第6話 大和橋(女番頭)「 手紙 」

   主題歌  由紀さおり 「 手紙 」


       ( 1 )


 野田悦子は、半場夢見心地で、まどろんでいた。

 下着の汗が、つい今しがたまで身体にべっとりとまとわりついていたが、店内のエアコンの冷気で一気に乾いていた。

 悦子のこころを開放したのは、それに何よりママの絶妙なフェイスマッサージだった。

 ここは、南座から程近い、縄手通りを北へ上がり、小さな大和橋のたもとの美容院「白川」である。

 長さ五メートルもない小さな橋の下を白川の疎水が流れている。

 川べりの片側には、お洒落なレストラン、食事処の店がある。

 ここの美容院の鏡台の両側は、壁になっておらず、大きな掃き出し窓が両側にあり、白川の疎水が見えた。

 四月の桜のシーズンともなれば、白川沿いの桜が一気に咲き誇り、来客も髪をカットしながら、窓越しに桜を見物出来た。

「戦前までは、あっちの今は遊歩道になっている処にも、お茶屋さんが並んでたんええ」

 悦子のフェイスマッサージをしながら、祇園白川の歴史を説明するのは、ここの美容室のオーナー白川良子だった。

「白川沿いに、吉井勇の歌碑がおまっしゃろ」

「あの、かにかくにで始まる歌碑ですか」

「そうどす」

 それなら悦子も知っていた。

 京都をこよなく愛した歌人、吉井勇の歌碑の事だ。

(かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕の下を 水の流るる)の歌碑が白川沿いにある。よく観光客が写真を撮るので有名である。

また、春の季節になると、白川沿いの桜が一気に咲きほころび、春の祇園の風情をより一層際立たせて、美のシンフォニーを奏でる。

「あそこに、お茶屋(大友)があって、磯田多佳さん云うて、有名な女将さんがおって、夏目漱石はんもそこにお泊りなってましてなあ。今はもうその一帯のお茶屋はんは、のうなってしまいましたけどな」

「どうしてなくなったんですか」

「戦時中、京都も空襲がある云うて、強制疎開させられて、今で云う強制立ち退きさせられたんええ。立退料なんか一銭も出へん。酷い話どすやろ」

「何でそんな事したんですか」

「アメリカさんの空襲で焼夷弾が落ちて、火事になっても燃え広がらんようにするためどすがな」

「そうだったんですか」

「ここだけやおへん。堀川通も、御池通もあんなに広い通りになってるんは、強制疎開、強制立ち退きのせいどす」

「それは知りませんでした」

学校では教えてくれない、悦子が初めて知る京都の歴史だった。

 ここは祇園、祇園東、宮川町の舞妓、芸妓の御用達の美容室で、一見客はお断りだった。

 悦子は、歌舞伎役者、有田鯨蔵(有田屋)の「女番頭」で、この店は、鯨蔵の紹介だった。

 東京から年に二、三度京都に仕事で立ち寄る事がある。その時必ず顔を見せるのがここの美容室だった。

 悦子の仕事は、歌舞伎界の名門、有田屋、有田鯨蔵の切符を一手に引き受ける「女番頭」であった。

「女番頭」

 この言葉の響きが悦子にとって嫌だった。番頭なんて、いつの時代の話だろう。

 南座のロビーに、歌舞伎役者の番頭が集まる所がある。「番頭席」である。

 ご贔屓筋は、切符を持たずにここへやって来る。ここで切符を受け取るのである。

 この美容室は、髪のカット、シャンプー、フェイスマッサージ、の他に眉毛カット、耳掃除、ネイル手入れもやっていた。さらに肩、腰揉みもやってくれる。

「今朝、東京からきはったんどすか」

 良子ママが小さな声で聞いた。

 悦子は、目を閉じたままこっくりとうなづいた。

「十二月の南座顔見世準備て、こない早よからやるんどすか」

 良子は、店のカレンダー「九月」を見ていた。

 鯨蔵の今年の南座の顔見世出演が決まったのはつい数日前だった。まだ世間には公表していない。

「やる事が沢山あり過ぎて、嫌になるの、ママ」

「そりゃあ、大変どすなあ」

「これから、十二月まで何回か入洛(京都入り)します」

「お待ちしてます」


 顔も髪型もリフレッシュ出来て、悦子は店を出る。

 キャスター付きの大きなケースを転がす。大和橋を渡り、右へ曲がる。ここから片側だけ、白川沿いに遊歩道が続く。先ほど話題になった、吉井勇の「かにかくに」歌碑を通り過ぎる。間もなく、左手に辰巳稲荷の小さな祠が見えて来た。

 ここは、芸能の神様を祭ると云われ、朱色の板で出来た玉垣には、黒の墨文字で、役者、舞踊の家元等の名前が書かれて周囲を取り囲んでいた。

 悦子は鯨蔵の代参で、毎回美容室「白川」を出ると、ここにお参りしている。

 願い事は、いつも同じで、

「鯨蔵の芸事が上達、健康、事故のないようにお願いします」

 お賽銭は、鯨蔵から預かった一万円である。

 お参りを済ませて振り向くと、外国人観光客がカメラ、スマホでお参りを撮影していた。悦子の目の前に、カメラが数台突きつけられていた。

「うわっ」

 すぐに退散した。

 次に目指したのは、 ご贔屓筋の一つ、祇園お茶屋「ときわ」だった。

 ここはもう二十年近く毎年顔を見せていた。

 鯨蔵の京都好きは有名で、毎年三、四回は南座や、京都造形大「春秋座」、京都駅ビルの中の「京都劇場」等を借り切って自主公演を行っていた。

 鯨蔵は、自費で「鯨蔵の会」を立ち上げて、創作歌舞伎や、歌舞伎役者とは違う異業種の人達とのコラボを積極的に行っていた。

 日舞、能、狂言、落語、漫才、パントマイム等とのコラボ公演は、一定の評価を貰っていた。

 その初日は、東京ではなくて、必ず京都だった。

 公演では、毎回第一部は、鯨蔵の司会で、コラボする相手との対談、解説を行っていた。

「ときわ」は、花見小路から東へ路地に入った所にある。

 事前に連絡してあったので、すぐに奥の居間に通された。

 女将の常盤育子と若女将の恵利が顔を見せた。

 居間はすでに、来客の悦子のために、エアコンで冷えていた。

 育子がおしぼりと、冷たい緑茶を出した。

「(白川)さんとこ、行ってきはったん」

 育子は、悦子の髪型を見ながら云った。

「はい」

「ママさん元気やった?」

「はい、元気モリモリでした」

「ママさん、確か八十歳過ぎてまっしゃろ」

「そんな全然見えないです」

「いっぺん、若さの秘訣教えて欲しいわあ」

「女将さんも若くて綺麗ですよ」

「まあお口べっぴんの悦ちゃんや事」

 京の街では、お世辞が上手い、口上手な事を「お口べっぴん」と呼ぶ。

「暑いどすやろう、京都は」

「東京も暑いです」

 九月に入ったが、京都は連日最高気温三十五度の猛暑日が続いていた。

 鞄から、悦子は手ぬぐい、扇子、お土産を取り出して机の上に置いた。

「鯨蔵からです。よろしくお願い致します」

 型通りに悦子は頭を下げた。

「鯨蔵はんが、南座の顔見世に出るて久し振りどすなあ」

「ほんまやねえ」

 三年前、顔見世出演が決まっていたが、祇園でヤクザと大喧嘩して大怪我をして、出演が取りやめになった。

 南座はその後、二年間の改修工事に入ったので、顔見世は先斗町歌舞練場、ロームシアター京都と場所を移しての興行であった。

「久し振りの南座での顔見世、鯨蔵はんの出演。もう黙ってても入りまっしゃろ」

 育子は云った。

「ほんまやねえ」

 恵利も同調した。

「有難うございます」

 ひとしきり、雑談してそろそろ帰ろうかと、悦子は腰を上げかけた。

「恵利、悦子はんにあの件、お話したらどうええ」

「えっ、うちから話すの。お母はんから云うてよ」

「あんたの方が、よういきさつ、知ってるやろう」

 育子が恵利を睨んだ。その睨みに負けて恵利が話し出した。

 悦子は、再び腰を下ろして座り直した。

 恵利には、一人息子の慎太郎がいた。今は中学三年である。

 実は世間には公表していないが、慎太郎の父は、鯨蔵である。隠し子である。

 今から十五年前、恵利は鯨蔵の子供を身ごもった。育子の反対を押し切って生んだ。鯨蔵は、すんなり認知した。

 しかし、ここへ今は亡き、鯨蔵の父、先代の岩寿郎が乗り込んで来る。

(生まれた子供が、如何なる事があっても、歌舞伎の世界に入らせない)

 の念書を書かされた。

 その代わり、慎太郎が二十歳まで毎月百万円の養育費を払う事を約束したのである。

 岩寿郎は、鯨蔵が正式な結婚をして男の子が生まれた時に、後に有田屋の跡継ぎで揉めないための予防線を張ったのである。

「その慎太郎が最近、高校には行かない。歌舞伎役者になると云うてるんです」

「そうですか」

 悦子はただ、聞くしかすべがなかった。

「すんまへんけど、この事、若旦那に云うてくれますやろか」

「何もうちらゴリ押しと違うんどす。勘違いせんといておくれやす」

慌てて、育子が言葉を被せた。

「若旦那の鯨蔵はんが駄目と云うんやったら、きれいさっぱりこの件は、なかった事にします」

「云うだけ云うておくれやす」

 育子と恵利が深々と頭を下げた。

 それを見て悦子も慌てて頭を下げた。

「わかりました。で、慎太郎君は」

「今日は学校です」

「取り合えず、本人からの口から色々聞きたいので」

 と悦子は云った。

 日曜日まで京都にいるので、その日に本人に会う事にした。

 会う場所は、お茶屋ではなくて、近くの生活するマンションだった。

 祇園建仁寺の近くのマンション。5LDK、億ション。三億円を現金一括払いで購入した。鯨蔵の援助があったから出来たわけである。

 応接間で、悦子は対面した。

 慎太郎を見た瞬間、背筋に稲妻が走った。そこには、若き鯨蔵がいたと思うくらいよく似ていた。

 きりりとした太い眉毛、長いまつ毛は憂いを含む。そして大きな二重の瞳は、見る人を虜にする。まだ中学生なのに、オーラが出ていた。膝元で組む長い指もそっくりだった。

「慎太郎君、本当に歌舞伎役者になりたいの」

「はいなりたいです」

「高校はどうするの」

「行きません」

 きっぱりと、口を一文字にして慎太郎は云い切った。

「高校出てからやっても遅くないと思うよ」

「いえ、人生回り道したくないですから。三年無駄にしたくないのです」

 背筋を伸ばして、はっきりとした、よく通る声だった。声質も鯨蔵譲りだった。

 傍らで、恵利は一連の二人のやり取りをビデオに撮っていた。

 鯨蔵と同じ考えだと思った。

 鯨蔵の父、岩寿郎は早稲田大学文学部卒のインテリである。鯨蔵を大学まで行かす気でいた。しかし、鯨蔵は、

「芸道に精進したい」

 と云って、高校一年の夏休み前に中退した。

(親子とは、何も打ち合わせしていないのに、ここまで考えが似るものか)

 改めて悦子は、感慨深げに思った。

「歌舞伎役者になるって一言で云うけど、大変ですよ」

「それは重々承知のうえです」

 これほどの熱い心を持った中学生を久し振りに見た。

「わかりました、ちょっとお時間下さい」

 一同は頭を下げた。


       ( 2 )


 翌朝、東京に戻った悦子は、鯨蔵の自宅を訪れた。

 ビデオを収めたUSBをパソコンに入れて立ち上げた。鯨蔵と二人で見る。

 部屋の中で、鯨蔵と二人だけと云うのが、悦子をより緊張させた。

 ビデオには、慎太郎の鯨蔵に向けた挨拶と踊り「藤娘」が収められていた。

 見ている間、鯨蔵は一言も何も云わなかった。

 無言でじっとまるで、悦子の存在など忘れたかのような振る舞いだった。

 無言での時間の経過が、どんと悦子の肩に、こころにのしかかった。

 やがてビデオが終了した。

「どうでしょうか」

 悦子は遠慮がちに聞いた。

「目線がいまいちだよなあ。どこ見てるか、まるで夢遊病者じゃないの」

 鯨蔵は他人の演技を批評する時、まず欠点を真っ先に口にする。

 それが、随分年上の大御所でもお構いなしである。

 鯨蔵に歌舞伎界で敵が多いのは、そのせいである。

「はい」

 悦子はただうなづくだけである。

 鯨蔵に批判出来る立場でもない。第一自分は有田屋の女番頭の立場なだけである。

 歌舞伎役者でもないし、演劇評論家でもない。

 有田屋に属しているのだから、鯨蔵の立場の中にいないとまずい。

「あとは、手先と足の使い方は上手いと思うよ。でも率直な意見を云うと、まあこれぐらい出来る中学生は、全国に何万人、いや何十万人いるかなあ」

「では駄目だと」

「駄目とは云ってないよ。て云うか、ビデオはビデオ。やっぱり生で本物を見たいよなあ」

「東京に呼びましょうか」

「そりゃあ可哀そうだ。幾ら何でも、相手はまだ中学生だろう、わざわざ東京に呼んどいて、はいきみは駄目ですなんて云えないよ。幾ら鬼の俺でもだよ」

「そうですねえ」

 思わず悦子はうなづいて、はっとした。

「いえいえ、そう云う意味じゃないです」

 慌てて否定した。

「じゃあどう云う意味なんだよ」

 鯨蔵は笑った。

「すみません」

「今はわからないけど、京都なら日帰りも出来る。時間を作って俺が京都に行くよ」

「有難うございます」

 早速悦子は、京都のお茶屋「ときわ」に電話した。

「へえへえ、おおきに。有難うございます。ほんまにおおきにええ」

 受話器の前で何度も頭を下げる、女将の育子の姿が目に浮かんだ

 途中で恵利に代わった。

「悦子さん、有難う、有難う」

 恵利も何度も感謝の言葉を云った。

「まだ何も決まってないのに、そんな感謝の言葉を云われると、私肩身が狭いです」

「そんな事ないって」

「鯨蔵若旦那は、機会を作って京都に行くって云うただけです」

「それが凄いんよ」

 恐らく数時間で、祇園町に鯨蔵がやって来るの情報が蔓延するだろう。

 スマホもパソコンもメールもなかった時代から、祇園町の情報伝達の早さは、凄いものがある。恐らく、誰がどこへ連絡して、そこからまた連絡網が伸びて。

 太い血管から、毛細血管に至るまで、血液が浸透するように、漏れなく、徹底的に情報を共有していくのである。

「また日にち決まったら連絡します」

「待ってます」

 東京で一か月公演が続く鯨蔵だったので、日帰りも出来ない多忙な日々が続く。

 一か月公演が終われば、翌日からまた稽古が始まる。

 九月は毎日二回公演が続く。十月は、途中で昼一回公演があった。その翌日は夜一回公演だった。動けるのは、ここしかなかった。しかし、この空いた日も雑誌とテレビの取材が入っていた。

 十一月は、鯨蔵の自主公演で、地方を回る巡業だった。

「俺さあ、十月の昼一回公演終わったら、京都へ行くよ」

 朴訥に、鯨蔵が云った。

「でも若旦那、その日は雑誌とテレビの取材がありますが」

「わかってるよ、その人達も一緒に京都へ来て貰えばいいじゃん」

 鯨蔵の頭の中には、相手の都合を考えるなんて、そもそもはなから思っていない。

 もっとも、鯨蔵に云わせれば、

「そっちから持って来たお話でしょう」

 の一言で終わりである。

 鯨蔵のゴリ押しで、テレビ、雑誌の取材記者が、一緒に京都に行く羽目になった。

 予め、「ときわ」に連絡はしてあった。

 昼間、貸し切りで取材が行われた。

 テレビカメラの後ろで、悦子は慎太郎と並んで見守っていた。

 若い女性アナウンサーが、色々と質問していく形式だった。

「最後に鯨蔵さんに、お伺いします」

「何でも聞いて下さい」

「今一番気になっている役者さんは誰ですか」

「それは自分よりも年上ですか、年下ですか」

「全てをひっくるめてです」

「そうですねえ」

 鯨蔵は、一瞬宙を眺め、次にじっとカメラを睨む。正確には、カメラの後ろの慎太郎を睨んでいた。

 慎太郎は、鯨蔵と視線が合うと、すぐにカメラの後ろに隠れた。

 鯨蔵の考えを察知した悦子は、後ろから慎太郎を抱えるように、カメラの横に行かせた。

「いますねえ、役者と云うか、何と云うか」

 鯨蔵は、ここで豪快に笑った。元々、声量がある鯨蔵なので、笑うとその重低音の響きの笑いは、さらにパワーアップして行く。

「年下ですか」

「はい、ずっとずっと年下です」

「若手歌舞伎役者って事ですか」

「はい、まあ未来予測ではそうなってます」

「未来予測ですか?」

 女性アナウンサーは、鯨蔵の企みの言葉の真意が理解出来ないでいた。

「非常に気になってます」

 鯨蔵は、もう一度慎太郎に視線を集中させた。

「どの辺がでしょうか」

「演技はもちろんの事、その人の考え、哲学です」

「哲学ですか!」

 予想もしない単語が耳に入った女性アナウンサーの顔に、「困惑」の文字が瞬時に宿るのを、一瞥してわかった鯨蔵は、すぐに云い直した。

「もっとわかりやすく云えば、生き様、根性ですよ。すべてが気になってます」

「ずっとずっと年下なのに、その人の生き様が気になるんですか」

「はい気になります。他の誰よりも気になります」

「若い役者さんですよね。誰かなあ」

 女性アナウンサーは、はて一体誰かと、視線を鯨蔵から外して、天井を見上げた。

「わかりません。ズバリ誰ですか。教えて下さい」

「その辺は勘弁して下さい。時が来れば、必ず皆さんの前で公開しますから」

「鯨蔵さんが気になる若手ですから、テレビをご覧の人達もきっと気になっていると思いますよ」

「そうだといいんですが」

「本日はお忙しい中、有難うございました」

「有難うございます」

 ここで収録が終わった。モニターチェックもOKで、撮り直しもなかった。

 少し雑談した後、雑誌、テレビ取材陣は撤収した。

 すぐに鯨蔵と慎太郎との顔合わせのしつらえが行われた。

 同席したのは、悦子、「ときわ」の女将育子、慎太郎の母親の恵利だった。

 こうして慎太郎は、生まれて初めて、自分の父親と面と向かって対面した。

 緊張していたのは、慎太郎ばかりではなく、育子も恵利も同様だった。

 その「ときわ」の親子の緊張ぶりを見て悦子も緊張が移った。

 鯨蔵は、一言も話さず、じっと慎太郎を見続けた。

 慎太郎も今度は視線を外さず負けじと、睨み合いを続けた。

 悦子は両者の睨み合いを、冷静に見ていた。

(鯨蔵の前に、中学時代の鯨蔵がいる)

