君に百億の百合を! めでたしめでたし

まさか人間キスで失神できるとは思わなかった


本気を出したアンリの凄まじさといったら……


まあ、人体の神秘について深く語るのはよそう。

知ろうとするのは野暮と言うものである!


煌めく朝陽がレースのカーテンを撫でて、ふありと揺らす。


部屋中を埋め尽くす百合の花達がさんさんと喜ぶ。


真っ白な百合からにょっきり腕が生える。


美貌の夫が、この上ない喜びをたたえて愛する妻を抱きしめる。


「大好きですリリーさん……リリー……」

 熱にうなされた子供のようにつぶやく


リリーは頬を寄せると、そっと夫に口づけた。心から、満面の笑みが花開く。


「アンリさま、大好き」


「……っ!」


一瞬で耳の裏まで真っ赤に火照るアンリ。りんごのよう


「ああ、リリーさん可愛い、可愛い可愛い愛しい食べてしまいたい。おいしい。」


ああ、

しみじみリリーは思う


今までほっぺを舐められていたのは、味見だったんだわ


 アンリの貪欲なキスがリリーをなぶりつくす。リリーのすべてを、食べようとして。

「んーーーっ」


「リリーさん、可愛い」


「んーーーーーっ」


「リリー。私の妻。絶対に、離しません」


「んーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」

ばんばんばんばんばん!!!!


リリーが枕を叩くが誰も助けには来ない


百合の花だけがさわさわと揺れている


 絶対に離さないというアンリの決意は固かった


結局リリーは執務室にお姫様抱っこで連行され、一日中アンリの膝の上で過ごすことになった。小鳥がついばむようにキスを浴びながら


***


なんとか夫の腕と唇を振り切ったリリーは、ほっと一息ついた


アンリの愛は、ちょっと、凄すぎるわ……

おトイレにまでついて来ようとするのだもの


ちょっと、さすがにそれは、ご遠慮していただいた


夫婦でも、恥じらいを忘れてはいけない


リリーはぽてぽて、真っ赤な絨毯に鎧の続く回廊を歩いた。


角を曲がり、アンリの待つ執務室へともう一歩と言うところで、突然鎧が動いてリリーに襲い掛かる!


「うぉぉおおおお……う?」


 ずごっ!!!


 雄たけびと共に、重い一撃がリリーの腹にめり込む


いや、最後の、……う? ってなによ!?

と思う間も無くリリーの意識は闇へと落ちていった



***



どどどどどどど……


ピチョーーーン


涙の様に落ちた水滴が、リリーの頬に弾ける

ゆっくりと揺らめいて、闇の底からリリーの意識が戻る。


まず最初に感じたものは、硬い岩と、頬にかかる水しぶき


それから目に飛び込んできたものは、巨大な水のカーテン


リリーは、遥かに巨大な滝を望む洞窟にいた


あー、なんて大きな滝なのかしら。海みたい。


定まらない思考で思い巡らす


――この国には巨大な滝があって、国中の電気をすべて水力発電で賄っているのですよ……


「起きたか」


低い声が響く


薄暗い洞窟の中から、第二王子の影がすっと浮かび上がった。

白いはずの王子様ルックが一瞬黒く見えたのはなぜかしら


(アクセル……!)


身を起こそうとしてリリーは無様に崩れ落ちた。足首に鋭い痛みが走る。腕が動かせない。ぐっと食い込む荒縄。縛られている!!! 両手両足簀巻きだ!!! 


「も、もかもれっ!?(な、なにコレ!?)」


おまけにさるぐつわ!


必死でアクセルに呼びかけようとしても、もがもがと不思議な音が漏れるばかり。


岩床に倒れ伏してもがくリリーを、アクセルはさして面白くもなさそうに見下ろす。助け起こすそぶりはない


いつもの情熱的な視線は微塵も無く、夜明けの星空の瞳は暗く淀んている


アクセルは暫く頬に手を当ててリリーを眺めていたが、やがて、ぐしゃりと美しい顔を歪ませて、吐き捨てるように言った。驚くほど醜い顔が浮きぼりとなる。


「兄貴もこんな女のどこがいいんだ!? チビで煩くてぺったんこ……!」


「も、もあうぐー!?(ぺ、ぺたんこー!?)」


「俺が何度も忠告してやったのに、俺の兄貴に手を出しやがって!!!」


 え?

 は?

 お、俺の……?


