第8話河合橋(大向こう)「スタートライン」

 主題歌  馬場俊英 「 スタートライン ~新しい風~ 」


      ( 1 )


 小林耕三は、河合橋を渡っていた。

 目の前に、叡山電鉄「出町柳」駅が見えた。地下には、京阪電車「出町柳」駅がある。

 ここは高野川と賀茂川の合流地点でもある。二つの川は一つになり、京の街を真っすぐに南に下る。その川の名前は「鴨川」である。

 五月の平日の昼下がり。

 小林は、ふと視線を河原に向けた。いつもなら、子供や観光客が飛び石を歩いたり写真に収めたりしている。飛び石は亀の形をしているものもあった。

一人の男が正座して真剣に何やら叩いている。

その音は、小林にとって聞き覚えがあると云うか、毎度お馴染みの音である。

そのいつもの音に誘われて、小林は河原に降りた。

「尾崎さん」

と小林は、その男に声をかけた。

河原で正座して音を出していたのが尾崎だった。

今月南座は、有田鯨蔵(有田屋)座長の花形歌舞伎公演を行っている。

尾崎は、歌舞伎でつけ打ちとして、今月は南座に出ていた。

数ある裏方で、「つけ打ち」だけ、裏方なのに、表の舞台に出ている、特異なセクションである。

「ああ、小林さん、今日も発声練習ですか」

つけ析でつけ板に打つ練習を中断して、にこやかに笑い尾崎は答えた。

「いや、今日は別の用事で。その帰りです」

小林は、よくこの河原で発声練習をしていた。南座から近い四条、三条近辺はあまりにも観光地化されてしまい、昼間でも人が多い。ここまで来るとぐっと人が減る。

と云っても小林の職業は、役者ではない。趣味で「大向こう」をやっている。

大向こうとは、歌舞伎の芝居の時に、三階席の奥から、歌舞伎役者の屋号を叫ぶのである。

例えば鯨蔵なら、屋号は「有田屋」だから、

「有田屋!」

と声をかける。

「実は今は、京都家庭裁判所からの帰りだったんです」

正直に小林は云った。

家庭裁判所へ行くたびに、河合橋を渡っていた。

「京都家庭裁判所ってこの近くにあるんですか」

尾崎は、視線の先を川面から河合橋の方に移した。

東京住まいの尾崎にとって、京都の地理はあまり詳しくない。

「ええ、そこの下鴨神社に向かう参道の入り口にあるんです」

「それは知りませんでした」

「下鴨神社に向かう途中に糺(ただす)の森って、平安京造営以前からの原生林があるんですよ」

「ええ、それは聞いた事あります」

「糺す。物事の善悪をただすと云うのが語源なんです。そこに京都家裁があるなんて、意味深ですよね」

小林の解説に尾崎は耳を傾けていた。

「何の用事だったんですか」

「離婚調停です」

あっさりと小林は云いのけた。

「せっかく、つけ打ちの次期重要無形文化財、人間国宝になられる予定の尾崎さんがいるんだから、発声練習しようかなあ」

「いやいや、人間国宝なんておこがましい。お手伝いしますよ」

いつも遠慮深げな尾崎だが、いざつけ打ちが始まると、ぐいぐいつけ音が前に出て来る。

「有難うございます。つけの練習なら、南座の舞台の方が実践向きでいいでしょうに。何でここまで遠征しているんですか」

小林は、素朴な疑問を口にした。

「ええ、野外慣れしておこうと思いまして」

「と云いますと」

「実は鯨蔵が来年、京都で野外歌舞伎公演をやりたいと云い出しまして」

「それは初耳ですね」

鯨蔵の京都好きは有名である。五年前にも京都醍醐寺で野外歌舞伎公演を行った。

「どこでやるんですか」

「まだ正式には決まってません。幾つかの候補地が上がってまして」

尾崎の話によると醍醐寺、仁和寺、知恩院、南禅寺、平安神宮などが候補に上がっているらしい。

知恩院の三門前では、鯨蔵の祖父が一度行っている。

その意味でも、有田屋と京都は縁が深いのである。

大向こうにとって、重要なのは、やはり「声」である。この辺は歌舞伎役者と同じである。

よく通る声で、はっきりと他の観客にもわかる、明瞭な掛け声が本筋である。

昨今、何の影響か知らないが、変に通ぶって、一体誰への大向こうなのか、わからない掛け声をかける人が増えた。

小林が聞いても、

「フニャラー」とか、

「オエー!」とか、

「オリャー!」

とかまったく、意味不明にしか聞こえない掛け声が最近増えて来た。

一階の客席からだ。

その大向こうを聞いて、一部の観客が失笑する。

全く持って芝居ぶち壊しの輩(やから)である。

一体誰が云っているのか、正体を知りたい小林だったが、自分はいつも三階席なので、すぐに見極める事が出来ない。

後で、案内さんに聞くが、やはりわからないらしい。

「じゃあいつもの外郎売(ういろううり)をやります」

と云って小林は軽く咳払いをした。

「はい」

尾崎は正座して、一礼した。

「外郎売」とは、歌舞伎十八番のうちの一つで、劇中、早口言葉が随所にちりばめている。これを大きな声で腹式呼吸で声を出して発声する。

腹式呼吸とは、息を吸う時に、お腹が膨らみ、息を吐く時にお腹がへこむ。

舞台役者は、これが鉄則である。これの反対が胸式呼吸で、これを続けると喉をやられる。

小林は同志社大学の演劇部で、四年間、毎日腹式呼吸で発声練習をしていた。

「拙者親方と申すは、お立会いの中にご存知のお方もござりましょうが・・・」

いつもの言葉でそらんじて云える。

この狂言(演目)は、随所に今でも使われる早口言葉が出て来る。

「京の生鱈(なまだら)奈良なま学鰹(まながつお)」

「狸百疋箸百ぜん、、天目百ぱい棒八百ぽん」

「武具馬具三武具馬具、合わせて武具馬具六武具馬具、菊栗菊栗三菊栗、合わせて菊栗六菊栗」

「あのなげなしの長長刀は誰が長長刀ぞ」

「向こうの胡麻がらはゑの胡麻がらか、真胡麻がらか、あれこそほんの、真胡麻がら」

「お茶立ちよ茶立ちよ、ちゃっと立ちよ茶立ちよ、青竹茶筌で、お茶ちやっと立ちや」

等沢山ある。

これを小林は口を大きく開けて発声する。

いつもなら、何度も詰まったり、カミカミの状態になる。

しかし今回は、自分でもびっくりするぐらい、滑らかに口が滑る。

一気に上達したわけでもない。その原因はわかってる。

自分の横で、リズミカルに奏でる「つけ打ち」のせいだ。

本来「外郎売」の早口言葉の場面に、つけ打ちはない。

今回、小林が発声練習で早口言葉をやるので、即興でつけ打ちを行ったのだ。

歌舞伎では、本来つけ打ちがない所で、ある役者の要望でつけを入れる事はよくある。

歌舞伎もつけも、その時代、時代で微妙に変化、進歩を遂げていた。

決して、古いものではないのだ。

尾崎のつけ打ちは、繊細でいて、品格がある。

小林の口調の速さを一瞬のうちに、見抜いた尾崎のつけ音は、決して前に出しゃばらず、一人歩きせずに寄り添うように、そして、早口言葉を後押ししていた。

これが、簡単に出来るように見えるが、中々難しい。

新米のつけ打ちは、ややもすると、自分のつけ打ちの音を中心にとらえてしまい、肝心の役者の台詞や動き、長唄、三味線、鼓、太鼓、義太夫三味線の音や、ここでは小林の口調を聞くのを忘れてしまう。

小林が一番感心したのは、自分が息継ぎする、ほんの一秒にも満たない「間」で、尾崎のつけ音も「間」を取っていた事だった。

さらにつけを打つ状況を考えて一瞬にして変貌を遂げる。

今は、河原の野外なので、ややもすると音が拡散してしまう。

それを防ぐために、まず地面に五分の厚さの合板ベニヤを置く。その上に厚手のフェルト生地を敷き、その上につけ板を置いていた。

尾崎は決してつけ板ばかりを見ているわけではなかった。

常に小林の早口言葉の速度、言い回しを耳で聞き、目で小林の表情を感じ取り、優しく寄り添う。五感すべてをフル動員しないとつけ打ちは出来ない。

ただ叩けばいいと云うものでは、決してない。

つけ音を聞きながら、早口言葉を云うのは、小林にとって初めてである。

つけ音がこんなにも気持ちよく耳に入り、頭の中を駆け巡り、いい意味でのこころを高揚さす効果を実体験するのは、もちろん初めての経験だった。

口を動かしながら、頭の中は別の事を考えていた。

それは、先程京都家庭裁判所であった「離婚調停」審議の事であった。

元々、離婚を切り出したのは、三年前から高槻市に別居住まいをしている妻の小林智子の方である。

離婚調停の訴えを起こした本人(智子)は、相手(小林耕三)の移住地、京都家庭裁判所での審議となる。

三年前の事だった。

小林と智子は、一人娘の花梨(かりん)と三人で何不自由ない贅沢な暮らしを、岡崎の敷地六百坪の豪邸で暮らしていた。

南座がざっと五百坪だから、その大きさはわかるだろう。

元々小林家は、南座近辺の大地主であった。

東山祇園界隈に、賃貸マンション二十棟、雑居ビル十棟、京都市内一円にコインパーキングを十か所開設していた。

八十年代後半のバブル経済全盛時代に、取引銀行にそそのかされて、全都道府県に一つずつの別荘、さらに東京に五か所(赤坂、新宿、銀座、渋谷、池袋)、京都三か所(岡崎、嵐山、宇治)、大阪五か所(新大阪、梅田、京橋、難波、天王寺)に小林名義のマンション、一戸建て(京都)を購入していた。

幸いだったのは、全て現金で取得していた事だ。

小林の父親は、

「銀行やは信用するな」

「不動産は、現金で購入」

「借金はするな」

を口をすっぱくして云っていた。だから、バブル崩壊後も資産価値が暴落しただけで借金地獄にはならなかった。

小林は、一度も外で働いた事がない。

自己保有の資産は、資産管理会社に任せていた。

大学卒業後は、資産で呑気に暮らしていた。

最近では、全国の別荘は、訪日外国人観光客に割安の値段で貸し出していた。

これが大当たりした。

すぐに小林は、京都市内の朽ちかけた町家を次々に買収した。

まだ世間が、「リノベーション」と云う言葉を云い出す前である。

独自の商才が発揮された。

どんどん資産が増える。自分自身も爆買いを始める。

小林の爆買いは、土地、家、マンションだった。

まだ世の中が不景気で、家もマンションも底値の時だった。

全て現金で買った。

二十年の不動産の底値時代を経て、今は資産価値が急上昇した。

毎月、資産管理会社からの報告で、自分の預貯金(都市銀行、地元の銀行、信金他三百社)が合計五千億円越えた頃から、現金がうっとおしくなった。

これに株券、国債、外国債券、ドル建て預金、ユーロ建て預金、不動産価値を入れると軽く一兆円は越える。

正確な金額は知らない。知ろうとも思わない。

本物の金持ちは、自分が一体いくら持っているか知らないものなのだ。

庶民は、如何に資産を増やすか考えていたが、小林は如何に資産を減らすかに遁走していた時期があった。

競馬G1レースの全くノーマークの馬二頭を馬連で百万円で買った。

しかし、それが当たった。五百倍の配当。

小林は泣きながら、配当金五億円を受け取った。

株にしても、全然値が上がらない、一株五百円の株を一万株買った。

しかし、この会社はスマホで将来使われる、次世代の3D立体映像の素材を自前で開発、特許も取った。

一夜にして、一株五百円が五万円になった。百倍。五百万円が五億円になった。

さすがにこの時は、一晩泣いた。嬉し泣きではなくて、悔し泣きだった。

中国人が爆買いするニュースが流れるが、それは本当の金持ちがする事ではない。

それは、成金、金持ちが通る入り口である。

本物の金持ちは、その後の生活である。

小林は、世界二百か国海外旅行した。一航路一千万円の超豪華高級スイートルームのクルーズ船にも乗った。

しかし、全然資産は減らない。

「じゃあ寄付すればいいだろう」

と世の人々は云うだろう。云われなくてもそれもやった。

東日本大震災の時は、数々の偽名を使い、赤十字など各種の団体へ一千億円の寄付をした。それでも減らない。もうお金を見るのが嫌になった。

その頃、智子に嫌われていたとは知らなかった。

智子の口座には、百億円振り込んだ。

(何が離婚理由なんだ)

そして今日、京都家裁でのお互いの主張でやっとわかった。

お互いの主張は、時間をずらして、それぞれ裁判員立ち合いの元で行う。

智子の主張は、

「あなたは、本当に働いていない」と云うものだった。

これを裁判員から聞かされた時に、すぐに反応出来なかった。

「どういう事ですか」

思わず聞き返していた。

「もっと詳しく云えば、汗水たらして外で働いていないという事です」

豪邸住まいで、妻の口座に百億円を振り込んで、何で離婚を云われるのか、本当にわけがわからない。

確かに智子が云ったように、外へ出てよその会社で働いた事はない。

しかし、それは結婚する前から分かっていた事だ。

小林の毎日の仕事は、資産管理会社からの決済の書類に判子を押す事だけだった。

午前中の三時間はそれをひたすら行う。

あとは、都市銀行の頭取が直参しての「お願い事」を聞く事。

「どうしても、あと五十億円、何とか当銀行へ預金して欲しいんです」

銀行頭取が、ソファから立ち上がると、ばたっと倒れて土下座した。

人間は、たった五十億円で土下座するのかと小林は驚愕した。

小林にとって、五十億円は、庶民の五百円ぐらいの感覚である。

人間、想像をはるかに越える大金を持つと金銭感覚が麻痺するとよく云われる。

実はそうではなくて、その感覚さえ失ってしまうものである。

それが、今の小林だった。

大向こうをする時だけ、小林は自分の、人間の感覚を取り戻していたのだ。



      ( 2 )


関西大向こうの会「都鳥」の活動範囲は、主に京都南座、大阪松竹座での歌舞伎公演での「大向こう」である。

東京や名古屋、博多にも同様の会が存在する。

しかし大きく違うのは、「都鳥」は、単なる歌舞伎好きの大向こうではなくて、財団法人の形を取っている事だ。

京都に本社を置く一部上場企業数社のタニマチを持って資金を増やした。

さらに飛躍させたのが、東京よりも早く、「大向こう検定」を実施させた事だった。

「江戸検定」「京都検定」などの、検定ブームが十年ほど前に、日本中を席巻した。

それらの検定よりも早く「大向こう検定」は始まった。

しかし、最初の数年は、告知不足もあったせいで、受験者数が五十人未満の年が何回か続いていた。

しかし、潮流が代わったのが、鯨蔵のブログだった。

「この検定、待ってました!」

「めちゃ、面白い!」

「やるしかない」

等の鯨蔵の後押しで、その後は爆発的ヒットとなった。

検定ブームは去ったが、今でも毎年の受験者数は、約十三万人である。

全国の大学で、総受験者数のトップを走るのが近畿大学で、その数、約十四万人である。それに近い数字である。

東京では、早稲田、慶応、上智、法政、明治、立教、中央、青学、関西では同志社、関学、近大、関大、立命、龍谷の各大学が受験会場となる。

試験は年に一回、秋に行われる。

これらの「大向こう検定」の礎を築き上げたのが、大向こう歴八四年の今年九四歳の長老、松岡弘である。

小林は、「大向こう検定」一級保持者である。

大向こう検定一級は、合格率1%にも満たない超難関検定ものの一つである。

解答は全て記述式で、最後に論文が十問出題される。

毎年かなりマニアックな問題が出題される。

例えば、

「南座案内チーフの名前をフルネームで書け」(答え 藤森理香)

「南座揚幕の中央の切れ目は、何センチか」(答え 7.8センチ)

「南座破風の中には、何が収められているか、二つ書け」

(答え 照明器具、一文字幕、場内提灯、宙乗り機材の中から二つ)

果たしてこれらの問題が、大向こうとどう関係があるのか、はなはだ疑問なのだが、こんな問題を六十分で三百問解かないといけない。さらに輪をかけて難しいのが論文である。

「歌舞伎における、大向こうが果たす役割を具体的事象を十個あげて、八百字以内にまとめよ」

「明治時代の歌舞伎の襲名興行を全てあげ、その興行が、当時の社会に及ぼした影響について述べよ」

「高麗屋が、東宝歌舞伎に出演していた十年間に上演した歌舞伎を十例あげよ」

難問、奇問、珍問のオンパレードである。

今、小林は、京都二条の最近出来た外資系ホテル「賀茂川ホテル」の外の鴨川べりにせり出した「床」(ゆか)で松岡と話していた。

昨日、松岡が突然電話して来た。

「ちょっとお前はんに、話したい事あるんや」

と云われた。

小林にとって、松岡は自分の父親代わりでもあった。

単なる趣味の会「大向こう」を財団法人にまで昇華させた手腕は、内外に高く評価されている。

「風が心地ええなあ」

松岡は、座ったまま大きく両手を広げて、伸びをしてコーヒーを飲みながらつぶやいた。

鴨川の川面が所々、陽光の日差しの光を受けて、銀色に光り輝いている。

川面から、湿気のない、幾つもの柔軟剤で仕上げられた綿のように軽く、柔らかな爽やかな五月の風が二人のそばを優しく幾度も、身体を包み込んで通り抜けていた。

幾種類かの鳥のさえずりも耳に入る。

「調子はどうや」

「ええまあ、頑張ってます」

「日々鍛錬、練習」

「はい、それはわかってます」

「今度大向こうの会、(都鳥)に新人さんが入って来たんや」

「へえ、そうなんですか」

(都鳥)の会員は、現在三百五十名いる。そのうち女性が二百三十名で、十代、二十代が百二十名である。

昔は、大向こうと云えば、おじさんばかりだったが昨今の歌舞伎ブームになってから、がらりと世代交代していた。

「女性ですか」

「女性や」

「若いんですか」

「わしから見たら、ぴちぴちの若いおなごはんで、それもべっぴんさんやで」

ここまで云うと、松岡は声をたてて大笑いした。

「幾つなんですか」

「三十六歳。お前はんもよう知ってる人や」

小林は、飲みかけたコーヒーを持つ手を空中で止めた。

「誰なんですか」

「まあそのうち、わかる」

「教えて下さいよ」

気になって小林は食い下がった。

「実はここへ呼んでるんや」

「ええっ」

小林が驚くのと、背後から

「お待たせしました」

どこかで聞いた事ある声が耳に入った。

すぐに小林は振り返った。

そこに妻の智子が立っていた。

「智子」

「ご無沙汰しております。でもないか」

智子はぺろっと、舌を出して笑った。

こんな屈託のない笑いを小林は久しく見ていなかった。

「今度、(都鳥)に新人入会した小林智子さんや」

「会長、ちょっと待って下さい」

「何や」

「実はこの人、私の妻です。それに私と妻は現在そのう・・・」

「離婚調停しとるんやろう。知ってるでえ」

「私、前々から大向こうやりたかったんです。よろしくお願い致します」

智子は、頭を小林に向かって下げた。

「それで、新人を研修するんは、お前はんの仕事やろう。智子さんの研修も頼むで」

「ええっ、ちょっと待って下さい」

「いいや待たれへん。わしこれから京都の財界人のパーティー出るから、二人でじっくり話してや。ほな奥さん、わからん事あったら、この小林先生に聞いてや」

と言い残して、松岡は去った。

二人は取り残された。気まずい空気が流れる。

「お前、本気なんか」

「はい、本気で大向こうやりたいんです」

「何で急に大向こうなんや」

「私がいつ大向こうをやろうと、私の勝手でしょう」

「まあ、そらあまあそうやけど」

小林の声は、益々小さくなった。反論する材料が全く頭の中に思い浮かばない。

それに引き換え、余裕の感がある智子だった。

妻の前なのに、異様に緊張していた。

三年の別居生活でこうして顔を突き合わせて喋るのは、今回が初めてである。

「花梨(かりん)は元気か」

花梨は一人娘で小学校六年生である。

「とっても元気。今度花梨にも大向こうの楽しさ教えようかなあ」

半場本気の智子だった。

まだ一緒に生活してた頃、よく三人で南座に顔見世や、歌舞伎ミュージアムを連れていっていた。

つけ打ちの尾崎さんが主宰する、つけ打ちのワークショップにも参加した事がある。

喜んでつけを打つ姿が今でもすぐに蘇った。

「離婚は本気なのか」

「あんなもの、冗談で出せるわけないでしょう」

百億円もの現金をやっても満足しない智子。

「働かないあなたは嫌いです」

と云われても、小林はおおいに困る。

たまたま、親が残した遺産が大きかった。

そして、小林のアイデア、商才でさらに資産が増えた。

「私も働いているで」

「あら、就職したの。おめでとうございます。どこに就職したの」

智子が身を乗り出した。

「そうじゃなくて、資産管理」

「何やあ、前と一緒やん」

智子はゆっくりと腰を戻して、大きくため息をついた。

「花梨がねえ、学校でお父さんのお仕事と題した課題作文を書く羽目になったの」

「で、どうだった」

「それがねえ」


(私のお父さんは、仕事してません。でもお金はあります。一度でいいからお父さんが働く姿を見たいです)


と書いたらしい。

小学六年生に「資産管理」の仕事なんて理解させるのは難しい。無理な話だ。

「だから、あなたが働く事になったら、娘も喜ぶと思っていたのに」

「がっかりしたか」

「はい。大いに私もがっかりしました」

百億円あっても、家族の幸せはない。

改めて生きていく、家族の幸せを築くのは難しいと小林は悟った。


     ( 3 )


関西大向こうの会「都鳥」の会員は、南座、大阪松竹座を始め、全国各地で歌舞伎が行われるホール、会館への出入りは原則無料である。

その例外もある。

地方のホール、会館の自治体や、プロモーターの中には、まだまだ「大向こう」の存在を知らず、入場料を払わずに、ただで入る事を頑なに拒否する事があった。

「木戸銭御免」と書かれたパスケースを見せて、南座なら三階席に向かう。

木戸銭とは、切符、入場料の事である。

最近の若い案内係は、この「木戸銭」の意味が分からない人が増えて来た。

小林は、南座の前で智子と待ち合わせた。

智子にとって、何回も来ている南座だったが、「木戸銭御免」のパスカードを見せて入るのは、この日が初めてである。

小林は、入り口で切符をもぎっている(切符の半券を切り離す)案内係に、

「今度新しく入った大向こうさんです」

と云って、智子を紹介しながら入る。

次に総合案内コーナーに顔を見せる。

番付を買いに来られた客が途切れたのを見計らって近づく。

「智子、こちら案内チーフの藤森理香さん」

「知ってるって、ねえ」

「はい、昔から」

「でも理香さん全然変わらない。二十年経っても変わらないわねえ。ねえ幾つになったの」

「さあ幾つでしょう」

少し首を傾げて見せる理香だった。

「三十歳になったの?」

智子が笑みを含んで聞いた。

「はい、三十歳です」

「一体幾つから働いているんや。よちよち歩きから働いていた事になる」

理香の本当の年齢「四十七歳」を知っていた小林が、冷静な判断の言葉を投げかけた。

「私、計算弱いんです」

智子と理香はお互い顔を見合わせて笑った。

南座は、昭和四年に全面建て替えして、今の姿になった。

平成に入って、三年、二九年の二回にわたって改装された。

理香は最初の改装の時に入って来ている。もう三十年近い歳月が流れた。

客が番付を買いに来た。

「次、行こう」

改めて智子は、理香に会釈してその場を離れた。

「今度はどこ行くの」

「番頭席」

「何それ!おかしい。江戸時代みたい」

呑気に智子は笑った。

「有田屋の切符の世話をしている人なんや」

南座の川端ロビーに「番頭席」と書かれた立札がある。

一人の女性の机の前には、「有田屋」と大きく書かれたネームプレートが白布の前にぶら下がっていた。

「野田悦子さん」

小林の声に、うつむいて書き物をしていた悦子が顔を上げた。

「小林さん、おはようございます」

悦子は、慌てて席を立った。

「こちら、今日から大向こうの会(都鳥)に入られた小林智子さんです」

「小林・・・じゃあ奥様ですか」

「ええ、まあ今のところは。でも近いうちに他人になります。今、離婚調停やってます」

「そんな事まで云わんでもよろしい」

悦子は、智子の告白にどう対処してよいものか、戸惑いの顔を見せた。

「小林智子です。よろしくお願いいたします」

「じゃあ、いよいよ三階席へ」

開演前の番頭席は忙しい。それを知っていた小林だったので、すぐに席を離れた。

それに、あまり長居すると余計な事をさらに智子が喋りそうだった。

おそらく何時間後かには、今回の離婚調停の事と、妻が大向こうの会に入会した事が鯨蔵の耳に入るだろう。

鯨蔵が知る事は、イコール歌舞伎界の皆が知る事を意味していた。

鯨蔵の伝播力は、半端じゃない。悪くいけば、ブログに掲載されてしまう。それが一番怖かった。

「番頭席って云うから、どんなおじいさんが出て来るのかと、身構えていたら、あんな若い女性が出て来てびっくりした」

「昔はほとんど、おじいさんばっかりやったんや」

「そろそろ、番頭席って云うネーミング代えたらどうかなあ」

「じゃあ何て云うの」

「例えばチケットレデイとか」

「それは、ちょっと違うなあ」

真顔で小林は答えた。

「それもそうねえ」

智子は吹き出して笑った。

三階席のロビーにいた大向こうの会のメンバーに紹介した。

松岡会長は、開演前に顔を出した。

「会長、来られたんですね」

女秘書の人と一緒だった。

「今日は、小林智子さんの大向こうのデビューの記念すべき日やからな」

松岡は、智子に握手を求めた。

「智子さん、初日やから分かりやすい所で、声掛けたらええ。そうやろう小林先生」

「はい」

「模範大向こうは、ご主人に任せておきなさい」

「はい、しっかりと見ておきます」

やがて開演五分前のブザーが鳴った。

「あなた、そろそろ始まるわよ」

「そうやなあ」

「そろそろ行きましょう」

と云って智子は、ウロウロしだす。

「おい、どこへ行くんや」

「決まってるでしょう。私たちの席よ。何番なの」

智子の台詞に、居合わせたほかの大向こうや、松岡会長まで失笑した。

「小林はん、まあ気長に教育頼むで」

松岡は出て行った。

「皆さん何が可笑しいんですか」

「あのね智子、大向こうには座る席はないんや」

「えっ、座れないの!」

「そうや」

「そしたらどこにいるの」

「三階席の一番後ろの壁際」

小林は先に場内に入った。

基本的に大向こうは、ずっと立ちっぱなしである。

かなりしんどい。

今では会員の数が増えたので、昼夜でメンバーを交代させている。

さらに一か月ずっと通うのは大変なので、初日から中日までと、中日から千穐楽までとに分けている。

初日と千穐楽は、少し多めの人数である。

皆お揃いの有田屋の紋入りの法被を着ている。小林も智子も上から羽織った。

「最初は、私の横で見ていてくれ」

「私は、大向こう出来ないの」

「出来るて。タイミングは、私が肩を叩くから、それで云う」

「わかった」

「鯨蔵の屋号は、有田屋やで」

「それぐらいわかってるわよ」

少しむっとしたように智子は返事した。

久し振りに見る、智子のふくれっ面だった。

それが少し可愛いと初めて思った。

鯨蔵が花道から出て来る。

三階席なので、揚幕から出て来た瞬間は見えない。

しかし、それがわかる方法が二つある。

一つは、花道の揚幕の開ける音。

「チャリン」でわかる。

もう一つは、照明上手フロント室から投射される、フォローライトのシャッターが係員によって開かれる瞬間である。

一条の光が花道出の役者を浮かび上がらせ、極上の夢世界へと導く。

観客がぎっしり詰まった、光り輝く、歌舞伎の宝石箱の中を覗いた瞬間でもある。

しく照らし出す。

大向こうより先に、一階、二階、三階席にいた一般の観客が、

「チャリン」の「チャ」の部分で、我先にと、

「有田屋!」

「鯨蔵!」

「待ってました!」

競い合って声をかけた。

まだ鯨蔵が、花道に顔を出さないうちからの、一般観客の大向こう合戦である。

花道の七三で立ち止まる。

ここで大向こうの会「都鳥」の会員は、それぞれ声をかけた。

「有田屋!」

小林も声をかけた。

これが、妻の前で初めてかける大向こうだった。

小林の大向こうの声は、他の人の大向こうとは断然違っていた。

他の人の大向こうは、打ち上げ花火のように、直接的で、あっけないほどすぐに消えていくものだった。

一方小林の大向こうは、日頃の河原での鍛錬もあり、伸びやかで面的広がりを持っていた。

さらにその大向こうは、直ちに消えることなく、南座の劇場空間を漂い、浮遊しゆったりと包み込んだ。

それは、美味しいものを口に入れた時の広がりの充足感に類似していた。

今まで智子は、ぼんやりとそんなに深い意味も考えずに歌舞伎を見ていたが、大向こうが歌舞伎に与える影響を肌で感じた。

小林は、智子を見ていた。

智子のこころの中の化学反応を幾つか、感じ取っていた。

幕間(休憩)の時に、小林と智子は一階東側ロビーにいた。

「小林先生、質問があります」

智子が勢いよく手を上げた。

「何でしょうか」

「さっき、花道から出て来た時、すぐに大向こうかけなかったのはどうしてですか」

「結論から云うと、出て来た瞬間は、三階席からは見えないからです」

「そんなもんですか」

「最近の傾向として、さっきみたいにまだ揚げ幕から花道へと、役者が出てないのに、大向こう先行で声掛ける人が増えましたね」

「どうしてなの」

「結局、少しでも他人よりも早く自分が一番先に声かけたい、くだらない競争心がそうさせているのかもしれない」

「本当、それくだらない」

小林の説明を聞いて、智子まで憤慨した。

「もちろん例外はあります。すぐにかける場合もあります」

「そうなんですか」

「じゃあ智子さんに質問です。すぐに声掛ける場合は、何を目安に声をかけますか」

「もちろん、揚幕のあの、チャリンと云う音でしょう」

「うーん半分正解です」

「ええっ、どういう事ですか」

小林は説明した。

役者、狂言(演目)によっては、あの「チャリン」の音を消して出て来る場合がある。その時は、花道の片側にあるフットライトがつくのを見ていればよい。

さらに同時に、照明上手(舞台に向かって右側)フロント室からの、サイドフォローのライトが点灯するのを見ればよいのだ。

もちろん、それらの照明の明かりも全てなし。全くの暗闇で出る場合がある。

怪談ものに、それが見受けられる。

役者は、観客を驚かそうとしての演出なので、その時は、あえて大向こうは、かけない暗黙の了解がある。

しかし、そのルールを知らない素人大向こうが、声をかけて芝居の雰囲気を無茶苦茶にする場合がある。

大向こうは、やはり芝居巧者でないといけないのかもしれない。

「へーえーそうやの、花道出る時に、そんな段取りがあったやなんて、今まで何を見ていたのでしょう。特に照明は、全然気づかなかった」

「でしょう」

少し勝ち誇ったように小林は云った。

「今度花梨も連れて来ようかなあ」

ぽつりと智子はつぶやいた。

「おいおい、まさか(都鳥)に入会させるか」

昨年から小中学生を対象に、「ジュニア大向こう検定」を始めた。

松岡会長の尽力で、文部科学省推薦のお墨付きでスタートしたので、大変な人気である。

「はい、その可能性大いにあります」

智子は笑った。

智子の笑顔を見るなんて何年ぶりだろうと思った。

一緒に生活してる時に、智子の笑顔、花梨の笑い声は当たり前だと思っていた。

しかし、それは当たり前ではなかった。

それを失ってみて、初めて人は、「当たり前」が当たり前でない事に気づき、その大切さを思い知るのだった。


      ( 4 )


数日後、小林と松岡は、鯨蔵の楽屋に呼ばれた。

これを機会に、智子のお披露目を兼ねて、彼女も同行させる事にした。

幕間、番頭席に三人が行くと、女番頭の悦子が待ち構えていた。

「すみません、お忙しいところ」

悦子は、深々と頭を下げた。

「何か我々に不手際がございましたかな」

まず松岡が質問した。

「さあ、私にもわからないんです。ただ、呼んで来いと云われただけです」

実は智子の大向こうが始まっていた。

その声はやはり、女性の声なので、どうしても男と比べると甲高い。

しかし明瞭で、しっかりとした声なので、及第点だと小林は思っていた。

悦子は先頭に立って歩いた。

上手端のドアをテンキーボタンを押して解錠して中に入る。

右側のエレベーターに乗り込み、四階に向かう。

鯨蔵の楽屋の暖簾をかき分けて中に顔だけ入れて、

「大向こうの方、お連れしました」

と悦子は云った。

「ああご苦労さん、さあ中に入って」

鯨蔵の声に促されて中に入った。

一同は口々に、

「お早うございます」

と云いながら中に入った。

鯨蔵は、すぐに智子に目が行った。

「誰、この美人さんは」

「申し遅れました。今度(都鳥)に入った新人さんです」

松岡が紹介した。

「小林智子です。よろしくお願いいたします」

智子は正座して深々とお辞儀した。

「小林って」

「私の妻です」

小林は細く説明した。

「今は妻ですけど、近日他人になります」

さらに智子が掘り下げて説明した。

智子の暴露に、小林は小さく舌打ちした。

「何だかこの頃、離婚沙汰のニュース多いよね。つけ打ちの尾崎とこも、色々もめてるみたいだし」

「よくご存じでんなあ」

松岡が鷹揚に云った。

「歌舞伎界の情報は、全て有田屋に集まる。

ここで鯨蔵は大笑いした。

「それは、私とこも同じですわあ」

今度は、松岡が笑う番だった。

「で、何でしょうか」

「そうそう、実は大向こうの事だけどね」

やっぱり来たか。やはり智子の甲高い大向こうが気に入らないのだろう。

鯨蔵は、小林と松岡の表情を見て、

「いやいや、大向こうって云っても、あなた達(都鳥)じゃないよ」

鯨蔵は、慌てて説明した。

「あのさあ、俺たち有田屋一門では、(ありゃあおじさん)って呼んでるんだけどもね」

「知ってます。あの不明瞭な大向こうをかける人ですね」

今日もあった。

鯨蔵が花道から出るなり、大声で、

「ありゃあ!」

と声をかける。

男の低い、しかもよく通る声である。

ガマガエルのような、辺り一面に響き渡る。

その言葉、響きに客席にじわじわといつもの失笑、笑いが起きる。

今日は、学校団体が、三階席を占めていた。

おそらく、生まれて初めて歌舞伎を見に来た中学生団体。

(ありゃあ!)の声を聞いて、爆笑の笑いの渦が巻き起こる。

引率の先生は、慌てて抑えにかかるが時は遅し。しばらく劇場全体に笑いの神様が降臨した。

ありゃあおじさんも、学生の反応を見たから、もう大向こうは控えたらよいのに、さらに笑いを呼び起こすかのように、何度も、

「ありゃあ!」

と叫ぶ。最初笑いを我慢していた学生も何度目かには、ついに我慢出来ずに、再び笑いの爆弾を劇場に投下した。

中学生の無邪気な笑いに呼応するかのように、一般客も笑い出した。

「おりゃあおじさん、本当まいったよね。俺だって初めて歌舞伎見に行って、(あやあ!)聞いたら、腹抱えて笑うよね」

確かに鯨蔵の云う通りだった。

「でも人間には、表現の自由が保障されているからね。その兼ね合いが難しいんだよね」

すでに鯨蔵のブログには、掲載されていた。

(本日、またもや「ありゃあおじさん」参上!場内爆笑の渦!困りました!)

の一文と共に、鯨蔵の笑顔が載っていた。

アップして一分後には、五万を越えるコメントが、世界中から殺到していた。

(私も聞きました。あれ、何とかならないんですか。芝居ぶち壊しです)

(ありゃあおじさんを逮捕しろ!)

(ええ年こいて、他人の迷惑がわかってない)

(いるんだよね、老人で、自分中心の奴が)

(老人ではなくて、中年男です。この前注意したら、逆切れされた。最低な奴です。一刻も早く死んでほしい)

(大向こうの会の都鳥が介入すべきです)

(賛成!大向こうがあんなものだと、認識されたら、はなはだ迷惑です)

(何で劇場側は、注意をしないのだろうか)

圧倒的多数で、鯨蔵の味方をしていた。

「松岡会長のお知恵で何とか出来ませんか」

「わかりました。でも相手の素性がわからんので、対処方法が出来ないですわあ」

「それに、座ってる場所もわかりません」

「それならわかります」

鯨蔵は、座席番号を書いた紙を差し出した。(一階七列十三番)と書かれていた。

「俺がさあ、花道七三で台詞喋ってる時も、(ありゃあおじさん)しつこく連呼してただろう」

鯨蔵の云う通りだった。

大向こうの連呼なので、案内係もうかつに注意出来なかった。

「それで、喋ってる間に、席番数えていたんだ」

毎日花道から出て来るので、七三の位置が前から何番目か、通路際が何番か自然と頭の中に入っていたのである。

「若旦那、ナイスフォローでした」

松岡が褒めた。

「有難うございます。悦ちゃん、この席番、営業さんに云って当たってくれるかな」

「若旦那、その席番、有田屋の組券です」

悦子の言葉に、一同は互いに顔を見合わせた。

組券とは、歌舞伎役者が受け持つ切符の事である。

小林と智子はすぐに一階客席に降りて、先程見た席番、七列十三番の席の客を凝視した。

昼公演が終わる少し前に、南座の前で待つ事にした。

見落としがないように、小林と智子が正面玄関の左右に立った。

さらに、あらかじめ案内チーフの藤森理香にも見て貰った。

その客が出て来たら、わざと声かけして次回の歌舞伎案内のパンフレットを渡す打ち合わせだった。

すぐにわかった。

やはり立ち止まらせる作戦は、功を奏した。出て来た。

「すみません」

小林は声をかけた。

「何でしょうか」

男は立ち止り、じろっと小林を一瞥(いちべつ)した。

「私、関西大向こうの会(都鳥)の者です」

「ああ、都鳥の方ですか」

男は、急に態度を和らげた。

南座の東隣りに「鼓月(こげつ)」と云う和菓子の店がある。

通りに面して店舗があり、その後ろが喫茶室になっていた。そこから坪庭が見えて、その向こうに蔵を改造した離れがあった。

三人はそこに行った。

戸を開くと松岡が突き当りに座っていた。

「ご足労かけます。私、都鳥の会長をしとります、松岡です」

松岡は、軽く頭を下げた。

「いえ、とんでもない。(都鳥)の会長さんに会えるなんて光栄です」

男は、小林らに挨拶すると、すぐに名刺を渡した。

「星川哲也」

京都市左京区・・・

「失礼ですけど、会社員の方ですか」

「いえ、違います。お店やってます。今度飲みに来て下さい」

星川は、今度は極彩色のカラフルな店用の名刺を配った。

(創作料理「かぶく」)(バー「かぶく」)

京都では最近メキメキと売れて来た店だ。

木屋町、京阪三条、京都駅前、祇園四条に店舗がある。

小林も名刺を渡した。こちらの方は、名前と住所と電話番号だけである。

「お仕事は」

星川に逆に聞かれた。

「テナントビルやってます」

「星川さん、こちらは大金持ちやで」

松岡が簡単に小林の資産を説明した。

その度に、星川は大げさに合いの手を入れて驚いた。

「キャー凄い!凄い!お金持ち大好きです。うちのお店のタニマチになって下さい」

とここまで云うと(ギャハハハハ)と豪快に笑った。

「私、大向こう検定1級持ってます」

勝ち誇ったように、星川は検定1級カードを見せた。

店員が注文を取りに来た。

一同はあんみつセットを頼んだ。あんみつに熱い抹茶がついている。

「ずっと前から(都鳥)に入りたかったんです。でもつてがなくてどうしようかと思ってました」

「一級取得者は、無条件で入会出来ますよ。ホームページにも書いていますよ」

「ところで、私に何の用ですか」

星川は自ら本題を切り出した。

「単刀直入に申し上げまして、星川さんの大向こうが、大変気になりまして」

小林は、星川がどんな反応を見せるか、それを見極めながらわざとゆっくりと言葉を繋いだ。

「やっぱり。皆に云われます。特に今日は学生さんの団体が入ってて爆笑でした」

やはり星川は確信犯だったのだ。

「あの掛け声、何とかなりませんか」

小細工なしに、ストレートに小林は云った。

「嫌です」

星川もストレートに笑いながら云い返した。しかし、目は笑っていなかった。

笑顔で否定する人間ほど、怖いものであると、誰かに聞いた事を思い出した小林だった。

それが眼前に突如現出した。

「もう皆から云われるんです。可笑しいからやめろと。でもあれが私のスタイルです」

「でも大向こうだったら、普通(有田屋)とかけますね。何故(ありゃあ!)なんですか」

「ありゃあ、なんでも可笑しいで」

受けを狙って、松岡は云ったつもりだったが、無視された。

「普通に大向こうしても、おかしくも何ともないでしょう」

「でもそれで、雰囲気が壊れていますよ」

今まで黙っていた智子が、口を開いた。

「あんたに云われんでも、わかってるって」

星川は、きっと智子を睨みつけた。

ここであんみつセットが運ばれて来た。

しばし休戦。幕間。

食べ終わって松岡が、

「一度、三階席から大向こうやってみたらどうや」

「ありゃあでもいいんですか」

笑いながら星川は云った。

「ありゃあは、困るなあ」

「そしたらやめときます」

あっさり星川は即答した。

全く持って、解決点が見出せないままとなった。

ここで小林のスマホがメールを受信した。

差出人は、有田屋の女番頭の野田悦子だった。

件名「ありゃあおじさんの正体!」

本文「お疲れ様です。七列十三番のお客様は、星川哲也様です。昔から有田屋をご贔屓にされているお客様です。

鯨蔵とは面会してませんが、毎回鯨蔵が出演する舞台を南座だけでなく、大阪、東京、名古屋、博多、時には巡業にまで見に来られます。

どうか、お手柔らかにお願いします。      野田悦子より       」


メールを素早く読んだ、小林は今度は星川にこう云った。

「星川さん、都鳥に入会したら、鯨蔵の楽屋にも行けますよ」

「キャー嬉しい!でも一人では緊張します」

星川は、両手を合わせて拝むポーズを取った。

「大丈夫。私も一緒について行きます。ね、行きましょう」

最後に星川は、うなづくのを見た。

翌日小林と星川は三階席にいた。

今日は二人だけだった。これは星川からの要望だった。

「あの女、いけすかない女です」

小林は、智子が自分の妻とは云わなかった。それを云うと、自分にまでこころのシャッターを閉じてしまう気がしたからだ。

「星川さん、女が嫌いなんですか」

「はい、大嫌いです」

ここで星川の爆笑が、炸裂した。

「そうでしたか。まず私の大向こうを見ておいて下さい」

開演する。

鯨蔵が花道から出て来る。

一拍置いて、三階席から、鯨蔵の姿を見てから、

「有田屋!」

の大向こうを披露した。

「凄い!声が響いてます」

星川は、両手で音を立てずに小さく手を叩いた。

開演中なので、さすがに星川は、小林の耳元で囁いた。

「次は星川さんの番です。普通に。一回だけありゃあなしで、お願いします。そしたら、鯨蔵の楽屋に連れて行きますから」

「本当?キャーキャー嬉しい!じゃあ普通にやります」

星川は、嬉々として答えた。

鯨蔵が今度は花道入りで、七三に立った時。

「有田屋!」

初めて三階席からの星川の大向こうだった。

実に透き通る、いい大向こうだと小林は思った。

終演後、小林は星川を連れて、鯨蔵の楽屋を訪問した。

事前に、悦子を通じて(ありゃあおじさん)を連れて行くと、鯨蔵本人に連絡していた。

鯨蔵は、二人を中に引き入れた。

「今度(都鳥)に入会しました星川さんです」

「星川さん、確か有田屋の芝居のご贔屓筋の方ですね」

鯨蔵がじっと星川を見つめた。

星川は、頬を赤く染めてうつむいたままだった。

「はい」

「星川さん、今日来てくれてよかったです」

「えっ」

「昨日は、例の(ありゃあおじさん)がいて、大変でしたから」

鯨蔵は(ありゃあおじさん)を目の前にして、大向こうの(ありゃあ)がどれだけ、自分に精神的負担をかけているか、丁寧に説明した。

「だからよかった」

「はい」

星川の身体は、固まったままだった。

二人は楽屋を出ようとした。

「星川さん、ちょっと待って」

鯨蔵は、そう云って一枚の色紙を渡した。

「これ、俺からのプレゼント。これからも有田屋を御贔屓筋にお願いします」

鯨蔵が深々とお辞儀した。

手渡された色紙の文面を見て星川から、涙がこぼれるのを小林は見た。

星川が、こころの底から改心した瞬間でもあった。


      ( 5 )


「それで、その色紙に何て書いてあったの」

と智子は聞いた。

ここは、出町柳にある京都家庭裁判所の一階のロビー。

本日ここで、(離婚調停)の審判が下される。

本来、夫婦は時間をずらして調停員からそれぞれ最後の聞き取りが行われる。

しかし小林は、智子と一緒に入った。一般ロビーに座っていた。

「審判後に云うよ」

小林は、立ち上がって、先に個別の待合室に行った。

しばらくして、係員が呼びに来て、小部屋に入る。

最後の聞き取りが、行われる。

「最後に何かありますか」

調停員が聞く。

「別にございません」

小林は部屋を出て、別室で待つ。

次に智子が入って行く。

そして審判を迎える。

審判とは、刑事、民事裁判における判決と等しいもので、これは法的有効を持っている。

部屋に智子と同席する。いつもの調停委員の他に裁判長がいた。

「ではこれから小林智子申立人の、被告小林耕三との離婚調停の審判を行います」

調停委員が宣言した。

次に裁判長が、審判文を読み上げた。

「 審判

小林智子申し立ての離婚要求を却下する。

よって本件の離婚調停は、不調とする。

その事由

1小林智子は、夫、小林耕三より百億円もの現金を贈与されている。

2小林耕三は、婚姻関係を継続させるには、困難な重大な過失を犯していない。

3小林智子は、

「小林耕三は、働いていない」と云っているが、自分の資産管理会社の役員を務め、また自己保有の不動産の管理業務を行っている。

よって、小林智子の主張は、認められない」


朗々と裁判長が、却下事由を読み上げる。

それを小林は、どこか自分とは関係ない事柄のように聞いていた。

一方、智子は真っすぐに裁判長に視線を向けて真摯に聞いているようだった。

「なお。この審判書は、法的に有効、存在します」

裁判長は、一礼して去った。

審判書は、各自に手渡された。

「智子さん、どうしても離婚したい時は、離婚訴訟の手続きになります」

「弁護士さんを雇わないといけませんね」

「そうです。智子さん、百億円もの現金をくれるご主人なんて、そう滅多にいるもんじゃありませんよ。私なら、絶対ガッツリ腕掴んで、放しませんよ」

裁判員は、ちらっと小林の方に視線を走らせて、云った。

「そうですかあ、でも」

「もういいやろう」

まだ何か智子は喋りたがっていた。

それを遮る形で、小林が言葉をはさんだ。

京都家庭裁判所を出て、左へ行くと叡電・京阪出町柳駅である。しかし、智子は右に曲がった。

「おい、どこへ行くんや」

「ちょっと、ついて来て」

「ええけど」

二人は、下鴨神社の参道の手前の糺(ただす)の森の中に入る。

平安京造営前からある、原生林が広がる。

さっきまで耳に入っていた車の騒音、バイクの疾走音、警笛、人のざわめき、自転車の呼び鈴などの生活音が、一気に遮断され、閉じられた。

突然両耳に、大きな耳栓を強引にはめられた感じだ。

その代わりに、風音、風で樹木が揺れる音、鳥の羽ばたきと鳴き声、水音、虫の声などの自然界のささやきが心地よく身体に浸透して、まとわりつく。

久しく聞いていない、癒しの自然界の多重音であった。

「ねえ、ねえ教えて」

「何の話や」

「有田屋、鯨蔵さんが、おりゃあおじさんの星川さんに贈った色紙の中身」

「ああ、あれか」

色紙には、俳句が一首詠まれていた。


「大向こう 言霊(ことだま)抱え 春の劇場(こや)  蘭予鯨 」

智子は、反復して詠んだ。

「ええ俳句やろう。亡くなった奥さんは、愛媛松山の出身で、俳句をたしなんでいたんや。その影響で、鯨蔵もこの頃、俳句を詠むようになったんや」

「そうやったの。この最後の(蘭予鯨)って何?」

「それは、鯨蔵の俳名なんや」

「どんな意味があるの」

「蘭は、楽屋見舞に多く来る、ランの花から。予は、奥さんの出身の伊予の松山から。鯨は鯨蔵の一文字から」

「へーえー、知らなかった」

「星川さんもさすがに、この文面読んで、顔から火が出るほど真っ赤になって、涙流して反省したんやなあ」

「鯨蔵もスマホで、ブログ更新してるばかりやなかったんや」

「そうや。歌舞伎役者て、元々昔は皆、俳句を詠んでたんやで」

「知らんかった」

「東の成駒屋の中村芝翫の芝翫も、西の成駒屋の元辞桜(がんじろう)も元々は、俳名から来てるんや」

智子は、下鴨神社の鳥居の手前の河合神社に入った。

ここの神社の絵馬は、手鏡の形をしている。

(女性の美)を求めて、全国から女性が詰めかける。

境内は女性ばかりで、男は小林だけだった。

「何をするんや」

「もちろん、美しさを求めて絵馬を奉納するんよ」

「充分きれいや」

「また全然思ってもいないくせに」

自分で絵馬の顔に、色づけして奉納する。

小林は、奉納された絵馬を見た。

中には、様々な色鉛筆、色マジックを使い塗っていた。中には、本物の化粧道具、口紅で、髪型、頬の色、口唇、目、まつ毛など詳しく描いた、それだけで一枚のアート作品ともとれる、美術顔の絵馬があった。

作者の美への意気込みが伝わってきそうなものだった。

次に、鳥居の手前にある、縁結びの神様にお参りした。

「もう縁結びは、ええやろう」

「よくない。出直すのよ、私達。これから、きちんとしなきゃあ」

「誰と縁結びしたいんや」

「もちろん、あなたに決まってるでしょう」

「変な話や。離婚調停の審判で離婚は却下されたから、夫婦のままやろう」

「そうやけども、私のこころの中は、これから再スタートなんよ。もう一度スタートラインに立つんよ」

「スタートラインかあ」

今まで、どれだけの幾つもの種類のスタートラインに立った事だろうかと小林は、智子の言葉に反応して思いを巡らせていた。

そもそもの始まりは、この世の誕生である。それから、入学、卒業、事業の拡張に伴う様々な始まり、智子との出会い、結婚、子供の誕生。

いつもスタートラインは、希望と不安の相反する二つの気持ちを抱えてのものだった。

しかし、今回だけ希望のみ持てるものだった。

「まあ、好きにせいや」

これ以上、もめたくなかったので、智子のいいなりになった。

次に二人が訪れたのは、下鴨神社の鳥居の左側にある「相生社(あいおいのやしろ)」。

ここは、縁結びの社として有名である。

社の隣りには、二本の木が途中から一本になっている「連理の賢木」がある。

智子は絵馬に願い事を書く。

「あなたも、ぼおっと見てないで書きなさい」

「俺もやるのか」

見渡すと良縁を求めて、若い女性が詰めかけているが、男性の姿はない。

そりゃあそうだ。良縁を求めてやって来るのだから、基本一人かグループである。

願い事を書くと、次に他の人に見られないように、シールを貼る。

女性は願掛けしながら絵馬を持って、時計回りとは反対方向に、男性は時計回りに社を二周する。

途中で小林は、智子とすれ違う。

智子の表情は、真剣だった。それが終わると、

「あと一つあるの」

「まだあるのか」

「そんな嫌そうな顔しないの」

今度は、今来た道を引き返した。

途中で智子は、参道から外れて糺の森の原生林の中に入って行く。

樹木から吐き出す新鮮な空気のせいか、いっぺんに自分の周りの空気が代わる。

俗に云う「森林浴」と云うやつだ。

新鮮な空気を身体の中に取り込むと、人間の五感は、次々と眠りから目を覚まし、身体中のあらゆる細胞を活性化させた。

まさに生き返った感じだ。

平安京が造営されるはるか、太古の昔から流れるならの小川のせせらぎがあった。

智子は、しゃがんで、両手を川の中につけた。浅瀬である。

「冷たーい。でも気持ちいい。あなたもやってみたら」

「うん」

小林も同じようにしゃがんで、手で川の水をすくう。

子供の頃、よくやった行為だ。

大人になると、皆やらなくなる。冷たさが手から身体中を駈け抜けた。

「私ねえ、誤解してたみたい、あなたの事を」

「どんな風に」

一体智子が何を云いたいのか皆目見当がつかなかった。

「前にも云ったよねえ、あなたは働いてないって」

「うん」

それは今回の離婚調停の智子の最大の理由だった。

「立派に働いているじゃん。何でもっと早く私や花梨に見せなかったの」

「一体何を云いたいのかなあ」

「大向こうよ。あなたの大向こう、素敵だった」

「大向こうは趣味や。仕事と違うで」

「でも、お金が発生してるでしょう」

厳密にいえば、智子の云う通りだった。その証拠に、松岡会長との共著「大向こう検定」公式本は、現在、一千万部を売り上げる大ヒットとなっている。

さらに毎年、大向こう検定試験の問題、答えと解説を書いた本も。着実に五百万部を越えるヒットになっている。

その印税が入って来る。さらに講演会、ワークショップなどで収入がある。

しかし、莫大なテナント料からしたら、小林にとっては、それはお遊び程度の金額にしか思えなかった。

智子は立ち上がり、歩き出した。

「長年歌舞伎を見てたけど、改めて歌舞伎って総合芸術なんだと思った」

「それは正論やな。つけ打ちの尾崎さんがいてる。浄瑠璃義太夫三味線の矢澤竹也さんがいてる」

「そして大向こうの小林耕三がいます」

智子が高らかに宣言した。

「いや、ちょっと待ってくれ。そんな尾崎さんや矢澤竹也さんみたいな、大御所と肩を並べるやなんて、厚かましい。

とんでもない話や。あの二人みたいに、卓抜した技芸を持ってないし。そんな大それた事、云わんといてくれよ。

二人の耳に入ったら、怒られるわあ。一緒にせんといてくれって」

「ううん、あなた凄い、立派よ。もっと自分の事、過大評価してもいいんだから」

「たかが大向こう、されど大向こうですか」

小林は、ふっと小さく笑った。

妻の智子に、こんなに正面きって褒められたなんて初めての事だ。

「ねえ、ここで今度は私に対しての大向こうやってよ」

「ここでか」

小林は、キョロキョロと辺りを伺った。

原生林の中なので、そばに人はいない。

「屋号はどうする」

「そうねえ、幸希屋にするわあ」

「幸希屋?」

「幸せの幸に、希望の希」

「わかった」

「あと、応援台詞も入れてね」

「わかった。けど切っ掛けくれよ」

「じゃあこうしましょう。私向こうから走って来るから、立ち止まったら大向こうかけてよ」

「わかった」

「行くわよ」

智子が走り出す。

結婚以来、初めて全力疾走の妻を見た。

大体、配偶者の全力疾走を見た夫婦なんて、アスリート以外そういるものではない。と思う。

走る人間の姿は、全ての煩悩がその瞬間、取り払われている「素」の姿を出す。

いわゆる動物の姿。だから怖い。そして美しい。

小林の手前で止まった。

「幸希屋!」

智子が歌舞伎役者を真似て、ぎょろっと目をむき、小林を睨んで見得を切った。

「幸希屋!俺たちの夫婦愛は永遠に続くぞ!」

小林は、めいいっぱいの声で大向こうをやった。

千二百年以上の歳月を持つ糺の森に、初めて大向こうが奉納された瞬間でもあった。相生の社、河合神社、下鴨神社の神様もきっと驚かれた事だろう。

「あなた!」

智子が、小林めがけて飛び込んで来た。

小林は、がっしりと智子を受け止めた。


         ( 終わり )




















         















































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