第2幕 ラブレター! 甘くて熱い メッセージ


 あの時から。

 クラスの男子が大きな声で悲鳴を上げて。

 あたしの首を指差したあの日から。


 髪を伸ばして火傷の痕を隠し。

 友達も作らず、陰に潜んで過ごしてきた。


 そんなあたしに訪れた転機。

 絶望の底に光輝いていた希望。

 まるでパンドラの箱。



 それが、『怪盗XXヘキサゴン』。



 あの方が起こした犯行は、偶然現場を通りかかったあたしに絶望を与えた。

 人の波に飲み込まれて倒れ、その時にクラスの男子に見られてしまったのだ。


 次の日、ひそひそと話す声が、こそこそとあたしを窺う瞳が生まれていた。

 次の日は、もっと酷くなっていた。

 次の日も。

 次の日も。


 そして、学校へ行くことが怖くなった。

 すべてに絶望したあたしは、部屋に閉じこもった。



 そんなあたしに贈り物が届いた。

 一通の手紙と、蝶の髪留め。


 震える手が開いた手紙には、眩しいほどの希望が書かれていた。



『すべてが完璧な人間なんかどこにもいない。

 くせ毛で悩む人もいる。歯並びで悩む人もいる。

 気にはなるだろうけど、それも人生の一部分。

 でも、それを治すより先に気付いて欲しいんだ。


 その痕が気にならないほどに、光り輝けばいい。


              怪盗 XX』



 ……あたしは、学園最大の謎から見てもらっていた。

 想像もつかないような英雄から応援されていた。


 そのことが、一歩を踏み出す勇気をくれた。


 日が明けると、私は紫アゲハの髪留めで火傷の痕をさらけ出し、胸を張って学校へ向かった。


 すると聞こえてきたのは、ひそひそとあたしの胸の痛みを気遣う声。

 見えてきたのは、こそこそとあたしにエールを送って涙ぐむ瞳。

 顔をあげれば、そこには沢山の光があった。


 もちろん、悪意だっていくつかあった。

 でも、それを消し去るほど、光り輝いてみせる!

 あたしのことを、あの方がいつも見て下さっている!



 ……そんなあたしの決意は、すぐに実を結んだ。

 沢山の友達が出来た。

 火傷の痕に目が行く人とも、それが当たり前と接することが出来るようになった。


 今では学園が楽しい。

 人生が楽しい。


 でも、たった一つだけ、どうしても掴めないものがある。

 たった一つだけ、願いが叶うなら……。



 藁にもすがる思いで加入してみたミステリ研も頼りにならず。

 才能と行動力の人、かの花野はなの夕風ゆうかぜさんと仲良くしてみても、なにも情報が得られることは無い。


 そんな、途方に暮れていたあたしが出会った希望の光。

 夢を叶える手がかりが、こんな言葉と共に舞い込んできた。


「野水さんですよね。初めまして。私こういうものです。……あなたひょっとして、『怪盗XXヘキサゴン』に会いたいと思っているのではないですか?」



 ……あたしは、この人に賭けてみようと決意した。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 夕風が僕を引っ張って来たのは二年生の教室だった。

 というか、僕のクラスの隣だし。


 しかし君、ほんと度胸あるね。

 普通は上級生のクラスに入ったら萎縮するものじゃないかな。

 ……まあ、礼儀正しくしてりゃ誰も怖い顔しないものだけど。


野水のみず春菜はるなはどこだ! 隠すと為にならんぞ!」

「うおおい! 礼儀! 君はほんと誰にも容赦ないね!?」

「ん? 礼なら尽くすぞ? だが、迂遠うえんを省くのと礼儀とは何ら関係が無いものと知るがいい」


 もー、君の論拠はいつだって唯我独尊。

 そして怖い顔になるどころか、みんなが下級生に怯えてしまってるし。


 申し訳の無い気持ちで教室を見渡すと、人一倍驚いた様子ですくみ上る女性の姿。


 彼女は、野水春菜さん。

 ちょっとした事件の後、XXヘキサゴンに会ってみたいという理由でミステリ研に入って来た同級生。

 ああなるほどね。

 確かに、紫アゲハと言えばアレのことか。


 髪を一つに結んだ柔らかい笑顔が固まってる。

 美人さんが台無しだ。

 怯えた瞳で僕を見てるようだけど。

 ねえ、気付いて?

 この騒動を巻き起こしてるのはこの人。

 僕じゃなくて。


「なあ夕風。せめて手荒な真似はしないであげて? 彼女、繊細なんだから」


 そんな僕の望みを木っ端みじんに吹き飛ばしながら、夕風は野水さんの細い腕を手荒に掴んで大声を上げた。


「よし! 容疑者確保! 例の空き教室へ向かうぞ!」

「おい、さすがに怒るぞ! 野水さんは容疑者じゃなくて、ターゲットの候補! あとさ、手荒な真似すんなって!」

「助手は黙っていたまえ。さあ、ついて来てもらおう」

「まったく! トイレの電球と、怒った僕に対する夕風の態度!」

「……面倒なやつだな。そのこころは?」

「切れても意外とほっときっぱなしだよね」

「電球の方はすぐに取り換えろ。どんな環境で育ったのだ」


 冷淡な切り返しと共に僕と野水さんの腕を引っ張ったまま、夕風は進む。

 僕と違って、鞄を背負いにしてるからできる芸当。

 いざという時の為に両手をあけておくとか。

 君は登山家なの?


