05 倒したはよいのだけど
乾パンって、思ってたよりも美味しい……
それが第一印象で、第二印象は、これって喉が渇くじゃん――最悪だった。
そして、食べたことを後悔する程に、喉は乾いた砂漠の如く水分不足に陥る。というか、口の中の水分を一気に持っていかれた。
そんな訳で、現在は両親が使っていたダブルベッドに座って乾パンを食べているのだけど、堪らず五百ミリリットルのペットボトル入りの貴重な水を一気に飲み干す。
それは、とてもとても無駄な消費なのだけど、生き返ったような心地になった分はだけ、得した気分になる。
その悪しき乾パンと麗しき水なのだけど、もちろん、配給を受けた訳でも、天の恵みでもない。
親が詰め込んでいた防災セットに入っていたものだ。
そう考えると、親の恵みということはできるだろう。
故に、ここに居ない両親に感謝する。
黒い物体――黒豚コウモリに襲われて親の寝室に避難した訳だけど、当然ながら防災セットを持ち込む余裕なんて無かった。
だけど、空腹の力は偉大だと思う。黒豚コウモリの眼を盗んで、こっそりとゲットしてきたのだ。
因みに、黒豚コウモリというのは、勝手に命名しただけだ。だって、丸々と肥えたコウモリなので、どう見ても黒豚に羽が生えているとしか思えなかったからだ。
「ぷっは~~~~! 生き返った~~~~~!」
いつまでも口の中でモゴモゴする乾パンをミネラルウォーターで流し込み、一気に蘇ったことで、今度はそのまま眠りに落ちそうになる。
「うっ! ダメだ、ダメだ! あの黒豚コウモリを片付けないと、寝てる間に食われてた。なんてオチもあり得るんだぞ」
黒豚コウモリよりも強敵である睡魔と戦いながら、自分に最悪の結末を言い聞かせる。
なんてたって、あの黒豚コウモリは高層マンションの窓ガラスを割るくらいなのだ。
この部屋のドアもいつまで持つのか分かったものではない。
眠そうになる自分に鞭打って、脱いでいた革ジャンを手に取る。
「えっ……」
戦闘用装備である革ジャンを手に取ったところで凍り付く。
なぜなら、革ジャンの背中に無数の引っ掻き傷が刻まれていたからだ。
そう、それは黒豚コウモリから逃げる最中に喰らった攻撃だ。
「これは……」
スライムの攻撃は、打撃と融解だったのだけど、今度の敵は切り裂くことができるようで、その事実を知って顔を引きつらせた。
革ジャンがなかったら、今頃は……
背筋に冷たいものを感じながら、生唾を飲み込む。
しかし、ここでギブアップする訳にもいかない。
なぜなら、それは死を意味するからだ。
ま、負けない! まだ死にたくないし……せっかく魔法が使えるようになったんだし、これからじゃないか! いや、魔法でやっつけてやる!
いまだ怖気づく心に鞭打って意気込み、傷だらけとなった革ジャンを着ると、真っ黒なヘルメットを被ってドアへと向かう。
ただ、その意気込みとは裏腹に、脚はガタガタと震え、心臓は今にも張り裂けんばかりに暴れ続けている。
それでも、ゆっくりとレバー式のドアノブを下げ、音を立てないようにドアを開ける。そして、隙間から廊下の様子を確かめる。
よしよし、どうやらリビングに居るようだね。
黒豚コウモリが居ないことを確認し、ゆっくりと廊下へと脚を踏み出したのだけど、愚かにも相手の特徴を理解していことを露呈させた。
「キーーィ」
「キキキィ」
「キキーーィ」
三歩ほど踏み出したところで、天井から超音波のような鳴き声が聞こえてくる。
「ぐあっ! 天井にぶら下がってたのか! くそっ! 卑怯だぞ!」
奴等はどれだけ黒豚に見えても、どれだけ太っていても、どれだけ肥満でも、どれだけコウモリに見えなくとも、コウモリであることには違いなく、天井にぶら下がって周囲の様子を覗っていたのだ。
「くそっ! 炎撃!」
ピンチだと感じて直ぐに右腕を伸ばし、黒豚コウモリに向かって炎の魔法をぶちかますのだけど、スライムと違って俊敏に飛び回る敵に当てるのは至難の業だった。
「ダメだ。当たらない! どうしよう!」
黒豚コウモリの引っ掻き攻撃を必死に両手で払いながら、慌てて後退する。
しかし、そこで振り回していた手が、ドアノブに当たる。
「いてっ~~~! くそっ、なんでこんなところにドアノブが、くそ邪魔なんだけど……ん? トイレ?」
慌ててドアノブで左手を強打してしまった愚かな自分を棚上げし、痛みに呻き声と毒を漏らしたのだけど、そこで突如として閃いた。
トイレからなら狭いから狙えるかも……いてて……
痛む左手を摩りながらトイレに逃げ込むと、透かさずドアを閉めて廊下の物音に耳を立てるのだけど、何も聞こえない。
あれ? 静かになったぞ?
豚コウモリの超音波声が全く聞こえなくなっことで、愚かにもこっそりと扉を開けてしまう。
「キーーィ」
「キキキィ」
「キキーーィ」
ところが、思いっきり目の前にコウモリが居た。
しまった……ヘルメットだったんだ……
それに気付いて、慌ててドアを閉める。
音が聞こえなくなった理由を理解し、頭の悪い自分に呆れるのだけど、そんな場合ではないと気持ちを入れ替える。
よし、左手の痛みも治まってきたし、どういう作戦にするかな……
色々と考えた結果、ドアを少しだけ開けて、奴等が襲ってきたところに炎撃を食らわせることにした。
作戦を決め、高鳴る心臓を抑え込むかのようにドンっと胸をひと叩きする、そして、大きな深呼吸をしてからドアノブを握る。
ゆっくりとトイレのドアを押し開けると、今度はしくじることなく廊下の天井を確認する。
すると、案の定、そこには三匹の黒豚コウモリがぶら下がっていた。
どうやってぶら下がってるんだろ……
素朴な疑問が頭に浮かぶけど、それを無視して右手を向ける。
「先手必勝、喰らえ、炎撃!」
相手が油断しているところを狙うのは、少しばかり騎士道精神に反するのだけど、魔法使いの僕にとっては、なんら問題ない。先程のお返しとばかりに攻撃を喰らわす。
ところが、どうやって察知したのか、無情にもその攻撃は避けられてしまう。
くそっ! 火力の次は速度だね……
避けられた理由が攻撃速度だと判断して、新たな課題に頭を悩ませながらも、すぐさま気持ちを入れ替える。
そして、向かってくる黒豚コウモリが、トイレの入り口と半開きのドアの間でバタバタと騒ぐところに魔法を食らわせる。
「喰らえ! 炎撃!」
その一撃はモロに一匹の黒豚コウモリの胴体を捉える。
運悪くか、いや、僕にとっては運良くなのだけど、その攻撃を喰らった黒豚コウモリが、呻き声を上げながら廊下に転がる。
廊下の上でバタバタともがく黒豚コウモリに気を良くして、透かさず止めを刺そうとするのだけど、直ぐに次の豚コウモリが襲ってきた。
「ちっ! 喰らえ! 炎撃! 炎撃!」
立て続けに炎の魔法をぶちかまし、宙を舞う黒豚コウモリを叩き落す。
これは完全に作戦勝ちだろう。その攻撃は見事に成功して、廊下には三匹の黒豚コウモリが転がる。
ただ、なんとなく美味しそうな匂いが漂っているような気がする。
「止めだ! 炎撃! 炎撃! 炎撃! 炎撃! 炎撃!」
これまでの鬱憤を晴らすかのように、三匹の黒豚コウモリに炎の魔法をぶち込む。
ハッキリ言って、狂乱状態だったのかもしれない。
いつしか黒豚コウモリは唯の屍となり、気が付けば廊下が燃え上がっていた。
「くはっ! 僕は何をやってるんだ!」
メラメラと燃え盛る廊下を目の当たりにして正気に戻る。そして、慌てて廊下の消火に取り掛かる。
そう、廊下は火の海と化しているのだ。
すぐさま風呂場に行くと、バスタブに溜めてあった水をバケツに入れて廊下に戻ると、それを炎に向けて撒き散らす。
何度も、何度も、何度も、何度も……しかし、炎の勢いは収まりつつも、なかなか消えてくれない。
「さすがは炎獄の魔法使いだよね。すんごい火力だよ。なんて感心してる場合じゃないか……くそっ! どうすれば……あっ、取り敢えず魔黒石を拾っとかなきゃ」
我ながら素晴らしい威力だと感心するのだけど、あまりの熱さに素に戻る。
そして、成功報酬を死守するべきだと感じて、拾い上げた魔黒石を纏めて握りこむ。
すると、スライムの時と同様に力が漲るような気がしてきた。
その高揚感は、予想以上の落ち着きと素晴らしき想像を与えてくれた。
そうだ。魔法で消せばいいんだ。簡単なことじゃん。
燃え盛る廊下を眺めなつつ、炎獄の魔法使いを自称する僕は、二つ名とは相反する魔法に挑むことになるのだった。
炎は大好きだ。炎は本当に綺麗だと思う。炎は心温まるものを与えてくれる。
それも、炎はただ燃えるだけではなく、様々な色合いや揺らめきを見せてくれる。
メラメラと燃えるその姿は、まさに火の妖精が踊っているかのように感じさせられるのだ。
なんて、炎の美しさに魅惚れ、詩人めいている場合ではない。
今や壁や天井のクロスが焼け落ち、床のフローリングが燃え盛り、あちこちに使われている木材が燃え上がっている。
まさに、その光景を一言で表すならば、火事だ。縦から見ても、横から見ても、斜めから見ても、引っ繰り返って見ても立派な火災だ。
ただ、本来なら火災を知らせるベルが鳴るのだと思うのだけど、既に電気が通っていない所為で防災機能も動かず、火災通知装置は音もなく焼け落ちている。
「やっべ~~! このままじゃタワー火災になっちゃうよ……水、水、水のイメージね……ぐあっ、思いつかない……」
燃え盛る廊下の炎の所為で、身が焼けるような熱さを感じながら、自分と水の相性が悪いのでのではないかと思い悩む。
いやいや、それどころではない。相性なんて呑気なことを言っていると、その相性の良い炎に焼かれて死んでしまうのだ。
それこそ、己が助かるために炎を撒き散らして焼け死んだら、本末転倒以外のなにものでもない。
どんどん勢いを増す炎に焦りを感じ、ややヤケクソ気味に、取り敢えず水の魔法を放ってみる。
「水、水、水、水よ、出よ!」
水をぶちまけるつもりで、右腕を伸ばして掌を炎に向ける。
その途端、物凄い火力の火の玉が飛び出し、更に廊下を燃え上がらせた。
う~む。黒豚コウモリから魔黒石をゲットしたお陰か、すんげ~威力が増してるような気がする……
そう、水を放つはずの魔法は、物の見事に火に油を注いだのだ。いや、火に炎を加えたのだ。
「ちょ、ちょ、ちょっ~~~! 燃やしてどうするのさ! てか、なんで炎が出るんだよ!」
火力感動していたのだけど、先程よりも燃え広がる廊下を目にして素に戻る。
飛び上がらんばかりに驚き、思わず愚痴を零したのだけど、自分のイメージが原因だと理解している。
ダメだ。意地でも水のイメージをしなきゃ……
このままだと焼け死ぬか、外に出て魔物に食われるかの二択しかない。
まさに究極の選択を迫られて、顔を引き攣らせながら水のイメージを何度も反復させて頭に刷り込む。
「よし、これでいい! いくよ! ウオーター!」
今度こそは、と意気込んだのだけど、前回よりも高火力の火の玉が炸裂し、信じられないほどの火の粉を舞い上げる。
「ぐはっ! マジで? 水をイメージしたよね? 間違いなく水をイメージしたんだよ? なのに、なんで火が出るんだよ!」
まさに火炎地獄とも呼べそうな光景を目の当たりにして、さすがに自分でも絶句してしまう。
マジで水の魔法が使えないの? てか、僕がダメなだけ? いや、そんなことを考えるより、イメージを固める方が先だ。
気を取り直して、必死に水のイメージを練っていく。そして、頭の中で完全にイメージを作り上げたところで、右手を突き出して魔法のワードを唱える。
これまでも適当なワードで魔法を放ったのだけど、今度は完全なるイメージを固めて魔法を発動させる。
「今度こそ! いけっ! 水龍!」
そう、水の竜が蠢き、炎に向かって突進するイメージを作り上げたのだ。
次の瞬間、右手からは水が
「あう……これじゃ、年寄りの小便だよ……てか、水龍どころか、小便ミミズだよ……」
