第5話 約束を、下さいませ!

 美沙樹は走って、墜ちゆくクラウベルを受け止めた。

「クラウベル!」

「うう……」

 弱々しい呻き声だけが返る。


「すぐに手当てを!」

 そう言った美沙樹の、血の気の引いた。

 ――今、何時だ!?――


「戦いに水を差されるのは嫌いですわね」

 声と足音が近付いてくる。美沙樹が顔を上げ睨みつける。

「怖いお顔。まるで何かに追い詰められているような必死さが窺えますわ」

 睨まれながらも、佳那絵は毅然とした顔で言った。


 美沙樹はもうクラウベルへと視線を戻している。

「七時が門限なんだ。それまでにクラウベルを助ける」

「あと五分と有りませんわね」

「分かってるから黙ってて!」


「無駄です。即時治癒ハイ・リジェネレイトの力はニホン人の私と貴女にしか無いのですから、五分では彼女は回復しません」

「……くそっ! なんだって門限なんか有るんだよぉ!」


 地面を拳で打つ美沙樹を、佳那絵は見据える。

「私が魔王城でクラウベルを治療して差し上げます」

「えっ?」

「私にも門限は有りますが貴女と違って品行方正ですから、九時まではに居て良いと親から許されているのです。あと二時間有れば配下の治療術師に彼女を委ねる事は可能ですわ」


「魔王のキミを信じられるか。大体何で――」

「約束が欲しいのです」

 美沙樹の疑問を分かっていたから、その言葉を被せた。


「明日もう一度戦いましょう。それは貴女も望む所の筈。……そしてクラウベルを救う条件は、明日の戦いで貴女の実力を隠さずに見せる事の約束です」

 提示された条件に、美沙樹は驚く。


「私の目を誤魔化せなどはしません。貴女は勇者でありながら、自らの力を偽っています」

「それは……」

 美沙樹は決まりの悪い顔を見せたのだ。だが……


「分かったよ。隠し事はしたけど、嘘は吐かないさ。だからクラウベルを助けて。……お願い」

「心得ました。私も興が冷める事は嫌いです。故に魔王として血の気の多い配下からも信頼されておりますれば、彼女は必ず――」


 佳那絵の力強い言葉は、美沙樹が門限を迎えて消え去った事で途切れてしまった。

「……せっかちですわね。でも私も急ぐとしましょう。ニホン人を嫌っていた彼女が身を呈して美沙樹を庇った。その心の変化は、私にとっても見るべきものが有りますから」


 そう言って佳那絵はクラウベルを抱えて、空間の歪みを作りその中へと消えた。


 ※


 美沙樹はニホンの、自分の部屋へと還って来て早々に階段を大きな音を立てながら駆け降りた。


「美沙樹! ドタバタしちゃ駄目って――」

「うるさいっ!」

 母・裕子の怒り声を撥ね退ける叫びだった。美沙樹はリビングに勢い良く躍り出る。


「ママ! 今すぐ僕の門限を無しにしてく……ああ!?」

 熱い思いを乗せた口上が、瞬時に恐怖に凍りついた。

「パ、パパ!! なんで居るのぉ!?」


 テーブルに腰掛けテレビを見ていた美沙樹の父・敏晴としはるがこちらに振り向く。

「居たら悪いか? 俺だってたまには残業無しの日も有る」

 サラリーマンである敏晴は、定時では仕事を終え切れず残業する事が多い。

「てっきり今日も遅いのかと……」


「なんだ、何か当てが外れたのか? まあ話してみろ、いつもはお前を裕子に任せきりにしてるからな。今日は俺がしっかり聞いてやるぞ」

 敏晴はニヤリと笑って告げた。裕子も彼に会話を委ねて黙っている。


「い、いや、えっと」

 敏晴の底知れぬ笑みに美沙樹は完全に震え上がった。しかし――

「大方、ゼルトユニアで何か有ったんだろう?」

 敏晴が探りを入れる為に放った言葉を聞いて、冷め掛けた思いが沸々と蘇っていく。


「そ、そうだ! 今日向こうで出来た友達が大怪我して、でも自分じゃ救えないままこっちに帰って来ちゃって、しかも実は魔王が僕の同級生で日帰りで魔王してて、いや、それは今は関係無い! とにかく今後そんな事が無いように、も、門限を、無くして頂戴!」

