02 目指すのは魔法使いのはずなんだけど


 今日も両親は帰ってこなかった。

 スマホで電話を掛けようとしたのだけど、残念なのか喜ばしいことなのか、全く発信音すらしない。だけど、正直いって、そのことに関してはどうでもよかった。

 だって、父親は出張という名の不倫に出かけ、母親は残業という名の不倫に没頭していたはずなのだから。

 息子が知らないと思って、両親はお互いにやりたい放題なのだ。

 受験を控えた中三の息子を置いて、ウチの親は一体何を考えているのだろうか。いや、変に勉強しろと喧しく言われるよりはマシだよね。


 そんな風に考え始めたのは何時からだっただろうか、親が適当な理由をつけて家に居ないことも、変に干渉されるよりはマシだと考えるようになっていた。

 そして、独りでいることの寂しさ、暗い未来しか見えない現実、そんなものから逃避するために、気が付けば空想癖という名の強力な武器を身に付けていた。

 まあ、それを武器と呼べるところが、僕の病んでいるところかもしれない。


 さて、空想癖云々については置いておくとして、現在の世界混沌ファンタジー化が起こったのは一週間前のことだった。


 その日、家に帰ってこなかった両親は、それっきり音信不通となってしまった。

 多分、既に生きてはいないだろう。

 というのも、当初はライフラインも正常で、テレビ放送も行われていて、緊急速報と呼ばれる番組では、各地の被害をヒステリックに伝えていたからだ。


「あ~あ、とうとう電気も止まっちゃったよ……水道も終わったし……こりゃ、マジでスーパーサバイバルじゃん」


 真剣に最悪な状況であるはずなのに、なぜか心はウキウキとしていた。

 そういうのって、誰でもあるよね。嵐がきて大変な騒ぎになっているのに、なぜかウキウキしたり、雷が落ちるのをいつまでも眺めてたり、不謹慎だと思うけど、いつもと違うことが起こると、なんかドキドキワクワクしちゃうんだよね。


 ああ、話がそれちゃった。


 ワクワクドキドキも置いておくとして、両親が帰ってこないことは、少なからず心配しているし、これからの生活にも不安を感じている。

 だけど、なぜか心躍る自分が居ることに気付いていた。


 ん~、ラーメンと水はまだあるけど、どうやって火を起こすかな……


 腹が減っては戦はできぬとばかりに、食事に取り掛かることにしたのだけど、そこでどうやって火を点けたものかと悩み始める。

 というのも、両親ともにタバコを吸わないことから、家にライターなる物はなく、現代において火を使う場所はコンロくらいしかないのだけど、それもオール電化なんてマンションに住んでいると、家の中で火を扱う場所が全くないのだ。


