第2話
「お恥ずかしい話、僕は大学を落第しかかっている。それで、親元に呼び戻される前に遊び尽くそうと思ってね。最後の旅に
ここで運ばれて来たカクテルに口をつける。マンハッタンとギブスン。喉を潤した後、一層滑らかな口調で、
「それにしてもパスポートもなしで入国できるとは愉快だ! 僕の遊興の華やかなフィナーレを飾るにはこの街は最適だな!」
この男、言うことにいちいち説得力がある。見るからに放蕩息子。よくもまあ、探し出してきたものだ。オールバックに整えた髪。右眉の上に微かな傷跡があって、それが逆に翳りのある風情を加味して美男ぶりを上げている。一方のご学友なる西洋人――
こちらは絵に描いたような貴公子。
「今もさ、
「――」
「ああ、気にしないで、フーディさん。この男は
「とはいえ、彼は、語学は僕より堪能だから内緒話は気をつけたほうがいいよ。母国語の独語は勿論、仏語、英語、日本語、中国語、何でもこなせる」
ここで一旦息を継いだ。グラスの中のパールオニオンを小指で突つつきながら、
「ところで〈虹〉って店名だけど――」
ゆっくりと顔を上げる。
「
店長・フーディ・Gは静かに首を振った。
「よく訊かれるのですが、偶然です。私の好きな言葉なんです」
虹。
実は虹の口、
先述の海軍
そうして、今や、この店で流通している正体不明の魔薬も〈虹〉と呼ばれていた。
「好きな名! なるほどな! 確かに、エル・ドラドやパレルモ、デル・モンテなどよりロマンチックだ!」
「そういうわけで――さっそくだけど、可愛い子と知り合いになりたいんだが。今、ステージで歌ってるあの娘たちがいいな!」
店長は完璧な微笑で会釈すると去って行った。
「旦那さんがた、こんばんは!」
入れ替わりで響く声。
少なからず二人はギョッとした。
テーブルの前に立った少女――いや、少年? をまじまじと眺める。
年のころは14、5。細面で可愛らしい。薄鼠の
「ああ、驚いた! 指名した可愛い子ちゃんが もう、やって来たのかと思った……」
まだステージでピアノに寄り添って歌っている娘たちに目をやってから、改めて眼前へ視線を戻す。
「美男の旦那さんがた、お願いです。僕の絵を買ってくださいませんか?」
少年がテーブルの上に差し出したものは二人の似顔絵だった。流れるような軽妙なタッチ。悪くない。
「へえ! よく似ている。いつの間にこんなの描いたんだ?」
ヴォルツォフが覗き込んだのとほとんど同時に、
「買うよ!」
脩が銀貨を弾き飛ばした。
「え? こ、こんなに下さるんですか?」
「取っときな。俺は芸術がわかる男なんだ」
「こら!
店長の叱責が飛ぶ。
「ここで商売はするなと注意しただろう? 勝手に店内に入って来るんじゃない!」
「ヒャ! 見つかっちゃった! じゃ、謝謝! 親切な美男の旦那さんがた!」
駆け去る少年の後姿にフーディは眉を寄せた。
「全く――目を離すとすぐこれだ」
「お待たせいたしました!」
店長を押しのけるようにして前に進み出たのは、今度こそ正真正銘の美姫たち。この店自慢の、歌い手であり踊り子でもあるショーガールだ。
「では、ごゆっくり」
会釈して店長は立ち去った。
「初めまして! 私は
「
いずれ劣らぬ美しい娘だった。漆黒の髪の根元近くを色糸で一箇所だけ括って背中に長く垂らしている。
霓裳が青磁色の
この旗袍が〈チャイナドレス〉の代名詞としてあっという間に定着したのには訳がある。深いスリットから生足が覗くせい。
「ニイハオ! 霓裳!」
円らな瞳で恐れ気もなく見つめ返している娘にサッと手を差し述べる脩。
やや遅れて、ヴォルツォフはもう一人の、伏せ目がちに微笑む娘に頷いて見せた。
「ニイハオ、紗羽……」
「ああ、霓裳! 僕は貴女に会いたくてたまらなかったんですよ!」
さっそく隣に座らせて脩は言った。
「お噂はかねがねお聞きしています」
「まあ、嬉しい。どんな噂かしら?」
「貴女がとんでもなく――
「ブッ」
今まで
(おいおい……)
耳を疑った。だが、これは事実である。
はっきりと昨日、海軍特別陸戦部隊の建物内で聞かされた機密事項のひとつなのだ。
ファイルを捲りながら脩は確認した。
「ふうん? 一番人気の歌手、霓裳ですか。可愛いな! で、この赤線が引いてある〈最重要特定要因〉とは?」
「変態」
「へえ! どんな?」
ここで初めて鮫島大佐は表情を変えた。わずかに口の端を上げて、
「ソレを実地で調べるのが、鮎川君、君の
とはいえ、まさか、直接、訊ねるとは……!
驚きを隠せないヴォルツォフ。片や、訊かれた当人、霓裳は濡れた瞳をこれ以上ないくらい見開いた後で、男の膝にコロコロと笑い崩れた。
「いやだっ! 面白い御方!」
「よく言われます。そのとおり、僕は、面白くて……正直な人間なんですよ?」
2時間後。
〈虹〉の階上は 霓裳の居室。
その乱れた寝台の上で脩は納得の声を上げた。
「なるほど! 変態ってのは、このことか……!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます