第10話 松原橋(義太夫三味線)「糸」

 主題歌  中島みゆき 「糸」


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 義太夫三味線弾きの矢澤竹也の家は、京都御所西側のみやこ女学院大学の裏手にある。

 東京のマンションを別れた妻に譲渡したのが、今から三年前である。

 仕事は、やはり東京が圧倒的に多かった。

 しかし、東京を離れて京都にやって来た。

 矢澤は、東京歌舞伎座、国立劇場などの歌舞伎公演での義太夫狂言(演目)での、義太夫節に合わせての三味線弾きである。

 現在、歌舞伎公演が毎月行われている都市は、東京だけである。

 いくら歌舞伎が昨今認識され、人気が出て来ても、関西では大阪松竹座、京都南座、二つの劇場公演を合わせても、半年もない。

 だから、東京に住まいを持った方が、仕事も沢山出来て、ホテル住まいでなく、自宅通いだから、楽である。

 それでも、京都に移って来たのには、理由がある。

 それは、無類の京都好きだったからだ。

 一昔前、JR東海のCM「そうだ京都、行こう」の言葉が流行った。

 竹也の心情は、「そうだ京都、住もう」だった。

 京都の町家に住みたかった。そして、自宅の町家で、「義太夫三味線町家ライブの会」をやってみたかった。

 この二つの理由が大きい。

 東京で仕事がある時は、当然京都の自宅で町家ライブが出来ない。

 しかし、例えば東京歌舞伎座で、昼の部一本目だけの出番で、夜の部の出演がない時がたまにある。

 その時は、出番を終えると、すぐに新幹線に飛び乗り京都に戻る。

 夕方六時から町家ライブをやり、七時半に終える。

 東京行き最終は、京都発21時37分なので十分間に合う。

 往復の新幹線代の交通費、諸経費は自腹である。

 一人二千円の会費で十五人集まっても完全な赤字である。

 損得ではなくて、一人でも多くの人に義太夫三味線の魅力を知って欲しい。

 その情熱だけだった。

「だったら、東京でもやれるじゃないか」

 とよく云われた。

 しかし、マンションでは風情が出ない。音の問題もある。やはり、町家なのだ。

 十五年前、東京、京都、大阪で始まった自主ライブは、観客二人の時もあったが、その後フェイスブックなどの活用で、どんどん観客の輪が広がった。

 今では、全国都道府県の自治体、教育委員会、ホール主催のワークショップなどに呼ばれて、演奏している。

 観客動員数は、圧倒的に東京が一番だったが、矢澤が一番落ち着いて演奏が出来るのは、やはり京都の町家ライブだった。

 京都御所の西側は、京都府庁、京都府警などの建物が立ち、閑静な住宅街でもある。そこの一角に町家がある。

 京都の町家は、世間から古いと思われるが、そのほとんどが、明治に入ってからである。

 それには理由がある。

 幕末、「元治の大火」と「蛤御門の変」の戦いで京都市内の中心部が、焼け野原になったのである。

 そのため、江戸時代の町家が、ほとんど残っていないのである。

 祇園祭の時に、一般公開される「杉本家住宅」の町家も、元治の大火で焼失した。

 明治になってからの再建である。

 矢澤が購入した町家も、明治二十二年の造りで、大正時代、昭和初期、後期、そして矢澤が購入してからと都合四回改装している。敷地六十坪である。

 元の持ち主は、西陣の織物問屋の主人だった。

 基本的な造りはそのままで、キッチン、風呂、トイレ周りを新しくした。

 さらに竹也の暑がりのために、各部屋にエアコンを設置した。

 今は八月。

 今夜、自宅町家ライブが行われる。

 普段行われている町家ライブと雰囲気が随分違うのを、常連客が肌で感じた。

 今日は、二十人ばかしの小さなライブである。

 いつもはやらない荷物チェックを玄関前でやっていた。

 チェックするのは、暑いのに黒のスーツを着込んだ、屈強な男二人だった。手には白い手袋をはめていた。

「今夜は、いつもとちごうて、何や物々しおすなあ。何ぞありましたんか」

 常連客が尋ねる。

「すんまへんなあ」

 男らの横に控えていた、弟子の矢澤梅子が、何度も頭を下げた。

 梅子は二十歳で、今年から矢澤の弟子、兼付き人として働いている。

 同じ質問を参会者から、何度も云われたが、その理由は喋れなかった。

 矢澤から固く口留めされていたからだ。

 表玄関から、母屋までの細い路地が緩やかなSの字を描く。

 離れの茶室を改造したところが、今夜のライブ会場だった。

 茶室に通じる敷石は、大小織り交ぜて、不規則に並んでいた。

 通り道には、手水鉢とつくばいがあった。

 つくばいには、夕顔の花一つが、かすかに水の上で揺れて浮かんでいた。

 茶室の前にある一本の向日葵の大輪は、先っぽの三十センチが、大輪の花の重みでこうべを垂れていた。それはまるで、参会者を出迎えるために深々とお辞儀をしているようだった。

 白手袋の男たちと、向日葵が、陰と陽の対比の構図を浮かべ上がらせていた。

 茶室の広さは、十二畳ある。

 正面に二重舞台がある。

 真上に天窓があり、月の光が丁度スポットライトの役割を果たしていた。

 月の光を際立たせるために、あえて部屋の光は薄暗くしてあった。矢澤の目の前の席の座布団には、「予約席」と書かれた名ビラが中央に置かれていた。

 定刻の六時になると、矢澤がやって来た。

 一同は、拍手で出迎えた。

「暑いですねえ」

「有難うございます」

「すみませんねえ」

 集まった常連客の何人かににこやかに笑いながら、腰を低くして声をかけて、小さな舞台に上がった。

「お暑い中、有難うございます」

 矢澤が深々とお辞儀をする。再び前よりも大きな拍手に包まれる。

 目の前の三味線を膝の上に乗せて喋り出す。

「今夜は特別ライブでして。何が特別かと云いますと、いつもはやらない手荷物検査をやった事です。はいそれだけが特別です」

 場内から失笑が漏れた。

「大変でしたね。変なもの、見つかりませんでしたか」

 目の前の常連客に語り掛けた。

 中年の着物姿の女性客はうつむいて、笑った。

「取り上げられましたか」

「いえ」

「無事に隠して持ち込めましたか。警備員さーん、捕まえて下さーい!」

 矢澤が、上半身、身を乗り出して声を張り上げた。

「冗談ですよ」

 喋りながら、三味線の調律を始める。

「玄関前で手荷物検査をしたのには、少し理由がありまして。実は今夜東京から、可部首相が来られてます」

 場内が大きくどよめいた。

「と云うのは、冗談です」

 また笑いが起きた。前よりも大きい。次第に客も緊張から解き放された証拠でもある。

「実は文化庁が、東京からこの京都に移るのが数年前に決まりました。これは皆さんご存知ですよねえ」

 何人かが大きくうなづいた。

「その波及効果として、京都御所の通年公開が決まりました」

 今までは、春と秋のそれぞれ、一週間しか公開されなかった。

 また隣接する京都迎賓館も非公開だったが、今では予約すれば見学出来るようになった。

「その文化庁が、この町家からすぐの京都府警本部に設置されるのも決まりました。今夜は、あの文化庁長官、下鴨敏子さんがお越しです。下鴨長官どうぞこちらへ」

 矢澤が手招きした。

 奥から敏子が、二人の男に守られながら入って来た。

 二人は、先程手荷物検査していた、男たちだ。

 先日可部内閣が発足した。

 その時下鴨長官は、義太夫三味線を弾きながら記者会見して、世間をあっと云わせた。

「下鴨長官」

「矢澤竹也師匠!」

 二人は握手を交わした。

「後ろに控えていらっしゃるのが、下鴨長官のPSです」

「師匠、PSじゃないです。SPです」

「打ち合わせ通りの突っ込み有難うございます。そうです、SPですよね。PSなら、手紙の追伸ですよね」

 場内から、笑いと拍手が同時に起きた。まるで落語会の雰囲気だった。

 竹也の方から、写真撮影の許可が出たので、参会者は、スマホで一斉に写真を撮り、その日のうちに、各自のツイッター、フェイスブック、ブログにアップして拡散した。

 二人は談笑を始める。

「下鴨長官お願いがあります」

「何でしょうか」

「せっかく、文化庁が京都に移って来たんですから、京の年中行事、二つは最低参加して下さい」

「京の年中行事?祇園祭ですか」

「ブー。正解は十二月の南座の顔見世と、四月の都をどりです」

「ああ、それね。顔見世は見ます」

「私、来月南座の若手歌舞伎公演にも出るんです」

「それも観劇します」

 にこやかな雰囲気の中で、自宅町家ライブが始まった。


     ( 2 )


 何故そんな噂が流れたのだろうか。

 竹也自身全くわからない。

 その噂を確信したのは、一本の電話だった。

 丁度町家ライブを行う当日の朝の事だった。

 電話の主は、竹松演劇部担当重役の田辺成夫からだった。

「九月の南座若手歌舞伎公演よろしくお願いいたします」

 いつも劇場公演出演が決まるのが遅い。

 しかし、今回は違った。

 八月に入り、すぐに来月の公演の依頼があった。こんな事は初めてである。

 大体、田辺自ら電話して来る事自体異例だった。

 いつもは、奥役(プロデューサー)の大島が、公演が始まる十日ぐらい前に連絡して来る。ひどい時は、三日前と云うのがあった。

「はいわかりました」

「来月から、竹也さん、楽屋は個室になります」

「ええっ本当ですか」

「竹松としても、人間国宝内定者を粗末に扱うわけには、いきませんから」

「田辺重役、何を冗談な事、云ってるんですか」

 竹也は、それとなくさぐりを入れてみた。

「いえいえ、とんでもないです」

 早々と電話が切れた。

 竹也に関する噂とは、次期人間国宝(重要無形文化財保持者)になると云うものだった。

 今、竹也は、「重要無形文化財総合指定保持者」である。

 よく取材などで、人間国宝と書かれたり、云われたりする。それは間違いである。

 人間国宝になれば、国から年間二百万円(月額約十六万六千六百円)が支給される。

 これは死ぬまで、支払われるが、厚生遺族年金のように、配偶者にその金が行く事はない。一代限りである。

「人間国宝ではありません。私は、天然記念人物を目指してます」

 と竹也自身、冗談めかして解説している。

 南座で、一か月公演の時は、自宅からではなくて、南座に近いところにある町家から、毎日出向く。

 その場所は、松原橋を渡って、少し下がった所である。

 四条大橋から南へ少し下がった所にあるのが団栗橋。松原橋は、そこから、さらに下がった所にある。

 ここの物件は、大向こうの小林耕三の所有する物件である。

 小林は、南座周辺の不動産を持ち、資産は五千億円とも云われている。

 超お金持ちである。

「竹也さんなら、どうぞご自由に使って下さい」

「家賃は、如何ほどですか」

「そんなもの要りません」

 頑として、お金を受け取らなかった。

 南座で、稽古が始まる前に、楽屋作りが弟子や付き人たちによって行われる。

 一か月、一日の大半を過ごす役者のために、昨今は持ち込む道具が格段に増えた。

 テレビ、録画機、ラジオ、ミニコンポ、冷蔵庫、座卓、食器類、電子レンジ、トースター、電気ポット、電気炊飯器、食器類、まだ暑いから扇風機、電気スタンド、タオルケット、枕、掛布団、座布団、マッサージチェアー等である。

 それらは役者自身の持ち物から、レンタル店で借りたり、南座で借りるものもある。

 歌舞伎役者の鯨蔵は、専用のロードサイクルを持ち込んでいた。

 鯨蔵の筋トレバカは、歌舞伎界では有名だった。

 南座公演のように、一か月地方公演の時は、必ず専任のインストラクターがついてトレーニングジム、身体を鍛えていた。

 鯨蔵は、太った人間が男女問わず大嫌いなのである。

 以前、稽古で相撲取りの様な、太った鼓奏者を、

「音も太ってる!」

 といちゃもんをつけて降ろした。

 南座の舞台操作盤の大西も小太りである。

 大西を見て一言、

「腹出過ぎだぜ!」

 とつぶやいて、親指と人差し指で力強くつまみ、ねじり上げた。

「い、い、痛いっ!」

「痛かったら、引っ込めろよ」

 鯨蔵に云われて何を勘違いしたのか、大西は、息を大きく吐いてお腹を引っ込めた。

「そうじゃねえだろう」

 ポンと腹を大きく手のひらで叩いた。

「お前、狸か」

 それが鯨蔵の捨て台詞だった。

 また毎日、体力作りを兼ねて、鴨川東側の遊歩道をホテルのある二条から四条まで疾走している。

 近頃は、マラソンにも目覚めて、空き時間が出来ると、鴨川沿いをジョギングしている。

 楽屋の噂では、来年二月の京都マラソンに特別枠で出場するらしい。

 竹也の楽屋作りも本来なら、二人の弟子がやるはずだった。

 矢澤梅子とキャサリンである。

 キャサリンは、イギリス人で交換留学生で、同志社大学に入学した。

 そこで、歌舞伎、義太夫三味線に魅せられて、卒業後も京都に住んでいる。

 英語の教師、翻訳の仕事をしながら、竹也の町家に通っている。

 竹也は、借りた町家を出て、松原橋を渡る。

 本来、ここが五条橋なのである。

 あの、弁慶と牛若丸が出会ったのは、本来はここである。

 さらに下がったところの、現在の五条大橋には、ご丁寧にも弁慶と牛若丸の銅像があるから、京都人の中にもそこが、昔からの五条大橋と思い込んでいる人もいる。

 あの大きな五条大橋を整備したのは、豊臣秀吉である。

 現在の国立博物館辺りに、「方広寺」なる寺を建立して東大寺を上回る大仏を奉納した。

 そこへ参るための道を作ったのである。

 京都には、「よそもん」を惑わすそんな入試引っかけ問題のような、建造物が数多くある。

 その代表が「本能寺」である。

 戦国時代、明智光秀が謀反を起こし、織田信長が自刀した「本能寺の変」の舞台となった本能寺と、今、京都市役所前にある本能寺は、全く別物である。

 松原橋を渡りながら、いつも竹也は思う。

(こっちが本物なのに)

 時代の流れで、いつのまにか傍流が、本流に代わる。

(どんな時代になろうとも、自分の義太夫三味線の技芸は、本流を目指す)と思っていた。

 南座の楽屋口で、梅子が待っていた。

「師匠、お早うございます」

「楽屋は出来たの」

「それが、私とキャサリンが着く前に、例の(勝手に矢澤会)の人らが乗り込んできはって」

「先を越されたってわけか」

「そうなんです」

(勝手に矢澤会)とは、矢澤竹也の元妻二人が集まって作った会である。

 一番新しく分かれた、久美は入会していない。

 つまり竹也は、バツ三である。

「私、髪を切るのが好きでして、散髪が好きでして、だからと云って、ばつさんになったわけではありません」

 よく冗談めかして、こう云っていた。

 公演始まると朝、昼、晩の食事をこの二人が交代で作って来るのである。

 二人とも、一時期竹也と生活を共にしたので、食べ物の好き嫌いを熟知していた。

 竹也の楽屋は、四階の鴨川がよく見える最高の部屋だった。

 もちろん、こんな楽屋に入れるのは、今回が初めてである。

 楽屋部屋に入ると、キャサリンが一回目の元妻、千里、二回目の元妻綾乃の三人で談笑していた。

「お早う」

「お早うございます。師匠、お待ちしてました」

 キャサリンが大げさに叫んで、すくっと立ち上がった。

「師匠、おめでとうございます」

「おめでとうさんどす」

 千里も綾乃も竹也の顔を見て同じように云った。

「まだ、初日の幕開いてないから、おめでとうはおかしいです」

 竹也は、憮然と云った。

 普通の夫婦なら離婚したら、二度と顔を合わせないものだが、竹也の場合は違った。

 一か月公演が、東京、名古屋、京都、大阪、博多であれば、必ず二人は駈け付ける。

 一年のうち、半年以上は一緒にいる計算だ。

 まるまる一か月、休みになるのは、多くて三か月である。

 時には巡業にまでついて来る。

 もちろん、その宿泊費、交通費は各自の自腹である。

「竹也さんは、羨ましいなあ」

 同じ義太夫三味線仲間がそう云う。

「何が羨ましいんですか」

「だって、別れてもこうして、かいがいしくお世話なさるご婦人を一人じゃなくて、二人もお持ちなんですから」

「そうですか」

 云われた竹也の方は、複雑な心持ちだった。

「何が目出度いの」

「もう、師匠ったら知ってるくせに。ねえ」

 千里が同意を求めるように、綾乃の方を振り向いて云った。

「そうです。もう内々定なんでしょ」

「だから何なの。はっきり云えよ」

 少し言葉尻を荒げて云った。

「師匠、この二人は人間国宝認定の件を云っているんですよ」

 梅子の口から、冷静な言葉が返って来た。

「またその話か」

「またと云う事は、他の部署でも云われたんや」

「確定やね」

 竹也の心模様とは、裏腹に四人は喜んでいた。

 はっきり云って、竹也は全く興味がなかった。

 何も人間国宝の名誉を受けるために、十六歳から六二歳の今日まで、義太夫三味線をやって来たわけではない。

 ただただ、面白い。無我夢中になれるものに、自分は十六歳でぶち当たったわけだ。

 昨今は、大学を卒業しても、なかなか自分の興味をひくものに、当たらない若者が増えていると聞く。

 そう云う意味では、竹也は幸せかもしれない。

 十六歳の春、郷里の広島から、東京国立劇場の第一回文楽三味線研修生に応募して上京したのだ。

 文楽の世界から、二十八歳で歌舞伎の世界へ転向した。

 転向理由は、歌舞伎の方が食っていける。

 文楽では義太夫語りは出来ない。歌舞伎でも出来ないがこうして町家ライブで創作浄瑠璃が開ける。

 浮き沈みの激しい世界。

 同期十一人のうち、今でもこの世界に残っているのは、竹也を入れて二人だけで、あとはやめて、別の職業についている。

 それは歌舞伎役者にも同じことが云えた。

 国立研修所で、修行を共にしても残るのは、ごくわずかである。

 情熱だけでは、渡っていけないし、続けられない。

 そこには、やはり「技芸」、「運」、「出会い」が交差した。

 三本の複雑な交差の糸を、うまくたどり寄せて、時には引っ張り、時には暗闇の中で、引かれるままに、身をまかせたり、絡まったり、糸をまたぎ、渡って来た。

 時には、その運命の糸が足元を、全身を絡まれ、転倒して奈落の底に突き落とされた時もあった。

 中々、這い上がる事が出来ず、彷徨った日々もあった。

 今、こうして六二歳になっても、義太夫三味線を生業(なりわい)を続けられるのは、奇跡に近いと自分でも思った。

 幾ら義太夫三味線が上手くても、それだけで続けられる世界ではない。

 そこには、幾ら自分が逃げようとも、必ず絡まって来る「運命の糸」があるのは、サラリーマン社会と同じであった。


     ( 3 )


 歌舞伎と三味線は切っても切れない関係である。

 舞踊はもちろんの事、芝居にも三味線伴奏が入って来る。

 歌舞伎を知らない人でも、近松門左衛門の名前ぐらい知っているだろう。

 近松は世話物、今で云う、庶民が起こした事件を題材にすぐに芝居にした。

 人形浄瑠璃である。

 やがて、人が演じる歌舞伎に導入された。

「浄瑠璃」「義太夫」「文楽」全て人の名前である。

 芝居が始まると、客席から見て、上手(右手)の御簾内(みすうち)または、文楽回しに乗って義太夫の語りと、竹也の義太夫三味線弾きの二人が並んで出て来る時もある。

 三味線は、義太夫、津軽三味線などの太棹、清元などの中棹、長唄、端唄などの細棹に分かれる。

 その形状は、棹は「こうき」、胴は「花梨」で出来ている。

 皮は、「犬」「猫」である。最近は「カンガルー」の皮が安価で出て来た。

 音の比較は、「カンガルー」の皮の音の方が、軽い感じがする。

 バチは「象牙」である。

 象牙なので、一つ、五十万円はする。

 コマと呼ばれるウエイトは、水牛の角で出来ている。

 三本の糸は、絹糸で出来ている。

 弾く三味線の音色も、義太夫と長唄とでは、随分違う。

 長唄の三味線は、よく聞く、軽やかなあっさりとした音色だが、義太夫三味線のは、低く、よく響き、こころの奥底にどっしりとまとわりつく。

 竹也は、よく病院や、介護施設に出かけて演奏をする。

 演奏前は、車椅子に乗り、顔をうつむけて、萎れた感じの老人が、ひとたび、義太夫三味線の「ベーン」の重低音で、はっと目が覚めて、顔を上げる。

 演奏を聞くうちに、段々と上半身を伸ばして、顔に光が差し込む。

 終わりには、車椅子から立ち上がり、歩み出す。

 そばにいる、介護士、看護師が一番驚く。

「義太夫三味線の音色は、人間の細胞を活性化させるんです」

 竹也は何回も、同じ光景を見ているので、落ち着いて解説した。

 バチも違う。義太夫三味線のバチは、長唄三味線のに比べて、一回り大きい。

 つま弾くと云うよりも、叩きつける、打楽器に近い感覚だ。

 三味線は、元々、沖縄の三線(さんしん)がルーツである。

 三線は、民謡を主にしている。歌を目立たせるために、そんなに響かない。

 一方三味線は、それ自体を聞かす。

 響かせるために、様々な改良、手が加えられて今日の姿になった。

 義太夫三味線は、義太夫の語りは、もちろん、歌舞伎役者の一つ一つの仕草にもすっと入る。

 同じ狂言(演目)でも、役者によって、その入る切っ掛けは千差万別である。

 また同じ狂言、同じ役者でも、歳月の経過で違って来る。

「そこ違う」

(何で、三年前ここで、ベンと入れましたよ)とは弁解出来ない。

 だから、ビデオが残っていても、それを鵜呑みにすると、大きな失敗を侵す。

 この辺は、AI(人工知能)では、決して真似が出来ない。

 何故なら過去のデータは、参考にならないからだ。

 じゃあ同じ役者なのに、切っ掛けが何で変わるのか。

 それは、役者が人間で、「老いる」生き物だからだ。

 動作が緩慢になり、同じきっかけで動くのが難しくなる。

 さらに今まで5ぐらいのレベルで弾いていた三味線の音色が、老いて耳が遠くなると、

「音が小さい」

 と駄目出し(稽古の時に、修正を出される事)が飛んで来る。

 長唄なら多くの三味線弾き、集団で演奏する。

 だから、アクシデントで弾けなくなっても、そんなに影響はない。

 しかし義太夫三味線の場合は、自分一人である。

 もし本番中、三味線の糸が切れた場合は、その場で修理しなければならない。

 向かい側の下手の御簾内に、誰かいた時、すぐに連絡が行く場合がある。

 または、劇場後方に「監事室」と云う部署がある。

 アクシデントを発見して、すぐに舞台に走り、援助する時もある。

 でもたまに、誰も発見してくれない時がある。

 舞台袖に、つけ打ちも、舞台狂言方も誰もいない時がある。

 義太夫は、そのまま語り続ける。だから、三味線の糸を修理しながら、

「はっ」とか

「いよっ」

 とかいつもの掛け声は、かけないといけない。孤独との闘いである。


 今回竹也が担当するのは、鬼一法眼三略巻の「五条橋」の段の狂言(演目)

 弁慶が中林萬鶴。牛若丸が坂西桜之助である。

 萬鶴は、人間国宝中林桜鶴の孫である。まだ二五歳。

 一方の桜之助も同じ二五歳の若手である。

 道具調べの日。

 道具調べとは、文字通り、本番で使用する大道具、小道具、バックの背景画などが、本番通り、無事に行われるかをチェックする。

 同時に照明、役者のではけ(登場、退場)、義太夫、三味線全てに対してのチェックもある。

 歌舞伎には、演出家がいないから、出演する役者が、これらの駄目出しをする責務を負う。今回は、萬鶴であり、桜之助である。

 周りの大道具、照明担当者は、歌舞伎の世界を半世紀見て来た大御所揃いである。

 本来なら、首(こうべ)を垂れて、ご指導ご鞭撻のほどを、三つ指ついて土下座すべき立場である。

 しかし、この若造二人は違った。

 道具調べで、大道具に、

「この五条橋違うよ」

 と云い出した。

「今の五条大橋見て来てご覧」

 と萬鶴が云った。

 歌舞伎狂言、いや史実でも「五条橋」は、あの今の五条大橋ではなくて、松原橋なのを知らずに発言した。

 しかし誰も注意しない。

 京都タツミ舞台の会長、辰巳雄鷹(ゆたか)でさえ、黙っておとなしく聞いていた。

 照明の駄目出しでは、

「太陽の光は、どっちなの」

 と萬鶴が、照明プランナーの笠置明夫に突っかかった。

 緊張のあまり、笠置は、

「太陽はまぶしいですよね」

 と訳の分からない弁明をした。

「じゃなくて、僕の質問に答えてよ」

 緊張した笠置は、

「真っ赤に燃えた太陽にしましょか」

 さらに輪をかけて、意味不明の言葉を連発した。

「えっ何」

 萬鶴が戸惑う中、笠置は、インカム(耳にかけるヘッドレシーバー)で、

「調光さん、ボーダーライト、フロント、シーリング全て赤にして下さい」

 ボーダーライトとは、舞台上部にある、一列に並んだライト、フロントとは、客席左右上部に設置されたライト、シーリングとは、その名の通り、南座の大天井に設置されたライトである。

「笠置さん、本気なんですか」

 南座二階客席後方にある調光室にいる、岩倉椿(つばき)は、金切り声を上げて聞き返した。

「俺がやれと云うたら、さっさとやれや!」

 笠置が叫んだ。

「もう知りませんから!」

 岩倉椿は、調光卓のボタンを思いっきり叩きつけた。

 一瞬にして、舞台は戦場を連想させるかの様に真っ赤になった。

 ここでほら貝の一つでも、鳴れば「合戦場、五条橋」の登場である。

「馬鹿野郎、俺を五条橋で切腹させたいのか」

 萬鶴の唇は、その真っ赤な照明の光で黒紫色に染まり、ぶるぶる震えていた。

 真っ赤なライトの光で染まる五条橋は、「血の色」を誰でも連想させた。

 笠置は、萬鶴の恫喝の雄たけびが聞こえなかったのか、さらに、

「こんなもんでしょうか。何ならこれに、センタースポットも真っ赤にして、血祭りにしましょか」

 とさらに、傷口に塩を押し込み、揉んで摩る言動に出た。

 萬鶴の怒りの噴火をさらに大きくさせる笠置の言葉だった。

「俺は、笠置を血祭りにしたいよ!」

 センタースポットとは、三階客席奥から、人が操作して、舞台にいる役者にスポットライトを投射させる事だった。

「や、やめてくれ!」

 萬鶴は、両手で頭を抱え込んで、しゃがみこんだ。

 萬鶴をここまで半狂乱に追い込んだ笠置の動転ぶりは、傍から見ると、もはや笑いの境地に達していた。

 これは、後世長く語り継がれる事件でもあった。

 それを見て萬鶴の怒りも真っ赤に最高潮に達した。

 益々、萬鶴を助長させた。

 萬鶴のひとり暴走は、翌日の舞台稽古でも起きた。

 舞台で「五条橋」の稽古が始まった。

 本来、長唄版が多いが、今回は義太夫版となった。

 竹也からすれば、萬鶴、桜之助は、自分の子供ぐらいの年齢である。

 二人の先々代からの付き合いである。二人が生まれる前、はるか前からこの世界で生きて来たのが、竹也である。

 萬鶴も桜之助も、年齢、芸歴双方から見ても竹也は、大先輩である。

 普通の芸能界からしたら、口答えなど出来ない、雲の上の存在の竹也である。

 しかし、梨園(りえん)(歌舞伎界)は違った。

 役者が、一番偉いのだ。

 古典歌舞伎には、演出家はいない。

 出演する役者が、演出を兼ねていた。

「ちょっと待って」

 萬鶴の一声で、舞台稽古が中断した。

「あのさあ、三味線の音色がうるさいんだよ」

 口火を切ったのが、弁慶役の萬鶴の一声だった。

「ねえ、そう思うよね」

 萬鶴が、桜之助に同意を求めた。

「はい、そう思います」

 竹也は、三味線を膝の前に置いて、じっと聞いていた。

 大劇場、地方の小屋、ホールを含めると千回は、この狂言(演目)の義太夫三味線を弾いて来た。

 しかし、(うるさい)の言葉の駄目出しを浴びせられたのは初めてだった。

 その一言で、竹也の全身から汗が噴き出した。と、同時に義憤、怒りに近いものがマグマの地熱のように、こころの奥底から、ふつふつと煮沸し始めた。

「うるさいはずだ。こんなにバチが大きい」

 萬鶴が、近づき、竹也が持つバチを指さした。

「これ、特注なの」

「いえ違います」

「自分だけ目立とうとして」

 萬鶴は、バチを竹也に向かって投げた。

 バチは、竹也のお腹に当たって落ちた。

 どんな事があっても、バチは投げてはいけない。手渡しが原則である。

 もし、バチを投げて、当たったら「バチが当たる」と云って縁起がよくない。忌み言葉にも通じるからだ。

 怒りのスパークが苛烈に眩く、強烈な散光を放ち、竹也の頭の周りを幾重にも巡らせた。

 萬鶴が、義太夫三味線のバチが、長唄の細三味線よりも大きい事、その基本的な事さえ知らなかった。

 しかし、この場にいた誰も、萬鶴の間違いを指摘しない。

 客席には、竹松東京演劇部担当重役の田辺も、奥役の大島もいた。

 しかし二人とも何も云わなかった。

 所詮、サラリーマン重役、奥役なのだ。

 竹也のこころの壁に、べったりと引っ付いたマグマが地表に向かって猛烈な勢いで駈け上がって行った。膝を上げかけた。

 しかし、隣りに座っていた義太夫語りの竹木京太夫が、竹也の足首をつねった。

 竹也は、京太夫を見た。

 京太夫は無言で小さくうなづいた。

 ぐっと耐えた竹也だった。

 稽古の後、すぐに楽屋に戻った。

 怒りの炎は、収まらなかった。

 はらわた煮えたぎる竹也だった。

「ほんま、師匠大変どした」

 梅子が慰めた。

「誰も注意せえへんて、おかしい」

 千里も憤慨していた。

「ほんまやねえ」

 綾乃も同調した。

 二人は、先程の萬鶴と竹也とのやり取りを客席後方で見ていた。

 その時、京太夫が、ひょっこり顔を覗かせた。

「竹やん、お疲れ」

 京太夫は、笑みを浮かべて、一同を見た。

 その微笑みで、皆のこころに生まれた義憤を沈下させた。

「さっきは、有難うございました」

「竹やん、辛抱やで」

「はい」

「あんたの云いたい事は、あの時舞台、客席にいてた皆のこころの中と同じや。けど、義太夫三味線のバチが、長唄さんと違う事知らんて、ほんま、萬鶴はアホな奴やで」

「そうや、そうや」

 千里も綾乃も同調した。

「いっぺん、あの大きなバチで、萬鶴の頭はたいて、このバチ当たりめ!って云いたいなあ」

 京太夫の洒落言葉に一同笑った。

「京太夫はん、それ面白おすなあ」

 一同は笑った。

 その笑いで、怒りのマグマが急速に冷え込んだ。

「我慢、我慢。そのうち、ええ事あるから」

 皆に笑顔を分け与えて、京太夫は去った。


     ( 4 )


 九月公演は、三日に一回は昼公演だけである。

 竹也は、昼のキリ狂言(最後の演目)には出ていなかったので、二時前には、南座を出る事が出来た。

 出番が終わると、楽屋で昼ご飯を食べる。

 出前ではなくて、千里と綾乃が作って来た手料理を食べる。

 量が多いので、梅子、キャサリンも食べる。

 これで酒があれば、完全な宴会である。

 卵焼き、ほうれん草、ステーキ、鮭の塩焼き、など盛りだくさんである。

「師匠、久美さんどうしてはるん」

 千里が尋ねた。

 久美とは、十五年の別居を経て、三年前に別れた。

「さあ知らんなあ」

「まだ東京なんかなあ」

 綾乃がつぶやいた。

「そらあ、マンション貰いはったんやから、東京やわあ」

「でもそこ売って、京都に戻って来てるかも」

「お子さんいてたはずや」

「うちらには、出来なかった子供。羨ましいわあ」

「師匠、何で別れはったん」

「また浮気どすか」

 代わる代わる千里と綾乃の言葉を竹也はじっと黙って聞いていた。

 あまりプライベートな話題を弟子の梅子やキャサリンには、聞かせたくなかった。

 しかし、この二人はおかまいなく喋り続ける。

 稽古でもめた「五条橋」の狂言も、初日以来、何のトラブルもなく幕が開いた。

 駄目出しで、三味線の音色がうるさいと云われたので、初日こそ、少し糸を弾くバチの強さを加減したが、二日目から元に戻した。

 それはつけ打ちの尾崎も同じだった。

 稽古で、五条橋での弁慶と牛若丸との立ち回りで、尾崎の豪快、明朗爽やかないつもの切れのあるつけ打ちが始まる。

「バタバタ、バタバタ」

 すると、萬鶴が、

「尾崎さん、強い、強すぎ。もうちょっと抑えて」

 と駄目出しを食らった。

「はいわかりました」

 尾崎はすぐに修正して、少し弱めのつけ打ちをやった。

「そう、それでお願い」

「はい」

 二日目、まず、京太夫に宣言した。

「弾きの音、従来に戻します」

「ええ、こっちゃ」

 京太夫は、快く了承してくれた。

 次に舞台袖で竹也は、尾崎と顔を合わせた。

「今日から戻すよ」

 顔に汗をにじませて、竹也は云った。

「じゃあ、私も戻します」

 尾崎も同調した。

 実はつけ打ちと、義太夫三味線とは、密接な関係がある。

 片方だけが、極端に音を下げると、客席で聞いている観客の耳には、違和感が芽生えるのである。

 義太夫三味線の音色を下げると、つけ打ちの音が際立ってしまう。

 その反対もあるわけだ。

 二人が、修正して「五条橋」が二日目の幕を開けた。

 終演後、何か云われるかと、二人とも上手袖のエレベーター前で並んで立っていた。

 萬鶴と桜之助がやって来た。

「お疲れ様でした」

 全身から噴き出る汗を顔に点描画のように、作っていた。

「お疲れ」

 何も云わなかった。

 要するに、道具調べ、舞台稽古で、ああして云ってみたかっただけなのだ。

 恐らく、後で弟子から間違いを指摘されて恥をかいたのは、自分だとわかったはずだ。

 知ったかぶりは、恥の始まり。でもそれが、肝に残るのは、三日間ぐらい。

 また来月、稽古が始まれば、これの繰り返しなのは、わかっていた。

 今、歌舞伎界は、お目付け役がいなくなった。また切磋琢磨する余裕もない。

 毎月、出演する出し物に追われて、じっくりと自分磨きが出来なくなった事が大きい。

 二十年前に比べて歌舞伎公演は、飛躍的に増加した。

 博多座の開業、関西での公演や巡業の増加。海外公演、御園座の新装開業など。

「お子さん、娘さんどしたな」

 千里の言葉に、はっと我に返った竹也だった。

「そうやなあ」

「幾つになりはったん」

「二十歳かな」

 五つぐらいまでは、一緒だった。

 それからは、別居で一回も会っていない。

「どうしてはるん」

「さあどうかなあ」

「会いたいでっしゃろ」

「そりゃあ、会いたいなあ」

 ふと竹也は思った。

 今頃久美と娘の二人は何をしているのだろうか。

 昼食のあと、南座の楽屋を出ようとした。

「師匠、これからどこへ」

 梅子が聞いた。

「一旦、松原の町家に戻って、それから、ちょっとお呼ばれで出かける」

「おなごはんと、デートどすか」

「違うよ」

 キャサリンは、仕事で出て行った。

 梅子は、松原の町家までついて行った。

「師匠は、町家が好きなんですね」

「そうや。マンションやったら、もっと近い団栗橋あたりにあるんやけどな」

 二人が松原橋を渡る。

 ここまで来ると、観光客もぐっと減る。

「今は京阪電車は、七条から地下を走ってるけど、昔はこの鴨川沿いの地上を走ってたんや」

「へえそうやったんですか。全然知りまへんどした」

「線路脇の両脇は、桜の木が植えられてて、春になると桜の花びらが電車の窓すれすれに見えて綺麗かったなあ」

「その桜の木はどうなったんですか」

「川端通りの道の拡幅工事で全部伐採された」

「まあ勿体ない」

 松原橋の真ん中で、梅子が足をぐねってこけかけた。

「あっ危ない」

 竹也は、とっさに手を差し出した。

 梅子も竹也の手を握った。

 何か不思議な気がした。

 どう云えばいいのだろうか。

 もちろん梅子と一緒に松原橋を渡るのは、初めてのはずだ。

 でも梅子の手を握った瞬間、稲妻のように、梅子の手から感じるものがあった。

 それは、恋愛感情なんかではない、別物だった。

「すんまへん」

 梅子は、慌てて手を離した。

「変な事、聞くけど、松原橋を渡るのは、初めてだよね」

「へえ初めてどす」

 会話はそれだけだった。

 元々、梅子は竹也の後援会会長の口利きで、昨年から来た。

 履歴書を貰った覚えもない。

 給金を払えるほど、竹也の懐具合はよくなかった。

 無料で、暇な時に、三味線を教えていた。

 京都御所の西側の町家は、不定期で三味線を教えていた。

 しかし、東京、名古屋、博多等での一か月公演、地方巡業が入ると教室を開く事は出来ない。そのために、不定期だった。

 それでも生徒は、二十人はいた。

 松原橋を渡ると、左折、そこから町家はすぐだった。

 正面の屋根には、病魔退散、厄除けの神様である、「鐘馗(しょうき)」が睨んでいた。

「いやあ鐘馗さんや」

 梅子が云った。

「君の家にもあるの」

「うちとこは、マンションなんでありません」

 松原で借りている町家は、敷地三十坪でそんなに広くない。

 しかし、一人で生活するだけの場所なのでそれで十分だ。

「師匠、帰ります」

「気いつけて帰りや」

「へえ、おおきに」


 この後、竹也はお呼ばれが待っていた。

 実は不定期で、三味線を習っている生徒の中に、下鴨敏子がいた。

 まだ文化庁長官に就任する前からである。

 今回の組閣で、文化庁長官に任命されたのを聞いて、竹也が一番驚いた。

 今夜のお呼ばれは、その下鴨敏子からである。

 町家で着替えて、時間を潰して、祇園に出た。

 花見小路から、路地を二つ東に入った、お茶屋「清水」だった。

 竹也が行くと、すでに敏子が待っていた。

 座敷の机にぽつんと一人でいた。

「あれっ、今夜は、白手袋男たち二人はいないの」

「ええ、今夜はお忍びなんで、もう帰しました」

「もうすぐ秋の臨時国会が始まりますね」

「来週、上京します」

「大変ですね」

 女中が来て、料理を並べる。

 冷えたビールと吟醸酒があった。

 再び二人だけの会食となった。

「私、東京が嫌いなんです」

「東京が嫌いだなんて、国会議員が務まりませんよ」

「文化庁を京都に移転するように、可部首相に進言したのは、私なんです」

「へえそうなんですか」

 一昔前は、一極集中、東京集中を是正するために、首都移転の論議が出た。

 広大な富士山麓や、名古屋、大阪などの都市が候補に挙がったが、結局これもいつの間にか下火になり、消えた。

 可部内閣になり、ようやく地方分散の具体案の話が出て、その目玉が文化庁の京都移転であった。

 しかしこれも全面移転ではない。やはり東京にも事務所を置かないと、事務手続きが行えないのだ。

「そろそろ、本題に入るわね、竹也さん」

「何でしょうか」

「あなたを人間国宝に推薦する話が出ています」

「本当ですか」

「まだ正式には決まってません。でも私が後押ししますから、大丈夫ですよ」

「いやあ私なんかより、もっと優れた人がいるでしょう」

「ええいます。たんといます」

「えらくはっきり云いますね」

 ここで二人は顔を見合わせて笑った。

「でもあなた、日頃のお仕事以外の義太夫三味線の普及活動されてるのが、いいのよ。他の人は全然やってないでしょう」

 竹也は、十五年前から、全国の公民館、小中学校、老人ホーム、グループホーム、デイサービスセンター、病院、ワークショップで義太夫三味線の解説・演奏会を開催している。

 始めた当初は、観客が二人の時もあった。それでも続けた。継続は力なり。

 時代が次第に古典、歌舞伎、能、狂言へ視線が向くようになった。

「小学校でも、三味線の授業をやるように進言したのは、私です」

 数年前から学童保育で、三味線教室を開催する自治体が、ポツポツ現れた。

 来年春から、正規の授業で三味線を取り上げるのが決まった。

 こうして前よりは、少しは盛んになったが、古典への補助金は、文楽だけで、それも少ない。

「フランスは、日本の文化予算の十倍はあるのよ」

 日本の歌舞伎が、民間企業が、国の補助金なしでやっているとフランス人に云うと、

「冗談だろう」

 と必ず云われる。

 それが事実だと知ると、

「クレージーだ」

 と驚く。

「もしフランスで同じ事をしたら、暴動が確実に起きるよ」

 昔は歌舞伎の切符には、入場税はかからなかったが、いつの間にか撤廃された。

 歴代首相で、身銭きって歌舞伎を見ているのは、小泉元首相と今の可部首相ぐらいである。

 可部首相の歌舞伎好きは有名で、お忍びで南座の顔見世を見に来る。

「光栄です」

 竹也は頭を下げた。

「まだ正式には決まってないから」

「はい」

「内定となれば、文化庁の担当者から連絡が入ると思います。その時、政府からの正式発表までは、内密でお願いね」

「それはわかってます」

「インスタグラム、ツイッター、ブログ、フェイスブックも駄目よ」

 竹也がこれらすべてをやっているのを知っていたのだ。


      ( 5 )


 公演が始まる前、竹也はいつも南座の屋上にある、お社にお参りしていた。

 ここからは、鴨川、四条大橋が一望出来る。鴨川を挟んで、東華菜館が見える。

 中華料理の店で、南座と同じく、登録有形文化財である。

 平成三年に改装された時に、お社が今の屋上の一つにまとめられた。

 改装前は、屋上に二つ、奈落に二つ、楽屋口に一つあった。

 南座の月参りは、毎月八日である。

 この日は、祇園八坂神社から宮司が来て、興行の大入りと安全を祝詞して貰う。

 お社には、出演者からの奉納のお酒が幾つか置いてあった。

 この日は、いつものように拝んでいた。

 振り向くと、楽屋口番の前谷美代子が立っていた。

「お早うございます」

 いつもの甲高い声が飛んで来た。

「はい、お早う。お参りが済むまで待っていてくれたの」

「はい」

「何かありましたか」

「竹也さんにお手紙です」

 美代子が渡してくれた。

 裏には差出人の名前が記載されていなかった。

 気になり、その場で封を切った。


「ご無沙汰しております。元妻の久美です。

 私は、今でもあなたを許しておりません。

 必ずや、天誅が下ります。

 容赦なしです。

 お覚悟をお決め下さい。

       久美            」


 手紙と共に、朝顔のしおりが入っていた。

 見る見るうちに、竹也の顔色が変わった。

「大丈夫ですか」

 美代子が声をかけた。

「ああ丁度よかった。これからは、私への面会者は必ず前もって、部屋に連絡下さい」

「わかりました」

「物騒な世の中だから」

 と云いかけて、言葉を濁した。

 楽屋に戻ると、(勝手に矢澤会)の千里と綾乃がいた。

「三番目の元妻から連絡が来たよ」

 竹也は、正直に手紙を見せた。

 梅子もキャサリンも興味深く覗き込んだ。

「天誅を下すって、竹也さん、また何かやったの」

 千里が云った。

「または、ないだろう」

「でも三回も失敗したんだから」

 綾乃が続く。

「天誅って何ですか」

 キャサリンが聞いた。

「罰が当たるって事」

「師匠大丈夫ですか」

「私は大丈夫で、この手紙の主が大丈夫じゃないんだよ」

「けど、えらい怖いお手紙に似合わない、朝顔のしおり。師匠これ何ぞ意味あるんですか」

 二度目の妻だった綾乃が聞いた。

 綾乃は五四歳で、二人の間に子供は出来なかった。

 再婚はせずに、親の遺産で暮らしている。

「さあねえ、実は私もわけがわからないんだよね」

「ほんまは二人だけの、変な秘密の合図やったりして」

 千里が茶化した。

「キャー、いやらしい」

 今度は、梅子が大げさに悲鳴を上げた。

 かくして竹也の楽屋は、姦(かしま)しい事、この上ない。

 竹也と三度目の妻、久美との離婚原因は浮気だった。

 二人の間には、女の子がいた。名前は沙織である。

 沙織が五歳の時に、竹也は築地のマンションを出た。

 長年、竹也名義のままだったマンションも三年前に久美の名義に書き換えた。

 十五年前に別居してから、久美にも娘の沙織にも一度も会っていない。

 今はその生活に慣れたが、ふと寂しくなる時がある。

 今日は昼一回公演だった。

 松原の町家で、梅子、キャサリンの稽古をつけた。

 こちらの町家は、茶室がない。

 間口は、一間(約百八十センチ)ばかしの、幅が狭くて、奥が深い典型的な京都の町家である。

 その昔、京都の家は、間口の広さで、税金が定められたので、少しでも安くしようと町衆の知恵で、こうなったわけである。

 よく「鰻の寝床」と云われるのは、そのためである。

 夕方稽古が始まった。

 まず二人に自由に三味線を弾かせた。

 梅子は二十歳なのに、かなり上手い。

「小さい時からやってたんですか」

 以前竹也が聞いた事があった。

「はい、小学校に入ってからです」

「お父さんがやってたんですか」

「いえ、母です」

 梅子の「母」の言葉と、義太夫三味線の音色が合図のように、セピア色の思い出の引き出しが音もなく、開いていた。

 自分が幼い頃、実家の広島で母親は、三味線教室を開いていた。

 ふすま一枚隔てて、聞こえる三味線の音色。

 幼い頃の竹也にとって、それは重大な出来事だった。

(何であの物体から、あんな美しい音色が出るのだろうか)

 母がいないときを見計らって、自分で三味線を弾いた。

 当然ながら、自分が指ではじいても、あんな雅な音は出なかった。

 それはショックでもあり、一大発見でもあった。

 いつしか、母に見つかり、

「そんなに好きやったら、教えたろ」

 その日から、稽古が始まった。

 あの頃、広島で幼稚園児の男の子が三味線を習うのは、まだ誰もいなかった。

 だから、実家の稽古場で、おさらい会で女性に可愛がられた。

 母性本能をくすぐる少年は、小さい時から持てたのである。

「じゃあ次はキャサリンさん」

「はい」

 キャサリンは、身長が百七十五センチあり、大柄で力がある。

 三味線のバチを叩く、手首のスナップも強い。

 部屋に重低音の、義太夫三味線の音色が、畳に沿って這うように流れ、その音は、いつしか立ち上がり、部屋を覆う。

(何て、良い音色なんだろう)

 昨年、竹也はみやこ大学付属病院のロビーで義太夫三味線の会を初めて開催した。

 その会には、患者はもちろん、その家族、医師、看護師も多く詰めかけた。

 患者二十人に演奏会前の、血圧、脈拍、血中濃度、等を測り、演奏後また測ると、数値が劇的に改善されていた。

「まだサンプル数が少ないので、何とも云えないが、何らかの作用があったのは確か。義太夫三味線の音色が、脳波に何らかの作用を与えたかもしれない」

 と医師のお墨付きの言葉を貰った。

 確かに、あの低く響く三味線の音色は、古来日本人のこころの中にしっかりと刻み込まれているのかもしれない。好きであろうと、嫌いであろうとだ。

「義太夫三味線は、技術で弾くものではありません。こころです。相手のこころの中、こころの襞(ひだ)に食い込むものなんです」

 と竹也は、梅子、キャサリンの顔を順番に見ながら云った。

 この言葉は、幼いころから母親に云われていた受け売りの言葉だった。

 稽古が終わり、一息ついている時だった。

 竹也の携帯電話が鳴った。

 画面を見ると、見知らぬ番号だった。

「矢澤竹也さんですね」

「はいそうですが」

 少し用心深く、慎重に言葉を選んだ。

「私、週刊文夏の松田武夫と申します。突然の電話失礼します」

「何でしょうか」

「下鴨敏子さんを御存じですね」

「今度の文化庁長官ですね」

「ええ、下鴨長官とはどんなお付き合いなんでしょうか」

「付き合い?」

 その言葉に、竹也はかちんと来た。

 いきなりの電話。

 いきなりの個人情報の詮索。

「付き合ってなんかいません」

「でも祇園のお茶屋(清水)で密会されてますね」

 まるで刑事のような取り調べだ。

「あなた、何が云いたいんですか」

「矢澤さん、あなた、次期人間国宝に推挙されてますね」

「それがどうしたと云うんですか」

「そう云う関係の中での、推挙ですね」

「きみは失礼だぞ。電話切ります」

 咄嗟に電話を切った。

 顔を上げると、梅子、キャサリンの顔からさっきまでの微笑が消えていた。

「師匠大丈夫ですか」

「ああ大丈夫。いたずら電話だよ」

 竹也は、無理やり顔に笑みをこしらえた。

「今日は、少し時間が早いけど、お開きにしよう」

 二人を帰した後、今度は下鴨敏子から電話があった。

「竹也さん、困った事が起きました」

 敏子の説明によると、やはり週刊文夏の松田と名乗る男が電話して来て、二人の疑惑の仲を今週発売の週刊文夏に掲載すると云う。

「何もないのに、どうして載るんですか」

「あなたを、次期人間国宝に推挙したのは、私達が深い仲だからと」

「馬鹿馬鹿しい。ほっといたらいいですよ」


      ( 6 )


 しかし、ほっておくわけには、いかなかった。

 週刊文夏が発売されると、すぐにワイドショーが取り上げた。

「疑惑の次期人間国宝(矢澤竹也)と下鴨敏子文化庁長官との疑惑と深い関係」

 の大きな見出しの記事が掲載された。

 二人が、祇園お茶屋(清水)に入る所、竹也の自宅にSPを連れて入る写真が、でかでかと載った。

 南座には、芸能レポーターと記者が詰めかけた。

 竹松東京本社の演劇担当重役の田辺も飛んで来た。

「矢澤さん、ここは記者会見開きましょう」

「わかりました」

「私もついていますから」

 昼一回公演後、舞台でやる事になった。

 舞台中央に長机を置き、真ん中に竹也、右側に田辺、左側に南座支配人の藤川五郎が座った。

 当日客席には、マスコミ陣五百人が詰めかけた。

 ビデオカメラ百台が客席一階、二階、三階全ての周囲を取り巻いた。

 これだけの記者会見をやるのは、数年前、歌舞伎役者の有田鯨蔵が祇園で喧嘩して、顔見世出演が取りやめになった事件と、鯨蔵の祇園隠し子騒動会見の二回だけである。

 ネコネコ動画サイトは、この記者会見をネット生中継で、今回も英語同時通訳付きで、全世界に放送した。

 欧米では、フランスが一番関心が深く、

「義太夫とは何か」

「義太夫三味線とは何か」

 詳しく説明していた。

 矢澤竹也の名前は、昨年のフランス、イタリア、イギリス、ドイツ公演で、有田鯨蔵と共に、その名前が知れ渡った。

「まずお聞きします。矢澤竹也さんと、下鴨敏子文化庁長官との関係について、お答え下さい」

「端的に云って、義太夫三味線の師弟関係です」

「あなたは、次期人間国宝のリストに挙がってるようですが、あなたから下鴨文化庁長官への働きかけがあったのですか」

「一切ございません」

「逆に下鴨敏子文化庁長官からのアプローチがありましたか」

「それも一切ございません」

「しかし、祇園(清水)で、二人だけで密会なさってますね」

「密会でも何でもありません」

「じゃあ何ですか」

「二人で会っただけです」

「それを密会と云うんです」

 記者が語気を強めて、詰め寄った。

「二人は深い関係で、一線を越えているんですか」

 別の女性レポーターが質問した。

「はい、はるかに一線を越えてます」

 客席が大きくどよめいた。

 藤川支配人と田辺が同時にびくっと背筋を伸ばして、竹也の方に視線を走らせた。

 再びカメラのフラッシュの雷光を幾重にも重ねて着込んだ、風神雷神が南座に降臨した。

「私は義太夫三味線の弾きです。三味線は一線ではなくて、三線で成り立ちます。だから一線を越えてます」

 何人かの記者が、薄笑いを浮かべた。

「義太夫三味線を教える代わりに、その見返りに(人間国宝)認定を迫ったんじゃないですか」

「先程も申し上げましたが、全くその様な事はありません」

「じゃあそれを説明して下さい」

「記者さん、じゃあ逆に私が、それを頼んだ事を証明して下さい」

 竹也は、内心じくじたるものが、芽生えていた。

(たまたま、竹也の義太夫三味線教室に、下鴨敏子が習いに来ていた)

(たまたま、下鴨敏子が文化庁長官になった)

(たまたま、二人で祇園(清水)で食事した)

 ただ、それだけの話である。

 何故世間が、マスコミが大騒ぎするのか、合点がいかなかった。

「竹也さんは、三回結婚されてますね」

「はいバツ三です」

「何故三回も結婚離婚を繰り返されたんですか」

「その質問は、今回の騒動と関係ありませんので、お答えは控えさせて貰います」

「もし仮に、人間国宝に推挙されたらどうしますか。お受けになりますか」

「それは、今の時点ではわかりません。ただ・・・」

 ここで竹也は言葉を区切り、ぐるりと客席一階から、三階まで上手から下手までゆっくりと眺め渡した。

 南座の、寺院建築によくみられる、縦横、正方形に区切られた格(ごう)天井と四隅の折り上げ天井、その天井の真ん中に、大きく装飾された客席を照らす、お椀型の照明器具、三階席の迫りくる急こう配の傾斜、すり鉢型の客席、全てが竹也のこころの襞に、しっぽりと包み込む。

 よく役者が、

「南座の舞台は、歌舞伎やるのに、ぴったりのサイズなんだよね」

 とか、

「あの舞台にいる役者を優しく包み込む劇場空間は、他の劇場にはないよね」

 とか口にするのをよく耳にした。

 南座は、客席数千七八席の、東京歌舞伎座の半分以下の規模の劇場である。

 しかし、芝居をするには、丁度良い演劇空間であった。

 江戸時代、マイクも双眼鏡もない地声、裸眼だけの時代、そんなに大きな劇場は作れなかった。

 今の時代、とてつもなく大きさだけが取り柄の劇場があまりにも増え過ぎた。

 南座の大きさが、ギリギリの広さである。

 今、改めて自分が、頭上のボーダーライトや、大天井のシーリングライト、大天井左右のギャラリーライト、上手下手フロントライト、三階、二階客席前の第一、第二バルコニーライトなど前後左右、前方四方八方から降り注ぐ、ややもすると目を開けるのが困難なほどの大量の照明の光を浴びながら、こうして記者会見をするのをもう一人の自分が、こころときめかしながら、活発に動いていた。

 舞台上部の破風(はふう)があるのもいい。

 破風とは、能舞台から来ていて、屋根のような形をしている。

 今はなくなってしまったが、大阪道頓堀中座も破風がある劇場だった。

 全国に多目的ホールと称するものが、沢山作られた。

 その多くが、下手端(客席から見て左側)から斜めに作られた中途半端な短い花道。

 客席数が多ければいいと、用途も何も考えずに、キャパ(客席数)二千席の大ホールを作る。

 多目的ホールは、結局多目的にやるには、中途半端な最悪の入れ物となっていた。

 歌舞伎専門のホールは全国に少ない。

「ただ何でしょうか」

 竹也が、客席を見上げたまま黙ってしまったので、記者が催促した。

「私は、人間国宝には、全く興味がありません。私は人間国宝ではなくて、天然記念人物を目指しております」

「天然記念人物ですか」

 客席のあちこちで、笑いと失笑のさざ波が交差した。

 この竹也が、口にした「天然記念人物」なる言葉が、瞬時のうちにマスコミ、ネット上を独り歩きした。

 その歩きは、駆け足、疾走、爆走と変身して全世界を駆け巡った。

 翌日のワイドショーにも取り上げられた。

 以後、連日「天然記念人物」なる言葉が、テレビとネットの世界を凌駕した。

 Google、ヤフーの「天然記念人物」検索数が50億回を越えて、堂々一位に輝いた。

 気の早い一部のワイドショーは、

「今年の流行語大賞は、これで決まりです」

 とまで云い出した。

 この時、竹也の背中をポンと優しい手で押されるのを感じた。

 慌てて振り向くと誰もいない。

 しかし、前方、大天井に何か得体の知れないオーラがじっと竹也を見つめていた。

(劇場神様だ)

 南座に出演する、多くの役者が、

「南座には、劇場の神様がいる」

 と口を揃えて、証言する。

 今、竹也の前に、まさに神様が現れ降臨した。

「さあ、おやりなさい」

 その語り掛けで、優しく後押しした。

 竹也は、力強い味方をつけた瞬間だった。

「じゃあここで皆さんにお聞かせしたいものがあります」

 ここで竹也は、足元から義太夫三味線を取り出した。

「義太夫三味線は、長唄の細棹三味線とは、全く違います」

 ここで、三味線を縦に立てて、記者の皆にわかるように示した。

「三味線を弾くバチもこの様に大きいです」

 ここでバチで三味線の弦を叩いた。

 あの重低音の音色が、客席に解き放たれた。

 完全に気をそがれた記者たちだった。

「では、創作浄瑠璃(人間国宝)を披露したいと思います」

「あのう・・・」

 記者が何か云いかけたが、竹也の義太夫三味線の音色は、それを即時に遮断させる気迫ある音色と化した。


    ~~創作浄瑠璃 「人間国宝」 (矢澤竹也 作)~~

 ♬

 人間国宝     誰決めた

 人間国宝     貰いたいか

 そんなものは   要らないぞ

 そんなものは   関係ない

 私の夢は     ただ一つ

 三味線の     音聴けば

 三味線は     涙ひく

 心模様に     ひしひしと

 今に聞こゆる   言霊(ことだま)よ

 そらそら行くぞ  夢追いて

 そらそら叫ぶ   浮浪雲(はぐれぐも)

 形あるもの    壊れゆく

 人の生き様    まばたきか

 義太夫の音(ね) 不滅なり

 行く末永く    祈念して

 今宵奏でる    音色草

 人のこころに   芽生えしは

 崇拝せしは    民(たみ)の声

 ああ国宝と    共歩む

 ああ国宝に    民生まる

 人間国宝     いりませぬ

 人間国宝     成りませぬ


 竹也の義太夫三味線の音色が、南座の場内を浮遊してすっぽりと覆う。

 客席の記者のこころの中を突き刺し、こころの襞にからめとり、染み込んで行く。

 恐らく、記者の大半は、生まれて初めて耳にする、体験する、体感する出来事だったに違いない。

 それが竹也の狙いでもあった。

 義太夫三味線弾き人間に関する記事を書こうとする記者が、一度も聞かないまま、そのような記事を書くのを、竹也は我慢出来なかったのだ。

(一度聞いてから、書いてくれ)

