第8話
なんの理由もなく母親を殺す息子がいる。介護疲れと本人は言うが、嘘ばかり。っていうか、介護疲れは理由としては陳腐だよな。育児に疲れたと言う母親以上に陳腐だよ。愛がない。愛の意味を知らないんだな。
犯罪者本人が客としてやって来たのは、長いこと聞き屋を続けているが、こいつだけだな。散々と自分勝手な意見ばかりを述べ、嘘を並べて帰っていく。嘘つきで、陰口ばかり言う自己中男って、この世界に実在するんだと思い知ったよ。
そいつを警察に突き出したのは俺だ。大した金にはならなかったが、お礼はきちんと頂いたよ。そいつに迷惑をかけられていた奴は、他にも大勢いたんだろうな。俺の所に来たのは一人だけだったけれど、ああいう奴はどこに行っても迷惑をかけるんだよな、きっと。
新しい会社に入ったんだけど、上司が嫌な奴なんだよね。適当に話を合わせているんだけどさ、本当はすげぇムカついてるんだよね。でもまぁ、ちょろい仕事だからさ、辞めたくはないし、噂じゃ仕事なんて全部上司に押しつけたってたんまりボーナス貰えるらしいんだよね。あぁそうそう、このことってさ、他言無用だよね?
そいつは、なんの挨拶もなくそんな話をおっ始めたんだ。俺は聞き屋だから、どんな話でも聞くんだけど、ここまで失礼な奴ってあまりいない。
俺ってさ、仕事の腕は一流なんだけどさ、上司がわかってくれないんだよね。仕事のミスは全部俺のせいにするし、そのミスのケツを拭いてんのは俺だからね。聞いてる? あんたはそれが仕事だろ? 眠そうな顔で聞くんじゃねぇよ。
腹は立つが、怒りは見せない。こういう奴は、いつか必ずどこかで痛い目を見るんだから、俺がなにを言っても意味がないんだよ。
それにしてもしつこい奴だった。俺がどんなに嫌悪感を顔に滲ませても、全く気づいてくれない。捕まるまでの間に、三十回は顔に出していたはずだ。いっときは昼間っから仕事をサボって顔を出していた。会社には母親が倒れたからと言っていたそうだ。嘘ではないが、そのことで一日中病院で心配していたっていうのは嘘だったよ。俺の前で平気で、病院なんか行く気にもなれないと愚痴っていたからな。
全く困るよな。お袋のせいで会社での肩身が狭くなる一方だよ。まぁ、適当に病気を大袈裟にしているから問題ないんだけどさ、あの上司がネチネチ聞いてくるんだよ。病気の具合はどうなのかとか、他の親戚とか家族はいないのかってさ。そりゃあ俺は会社の戦力だから、いなくなるのは困るってのは理解するけどな。俺としては、こうしてサボって街で遊んだりさ、待合室でゲームとかしたりして過ごしていたいんだよ。あんな上司のケツ拭くために会社なんか行ってられるかって話だよ。
そいつの母親は、病気といえば病気だが、原因の大半はそいつにあった。鬱病だったらしいな。そいつのことで心労がたまった結果だそうだ。皮肉だよな。自分の息子の心労で鬱になり、それが原因で自分の息子に殺される。可哀相の言葉もかけられない。
俺ってさ、可哀相だと思わない? 会社じゃ嫌味な上司にいじめられてよ、お袋は病気でさ、家に帰れば家族から冷たい視線だよ。嫁はちっとも手伝ってくれないんだよな。お袋の面倒は見たくないってさ。子供だって俺には全然懐かねぇしな。もう小学生だぜ。お父さんは好きじゃないなんて言うからよ、この前ぶん殴ってやったよ。
俺は正直、そいつの話だけは聞きたくなかった。それでも聞き続けたのは、俺の勘が働いていたからなんだろうが、このときばかりは俺のミスだ。勘に従い、もっと早く動いていればよかったんだ。そうしていたなら、少なくとも一人の命は救えたはずだ。
今日はいい日だよ。昨日さ、会社の上司に文句言ってやったんだ。そしたらさ、あいつ、涙目で逃げ出したんだよ。仕事ができねぇんなら辞めちまえって言ったんだよ。それから俺の陰口を言うなとも言ったよ。あいつはいつも隠れて俺の悪口ばかりだからな。もっと上の上司にはおべっかばかりのくせしてよ。それによ、もう一ついいことがあったんだよ。お袋の鬱が治ったんだからな。これで俺の天下だよ。来週から仕事に行くのが楽しみでしょうがないね。
俺はこの言葉でようやく動き出したんだ。遅すぎだよな。分かっている。俺のミスだよ。反省はするが、それ以上は難しい。全ての事件に俺が責任を持っていたら、俺はとっくにこの世にいない。助けられる命は助けたいが、無理なこともあるんだよ。それでも俺は、この事件で幾つかの命を救ったはずだ。あのまま放っていたら、そいつは家族全員を殺していた。会社の上司も同様だ。逮捕された後、殺しの計画書が見つかった。そいつは、小説家志望で、そのために書き溜めたネタだと、明らかすぎる言い訳をしていた。小説としてはその文章は稚拙で、内容もつまらなかった。いかにもガキが考える殺害計画書って感じだった。
