第7話三条大橋(切符売り場・テケツ)
主題歌 小柳ルミ子 「 京のにわか雨 」
( 1 )
十月も下旬ともなると、朝晩めっきり冷え込むようになった。
今、京都は一年中で一番観光客が多い時である。
春の季節も観光客が多いが、桜のシーズンは一週間ぐらいなので、やはり秋の紅葉シーズンの方が長いから、多く感じられる。
南座切符売り場の主任、沢田華子は、ぼんやりと窓口から前の四条通りの歩道を歩く人々を眺めていた。
切符売り場は、昔は「テケツ」と呼ばれていた。「切符売り場」では言葉が長い。そこで短い云い方として、「テケツ」と呼ぶ。
今でも年配の人は、
「テケツどこですか」
と云う。
この語源は、外国人が、チケットを発音するのに、日本人には、「テケツ」と聞こえて以来そう呼んでいる。と華子は、入社当時、先輩から聞いた。
もう四十年近く前の話だ。
まだ京阪電車が七条から三条まで鴨川べりの地上を走り、四条通を市電が走っていた頃だ。
この頃、華子はぼんやりとする事が多くなった。
視線は前の四条通りを見ていても、頭の中は、過ぎ去った自分の事を思い出していた。今年五八歳で、あと二年で定年を迎える。
結婚はしなかった。決して器量は悪くない。若い時は、彫りの深い顔立ちで、そなりに持てた時もあった。
見合い話も三十代、四十代それなりにあった。しかし五十歳の年を迎えた途端ぴたりとなくなった。
それは同僚との会話もそうだった。五十歳になると、誰も、
「結婚しないんですか」とか、
「結婚相手はいるんですか」とか、
「結婚は恋愛がいいですか、見合いがいいですか」
とかの会話を華子の前で皆しなくなり、誰もその話について、振ってくれなくなる。自分も若かりし頃の同僚は、皆結婚でやめて行った。
何人の結婚式に出た事だろうか。二十人は下らない。
もう華子の年代になると、「結婚」とか、浮かれた話題はなくなり、自分の病気の話や、親の介護、子供がいれば孫の話になる。
さらに最近は、結婚式よりも、葬式に出る回数が増える。
同級生の死に始まり、友達の両親の死、親戚の死と増えている。
けらけらと何の不安もなく無邪気に笑っていられるのは、三十歳ぐらいまでである。
さすがにこの年になると、腹を抱えて笑う事もなくなった。
「沢田さん、何を考え事してるんですか」
背後から、切符売り場の同僚の元村恵美が声をかけて来た。
「えらい、観光客増えたなあと思うて」
すぎにはっとして我に返って、咄嗟に目の前のバスを待つ観光客の事を口に出した。
「ほんまにぐんと増えたよねえ。コーヒータイムにしましょう」
「そうねえ」
南座の切符売り場の窓口は、丁度バス乗り場の前にある。さらに、最寄り駅は、京阪電車「祇園四条」駅で、ここから東山有数の観光地へ皆向かう。
だから道案内はしょっちゅうである。
「清水寺は、歩いて何分ぐらいですか」
「八坂神社は」
「建仁寺は」
「知恩院さんは」
「青蓮院門跡は」
「高台寺は」
「圓徳院は」
「長楽寺は」
「祇園閣(銅閣)は」
「霊山観音は」
社寺ばかりではない。
「漢字ミュージアムは」
「長楽館はどこですか」
「ここから国立博物館へはどの電車乗ればいいんですか」
四月の都をどりが、一か月開催されると、祇園甲部歌舞練場の場所を圧倒的に聞く客が多い。中には、南座を歌舞練場と間違えて切符を購入する客までが出る始末。
さらには、都をどりの時間まで聞いてくる。
「わかりません」と云うと、不平不満顔で、グチグチ小言、文句まで云われる。
「それぐらい、わかっとけや」
と捨て台詞を吐いて、去って行く輩も数多い。
高島屋百貨店へ行って、大丸百貨店の売り場構成まで聞くようなもんである。
近頃は、欧米、中国、韓国からの観光客の問い合わせが多い。
「ドルを円に換えたい」
「今、一ドル何円か」
「郵便局はどこですか」
「美味しい日本料理店教えて下さい」
「美味しいラーメン店教えて下さい」
「美味しい寿司の店は」
もはや、南座切符売り場の本来の仕事を完全に逸脱していた。
インターネット、スマホの普及で、昔に比べると随分問い合わせ、聞きに来る観光客は減少したが、それでも場所柄多い。
これが今日のように、休館で比較的南座の客の訪問が少ない時は、こちらも落ち着いて対応が出来るが、昼夜の入れ替えの忙しい時に来られると、むかっとなる事もある。
「ほんまに京都市の観光協会から、なんぼか手数料貰いたいわあ」
と恵美が云った。
恵美は結婚して子供がいる。旦那がプータロウで働かない。離婚したいのだが、応じてくれないのだと云う。家庭裁判所への離婚調停も不調に終わり、あとは、離婚訴訟の裁判があるが、手付金50万円の弁護士費用がかかるからやめた。
それに、子供には片親させたくない。恵美は母子家庭で育った。
二人がコーヒーを飲んでいると、一人の観光客が近づいた。
「すみません、高台寺の紅葉はどれぐらい色づき始めましたか」
「はあ、色づきですか」
華子と恵美は顔を見合わせた。
春の桜の開花シーズンの時は、よく有名な円山公園の枝垂桜や、白川疎水の桜の開花について聞かれたものだ。
「さあ、ここではわからないので、直接高台寺さんに聞いて下さい」
観光客は、それを聞くと黙って立ち去った。
「秋の紅葉は聞かれたん初めてやな」
この頃は、スマホで幾らでも簡単に自分で調べる事が出来る。
しかし、それを使いこなせない年寄りが聞いて来るのだ。
「北野天満宮行きは、何番乗ったらいいですか」
「そこのバス停の案内板見て下さい」
主な観光地へ行くバスの番号が書かれた一覧表がある。年寄りは、それを見るのが邪魔くさいのである。すぐに人に聞く。
相手の仕事を中断させて申し訳ないなんて、これぽっちも考えていない。
こちらが親切に教えてあげても、何も云わず、すっといなくなる。
「おいおい、有難うの一言ぐらいいいなさい」
華子も恵美もそう思う。
今日は南座は、休館なので、二人で行う。切符売り場は四人体制で行っている。
公休は、毎月一人九回は取るので、実質三人で取る。休館中は、二人休みの時がある。
公演が始まると、途端に忙しくなる。
当日券、前売り券の販売に加えて、当日引き取りで、何らかのアクシデントで遅れる場合は、電話で知らせて貰うと、開演しても取っておく。
厄介なのは、連絡せずに平気で遅れる客だ。
すでに開演時間が過ぎたので、当日キャンセル扱いにして、一般窓口販売に切り替える。早々と売れる。
そんな時に限って、電話予約した客が現れる。しかも二時間も遅刻しておいてだ。
「何故ないんだ」
もちろん、このシステムを電話予約した時に、オペレーターは伝えている。しかし、
「そんな事は聞いてない」
と客は駄々こねて、突っ張る。
挙句の果てには、
「責任者出せ」と逆切れする。
客は非を認めず、ひたすらゴリ押しする。
最終的には、それ用に劇場側は、別の確保してる席を持っているので用意する。
開演してから、窓口に戻って来て、
「隣りの客のおかきを食べる音がうるさいから、席を代えてくれ」とか、
「三階席買ったけど、あんな急斜面登るの怖い」
とか云って、変更を求めるのは、日常茶飯事で、しょっちゅうである。
まだ空席があれば、それなりに対応が出来るが、顔見世のように、百パーセント完売であれば、どうしようもない。
切符にまつわるクレーム、とんちんかんな客の物語はまだまだある。
観劇日を一週間間違えて来る客。
昼夜間違えてやって来る客。
劇場間違えてやって来る客。
「そんな奴いないだろう」
と突っ込みを入れられるかもしれないが、これが結構あるのだ。
一番多いのが、大阪松竹座と間違えるケース。
一月大阪松竹座で歌舞伎公演、南座で前進座公演を開催のケース。
客は、大阪松竹座の切符を持って入場しようとする。間違いを指摘すると、
「歌舞伎云うたら、南座に決まってるやろう」
と捨て台詞を吐かれた事もある。
祇園甲部歌舞練場での「都をどり」、宮川町歌舞練場での「京おどり」開催中は、要注意である。それらの切符を持って入ろうとする。
たまに京阪電車の切符を、間違って買いに来られたお年寄りもいる。
今でこそ、京阪電車七条から、出町柳まで地下線となっているが、昭和62年までは、鴨川沿いの土手を走っていた。
恵美が売り場の前に座り、華子が奥でコーヒーを飲んでいる時だった。
「華子さん、来ました、来ました」
「誰?」
「濡れ髪です」
「濡れ髪」とは、歌舞伎狂言「二つ蝶々曲輪日記」の芝居の中で、出て来る相撲取り濡れ髪長五郎から来ている。
最も、華子らがつけた濡れ髪は、れっきとした女性である。
年は、華子と同じ五十代後半か。
濡れ髪は、年に一度南座にやって来る。それは顔見世の時である。いつも前売り券を南座窓口で買い求める。
「電話でも予約出来ますよ」
親切心で云っても、
「私、電話嫌いやねん」
濡れ髪は、売り場のパソコンの画面を見つめる。
まだパソコンもネットもない時は、大きな「ていた」と云われる、手書きの売れ具合状況を書いた紙で出来た表を見せていた。
紙の時は、ステージ数だけの「ていた」が用意されていた。
例えば、十二月の顔見世は、十一月三十日初日、十二月二六日千秋楽、一日二回公演の合計五四ステージである。五四枚もの大きなていたが窓口に用意されていた。
縦四十センチ、横六十センチのていたである。かさばるし、代える時が大変である。
そのていたの表に、売れた席、招待券の席、各プレイガイドの席などを、赤、青の鉛筆で一々、記していた。
招待券の事を、「サンカク」と云うのは、鉛筆で、△(サンカク)の印を書いていたからである。
何故「サンカク」かと云うと、売れた席「○(マル)」と区別するためである。
今では、何日の昼、夜、何等席と云えば、瞬時に画面が切り替わる。空席とすでに売り切れたところの色分けもされている。
もちろん、自分のスマホ、パソコンで見て二四時間、いつでもネット予約出来る。本当に便利になった。
毎年、三階席の三等か四等席で、二枚買う。
濡れ髪がじっとパソコンの画面を見てるとき、華子はじっと濡れ髪の髪を見ていた。
電話予約でもしていれば、名前だけでもわかるが、売り場で直接買うので、名前もわからない。だから華子らは、「濡れ髪」としてお互いの認識を共有していた。
「何で、いつもあんなに髪が濡れているのか」
幾度となくこの命題で、売り場は盛り上がる。でも答えは見つからなかった。
よっぽど、華子は聞いてみようかと思った程だ。
しかし、それは失礼に当たるだろう。
ほぼ毎日である。時間はほぼ、午後二時から四時の間。
乗るバスはまちまち。一人で乗る。連れはいない。土日祝日関係なし。
「スポーツジムに通っている」
しかし、この近くにない事が判明。
「毎日サウナに入っている」
確かに一件ある。でも何のために。
「毎日美容院に通っている」
確かに何件かある。でもこれも何のために。
「家で風呂、又はシャワーに入って出かける」
一理あるが、普通髪を乾かすだろう。毎日は解せない。
昔、この話題で持ち上がり、皆でお金を出し合って探偵を雇って究明しようとした事がある。しかし、多額のお金がいるので、この話は流れた。