 リリーにぞっとするほど冷たい一瞥をくれると、アクセルはぎゅっと己の身を掻き抱いて身もだえる。漆黒の黒髪がふるふる揺れる


「兄貴、ああ、俺の兄貴、兄貴の物は俺の物、俺の物も俺の物。いつだって俺たちは喜びも苦しみも女もシェアしてきたのに。突然こんな女に俺の兄貴を奪われるなんて! 悲劇だ!」


「もがーーーー!!!????」


こ、こいつブラコンだーーーーーっ!

超が付くほど、ブラコンだーーーー!!!!


 目を白黒させるリリーには目もくれず、嗚呼っと両手を天へ突き出し、勝手に俺様劇場を始めるアクセル


「俺は戦争がしたかった…!」


ぐっ、とこぶしを握りしめるアクセル。


こ、今度は戦争!?


「お前の国との戦いで、俺は戦場の華になるはずだった!!! 熱き火花を散らし激闘の末敵将を打ち取って首を掲げ…たかった! 高笑いしながら村を焼いてみたりし…たかった! 初陣だったんだ。なのになんだあれは!? あの猛烈なスピードで逃げ出す兵士たちは。本当に早かったびっくりした。お前の国はどーなっとるんだ!!??」


「もかもか(そういう国民性なのよ!)」


「はァ? なーーーにを言っとるのかさっぱりわからん!」


 じゃあ猿ぐつわなんかするなよ! というリリーの心の叫びは届かなかった。


「俺の青春を返せーーーー!」


滝に向かって叫ぶアクセル


「もかっ!!(知らないわよ)」


「は? 俺がお前に惚れてただって? ばーーーか! お前見てーなまな板まめふぐに変な気起こしたりしねーよ!!!」


「うっ、うぐうぐー!?(ま、まめふぐー!?)」


「さーて、どう料理してやろうかな。結婚先で大事なお姫様が死んだら、さすがのあのへっタレ国民でも怒るよなーあ? せんそーになるだろーなあ?」


ゲスだー!こいつゲスだ。

口がびっくりするほど歪んで口角が上がっている。なんてクソムカつく煽り顔なんだ


この縄がなかったら引っ掻き回してやるのに


「じゃーな、ぶすふぐ」


ひょいと、リリーの襟首が持ち上げられる


あっ。


眼下に広がるのは、大渦を巻く滝壺


私もしかして死ぬんだわ


お父様、土下座までして国を守ろうとしたのに、ごめんなさい。


それから、最後に浮かんだもの。それは


月光に潤む瞳


ーーーアンリー!



「ふぐじゃない。可愛いふぐだ!」



凛と張った声が響く! 


キイイン!


「ぐあっ!!!」

 閃光が瞬くと、アクセルが岩壁へと吹っ飛ばされる。


ふわっと身体が包まれる


リリーの身体をアンリが優しく掻き抱く

暖かくて、胸の中が一杯になる、アンリの香り


「リリー! 間に合って良かった」

「ぶはっ!」


 猿ぐつわが解かれて新鮮な空気を吸い込む。続いてアンリが素手で荒縄をぶち切る。両腕両足が開放される。


「リリーさん! 安全なところへ。」


言われなくてもこちとら逃げ足の速さだけは自信がある。国家仕込みだ。そして逃げ込む先は、胸の中! たくましい夫の胸の中。


「リ、リリーさん、あの、それじゃ戦えないから離れてください」


「離れたくないの。」


「リリー、無事で良かった。」

 ぎゅっとアンリが抱きしめる


「おい、なんか忘れてないか。頭の中まで百合畑のバカ夫婦!」


 剣を杖に、ヨロヨロと立ち上がったアクセルがうめく。


「リリー、少しだけ待っていて」


 アンリはそっとリリーの髪に唇を寄せて、アクセルへと向き直った。

 大きな青い背中のおかげで。リリーには見えなかった。


 アクセルを睨み付けるアンリの、恐ろしい形相を


 穏やかで、静かな――静かすぎる声が響く。

「アクセル、女には、優しくしろ」


***


 この王宮にも黄金で煌めかない部屋があったのね。


 真っ白で、清潔な医務室。


 その中でむすっとアクセルが固まっている


 おお、ミイラ。

 指一本動かせぬほど、ギブスでがちがちに固められたアクセルが仏頂面でベッドに横たわっている。

 ギブスにはインキで様々な落書きがされている。


ばか 自業自得 早く元気になあれ! 例の薬が被験体第一号に、よく効きますように


「痛い、もう、とにかく痛い。」


驚異的な治癒力を持つ王家の血脈でも、さすがにここまでの傷はすぐ治らないようだ


しかし、ボコボコに叩きのめされた挙句あの滝つぼに落ちて生きていたアクセルも凄いと思う。


「兄弟のよしみで殺さなかっただけありがたく思え」


「殺す気だっただろーが!!! 俺はちょっと、リリーを脅すだけだったのに!!!」


「安心しろ、お前の悪運の強さは信じていた」


 アンリがアクセルのおでこをぴんっと弾く


「いぃぃぃいってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」


「自業自得よ」


 リリーはお見舞いにしょってきた百合束をアクセルの顔にばふばふする。


「やめろ! おまえら百合臭いんだよ! 鼻がひん曲がる!」


「ねえ、アクセル、本当にリリーにほんの少しも懸想してなかったの? 僕はまだちょっと、あやしいと思ってるんだよねえ……」


 謎の機械をカタカタ奏でながら、エリオルが眼鏡を光らせる


「うっ、そういうエリオルはどうなんだよ、お前がリリーにつけてたんだろ、発信機」


「僕は、大事な研究対象にプロテクトをかけただけさ」

「……。」 

 そういうのを世間ではストーカーと言う


***



夏が来た。


太陽がとっても眩しくて暑い。


 だが熱いのは地軸の傾きのせいだけではない

 夫の愛が、百割増しで熱い


政略結婚で、冷え切った結婚生活を送るものだと思っていたリリーは、バターならトロトロ溶けるように愛されて、愛されて、愛されて、


「おまえら毎日毎日毎日ちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅちゅっちゅ、暑っ苦しいんじゃ―――――――――っっっっ!!!!!!」


 アクセルが絶叫してキレた。ギプスの取れた腕をぶんぶん振り回す。



「なーーーにが永遠の愛だ!! 世界中でたった一人の愛だ!!! そんなもの、そんなもの……ちくしょおおおおおおおあ!!!! 俺だって永遠の愛を見つけてやる!!!」


アクセルが拳を握り締める

握り締めたアイスクリームが、ぐしゃりと潰れた。


『アクセルお兄様、本当に旅に出ちゃうの?』

 旅立つアクセルをみんなで見送る。

 不安そうに双子が兄に駆け寄る


「真実の愛を見つけるまでは帰ってこん!!!」


『えーん!やだやだ! アクセルお兄様行かないで!』


「ふははは、安心しろ! この俺様の瞳が本気で探すからにはあっという間だ! 星の流れる間に見つけ出してやる!」


 アクセルは双子のあたまをぐしゃぐしゃのぎゅむっとやると、ビシッとアンリに人差し指を突き付けた


「兄貴が泣いて悔しがるようないい女を、連れて帰ってきてやるんだからな!」




 アクセルの駆る白馬が、遠く地平線に消えていく


「寂しくなるわねえ。あの子は人一倍にぎやかだったもの」

 王妃様が、ほうっと小さく息をついた

美しく眉を寄せているが、リリー誘拐事件の際一番恐ろしいお説教をアクセルに落としたのはこの王妃様である

(「あの歩く人間戦略兵器の父様を、へにょへにょに調教したのは母様なんだから、一番恐ろしいのは母様」エリオルの談)

「母上、まだ僕たちが居るでしょう、アクセル一人が抜けたところで、決して静かにはなりませんよ」

「おまえ! 俺がいるだろう! 寂しい思いなんかさせんぞ。主にベッドの上で」


 国王様が王妃様をわしっと抱きしめる。


 王妃様の心配は杞憂に終わるだろう。この城はいつもお祭り騒ぎなのだから。


 ***


 国中に百合が乱れ咲いている


 ああ、今日も、愛する夫の情熱的な言葉がリリーの耳をくすぐる。


「この城だけでは私の愛はとても収まりきらなくなってしまいました。もうこうなったら世界中を百合で満たすしかありません! 世界中の人々が両手に百合を抱えて笑いあう。リリー! あなたのために! リリー、君に、百億の百合を」


眼の坐ったアンリがなんだか壮大な事を言い出した


だがこの人が言った事ならば夢物語ではない。


まこととなるのは時間の問題だろう











 旅から帰ってきたアクセルが、熱砂の国の姫君と、薔薇の花で城中を埋め尽くすのは、また別のお話。






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