04 魔物、やばいって


 自分の状態を説明するならば、それはとても魔法使いと思えない姿だと、自信を持って言い切ることができる。

 だって、下から黒革のブーツ、黒革パンツ、黒革のジャンパであり、オマケに黒いヘルメットを被っている。

 これはアメリカンバイクの趣味を持っている父親のライダースーツであり、黒を好む父親のセンスなのだ。

 まあ、父親よりも小柄な僕が着たことで、革ジャンの袖や革パンの裾を折り曲げているのは見ないで欲しい。

 ただ、その様相は魔法使いというよりも、完全にマッドマックスなんだけど、なぜか、姿見に映っているのはDD北斗の拳みたいだ。

 それでも、鍋を被ってマナ板を盾にするよりはマシなはずだ。


「まあ、一応、色だけは魔法使いぽいよね……」


 どこか情けない格好となった自分の姿に肩を落としつつも、やはり父親の趣味の産物であるゴルフバッグから七番アイアンを引き抜く。


「これでダメなら、ドライバだ!」


 きっと、七番アイアンでダメならドライバでもダメだと思うのだけど、取り敢えず長すぎると使い辛いと思って、お決まりの七番アイアンをチョイスした。

 間違っても、物体Xを百五十ヤード先に飛ばすつもりではないし、ゴルフの基本が七番アイアンだというオチでもない。


 それはそうと、親の部屋でゴソゴソと変身している理由は、それほど難しいものではない。

 そう、どこからか侵入してきた物体Xを倒すためだ。

 できれば、セーラームーンやプリキュアの如く華麗に変身したいのだけど、未だその能力には目覚めていないし、ちょっと恥ずかしいので実装されても困ったりする。

 飽く迄も、セーラームーンやプリキュアを出したのは、物の例えだ。


 そんなアホな話は良いとして、どうやら奴は繊維を食べるようなので、上から下まで牛革で身体を覆ったのだ。

 もちろん、黒革の手袋も装着済みだ。

 ただ、大きな問題が二つある。


「なんて重いんだ。せめてラム革であって欲しかったよ……」


 牛革を上から下まで着こむと、その重さが半端ないのだ。

 ただ、その代りにメリットもあり、それは大きな効果をもたらしてくれる。

 数ある革の中でも、牛革は一番丈夫なのだ。

 だから、背に腹は代えられないと思い、ラム革のジャケットではなく、牛革のジャンパにした。


「それに、くそ暑いんだけど……」


 二つ目のデメリットに関しては、どちらの皮を選んでも同じだろう。

 もう真夏を迎えようかというのに、革のフル装備にヘルメットなのだ。

 この暑さは、夏の着ぐるみと変わらない状況であり、間違いなく地獄だと言える。

 ただ、これから戦場に向かうことを思うと、暑さよりも恐怖が上回っていた。

 なにせ、くそ暑いのに、足がガタガタと震えているのだ。

 そう、臆病な僕は、全く無くなってなかった。


「これで大丈夫だよね? ふっ~~~~! よし! 行くぞ!」


 準備万端だと判断したところで、長い深呼吸で心を落ち着かせ、身体を震わせる恐怖心を必死に抑え込む。

 そして、覚悟を決めると、ゆっくりと扉を開けてコソコソと廊下を覗き見る。

 しかし、そこには何もおらず、いつもの廊下があるだけだった。


 まだリビングに居るのかな? てか、これじゃこっちが侵入者みたいだ……


 癖になった独り言を押し殺し、姿の見当たらない物体Xを倒すべく、ゆっくりと脚を踏み出す。

 革のブーツはゴム底ではあるものの、その素材が硬い所為で、フローリングの上を歩くと音が出る。


 くそっ、なんてイケてない靴なんだ……


 高鳴る心臓が全身を叩くかのように感じつつ、心中で愚痴りながらも、なるべく音を立てないように脚を進める。


 そんなこんなで、破裂しそうな心臓を押さえつけながらも、リビングの入り口まで辿り着く。

 通常であれば数秒で辿り着く距離なのだけど、現在の心境からして、長い時間を掛けて遥々はるばるやって来たような気分だった。


 奴は、どこに居るのかな?


 こっそりとリビングの中を覗くと、物体Xはありとあらゆる繊維を食べるようで、あちこちを食い散らかした様子がありありとしている。

 そして、現在は封鎖した窓のカーテンを咀嚼するのに夢中なようだ。


 いったい、どんな生き物なんだよ!? まるで服に付く虫だよね。防虫剤でなんとかならないのかな!? てか、初めに見た時よりも大きくなってない?


 散々と食い漁った所為か、当初、バスケットボール大だった物体Xが、既に倍くらいの大きさに育っている。


 なんて発育のいい奴なんだよ……いや、それよりも、早く倒さないと大変なことになりそうだね。


 カーテンが食べられた所為で、封鎖している筈の窓から光が差し込む。

 未だに雨は降ってはいるものの、やはり夜とは違って明るさを感じる。いや、今は雨のことよりも、窓の封鎖が気になる。

 あのままソファーの素材まで食べられたら、あっという間に窓の封鎖が無意味になってしまう。


 本当に厄介な魔物だよね。こんなのが繁殖したら、日本列島がヌーディスト島になっちゃうよ……う~ん、それはそれでアリかも? でへへへへ。


 物体Xが作り出す結末を想像し、頭の中をめぐる裸天国に鼻の下を伸ばしながらも、足音を殺しつつゆっくりと近づいていく。

 もちろん、スチールシャフトの七番アイアンは、既に肩の上に振り上げている。


 どこに目があるかも分からないのだけど、こちらに気付いているのか、それとも気付いていないのか、奴は黙々とカーテンを食べていた。

 そんな魔物に向かって、七番アイアンを力の限り振り下ろす。


「チャーシューメン!」


 どこかで聞いたことがあるような気合の声をあげて七番アイアンを振り下ろすと、物の見事に物体Xへと突き刺さった。


 さすがは七番アイアンだね。


「やった! 炎獄の魔法使いを舐めんなよ!」


 全く魔法を使ってないのだけど、会心の一撃をぶち込めたことが嬉しくて、思わず厨二ぽい啖呵たんかが口から零れる。

 ところが、奴はまるで嘲笑うかのように、七番アイアンを残して飛び掛かってきた。


「うぐっ!」


 奴の攻撃をまたまた見事に喰らい、堪らず尻餅を突く。

 ただ、さすがは牛革の装備だ。Tシャツの時と比べて、殆どダメージを感じなかった。

 だけど、気が動転していることもあって、慌てて立ち上がると、遮二無二、七番アイアンを叩きつける。


「うわっ! くんな! くるなよ! えいっ! こんにゃろ! クタバレ!」


 その攻撃は、面白いようにブヨブヨの身体に突き刺さるのだけど、なぜか嫌な予感に襲われる。


 もしかして、これって全然効いてないんじゃ……


 その予感は的中していたようで、奴は打たれているのにも拘わらず、一気に飛び掛かってきた。


「くそっ! そう何度もやられるか!」


 さすがに三度目ともなると、奴の攻撃タイミングが分かり始める。

 今度は何とか避けることに成功して、再び七番アイアンを叩きつけるのだけど、どう見てもダメージを与えられていないことは明白だった。


 ダメだ! どうしよう……どうしよう……


 七番アイアンの攻撃でダメージがないことを悟ると、正常な判断ができなくなり、パニックが思考を支配する。

 それが不味かったのだろう。ムキになって叩きつけていた七番アイアンでコンクリートの床を強打し、自分の手に痺れを感じた。


「ぐあっ! いて~~!」


 完全に失敗だ。思いっきり自滅だ。所謂、自爆という奴だ。そして、ゴルファーにありがちな腱鞘炎になりそうだった。

 そんな愚かな魔法使いは、さらに愚かな結果を上乗せする。そう、倍率ドンというやつだ。

 手に伝わる痛みに耐えかねて、思わず七番アイアンを落としてしまったのだ。


「あっ!? どこに行くのさ! 僕を置いていかないで……」


 気付いた時には遅かった。

 無手となってしまったことを嘲笑うかのように、奴はウネウネと身体を捩らせると、容赦なく飛び掛かってきた。


「うわ! くんな! くるな! あっちいけ! 炎撃! 炎撃!」


 奴に襲われて必死に振り払う。そして、気が付けば、無意識にライター級の魔法を発動させていた。

 すると、皮手袋をしているはずなのに、小さな炎が放たれて奴へと突き刺さった。

 その途端、奴は動きを止めたかと思うと、まるで嫌がるかのようにウネウネと身を捩り始めた。


 えっ!? もしかして……効いてる? 火が苦手なのかな? いや、もういいや、こうなったら……


 嫌がる素振りを見せる物体Xを見やり、もうこれしかないと感じて、まるで親の仇であるかのように炎の魔法をぶち込む。


「炎撃! 炎撃! 炎撃! 炎撃! 炎撃! 炎撃! 炎撃!」


 どうやら、それは天の救いだったのだろう。

 一発一発は、炎とも呼べない小さな火だったのだけど、やはり火が苦手だったようだ。奴はみるみるうちに小さくなっていく。

 そして、何十発目の炎撃を放った時だろうか、奴はコンクリートの床で水溜まりのようなシミとなった。


 これこそが、僕が初めて魔物を倒した瞬間だった。









 荒い息を吐き出しながら、シミとなったコンクリートの床を見詰める。

 全く以て自慢できるような戦いではなかったのだけど、魔物を倒した今は最高のひと時だった。


「やった! やった! やっつけた! 魔法でやっつけたどーーーーーーーーー!」


 自分でも何がどうなったのか覚えていない。そして、これまでに体験したことのない疲労感と魔物を倒したことによる安堵で、今にも尻餅を突きそうになる。

 それでも、勝利の雄叫びを上げる。

 そう、それは勝者が手にする権利なのだ。

 とはいっても、ヘルメットを被っていることもあって、僕の声を耳にする者など皆無だろう。


 ふ~っ、良かった。取り敢えず、生き延びたよ……


 安堵の息を吐いたところで、チラリと何かが輝くのが目に映り、息を呑んで目を凝らす。

 一瞬、奴の復活かと思ってビクついてしまったのだけど、どうやらそういう訳ではないようだ。

 そう、シミとなった場所に、黒い物体が転がっているのだ。


 あれって、なに?


 暫く遠目に眺めていたのだけど、それに変化がないと判断したところで、警戒しながらゆっくりと歩み寄る。

 もちろん、その間も黒い物体はそこに鎮座していて、勝手に動いたりはしない。


 それにしても、好奇心というのは恐ろしいものだ。得体の知れない物体を前に、逃げ出すどころか、思わず足を踏み出してしまう。

 ただ、今はその心理に気付くこともなく、好奇心に突き動かされていた。そして、近づいてはダメだという危機感すら抱くことなく無造作に近寄る。


 それは、黒く小さな石のようなものであり、奴が溶けてなくなった場所に、まるで魔物が生まれ変わったかの如く佇んでいた。


 これってなんだろう? 魔物の核かな?


 座り込んでしげしげとその物体を眺める。

 そして、危険を感じる機能が欠落しているのかもしれない。徐に黒い小石を拾ってしまった。


 黒い物体を掌に乗せて間近で観察する。

 その大きさは、ビー玉よりも小さく、透明感のない黒い石だった。

 なんとなく宝石に見えなくもないのだけど、光沢もなければ、表面はごつごつしていて、どちらかといえば石炭のように思える。

 まあ、石炭の実物なんて見たことがないのだけど、写真で見た記憶からそう感じる。


「これって……もしかして、ドロップアイテムなのかな? えっ!?」


 ファンタジーで定番のドロップアイテムではないかと考え始めた途端だった。突如として、それは空気に溶け込むかのように霧散してしまった。

 ただ、黒い物体が消えた瞬間、身体に異変が起こった。


「えっ!? なに、この高揚感……お腹は空いてる筈なのに、なんか気力が復活したみたいな気分……」


 なんとも言えない感覚に慄いてしまう。

 ただ、それは不快ではなく、とても心地よいものだった。

 消えて無くなったことは残念だったけど、その気分の良さで満足できるように思えた。

 ところが、その気分を台無しにするかのように、キッチンから激しい音が鳴り響いた。


 まさか……


 嫌な予感を抱きながら、こっそりとキッチンを覗くと、新たな物体Xが登場していた。いや、達がと言った方が良いかも知れない。

 換気扇の網から溢れ出るように、次々と物体Xが零れ落ちてきたのだ。


 マジっすか……てか、これって、やっぱりスライムなんだよね?