 これが悦子の率直な感想だった。

 鯨蔵には、昨年子宮がんで亡くなった本妻との間には、長男、長女二人の子供がいる。長男は六歳である。どちらかと云えば、鯨蔵よりも本妻に顔が似ていた。

 血筋で云えば、慎太郎の方が、はるかに鯨蔵に似ていた。

 それは悦子のひいきではなくて、誰が見ても明白な事実だった。

 静まり返った部屋。

 お茶屋の坪庭からは、秋の到来を告げる爽やかな風が吹き抜けていた。楓の小さな葉っぱが緩やかに枝を揺らしていた。

「随分大きくなったなあ」

 ゆっくりと、大きく抑揚をつけた台詞回しだった。

 まるで世話物の芝居から出た台詞回しのような、鯨蔵の言葉に一同は胸が熱くなった。

 胸の鼓動が一番誰よりもときめいたのは、もちろん鯨蔵であったはずだ。何故なら、慎太郎が生まれてから一度も対面しなかった。正確には出来なかったのである。

 鯨蔵の亡き父親、岩寿郎がそれを許さなかったのである。

 岩寿郎が亡くなり、二人の間に垣根はなくなった。

「慎太郎君」

「はい」

「きみは、本気で歌舞伎役者になりたいの」

「はいなりたいです」

「知っていると思うけど、歌舞伎界は門閥制度があってねえ、部外者のきみは、一生、主役は出来ないよ。それでもいいのか」

 悦子は、中学生に残酷な仕打ちをする鯨蔵だと思った。今の言葉は、裏を返せば、

(私とあなたとは関係ありません)と宣言しているようなものである。

 鯨蔵の言葉に恵利もぴくっと反応した。

 恵利は慎太郎を見つめた。悦子はその二人を見つめた。

「はい構いません。その覚悟は出来ております」

「よう云うた」

 鯨蔵は、中腰になり、身を乗り上げて机越しに慎太郎の頭を二、三度手荒に撫でると握手をして来た。

 慎太郎は、恐る恐る手を差し出した。

 鯨蔵はぎゅっと握ると、さらに力を入れて離さない。

「痛いっ!」

「痛いか!」

 目を剥いて鯨蔵はさらに力を入れた。

「痛いよ、離してよお父さん!」

 鯨蔵は、慎太郎の口から(お父さん)の言葉が出た瞬間、力を緩めた。そしてうつむいて泣き出した。

 悦子は、突然の鯨蔵の泣き顔に、こころが張り裂ける気持ちだった。

 母親の恵利にしたら、悦子の数倍、いや何十倍もの複雑なこころの葛藤、動きがあったに違いない。

 その後、ささやかな宴が開かれた。

 いつもの鯨蔵なら舞妓、芸妓数人連れてのどんちゃん騒ぎなのだが、今宵はそれがなかった。

 鯨蔵の舞妓、芸妓好きを知っている、女将の育子は、

「舞妓はん、お呼びしまひょか」

 と聞いた。

「いや、今夜は家族でやりましょう」

 鯨蔵の(家族)の言葉に食事の用意をしていた恵利の動きが止まった。

 恵利は鯨蔵を見た。鯨蔵は少しうなづいた。

 乾杯の挨拶に、鯨蔵が指名された。

「今宵の出来事は、これから十年後、いやもっとさきになっても、皆様のこころの中にずっとずっと残る事でしょう、では乾杯!」

 拍手と共に、楽しい宴が始まった。中学生の慎太郎は、コーラだった。

「今夜は目出度い。おい慎太郎、ちょっと飲めよ」

 酒癖の悪い鯨蔵が、云い出したが、さすがにここは育子、恵利の「ときわ」軍団が阻止した。

「あきまへんええ」

 育子がぴしゃりと云いのけた。

「お父さんも怒られる事があるんや」

 笑いながら慎太郎が云った。

鯨蔵の瞳に、きらりと光るものを見つけた慎太郎は、さらに

「お父さん、泣いているの」

と聞いた。

「馬鹿野郎、泣いてなんかいない!」

鯨蔵は、一喝した。

「おやおや、鬼の目にも涙どすか」

育子が、囃し立てた。

「お父さん、鬼だったの」

「そう鬼だった。しかし、今、人間になったよ」

鯨蔵は、今度は静かに恵利の顔を見つめながら云った。

それを聞いて、今度は恵利が泣き出した。

涙が、主役になりかねない少し湿っぽさに満ちた夕餉の始まりであった。


        ( 3 )


 東京・吉祥寺には、鯨蔵の母親の堀江久子が住んでいる。一緒にお手伝いの畑山千代がいる。ここへ呼び出されたのは鯨蔵と悦子である。

 十月公演が終わり、十一月の巡業に向けて稽古している最中であった。

 元々、久子は世田谷に住んでいたが、緑が多い、この地が気に入り、世田谷の自宅は鯨蔵に譲り、一人気ままに住んでいる。時折、お手伝いの千代が泊まる部屋もある。

 二人が応接間に顔を見せると、久子の隣には、田原久雄が座っていた。

 田原は、現在鯨蔵が持っている五つのタニマチ(支援者)大企業の中でもトップの援助を行っている企業のオーナーである。

 鯨蔵の海外巡業にも毎回、五億円近くの支援を行い、同行している。

 日本のマスコミは、鯨蔵の海外巡業でチケット完売と喧伝しているが、田原みそグループがチケットをほとんど買い取り、各国の要人、関係者を招待しているのが実情である。

 田原は、京都の老舗企業の一つ、「田原みそ」のオーナー会長である。

 田原家は、室町時代末期、京都で創業。江戸時代に大坂、江戸に進出。

 元々は「味噌」の老舗だったが、戦後、不動産、ホテル、スーパー、近頃はネット事業にも進出。グループ全体の年間売上高は、五千億円を越える。

「みそスープ店・たはら」の京都の店は、全て自社保有の町家に店舗を構える。

 本事業の味噌は、昨今の日本食ブームが海外にも広がり、フランス、イギリス、イタリア、ドイツ、アメリカ、中国、台湾、東南アジアなど、世界百か国に進出している。

 また片手間に始めた海外の「日本語教室・日本料理教室」が大当たりして破竹の勢いである。

 元々、有田屋は、先代が作った三十億円もの借金があったが、鯨蔵の代で、全て完済していた。その借金の半分の十五億円を肩代わりしたのが、「田原みそ」だった。その代わり、鯨蔵は今後五十年に渡る独占契約を「田原みそ」と結んだ。

 五十年は世間から見れば、非常に長く感じるかもしれない。

 しかし、京都ではよくあるケースである。

 大手半導体メーカーロームは、岡崎にある京都会館と五十年契約を結び、「ロームシアター京都」として、ネーミングライツを取得した。五十億円で成立した。

同じ岡崎にある、京都市美術館も、京セラが、同じく五十億円で命名権を五十年間にわたって独占する。

京都千年の歴史から見れば、五十年は短い。

 その他に田原は、鯨蔵襲名の時は、一つ一億円の祝い幕を三種類寄贈している。

 祝い幕とは、歌舞伎襲名公演で、定式幕の前に掲げる左右に開閉する幕である。

 開場して、入って来られたお客様は、まずこれを見る。

 デザインは、大海原でクジラが、潮吹きしながら、田原みそを食べてるユーモア溢れるものだった。

デザイナーは、京都西陣着物デザインで世界的に有名な西垣繁也である。

 これは写真を撮ってもよかったので、多くの客が写真を撮り、インスタグラム、フェイスブック、ブログ、ツイッターに投稿した。

 そのため、全世界に拡散した。#(ハッシュタグ)鯨蔵祝い幕で検索すると、世界中から五百億もの投稿数がある。もはや、歌舞伎はスタンダードになった。

「田原会長!」

 鯨蔵も悦子も、田原が同席しているとは、知らされていなかった。

 千代がお茶を持って姿を見せた。

「鯨蔵ちゃん、元気そうやなあ」

「はい、会長もお元気そうで」

「カラ元気なだけや」

 田原は、高笑いした。

「まあお座りなさい」

 鯨蔵と悦子は、久子、田原会長と向き合う形になった。

「今日は何でしょうか。稽古が控えているので、手短にお願いします」

「うん、それええなあ。わしも昼から東京の財界人らと、東京オリンピック関係者とで、話し合いがあるねん」

「会長、また儲け話ですか」

「オリンピックの選手村に日本食レストランが出来るんやけど、味噌の提供だけでなく、オリンピック終わってもレストランやってくれって」

「へえ、それは凄いですねえ」

「鯨蔵さん、会長さんのお話はそれぐらいで切り上げて下さい」

 久子がぴしゃりと云った。

「そうでした」

 千代は一礼して去ろうとした。

「千代もここにいてよ」

「いいんですか」

「はい。鯨蔵、あなた何か私達に隠し事してますね」

「隠し事?一体何の事ですか」

「隠してても、もうばれてます。正直におっしゃい、鯨蔵さんも悦子さんも」

 久子は鯨蔵、悦子を一人ずつ順番に睨みながら云った。

「ですから一体何の話ですか」

「あなた達、二人で京都へ行きましたね。何をしに行ったんですか」

「ああ、あの件ですか。もうお母さんにも伝わってましたか。僕は別に隠すつもりはありませんでしたよ」

「あなたが何を考えているか知りませんが、あなたの男の子供は、勇人だけですよ」

 勇人は、本妻早苗との間に出来た長男である。

「鯨蔵ちゃん、お父さんが苦労して作った念書、無視した行動はあきまへんで」

 田原が笑いながら云った。

「京都で隠し事してもあきまへんで。京都の出来事は、すべてわしとこへ入って来るからな」

 そう付け加えた。

「あなた、お父様の作った念書はご存知でしょう」

「はい」

「悦子も困ります。二人でこそこそ京都へ行って、あのお茶屋の慎太郎と会うなんて」

 久子は千代に合図した。

 千代は壁際にある机の引き出しを開けて、テーブルの上に一枚の紙を広げた。

 念書だった。

「今後一切、金銭的不服を申し立ていたしません。

 また長男、慎太郎を今後歌舞伎界、及び芸能界へは入れません。

        平成十五年 十一月十五日 

 京都市東山区祇園花見小路東側三の六の五 お茶屋「ときわ」

           常盤 育子

           常盤 恵利               」

 全て筆で書かれた手書きで、実印も押されていた。

「鯨蔵ちゃん、あんたひょっとしたら慎太郎を歌舞伎界へ入れる腹づもりなんか。それやったらやめときや。それは勇人くんのためにも、有田屋のためにもや」

「ちょっと待って下さい。僕の意見も聞いて下さい」

 鯨蔵は、手で制止した。そして包み隠さず、事の経過を話した。

 その事実はすでに、田原が知っていて、事前に久子にも伝えていたようだった。

「あなた、死んだ早苗さんが、どんなつもりであの勇人を生んだか、もう忘れたのですか」

 久子の表情は、能面のように、冷徹で、固く、近づく全ての対象物をはねのける凄みがあった。

「わかってますよ」

 早苗は、出産すれば、子宮がんが進行するのを承知で、勇人を生んだ。

 自分の命と引き換えに、勇人を生んだのだ。

「早苗ちゃんは、自分が死ぬのがわかってても生んだやで。そらあ慎太郎がどんなにええ子に育ってても、一番は勇人やで」

「お坊ちゃま、最後の早苗さんのお言葉お忘れですか」

 千代が久子に加勢した。

「勇人を頼みますと云いましたよ」

「わかってるよ」

 ここで鯨蔵が語気を弱めた。

「申し訳ございません」

 悦子は率直に謝るしかなかった。

「何か、向こうに脅されているんか。それやったら、わしが仲裁に入ってもええで」

 三年前、祇園でヤクザと大喧嘩してもめた時、田原がヤクザの会長宅まで単身で乗り込んで手打ちに持ち込んだ。

 相当の金が動いたが、その金額を田原は一言も云わない。

「いえ、それはありません」

 鯨蔵と悦子は、解放された。

 歌舞伎座での稽古に向かうため、タクシーを拾う。車中で鯨蔵は、前を向いたまま、

「俺、気持ちは変わらないからね」

 重い、覚悟の声だった。

 その声は、悦子のこころの真ん中にぽんと投げられた。

 池の中に小石を投げると、小さな輪っかの波紋が幾重にも重なり出来る。

 今回の騒動は、この波紋とよく似ている。小さな波紋が、どんどん池の淵に向かって拡大していく。

「じゃあやはり、何らかの形で慎太郎さんを東京に呼ぶんですか」

「ただ呼んだだけでは、あのヒサヒサコンビにすぐに追い返されてしまう」

 ヒサヒサコンビとは、田原久雄、堀江久子、二人の名前の「久」を取って呼んだものだ。有田屋の中、いや歌舞伎界では有名なコンビ名であった。実力ナンバーワンとも云えた。時の総理大臣でも動かす実力を持っていた。

「どうするんですか」

「それを考えているんだよ」

 今度はいらつく鯨蔵の声だった。


 十一月の巡業に悦子はついて行かなかった。

 十二月の南座顔見世に向けて、準備が沢山残っていた。

 今回の巡業は一か月の長いものではなくて、二週間の短いものだった。

 鯨蔵自主公演で、歌舞伎、落語とのコラボだった。

 そのビッグニュースを、悦子は鯨蔵からの直接の電話で判明した。

「あのさあ、結論先に云うね」

「はい何でしょうか」

「今回の自主公演のステージ数、増えました」

「ハイハイ」

 悦子は軽く返事した。

 これは鯨蔵の自主公演でよくある事だった。

 毎回完売で、追加公演で、本来昼一回公演を夜公演もやる場合がある。

 悦子は今回もそのケースだと思った。

「場所の追加だよ」

「どこでやるんですか」

 悦子は巡業日程表を見ながら聞いた。

「大阪オリックス劇場でやった後、移動日一日あるだろう」

「はい、翌日が、京都造形大の春秋座です」

「その移動日に、南座で昼一回公演をやる」

「でも南座さんが」

「たまたまやってなくて空いてるからどうぞって」

「でも日にちないし、今からチラシ、ポスター印刷してると」

「そんなものやらない」

「じゃあどうするんですか」

「俺と南座のブログで宣伝するから」

「わかりました」

「で、南座バージョンで、演目も変えるから」

「何をやるんですか」

「慎太郎と二人で連獅子やるから」

 その言葉に悦子はぐっと来た。一瞬頭の中が空っぽになった。

「もしもし、悦子、聞いてるの」

「ああ、は、はい聞いてます」

「じゃあよろしくねえ」

「ああ、もしもしマスコミには、事前に云わないと駄目でしょう」

「時間ないから、当日やるよ」

 いきなりの直球である。

 恵利からも電話があった。

「どうしましょう、いきなり有田屋さんと、連獅子やなんて」

「やるしかないでしょう、恵利さんファイト!」

「ファイトですね」

 確かに不安だろう。稽古やるとしたら、当日の朝しかなかった。

 何日も稽古に日数をさかない歌舞伎だが、相手は素人に近い中学生である。

 その力量をも全くの未知数である。

 後でわかったが、慎太郎は南座の舞台で所作事(踊り)をやるのは、もちろん初めてである。お稽古のおさらい会で踊ったぐらいである。

 連獅子では、花道を使っての獅子の出があり、後ろ向きでの引っ込みもある。

 南座の花道の長さを身を持って把握しないといけない。

「俺、泥かぶる覚悟出来てるから」

 鯨蔵は、云った。

 マスコミは、こぞって今回の隠し子を面白おかしく書き立てる事だろう。

 そのデメリット被っても、慎太郎の中学生ながら、秀でた才能を広く世間に広めたいのだった。しかし、これはリスクを伴う大きな博打でもあった。

 もし慎太郎の芸が、それほどたいしたものでなかったら、鯨蔵の評価は一気に下がるだろう。

 父、岩寿郎がいないので、さらに梨園からの風当たりもきつくなる。

 昨年妻の早苗の子宮がん治療のために一億円使った。その医療費を稼ぐために、ブログの更新回数を増やした。皆がアクセスしてくれると、鯨蔵にお金が入って来る。

 毎月ブログだけで、五千万円稼いでも、右から左に消えた。死んでも借金は残る。

 そこで近日、「鯨蔵、早苗・その愛」と題した本を出す。

 一応表向きは、鯨蔵著作となっているが、現実はタレント本ゴーストライターが書く。チェックは鯨蔵がやる。

 さらに竹松で映画化、テレビでのドラマ化の動きが出ている。

 そして鯨蔵、早苗のブログの英語バージョンを開設。

一か月、一億円稼ぐ算段だ。

 医療費の返済と、鯨蔵の自主公演費用、さらに鯨蔵が作った個人事務所の人件費、維持費、税金などで瞬く間に消える。

 確かに大きく稼ぐが、そっくりそのまま消える。


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 南座は、「緊急告知」と題したブログ、フェイスブック、ツイッターを更新した。

「一日、一回だけの、有田鯨蔵公演決定!

 有田鯨蔵の会・巡業公演(南座バージョン)を開催する事になりました。

 十一月十日午後一時開演(開場十二時半)

 演目  1 鯨蔵トークショー

     2 連獅子(有田鯨蔵・常盤慎太郎)             」


 あえて、常盤慎太郎のプロフィールを掲載しなかった。

 しかし、ネット社会を反映して、すぐにその正体をアップするサイトが無数に立ち上がった。あるサイトでは、どこでどう調達したのか、慎太郎の小学校の卒業アルバムの顔写真まで載せるものまで現出した。

今やマスコミの力よりも、個人のネット力の方が、速報性と大きな存在を示す世の中となった。

 記者会見は、午前十一時から行う事になった。

 当初、南座の一階西側、川端ロビーで行うつもりだったが、出席するマスコミ、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞、スポーツ紙、ネットテレビ関係など、総勢五百人を越す記者が駈け付ける事態になった。

そのため、急遽南座の一階の客席で行う事になった。

一階なら、椅子席559席、桟敷席60席、合計619席収容出来る。

 日本のテレビ局だけで、百社を越えていた。

 さらに日本だけでなく、海外プレスも参加していた。

 これは昨今の日本の文化、歌舞伎が外国人の間で急に人気になったのと、鯨蔵が毎日ブログを更新していたが、この英語バージョンを鯨蔵事務所の人間が日々更新していたせいもある。

 さらに三年前、鯨蔵は、フランス、イギリス、ドイツを始め、ヨーロッパ公演を成功に収めていた。

 特にフランス政府からは、日仏文化交流に貢献したと云う事で、幾つもの賞と勲章を授与されていた。フランスでは、「北野武」と並んで「有田鯨蔵」が一番有名な日本人に選ばれていた。

 もはや、情報発信は、日本のマスコミだけと云う時代は終わっていた。

 テレビのワイドショーも、ネットの話題をテレビで垂れ流す体たらくである。

 悦子は、鯨蔵のブログは、必ずチェックしていた。

 ♯(ハッシュタグ)鯨蔵でインスタグラムでチェックすれば、たちどころに、世界から二億を越える写真付き記事が出て来る。

 ユーチューブで、「鯨蔵」と打ち込めば、これも二億から三億の映像が出て来る。

 これらを全てチェックするのはもはや、不可能である。

 誹謗中傷もかなり多い。

 特に三年前の「祇園殴打事件」の時の書き込みは酷かった。

「被害者面するんじゃない!」

「お前の方が加害者だろう」

「鯨蔵は、意外と喧嘩弱いのよね」

「そらあ灰皿に酒注がれて、無理やり飲まされたら、誰だって、相手が鯨蔵だろうと殴るよね」

「灰皿だけに、タバコをもみ消すように、事件ももみ消し図るのか!」

等の辛口コメントが列挙された。


 鯨蔵が羨ましかった。

 私も、(有田屋・女番頭・野田悦子のつぶやき)ブログをやろうかしらんと悦子は思った。もちろん出来るわけがない。

 鯨蔵と慎太郎との連獅子の舞台が、刻一刻と近づく。と同時にそれは、鯨蔵が泥を被る瞬間かもしれない。

 舞台稽古は、鯨蔵の記者会見前の午前十時から行われた。

 舞台取材は、一切シャットアウトした。これは慎太郎への配慮でもあった。

 客席には、久子、田原の姿があった。

 鯨蔵は、二人に、

「とにかく舞台を見てやって欲しい。何も弟子にするとも、部屋子扱いも決めていない。私個人の自主公演で、常盤慎太郎と云う一人の中学生が出るだけ」

 と云って説き伏せた。

 恵利、育子の姿はなかった。やはり恐れ多くて、舞台稽古まで見に来れないのだろう。

 二人は、正規の切符で入って来るはずだ。切符の手配は悦子がした。

 切符は五分で売り切れた。

 ネットでは、一等席一万円の席が五十万円で売買されていた。

 ジャニーズ以上の人気ぶりであった。

 稽古は、実にあっさりしたものだった。スマホ片手に浴衣姿で鯨蔵が舞台に出て来る。慎太郎も浴衣姿で、扮装はしていない。

 本来の歌舞伎なら、化粧、衣装、かつらつけての通し稽古があるが、それもなかった。段取りだけである。それも実にあっさりしていた。僅か三十分で終わった。

 慎太郎にしてみれば、みっちりやって欲しかっただろう。

 鯨蔵は、慎太郎の顔を写さず、お腹から下を撮ってすぐにブログを更新していた。

「いよいよ、大型新人との共演が近づきました(笑)」

 の一文がつけられていた。

 スタッフからは、恐怖のスマホと呼ばれている。

 何でもかんでも、すぐにスマホに撮られる。

 大道具、小道具、照明、音響、長唄、義太夫三味線、衣装、床山などあらゆるスタッフの持ち物、行動、仕事ぶり等を写真に撮る。

 照明の笠置にいたっては、京都駅から、南座に向かっての出勤途中の自転車で疾走しているところを激写された。

「爆走‼中年暴走族・南座照明Kさん(笑)」

 さすがに顔だけは、撮ると問題なので、ギリギリ編集していた。だから関係者が見ると誰かすぐにわかった。

東京歌舞伎座公演の時に、狂言作者、付き人、弟子などを引き連れて、吉原に繰り出した。

遊んだ後、待合室にいる皆を写真に撮って、すぐにアップ。

「皆さん何故か、すっきりした顔してます(笑)」の一文をつけた。

これで、浮気がばれて、離婚寸前まで行った人もいる。

まさに、恐怖のスマホなのだ。

 いよいよ記者会見が始まった。

 鯨蔵は、急に舞台上手から走って出て来て、舞台の上から、場内に居並ぶ取材陣に向かって写真を撮った。

 何人かの記者が慌てて、顔を隠した。

「奇襲写真攻撃!」である。

 鯨蔵のスマホの威力を知っているから、顔を隠したのだ。

 鯨蔵は、撮り終えると、ひょいと客席の一番前に飛び降りた。

 さーと五十本近いマイクが、口元に持って来られた。

「今日、共演なさいます慎太郎さんについて、一言お願いします」

「初めに私の方から、本日お越しのマスコミの方々にお願いがあります。彼はまだ中学三年生なので、取材の配慮をお願いします」

「慎太郎くんは、ネットでは、鯨蔵さんの子供だと云われておりますが」

「はいその通りです」

 間髪入れずに即答した。客席にいる記者、レポーターから小さなどよめきが起こった。

「いわゆる隠し子ですか」

「あのう僕は別に隠してたわけじゃないので。オープンにしてましたが、あなた方がお気づきにならなかっただけです」

 ここで鯨蔵は豪快に笑った。

 一斉にカメラのシャッターが切られ、フラッシュがさく裂する。

「鯨蔵さんには、すでにご長男の勇人君がおられます。慎太郎くんは、どう扱われますか」

「本日の共演だけのものです」

「有田屋に入門させますか」

「先程申し上げました通り、本日一回限りの共演であり、弟子も部屋子も今は考えておりません」

「(今は)と云う事は、将来的にはどうでしょうか」

「こればかりは、私の一存で決められません。相手はまだ中学生の子供です。もし仮に私が待ち望んでも、本人が嫌だと云えばそれで終わりです」

「慎太郎さんは、今回の鯨蔵さんとの共演をどう思ってますか」

「滅茶苦茶、緊張していると思いますよ」

「その慎太郎君に向かって一言お願いします」

「下手したら、谷底に突き落としてやる!」

 思いっきりカメラ目線の鯨蔵だった。

「まさに連獅子で演じる、親獅子の心境なんですね」

「はいその通りです」

 にこやかなうちに、お開きとなる。

 悦子は鯨蔵について、一緒に楽屋に向かう。

「あっこれ面白いねえ、悦子見てよ」

 エレベーターの中で、スマホの画面を見せた。

 先程記者会見の冒頭、居並ぶ記者たちを撮った写真だ。

 数人が慌てて、腰を屈め、手で顔を隠す記者たち。カメラワークから苦れようと走り出す者、足がもつれて倒れて、さらにその上からつまづいて覆いかぶさる者たち。

「早速アップするか」

 鯨蔵は高速打ちで一文を打ち込んでアップした。

「本日は、熱狂的な僕のファンがこんなに沢山来てくれました(笑)」

 写真と共に、この惹句が添えられていた。アップと同時に全世界から三億回再生された。

 クスッと悦子は笑った。

 あの異様とも思える五百人ものマスコミ陣の中で、一人戦ったのである。

 その精神力は並大抵ではない。

 悦子は、ポケットのある物の中身を手で何回もチェックしていた。

「そのポケットの中身は何ですか」

 鋭い観察力を持つ鯨蔵が聞いた。

「あっこれですか。これは今はお見せ出来ません」

「何なの、ラブレターなの、俺に対して」

「さすがは鯨蔵さん鋭いですねえ。でもちょっと違います」

 鯨蔵の口から「ラブレター」の言葉が出て、心臓が一気に脈打った。

「いつ見せてくれるんだよ」

「公演終わってからです」

 そうなのだ。そう云う約束なのだ。

 あの人との約束なのだから。

 それが、今日の私の最大の役目なのだから・・・。

 まさか、本当にこの日が来るとは思わなかった。むしろ、永遠に来ない日の確率が高かったと云える。だから悦子も緊張していたのだ。

 鯨蔵の楽屋に顔出ししてから、慎太郎の楽屋を訪ねた。

 暖簾をかき分けて入ろうとすると、久子と田原が出て来るのと鉢合わせになった。

「お母さま、田原会長!」

「悦子さん、鯨蔵は楽屋にいるの」

「はい、今戻りました」

「そう、じゃあ会長さん行きましょうか」

「そうやな」

 田原は、笑いながら出て行った。

 楽屋には、慎太郎、恵利、育子の三人がいた。

「何か云われましたか」

 開口一番、口にした言葉がこれだった。

「敵機襲来どした」

 育子が笑いながら答えた。

「大規模空襲でしたか」

「いえ、局地的爆撃どした」

「おお、こわっ!」

 恵利もおどけて見せた。

 二人の話を総合すると、あの例の念書を畳の上に広げて、

「約束違反は駄目ですよ」

 と念押しされたそうだ。

「あんな念書、お母さんもお婆ちゃんも書いてたなんて知らんかった」

 慎太郎は、深くため息をついて、落胆の表情を見せた。

「あんたは何も心配せんでよろしい。今は舞台の事だけを考えていたらええんや」

 恵利が云った。

「そうですよ」

 悦子も同調した。

 開場して客がどっと詰めかける。

 南座の表では、テレビカメラが数台スタンバイしていた。

 舞妓、芸妓が詰めかける。その姿を撮ろうと、カメラ小僧が押し寄せる。

 素人とプロの間で、いざこざが起きる。

 それを見て、通りがかりの外国人観光客が立ち止り、通行出来なくなる。

 誰が通報したのか、近くの縄手交番から、警察官二人がやって来る。

 南座の中も異様な雰囲気に包まれた。

 客席一階、二階の後方はビデオカメラ、プレス関係者で埋め尽くされた。

 遅れたカメラマンは、三階席後方に行く。

 今までなら、大向こう数人だけがいる、三階席後方が、びっしりと埋め尽くされていた。

 客は盛んに緞帳をカメラに収め、それぞれの個人のブログ、フェイスブックにアップ。

中には後方のカメラ、ビデオカメラの放列を写真に撮り、ツイッターに投稿。

「南座は、緊急事態になってます。これから首相が重大発表するみたいです」

 これに対して、

「重大発表じゃなくて、重大踊りだろう」

「慎太郎からしたら、重大踊りじゃなくて、十代踊り‼⁉」

「次期、鯨蔵のお披露目です」

「さあどうなる勇人VS慎太郎」

 続々とリツイートされる。

 開演五分前に緞帳が上がる。後ろから定式幕が現れる。

 第一部は、トークショーなので、緞帳のままでもいいのだが、鯨蔵の希望で定式幕での開幕となった。

 定式幕とは、左右に開閉する幕で、黒、柿、萌黄色の三色縦じまで構成されている。

 色の配列は、竹松系と、国立劇場で順番が異なる。

 竹松は森田座方式、国立系は市村座方式だった。

 開演を知らせる拍子析が鳴る。今まで雑談でざわついていた話し声が一気になりひそめ、遅れて入って来た客は早足で、自分の席に向かう。

 定式幕が、大道具の人によって、下手から上手に向かって開き始める。

世間一般の人は、定式幕は、一人で開けると思っているが、実はそうではない。

 定式幕は、一見軽そうに見えるが、段々上手に巻き取られていくうちに、一気に重量が増す。普通、二、三人で行う。

一人が幕を掴んで、徐々に速度を上げて進む。あとの二人は幕袖と、引手と幕袖の間に一人いる。引手が幕を開いて行くと、束ねる幕が増えて行くから、その重量の幕を引き取る役目である。

また、定式幕を開ける人間は、黒子姿に黒足袋で、雪駄は履かない。

メガネをかけている人は、外す決まり事がある。

江戸時代、メガネは存在しなかった名残である。これは、つけ打ちでも同じである。

 舞台中央に鯨蔵が立っていた。

 拍手、声援の大きな膜が、鯨蔵を観客を一瞬にして包み込む。

 と同時に三階席後方から大向こうが、その膜に被る。

「有田屋!」

「鯨蔵!」

「八代目!」

 鯨蔵は、大向こう、拍手が収まるのを待つ。

「皆様、本日はお忙しい中、南座にお越し下さいまして、誠に有難うございます。有田鯨蔵にございます」

 再び、大向こうと拍手が起こる。

「本日、南座バージョンと云う事で、第二部では、連獅子を踊らさせていただきます。親獅子の精を私が、仔獅子の精を常盤慎太郎が演じさせていただきます。

 この所作事(踊り)は、大変有名なものでありまして、ここで私がくどくど説明するよりは、見ていただいた方がいいと思います。

 私、実は三年前のヨーロッパ公演で、この連獅子をやらせて頂く機会がございまして、自画自賛でございますが、大変好評でございました。言葉がわからなくても、ビジュアル要素の高いものですので、外国人の方にもわかっていただけたかと思います。

 ですので、今日歌舞伎舞踊を初めてご覧になるお方も、私が親獅子、慎太郎が仔獅子、この親子関係だけを頭に入れてご覧になればいいと思います。

あっ、今、親子関係と云いましたけど、あくまで連獅子の中でのお話でございます。

プライベートでは・・・・」

じわじわ笑いの小波があちこちで立った。

「ご想像にお任せします」

あちこちで笑いが、弾けた。

喜劇役者も真っ青の、抜群の「間」の取り方だった。

「さて歌舞伎と云いますと、何か堅苦しい、予め幕間に、スマホで検索する必要はございません。何もこれから、歌舞伎検定試験が始まるわけではございませんので」

 再び客席に笑いの、しわがあちこちに出来る。

「では、ここで仔獅子の精を呼んでみたいと思います。

(仔獅子の精!こちゃへ、こちゃへ参れ!)」

 鯨蔵が上手袖に向かって手招きした。

 一瞬、間をおいて上手から、慎太郎が顔を出すと、客席がどよめいた。

 それは、若き鯨蔵を彷彿させるものだったからだ。

 慎太郎は挨拶した。顔面蒼白である。

「緊張してるの」

「してません」

 強がりを云う慎太郎だった。

「その云い方が緊張の極みだろう」

 客席に笑いが起きた。

「私と慎太郎との関係ですが、それは明日のワイドショーをお楽しみに」

 わっと笑いの大波が立つ。中には、スマホを取り出す客もいた。

「今、スマホで検索、ツイッターしないで下さい」

 目ざとく見つけた鯨蔵がやんわりと注意した。遅れて案内係が通路を走って来た。

「慎太郎君は、南座は初めてですか」

「いえ、何回かあります」

 意外な答えに鯨蔵も観客も、驚きの波が立つ。

「えっ、初めてじゃないの。いつ出たの。誰と共演したの」

「出たんじゃなくて、観劇に何回か来てます」

「そんな事、誰も聞いてねえよ」

 失笑の小波が、あちこちで生まれる。

「すみません」

「天然か?」

「えっ、僕?くじら?」

「養殖のクジラいるかよ。俺もお前も天然のクジラだ」

 笑いと拍手が同時に巻き起こる。

「すみません、南座で演じるのは初めてです」

「連獅子は」

「二、三回やってますが、鯨蔵さんとは初めてです」

「そんな事、お前に云われなくても、お客さんも俺もわかってるよ」

 笑いの爆発の花火が、あちこちで打ちあがった。

 再び笑いの大波が劇場の隅々まで押し寄せ、観客の緊張の皮を根こそぎめくり取った。

 笑いの渦の中で、第一部のトークショー、対談が終了した。

 三十分の幕間(まくあい)(休憩)を挟む。

 悦子は、川端ロビーの番頭席にいた。

 今回歌舞伎役者は、鯨蔵一人だけなので、小机、椅子一つずつの寂しいものだった。

 数人の女性がやって来て、

「慎太郎さんは、有田屋に入門されるんですか」

 と尋ねる。

「それはまだ決まっておりません」

 にこやかに答える。

 また数人の別の女性からは、

「これ、慎太郎さんにあげて下さい」

 と楽屋見舞が届いた。

 また楽屋には、一日だけの公演にも関わらず、ランの鉢植えの花が祇園町から何点か届けられた。

 悦子は、何度も腕時計を見直す。自分まで緊張する。

 楽屋に、二丁(開演十五分前)を知らせるベルと析頭が二つ鳴り響く。これは、楽屋内、舞台だけで場内には流れない。

 そして、やがて、まわり(開演五分前)のブザーが鳴り、館内放送が流れる。

「開演五分前です。どなた様もお早くお席におつき下さいませ」

 悦子は正面ロビーに回る。

 久子と田原が、客席後方にある監事室に入るのを見かけた。

 普段なら、後方で見るのだが、今日はカメラ、関係者でいっぱいである。

 悦子は、一階客席後方のサイドのコーナーでかろうじて自分の陣地が取れた。もちろん立ち見である。

 そしてついに幕が開く。

「連獅子」は、大きく分けて、二つのパートで成り立っている。

前半は、狂言師右近、左近が登場。親獅子、仔獅子の踊りを披露。

後半は、花道から、親獅子の精、仔獅子の精が登場する。

前半と後半とでは、衣装ががらりと変わる。

その着替えの時間を作るために、二人の修行僧による「宗論」が語られる。

その後、三味線の大薩摩が入る。

大薩摩は、江戸浄瑠璃の一派で、片足を合いびきに乗せたまま三味線を弾く、豪快な演奏である。

それが引き込むと、一転して「露(つゆ)」と呼ばれる音楽となる。

その名の通り、露が、ぽたぽたと滴り落ちるように、静まり返った場内に、ゆっくりと間合いを置いて、太鼓の音が、

「コーン」

 と幾つか、鳴り響く。

一説には、やまびこを現わすとも云われている。

「動」と「静」の交互の間合いは、観客のこころを否応なく次の興奮の世界への入り口を垣間見せる、究極の演出テクニックでもあった。

 親獅子が、揚げ幕から出て来る。鯨蔵である。

紺地破れ立涌に向蝶織物法被こんじやぶれたてわくにむかいちょうからはなおりものはっぴ白地網代牡丹柄織物大口しろじあじろぼたんがらおりものおおくち白茶皮色締切亀甲に牡丹織物半着付けしろちゃかいろしめきりきっこうにぼたんがらおりものはんきつけである。

南座大天井上手側ギャラリー、上手フロント・サイドフォロースポットライト、三階客席奥のセンタースポットと三方向からの光の眩い光に照らされて、衣装も獅子の毛も、幾つもの宝石を中に仕込んでいるかの輝きを放った。

特に衣装の金糸は、動く事で、光と輝きが複雑に乱反射して見る者を楽しませた。

鯨蔵は花道七三で立ち止まる。

 両手を横に広げて、顔は前を向いたまま、後ろ足でスタスタと引き下がる。

 やがて再び花道から出て来て、舞台で待つ。

 次に仔獅子の精が登場する。慎太郎である。

萌黄地破れ立涌に向蝶織物法被もえぎじやぶれたてわくにむかいちょうからはなおりものはっぴ朱地網代牡丹柄織物大口しゅじあじろぼたんがらおりものおおくち白・朱色締切亀甲に牡丹織物半着付けしろ・しゅいろしめきりきっこうにぼたんがらおりものはんきつけである。

こちらの衣装は、その名の通り、萌黄(鮮やかな黄緑)、朱色があるため、より一層華やかさを醸し出していた。

今回、親獅子、仔獅子は、一人ずつ登場したが、二人同時に出る場合もある。

一般的に歌舞伎、歌舞伎舞踊と云うと、一つだけの型を昔から連綿と受け継がれて来たかと思われがちだが、そうではない。

一つの狂言(演目)でも、それぞれのお家で、型が違う。舞踊も振り付け、役者によって様変わりである。

歌舞伎、歌舞伎舞踊は、時代、時代で少しずつ変化して、進化して来たものである。

そこには、先人たちのたゆまぬ工夫と改良と情熱と魂が宿っていた。

決して古臭いものではないのだ。

これほど、改良を加えられて来た演劇は、世界的に見ても歌舞伎だけである。

 鯨蔵の登場と同じくらいの声援、拍手が起きた。

 慎太郎は、まだ歌舞伎界に入門していないから、本来屋号はないはずだ。

 しかし三階席後方の大向こうからは、鯨蔵と同じ屋号、

「有田屋!」

 の大向こうがかかる。

 客席が、大きくどよめいた。その大向こうの声に触発されるかのように、観客は拍手をして、場内を瞬く間に、「有田屋ワールド」へと誘う(いざなう)。

 そしてこれが、新しい歌舞伎スターの誕生でもあった。

 子獅子は、手を大きく横に広げて小走りで花道から出て来る。

 七三で立ち止まり、一瞬間を置いて、身体は前を向いたまま全速で、後ろ足で戻る。

 これは簡単そうで、中々出来ない。人間、真っすぐ直線に下がる事は難しい。左右どちらかに曲がってしまう。

 重い衣装、長い毛の獅子のかつらをつけての、後ろ足での疾走である。

 拍手が再び起きた。

後見二人が、二畳台を抱えて出て来て、左右に二つ置く。

さらに赤い牡丹の木を二畳台の四隅にさす。

女性観客の中には、この赤い牡丹と同じ絵柄の帯や細かい赤い牡丹の図柄をあしらった着物を着ている方が何人かいた。

 親獅子(鯨蔵)、子獅子(慎太郎)との踊りが始まる。

 客席の熱気はさらに高まる。

 そしていよいよ二人は二畳台に上がる。檜の所作板が敷かれた舞台より一段高い二畳台は、縦横一間(約1・8メートル)ばかしの台である。

 ここから、頭を回転させながら、獅子の毛ぶり、たてがみを大きく円を描くように回すのだ。素人なら、十回も回せば、文字通り目が回って、ぶっ倒れる。大体三十回ぐらいが限度である。

 一人が勝手に回すのではなくて、相手の回転も見ながら揃えないといけない。

 止めるのは、親獅子が、だんと足で大きく打ち鳴らす。それが合図である。

ここで、つけ打ちの尾崎が舞台上手端に登場して、座った。

歌舞伎通で何度も連獅子を見ている人は、おやっと思ったはずだ。

これから始まる、毛ぶりの回転に、本来つけは入らない。

しかし、鯨蔵は今回、特別に入れる事にした。

今月、尾崎は、休みで妻、明子と今回の南座公演を見る予定だった。

「見るより、出てよ」

いつものように、鯨蔵の半場強引さに負けて引き受けた。

稽古しなくても、連獅子は百回は見てるし、やっている。

しかし、毛ぶりのつけ打ちは、初めてである。

尾崎が一番気を使ったのは、「リズム」である。

長唄、太鼓、三味線の気ぜわしいリズムと同調して、同じ間隔でつけを打つとやかましくて仕方ない。

これは、殺陣の時のつけ打ちと似ていた。

殺陣のつけも、激しい立ち回りと同調してつけを打つと、殺陣よりもつけの音が前に出てしまう。

二人の毛ぶりが始まる。

段々と速度を増した毛ぶりの回転が始まる。

尾崎は、注意深く、毛ぶりを注視しながらつけを打ち始めた。

「タンタン、タンタン、タンタン」

客席では、妻の明子が両手を握りしめて、見守っていた。

 後方に居並ぶ、長唄お囃子連中の演奏(三味線、笛、鼓、太鼓)も激しく、気ぜわしくなり、毛ぶりの回転をより一層早くさせる効果があった。

 その音楽に乗せられて、二人の毛ぶりの回転はさらにさらに勢いを増す。

 悦子は、両手に汗がびっしょりである。

 鯨蔵の頭の回転は、いよいよ速くなる。

 悦子は、こころの中で数えた。

 二八,二九,三十・・・

 やめない。それどころか益々早くなる。

 三九、四十、四一・・・

(もうわかった、やめて!)

 悦子の身体は膠着した。

 これはきっと、鯨蔵が文字通り試しているのだろう。

(ついて来られるのなら、ついて来い!)と。

 親獅子が、子獅子を谷底へ突き落として、自ら這い上がって来たものだけを子として認める。連獅子のあらすじを、鯨蔵自ら身を持って慎太郎に体現していた。

 何度目かの拍手が巻き起こる。

 五十回を過ぎると、拍手だけでなく、大きなどよめきの膜が南座の客席と舞台とを覆い始めた。

 その膜は、最初は薄くすぐに破れそうだったが二人の毛ぶりの回転に呼応するかのように次第に厚く変化して行った。

 六十回を過ぎると、観衆は、興奮の洪水を浴びて麻痺したかのように、釘付けとなる。

 七十回、八十回・・・。

 そしてついに鯨蔵が足を大きく踏み鳴らす。

 それでも慎太郎は、まだやめない。拍手が鳴り響く。

 もう一度鯨蔵が足を大きく踏み込んだ。

「ダン、ダン!」

 二畳台が、真っ二つに割れるぐらいの、大きな音だった。

 それでもやめない。大きなどよめきと話し声が交差する。

 壊れてしまったゼンマイ仕掛けのおもちゃのように、慎太郎だけの獅子のたてがみが、回り続ける。

 上手から後見が飛び出して、やめさせた。

 二人後ろ向きになる。後見が、各々のたてがみを整える。

 二人同時に正面を向く。

 その場で見えを切る。両手を水平に大きく横に広げ、片足を一歩前へ出す。

つけ打ちの、打ち上げの連打が始まる。

「バタバタバタ、バタバタバタ、バタバタバタ」

二人が見得を切り、片足を二畳台から、所作台の舞台へ大きく一歩踏み込んだ。

「バタバタ」

尾崎の右手が最後に打ち下ろされた。

つけ打ちは、左手で始まり右手で終わるのだ。鉄則である。

「バタ!」

「チョン」

 止め析が入り、静かに緞帳が下りた。

拍手が鳴りやまない。ずっと続いた。

時間を追ってその音は、どんどん大きくなった。

 よく見ると、泣いている観客もいた。興奮のあまり、泣いているのだ。

 悦子も今まで何度か、連獅子を見て来た。

 しかし、今回ほど興奮し、こころのどよめきが収まらないのは初めてだ。

 監事室を飛び出した久子と田原がマスコミ陣をかき分けて、悦子のそばにやって来た。二人とも泣いていた。

「やられたな」

 田原が、かすれた声でつぶやいた。

「さすがは、有田屋の血を引いている凄い中学生、慎太郎さん」

 放心状態で、久子は語る。

 緞帳は下りたままである。

 原則として、古典歌舞伎には、カーテンコールは存在しない。

 それでも拍手の大波は、何度も場内を繰り返し、打ち寄せた。

 終演放送が始まる。

「本日はこれにて終演でございます。またのご来場をお待ちしております。有難うございました」

 まだまだ拍手が鳴り響く。

 何人かの観客が立ち上がる。後ろから案内係が注意しようと駆け寄るが、どんどん観客は立ち上がる。帰るためではない。二人への感謝の拍手を立ち上がって行っていたのだ。

 スタンディングオベーション、ミュージカルでよく行われる儀式だ。

 しばらくして、緞帳がゆっくりと上がる。

客席のどよめきと悲鳴と拍手が、幾重にも重なり波を打った。

観客は、その波に乗って手を叩き続けた。

どの顔も至福のひと時を持て、後光がこころの中に満ち溢れ、オパールの輝きとなり充足感と興奮でいささか酔っている。

心地よい酔いだ。

 出口の扉を開けていた案内係が、慌てて扉を閉める。

 舞台の真ん中に鯨蔵と慎太郎がいた。

 鯨蔵の誘導で、上手、真ん中、下手と三方礼を始める。

 舞台奥の山台の上の鳴り物・お囃子連中も正面を向いて一礼、頭を下げた。

 拍手がさらに大きくなる。

「有田屋!」

「鯨蔵!」

「八代目!」

「慎太郎!」

「日本一!」

「中学生、世界一!」

 大向こうが三階席後方からだけでなく、一階席、二階席とあちこちからかかる。

大向こうまでもが、客席を取り巻いていた。

 興奮した観客が自ら、声を発する。

 鯨蔵が、興奮して、獅子のたてがみのかつらを取る。それを横で見ていた慎太郎も同じ事をした。

 客席は大きくどよめき、拍手の嵐が直撃する。

 マスコミのビデオカメラは、舞台と客席を映し出す。

 鯨蔵も慎太郎もかつらを片手に大きく手を振った。

 悦子でさえ、初めて見る、「連獅子カーテンコール」の一幕だった。

 この連獅子を見た人たちの絶賛の嵐は、ネットのツイッター上でも吹き荒れ、席巻した。

「超格好いい!感動した!」

「おいおい、これが中学生かよ!」

「百メートル走なら、奇跡の八秒台出た瞬間に匹敵するぜ!」

「私、今まで何十回と連獅子見て来たけど、泣いたのはこれが初めて!この涙の正体教えて」

「その涙は、月並みですが、感動の嵐の中に芽生えた水分です」

「鯨蔵も凄かったけど、それに必死で食らいつく慎太郎も凄かった」

「慎太郎の方が多く回転してた」

「末恐ろしい中学生パワー!」

「これはもはや、連獅子と云う名の、二人の格闘技でした!」

「両者引き分け!」

「中学生台風、只今、ついに歌舞伎界に上陸しました。くれぐれも気を付けて下さい」


 終演後、祇園「ときわ」で打ち上げが行われた。

 久子も田原も同席した。

 田原会長が挨拶した。

「敵陣での挨拶は、気が引けます」

 と最初に述べて、始まる前の楽屋での無礼を謝った。

「今日は、新しい有田屋の役者の誕生の瞬間に立ち会えてよかったです」

 と述べた。

 久子も同じ思いだった。

「さすがは鯨蔵の子供です。素質あるどころか、すべてもう全部越えてます」

 と興奮していた。

 続いて鯨蔵が挨拶する。

「慎太郎、よく頑張った。て云うか、お前やり過ぎだよ、こっちが倒れそうだった」

 どっと笑いが起きた。

「皆さん、これからも慎太郎をよろしくお願いいたします」

 拍手が鳴り響く。

「それから、うちの女番頭、野田悦子から皆様にご挨拶があるそうです」

 悦子が前に向かう。

「皆様本日はお疲れ様です。鯨蔵さん、慎太郎さんご苦労様でした。この場をお借りして、どうしても皆様方に知ってもらいたい事があります」

 ここで言葉を区切り、悦子は一同を眺める。

「昨年、鯨蔵さんの奥さんの早苗さんが子宮がんでお亡くなりになりました。亡くなる直前、私は、早苗さんから呼ばれて病室に伺いました。

 早苗さんは、私に京都祇園にいる慎太郎さんの事を話されました」

 鯨蔵も慎太郎も、恵利も皆、悦子に視線を注ぐ。

 一同初めて聞く話だったからだ。

「早苗さんが私にこう云いました。もし慎太郎さんが鯨蔵と同じ舞台に立つ日が来れば、この手紙を読んであげてねと。

 これは、死の直前、早苗さんが鯨蔵さんへあてた手紙です。

 代読させていただきます。

( 鯨蔵さん、あなたへ。

 慎太郎さんとの共演、無事出来ましたか。あなたの事ですから、強引にでも共演された事でしょう。その共演する姿をぜひ見たかったなあ。

 でも残念ながら、もう私にはそこまで待つ時間も体力もありません。

 私は、あなたと結婚する前から慎太郎さんの事は知っていました。

 私は怒ってません。許します。そして慎太郎さんを梨園の世界へ入れてあげて下さい。才能があると思います。

 慎太郎さんの事を知り、京都での小さなおさらいの会を見ていました。

 年々、段々とあなたにそっくりになるのが、悔しさ半分、嬉しさ半分でした。

 でも見たかったなあ、あなたと慎太郎くんとの共演。

 お芝居かなあ、それとも踊りかなあ。

 あなたの事だから、まず踊りから始めると思います(間違っていたらごめんなさい)

 あなたが、この手紙を読むときは、残念ながら私はこの世にはいません。

 私とあなたと、こんなお別れがあるなんて、知りませんでした。

 でもあなたと慎太郎さんが共演する時は、必ず天から舞い降りて見てますよ。

 くれぐれもお身体に気を付けて。

 慎太郎さん、それと勇人、二人はこれからの有田屋の大切な宝です。

 あなたの力で立派に大きく美しく輝かせてね。

 本当に見たかったです、あなたと慎太郎さん二人の晴れ姿を。

 あなたへ                   早苗より        」


 代読を終えると悦子は、一歩後ろに下がった。

 鯨蔵は、悦子が持つ手紙をひったくるようにして再び、マイクの前に立つ。

「悦子、ずるいよ」

 鯨蔵の声と手紙を持つ手が震えていた。こみ上げて来る涙に負けて、言葉が途切れた。それを見て一同も涙を流す。

「確かに早苗の字だ。なつかしいなあ、付き合ってた頃、早苗はよく手紙をくれたよ。ライン、メールじゃなくて手書きのものをね」

 早苗の手紙には、所々、文字がにじんでいた。

「文字がにじんでいるのは、早苗の無念の涙だよね」

 振り返り、悦子に同意を求めた。

 悦子は半泣きになりながら、こっくりとうなづいた。

「わかりました。慎太郎、勇人を有田屋の宝として、私が責任持って育てます!」

 拍手が鳴り響いた。

 その夜、宿泊先のホテルで、悦子は考え事をしていた。

 私も久し振りに手紙を書いてみようか、あの人に・・・

 悦子のこころを突き動かしたのは、まぎれもなく手紙と鯨蔵の涙だった。

 早苗の手紙を開封して読んだのは、昨夜が初めてだった。悦子も鯨蔵と同じ気持ちで、あの手紙に感動したのだ。

 手紙には、そんな力があるんだと、改めて思った。

 翌日、春秋座での公演を終えた悦子は、美容院「白川」にいた。

「それやったら、これから益々悦子さんお忙しくなりますねえ」

 打ち上げ「ときわ」での出来事を聞いた良子ママが云った。

「ううん、慎太郎さんは東京の高校にひとまず入る事にして、高校行きながら歌舞伎の勉強させる事に決まったの」

「学問と歌舞伎の二足の草鞋を履く。若いのに大変どすなあ」

「これは鯨蔵さん、慎太郎さんのお母さんの恵利さん、鯨蔵さんのお母さんの久子さんも賛成しました」

「でも恵利さんと慎太郎はんは、京都と東京、離れ離れで寂しおすなあ」

「いづれは、子離れする時が来ます」

「そうですなあ、今から東京ですか」

「はい、一旦戻ります」

 悦子のスマホがバイブした。手をポケットに入れた。あの人に贈るものに触れた。

 鯨蔵からのメールだった。

(悦子さんにお会いしたい方がおられます)

 その文面を見るのと、美容院「白川」のドアが開くのが同時だった。

 鯨蔵、慎太郎が入って来た。

「お会いしたい方って誰ですか」

「おい、遠慮しないで入って来なさいよ」

 鯨蔵が後ろを振り向いて声をかけた。恐る恐る二人の男が姿を現した。

 南座照明係の川口と元照明マンの野田徳太郎だった。

「悦ちゃん、あんたのお父さんがノダトクて知らんかったわあ」

 川口が云うと、

「お父さん、凄い人らしいねえ、ビートルズ日本武道館来日公演の時のポールマッカートニーのセンタースポット係だったなんて、本当、凄いよ」

 鯨蔵も手放しで喜んだ。

「いえ、過去の朽ち果てた黄ばんだ、栄光です」

野田は、うつむき加減でぼそっと、声を出した。

「だからそれが凄いんだよ」

 鯨蔵は、徳太郎を店の真ん中に行かせた。徳太郎と悦子は向かい合う形になった。

「よお、久し振り!元気にやってるか」

「うん、やってる」

 沈黙が生まれる。

二人にとって、五年ぶりの再会である。

いざ、目の前に父、徳太郎が現れると一体何を喋っていいやら、頭の中は混乱し、身体の動きまで鈍る。

「ノダトク、あれ出しなはれ」

 川口が耳元でささやく。

「そうだよ、もったいぶらずにさっさと出しなよ」

 鯨蔵も催促した。

「うん、わかった」

 徳太郎は、ポケットに手を突っ込み、それを出した。

「お父さん、まさか、それって」

「手紙だよ。本当は投函するつもりだったんだよ。でも川口が」

 徳太郎は川口を見た。

「手紙て、そんなまどろっこしい事せんと直接会って話したらと云いました」

 川口は、今回たまたま、鯨蔵自主公演巡業の大阪、京都公演のセンタースポット係だった。徳太郎から相談を受けて助言したのだった。

「お父さん、実は私も・・・」

 今度は悦子がポケットから手紙を出した。

「今から出すところだったの」

手紙には、切手が貼ってあり、悦子は気恥ずかしく指先で、切手をなぞった。

「さすが父娘だよねえ。これこそ以心伝心ってやつだ」

 鯨蔵は感心したように云った。

 徳太郎と悦子はそれぞれ、手紙を交換した。

「この際、一層の事、二通の手紙ここでお披露目したら」

「俺は別にいいよ」

 徳太郎は答えた。

「えー!そんな恥ずかしい事出来ません」

 悦子は叫んだ。

「あっそう。だったらこの事、ブログにアップしようっと」

 鯨蔵のスマホ高速打ちが始まった。

「あー若旦那、わかりました。お披露目します。だからブログはやめて下さい」

鯨蔵のブログの反響の恐ろしさを骨の髄まで知っている悦子は、最良の判断を下した。

「じゃあ見せて」

 まず一同は、悦子から父、徳太郎に宛てた手紙を読み始める。


「朝夕、時折吹く風も冷たく感じる今日この頃です。

お父さん生きてますか?

私は生きてます。私はこうしてお父さんに手紙が出せる、そう云う相手がいる事を幸せに思っています。

 世の中には、最愛の人に手紙を出せない人が数多くいます。

鯨蔵さんも、早苗さんには、もう手紙を出せません。

 お互い、手紙が書ける事を幸せに思いましょう。

 今度久し振りに、ご飯食べに行きましょう。

 野田徳太郎様               野田悦子  」         


「そうだよなあ。書ける相手がいるって幸せだよなあ」

 手紙の文面から顔を上げてしみじみ、鯨蔵はつぶやいた。

 次に徳太郎の手紙を読み始める。


「悦子さま、お元気でしょうか。有田屋の番頭の仕事頑張っているようですねえ。

 番頭さんだから、丁稚さん何人かいるんでしょうねえ。

 時間に不規則な世界だから、身体を壊さないようにくれぐれも気を付けて下さい。

 今度近いうちに、ご飯食べに行きましょう。

 野田悦子様                   野田徳太郎より 」    


「へーえーさすが父娘だよねえ、最後のご飯食べまで一緒だよ」

 鯨蔵は、両手に二つの手紙を持ち、見比べていた。

「お父さん云っておきます。私、番頭でも丁稚なんかいません」

「昔、テレビでおましたなあ、(番頭はんと丁稚どん)」

 横から川口が云った。

「主演大村崑、出演が茶川一郎、佐々十郎。原作脚本が、花登筺(はなとこばこ)先生だったよね」

 懐かし気に徳太郎が云った。

「我々も知らない石器時代の話」

 鯨蔵が茶化した。

「それ知ってます」

 良子ママが答えた。

「ママ、そんなに年いってたの」

「私のお母さんが大村崑の大ファンでした」

「悦子、今、丁稚がいなくても何年かしたら出来るかもしれん。その時、丁稚さんにきつく当たっても駄目。かと云って優しく接しすぎて、持ち上げても駄目。これが本当のでっちあげ」

 徳太郎のダジャレに鯨蔵だけが反応して大笑いした。

「悦ちゃんのお父さんって、本当は落語家さんだったの」

「違います!ああ恥ずかしい!」

「恥ずかしがる事はないと思うよ」

「はいはい、雑談はそれぐらいで切り上げて皆さん行きますよ」

「どこ行くんですか」

 慎太郎が尋ねた。

「ついて来なさい」

 悦子は、先頭に立って大和橋を渡り、辰巳稲荷明神を目指した。

「慎太郎、ここは芸能の神様を祭るところだぞ」

「そうです。性根を入れて拝んでね」

 一同で拝む。

 真っ赤に色づいた紅葉の葉っぱが、どこからか風で運ばれて拝む悦子の手先に舞い降りた。

 その葉っぱを手のひらに乗せて空を見上げた。

 雲一つない真っ青な空が、悦子、鯨蔵達らを大きく包み込んでいた。

(新しい始まりだ)と思った。

 一通の手紙で人生が変わる時がある。

 一通の手紙で、人のこころを揺り動かす時もある。

 悦子は、父、徳太郎、鯨蔵、慎太郎の拝む横顔を見ながら思った。


      ( 終わり )



















































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