03 出てきたものは


 目を覚ますと真っ暗な世界だった。

 もちろん、異世界に出向いた訳ではない。いや、もしかしたら、この地球自体が異世界に出向したのかもしれない。

 なぜなら、全世界で混沌が生み出されているからだ。

 そう、地球はファンタジーに飲み込まれてしまったのだ。

 そして、今この時も魔物と壮絶な戦いを繰り広げる者達が居たり、飢えたオークに犯される女達が居たり、唯の肉として魔物に捕食されている者が居たりするはずだ。

 実際、自分の眼で確かめた訳ではないけど、確かテレビの緊急報道番組ではそう言っていた。


 まあ、世界がファンタジー化したのは喜ばしいことだけど、それは置いておくとして、部屋が暗い理由は簡単だ。

 別に夜だからというオチではなく、唯単に、それほど大きくない窓を本棚で完全封鎖しているからだ。

 なにゆえ窓を封鎖しているかというと、その理由もそれほど難しいものではない。単に空を飛ぶ魔物から自分を守るためだ。

 というのも、同じマンションに住む不用心な者が、連日のように飛竜の供物になっていたからだ。

 その時は、飛竜に食われる者の呻き声を聞いて、部屋の片隅で耳を塞いでガタガタと震えたりもした。

 しかし、なんの取柄もなく臆病な黒鵜与夢は、既に存在しない。


 そう、生まれ変わったのだよ。フフフッ……


 魔法を見出したことで、炎獄の魔法使いとして、新たな人生を歩み始めたのだよ。

 ただ、前途多難という言葉は、こういう時に使うのだろうか。

 志半ばどころか、たかが数日にして挫折感を味わっていた。

 そして、一気に遣り甲斐を失って、簡単に鍛錬を止めてしまったのだ。

 何を隠そう、三日坊主とは僕のためにある言葉だ。


「ん~、何時? あう……夜中の十二時……変な時間に寝たからか……」


 枕元の目覚まし時計で時間を確認して、少しばかり自分に呆れる。


 学校に行かなくなって、既に三週間以上経つのだけど、魔法が使えると知って、必死に鍛錬を行っていた所為で、いまや生活リズムはぐちゃぐちゃになっていた。

 というのも、鍛錬に疲れたら寝る。鍛錬に挫折したら寝る。鍛錬に飽きたら寝る。そして、お腹が空いたら起きる。

 こんな暮らしをしていれば、生活リズムなんてアッという間に狂ってしまうのも道理だよね。


「お腹空いたな~。てか、食べ物って、あとどれくらい残ってたっけ……水はもうちょいあるけど……」


 まだテレビで状況を知ることができた頃に、とにかく貯水しろという御達しを聞いて、ありとあらゆる器に水を溜め込んだのだ。


 幸い、酒好きの父が家庭用浄水器よりもミネラルウォーターを好んだことから、我が家には二リットルサイズのペットボトルが大量にあり、ストックした水の量的にはなんら問題ないのだけど、電気が止まって一週間、そろそろ腐敗が気になるところだ。

 一応は過熱して使っているので、今のところ腹痛に見舞われたりはしていない。

 正直、それがいつまで飲めるのかも疑問だけど……

 それもだけど、お風呂に溜めた水も汚れてきたので、そろそろ何とかしたいところだ。


「魔法の鍛錬も行き詰ったし、ちょっと真剣に生活のことを考えないと拙いかも……」


 あれだけ入れ込んでいた魔法なんだけど、思いのほか進展しないことや元来の怠け癖の所為で、全く上手くいっていない。


 魔法書を作り、絵を画くことでイメージを向上させることには成功した。

 そのお陰で、火を飛ばすことにも成功した。

 炎を目標に投げつることができた時は、飛び上がって大喜びしたものだ。

 だけど、次の課題でつまづいた。それが何かというと、火力だ。威力だ。殲滅力だ。

 そう、どれだけ試しても、この三拍子だけは全く向上しなかった。


「何が悪いのかな~、全然わかんないや……」


 愚痴を零しつつ、自分の部屋を出てキッチンに向かう。

 勿論、魔法の鍛錬ではなく、空腹の対処を行うためだ。


「さて、何を食べようか……火は起こせるけど……できるとしてもお湯を沸かす程度なんだよね。本当はご飯を炊きたいんだけど……ああ、お粥なら作れるか!」


 コンクリート剥き出しの床となったリビングを眺めながら、米を炊きたいと考える。


 ああ、なにゆえコンクリートか。

 それは簡単だ。室内で焚火をするためだ。

 まさか、フローリングの上で燃やす訳にはいかなのだ。

 炎獄の魔術師が火事で死んだら、笑いのネタにしかならない。

 末代までの恥になる。いや、笑い種の間違いかな?

 まあ、ここで死んだら、僕が末代なんだけどね……


 そのコンクリートの床だけど、マンションの床は二重床になっていた。

 フローリングを剥ぐと、高さを調整できるボードが敷かれていた。そして、それを退けるとコンクリートの床が見えてくる。

 高さを調整できるボードは、なかなか火が点かなかったことから、燃料にすることを諦めて部屋の隅に重ねたのだけど、これが重くて二度とやりたくないと思える重労働だった。


 苦労話は良いとして、コンクリートむき出しとなった場所に、オーブンの鉄板を置き、その上で新聞紙やバラバラにした椅子の脚などを燃やした。

 当然ながら、着火については炎の魔法なのだけど、本来なら新聞紙なんて使わなくても、簡単に火を起こせるくらいの火力が欲しいところだ。


「これでお粥くらいはできるよね。ああ、換気だけはしとかないと……」


 焚火を囲うように置いたメタルラックの上に、水と米を入れた鍋を乗せながら、一酸化炭素中毒を気にする。


 なんとも近代社会とは思えないマンション暮らしになってきた。

 ただ、この状況においても、なぜかキャンプのような気分で胸が躍る。


「やっぱり、物を壊すって楽しいよね」


 誰に伝える訳でもなく、自分の破壊願望を表面化させ、積み重ねたフローリング材の上に座って焚火たきびをぼ~っと見つめる。


「火力が上がらない理由ね~。持って生まれた力? いや、目覚めた力量の問題? まさか、この世界ではあれが限界なんてオチはないよね……」


 メラメラと燃える焚火を眺めながら、火力や威力が上がらない理由を色々と考えるのだけど、どうにもならない原因ばかりが頭を過る。

 そうなると、当たり前のようにモチベーションが低下していく。


「ファイヤー!」


 ぼ~っと考え事をしたまま、焚火に向かって炎の魔法を打ち放つ。

 もちろん、なにも出現しない。

 なにせ、何もイメージしていないのだ。これで魔法が放てたら苦労はない。


炎撃えんげき!」


 今度はきちんとイメージを作ってワードを唱える。

 ワードを変えたのは、イメージし易くするためだ。

 僕的には、『ファイヤー』よりも『炎撃』の方がしっくりくるのだ。


 手から撃ち出されたビー玉サイズの炎が、まるで溶け込むかのように焚火の中へ消えていく。

 そう、打ち出した炎は、まるで焚火の炎に焼かれて無くなるかの如く消え去った。


「しょっぼ~~~~! 焚火の火力の方が強いし……あっ、やば、かき混ぜないと……」


 魔法の火力を嘆いていたのだけど、網の代用にしているメタルラック上で、鍋がボコボコと気泡を浮き上がらせ、はじけた水気が激しい音を立てて蒸発しているのに気付く。


「火力が強すぎだ。これじゃ、出来上がる前に焦げちまう……」


 慌てて鍋をラックから降ろして、中を小玉で掻き混ぜる。


「あ、あっち! ふ~っ、もうちょいだ……てか、焚火の方が魔法よりも火力があるとか、泣けてきそうだよ……」


 あまりのショボさに気落ちして、煮えたぎるコメの入った鍋を掻き混ぜながら、ガックリと肩を落とすのだった。









 ライフラインが止まってから何日が経ったのだろうか。

 梅雨も終わりを迎える頃だけど、最後の締め括りとばかりに、遠慮なしの豪雨をお見舞いしてくれている。


「凄い雨だ……でも、飲める訳じゃないし……この状況だと、あまり必要だと思えないんだよね~」


 トイレの小窓からこっそりと外を見やり、降りしきる大粒の雨に溜息を吐く。

 昼とは思えないほどの暗い空から、これでもかと言わんばかりに雨が降り続けている。

 それは、恰もこのどんよりとした気分を形にしているとしか思えなかった。


 日頃から呑気な性格ではあるのだけど、さすがに現在の状況に焦りを感じ始めていた。

 というのも、水が底を突き、食べ物も尽きてしまったからだ。

 ところが、魔法の方は全く進展することなく、いまだライターと変わらないレベルなのだから、好奇心よりも絶望感の方が勢いを増すのも仕方ないだろう。


「どうすればいい?」


 生命線である食料が底を突き、期待していた魔法は挫折感が満載だ。

 あまりの絶望的な状況を迎え、便座に腰をおろしたまま途方に暮れ始める。

 おまけに、食べた物が悪かったのか、それとも不規則な生活が祟ったのか、数日前から体調まで崩れ始め、どっぷりと沈み込んでいる。


「外に出るしかないのかな……でも、外に出て食べ物とか確保できるとも限らないし……リスクが高すぎるよな~」


 痛むお腹を摩りながら、絶望に打ちひしがれる。

 というのも、食料や水が乏しくなってきてからというもの、外を観察するようにしているのだけど、最早そこは僕の知る世界じゃないからだ。


 見たこともない木々が建物を突き破って高く伸び、残っている家も青々とした蔦に絡め取られたかのように覆われている。

 僅かに見える道には、魔物と呼ぶにふさわしい獣が行き交い、人間の姿なんて殆ど目にすることはなかった。