 ドロドロと落ちてきてはバスケットボール大に纏まる物体Xを見て、その生き物をスライムだと決めつけた。


 ままいいや、取り敢えず駆除しなきゃ。


「炎撃! 炎撃! 炎撃! あれ?」


 換気口から次々と落ちてくるスライムに、炎の魔法をぶちかますのだけど、何発か撃ち放ったところで、首を傾げてしまった。

 というのも、炎撃の魔法で放たれる炎は、相変わらずライター並みなのだけど、それでも少しだけ火力が上がっているような気がしたからだ。

 その証拠に、さっきよりもスライムがダメージを受けているような気がする。

だって、さっきの奴よりも苦しそうにウネウネと身を捩っているのだ。


 いやいや、そんなことよりも、今はこのスライムを片付けなきゃ。てか、なんでこんなに繁殖し始めたんだ? もしかして、雨の所為?


 スライムが湧く理由に首を傾げながらも、ひたすら炎撃を喰らわせていく。

 そして、それは永遠に続くのかと思うほどだった。

 ところが、スライムを倒し、黒い小石を拾う度に炎撃の威力が上がっているような気がする。

 初めは一匹倒すのに十発以上をぶち込んでいたはずなのだけど、それが八発になり、更に六発になり、気が付けば四発くらいで倒せるようになった。そして、最終的には二発で倒せるまでになる。


 あの黒い小石って、やっぱり何かのエネルギーか、いや、経験値なのかもしれない……


 いつしか、あの黒い小石が経験値であり、威力を上げるために必要なものだと、勝手に思い込むようになっていた。


「よっしゃ、これで終わりかな……ふっ~」


 炎撃の威力が上がると知って、無我夢中でスライムを倒していたのだけど、気が付けば部屋は真っ暗となり、既に夜になっていることに気付いた。


「ついつい夢中になっちゃった……それで、これが最後の魔黒石かな」


 勝手に名前を付けた黒い小石を握り込む。

 すると、身体に力が漲るような気がしてくる。いや、それは間違いなく力を吸収しているのだ。

 それが、経験値なのか、はたまた魔力なのかは分からない。それでも、その魔黒石のお陰で魔法の威力が上がっている。

 それが一時的なものか、恒久的なものかは、これから確かめるしかないのだけど、少なからず糧になっていると言えるだろう。

 ただ、残念なのは、他のドロップアイテムがないことだった。


「う~~~、お腹空いた……どうせなら、食べ物もドロップしてくれたらいいのに……炎撃!」


 愚痴を零しながらも焚火を起こし、部屋の中に明かりを灯す。

 そして、ゆっくりとカーテンの無くなった窓へと向かう。


「あ~、雨が止んだのか……気が付かなかったや。てか、やっぱり雨の所為で繁殖したのかな……えっ!?」


 夜空に月が浮かんでいるのを見て、雨が上がったことを知ったのだけど、そこで初めてその事実に驚く。


「月が二つある……それも、一つは赤いし……」


 これまで窓を封鎖していた所為で、月が二つあることに気付かなかったのだ。

 ところが、スライムにカーテンを食べられた結果、否が応にも知ることになってしまった。

 しかし、驚いたのも束の間、一瞬にして月が消えてしまう。


「えっ!? 月が消えた!? なんで?」


 二つの月が消えたことで、更に驚きで凍り付くのだけど、次の瞬間、何かがぶつかるような音と共に、窓ガラスにヒビが入った。


「な、なに? なんの音?」


 何がなにやら理解できずに、慌てて後ろに下がる。

 その時だった。耳障りな音を立ててガラスが割れた。おまけに、もっと耳障りな音が耳を貫く。


「キーーーィ!」


「キキキーーーーィ!」


「キキィーーー!」


 ガラスが割れた途端、なにやら黒い物体が部屋の中に入ってくると、まるで超音波のような鳴き声を響かせた。


「ぐあっ! なんだ、これ! うあっ!」


 その物体は黒く丸い形をしているのだけど、何を考えたのか、行き成り襲い掛かってきた。

 慌てて抵抗しようとするのだけど、その物体は一体ではなく複数いるようで、どうにも対処に困ってしまう。


 結局、対処に困った結果、スライムの登場時と同じように、炎獄の魔法使いを名乗る僕は、すごすごと親の寝室に退散したのだった。

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