民放の「探偵ナイトスクープ」に幾度となく申し込んだが、今のところ、採用されていない。
冷静に考えれば、どうでもよい、他人の事である。
でも濡れ髪が気になるのは、やはり女性のせいか。
老いも若きも女性は、「髪の毛」「濡れ髪」が気になるものである。
髪は女性の命と云うほどだから。
( 2 )
京都の中心部を流れる鴨川。
都心でこれだけ澄みきった大きな川が流れるのは京都ぐらいである。
鴨川は、京の暮らしの人に密接に昔から、関わって来た。
鴨川の川べりに軒を連ねる、五花街(ごかがい)の一つ、先斗町(ぽんとちょう)。
五月になると、各々の店に納涼床(ゆか)が出る。
七月の祇園祭の行事の一つに「神輿洗い」がある。
神輿に鴨川の水をかけて、清めるのである。
鴨川べりの遊歩道には、等間隔でカップルが並んで座る。
「鴨川カップル等間隔の法則」がある。
昔、京大生が卒論に、本当に等間隔で座っているか、実測した学生がいた。
その学生は、後年建築学の権威者となり今度は建物の寸法を正確に実測している。
鴨川は、京都人にとっては、なくてはならない存在である。
鴨川と対でよく云われるのが、鴨川に架かる橋である。
一番有名なのが、南座前の四条大橋、次いで三条大橋である。
昔、京都市が三条大橋と四条大橋との間に、新しい橋を架けようとした計画があった。
利便性を考えると、あった方が便利である。
しかし、先斗町商店会が反対して、この計画は頓挫した。
京都人は、利便性よりも景観を優先させた。
確かに四条大橋から、三条大橋を眺めた時の景観は素晴らしい。
途中に橋があれば、ぶち壊しである。
三条大橋から見ても同じ思いだ。
三条大橋は、東海道五十三次の起点でもある。
ここの橋は、幕府直轄の橋で、江戸幕府が、作って管理していた。
一方四条大橋は、町衆がお金を出し合って作った民間の橋である。
その証拠に、三条大橋には、玉ねぎの親玉のような欄干の上に擬宝珠があるが、四条大橋にはない。
現代では、どちらも遜色ない作りになっているが、江戸時代はかなりの差があり、三条大橋は、豊臣秀吉が作ったと云われる、しっかりとした石造りである。
欄干の擬宝珠は片側に三つ、両側合わせて六つある。その南側の真ん中は幾筋かの傷がある。
「これはなあ、新選組がつけた刀傷や」
京都人の間では、百五十年余りに渡って都市伝説として語り継がれて来た。
華子は今、三条大橋の南側を西から東に向かって歩いていた。
休日の日である。華子らは、切符売り場の四人で休みを決めていく。
月に八回又は九回である。だから平日が休みになる場合がある。
前もって希望公休を出せば、土日祝日でも休める。
でも休みがかち合ったら、じゃんけん、もしくは重要度で決まる。
華子は若い時は、あれこれとお誘い、男性とのデート等でいっぱい希望公休があったが、今は全くない。悲しいほどない。
小さい頃、両親とよくこの三条大橋を歩いた。
華子は、必ず真ん中に立ち止まって、両親にせがんで欄干から鴨川を覗いていた。
「絶対見させてや」
が決まり文句だったらしい。
よく両親から大きくなってから、
「一体何を見たかったんや」
と聞かれた。
何でそれほどまでに、しつこく鴨川を欄干越しに見たかったのか、今となっては、自分でもわからない。
丁度三条大橋を渡り始めた時だった。真ん中で老婆が叫んでいる。
「新選組が殺しに来る!」
その声に思わず華子は立ち止った。
平日の昼下がり。観光客も大勢通り過ぎていた。大半が無視していた。
華子も迷った。
どうしようかと。
「見て見て、ここに刀傷あるやろう」
華子と老婆が目が合った。
「ありますねえ」
華子は返事してしまった。
「そうやろう、しやから殺される」
老婆は、しゃがみこんで泣き出した。
「大丈夫ですよ」
「もうすぐ、うちを殺しに来るんやあ」
「どうして、あなたを殺しに来るんですか」
「そんなもん決まってるんや」
今度は老婆は、幼子が駄々をこねるように、手足をバタバタ地面に叩きつけて揺さぶる。
大勢の通行人が、怪訝な表情で老婆と、華子を交互に見比べながら通り過ぎて行く。
困ったなあと思った時だった。
二人の警察官がやって来た。
「どうかしましたか」
華子は手短に説明した。
「わかりました」
警察官は、華子の住所と電話番号を控えた。
「あとは、私達がやります」
「有難うございます」
少し後も、様子を見ていた。
老婆は全く会話が成り立たなくて、警察官も困っていた。
翌日華子は、昨日の出来事を同僚に話した。
「物騒な世の中やし、あまり関わり合いになったらあかんええ」
と売り場の最古参の久保照江が云った。
照江は、今年定年を迎えたが、そのまま延長で残っている。
定年後は、給与は四十%ダウンする。
「最近、変な人増えましたもんね」
恵美も同調した。
十一月公演が始まる。
その初日の開場してる最中だった。
業務の吉川卓夫が、一人の客を連れて切符売り場の窓口に顔を出した。
「華ちゃん、ちょっといいですか」
「はいどうぞ」
「実はこのお客さん、今南座の玄関に来られたんですけど、切符がねえ南座じゃなくて大阪松竹座で、しかも日にちが違うんです」
「はい」
「しかし、お客さんが云うのには、ここで発券したと云うんですよ」
「切符見せて貰えますか」
吉川の後ろに隠れるようにしていた客が姿を見せた。
「あっ」
華子は小さい声を上げた。
昨日、三条大橋で泣きわめいていた老婆だったからだ。
しかし老婆は、華子の顔を見ても何の反応も見せなかった。
「私はここで、この人に切符貰いました」
「ちょっと待って下さい」
