閑話

アクセルのストレスフルな日常



超大国の朝が開ける

百合まみれの城下を朝陽が照らす

荘厳な城が聳えたつ


ああ、今日も城中を埋め尽くす百合! 


豪華絢爛な調度品を押し流さんばかりの百合の濁流! 

百合の渦の中から煌めくような声が響く


「リリー! ああっ、今日も可愛らしいですか!? ああーっ! 何てこと! 今日も恐るべき可愛らしさ! 可愛さ史上記録更新です!! もっとその天使の様な顔を見てもいいですか……!? ああっ、すみません、思わずキスしてしまいました! ああっ、っ止まりません、リリー、ずっと、口づけていたい……ほら、今度は貴方から……舌を出して」


 もはや、アンリが愛する妻を惜しみなく愛でるのは日常だ。途中から愛でるのを放棄して食べている。


 アンリが膝まづいて焦れるように腕を突き出す。愛しい妻の愛を乞う


「リリー、私は貴方の愛のしもべ。貴方に仕えることが私の至上の歓び。ああ、どうか哀れな下僕にご命令を」


「じゃ、じゃあアンリ、三回まわってワン」


 クルクルクルクルッ


「ワン!」


アンリは華麗に空中で四回転半まわってワンと鳴いた

この上なく嬉しそうである

リリーは忠犬……ではない忠夫にご褒美のキスをしようと背伸びした

うーんと伸びるが長身のアンリには届かない


「大変! アンリ、キスできないわ!」


「こうしたら思うだけキスできますよ! もう離さない」


ふわりと体が浮いて、軽々と持ち上げられる

絵にかいたようなお姫絵様抱っこ

リリーはアンリのたくましい首筋に腕を回す


目も眩むほどのキス!

口づけを交わしたままくるくる回る二人

光り輝いている。


ぎりぎりぎりぎり!!!!


柱の陰からアクセルが歯ぎしりしている

『嫉妬は醜いね……』

日々成長し男女の機微を学ぶ双子である。


アクセルのストレスいっぱいの朝は大体このようにして始まる


***


超大国の第二王子、アクセルは大変見目麗しい。

父親譲りの顔だちは凛々しく、母親譲りの瞳は夜明けの星空よりも美しい。


鋼の様な身体。ふわりと遊ぶ黒髪。

明るく親しみやすい快活さで兵士たちからの人望は異常なほど厚い


長男アンリの魅力にかすみがちではあるが、そのアンリが結婚した今、この超大国の抱かれたい男ナンバー1の名を欲しいままにしている。


流し目だけで軽く数百人は失神。まれに男も失神。国中の男女たちの羨望を一身に集めるアクセル。


しかし、当の本人の日常は意外と苦難に満ちている……。


***


午後のお紅茶も飲み終わらぬうちに次々と案件が押し寄せる


「アクセル様、あの……エリオル様の部屋から奇妙な物音が……あと煙とかも……」


 言いにくそうに膝まづいた兵士が告げる


「またか……」

 アクセルはげんなりする。


 国の面倒ごとは兄のアンリへ、兄弟間の面倒ごとはなぜか次男のアクセルに回ってくる。

 今日はアクセルの出番のようだ。


 今日の午後は歌劇場一人気の女優を落とすデートのはずだったのに。おじゃんだ。


 城の誰もが怖がって近寄らないエリオルの研究室へ、アクセルは躊躇なく足を踏み入れる。

今日は鍵をこじ開けなくて済んだ。


魔窟の様に広がる研究室。青い人工の光。勝手に沸騰するフラスコ、時折謎の生物の悲鳴がこだまする


いや、これは研究室と言っていいのだろうか?