 それよりごめんね、野水さん。

 僕でさえ痛いんだ。

 君にはこの強引な連行、辛いよね。


 ……でもね、そんなに怯えた目で僕を見ないでよ。

 しかも目が合いそうになった瞬間に顔を逸らさないでよ。

 この状態でも分からない?

 怯えるべき相手は、君の腕を引く漆黒の悪魔だってば。




 ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 ――さて、夕風秘密基地、その三に到着したわけだが。

 普段は掃除もしていないこの場所、なんだか埃っぽい気がするな。


 ここは二階の最果てに存在する空き教室。

 いつものごとく教師の弱みを握って確保したこの部屋は、夕風曰く、尋問室なのだそうだ。


 広くて開放的。

 いつも見慣れたものと変わらぬ景色。


 その方が、本音を出しやすいと言っていた。

 ……僕は、その論拠には賛同しかねるけどね。


 いつものミステリ研メンバーの指揮で、ラグビー部の連中が教室の後ろに積まれた机や椅子を並べる。


 全部で三十人程か。

 まさに衆人環視。

 こんな中でどうやって髪留めを盗もう。


 ……そして盗んでおいて、すぐ返さなきゃならんとか。

 なんて面倒な事させるのさ、叔父さん。


 そんなごたごたの中で、怯えたまま僕たちから距離を取った野水さんが小さな声で呟いた。


「夕風さん。いつも強引だけど、今日のはちょっと怖いです……」

「うむ。心配することは無いぞ、春菜」

「……『さん』を付けなさいな」

「ん? お互い納得の上で呼び合っているぞ? なあ、春菜」

「ええ、夕風さん。それより、これは一体……」


 そして二年生の野水さんが一年生の夕風を『さん』付けで呼ぶのか。

 芯は強いとこあるけど、基本は物腰の柔らかい野水さんらしい。


 でも、さっきから何さ。

 僕をちらっと見てはすぐに目を逸らしたりして。

 なにか君に嫌われるようなことしたかな?


 そんな野水さんに、夕風は携帯を突き付けた。

 僕も横から覗き込むと、そこには携帯で撮った『XXヘキサゴン』の犯行予告が表示されていた。


 野水さんは眉根を寄せて、目を細める。

 これは推理しているわけじゃなくて、読み辛いからだろうな。

 掲示板のガラス。その反射のせいだろうね。

 広々とした下駄箱風景の方が予告状よりくっきり見えちゃってるよ。


 野水さんは随分長いあいだ画面を確認した後、納得した様子で呟いた。


「あたしの髪留めが狙われているのですね。でも、標本とか、図鑑の可能性は?」

「いや、間違いなく『XXヘキサゴン』の狙いは春菜の髪留めだ。返還と書かれているからな。そこで……、大変言いにくいのだがな。その、『XXヘキサゴン』から貰ったという大切な品を、我に預けてはもらえないだろうか」


 ミステリ研を通して仲良くなった二人の美人さん。

 野水さんは夕風のわがままに、いつも笑顔で応じてくれる。


 でも、今回はためらいを見せた。

 僕があげた髪留め、肌身離さず付けているらしいからな……。


「どうか、我を最後まで信じて欲しい。それは必ず春菜の手に戻ることとなろう」

「髪に付けたままだと、狙われやすいですもんね……。分かりました」


 そう言いながら諦めのため息をついた野水さんが外した髪留めを、夕風は生まれたばかりの命を扱うかのように丁寧に受け取る。

 そして厚手のハンカチでくるんでから、ポケットへ入れた。


 夕風、それは君が思ってるよりもずっと大切な物なんだから。

 ちゃんと返してあげるんだぞ?


 ……そんな、少し切ないやり取りを知ってか知らずか、教室の扉を足で開いた僕のクラスメイトが能天気な声を上げた。


「おーい、花野ー。言われた物持って来たぜー。調理室遠かったー!」


 たつみくん。

 君はきっと、女子にモテないのだろうね。

 もうちょっと空気読もうよ。


 それより何さ、君が持ってる物。

 なんで学校にそんなものあるの?