俺はそいつの家を調べ、事実をつかんだ。あまりにも簡単すぎて、白けてしまった。そいつの会社も調べたよ。全てが大嘘だった。よくもまぁ、こんなにも嘘をつけるものだと感心したくらいだ。
そいつの真実は、語るのも腹が立つ。けれどまぁ、ほんの少し我慢をして聞いて欲しい。そいつは会社でも家庭でも、使い物にならない男だった。仕事はできない。家のこともできない。やっている振りだけだ。しかし本人は、本気で自分は凄い奴だと勘違いしていたようだった。子供が通う保育園で、保護者会の会長をやっていると自慢をする。それは事実だが、周りからおだてられて無理矢理やらされていただけだった。実質は他のメンバーでフォローしていたことに、当の本人は気づいていない。やらせなければよかったと、周りは後悔していたよ。他にもまぁ、そいつへの悪態は多い。けれどこれ以上は伏せておくよ。そいつの言葉がまんま、そいつの行動だったと思ってくれればいい。最後に一言、そいつは本当の意味での病気だったんじゃないかと思う。
そいつの母親は、俺が調べたときにはすでに死んでいた。鬱病は本当だったが、足を痛めて杖を突いての生活だった。一人暮らしだったようで、いなくなっても誰も気がつかない。祖母はまだ健在で、近所に叔母も住んでいた。父親は別れて連絡もできない状態だったようだが、連絡できる親戚にもなんの連絡もせず、連絡がかかってきても、そいつ自ら拒否していた。俺のお袋なんだから、俺に任せろと言い放っていた。
嫌な男の話をするのは嫌なものだ。俺は本当に気分が悪くなってきてしまったよ。本当にすまないと思っている。
そいつの母親が暮らすアパートは、築三十年のボロアパートだ。と言っても、そんなに悪いってことはない。家賃も安いし部屋は広い。駅からだって近い。俺が結婚前に暮らしていたアパートによく似ている。
アパートの一室には、誰も暮らしていなかった。俺は困ったよ。近所の人に聞くと、ここ数週間見かけていないと言う。引っ越したものだと、誰もが思っていたそうだ。アパートの住人は、入居しても退居しても、なんの挨拶もないのが普通のようだ。
俺は予感した。確実に死んでいるとな。根拠はあったんだ。そいつの祖父が、自殺をしたって話を思い出し、ちょっとばかり調べてみた。祖父は当時、車椅子生活だった。家族に迷惑をかけたくないと、海に身投げしたというのがそいつの言い分であり、警察でも自殺と判断された。当時のそいつは運送屋で働いていた。配送ルート上には、自殺現場がある。そいつはその日、現場近くを走っていた。しかも、そのルートは本来のそいつの担当ではなかった。休んだ同僚の代わりに、自ら手を上げたそうだ。身投げした海は、祖父の毎日の散歩コースだった。時間もいつも通り。思いつめたといわけではなく、衝動的な自殺と判断された。そいつへの疑いはかからなかったが、俺以外にも疑っている人がいた。それは・・・・ そいつの母親だった。その日、いつもはかけてこない電話がかかってきた。祖父の様子を聞いてきたんだ。元気で今日も散歩かい? そんなことを聞くのは、初めてだった。事故後に思い出し、不審を抱いたが、警察には話していない。妹にそれとなく相談しただけだ。俺はその妹から聞いたんだよ。
母親の遺体は、きっと海の底だと思った。どうする? 証拠なしにそいつを突き出しても意味がない。困った俺は、とてつもないシンプルな作戦を思いついた。まず初めに感じたのが、本当にそうなのか? ってことだ。証拠なしで突き出してもいいと考えたんだ。しかし、いくら警察からの信頼が厚いとはいえ、俺が直接ってのはよくない。そこで俺は、母親の妹やそいつの妻に協力してもらい、母親を探すよう促したんだ。そいつ自身にも協力させたよ。ここにやって来たとき、母親が大変なんだって? 行方不明だって噂を聞いたんだけど? そう言うと、奴は慌てて何処かへ走り出した。
奴は真っ直ぐ母親のアパートに向かった。奴が鍵を開けて中に入ろうとしたとき、背後から近づく警察官に声をかけられ、任意同行という名目で警察署に連れて行かれた。まぁ、俺の予想通りにみんなが動いたってことだ。
母親の妹はすぐにアパートへ向かい、生活の跡がないことを確認すると、警察に連絡した。それが前日のことだった。
そいつの妻は、ただそいつに対して、義母さんは元気にしているの? みたいなことを前日に聞いたそうだ。その言葉に不安になったんだろうな。俺の些細な言葉にも、敏感に反応した。
