ガスライト

赤キトーカ

第1話

 これは6年も前になる話だ。


 久しぶりだな、伯父と逢うのも……。

 その日は晴れた夏の日で、亡くなった父の兄にあたる伯父が、僕の住む港町に久しぶりに訪れる日だった。

 伯父は札幌で医者をしていて、ときどき、父の代わりと言えるかもしれないが、なかなか職に就けずにいる僕を気にかけて、僕の住む町に顔を出してくれる。

 そして食事をするのが、一年に何回か、あった。

 僕が合格率4%の国家資格に合格した去年は、それは喜んでくれたものだった。

 まるで自分のことのように。

 ただひとつ気にかかることがあった。

 それは、伯父は、新興宗教団体の信者であるということだった。

 オウム真理教や、幸福の科学のようなキワモノ宗教団体ではない。国会に数多くの議席を有する、最大規模の宗教団体だ。

 僕は伯父と逢う日の午前、そのことが気にかかって、ウェブで少し調べ物をしていた。

「集団ストーカー」という言葉もある。

 ある宗教団体の信者が、ターゲットを絞って、たとえば、ターゲットとすれ違う瞬間に何かなぞのような言葉を発して、ターゲットを混乱させたり、車のクラクションを鳴らすとか、そんな些細な事柄を繰り返していくうちに、ターゲットは「自分は何者かに狙われているのではないだろうか」といった疑念を抱く。

 抱かせる。

 そして、精神的に追い詰める。

 それを目的とした行為、ないし、それを行う集団、それを「集団ストーカー」と呼ぶ。らしい。

 そして、そのようなことを行っているのが、その某宗教団体だという説があるのだった。

 もっとも、こんなことは、統合失調症の症状としてはまったくメジャーなものなのだから、そんな主張をしても、現代の日本ではまったく通らないものである。

 しかし、本気にしてはいないものの、気にはなっていた。とはいえ、好奇心のレベルである。

 詳しく調べてみると、すれ違いざまにターゲットに謎の言葉を投げかけたり、せき払いをしたり、車ですれ違う際にパッシングをしてみたり、そのような行為を行うことを、「ガスライティング」というらしいことを、ウェブで知った。

 これは昔の映画で、「ガス灯」という作品があるらしく、それは、ある人物がターゲットを、精神病患者に仕立て上げるために、さまざまな嫌がらせを行い、そのターゲットは「このような嫌がらせを受けている」と訴えるが、行為者は「それは君の気のせいだ」「君は少しおかしいのではないか」といった反応を繰り返す。次第に周囲からそのターゲットは「精神病患者だ」という印象を植え付け、最終的にはターゲット自身も「自分は精神病なのではないか」「自分は精神病なのだ」という錯覚に陥らせ、精神病院に入れてしまうという恐ろしいストーリーの話なのだった。

 そのことから、謎の集団による嫌がらせ行為を「ガス灯」というタイトルから「ガスライティング」と呼んでいるらしかった。

 そのような妄想的ウェブサイトを僕は見ながら、時間をつぶしていた。

 もちろん、本気にもしていなかった。

 しかし、正直なところ、まるっきりの妄想とも思っていなかった。つまり、自分には関係のない話だと思っていたのである。


 午後になり、伯父と約束していたホテルに向かった。

 1年ぶりだろうか。久しぶりに会う伯父は健康そうで、見た目も変わりはなかった。

 ロビーで僕たちは落ち合った。

「最近は、体調はどうですか」

 僕は実のところ、不眠症を患っており、それでなかなか仕事に就くこともできずにいた。そのことを知っている医師である伯父が、心配してくれているのだった。

「ええ、最近は順調ですよ。仕事も探していますし……」

「そうですか。それはよかった。今日はなんでも好きなものを食べなさい。お寿司は苦手だったね? ステーキがいいかな? ビールでも、御馳走しよう」

 わざわざ遠くから来ていただいた伯父に、恐縮してしまう。

「このホテルの12階で昨日は食事をしたんだ。景色も良い眺めだ。そこにしよう」

 僕たちはエレベータに乗り、12階へと向かう。

 ところが、そこのレストランは見るところ、営業している様子がない。

「おかしいな。すみません、今日はここはやっていないのかな?」

 従業員が答える。

「申し訳ございません。こちらのレストランは、午後5時からの開店となっております」

 伯父は残念そうに言った。

「それなら仕方がないな。もう一度、下に降りよう。ロビーの近くにもレストランがあったはずだ。そこならやっているだろう」

 階下に降りて、探すと、レストランはあった。

 僕はそこで肉料理とビールを御馳走になった。

 しかし、僕は心配だった。

 伯父が宗教団体に僕を勧誘してくるのではないか……。そんな危惧をしていた。

 僕はもともと、宗教などはまっぴら御免なのだ。嫌な思い出しかない。

 以前、伯父が妙な新聞を取るように勧めてきたことがあった。代金は自分が払うから、読みなさい、というのだ。

 まったくもって、親切心からなのだろうけれど、それだけに、質が悪い。

 伯父を迷惑に思う気持ちなんて、これっぽっちもないのだけれど、もしそんな話になったらどうしようと思っていた。

 しかし、「お母さんは、元気かい?」だとか、「こっちは、相変わらず寒いですね」といった話に終始して、伯父は僕の元気そうな顔を見に来ただけのようで、安心した。

 それでも、実は伯父は勧誘したい気持ちを躊躇しているだけかもしれない。そう思うと、複雑な気持ちになった。

 時間もだいぶ過ぎ、おなかもだいぶ膨れた。食欲があまりあるほうではないけれど、伯父の気持ちが有り難かった。

 叔父は帰る僕を見送るために、ホテルの外まで出てきてくれた。

「じゃあ、また顔を見に来るから。元気でね。何か困ったことがあったら、いつでも言いなさい。お父さんの代わりだと思って」

「本当にありがとうございます。伯父さんもお身体にはお気をつけて、元気でいらしてください」

「うん。ありがとう。それじゃあ、私は今日もここに泊って、明日帰るから。お母さんによろしく」

 僕はホテルに引き返していく伯父の後ろ姿を見送った。

 その時、目に入ったものがあった。

 12階のレストランが休業中で、僕たちが入った2階のレストランの看板が目に付いたのである。

 その名前を見て、僕は心の底から凍りついた。

 そのレストランの名前は、「ガス灯ガスライト」という名前だった。

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ガスライト 赤キトーカ @akaitohma

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