 ああ、時折、現れる勇者は悲鳴を上げて魔物から逃げて回っていた。


 そんな光景を十二階から眺め、この状況で外に出る行為を勇者だと口にしながらも、愚かだと感じていたのだけど、今頃になってその人達の気持ちが解かるような気がしてきた。


「外に出ようにも、全く状況も解らないし、魔物が徘徊してるし、無理だ……絶望的だ……いてて……」


 痛む腹と尻、おまけに絶望的な気分を食らって、でげっそりとしつつも、水の流れないトイレから出たところで、あることに気付いた。


「そういえば……防災セットがあった気が……」


 玄関の収納に詰め込められた防災セットの存在を思い出し、慌ててそれを確認する。


「うおっ! 非常食に、水! 携帯コンロもあるし、ラジオ……ラジオ!」


 大量に押し込まれた防災グッズの中に、電池式のラジオがあるのに気付いて、直ぐに電源を入れる。


 ガーーー! ジーーー! グガグガーーー!


 周波数を合わせるダイヤルをゆっくりと回すのだけど、聞こえてくるのは雑音ばかりだ。


「ちっ、ダメじゃん……まあ、電気が止まってるし、無理だよね」


 既に諦めモードとなりつつも、ゆっくりとダイヤルを回す。


『ジーーー! き、こえて、ますかーーーー! こちらはーー』


「マジ!? ちょっ、聞こえてるよ」


 それがラジオであると知りつつも、思わず返事をしてしまう。

 しかし、当然ながら、ラジオの声はこちらを気にすることなく話を進める。


『――世界が混沌と化して、既に一か月が過ぎました。今や東京都の人口は十分の一にまで減ったと言われています。また、政府の災害対策本部も全く動けていないようで、日本各地でも未だ混沌化の被害が拡大しています。各地では自衛隊を基盤にして、安全区域を広げようとしています。外に出るのも危険だと思えますが、最早、国は当てになりません。各々の判断で安全区域への移動をお勧めします。では、これから関東圏の安全区域の場所をお知らせします――』


「おおおお! 安全区域があるの!?」


 ラジオの内容を聞いて、独りではしゃぎ始めるのだけど、安全区域を聞いて唖然とする。

 だって、一番近い安全区域が舎人とねりだったのだ。


「舎人……南千住から徒歩でどれくらい掛かるのかな……都心方面だと……葛西、品川、目黒、新宿……だめだ。どこも遠すぎる」


 南千住の高層マンションの位置から考えて、どの場所も徒歩で行ける場所というイメージがない。


 多分、辿り着くまでに魔物の餌食えじきになるよね。いや、糞尿になって大地の糧になるのかも……そんでもって、都民十分の九に名を連ねることになるだろうね。


 あまりの絶望的な状況を前に、力無く項垂れたまま、どれだけ座り込んでいただろうか、リビングからカタカタという音がして我に返る。


「今の音、何だろう……まさかと思うけど……」


 ドキドキしながらも、玄関からリビングへと恐る恐る移動し、開けっ放しになっている入り口から中を覗き見る。

 しかし、リビングはこれまで通りの様相で、魔物が入り込んだ形跡など、どこにもない。

 ただ、音がしたのは確かだ。それも上や下の階からでないのは、長年住み慣れているから勘違いでないのは明白だ。


「何も居ないのは嬉しいけど、じゃ、あの音は……」


 忍び足でリビングに入り、キッチンの様子を確認するべく、カウンターを回り込んだ時だった。


「うわっ! なにこれ!? な、なに!」


 突然、アメーバのような物体が襲い掛かってきた。


 慌てて避けようとしたのだけど、正体不明の生物から思いっきりボディーブローを喰らって引っ繰り返る。


「げほっ! げほっ! いって~~~! うあっ! なにこれ! もしかして、スライムなんてオチ?」


 咳込みながらも、必死にその物体から逃げようと足掻くのだけど、そこでお腹に熱を感じる。


「服が溶けてるの? マジで!? うわ、うわ! うわ~~!」


 Tシャツがドロドロと溶け始めるのを目にして、慌ててそれを脱ぎ捨てると、一気にその場所から離れた。

 しかし、その後の攻撃がないことを不思議に思い、距離を置いてスライムらしき青い物体Xエックスを見やる。

 すると、物体Xはのそのそと動き始めたかと思うと、脱ぎ捨てたTシャツに這い上がり、なんと、もしゃもしゃと食べ始めた。


「Tシャツを食ってるし……てか、お腹、大丈夫かな……」


 慌ててその場を離れ、自分の部屋に戻って身体を確認する。

 恐る恐る確認してみたのだけど、赤くなっている以外は特に問題なさそうで、力なく座り込みながらホッと安堵の息を吐く。


「あれって、スライムなのかな!? どこから入ってきたんだろう!? もしかして換気口? いや、それよりも、あれをあのまま放置する訳にもいかないよね……」


 自分の状況を確認し終えて安堵した僕は、赤くなったお腹を摩りつつ、物体Xの対処について思考を巡らせるのだった。

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