華子は、右手を前に出して、言葉を止めた。
「そんなん見てないよ、出鱈目云うて」
横から照江が、ぼそっとつぶやいて加勢した。
パソコンで、劇場名、切符の日にち、座席番号を打ち込む。
予約したものであれば、購入者の名前が出る。
検索した結果、電話予約したもので、予約者は、川上鉄太郎となっていた。
「お客さん、今調べました。やはり電話予約されたものです。川上鉄太郎さんて人です」
「うちの亭主じゃ」
「その人が電話予約しました」
「何で私が持ってるんじゃ」
段々怪しくなって来た。
その時だった。背後から、
「お前何しとんじゃあ!こらあ!」
と叫ぶ男の声。
「お前、やっぱりここにおったか」
「あなたは」
吉川が少し遠慮気味に尋ねた。
「川上鉄太郎です。こいつの夫です。こいつは川上光子」
「そりゃあどうも」
「また皆さんに迷惑かけてるんか。今度そんな事したら、おり入れるぞ!」
「おり怖い、怖い」
昨日の三条大橋での鳴き声を思い出した。まったく同じ泣き声だった。
「皆さん、許してやって下さい。こいつ、まだらボケが入っておるんです。今朝もいきなりちょっと目を離したすきに、勝手にわしが予約した切符を持って出て行きよったんですよ」
「でも切符が大阪松竹座やのに、南座におるて、ようわかりましたね」
華子は、声をかけた。
「こいつと南座は、小さい頃からの付き合いやから。多分、こいつの頭の中は、切符イコール南座なんですよ」
「そうだったんですか」
「許してやってねえ。おいこら、皆に謝らんかいな」
「ごめんなさい」
光子は、鉄太郎の背後に隠れて、顔も出さず声だけ出した。
二人は歩き出す。
鉄太郎は何度も振り返り頭をぺこぺこ下げていた。一方の光子は、一度も振り返りもせずに、しっかりと鉄太郎の腕にしがみついていた。
「光子さん、ほんまに檻の中に入れられてしまうんかなあ」
華子はぽつんとつぶやいた。
昨日の三条大橋での出来事の当事者だった事を皆に話した。
「縁があると云うか」
「奇遇やねえ」
話しているところに、いつもの濡れ髪が姿を見せた。
いつもと違うところは、現れる時間帯と携帯電話をしている事だった。
表情が険しい。
「相変わらず、髪濡れてるなあ」
売り場で三人がバス停にいる濡れ髪を凝視していた。
「はい、わかりました」
と云って濡れ髪は電話を切った。
( 3 )
休みの日、華子は父、茂次郎と昼間食事をして三条大橋を渡ろうとしていた。
父は車椅子だった。
三条大橋の真ん中で、華子は車椅子を押すのをやめた。
「どうしたんや。押すの疲れたんか」
茂次郎は振り返り、華子の方を見た。
「ううん、そうやないんよ。なあお父ちゃん、あの欄干の擬宝珠の刀傷、ほんまに新選組がつけた刀傷なんか」
「急にどないしたんや」
「この前、ここで知らん人が、あの刀傷見て、新選組に殺されるて叫んでたのを見たから」
「そうやなあ。わしの小さい頃からそない云われておる」
「それほんまに証拠てあるの。それを見てた人の日記とか、目撃談とかの書物あるんか」
「そこまでは知らん。京都は古い町やからな。(昔からそない云うてる)の一言で済ませているんや」
「考えようによっては、その言葉便利やなあ」
三条大橋を渡り、東へ向かう。
信号を渡った所に、高山彦九郎の銅像がある。
銅像はたっていない。座っている。
頭を下げて土下座している感じだ。
華子も学生時代、友達と待ち合わせする時に、
「三条の土下座前で待ってる」
とよく云ったものである。
本当は、高山彦九郎は御所に向かって拝礼をしているのである。
「高山彦九郎か。この銅像は二代目やで」
茂次郎は云った。
「初代はどないしたん。壊されたんか」
「戦時中、金属回収礼が発令されて、放出されたんや。大阪の通天閣も、鉄くずとなって壊された。今のは二代目や。あの時代、全国あちこちのお寺の鐘も仰山供出されたんや」
「へーえーそんな時代があったんや」
二人はそこでぎょっとした。
全身銀色の男が、同じポーズで土下座しているのである。
近頃、京都ではあちこちで、街頭パフォーマンスが流行っている。
全然動かない。
土下座している台は、お手製だろう。段ボールで作ったようだ。それも銀色だ。
「何してるんや、この人は」
「パフォーマンスやで」
「何、パワーストーンて」
「パワーストーンと違う、パフォーマンス」
「パオーマンモスか」
「誰がマンモスやねん」
茂次郎と華子との会話のやり取りを聞いていた、銀色パフォーマーがにやっと笑った。
「あっ笑った」
「あっ動いた」
「アウト!」
見物衆からすぐに突っ込みが入った。
銀色パフォーマーは体制を整えると、再び土下座した。
本当の土下座なら、頭も下を向いたままなので、楽だが、これは顔だけ御所の方角を向かないといけない。
「この人も大変やなあ」
「ほんまやなあ」
「華子、ちょっと恵んであげなさい」
「如何ほど」
「五百円ほど」
華子がパフォーマーの前にある投げ銭入れの箱に五百円玉を入れた。
投げ銭入れの箱の横には、幅四センチ、長さ七センチ弱の小さなお守りが置いてあった。黄色の布に「祈念神石」と書かれ、さらにその上に「車折神社」の角印が押されていた。
華子が五百円玉を入れた瞬間、
「はははあー」
と唸り、何度も華子らに向かって拝礼を繰り返した。
「偉いなあ兄ちゃん、ちゃんと芝居してはる」
「ほんまやなあ」
見物衆から拍手が起きた。
華子の五百円玉が呼び水となり、他の見物衆も幾らかの投げ銭をするようになった。
日本人の特性で、最初に何かするのは、気が引けて恥ずかしい。
しかし誰かが率先して何かやり始めると、すぐに後に続く習性がある。
「賑やかになって来た」
「帰ろか」
二人は家路についた。
( 4 )
今年も南座顔見世が始まった。
十一月三十日初日、十二月二六日千穐楽。二七日間の長い公演である。
通常一日初日、二五日千穐楽なのだが、何故十一月三十日初日になったのか。
「何で何ですか」
恵美が聞いた。
「私もよく知らないけど、江戸時代、十一月が契約の始まりで、その当時は劇場ごとに、役者は契約を結んでいたの。十一月に、そのお披露目興行を行ったの。その名残りと云う話。旧暦の十一月の話」
華子はかいつまんで話した。
「よく知ってるやないですか」
南座は正月が二度やって来る。
一度目はこの顔見世の初日。事務所の男性は、黒の礼服に白のネクタイを締める。
顔見世の番付、チラシ、ポスターには、冒頭に、
「當る○○歳」と書かれている。○○には、来年の干支が入る。
二回目は通常の一月公演の初日。十二月に歌舞伎興行をやったので、一月はそれ以外の出し物を行う。昨今は前進座公演が多い。
東京歌舞伎座は、一年中歌舞伎を上演しているが、南座は多くて年に三回くらいしか歌舞伎を上演していない。
濡れ髪がやって来たこの日の出来事を華子は、将来決して忘れないだろう。
前回、窓口の切符の画面をじっと見つめた挙句、結局買わなかった。
華子は、窓口にいる時だった。
平日の昼間で、僅かに当日券が発生した。
いきなり濡れ髪が窓口に現れた。
「当日券下さい」
「昼の部ですね」
「はい。一等席二枚下さい」
おやっと華子は思った。
いつもなら、大体三階席なのに今年は一等席なんだ。
「一等席なら、今ここが空いています」
前から十番目の通路際の良い席だ。
じっと画面を見つめる濡れ髪。
じっと濡れ髪の髪を見つめる華子。
今日も髪は濡れていた。てかてかに光っている。今お風呂でシャワー浴びて来ましたと云う感じである。
しかし、シャンプー、石鹸の匂いはしてなかった。
一体誰と見るのであろうか。濡れ髪は、華子が勧めた席を購入して正面玄関前へ立った。
切符売り場から、南座の正面玄関は、丸見えである。
濡れ髪は、切符を持って誰かを待っていた。
自分と誰かか、それとも二枚とも知り合いに上げるのだろうか。
じっと華子も恵美も正面玄関に視線を向けていた。
しかし、そこに同時に二人のお客様が来られて、その対応に追われた。
ふと気づくと、濡れ髪の姿はなかった。
「あれっ、濡れ髪いてない」
恵美が声を上げた。
「ほんまや」
今回昼の部の顔見世は、「仮名手本忠臣蔵」の中の塩冶判官の切腹の場面(四段目・扇ケ谷上屋敷)を上演していた。
忠臣蔵は、非常に長いお芝居で、通しで上演する事は、滅多にない。
歌舞伎をわかりにくいものにした要因の一つが、このぶった切り上演である。
前後の芝居の流れを理解していないと、真ん中だけ見せられてもわからない。
わからないから面白くない。面白くないから見るのをやめる。
この悪いスパイラルにはまってしまうと、中々抜け出すのは難しい。
本当は、観劇前にあらかじめ、芝居の流れ、人物関係の予備知識を蓄えておいた方がよいが、現代人は忙しいから、そんな事やる暇はない。
観劇当日、イヤホンガイドを借りるとわかりやすい。
イヤホンをして聞く。
あらすじは、もちろんの事、要所要所で、芝居の流れ、役者、舞台装置、衣装、音楽、背景などを的確な言葉で解説してくれる。
もちろん、台詞喋ってるときは、邪魔しないように解説は入らない。
顔見世では、踊りや、様々な出し物を上演していた。
今回の「忠臣蔵・四段目」の場面は、歌舞伎の世界では「通さん場」と呼ばれている。
主人公が切腹をすると云う厳粛、スリリングな場面のため、途中退場、途中入場をお断りしていた。
南座では、混乱を防ぐために、上演前に館内放送でのお知らせ、ブログ、ホームページ、ツイッター、番付(筋書)、劇場前の告知看板、劇場内のロビーに設置されたボード等を通じて、その旨のお願いを述べていた。
あのわりと、自由に飲み食い、退場、入場が自由な江戸時代でも、この場面は出入り口に男衆(おとこし)がいて、それをさせなかった。
現代では、各扉に案内係がついていた。
丁度、華子が切符売り場を出て、一階東側のお手洗いに行こうとした時だった。
案内係チーフの藤森理香が、一人の客と扉の前で揉めていた。
その客を見て、華子は、
「川上さん」
と声かけした。
あの先月、大阪松竹座の切符を持って現れた客、三条大橋の真ん中で、
「新選組に襲われる」
と泣き叫んでいた老婆だ。
「沢田さん、お知り合いですか」
ほっとした声で理香が云った。
「ええちょっと、どうしたんですか」
「お客様が・・・」
ここで、理香はちらっと川上を見て、云い淀んだ。
「川上さん、立ち話もあれやから、東側のロビーでお話しましょう」
三人でロビーのソファに座る。すると、
「トイレ行って来る」
すくっと川上光子は立ち上がり、トイレに向かう。後ろ姿を目で見ながら、理香は
「さっきから、五回もトイレに行ってはるんです」
困り顔の、小声で云った。
「五回も!」
「今は、塩冶判官の切腹の場面やから、途中の入退場は決してやってはいけないと監事室から云われているんです」
確かにそうだろう。主人公、塩冶判官が切腹をして部下の大星由良助の登場を今か今かと待ち望む緊迫した場面なのだ。
見ている他の観客にしたら、何回も横切ってトイレに行かれては目障りこの上ない。
「どうしましょう」
困り果てた顔を理香は見せた。
「うちが話してみましょう」
「助かります、お願いします」
理香の顔が一瞬にしてぱっと一筋の光がさし、華やいだものに変化した。
すぐに光子は出て来て、客席に向かおうとした。
「川上さん、まあお座りやす」
「でも芝居が」
「うちの話も聞いて」
光子は、華子の隣りに座った。
「今日は一人で来はったん?」
「娘と二人や」
「切符持ってはるかな」
光子はポケットから取り出した。
その座席番号を見て、はっとした。先ほど、濡れ髪が窓口で買った切符だ。
理香は、素早く座席番号を控えた。
「顔見世面白いですか」
「切腹、怖い!怖い!」
今度は幼子のように泣き出した。
華子は泣き声を聞きながら、あの三条大橋の件を思い出していた。
初めて接する理香は、驚愕の表情だった。
「怖いなあ、怖いなあ」
華子は光子を抱きしめた。そして優しく光子の背中を撫でた。
「もう心配いらんよ、大丈夫やから」
華子は、ぎゅっと今度は両手を握りしめた。
「トイレ行って来る」
「はい。ゆっくりしいや」
二人は見送った。
「これからどうしましょう」
再び理香が困惑の表情を華子に投げかけた。
今、舞台は塩冶判官の切腹の場面である。
舞台も客席も何本もの緊張の琴線が縦横に張り巡らされている。
その緊張の大海に、光子の難破船があちこちぶつけながら、彷徨うのは余りにも危険すぎた。
災害なら、二次被害の危険性が高いのと同じだ。
もしそれを許したら、新たなクレームの嵐が巻き起こるのは確実だった。
何としてでも、それを食い止める必要がある。かと云って、光子も立派ないち観客である。その両者のせめぎあいをどう裁くのか。
まったくもって、劇場の神様に試されていると華子は思った。
二人の思考時間を短くさせるかのように、すぐに光子は出て来る。
その姿を見て、華子は、深いため息をついた。
光子はソファに座らず、そのまま、また客席に行こうとする。
「ああ、ちょっと座って」
華子は立ち上がって、光子の行く手を遮断するかのように前に立つ。
それを見て理香も慌てて、席を立ち、華子の横に立つ。
舞台では、塩冶判官の切腹の場面、通称「通さん場」が上演。片や、この南座東側ロビーでは、華子、理香による、光子を客席へ「通さん場」が始まっていた。
「芝居見たい」
「ええ、それは充分わかります。でもその前に私の話も聞いて」
「もうせんど聞いた」
「うち話足らんねん」
と華子は、云ってみたものの、光子に対して、何をどう話したらよいものか、全く頭の中は、空っぽだった。
舞台に出てる役者が、前方左右、シーリングライト、フロントライトの光を浴びて、さらに一条のセンタースポットの光のエッジの中で、大勢の観客を前にして台詞を忘れてしまった時の焦りと酷似していた。
「聞き飽きた」
中々光子も手強い。
「そんな事云わんと。私らお友達でしょう」
「うん」
「お友達のお話は、ちゃんと聞かんとあかんでしょう」
「うん」
「学校で習ったでしょう」
「うん」
「そしたら座りましょう」
「うん、わかった」
光子は座る。
ちらっと華子は、腕時計に視線を走らす。
次の幕間(休憩)まで、どうやって時間を持たせるか。
「濡れ髪、いや間違えた、娘さん何してはるの」
「働いてる」
「どんな仕事」
「それは・・・」
と光子が云いかけた時だった。
ロビーにぬっと濡れ髪が現れた。
「お母ちゃん、何してるの」
「すみません」
華子が手短に事情を話した。
「もうすみません。ご迷惑おかけして」
「いえいえ」
「皆に迷惑かけて、何べんもトイレ行ってもう、しまいにおり入れるぞ」
鉄太郎と同じ「檻」の言葉が出た。本当にここの家には「檻」があるのかもしれない。
少し目の前の光子が、気の毒に見えて来た。
恐らくおしっこしたいと云う強迫観念が、何回も襲って来るのではないだろうか。
「失礼ですけども、家でもこない、しょっちゅうおトイレにいかはるんですか」
「いえ、全然」
「何で南座に来たらこうなるんでしょうねえ」
「私にもわかりません」
濡れ髪が苦笑した。
「トイレ行きたい」
光子が、今日何度目かの同じ言葉をつぶやく。
「せや、私もトイレ行きたかったんや。光子さん一緒に行きましょう」
次の幕間まで、濡れ髪と光子はロビーにいた。
結局、幕間の時、二人は帰ったそうだ。
事の顛末を売り場で話した。
「そうやったの。戻って来るのが遅いから、華子さんトイレで倒れているかもしれんと皆で心配してたんええ」
笑いながら照江が云った。
「でももったいないなあ」
顔見世一等席一人二万六千円、二人で五万二千円。高価である。
「ああ、しもた!」
華子は大きな声を上げた。
「どうしたん」
恵美が聞いた。
「濡れ髪に、何で髪が毎日濡れてるか聞くの忘れた」
「ほんまや、それが一番肝心」
一同は笑った。
( 5 )
華子には、あの言葉が耳から離れない。
「皆に迷惑かけてもう。おりに入れるぞ」
あの川上光子さんは、娘さんの濡れ髪からも、旦那の鉄太郎さんからも日夜いびられているのではないだろうか。
少し出しゃばった事をしてしまったから、光子さんは、あれから家に帰って檻に入れられて軟禁状態かもしれない。
(可哀そうに)
華子の脳裏には、首と、手首、足首を鎖に巻かれた光子さんの憔悴しきった顔が思い浮かぶ。
「ここから出して」
「あかん、お母ちゃんは南座の人に迷惑かけたから、当分檻暮らしや」
濡れ髪がけたけたと高笑いする。
「当分やのうて、ずっと死ぬまで檻暮らしや」
勝ち誇ったように、片手を天に向かって突き刺して、鉄太郎が濡れ髪よりもさらに大きな笑いをけたたましく、辺りにまき散らした。
「助けて、助けて華子!華子!」
「大丈夫、今助けるから」
濡れ髪の身体の鎖が、いつの間にか華子の首にまとわりつく。
「やめて、苦しい!」
華子の周りを銀色のパフォーマーが走り回る。
パフォーマーが走るたびに、華子の首に巻かれた鎖が鈍い音をたてながらぎしぎしと絡みつき、ぐいぐい首を絞めて行く。
「もう走り回るのやめて」
息も絶え絶えに、かすれる声で華子は叫ぶ。
しかしその叫び声は、余りにも小さくて誰も気づかない。
「や・め・て」
かすれ声は、ついに無音となる。
酸素不足の水の中を泳ぐ金魚のように、華子は口をパクパクさせる。
ここは三条大橋の真ん中である。
丁度、義宝珠に新選組がつけた刀傷があるところ。
力突きて、華子は、歩道にしゃがみ込んだ。
道行く人は多いのに、誰も振り向いてくれずに、奇妙な生き物を見たように足早に
走り去る。
華子は、自分の首にまとわりつく鎖を手に持ったまま、もがき苦しむ。
「もうあかん。た・す・け・て」
ふと見上げると光子が立っている。
「光子さん、助けて」
「どないしたん」
「鎖外して」
光子がしゃがみ込む。華子の鎖を外そうとする。
「ほどいたら、あかん」
突然、光子の横に濡れ髪が立っている。
濡れ髪の身体から、火事のように赤い炎と湯気がぼおーぼおーと勢いよく噴き出していた。
「濡髪さん」
「今度は、光子の代わりにあんたが、おりの中に入るんや」
二人が左右に分かれると、奥から縦横五メートルはある巨大な「檻」が現れた。
「さあ入れ!檻入れ!」
二人がニタニタ笑い、けしかける。
「おり怖い。檻入るのいやや」
華子は叫んだ。
かつて光子が、南座で叫んでいたフレーズである。
「いやややー!」
華子は、力の限り絶叫した。
はっと上半身を起こして目が覚めた。
恐る恐る両手を手に持って行く。
ねっとりとした汗が、両手にまとわりついた。
近所の人の紹介で、華子は父、茂次郎を連れて岡崎にある、短期滞在型のグループホーム「織江の家」を見学する事にした。
華子が働いている時は、父の世話は母親の米子がしているが、米子も七十五歳の後期高齢者となり、茂次郎の介護がしんどくなった来た。
「一週間のうち、例え三日でも預かってくれる施設があればいいんやけども」
華子に愚痴をこぼすようになった。
茂次郎は、遠出の時は、車椅子だが、家の中では普通に歩いて生活出来る。重度の介護が必要でもないのだ。
だから、昨今は中々施設に入れない。
家族で何とかしろと云う事だ。日本の人口、三人に一人が六十歳以上の世界に類を見ない超高齢化社会を驀進する日本。
岡崎は、京都の別荘地で、ここに別荘を持つのは、関西財界人にとって、ステータスでもあった。
野村証券創設の野村徳七、パナソニック(松下電器)の創業者松下幸之助の真真庵、住友、また文豪谷崎潤一郎が過ごした石村亭(現在・日新電機所有)、明治の政治家、山県有朋の別荘、無鄰菴なども、この界隈に点在する。
武豊騎手の豪邸も、この岡崎にある。
そこに敷地二万坪の短期滞在型のグループホームが出来た。
二万坪と云えば、南座の敷地が約五百坪だから、四十軒分である。
亡くなった人の遺言で、京都市に寄贈された。
長期滞在型だと、特定の限られた人しか利用出来ないために、とりあえず短期滞在型でスタートした。
まだ敷地の半分しか開発が出来ていない。
建物は三階建て。京都市の建築高さ条例で、高層建築は出来ない。
敷地内には、スポーツジム、野球場、サッカー専用コート、屋内プール、茶室、テニスコート、日本庭園、図書館、野外劇場、ラウンジ、BBQエリア、カフェ、各種趣味の部屋、レストラン、各種趣味の部屋、ミニ映画シアター、大中小ホール、付添人の宿泊施設、病院もある。
「ここいいよねえ」
華子は、茂次郎の車椅子を押しながらつぶやく。
「ほんまや。これやったら毎日、行きたいわあ。京都市も中々のもん作りよった」
「野外劇場がある、介護施設は、世界初て、この前の都新聞に載ってた」
「京都人は古いもん大切にするけど、結構新しいもん取り入れる気風もあるんや。市電も、琵琶湖疎水も、美術館もそうや」
茂次郎は云った。
緑の森の散歩コースを歩く。
敷地の三分の一は緑の公園、庭園の計画である。
庭園の中に、三千家(裏千家、表千家、武者小路千家)の茶室を作る計画もある。
また医療、看護学校、介護関係の大学を誘致する計画である。
十二月だと云うのに、京都はまだ雪が降らず、連日春のような温かさだった。
地球温暖化で、季節の顔がちょっとずつずれて、園内の紅葉も今が真っ盛りで、燃えるような紅葉の葉っぱを、樹木が身にまとっていた。
森の中に社があった。
「ちょっと拝んでいこか」
「そうやねえ」
お賽銭の前で車椅子を止めた。
茂次郎は立ち上がろうとした。それを後ろから華子が支えた。
「大丈夫?」
「ああ平気や。神さんの前で座ったまま拝むのは失礼やろう」
華子は目をつぶる。
(さて何を祈願しようか)
横で目をつぶる父親の横顔を見ながら、
(両親が健康で長生きしますように)
親が生きているだけで、自分の「死」に対しての大きな防波堤になっていると、華子は、最近思うようになって来た。
両親の「生」で、自分の「死」は今は見えない。
しかし、いづれ両親が死んだ時、突然、眼前と「死」が現る。
自分の「死」をまじかに直視する瞬間でもある。
だからどんな形でもいいから、いいから一年、いや一日、いや一秒でも長生きして貰いたいのだ。
二人が目を開けると、お賽銭箱の前に若い男がうずくまって掃除をしているのが、目に飛び込んで来た。
「うわっ」
華子は叫んだ。
その叫び声に若い男が飛んだ。
「すみません、驚かせて」
「こちらこそ、すみません。叫んでしまって。こちらの施設の方ですか」
「はい、森垣と云います」
森垣は、手に雑巾を持って拭いていた。丁度土下座している格好だった。
華子は、あれっと思った。この光景どこかで見たことがある。でもここへ来るのは初めてだし・・・。
森垣が雑巾で拭いていて、胸ポケットから、小さなお守りを落とした。
華子が素早くそれを拾い上げた。
「祈念神石」と書かれた黄色のもの。車折神社のものだ。ここで、三条大橋の高山彦九郎の銅像、銀色パフォーマーが頭の中で、一つにつながった。
「ああ、わかった!」
「何がわかったんですか」
「あなた、土下座前の銀色パフォーマーさん!」
「よくわかりましたね」
にっこりと森垣は微笑んだ。
顔見世では、新規の小口の団体に関しては、切符代金と引き換えに切符を渡している。振り込みは、受け付けてない。未収金発生を防ぐためである。
今年、五十名の小口団体が、キャンセルとなった。
団体主催者は、切符代金は支払う。しかし、五十名の観客確保は劇場側でやって欲しいと云われた。
一組二枚、昼の部、一等席である。そのうちの一組を華子は貰った。
迷った末、あの濡れ髪親子にあげる事にした。
いつもの時間、華子はバス停で待ち構える。
濡れ髪はやって来た。事情を説明した。
「本当にいいんですか」
「いいですよ」
濡れ髪は何度も頭を下げた。
「でも、通さん場はどうしますか」
「通さん場?」
「ああ、ごめんなさい。忠臣蔵四段目、塩冶判官の切腹の場面です」
「あれね。考えときます。決してご迷惑はかけないようにします」
濡れ髪は、頭を下げた。濡れたつやつやの黒髪だった。
やはりシャンプー、石鹸の匂いはしなかった。
観劇当日、濡れ髪は切符売り場にやって来た。
「これ、皆さんでどうぞ」
リンゴ一箱、ミカン一箱、阿闍梨餅、みたらし団子、など大量のお土産だった。
そばにいる光子は、前に見た時よりも落ち着いているように見えた。
「ゆっくりと楽しんで下さいね」
手を振った。とは云うものの気になった。
案内の理香には、何かあればすぐに連絡するように云っておいた。二人の座席番号も事前に知らせておいた。
切符売り場で、何度も時計を見る。
「ついに始まりましたね」
恵美が云った。
「そう気になるわあ」
「沢田さん、見てきたら」
照江が云ってくれた。
「はい有難うございます。幕間になったら行かせて下さい」
開演中、何事もなく時間は過ぎた。
幕間になり、すぐに様子を見に行く。
「どうやった」
「お陰様で何もなかったです」
理香がほっとしたように答えた。
終演後、もう一度お土産のお礼を云いたくて玄関前で待っていた。
濡れ髪が、光子を連れて外に出た。
「有難うございました」
「どうでしたか、光子さん」
「塩冶判官、可哀そう」
「今日はおとなしゅうしてはったんは、何でですか」
素朴な疑問を呈した。
「おしめさせました。だからおしっこしたい強迫観念が取れたんです」
「そうやったんですか」
「誰の発案ですか」
「息子です」
「お母さん」
背後から声がかかり、森垣が来た。
「あっ銀色パフォーマー、織江の家の職員の人」
「南座にお勤めだったんですか」
華子の制服姿、胸のネームプレートを見て森垣は推察したのだ。
「はい。森垣さん、濡れ髪じゃなくて、川上さんと親子なんですか」
「実は離婚して、この子は、父方の姓を名乗ってます」
濡れ髪が説明した。
「そうやったんですか。あのう失礼ですけど、この前光子さんを、檻入れるぞと云ってましたけど、手荒な事は、やめてあげて下さいね」
「オリ?」
濡れ髪は森垣と顔を見合わせ、次に大笑いした。
「オリは檻と云う意味じゃありません。岡崎の介護施設(織江の家)の事、私らは、略してオリて云うてるんです」
「祖母はどういうわけか、あそこへ行くのを嫌がったましてね」
森垣が説明した。
「いやああ、あんなええ所やのに。うちの父は毎日でも行きたいて云うてますよ」
「オリいややあ」
光子は真顔で答えた。
さらに華子はどうしても聞きたい事があった。もうこの瞬間を逃したら、一生聞けない。思い切って聞こう。華子はこころに決めた。
「最後にもう一つ、ぶしつけな質問してもいいですか」
「はい何なりと」
濡れ髪は云った。
「いつも売り場から、見てるんですけど、この髪、いつも濡れた感じで綺麗やなあと思うてたんです。毎日、美容院行ってはるんですか」
華子は、濡れ髪の頭を見つめた。
「ああこれねえ。これは・・・」
濡れ髪は、片手で頭に手をやると、すぽっと髪の毛を取った。
丸坊主の頭が出て来た。
「えっ、ウイッグ、かつらやったんですか」
「はい、尼さんです。でも母親がこの頭見ると怖がるんで、かつらしてるんです」
光子は顔を膠着させた。それを見て、濡れ髪はすぐにかつらを被った。
「毎日、目やみ地蔵さんにお参りしてるんです」
南座から東へ十メートルも歩くとあるお地蔵さんで、目の病気に効くと云われている。
「母が目の病気を患ってまして。今はおかげさんで、治って来ました」
今までの謎が一気に解決した。
売り場を振り返ると、同僚もあのかつらを取ったシーンを見たらしく、皆笑っていた。
濡れ髪親子は、目やみ地蔵さんに行った。
京都の町は狭い。
どこで、どう人のつながりがあるのか、不思議な町でもあると華子は思った。
( 終わり )
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