 さすがに、外は拙いよね……


 火種を求めて外に出る案を考え、ソファーなどで封鎖した窓から、ドキドキしつつもこっそりと外を覗き見る。


「あれって、飛竜かな……いや、どう見ても飛竜だよね……ああ、唯の竜で羽が生えてるだけかも?」


 高層マンションの十二階から外を眺めると、アニメなどでお馴染みの空飛ぶ小型竜が、俺の空だと言わんばかりに我が物顔で飛び交っていた。


「初日に下の階の人が食われてたし……迂闊にベランダにも出られないんだよね……」


 そういえば、地球ファンタジー化が起こった翌朝、いつものようにテレビを付けた途端、そこには絶対に外に出るなという政府からの御達しが映し出された。

 更には、被害状況や現状が延々と垂れ流されていたりもした。

 その映像を食い入るように見ながら、胸をワクワクさせたのを覚えている。

 ところが、それを知らなかった者も居たのだろう。無情にも朝から飛竜の餌になってしまったみたいだ。


 安らかに眠ってください……


 このマンションの被害者はいいとして、ああ、全く良くないけど、まあいいことにしよう。

 さて、その時に得た情報では、日付変更線を通過するタイミングでファンタジー化が起こっているということだった。

 というのも、日本だけでなく世界規模で起こっていることが判明していた。そして、そのタイミングは完全に見切られている。

 しかし、結局は誰も食い止める手立てを見つけられず、おめおめとファンタジー化する状況を指をくわえて眺める他なかったみたいだ。


 まあ、阻止されたら、僕的には絶望に暮れちゃいそうだけどね。


 テレビでは評論家や学者が「なんで、こんなことが起こったか」や「元に戻る見込み」なんて呑気に論争を繰り広げるような番組なんてどこにも無かった。

 だって、真剣にそれどころではなく、実際に自衛隊が出動し、魔物退治に精を出しているくらいなのだ。


 その証拠に、今も外ではジェット戦闘機の爆音が響き渡り、飛竜らしき魔物を激しい音を轟かせて撃ち落としている。

 どうやら、戦闘機と飛竜の戦いは、科学に軍配が上がったみたいだ。


 でも、それも、もう終わりだよね……だって、電気まで止まっちゃったし、いつまでジェット戦闘機が飛べるのかな?


 当然ながら基地が機能しなくなれば、ジェット戦闘機なんて唯の鉄屑同然なんだよね。


「こりゃ、真剣にサバイバルを考えないと拙いかな……水道も止まっちゃったし、電子レンジも動かない。冷蔵庫も終わってる。これから暑くなるのに……」


 そろそろ梅雨明けしそうな時期なだけに、これからのシーズンに冷蔵庫が使えないのは最悪だと考える。

 勿論、現代っ子の僕としては、エアコンなし電子レンジなしの状況はかなり辛い。


 愚痴を零しつつも、冷蔵庫の中から食べられそうなものを探す。


「チーズはこれで最後か……てか、節約しても、どうせ腐るんだから、食える時に食っといた方がいいよね……」


 父親が好んで食べる酒の肴であり、割と多めに買い溜めしてあったチーズを、機能停止状態の冷蔵庫から出して食べ始める。


 当然ながら、椅子に腰かけてなんて余裕はない。

 なぜなら、家具という家具は、全て窓の封鎖に使ったからだ。

 そんな訳で、リビングに直接腰を下ろして、黙々とチーズを食べるのだけど、思わず癖になってしまった独り言が零れ出る。


「てかさ~、世界がファンタジー化したんなら、魔法とか使えるようなったりしないのかな。炎獄の魔法師、黒鵜与夢くろうあとむとは僕のことだ! キラン! な~んてね」


 ファンタジー化と言えば魔法だろうと考え、誰も居ないのを良いことに、ついつい厨二的言動に走ってしまう。


「黒鵜与夢が命ずる。いにしえの契約に基づき、我に炎の力を与えん! ファイヤー!」


 口にした自分でも意味不明なワードを唱え、座ったまま右手を突き出す。

 当然ながら何も出ない。いや、出たら火事になるので止めて欲しい。


「ま~、出る訳ないか……だって、抑々、契約なんてしてないし……だいたい、まだ生まれてから十五年で古はないよね……」


 我ながらアフォかと思いつつ、右の掌に目を向ける。


「ん? これって……あっち! あっち! あっち! あつ~~~~~~~! 何だよ、これ!? あつ、あつ、あつ、火事だ! 火事だよ! 人間発火だ!」


 掌からライターくらいの炎が出ているのを見た途端、猛烈な熱さに泡を食って床に掌を押し当て、消火作業を完遂させる。


「あ~、熱かった~~~! ふー! ふー! 熱かった~。あのロウソクみたいな火でこんなに熱いなんて、消防士って凄いよな~! いやいや、ちょっとまて! 今のって何なんだ?」