しかし一向アクセルは気にしない

アクセルは慣れた手つきでサクサク罠を避け、暗号を解き、地下へのエレベーターを起動して最奥へ進む


「こ……これは!?」


 たどり着いた地下実験室でアクセルはさすがに絶句する。


いつのまに建築したのか、見事な大空洞ラボが広がっていた。


ズラリと並んだ巨大モニター。

そして何より巨大な円環状のパイプが四方にぐるりと走っている。


中央、複雑な装置に埋もれるように、エリオルが座っている。


眼鏡に煌々とモニターの数列の羅列が流れる

まるで自身が装置の一部と化したかのようだ


「あー、アクセル兄さん」


 エリオルがモニターから目を外して、ニコッと笑う。何の邪気もない笑顔。


「エリオル……な、何だこれは」

「見てわからないの? 粒子加速器だよ。ちょっと宇宙の神秘に迫ろうと思って趣味でコツコツ作ってたんだ」


「国の予算をちょびちょびガメてると思ったらこんなものをつくってたのか……!」


「古文書の大型加速器を基に僕のオリジナルアイデアをふんだんに盛り込んでね、ふふっ、ここまでの小型化に成功したんだ! 誰にも気づかれずにこっそり実験できるほどにね! ああ、若干14才にして己の頭脳が恐ろしい、ふふふ……」


 キラッと光る眼鏡。

 ドヤッドヤっと眼鏡をクイクイしているがアクセルはそれどころではない。


 今までエリオルがこっそりやっていた実験で、まともで安全なものがあっただろうか? 


いや、無い。

ひとつもない!


ゾワーっと寒いものが背筋を抜けていった。

アクセルの野生のカンだ。

イヤーな予感がする。

アクセルは嗜みに読んだ古文書の記憶を探ると同時に、エリオルの装置をくまなく観察する


素粒子の衝突実験は目に見えぬほど極小の世界だが、発生する衝突エネルギーはすさまじい。この惑星を消し去るほどの事象は十分発生しうる……


「おい!!! ここ間違えてるぞ!!!」


 アクセルがモニターの一点を指し示して悲鳴に近い声を上げる


「わーこんな小さなバグ一目で見つけるなんてすっごい、アクセル兄さんは僕よりたまに頭がいいね」


「悠長なこと言っとる場合じゃねーー!!! このままだとブラックホールが発生して、星丸ごと飲み込まれちまうぞ!  中止だ! 実験止めろ! おい、停止ボタンは?」


「ごめん、停止ボタンは作らない主義なんだ。青春走り出したら止まりたくないっていうか……」


「思春期のポエムみたいなこと言ってんじゃねえええええ!! お前の人生を先に停止してやろうか!!!」


ういいいいいいいん


不吉な稼働音がアクセルの耳に届いた

ちりっと小さな稲妻が走る


「うわ! 動いた! できた! 感動だなあ」

 エリオルが歓声を上げる


「できてない!!!! うわーーーー!ブラックホールができる!!!」


「できるのか出来ないのかはっきりしてよ。」


 可愛らしく眉をひそめる弟を兄は完全無視だ


「うわうわうわうわうわうわ、今から停止コードを構築して……誰だ!! いちいち暗号認証を要求する糞仕様に設定したのは……!!!」


 ガシャガシャガシャガシャガシャ!!!


 ピアノの超絶技巧もかくやという猛スピードで、プログラムコードを書きかえるアクセル


「くっ、っくそ、間に合わん。何か方法はないか……」


 くらりと眩暈を覚えて壁にもたれ掛かる


「あ、アクセルそのデバイスに触れると」

「あ? ぎゃあああああああ」


ばりばりばりばりばりばり!!!!


 アクセルの骨まで焼き尽くして電流が流れる


「危ないよ」


「この阿保―――――!!!」

 アクセルはキレた!!!


手当たり次第にモニターを叩き割る。


とまれとまれとまれとまれとまれとまれ!!!


