口付け

甘やかなバラの香りで目を覚ます。



真っ赤なバラの海の底。


私眠ってしまっていたのだわ


海ではしゃぎ疲れて、帰りの車で爆睡してしまった。


抱えてベッドに寝かせてくれたらしい。


この人は寝ているときは決して起こさないでくれるのね。起きているときは振り回すくせに。


可愛らしい寝顔


寄り添ううちにつられて眠ってしまったのだろう。


ローズの傍に身を横たえてアクセルが寝息を立てている。


いつもピリリとどこか力の入った眉間も、ふにゃっと弛緩している。


ふっくらした頬。邪な欲望の浮かばぬおもては、あどけないな子供のようである。


厚い胸板が静かな呼吸に合わせて上下している。


こうして静かに眠っていれば、心奪われるほど素敵な人なのに…。



花の香りに吸い寄せられて、アクセルがローズの方へ寝返りを打つ


「ローズ、おいしい…」

口をもぐもぐやって満足そうな笑みを浮かべる


仕方のない人だ…。ふっとつられてローズも笑ってしまう。さらりと流れる黒髪を撫でてやる


パタパタ、遠くで召使いたちの物音がする。様々な音が混ざり合ってぼやける


こしょこしょ


葉露の溢れる音まで掬う、ローズの優れた耳へ、勝手に内緒話が流れ込む


メイドたちの内緒話


「……それにしても、アクセル様のお遊びもご趣味が悪いわ…」


「あんな異国のお姫様まで……」


「アクセル様のお遊びって何ですか?」


「あら、新入り、知らないの?」


「あのお方はね、目をつけた少女を溺愛して、無垢な心を手に入れた途端手のひら返して棄ててしまうのよ!」


「きゃー!私も遊ばれたい!」



え!?



ローズの息が止まる



「ローズ…」


コロンと転がったアクセルの唇が動く。無垢な美しい寝顔。意識を手放したまま花の名前を呼ぶ。



なぜだろう。胸が痛い。


頭がぐるぐるする。


凍てつく夜の砂漠に放り出されたよう



満開のバラだけが音もなく咲き誇っている。


べっとりと部屋を染める真紅


恐ろしくなるほどの赤


ただ一つの白


純白の衣に身を包んだアクセルを、ローズはただただ見つめる…。



***



慌ただしくかけていくメイドの足音でローズは目を覚ました。


やけに騒々しい


ぱんぱんぱんっ


澄んだ朝の空に花火が上がっている


お祭りかしら?


「結婚式だよ。」

眠い目をこするローズの鼻先にバラの花が差し出される

「誰の?」

「もちろん俺とローズの!」


白いはがきらーんと煌めいてめっちゃいい笑顔


ローズの時が止まる


「昨日海でめちゃくちゃカッコよくプロポーズして誓いの宝石を渡しただろう。」

耳に煌めく宝石を指差さされる


「お前はなかなか唇を許さんから、誓いのキスもできて一石二鳥だな!」


にっこり笑う笑顔は爽やかだが、言っていることはとんでもない。


「いやいやいやいや、しませんから!!!」


迫り来るアクセルの唇を避ける


ムッとアクセルが眉をしかめる


「お前、往生際が悪いぞ。一体俺のどこが気に入らんのだ。昨日俺を世界一麗しいと言ったではないか。」


何もかももう全部駄目だというのは流石にアレな気がしたので柔らかな言葉に包む


「そ、そりゃあ、アクセルは神がかった美貌だし、まあまあ魅力的なことは認めるわ…。お歌はちょっと変だけど、本気で迫られ続けて落ちない女の子はいないと思うわ。」


「じゃあなんで…!」


「強引すぎるわ。それに出会って3日も経っていないのよ」


「強引なのは改める!愛に時間などいらない!一生かけて愛する!」


アクセルが胸をおさえて声を絞る


星空の瞳が潤む。

けれど、その瞳の底は闇


「そんなことを言っても騙されないわ。だって、私の心を手に入れたら捨ててしまうのでしょう?…私聞いたの! アクセルは無垢な女の子の心を集めては捨ててしまう悪趣味な男だって!」


うじうじ悩むたちでは無いのでズバッと言ってしまう


言っちゃった


さあどう出るか!?


恐る恐る様子を伺う


「…………はあ?」


目の前の世界一美麗な男は素っ頓狂な声を上げた


ぽかーんと口を開いている


「え? だ、だって、昨日メイドが噂話を……」


「あ? あーーーー。ああ………。」


何か得心すると同時に、ふっとアクセルの顔が陰る。ワナワナと震えだす


「ちが、う……それ、は……。」


それは……!?


「それは俺の親父がめっちゃ拗らせてた時の話だーーーーーーーー!!!!!!」


アクセルが噴火する


こ、国王様!? 

あの、王妃様をペロペロキャンディみたいに舐めまくっている?


