第7話
「君は――」
よく見るとそれは初日に
「
「お願いがあるんです。これを」
娘は小さな封筒を差し出した。
「
薄桃色の
「また来るって約束したのに……私ずっと待っているのに……」
自分を見つめている
「あ、商売だからじゃないですよ? 私、あの御方のこと……本気でヴォルツォフさんのこと……」
「ああ、なるほど!
パチンと指を鳴らす脩。
「あいつは色男だもんなあ! 勿論、
「まあ!」
娘は少し笑った。
「でも、貴方みたいに優しくはないわ」
悲しげに首を振ると蘭の花の髪飾りも一緒に揺れた。
「それとも、私が
「いや、君も充分に素敵だよ」
脩は微苦笑して、
「ヴォルッオフか。あいつは、妹がいるって言ってたからな。だから――」
そこまで言って言葉を飲み込む。その先は自分の心の中だけに
妹と同じ年頃の娘たちがこんな仕事をしているのがやりきれないのだ。見ているだけで耐えられないのだ。
脩は手紙を受け取ると背広の内ポケットに入れた。
「わかった。必ず渡すよ」
「ありがとうございます!」
「何ですか、これ? 紙しか入ってませんよ?」
滞在先のホテル。
二人はブロードウェイマンションに逗留している。
パブリックガーデンから
何しろ
「だからさ、虹の娘――紗羽からのおまえへのラブレターだよ」
「ふざけないでください」
ヴォルツォフは読みもせず手紙をマホガニーのテーブルに置いた。
「で、薬は?」
「それは、こっち」
アルマイト製の携帯用ウィスキーボトルを差し出す。今日こそは、まんまと持ち出したのだ。
「いつも、この、液状の状態。つまり、酒に溶かして供される。ほら、破片チンキみたいにさ」
そして、決して店外へ持ち出してはならない。使用は店内のみ。
とはいえ――
脩は
現に俺がこうして持ち出せたのだ。他の連中――優秀な列強の工作員たち――も、とっくにそうしているはず。
だから、薬がなんであるか、その正体、成分分析などはとっくに完了していてもおかしくはない。
だが今現在、全くその気配すらないのは何故だろう?
魔都の何処からも、この〈虹〉に関する情報が漏れて来ないとは……!
脩は首を捻った。
(どうも、妙だ。静か過ぎる……)
が、その理由はすぐにわかった。
「違う?」
豪華ホテル、スイートルームの共用リビング。
蓄音機にレコードを掛けて寛いでいた脩は眉を寄せた。
シャツの袖を下ろしながら自分の寝室――仮のラボ――から出て来た相棒をまじまじと見つめる。
「違うって……どういう意味だ?」
「何も出ませんでした。あれはただのワインですよ。ちなみにラインガウではなくてボルドー」
「――」
一拍空く。
「いや、そんなはずはない。供されたグラスから、目を盗んで、こっそり取り分けたんだ。残りは飲み干して――」
体感している。
さんざめく光の乱射……めくるめく陶酔……身体ごと薙ぎ払って到達する黄金の彼岸……
勿論、その感覚全てを正確に報告書に書くことなど不可能なのだが。
「じゃ、摺り替えられたんだ」
サラリとヴォルツォフは言った。
「持ち出そうとしているのが見破られて――そうだな、あなたが眠りこけている間に擦り替えられたんですよ」
金の髪を掻き上げて薄く笑う。
「流石にやり手ですね? 〈虹〉の娘たち。何処かの工作員以上だ」
「クソッ」
脩はソファに深く腰を落とした。
悪名高き
そのフシギな均衡の上に成り立つ現在の
だが、この状態が永遠に続くわけはない。
何より、工部局の警察が乗り出す前にかたをつける必要がある。何処よりも早く自分たち、上海海軍特別陸戦部隊が全情報を手中に収ねばならない。
たかが麻薬に? と侮るなかれ。
もっと先、戦争突入後、日本海軍はここ上海を根城に麻薬(※ヘロイン)を流通させて得た利益で戦闘機を増産している。これは史的事実である。
それほど〈薬〉の利用価値は大きかった。まして、噂どおり〈新薬〉ともなれば……
「これは、やり方を変えるべきかも知れないな……」
「え?」
彫刻を施されたホテルの天井を見上げて脩は呟いた。
「こっそり持ち出すのではなく正攻法で、正面突破するか」
そのためにするべきこととは――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます