君に一千万の百合を



「なにこれ」


美眼鏡の第三王子エリオルはリリーの部屋の前で絶句した。


廊下にまで花が溢れかえっている。


「イケメンが百合しょってやってくるのよ……」


百合が喋る


違う! 


ぴょこっとリボンが生えている!


リリーだ!リリーが百合畑に埋もれている!


朝も昼も夜も、公務の合間を縫ってアンリが尋ねてくる。


もちろん大輪の百合を抱えて。


ちょっと目を離した瞬間に花束が増えていたりする。


怒涛の百合攻めで広いはずのリリーの部屋はたちまち埋め尽くされ、廊下にまであふれかえることとなってしまった。

埋もれんばかりの百合。もはやリリーは最近ベッドで寝ているのか百合の花畑の上で寝ているのかわからなくなる時がある。


「髪にユリがついているよ」


「ありがとう」


エリオルの白い指先が金の髪についた花弁をちょんと摘まみとる。


「あなたのお兄様ってすごく真面目なのね……」

「ちょっとこれは尋常じゃないよ。それに僕見ちゃったんだ。昨日誰も居ない厨房で黙々と蕎麦を打ってた……。」

 今日の夜食は蕎麦かもしれない。


アンリに以前とがめられたので、二人は中庭でお茶を楽しんだ。


「ちょっと心配なのは、アクセルも君に惚れてるんじゃない? 異様に君に執着してる。兄弟は遺伝子が似ているから、同じ遺伝子に惹かれるかもしれない。僕は微塵も君に女性的魅力を感じないけれどね」


「そういうことは思っても女の子に言ってはダメよ」


「いい友達ってことさ。恋人より得難い」


「でもアクセルも私に惚れていたらどうなるの。王家の血筋はえーっと、宿命の恋に落ちるんでしょう? えぇーっと、たった一人の人を命を懸けて愛しぬくとか……」


「さーあ、アンリと血みどろの戦いになるんじゃない」


うーん。なかなかぞっとしないな


「まあアクセルは君をからかって遊んでいるだけの様な気もするし……、わからないな」

 エリオルが無責任な発言をする。人間関係の分析は中々いい加減だ。たぶん自分の研究以外興味が無いのだろう


 しかしそれ以前にリリーはエリオルの言葉が的外れのように感じる。

「ねえまって、それ以前に、アンリ様の気持ちだってわからないわ。一応夫婦なのに、口づけもしてくれないの。」


 そうなのである。もう結婚して何夜も経つのに、アンリはリリーをニコニコ見つめるばかりで、一向「夫婦の営み」という第一線には踏み込むつもりがなさそうなのだ。


 時折、頬に唇を寄せても、さっ! と離れて「おやすみリリー!」と風のように去って行ってしまう。


アンリにとっては「頬にキス」とはただの別れ際の挨拶の様なものなのだわと、最近リリーは思うようになった。


「そうだなー。前の女とも会ってるみたいだしなあー。」


 何でもない事のようにエリオルが呟く。


「なんですって!?」


 リリーがガシャンとカップを叩き置いた


「あ、やば、今のは聞かなかったことにして……!」


 慌ててエリオルが口元を抑える。聖衣からちょこっと指が覗く萌え袖が可愛らしいが、今はそれどころではない。


ずどん


背中を打ち抜かれて大穴が開いたみたい!


嫉妬だ


自分の中に突然湧き出てきた黒い塊にリリー自身が一番驚く


「どうしたのリリー! 眉間の皺が渓谷みたいだよリリー!お顔がグレムリンみたい!」

エリオルがわたわたする。


「ううん何でもないの」


「今度は泣きそうだよリリー!」


エリオルがリリーを慰めようと手を伸ばしたりひっこめたりしている。

エリオルにとって女に触る事はリーネ山脈裸で登頂よりもハードルが高い!


どうしちゃったの私


結婚式の日、他の女と抱き合ったアンリを見てもなーーんにも感じなかったのに。

今は泣き出しそうなくらい辛い


あんな壮絶な瞳に見つめられたから、私おかしくなっちゃったんだわ。


うつむいて肩を震わし、何も言わなくなってしまったリリーの前でひたすらエリオルがおろおろする。右に左におろおろあたりを見渡していたが、意を決して震える手を伸ばす。



わしゃわしゃ


おそるおそる差し入れられた、心地よい指腹にやさしく梳られる。

エリオルがリリーの頭をそっと撫でている。金の髪がわしゃりとたわむ。


「ねえ、元気出してリリー、ごめんねリリー。僕いつもいつも無神経なこと言っちゃうんだ。機械のことはわかるのに人の心がわからないんだよ……。ねぇお願い、僕と絶交しないで。元気を出してよリリー……!」


木漏れ日が水面のように揺れて、小鳥が飛び立っていった。

地の上の泣き出しそうな二人の事など、知る由もない



***



「ああリリー! 今日もとっても可愛らしい! 大地の精霊も天へと舞い上がってしまうでしょう!!」

 花束越しに夫が膝まづく。浮気な唇でよっくもぺらぺらと賛辞を紡げるものだ。


「リリー? どうしたのですか? 怒っているの?」


 アンリの瞳がリリーを覗きこむ。


「いいえ、なーんにも!」

怒ってないはずのリリーはアンリと目を合わせない。ぷいっと顔を背けてぷくっと膨れている。


「リリー、やっぱり怒ってる」

「怒ってません」

「怒ってる!」

「怒ってない!!!」


アンリがリリーを覗きこむと、リリーはぷいっと顔をそらす。すかさず回り込むとまたぷいっと首を背ける。

 右

 左

 みぎ

 ひだり

不毛な攻防が続く


「リリー、貴方に嫌われたら私は生きていけません」


 アンリが取りすがる。頬を包んで、無理やりリリーの瞳を捕らえようとする。悩まし気な縋る瞳。うっ、その目は何だ。その目はいかん。女殺しだ。さらにリリーはむりやり視線を逸らす。むぎゅう。とっても不自然だ。


「むう……」

リリーが意固地になっているのを悟ると、アンリは暫く腕を組んで考えていたが、おもむろに


ばふっ


「きゃあっ!」

リネンでリリーに目隠しをしてしまった


「リリーさん。今日はね、貴方に贈りたいものがあります」

 そのままふわっとリリーの身体が宙に浮く。たくましい腕に小さなリリーが抱えあげられる。文字通りお姫様抱っこだ。お日様の様にとってもあったかい。爽やかで芳醇なウッドの香り。力強い心臓の鼓動がする。

もがけば簡単に逃れられるのに、気付けば巣の中のひな鳥のようにリリーはそっと身を寄せて運ばれていった。


***


夜の風が頬をなでる

そして、闇の中でどんどん濃くなる百合の香り。


「つきましたよ、リリーさん」


すとん。


リリーの足が地面に着地する。よろめく足元をアンリがさらっと支える。目隠しがするりと零れ落ちる。


「あっ……」


しぱしぱ瞬きして、リリーは目の前の景色に息をのんだ。


百合の海


月光に淡く煌めく百合の星つぶ

ユリユリユリ。どこまでも続く百合の海。


果てないほどの百合の園が続いている。結婚式の前に迷い込んだ時より格段に増えている。むせ返る清潔な香り。


なるほど、アンリの花束はここから産地直送されていたのか。


美しい。


圧巻だ。


淡い月光にさざめいて、光の泡が弾けるよう。


東屋の天も地も埋め尽くして百合の畑が果てなく乱れ咲いている。


さっきまで怒っていたことも忘れて、リリーは息を止めて魅入ってしまった。


「何輪生えてるかわかりますか?」

アンリが問いかける

「多すぎてわからないわ」

「約百万輪まで増やしました」

「すごっ」

「でも足りません」


 アンリが穏やかに言葉を紡ぐ。


「あなたに百まで生きていただくとして朝昼晩百輪ずつ、私が魂を燃やし尽くすまで、八十五年花を届けるとおよそ一千万輪。この庭に一千万の百合を咲かせてあなたに捧げます。」


 アンリの腕がゆっくりとリリーを抱き寄せる。穏やかな熱がリリーを包む。


「リリィさん、この結婚は仕組まれたものですけれど、貴方は仕方なく私と結婚したかもしれませんが、僕はあなたの人生が百合の花で満たされるような、目一杯幸せにしたいと思ってるんです」


 思わず腕の中からアンリを見上げる。アンリが優しくリリーを見下ろしている。艶めく唇に微笑みを浮かべて、月光に瞳の膜がキラキラと煌めいている。


美しい


リリーは眩暈にも似た胸の痛みを覚える。

恍惚の中で、百合の香にのぼせてしまいそう


結婚式の日


この百合園でアンリと出会ったのだ。よーく覚えている


他の女を抱いていたわ。


今、優しく私を抱いている腕と、どちらが本当のアンリなのだろう。





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