 ……西洋料理をサーブする時に使う銀色のドーム。

 何が入っているのかな? ぱかん! っていうあれ。

 たしか、正しくはクロッシュとかいうんだよね。


「うむ、ご苦労だった。ここに髪留めを……」


 クロッシュを受け取って机に置いた夕風が、紫アゲハの髪留めを中にしまおうとしてぴたっと停止。

 ……何さ、僕の事にらんだりして。


「見てちゃいけないのか? 後ろ向いておく?」

「……うむ。なぜだろうか、ちょっと嫌だ」


 酷い事を言いながら、今度は蓋の逆側を開いて、目の前に立っていた巽くんを見て急停止。


 結局、クロッシュを抱えて教室の隅でこそこそと。

 そして何食わぬ顔で戻ると、恭しく机の上に設置した。



 ……教室の真ん中。

 椅子は至る所に置いてあるが、机はこれ一つきり。


 その上に置かれたお宝。

 、これを僕が盗むとするならば。


 カバンの中にはスモーク弾が一つ。

 これだけ人が密集していれば、パニックくらいは起こせる。


 そして煙の中で、「お前! 何やってる!」とか言って、お宝に一番近い男に飛びかかる。

 で、なんとか机を倒して、なんとか蝶を手にして、それをどこかに隠して、廊下へ向かってわざと捕まる速度で走る。


 廊下に出る手前で皆に取り押さえられながら、「違う! 一人逃げて行ったヤツが犯人だ! 追うぞ!」。

 他の連中と一緒に走るものの、さっきもみくちゃにされたせいで足をひねったとか言いながら離脱。

 そして教室に隠した蝶を回収して闇に消える。


 ……ふむ、さすがは真の『怪盗XXヘキサゴン』。



 なんて穴だらけな計画だ。

 レンコンに桜の型抜きしたみたい。



 我ながら情けない犯行計画しか思いつかないものだ。

 溜息と共に天井を仰いでいたら、夕風がそばに来た。


「さて、暇になったな。こいつらになにか知ってることでもないか聞いてみるか? 洗いざらい語ってもらおう」


 え? 自分の推理を語りたがるこいつらを洗う?

 きっと、とんでもないことになるぞ?


「シャンプーの詰め替えとこいつらへの聞き込み」

「ん? …………相変わらずまるでわからんな。そのこころは?」

「洗うと、一日分くらい無駄になる」

「上手いと言いたいところなのだが、なぜシャンプーのボトルがそんな仕様になっているのかという疑問の方が上回ってしまった」

「その一回分をケチケチしないのがモテる男子。その一回分を丁寧に使い切るのが

モテる女子」


 教室中から感嘆の声が聞こえる中、一番感嘆して欲しい人は呆れ顔。


「それをモテない助手に言われてもな。……ああ、思い出したぞ。良い暇つぶしがあるではないか」


 そう言いながら、教卓の上に置いた鞄からカラフルな紐を持って戻ってくると、


「誰でもいい。この男をこれで椅子に拘束しろ」


 とんでもない事をみんなに指示した。


 途端に襲い掛かる楽しそうな顔をした面々。

 寄ってたかって椅子に押し付けられて縛り上げられているんだけど、さすがだなミステリ研!

 足を体育座り風にされてはまったく身動きがとれん!


「ザイルロープで縛り付けて何をする気だよ! って、いてててて! 巽くん! そこはらめ!」

「ふむ。助手が貰ったラブレターを検分しようと思ってな?」


 夕風の涼しい声に、ぴたっと停止する喧騒。

 それは、嵐の前の静けさだった。


「「「「「なんだとーーーーーっ!!!!」」」」」


 いだだだだ!

 紐よりも腕の締め付けの方が痛い!

 七人がかりで締め付けないで!

 というか、夕風! 悪趣味!


 嬉々として僕の鞄からラブレターを取り出した夕風を止めるために、声を上げようとしたら……。


「やめてーーーーーーー!!!」


 もみくちゃにされた僕の狭い視界の中で大声をあげた女の子。

 それは、長い黒髪を下ろした野水さんだった。


 ……ん? なんで君が叫ぶの?


「春菜、どうしたのだ? まさかこれを君が書いたわけではあるまい?」

「えっと……………………。それを書いたのは、あたしです……」


「「「「「なんだとーーーーーっ!!!!」」」」」


 え?


 …………えええええええ!?


「ラブレター、野水さんがくれたの!?」

「違うの! あたしだけど、あたしじゃないの!」


 なにそれ、照れ隠し?


「こんな才媛、助手にはもったいないぞ! ちょっと、な、中身が気になる……」

「だから、なんで君が先に見るのさ!」

「うるさい奴だな。では同時なら文句はあるまい」


 男祭り状態になった僕の前にしゃがみ込んだ夕風が、ハートマークのシールをぴっと剥がして手紙を取り出す。

 その縁はストレートではなく、波打っていてとってもガーリー。


「やめてーーーーーーー! いやーーーーーーー!」

「だれか、春菜を押さえていろ! さて、では開くぞ!」


 夕風が差し出す手紙に群がる九つの顔。

 暑っ苦しいけど、それよりもドキドキする!


 僕が生まれて初めて貰ったラブレター。

 そこに書かれていたのは……っ!




<---┐

十一   │

ろう   └--->

命      本日

貰い受ける  じい

<---┐ として

    │ のみず

    └--->




「「「「「殺害予告っ!!!!」」」」」



 ……呆然とする、九個の顔。

 それが揃って青ざめた顔を向ける先で、野水さんは赤らめた顔を両手で覆いながら床にしゃがみ込んでいた。


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