「おれの親父は若い頃めちゃくちゃ色々拗らせまくってたんだ!!!その話がどこかでねじ曲がって俺に着地したんだろう! 俺は遊び人だがそこまで酷い捨て方はしない! むしろたまにビンタを食らう」


お、おおう、食らってそう


「いーか! この国の者たちはとにかく噂話が大好きだ!!!捻じ曲げるのもな!尾びれ背びれ足ビレまでつけてとにかく有る事無い事めちゃくちゃに広める!!!いちいち真に受けるな!」


怒ったかと思うと満足そうに笑う。


「だが!もうこれでうじうじ悩む要素は無くなったな!今日よりお前の全ては俺のもの!瞬きから衣擦れの摩擦熱までっ!」


「ちょ、ま、待ってください」


問答無用で腕に抱かれる。


ははははと高笑いするアクセルが物凄いスピードで広間へ駆けていく

時々くるっと回転しながら


「アクセル、やめて、目が回る」


「アクセル、いい加減にしろ」

凛と張った穏やかな声が響く。


リリーを抱えたアンリだ


「何か考えがあるのかと思って黙って見ていたが、いい加減にしろ。無垢なお嬢さんの人生を滅茶苦茶にするな。」


「兄貴…何を言っているんだ…? 俺は結婚するんだ! 運命の女と」


「愛してもいない女と?」


心の奥底まで見通す声


「なぜそれを…」

アクセルが目に見えてたじろぐ


『もちろん気づいていたよ。みーんなね。』


鏡合わせのような銀の双子。でも今日は笑っていない。


「好きな人にクロロフォルムは嗅がせないでしょ、普通…」


眼鏡をくっと抑えてエリオル


「焦がれ方が甘い。あんなにベタベタして心臓が爆発しないのはおかしい。」


国王様の言葉にうんうんとアンリが激しくうなずく


『見てたらわかるよね……』


皆が遠巻きに見つめている。少しだけ距離をとって。

何? このいたたまれない空気。

ああ、この瞳を私は知っている。傷ついた獣を見つめる瞳。


「やめろ…やめろよ…そんな目で俺を見るな!!!」


吠えるアクセルの声は弱々しく震えていて。


アクセル?


するりと腕の檻が緩んで、なだらかに着地する


「そうだ…そうだよ。俺は恋なんかしちゃいない。そんなものは無かったんだ。この世界のどこにも!」


アクセルの温もりが離れる


「嫌気がさしたんだ。いるのかもわからない宿命の女を探して放浪の旅。女を探しているはずなのに………いつのまにか大海賊団を率いていたり、竜族盗賊団の巣を壊滅させていたり、レジスタンスの先陣を切って、むさ苦しい男たちに胴上げされていたり……、俺は一体、何をやっとるんだ??? 疲れ切っていたんだ。そんな時に目の前にとびきり優しくていい女が現れたら……………わかるだろう?」



何を言っているの?


アクセル?


そんなに苦しそうな顔をして…

嗚咽にも似た苦悶の吐露

虚しいこだまだけがくるくると高い天井に吸い込まれていく…



***



バラの部屋も見納めだ。ここまで見事な赤と黄金を見る事はもうないだろう。


「行くのか」


「よく顔を出せましたね」


「…餞別だ」


アクセルが花束を放る


受取手の居ない花束が床に砕け散る


アクセルが怪訝な顔をする


「お前、なぜ泣かない?」


「はい?」


「なぜオレ様にフラれてそんなに平然としてられるんだ。今までの女なんてどいつも振り乱して暴れ泣いて大変だったぞ。意地を張らずに感情豊かになれ。慰めてやる」


「いえ、張ってませんが。大地の息吹を感じるほど自然体です。」


「その大地は北極か?少しは俺に執着しろ。縋り付け。せっかくこうして俺様が時間を割いて会いに来てやったんだ」


「あ? すみませんねえ耳が遠くて。もっかい言ってくれませんかね。あ、やっぱり時間がもったいないからいいです」


「ぐう……お前、愉快だから行くなよ。踊り子として置いてやる。俺のために毎晩踊れ」


ゆっくりとバラの海をぬって、アクセルが歩をすすめる。


窓際にひときわ美しく咲く花の元へ


「道化なのはあなたでしょう? 偽りの恋で身を飾って、一人で踊って、楽しいですか。」


「そうだな…、お前となら少し楽しかった」


「!」


さっと距離を縮めたアクセルが、ローズを追い詰める

まっすぐ、真剣な眼差し。


星空の闇に漆黒の炎


意地悪な瞳の方がどれだけ良かっただろう。射抜かれた獲物のように、動けない


「最後に残したものをもらう……」


頬を両手で掬い上げられる。


「ん……っ」


花びらのような唇が触れる


キス


むせかえる薔薇の味。


「…行くな。」


キスから溢れるように低く呟く。


再び唇が塞がれる。


なんども。


なんどもなんども。


杯から溢れる滴を舐めとるように


「俺の側に居ろ…」


なるほど流石だわ。アクセルに泣いて縋った女の気持ちも、少しはわかってしまいそう。こんなキスばかり繰り返されたら体の芯からおかしくなるわ……。


バラの毒に痺れて動けない……。


あれ、どうして?


なんで


「……泣かせてしまったな。泣き顔も、可愛い…」


柔らかな唇が涙を摘み取る


「行くな…」


微かに震える、女を狂わす低音


答えも聞かずにまたふさぐ


「……っ!」


アクセルが跳ねるように身を離す


「酷い女だな。舌を噛むなんて」


「嘘付きな舌を引き抜かれなかっただけよかったでしょう。大嘘付き! 甘い言葉を沢山吐いて! 何よ、世界でたった一人、心に決めた女だなんて…!」


「お前に決めたのは本当だった。一生かけてゆっくりと愛そうと思っていた。たとえ、定められた恋でなくとも…」


ふっと、寂しそうにアクセルが笑った。



「さようなら、ローズ。約束は守るよ」

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