 未だに赤い掌に息を吹きかけながら、消防士の凄さをしみじみと感じたのだけど、直ぐに問題はそこじゃないことに気付く。

 そして、炎が灯っていたであろう右の掌を左指で撫でる。


「いてっ! やっぱり、火傷してるみたいだ……取り敢えず、薬を……」


 立ち上がって、救急箱を取りに行こうとするけど、そこで足が止まる。

 なぜなら、少し冷静になったのか、根本的な問題に思い至ったからだ。


「はぁ? 火傷? それって、マジで火が出てたんだよね……キターーーーーーー! キタ! これ! マジ!? マジ!? マジ!? マジキターーーーーーーーー!」


 勿論、答えてくれる者など誰も居ないのだけど、一人ボケツッコミ常習犯としては、声を張り上げずにはいられなかった。

 だって、いくら空想癖があるとはいっても、この科学の世界である現世で、魔法なんてあり得ないと思ったからだ。

 それでも、自分の手から炎が出たと知って、高鳴る心臓をそのまま表現するかのように飛び回る。

 ただ、そこで、それが本当の出来事なのか、自分自身が信じられなくなる。


「マジで? 本当に? ああ、もう一回試してみればいいのか……てか、消火用の水を用意しとかないとね」


 独り言を口にしながら頷くと、興奮している僕は貴重な飲み水を消火用に使ってしまう。

 この時は、飲み水よりも魔法使いになれることで頭が一杯だったのだ。

 勿論、三十歳まで童貞を守るという意味ではない。


 こうして僕は童貞を守ることなく、魔法使いとなる第一歩を踏み出したのだった。


 ああ、守ってるつもりはないけど、勿論、童貞ですよ、はい。それが何か?









