おまけ アンリside 月の御許で
「申し訳ありません、リリー様は今日は大変お疲れになられていて、お会いしたくないそうです」
呆けたように見惚れながら、リリーお付きの侍女がアンリに告げる。
「そうですか……」
慣れない国での結婚式で疲れたのだろう
アンリは大人しく引き下がった
砂のこぼれる音までも聞き分ける、アンリの優れた耳へ、嫌でもリリーの国からついてきた侍女たちのひそひそ話が流れ込む
「アンリ様って物凄い美男子ね!」
「国中の女を食い尽くす悪魔のようなケダモノって聞いたけど違うわ。きっと女の方から骨まで食べてくれと香水かぶって飛び込んでくるのよ」
その通りである
今まで来るもの拒まずであった
女は皆魂の抜けたようにアンリに夢中になり、焦がれ、やがて失望し去っていく
――私がどんなあなたに焦がれようと、あなたは私を愛してくれない。それが耐えられない
愛の睦言を吐き、冷めた心を隠しても
気取れらぬよう、誠実に徹していたのに
細心の注意を払っているにもかかわらず。
どの女も冷めたアンリの瞳の底を見抜き、涙を流して責める
割り切って付き合えるだろうと選んだ、アンリの地位と見た目に引き寄せられた女ですら、最後は泣いてアンリの愛を乞うのだ。
たまったもんではない。一番人を愛したいと思っているのはアンリだ
女に去られるたび、深い葛藤がアンリを攻める
失恋の苦痛ではない。むしろ全く逆である
何の痛みも感じないことにアンリは焦る
男女が長く深く交われば、少しは情が湧くと聞くのに、なぜ、微塵も悲しみが湧かぬのか
思春期を迎え、最初の頃こそ面白がって火遊びを楽しんでいたアンリだったが、怒涛のように入れ替わる女たちに次第に食傷気味になっていった
人を愛せない辛さ。アンリは少し自棄になっていた
やけになった時には朝からお昼までに恋人が二十人変わっていた日もあり、弟のエリオルをドンびきさせてしまった。若気の至りである
意外にも、アンリの結婚に一番ごねたのは弟のアクセルだった
「兄貴、兄貴が結婚なんてする事ないんだ!!!」
「ハズレ」のくじを握りしめて、アクセルが詰め寄る
「あの小国は戦こそ弱小であるが、すべての大陸への足がかりとなる重要拠点だ。押さえておく必要がある」
アンリは「アタリ」のくじをアクセルの眉間に放った
「あんな国、力で抑えればいいんだ。兄貴は自分を殺しすぎるよ!」
「女と遊ぶのも結婚も私にとっては同じだよ。うまくやる」
だから、結婚式の日も、アンリの心は醒めていた。
満開の百合の園で、適当に選んだ女を抱きしめる
「ねえ、結婚なんて仮初めでしょう、遭ってくださるわよね?」
「ああ、君だけを愛しているよ」
いけない関係に酔っている女を、醒めた心が見つめている
唇が勝手に心にもない言葉を紡ぐ
「あっ」
かさりと百合の葉音がして、背中から小さな声が響いた
可憐な、天使のような声
なぜだろう、魂を揺さぶられた気がして、アンリはゆっくり振り返る
***
稲妻が落ちて記憶が定かではない
朦朧とする意識の中で、天使の頬にキスをしたような気がする
***
びょう、と夜の風に木の葉が舞う
沸騰せんばかりに上気する身体を冷やそうとして、アンリは夜の庭を彷徨う
月光を纏って煌めく姿は息を忘れるほどに美しい
美しい瞳は、生まれて初めて味わう戸惑いに揺れている
気が付けば、崖の様な天守を軽々と登っていた。
幻で無いか確かめたくて。抱きしめた
先ほど抱きしめた可憐な花の香がする
とてつもなくいい香り
リリー……。
「リリーさん、リリー!!! 嗚呼、可愛すぎる!!! なんだあの、押し寄せる時代の波の様な可愛らしさは!!!??? 天使か!!! 私の魂をふわっと召し抱えにきた天使なのか!!!! あーーーーーーーっ!!!! 可愛すぎて魂浮き出る!!!!」
どごどごどごどごどご!!!
アンリは猛る思いをそのまま拳にこめ大樹を乱打した!
めりめりめりめり!!
哀れ、樹齢何千はあろう大樹はアンリの劣情をモロに食らって真っ二つに倒れる
「リリーさん! リリーさんリリーさんリリーさんりりさんハスハスハスハスハスリリーさん、私の焼いたクッキーをまぐまぐ食べるリリーさん子リスの様に愛らしかった。ああクッキーになって食べられたいむしろ食べてしまいたい、リリー、いい匂いで美味しそうだった……はっ!? こ、これは!!!!」
アンリが震える手で胸元をまさぐる
リリーの金の煌めく髪が一筋、アンリのボタンに絡まっていた!
「ああっ!!! リリーさんの髪の毛!!!!!! 錦糸のよう!!!!!! 神様ありがとうございます!!!!!!!」
ぱくっ!!!!!!
食べた。
こ、こんなことをして自分は変態になったのか? という疑問すら浮かぶ余裕がなかった。
恍惚がアンリを包む。
「リリーさん!ああ、なぜだ、あの人の事を考えると胸が締め付けられて息ができない!!!! 死ぬ!!!! 死んでしまう!! やばい!!!!! ひっ、ひっ、ふー。」
何か間違った呼吸法を試すアンリ
「すーはすーはすはー……お、落ち着け、これは過呼吸だ。おちつけ、りりー、さっき会っておやすみって言ったばかりだけどまた会いたいずっとくっいていたい。ああっ顔ダニに身を落としてリリーさんのあのすべすべのお肌に住みたい!!! 白血球になってリリーさんのお体を守りたい! 腸内細菌でもいい! もちろん善玉で。あー! リリーさんの柔突起にピトってくっついて揺らぎたい。はあはあ、わけがわからなくなってきた。」
アンリは立っていられなくなり心臓を抑えて地面をゴロゴロもんどり打った
砂利がじゃりじゃり口の中に入るが一向気にしない
ああ! 絶望にも似た深い歓びがアンリを襲いつくす
あの、天使のように愛らしいリリーが、つ、妻だなんて!!
つま!
何という甘美な響き!
妻ということは、あの愛らしい生物に毎日毎日会えて、それどころか何でもできて、お返しに何でもして貰えて、それも一生! ああ! あの可愛らしい生き物を一生かけて愛でつくして、もっと可愛らしい子供が産まれて こ、子供は何人がいいかな
こ、子供!!!!!?????
「くぽっ!!!」
アンリは吐血した。
鼻血がだくだく溢れている
我が子を抱く前に、割と本気で死ぬかもしれないとアンリは思った。
なんとか身を起こす。膝ががくがく笑っている。この国一の闘神と謳われる雄姿は微塵も無い
「は、早まるな……。時間はたっぷりあるんだ。慌てるな。まだ慌てる時間じゃない。深夜だ……。リリーさん、心も体もはちみつ漬けの様に愛して愛して、私なしには生きていけないようにして……ああ、僕はもう、リリーなしには生きていけない……」
ブツブツ呟きながら、アンリはヨロヨロと王家の森へ消えていった。
柔らかな月光だけが、見つめていた。
やっと見つけた愛しい花
じっくりと、ゆっくり愛を育てていくんだ
リリー、君にだけは、愛を乞われたりはしないよ
溢れるくらいに愛を注ぐから
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