事件は無事に解決だった。そいつは母親殺しを認めたよ。遺体は海の中ではなかった。信じられないが、そいつは母親の遺体を細かく刻み、家で焼いたそうだ。腐る前に処理をした。本人は否定しているが、食べたんじゃないかって噂もある。そいつは確かに、母親の行方が確認されなくなった頃から、急に太りだした。まぁ、詳しいことはどうでもいいだろ? 俺は正直、これ以上の真相を知りたくないんだ。受け止めたくない現実だってあるんだよ。
あなたにはなんと感謝を言えばいいかわかりません。そう言ったのは、四十歳前後の元気のいい男だった。言いながら、いきなり俺に右手を差し出した。
俺は元気のいい男と握手を交わした。だけど、俺の顔には?マークが浮かんでいたんだろうな。元気男は俺に、母親殺しの同僚だと説明を始めた。おかげで会社が元通り順調に動き出したんだそうだ。普段は静かな聞き役の俺は、元気男にその母親殺しの会社での実態を質問しまくった。そして知ったそいつの実態は、ちょっとばかり予想を超えていたんだ。俺が調べたことは、上辺だけに過ぎなかった。内側からの言葉は、やっぱり重い。いつもそうだよな。テレビでどんなに報道をしても、ドラマ化をして描いても、真実には到底追いつかない。ここだってそうだ。俺がどんなに被害者の心情を語っても、伝わる真実はほんの少し。苦しみていうのは、味わった本人にしか分からないんだよな。
元気男の話を聞いて見えたのは、決して報道されない殺人犯の本当の姿だった。
奴は標準より背が低く、標準より体重が重い。それがどうしたって思うが、見た目のイメージは案外大切だったりする。それをどう感じるかは人それぞれだから、俺の意見は控えさせてもらうよ。奴の見た目は、奴の本当の姿の一部ってことだ。
しかし、俺が見ていた奴と、会社での奴はその見た目も大きく違っていたようだ。服装のせいなのか? 奴は会社では地味な格好を見せていたが、俺の前ではなんだか韓国かぶりなダンスボーカルグループのような個性のかけらもない着飾っただけの格好をしていた。サングラスをかけ、金のネックレス。一昔前のラッパー? 個性がないモノマネは、本物にはなれないってことだ。奴はなにをしても格好悪い。会社での奴の服装は、作業着だけだ。作業着での電車通勤なんて普通はしない。しかも奴は汚れ仕事だ。油で臭くなった服装のまま、満員電車に揺られていた。しかも、どんなに混雑していても座ることは忘れない。そうなんだよ。どんなときでもなんだ。椅子に座れなければ床に座るってことだよ。そんな奴も、なぜだか俺の前には作業着では来ない。不思議だが、そんな奴だっているってことだ。
奴の性格も、想定外だった。嘘つきなだけならまだいい。陰口も、誰だって一度は言うだろう。自己中なのは、極端に言えばみんながそうだ。奴は、それに加えて、自分を知らない人間だった。しかもプライドが高い。自分のことを、世界で一番だと、あらゆる意味で感じていた。会社のほとんどが、奴を嫌っていた。仲良くしていた数名は、その滑稽さを楽しんでいただけだった。
まぁ、こんな商売をしていると、そんな奴には大勢出会う。自分を知らない人間って、案外多く存在するんだよな。面白いのは、たかだが一年程度海外留学していただけで、世界を知った気になった奴だよな。たった一年で、しかも語学留学で、その国のことはもうじゅうぶん知っているなんて言うんだよ。面白いほどに無知だと感じたよ。この横浜の街も、数度しか来たことがないのに、どこかの街に似ているとかを平気で言うしな。見識がないのにあるふりをするってのは、ある意味罪だな。俺は生まれてからずっとこの街にいるが、まだまだ知らないことが一杯だよ。まぁ、奴の場合はふりができるほどの上辺の見識すら持っていなかったから、ちょっと話が違うんだけどな。奴は単純に、自分がどんな人間のか分かっていなかっただけだ。ふりはしていなかったよ。馬鹿丸出しって言ったら、言い過ぎだけどな。そんな感じの奴だった。
詳しく奴のしていた現実を話すと、読者はきっと消えてしまうな。俺だって知らなければよかったと思うよ。こうして思い出すだけで、俺の気分も冷めてくる。
っていうわけで、この話は終了にしようかと思う。ちょっとばかりいつもより短いが、内容はいつもより濃かったんじゃないかな? そういえば、一つだけ報告を忘れていた。元気男が、今回の報酬をくれたんだ。本当に精一杯の額だったが、その気持ちの重さは、いままでで最高だよ。
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