 勇気を持って言い切った。


「ほう」

 敏晴は話をしっかり受け止めた上で口を開く。


「その頼みは聞けんな」

「なんでだよ!」

「それがお前の甘ったれに過ぎんからだ」

 その言葉に美沙樹は、キレた。


「僕は向こうじゃ勇者として戦ってる。その事を僕なりに背負って言ってるんだぞ! それなのに何が甘ったれなんだ!」

「良い機会だから一から話してやる」

 敏晴が立ち上がって、美沙樹に真っ向から話し出した。


「な、なんだよ?」

「お前最初にその勇者として呼ばれた日、自分の体に宿ったゼルトユニアの特殊な力に自分でビビってたよな」

「……!」

 美沙樹の顔が強張った。


「俺はあの日、裕子からお前が部屋で消えたと連絡を受け仕事を放って帰ってきた。部屋に入った瞬間、何も無いにお前の存在を感じた気がして、無我夢中になって宙を掴もうとして、殴り続けて、やっとこさ閉じてたゲートの入口を叩き壊せた。理屈は今でも分からんがどうでも良い」

「えっ?」

 ――そんな必死で? 前は大した事無かったみたいに言ってたじゃないか――


「勇んでゲートを潜れば導師の谷とやらでお前が大層な剣持ちながら『ごめん、ここまでやるつもりじゃなかったんだ!』って泣き叫んでてよ。周囲に魔物の死体が散らばってたから、何となく事情は飲みこめたわな。力を持っちまったんだなってよ」

「パパ……」


「でも俺があの時お前に衝撃受けたのはな、力なんかにじゃない。人とは違う見た目の魔物共……どうぶっ倒そうが別に誰も咎めないであろう奴らに対しても、お前が自分の不手際を謝ってた事だ。……誇りに思ったんだ、何者とでも向き合う事が出来るお前を」


 ――勇者の召喚を感知した魔物の襲撃……いきなりの実戦で僕は堪らずあの剣の力を暴走させてしまった。パパは、そんな僕も受け止めてくれてたの?――


「そしてとにかくお前に辛い思いさせた奴を、ぶっ飛ばしてやらなきゃいけないって思った」

「……いきなり導師に掴み掛かってたよね。僕は無我夢中でパパを止めたけど……パパがそんな風に思ってくれてたのは、知らなかったよ……」

 美沙樹は、いつの間にか涙ぐんでいた。


 敏晴は美沙樹の涙を見ても、真っ直ぐな姿勢を崩しはしなかった。

「お前は俺の腕に食らいついて『僕はもうこの世界とも関わりが出来たから、このまま逃げ帰るみたいな真似するのは嫌だ。辛い思いをしたけど、そこから仲良くなれるかもしれないだろ。まだこの世界――ゼルトユニアとは出逢ったばかりなんだから!』って真っ直ぐな目で言った。大きく出やがってと思いながらとにかく連れ帰って、そして裕子も交えて家で三人で話して、最後には許してやったんだ。それがこのニホンで高校一年までを生きたお前が、未知の世界と出逢った事で抱いた信念というヤツならとな」

「うん。凄く、嬉しかった……」


「きっと今その歳の、高校一年のお前にしか持てない信念だ。大人になったら心が汚れるからとかそんな下らない話じゃない。今は今しか無いんだ。思い通りにならない事だって出てくるだろう、二つの世界を股に掛けるなら尚更だ。それでもお前が決めたなら全てひっくるめて精一杯生きろ。ニホンでも、ゼルトユニアでも。だから門限も決めた」

「そうだね、その為に決めてくれたんだった……」


 美沙樹は改めて敏晴の表情を見る。昨日の裕子と似た印象を美沙樹は抱く。

 ――考えが深過ぎて、それが怖かった。でも僕には到底分からない所で、凄く僕を思ってくれてたんだ――


 ふと彼の傍に居る裕子と目が合った。

 表情を押し殺しているようだった。伝えない事を重んじている顔だった。

 ――ママ、僕の言葉をじっと待ってくれてる――


 裕子は期待や願望の気持ちを表に出さないように努めていたのだ。敏晴が伝えてくれた。なら自分は待つという役目を引き受ける――その思いを胸に秘めていた。


 二人の思いに包まれて、美沙樹の心に温かな力が湧きあがってくる。


「……ごめんなさい、パパ、ママ。僕が、悪かったよ」

 少し照れ臭かったけど、謝った。

 でも謝ったら、心の力が一層確かになった。そんな自分を信じる。


「そうか。……よし飯だ飯。裕子、頼む」

 敏晴が大した事無かったみたいに座り直した。

「はいよ。さあ、ご飯装うから美沙樹も早く座んな」

「うん、僕今日はめっちゃ食べるからねっ! 明日は魔王と決戦なんだから!」

「そうか。そちらさんにも事情は有るだろうが、やるなら徹底的にやれ。あと宿題もちゃんとやれよ」

「わかってるってば!」


 しっかり食べて、勉強して、戦う。為すべき事を精一杯――美沙樹はもう今の自分を偽らない。

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