアの数は二十を超えていそうだったのだけど、もはや敵ではなかった。

 予想以上に、容易く倒すことができるのだ。

 多分、焦土で得た大量の魔黒石を吸収したお陰だと思う。いや、整地のお陰で精度が上がったからかな?


 魔黒石といえば、これまでに幾つかのことが判明していた。

 倒した者しか力を吸収できないのは既に理解していたのだけど、それ以外にも吸収すると魔力が回復すること、本人が吸収しないと意思することで消費されないこと、消費しなければいつまでもその存在を保っていることだ。

 そんな訳で、実のところ、未だに吸収しきれていない魔黒石をストックしてあったりする。


 まだまだストックがあるし、ここは氷華に頑張ってもらった方がいいかもね……


 自分だけが突出して成長している状態なだけに、ここは氷華の鍛錬とした方が良いと考える。


「氷華、僕は足止めだけするから、君はジャンジャン倒していって!」


「いいの?」


「うん。まだストックがあるし、足止めでも少しは吸収できるからね」


「分かったわ。ありがとう」


 戸惑う彼女に頷いてやると、嬉しそうな顔で感謝を述べてきた。

 それに微笑み返すと、透かさず気を引き締めてワイルドボアの足止めを始める。


「風刃!」


「喰らえ! 氷槍!」


 脚を風刃で切り裂かれ、動きの鈍くなったワイルドボアに、全長が二メートルはあろうかというゴッツい氷の槍を突き立つ。

 それは、ワイルドボアの硬そうな身体を簡単に辛き、一撃のでその命を刈り取ってしまう。


「フヒーーン!」


「バブッヒッ!」


「グバッフ!」


 彼女の一撃を喰らう度に、ワイルドボアが断末魔を上げて倒れていく。


 この攻撃の威力は凄いね……てか、初めて見た魔法だけど……新しい魔法かな?


「違うわよ! これは必殺魔法だから普段は使わないのよ」


 顔付きから考えを察したのか、氷華が技の説明をしてくるのだけど、なんで必殺魔法だと普段は使わないのか疑問に思う。

 ただ、今は彼女も忙しそうなので、敢えてその質問をすることはなかった。


「これで最後よ! いけっ! 氷槍!」


 最後の一匹に極太の氷の槍が突き刺さり、どさりと倒れる姿を見て戦闘の終わりを悟る。

 ただ、戦闘が終わった事よりも、以前から疑問に思っていたことが無性に気になり始める。


 どうして、魔法のワードを変えたんだろ? もしかして、横文字だと厨二ぽいとか考えたのかな?


 そう、ある日を境に彼女が発する魔法発動のワードは、全てが僕と同じ雰囲気になっていたのだ。

 しかし、それを問い掛けると、再び地雷を踏みそうなので、何とか喉元で押し留める。


「ふ~っ! これにて一件落着!」


 あっ、今度は時代劇風になったよ……いったいどんな好みなのやら……いやいや、それよりも……


 氷華の趣味趣向を少しばかり胡散臭いと思い始めるのだけど、直ぐに別のことを思い出して彼女にお願いする。

 ああ、もちろん、邪なことではなく、単に食料についてだ。


「ねえ、ワイルドボアを凍らしてくれない? 氷の中に閉じ込めて欲しいんだけど」


「えっ、そんなことしてどうするの?」


「氷華も言ってたじゃん。鍋にするぞって。それに、いつまでも食べ物がある訳じゃないからね」


「フニィーーーーー!」


 首を傾げる氷華に新たな食糧確保に関する話をすると、隣にやってきたココアが、なぜか嬉しそうな声を上げるのだった。

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