黒鵜与夢くろうあとむが命ずる。出でよ、炎よ! ファイヤー!」


 魔法の発現トリガであるワードを口にした途端、掌には小さな炎が灯る。


「消えよ!」


 掌の炎が消える。


「点火!」


 掌に炎が灯る。


「消えてちょ!」


 掌の炎が消えない……


「あつっ! あつっ! あつ! 消えて、お願いします」


 掌の炎が消える。


「あ~、熱かった~~~。でも、もう一回、ファイヤー!」


 掌に炎が灯る。


「失火!」


 掌の炎が消える。


「アイスソード!」


 掌に炎が灯る。


「これって、おかしいよね? あっ、あつ、あつ、あつ、消えて! 消えて! 消えて!」


 全くワードが意味をなしていないことに、思わず首を傾げてしまったのだけど、炎の熱さで正気に戻る。


「炎が出るのはいいんだけど、なんかおかしいんだよね……ファイヤー!」


 もう一度、掌に炎を呼び出す。

 すると、これまで通り、問題なく炎が現れた。

 それは、ややオレンジ色をした赤色の炎であり、いかにも燃やすぞと言わんばかりにメラメラと揺らいでいる。

 ただ、その炎の大きさから考えると、きっと、己の手を燃やし尽くすことすら叶わないだろう。

 それでも、すぐさま消火のワードを唱える。


「消えよ!」


 炎が掌から消えるのを見て、ホッと息を吐く。

 というのも、これまで何度もしくじって、既に掌の真ん中には水ぶくれができているからだ。


「よしよし、これで炎の初級編が完了だ!」


 勝手に初級編の位置づけを作り、その出来栄えに満足して頷く。

 ただ、ここまでくると、既に幾つかの疑問が生まれていた。


「ワードって、意味無いんじゃね?」


 何度も試している内に、大切なのはワードじゃなく、発現させるためのイメージだということに気付いたのだ。

 故に、アイスソードと唱えても、炎の出現をイメージすれば、問題なく炎が灯る。

 ただ、それは大した問題ではなく、実はもっと大きな問題は他にあった。


「それはいいとして、これって炎を出せるけど使い道がないよね?」


 炎というには少し大袈裟だけど、何もない処から火を起こせたのは、まさにこの世界の根底を覆す世紀の一瞬だと言えるだろう。

 ただ、その火は手の上に留まり、飛んで行く気配すらない。いや、それどころか、こんな小さな火では焚火を起こすのにも苦労するはずだ。


「まず、火が小さいよね……てか、飛んで行かないんじゃ、大きくしても自分が燃えるだけかも……」


 スライスハムをもしゃもしゃと食べながら、自分の魔法の欠点について考える。


 因みに、スライスハムは既に賞味期限が切れていて、少しばかり酸っぱい気がするのだけど、それには触れるなと自分に言い聞かせている。

 そう、病は気からというからね。


 それはそうと、せっかく炎を出せても、それが手から放れなければ、全く使えない代物だといえるだろう。

 オマケに、その炎の頼りなさはマッチレベルなのだ。それこそ、マジックショーに貢献する程度の代物としか思えない。


 それでも、魔法が使いたいという想いから、必死に打開策を考える。


「よし、火力はあとでいいよね。焼身自殺なんて最悪だからね。まずは飛ばすことを考えよう」


 我が身可愛さか、それとも危機回避の本能が働いたのかは解らない。

 ついでに言えば、今の火力で焼身自殺なんて、死んでも無理だ。

 しかし、痛む掌がそうさせるのか、第二段階として炎を飛ばすことを考えることにした。


「やっぱり、イメージだよね。イメージ!」


 目を瞑って必死に飛んで行く炎をイメージする。

 ただ、それは想像以上に大変なことだった。

 というのも、これまでの鍛錬で、しっかりとしたイメージができていないと、魔法が発動されないことが分かっていたからだ。


「ん~、なんかあやふやなんだよね~。何か参考になるものが欲しいな~。あっ、そうか、絵にすればいいんだ。きっと、その方がイメージし易くなるよね」


 曖昧なイメージの対処方法を思いつき、名案だと感じて勢いよく立ち上がると、そそくさとリビングから自分の部屋に戻る。


 親から与えられた僕の部屋は、それなりに恵まれているといえるだろう。

 六畳間ではあるものの、クローゼットは壁に埋め込みであり、ベッドや机、テレビなどがあるものの、独りで過ごすには十分な広さだといえる。

 更には、一人っ子ということもあり、お金の必要なポイントが絞られていることから、パソコンやオーディオなども充実していた。


「まあ、電気がないなら、唯のガラクタだけどね……」


 いまや使用不能となったテレビやパソコンを見遣って愚痴を零す。

 確かに、ファンタジー化には賛成だが、パソコンなどが不要だという訳ではないのだ。

 しかし、今回の目的はそんな文明の利器ではないのだ。


 さっそくとばかりに勉強机に着き、透かさず引き出しを開けると、未使用のノートを取り出す。

 そして、その表紙しに『炎獄の魔法書』という文字をシャープペンで刻み込む。


「フフフッ。炎獄の魔法使い、黒鵜与夢とは僕のことだ! てか、与夢って名前、嫌いなんだよね……このご時世にアトムとか在り得ないよね……いっそ、自分で名前を付けるか……でも、面倒だね。あとにしよう」


 自分でキメのポーズを取りながら、勝手につけた二つ名を口にする。ただ、そこで親が必死に考えてくれた名前にケチを付ける。


 まあ、必死に考えたかどうかは定かではないけど……


 ただ、自分の名前が三世代前のアニメと被るのは少し残念に思えた。

 実際は、与夢という名前よりも、今のキメの方が痛いのかもしれない。しかし、空想癖を病んでいる所為か、全くその結論に辿り着かない。


 愚痴を零しながらも真っ新なノートを開き、初めの文字を書き始めようとするのだけど、そこでシャープペンを持つ手が止まる。


「普通に魔法が書いてあっても詰まんないよね……」


 当初の目的は、炎を投げるイメージを絵にすることだったはずなのだけど、ノートの表紙に魔法書なんて書いてしまったものだから、完全に目指す方向が変わってしまっていた。


「やはり魔法書なんだから、厳かな雰囲気にならないとね」


 炎が飛ぶ絵を画くだけだったはずなのだけど、気が付くばありもしない設定を書き連ねている。

 その内容もかなり痛いのかもしれない。

 例えば、僕が炎の中から生まれたとか、生まれた時から今の姿だったとか、嘘八百を書き連ねている。

 しかし、当然ながら僕的には問題ないレベルだ。

 というか、調子に乗って、やれ魔法の起源は自分だとか、魔法に目覚めた時に飛竜を丸焼きにしたとか、在りもしない空想を書き記していく。

 当然ながら、誰かに見せる気などなく、自己満足の世界なのだけど、知らず知らずのうちに黒歴史を刻んでいるのだ。


 結局、空想癖を病んでいることもあって、目指す方向が魔法使いからワナビに変わっているとも気付かぬまま、魔法書の作成に没頭するのだった。

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