死ぬのは誰だ?

 ぐったりと中庭に突っ伏した武山のそばへルヤンは駆け寄った。

「おい、大丈夫か!?」

「う……だ、大丈夫だよ」

 肩を揺り動かすと意外にも武山はすぐさま応答を返した。奇跡でも起きたのか? 軽功を使えない人間があの高さから落下して無事であるはずがない。すると武山は腕を伸べて上方を指し、

「あそこで一回跳ねて、あっちの枝を折った」

 ルヤンはたちどころにその意味を理解した。つまり、武山の体は一度二階の屋根に落ち、その後に植木の枝に受け止められながら中庭に落ちた。二回の減速により衝撃が緩和されたのだ。


 夏崇烈もまた中庭に降り立ち、義弟を抱え起こす。こちらはなんの足掛かりも得られず真っ逆さまに落ちたため重傷だ。口から大量の血を吐き、意識はない。

 夏崇烈は悪名高い賊徒だが、義兄弟の情は持ち合わせている。今、義弟が瀕死の重傷を負ったのを前にわなわなと肩を震わせた。そして一転、さっと飛び上がり振り返る。剣先が持ち上がるのへ、ルヤンがさっとその眼前に立ち塞がる。

 続けるかどうか、など愚問だ。夏崇烈の剣が伸びる。対するルヤンは無手、剣は楼上に置いて来ざるを得なかった。ゆえにこれは先にも増して不利な状況だ。


 夏崇烈を討つならば、今こそ命を賭して挑むべきだ。だが今は背後に武山を庇っている。もしも自分が敗北すれば武山もたちどころに殺されよう。しかしながら彼を背負って逃げることもまた不可能。いずれにせよ夏崇烈と手を交えなければならないのだが、敗北は許されない。ではどうやって勝機を見出す?

 このときルヤンの胸中にあったのは、己一人では絶対に抱くことのない感情であった。

(私は、生き延びなければならない!)


 活路を探して視線をさ迷わせる。何かないか? この状況で活路を開く何かが! しかしここは朽ちた酒楼、調度品の一つもありはしない。せいぜいが庭土に埋もれた酒盃の欠片だ。半月のような破片。


 ――豁然と、閃くものがあった。


「死ねっ!」

 突き込まれる夏崇烈の剣。ルヤンの喉を貫こうとしたその瞬間、ルヤンの体が不自然に傾ぐ。剣先は空を突いた。そのまま横払いへ転じるも、ルヤンの体は既にそこにない。夏崇烈は下を見た。直後、倒立の姿勢となったルヤンの両足底が顎を打ち上げる。

「ぐっ……!?」

 夏崇烈は三歩を後退したが、転倒はなんとか踏み止まった。今のはまったく意想外な技だった。だが二度は喰らわない! 次に斜め下からの斬撃を放つ。

 通常ならば後方へ飛び退くところ、しかしルヤンはむしろ前に飛び込んだ。夏崇烈の剣を持つ手首を押さえるように掴み、剣の軌跡を逸しつつ飛び越える。さらに着地の瞬間もう一方の手で夏崇烈の腋下から腕をくぐらせ、二指で鎖骨を掴み取る。夏崇烈は鎖骨を引かれて上体が前に傾く。意識がそちらへ向いた瞬間、ルヤンの足が右手を蹴った。剣が手中を飛び出し二階の空き部屋へと飛び込む。


 夏崇烈は素早く足払いを仕掛けた。ルヤンの体が宙に浮き横倒しになる――と同時、夏崇烈もまた胸の中心に蹴りを喰らった。ルヤンは仰向けに転倒させられるや、その勢いを転じて飛び蹴りに利用した。二人とも吹き飛び地面に落ちる。


 一挙動で起きる夏崇烈。身構えた瞬間、呆気に取られた。ルヤンも起き上がりはしているのだが、その足元は酩酊したようにふらついている。

「未熟者が、頭でも打ったか。まるで酒に酔い潰れたようだぞ」

 なんにせよこれは夏崇烈にとっての好機でしかない。指先をかぎにして虎爪手を形作る。これであの細首を掻き裂く。実に容易いことだ。夏崇烈は踏み込んだ。これが最後の一手になると信じて疑わなかった。


 ルヤンの体が揺れる。まったく予想しなかった動き。虎爪手は空を裂きかけたが、即座に追尾する。しかしルヤンの喉笛に届くより先に夏崇烈の脇腹を打撃が襲う。ルヤンの突きが入ったのだ。

 夏崇烈は予想が外れたことに困惑しつつ、さらに攻め手を三連続で繰り出す。が、いずれも千鳥足で避けられたばかりか、通常ならばあり得ない方角から返し手が襲いかかる。困惑した瞬間、逆手で頬を張られて吹き飛んだ。ルヤンは追わない。腰を低く落とし体重は不均一に揺らしつつ、盃を掴む手の形を肩の高さへ。


「酔拳だ……」

 武山だけが知っている。あれはルヤンが観た映画に使われていた拳法の形。役に立たない創作の型と言われながらも型取りしたものだ。しかしそれは夏崇烈にとって理解を超えた代物である。酔客を模した武術などこちらの世界には存在しないのだ。


 今度はルヤンが攻める。夏崇烈はその三、四割を受け流したが、その他はほぼ直撃を喰らう。攻撃は打撃が主であるため目に見えた出血はしないが、ダメージは着実に夏崇烈の体に蓄積している。武術をまったく知らない武山でもそれがわかるほど、着実に! 一縷の希望が湧いた。この勝負、勝てる!


 突如、夏崇烈がハッと気合いを発する。既に未知の武芸に翻弄され気息奄奄、胴に真横から打ち込まれた蹴りを受けると同時に発したものだ。呻き声ではない。夏崇烈はわざとその一撃を受けた。腕を回しその蹴り脚を掴み取るために!

 夏崇烈の撃ち下ろした肘が、ルヤンの左膝を横から打った。

「――ッ!」

 ルヤンの口から声にならない悲鳴。夏崇烈はそのままルヤンの体を振り回し、回廊の欄干へと投げた。欄干を圧し折り、頽れるルヤン。即座に立ち上がろうとしたが、ガクリと体勢を崩す。カラカラと夏崇烈が嗤う。

「これでその妙な歩法は使えまい」

 これぞ夏崇烈の名が今日まで賞金首として轟いた所以ゆえんだ。どれだけ窮地に陥ろうとも、決して冷静かつ正確な判断力を失わない。ルヤンの酔拳を封じる手段をこの数合のやり取りで導き出した。命運とは実にままならぬものだ。正しい道を歩めば人角ひとかどの人物にもなれたろうに。


「選べ。お前とあの異界の者と、どちらが先に死ぬか」

 ルヤンは答えない。しかし半壊した欄干に手を掛け体を持ち上げる。右脚一本立ちとなり、痛めつけられた左膝を胸の前まで持ち上げる。そして両手は鵬翼のように大きく左右へ。

 夏崇烈は鼻を鳴らした。真正面ががら空きだ。だが、答えとしては十分でもある。


 踏み込む夏崇烈。虎爪手が心臓を狙う。その脈打つ臓器を掴み出し、握り潰さんと烈風を巻く。あと三寸の距離に迫る!

 その後は一瞬だ。夏崇烈の体はもんどり打って仰向けに落ちた。ルヤンが跳躍と同時に放った右脚蹴りが顎を蹴上げたのだ。渾身の一撃だ。夏崇烈の口から鮮血が溢れる。顎が割れたのだ。


(そういえば、リメイク前のシリーズも観たんだっけ……)

 既視感の正体に武山が気づいたのは、すべてが終わってからだ。ルヤンはあの映画も気に入っていた。お陰で窓はピカピカ、部屋の壁は真っ赤に塗り替えられてしまったが。


 いずれにせよ、これで終わりだ。夏崇烈はもう動けない。ルヤンの、武山の、二人の勝利だ。

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