あまりにショボい勢いに、水を放てた喜びすら生まれてこなかった。
「いや、ここで落ち込んでる場合じゃない。このままだと焼け死ぬか、外で魔物に食われるかの二者択一なんだ。踏ん張るぞ! 水龍! 水龍! 水龍!」
必死に自分を励まし、何度も魔法を繰り返す。
ただ、それは戦闘に使うなんて、到底に不可能なレベルだった。
オマケに、無情にも既に廊下の炎が強くなりすぎて、完全に焼け石に水となっている。
「ダメだ、こりゃ……てか、どうしよう……」
既に大火災になりつつある炎と水の勢いを比べて、肩を落として諦めの溜息を吐く。
いやいや、落ち込んでる場合じゃなかったんだ。どうしよう……水以外になにかないのかな。どうも僕には水は向いてないみたいだし……
革ジャンにヘルメットのフル装備であるが故に、今の処、炎で火傷をしたりはしていないのだけど、そろそろ熱さと酸素が気になってきた。
くそっ、このまま外に逃げ出すしかないのか……外に出たら、僕の魔法程度じゃどうにもなんないよね……せめて周囲を爆発させるくらいの範囲攻撃は欲しい……そうか、爆発だ! 爆風だ!
焦りを感じつつも途方に暮れていたのだけど、爆風で火を消すという話を聞きかじったのを思い出す。
そして、その方法しかないと思い込む。
水はダメでも爆発なら何とかなるかも……爆発のイメージ……むずい……取り敢えず、吹き飛ぶイメージで……
なんとなくイメージを決めて、ワードを唱える。
なぜか、水の時とは違って、それで上手くいくような気がするから不思議だ。
「いけっ! 爆裂!」
その途端、物凄い爆発が起きて、魔法を発動した自分自身も玄関方向に吹き飛ばされる。
「うがっ! ごふっ! げほっ!」
爆風で吹き飛ばされ、息が止まるほどの勢いで玄関の扉に叩きつけられる。
「けほっ! けほっ! あ~死ぬかと思った……ちょ、ちょっと、密閉空間で爆発を起こすのは自殺行為だったみたいだ……けほっ、けほっ」
酷く咳込みながら反省点を口にする。
ただ、ここでもヘルメットや革装備が役に立ったみたいだ。
どうやら、酷い怪我を負ったりはしていないようだった。
「あっ、それより、炎は?」
少し落ち着いたところで、廊下の火災を思い出す。そして、視線を上げた。
「はぁ?」
廊下の様相を目にして、思わず間抜けな声を上げてしまう。
なぜなら、そこには廊下が無かったからだ。
そう、爆風で炎が消えたのは良いのだけど、あまりの威力に廊下の壁までが吹き飛び、親の寝室、リビング、客間、廊下が全て見渡せる状態になっていたのだ。
いやいや、もしかしたら欠陥住宅なのかもしれない。だって、見渡す限りにコンクリートの壁なんて無かったからだ。
それでも、欠陥住宅については大して気にもならず、火が消えたことに安堵する。
「酷い有様だ……だけど、取り敢えず火が消えて良かった……あれっ……あれっ……ダメだ、身体に力が入らない……」
火を消し止めたのは良いのだけど、どうやら体力に限界がやってきたみたいだった。
「ダメだ……もう無理……」
ぐったりと脱力した身体をなんとか動かしながら、唯一生き残っている自分の部屋に入ると、そのままベッドに倒れ込む。
そして、芋虫が
「はぁっ、はぁっ、元々体力はないけど、これは幾らなんでも疲れすぎじゃない?」
あまりの疲労を感じて自分自身に問い掛ける。
しかし、その疑問を解決することなく、疲れ切った僕は、どっぷりと深い眠りの中に落ちていくのだった。
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