なりふり構わず鉄槌を下す。鉄の塊が轟音を立ててねじれ飛ぶ。稲妻が走る。パイプに亀裂が入り、自壊していく……。


ひゅうううううううう……ん ぷすん


「と……とまっ…た……死ぬかと思った……」


アクセルの美しい黒髪が心なしかヨレヨレにしなびている。


「もー。アクセルは何でも力技で解決しようとするんだから」


「ぜーはーー……言いたいことはそれだけか……? 遺言になるんだからしっかり言葉は選べ」


 肩で息をしながら、もはや鉄くずと化した残骸を忌々し気に踏みにじるアクセル。転がることも許さんとばかりに踏み砕いて、完膚なきまでに実験装置を破壊してまわる


「僕の崇高な実験がぁ……」

 エリオルが涙目で焼け焦げた破片にすりすりする


「こういうマッドな実験は来世でやれーーーー!!!」


「今世でも何回もやればいつか成功するよ。そうだ、もっと出力を上げたいなあ」

「真空のインフレーションを起こして宇宙ごと崩壊させる気か!!!」


エリオルの襟首を締め上げる。持ち上げられたエリオルの腕が無抵抗にプラプラ揺れる


「アクセル、顔近いって。どうしたの? ……もしかして怒ってる?」


アクセルは物も言わずに拳を振り上げた。


***


夕暮れお陽様がアクセルの頬にしみる

疲れた……


なぜ俺はこう、痛い目にばかり合うのだ……。

エリオルを泣くまで思い切り痛めつけたが心は晴れない


「今日はもう、寝る……。ありったけ、抱けるだけ女を抱いて寝よう……」

 安眠枕かホッカイロのごとき言いようである。


とぼとぼと自室にこもろうとした、その時


ぱあぁあん!


乾いた音とともに、リリーがアンリの執務室から飛び出してきた!


「アンリのバカ―!!!」


 ああっ、くそ、あのまめフグ女、また兄貴の頬を張りやがって!


「俺の兄貴に何てことしやがる! この野蛮女!」


思わずリリーの手を掴むアクセルに、弾丸の様に飛び出したアンリがキレる


「私のリリーさんに触れるな!」

「へばっ!!」


アンリの本気パンチがアクセルの頬骨を抉る。

理不尽!

脳が震えるほど痛い


白目をむいて床に沈むアクセルには目もくれずに、アンリがリリーにすがる


「リリーさん、どうか怒らないでください、あれは事故だったのです!」


「事故でも許せないわ……!!! あんな、あんな、信じられない! お紅茶を出したメイドと、0・1秒も目が合っていたわ! 嫌らしい視線を絡ませあっていたわ!! うわーーん!!!」


「リリーさん!! 決して、決して、神に誓って、目と目で会話などしていません!!! 私の目は死んでいました!!! 私の目はリリーさん、貴方を見つめる時以外は基本死んでます!」


「……………。……本当?」

「本当です!! 貴方以外の女性はフナムシに見えています」

「まあ! フナムシ!」


 思わずリリーは笑ってしまう。すかさずアンリが掻き抱いてキスの雨を降らす。ほころんだ花にミツバチが潜り込むように、どんな隙間も逃さない。


 夫婦喧嘩をしても音速で仲直りする二人である。そもそも喧嘩の理由の意味が解らない


 うっとりしたリリーがアンリをおずおず見上げる


「ごめんなさい、わたし、アンリのことだと何故か凄くヤキモチを焼いてしまうの。嫌な子だわ……。私またアンリをぶってしまったわ。……痛かった?」


「いいんです。むしろ快感です。もっとぶって下さい」


どさくさにまぎれて不穏な本音を漏らすアンリ


「ああ、そうですリリーさん! 僕が身も心も貴方の物であるという証に、私の身体に刻印をください」

 リリーを片手で抱き上げると胸元まで襟をはだけるアンリ。隆々とした首筋と鎖骨が露わになる。


「刻印?」


「私の肩を噛んでください!!! あなたの所有印を歯型で刻んでください。私の治癒力でも消えぬほど強く!」


「わかったわアンリ!」

リリーはアンリの肩をかみかみした。しかし歯が立たない。

「もっとです! もっと強くかみかみしてください!」

「ほ、ほう?(こ、こう?)」


かみかみかみかみ


「くっ、た、たまらない!」

 危ない感じの快感を感じ出すアンリ

「リリーさん。私は貴方の物」

「アンリ。大好き」


 かみかみ


「りりーさん……」

「あんり……」

 はぐはぐ


 その一部始終アクセルは黙って床を舐めていた。真っ赤な絨毯が視界に眩しい

 朦朧とする意識に百合の葉音とおしどり夫婦の睦言が流れ込んでくる


 し……死ぬ……こんなところに居られるか……粉砂糖を吐いて死んで……しまう……



 をおおおおおお! 俺は旅に出るぞおおおお!!!


 薄れゆく意識の中でアクセルは固く固く決心するのであった……



 しかし、無情にも、アクセルが旅立つまでに、同じような出来事があと15回ほど起きるのであった。


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