 その思いからの、創作浄瑠璃「人間国宝」だった。

 演奏が終わると、南座の客席は、先程までの「動」の世界から「静寂」の世界へと一気に様変わりしていた。

 さっきまで、あれほど意気軒昂に竹也を追及していたマスコミ陣だったが、演奏が終わると、まるで魂を抜かれた、ふぬけ人間と化していた。

 竹也は、義太夫三味線、一丁で、マスコミ陣の魂を鷲掴みにして、自分の手の中に収めていた。

 誰も拍手をしない。

 辛抱たまらず、藤川南座支配人が、神社参拝の柏手を打つように、ゆっくりと手を叩いた。

 それが切っ掛けで、次第に拍手の輪が、客席に波紋した。

 ネコネコ動画サイトには、世界から三億の書き込みが寄せられた。


「とにかく感動した」

「こんな自分にも魂があると実感出来た!」

「なんて素敵な音色なんだ!」

「西洋楽器ではこうはいかない」

「魂の世界を現出させた!」

「パリ公演を思い出しました!師匠、頑張って下さい」

「記者たちは、一体何を糾弾したいんだ!」

「今からでも遅くはない。皆、竹也師匠の前に土下座して謝れ!」

「こんなにも興奮したのは、サッカーワールドカップ以来だぜ」

「私が竹也の立場だったら、演奏後居並ぶ記者全員を牢獄にぶち込んでやる」


 数日後、秋の臨時国会でも、同様の質問が、下鴨文化庁長官に及んだ。

 質疑応答は、似たようなものだった。

 文化庁の事務方も呼ばれた。

「下鴨長官から、次期人間国宝リストに、矢澤竹也を入れるよう、推挙するように云われたんじゃないですか」

 と野党の追及に対しては、

「そのような事は、一切ございません」

 きっぱりと答えた。

「そのような内内の、文書はあるのですか」

「それもありませんし、存在しません」

 これがとどめだった。

 また下鴨長官も、矢澤竹也との関係について、

「矢澤竹也さんは、私が個人的に習っている義太夫三味線の師匠であり、私は一生徒に過ぎません。一線は越えておりません。それどころか、そこまで到達しておりません。

 三線、三つの線。つまり三味線の腕前も中々、竹也師匠を越えるに至っておりません」

 国会議員から、笑いと拍手が起きた。

「下鴨、うまい!」

 応援の野次も飛んで、さらに笑いが倍加した。

 この模様は、NHKで生中継され、人々の関心が、さらに義太夫三味線に向いた。

 下鴨長官の機知に富んだストレート勝ちだった。

 後は、竹也と同じような答弁に終始した。

「では最後に私から、野党の皆さんへのプレゼントです」

 今度は下鴨長官が、国会の席で、義太夫三味線の音色を響かせた。

 明治になり、議会制度が持ち込まれて百五十年近くになる。

 その長い歴史に中で、初めての出来事だった。

 義太夫三味線を弾き始めると、最初野党から、

「何やってんだよ」

「やめろー」

 等の野次が飛んだ。

 しかし、その野次も竹也と同じように、義太夫三味線の音色に完全に負けた。

 人の威圧よりも、義太夫三味線の持つ、音の本来持っている人の内面から威圧するものが上回った。

 可部首相は、座ってじっと耳を傾けた。

 歴代総理の中で、一番の歌舞伎通で、お忍びで東京歌舞伎座、南座の顔見世を観劇していた。

 文化庁の京都移転は、可部、下鴨ラインで迅速に動いた結果だった。

 文化庁の設置場所も、京都御所の西側、京都府警本部の中に正式に決まった。

 一心不乱に義太夫三味線を弾く下鴨敏子。

 竹也はそれをテレビの画面を通じてしか、応援出来なかった。

「型破り」なる言葉がある。

 これは、歌舞伎の世界から出て来た言葉である。

 歌舞伎には、演技、作法など様々な状況で、それぞれ独自の「型」が存在する。

 歌舞伎四百年の長き歴史の中で、その型を守ろうとする大木と、その型を破ろうとするもう一つの大木があった。

 型を破ったと思われる、型破りも時間の経過と共に、それがもう一つの型と認められ次第に、歳月の経過とともに、新たな古典の型となっていく。

 それの繰り返しである。

 歌舞伎が何故四百年も続いたのか。「伝統」「革新」の二つの大木を支持する庶民の力と、それに答えて来た先人のたゆまぬ努力があったからである。

 歌舞伎は、古いと、よく一般人は云う。

 それは、とんでもない間違いである。

 歌舞伎ほど、庶民に寄り添って、進化して来た芸能は、世界を見渡しても類がないのである。

 南座記者会見で、義太夫三味線で、創作浄瑠璃を披露した矢澤竹也。

 国会の質疑応答で、義太夫三味線を弾いた下鴨敏子。

 二人は、「南座記者会見」「国会」と云う二つの空間で、今までなかった事をやってのけた「型破り」だったのだ。

 連日ワイドショーは、竹也の「天然記念人物」発言、そして「型破り」の言葉を放送した。

 毎日、義太夫三味線、歌舞伎の宣伝をやっているようなものだ。

 東京歌舞伎座、今月の南座の切符はあっと云う間に売り切れた。

 興行を取り仕切る竹松の株は、連日高騰を続けた。


 竹也は、公演を終えて、一人でいつものように松原橋を東から西へ渡っていた。

 丁度橋の真ん中で、黒い人影が、両手を高々と上げて、薄い透明のかつぎを持っていた。

 かつぎは、風で揺れて、顔が隠れていた。

 かつぎとは、女性が羽織る透明の着物の形をしたものだった。

 車のヘッドライトで照らし出された。

 かつぎは、透明の薄紫で、女で、着物姿だった。

 今にも欄干を乗り越えて、飛び込みそうな気配が感じられた。

 そのまま通り過ぎようとしたが、気になって足を止めた。

「もしもし、どうかしましたか」

 顔をうつむいたままだった。返事はなかった。

「そんな欄干に乗って危ないですよ」

 それでも女は返事をしなかった。

「降りるのを手伝いましょうか」

 竹也は、女の顔を見ようとさらに近づいた。

「さても牛若丸、父の修羅の魂魄を慰めんと、川風添ゆる夜風の夕べ程なき秋の空面白や・・・・」

 女は呪文を唱えるかの如く、歌舞伎「鬼一法眼三略巻~五条橋の段~」の一節を息もつかず、一気に語り出す。

 今月南座で上演、竹也が担当している狂言だ。

(まさに女の格好は牛若丸)とピンと来た。

(すると、私は弁慶なのか)竹也は、逡巡となった。

 女は、欄干から飛び降りて、かつぎを竹也目掛けて投げ捨てた。

 かつぎが、目の前に覆われ、一瞬目つぶしのようになった。

 竹也は、両手でかつぎを払いのけた。

 いきなり、女の顔がまじかに現れた。

「あっ久美!」

 その女は、三回目の元妻の梅川久美だった。

「竹也、天誅じゃ!」

 いきなり久美は、隠し持っていた匕首(あいくち)で竹也に切りかかった。

 咄嗟に竹也は、しゃがんで足元のかつぎを鷲掴みして、久美に投げた。

「何をする!危ないじゃないか」

「思い知れ、竹也!」

「何でこんな事をする。もう綺麗に別れただろう」

「離婚届の紙切れで、法律上縁が切れても、私はあんたへの憎悪の念は切れてないのさ」

「だから理由は何だよ」

 二人は、松原橋(五条橋)の真ん中で睨みあった。

 ここは、弁慶と牛若丸、後の義経が対決した場所である。

 見ると、久美は朝顔の柄の着物を着ていた。

「あの脅迫文と同封されてた朝顔のしおりは、一体何だ」

「それもわからないのか」

 再び久美が上段構えから、匕首を振り下ろした。

 咄嗟に、右手でそれを払いのけようとした。

 しかし、一瞬遅く匕首の先が、右手の人差し指と親指の間の筋にかすって切れた。

 血がすぱっと飛び出た。同時に竹也の指先に鈍痛が走った。

「お母ちゃん、もうやめて」

 背後から、その声が聞こえた。

 その声の主は、梅子だった。

「お母ちゃんて・・・じゃあきみは」

「お父ちゃん、私はあなたの娘の沙織です。梅子は、芸名です」

 沙織は、久美の手から匕首を取り上げた。

「こんな事をしても、何も変わらんでしょう」

「沙織、どうしてここに」

「お母ちゃんから、今夜決行する云うメールもろうて、気になって後をつけたんです」

「そうかあ、久美」

「あんたは、何もかも忘れたんやな。あの朝顔も忘れたんか」

「お父ちゃん、ほんまに忘れたん?うち、悲しい」

「沙織が悲しい・・・」

 竹也の脳裏を覆う厚い氷が、地響きを立てて割れて氷解した。

 あの時だった。

 竹也が家を出る時だった。

 沙織が大切に育てていた朝顔を踏んで出て行ったのだ。

 何故今まで気づかなかったのか。

「あの時、うち悲しかったんよ」

「ごめん」

「今謝っても遅すぎます」

 竹也の手から血が流れ続ける。

「それちょっと、やばい」

「なあに、これぐらい」

「あかんて」

 沙織の勧めで、緊急病院へ行った。

 三針縫った。

「どうしたんですか」

「ちょっと包丁で」

 竹也は事件にしたくなかった。


 翌日、竹也は「五条橋」に出る萬鶴と桜之助の楽屋を訪ねた。

「若旦那、お早うございます」

「おや、竹也の旦那、刃傷松の廊下ならぬ、五条橋いや、刃傷松原橋の段は済んだのかい」

 と萬鶴に声をかけられた。

「どうして知ってるんですか」

「もう皆知ってるよ」

「そうですか。そんなもんで今日は、義太夫三味線の音色がいつもよりも、小さいかもしれません。どうかご容赦を」

「ああいいとも。痛むのかい」

「何もしなかったら大丈夫なんですが、三味線を弾くと疼きます」

「あんたは、指の疼きだけで済む。日にちがたてばなくなる。けれどやった方はずっとこころが疼くだろうねえ」

 しんみりと萬鶴がつぶやいた。

「若旦那、お若いのによくわかりますね」

「そりゃあ、この世界にいるとね」

 公演が始まる。

「五条橋」の演奏が始まる。

 バチを握り、義太夫三味線を弾き始める。

 痛みが、右手から脳に走る。

 その痛みは、同時に竹也のこころの痛みでもあった。

 心配した沙織(梅子)が、ずっと上手舞台袖で待機していた。

 つけ打ちの尾崎が、つけを打って上手袖に引っ込む。

「竹也さん、今日の義太夫三味線の音色、いつもよりいいですね」

 沙織に声をかけた。

「私も思います」

 公演が終わり、楽屋に戻ると千里と綾乃が待ち構えていた。

「竹也さん、今日から(勝手に矢澤会)の新メンバーを紹介します」

「えっ誰なの」

 竹也が振り向くと、暖簾をかき分けて、久美と沙織が入って来た。

「久美です。(勝手に矢澤会)に勝手に入会します」

「えええっ!」

「そんなに驚かなくてもいいでしょう。三人目が入って、これで全員揃ったんだから」

 久美は笑った。

「師匠ご心配なく。楽屋に入る前に持ち物検査しときましたから」

「刃物類はございません」

 千里と綾乃が云った。

「一応当分の間、こちらの楽屋にある包丁も使わせませんので、ご安心下さい」

 沙織が付け加えた。

 久美を入れた一同が大笑いした。

「師匠、自分の娘がこんなそばにいてたのにわからへんかったん」

「もう鈍感なんやから」

「十五年ぶりだよ。わからないよ。でもどうして身分隠して、弟子入りしたの」

「お父ちゃんの姿、まじかで見たかったから。身分隠したんは、お互いに余計な気を使いたくなかったから」

「私と沙織で決めました」

「でも少しは気づいたでしょう。ほら、あの松原橋で、私がこけた時に」

「あっそうだ」

 あの時の沙織のこけ方、あの時の自分が手を出した時に、幼い頃の沙織がよくよちよち歩きでこけたのを、手を出して救った。

 だから、あの手の感触で思い出しかけたのだ。

 その夜、松原橋の町家で、皆が集まって宴が開かれた。

 宴の題名は「人間国宝認定却下残念会」だった。

 この日、下鴨敏子からメールが届いた。

 件名「報告」

 本文「残念ですが、時節柄、次期人間国宝認定は、却下されました。

 でも頑張って下さい。

 天然記念人物様へ        下鴨敏子

 追伸 国会が閉会したら、京都に戻ります。また義太夫三味線の稽古をお願いします」


 竹也は、皆の前で創作浄瑠璃を披露した。


 ♬ 創作浄瑠璃 「天然記念人物」 (矢澤 竹也 作)


 世間に何を     云われても

 皆が石を      投げて来ても

 己(おのれ)を信じ 民(たみ)が云う

 あなた一番     輝いた

 その道のりは    険しいが

 それでも進む    私だよ

 踏みしめ進む    男だろ

 三味線音色     弾くバチよ

 民のこころに    灯をともす

 民の願いに     応えよう

 その名は誰か    皆で云う

 天然記念人物    天然記念人物


 竹也は弾きながら思った。

 義太夫三味線の弦は、三本の絹で出来ている。

 たまに演奏中切れる事がある。

 義太夫三味線の場合、長唄三味線と違って、自分一人だけなので、切れたら舞台の上でそれを直さないといけない。

 三本の弦。それは今の竹也を現しているような気がした。

 どれが欠けても、良い音色が出ない。

 それはそのまま、三人の元妻を現わしているような気がした。

(千里)(綾乃)(久美)

 そしてそばで、支えて熱心に聴いてくれる沙織、キャサリン。

 自分は果報者だと、改めて思った。


     ( 終わり )












































































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