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「はぁ~、気が重いよ……。今日だって数学の他に英語も国語も社会だってあるのに……。っていうかこれ普通の勉強ばっかりじゃない、全然魔法の勉強してないし! ねえこれっておかしくない?」

「まあセンパイが目標にしている一級魔女免許ってこの世界の外でも立派に通用する資格ですよ? 日本の中学レベルの知識くらいなければ合格なんか無理です」

「なにそれっ? 魔法ってそういうもの? なんか違くない?」

「文句があるなら一九九九年の夏にやってきた大魔王に言ってくださいよ」 


 家への方角が一緒だから、あたしとソラミちゃんは一緒に帰ることが多い。

 

 その日の放課後もソラミちゃんが操縦するホウキの後ろに乗せてもらいながら、〝月夜の森″の上空を飛んでいた。

 

 こんもりとした深緑のこの森は、どこまでもどこまでも果てしなく続いている。この海みたいな森を、はじめて見下ろした時は、そりゃあ興奮した。だって、夢だった「ホウキにのって空を飛ぶ」ってかなえられた興奮や、うんと高いところを空飛ぶ恐怖で心臓がバクバクしたんだもん。でも今はこの代わり映えしない景色にすっかり慣れちゃっている。おしゃべりする余裕も生まれるってものだ。


 あたしの愚痴を、ソラミちゃんはうんざりした口調で聞き流す。耳にタコができちたって今にも言いそうだけど、こらえていつもの様にあたしへ説いてきかせた。


「現代の魔法事情は一九九九年以降に異世界の魔法技術の習得とともに整備されたんですから――。ほら、スポットを通りますよ」

「う、うん」

 

 ソラミちゃんがホウキの柄を向けている夜空に一点、水面のようにゆらゆらと波打っている場所がある。スピードを落とさないまま、ソラミちゃんはそこをめがけて飛び込んだ。

 

 ――ふわっ。


 このゆらゆらしたスポットを通る時は毎回、ほんの一瞬だけ無重力状態につつまれたような感覚が全身をおそう。その時あたしはいつもぎゅっと目を閉じる。〝月夜の森″に通うようになってからしばらくになるけれど、この感覚にはなかなか慣れないのだ。


「よっ、と」

 

 ソラミちゃんがいつものようにあざやかに着地する。

 その感触を確かめてから、あたしは目を開く。足元の床には、今ではすっかり見慣れた大きな魔法陣が。

 ぐるりとあたりを見回すと、そこはすっかり見慣れたショッピングセンター・グリンピアのスポットルームだ。白い壁には大小さまざまなスポットが並んでいる。


 〝月夜の森″から帰ってきた時はいつもそうするように、あたしは壁のスポットを眺めながら心の中で「ただいま」を告げた。


 スポットは、ちょっと見ただけだと額に嵌った鏡や大きな絵画によく似ている。でも数秒でもじっと眺めれば誰だってこの四角い額の中にあるものが、鏡でも絵画でもないと絶対気が付くはず。だって額の中をのぞき込んでも自分たちの姿は映らないし、絵画だと思ってじいっと見つめるとその中にいる人や動物たちが動き回っているんだから。

 これがスポットって呼ばれる異世界の入り口たち。それが一面に貼り付けられたスポットルームの壁を眺めるのは、バラバラのチャンネルを映すテレビが積み重なっているみたいだ。くらくらするけど、結構あきない。

 

 時計を見れば午後三時。この時間帯は、スロットやカードを使った各種ゲームが楽しめるゲーム専用スポットを楽しむお年寄りに、ぬいぐるみのような外見の獣人たちが小さな子供たちのお世話を焼いている託児スポットがにぎわっているの。

 遠隔地にいる誰かとの交流やランキング争いで盛り上がる、冒険やダンスバトルにファッションショーなんかの中高生向けエンターテインメント系スポットはまだ静かだ。


 あたしとソラミちゃんは、いつものようにスポットルームのカウンターへ向かい、顔なじみの管理人さんに「ただいま」とあいさつをした。


「はいおかえりなさい、今日も勉強よくがんばりました~」

 

 カウンターの中にいる管理人さんは、藤原さんっていう。そういうとまるであたしたちと同じこの世界の人みたいだけど、実はちょっと違う。藤原さんは、頭の両脇から羊のようにくるんとまるまった角を生やしているのだ。金茶色の瞳も横に倒れた三日月みたいな不思議な形をしている。

 藤原さんは、異世界出身のお姉さんだ。あたしたちの暮らすこちらの世界に移住して十年近くになる、魔族ってよばれる種族の人。数年前にこの世界の人と結婚して日本人に帰化し、「藤原」ってありふれた名字を名乗るようになった風変わりなお姉さんだ。――だって、わざわざこの世界にやってくるなんて……ねえ?


 スポットルームのベテランパートタイマー・藤原さんは、慣れたしぐさであたしのグリンピア会員証(ピンクメタリックで懐中時計型をしたお子様用)をレジ横の読み取り機械でスキャンする。これで今日の授業内容が学校に伝達される仕組みになっているってわけ。

 あたしの会員証を子供っぽいと馬鹿にしているソラミちゃんは、同じ機能のグリンピア専用アプリを入れたスマホを手渡している。ソラミちゃんのスマホをスキャンして返却しながら、藤原さんはにこにこと尋ねる。


「どう? 魔法のお勉強は楽しい?」

「楽しくな~い。ていうか魔法の勉強させてもらえな~い」


 小学生からの顔なじみだから、あたしはついつい藤原さんに甘えてしまう。そんああたしにあきれたみたいで、ソラミちゃんがとなりでため息をついていたみたいだけど、聞かなかったことにしておこう。


「ねえ、藤原さんって魔族だから魔法使えるんでしょ? 何か勉強した? それとも怖い師匠に弟子入りして叱られり怒られながら練習したの?」

「う~ん……私たちの場合、特に勉強しなくても生まれつきちょっとした魔法ならある程度使えるからなあ」

「えー、なにそれ。うらやましい~。あたしも魔族に生まれたかったあ」

「そんなこと言うもんじゃないわよぉ。私たちはこんな外見でしょ? この世界にいる悪魔に似てるからって理由だけで‶魔族‴って名前をつけられちゃったのよ? そのせいで『何か悪さでも働いてるんじゃないか?』って目で見てくる人も多いんだもの。ただ普通にしてるだけなのに」

 

 ――そうだった、異世界間の種族差別問題は今日の深刻な問題なのだった。あたしってばうっかりバカなことを言っちゃった。反省しなきゃ。

 しゅんとしてしまうあたしだけど、藤原さんは深刻に受け止めた様子はなかった。のんびりした口調であたしたちにニコニコ話を続ける。


「真帆ちゃんやソラミちゃんには当たり前かもしれないけれど、こっちの世界ってとお~っても便利なのよぉ? だから最近なんてさっぱり魔法を使わなくなっちゃった。おかげで腕もずいぶん鈍っちゃったけど、でも全然こまってないわね。だってキカイの方が便利でずーっと楽しいもの」


 藤原さんはほほえみながら、自分用のスマホを振ってみせた。空き時間にゲームをしていたみたい。しかもどうやら、よりにもよって冒険者になって魔王を倒すような王道ゲームらしかった。


「……なんだか不思議ですね」

 

 ついうっかり、という口調でソラミちゃんがつぶやいたが藤原さんはやっぱり気にとめた様子もなかった(あたしは藤原さんのそういう大らかな所が好きでつい甘えてしまう)。

 藤原さんはあたしたちの前で堂々とゲームの続きをしながら、しみじみと語る。


「あのね、真帆ちゃんにソラミちゃん、剣や魔法の世界なんてそんなにいいものじゃないのよぉ? だって藤原さんの故郷にはゲームも漫画もスマホもないし、小説はあるけれど本は貴重品だからボロボロの貸本をみんなで回し読みしなきゃならないし、まともな医学が発達していないから田舎じゃ怪しいおまじないで病気やけがを悪化させちゃう事件があとを絶たないし、インフラが整ってないからおトイレなんてみ取り式なんだから! ……そもそも藤原さんの故郷には魔王や勇者なんてものはいなかったもの。血き肉おどる冒険ってやつを藤原さんはこっちの世界にきて初めて知ったんだから」


 藤原さんは、こちらの世界の生活と文明の利器をほめちぎる。その姿が言うまでもなくあたしとは正反対。

 あたしだったら、魔法があたりまえにある世界で勉強しなくても魔法が使える体で生まれるのなら、トイレが水洗式じゃないことくらい喜んでガマンできるんだけどなぁ。魔法を使ってみたいけれど冒険をしたいわけじゃないから、魔王や勇者なんていないっていうのも願ったりかなったりだし。


 ――やれやれ、おたがい無いものねだりだ……ってつい苦笑していたら、常連のお年寄りがやってくる。藤原さんはすぐさま接客モードになって笑顔を浮かべ、いらっしゃいませ、と声をかけた。もちろんスマホは気づかれないようにすかさずカウンターの下へ。

 お仕事の邪魔しないように、あたしたちは手を振ってカウンターから離れた。


 

 

 一九九九年の七月某日、地球上の大都市の上空に異世界から巨大な怪物が現れた。

 二十一世紀から約二十年たった今頃だと、あたしたちの親世代あたりまでは有名だった都市伝説をなぞって「恐怖の大魔王」って呼ばれているその怪物は、特撮映画みたいに大いに暴れて暴れて人類を混乱に陥れたっていう(そりゃそうだよね)。

 

 あんなバカげた予言が実現するなんて……! と当時の大人たちがあわてふためいているところに、さっそうと現れた人たちがいた。勇者だとか伝説の戦士だとかヒーローだとか……。とにかくいろんな肩書きで呼ばれているけれどやっていたことはたった一つ、特殊な使命と能力をさずかり世間の人たちが知らない場所で大魔王たち悪の軍勢と戦っていた人たちだ。分かりやすいように勇者ってことのしておくね。


 勇者たちは、大魔王を地球から追い出すために力を貸してくれと地球の人々に呼びかけた。まるで古いテレビアニメみたいに。

 異世界からやってきた正体不明の怪物なんて、それまで見たことも聞いたこともない存在の襲来にパニックになっていた当時の地球の人たちも、そんなアニメみたいな状況にダメ元で乗っかって勇者たちを応援した。ティンカー・ベルを助ける為に拍手をしてって舞台の上のピーター・パンに声をかけられて、素直に拍手する観客席のこどもたちみたいに。

 その結果、どうなったと思う?

 はい、これもまた奇跡が起きて勇者たちは大魔王の軍勢を地球から追い払うことに成功したのだ。地球を支配下に置くことは一旦あきらめた大魔王達は、次元のかなたにある自分たちの巣に帰って行った。――こうして地球の平和は保たれたのでした、めでたしめでたし。――残念ながら、地球の人類が一時的に協力したのはこの時一回きりで、二十一世紀に入っちゃうとまたいろんなところでいさかいを再開しちゃうんだけどね(ああヤダヤダ! 戦争反対!)。


 ともかく、古いテレビアニメみたいなこの一件は、地球人が異世界の魔法文明が初めて出会った人類史に残る大事件になった。

 次元の外にある異世界では、これまで夢物語だと思っていた魔法というテクノロジーが大発展しているのを見てびっくり! これからは科学だけじゃダメだ、いつまた大魔王のような存在がやってくるかもしれないんだから地球と人類のためにも魔法を取り入れなないと!

 この時の世界的に偉い人達の中でそういう意見が上回った結果、地球人類は異世界と積極的に交流を始めた。そして現代魔法って呼ばれている、今まで地球上には存在しなかった技術を積極的に取り入れた。日本史の好きな人は、よくこのことを黒船来航になぞらえたりもする。


 大人たちは現代魔法を少しずつ取り込み、少しずつ飼いならしていく。それはもちろん世界を護るためだけど。

 でもその過程で、二十世紀にはこれまででは考えつかないような楽しくて便利な生活文化もたくさん生まれたのだ。


 スポットゲームは代表的なものの一つ。

 

 スポットゲームとは、二つの異なる世界と世界をつなげる特異点・スポットを自分の指定したポイント(例えばクローゼットや勉強机の引き出しや駅のホームなど)に固定化する技術を応用し、いろな異世界へ簡単に行き来する現代魔法技術が実用化されたのとほぼ同時に生まれた画期的な娯楽ってことになっている。


 どんな内容かって? 早い話が異世界体験アトラクションってことになるのかな。

 とりあえずお近くのショッピングモールや中型のスーパーにあるゲームコーナーに立ち寄ってみれば早いんじゃないかな。スポットゲームのコーナーはたいていそういう場所にあるから。

 まずそこで好みのスポットがあるかを確かめる。

 スポットの種類はいろいろだよ。竜やお城や空飛ぶ島があるようなゲームのようなファンタジー世界に、うっとりするようなの王子様やお姫様がいるお城がある童話のような国、海外アニメみたいに物理法則なんてものがないカラフルなワンダーランド、恐ろしくて魅力的なヴァンパイアや人狼がいる不気味な大魔界……等々、バリエーションに富んだ異世界からあなたが行ってみたい世界を一つえらぶ。

 決まった? じゃあ、スポットゲームの管理人(あたしたちのグリンピアじゃ藤原さんにあたる人、魔力の異世界出身の人の場合が多い)に、このスポットに行きたいって告げてアプリを入れたスマホや専用の端末を渡す。管理人さんは、魔法の使えるひとじゃないと扱えない専用の通信機器を使って、スポットをくぐりその向こうの決められたエリアで遊べる時間をインプットする。

 スマホや端末をかえしてもらったら、額縁の中の鏡や絵画みたいなスポットの前にたって、えいやって思い切ってくぐる。

 はい、それだけであなたは異世界の地に立っています。そこであなたは剣を持った勇者や大きな杖を持った魔導士になって冒険することも、お姫様になって王子様とダンスを踊ることも、お菓子の国の綿菓子の雲の上でお昼寝することも、コウモリに変身して子供たちを震え上がらせることも、なんだっておもいのままに体験できるのです――ただし決められたルールの範囲内で(ルールを無視すると出禁になっちゃうよ!)。

 

 世界全体が一変した一九九九年から十年たたずに生まれた自由自在に異世界へ行き来できる技術を応用した、それまで全く存在しなかったアトラクションであるスポットゲーム。

 あたしたちのような二十一世紀生まれの子供たちが十歳をむかえた頃には、それはすっかり当たり前のものになっていた。つまり、たかだが十年と少しですっかり世間に浸透しちゃったのだ。

 スポットゲームが地球の人だけじゃなく異世界の人々どちらの生活に欠かせないものになるにつれて、提供されるサービスも娯楽だけではなく行政や福祉のサービスや教育にも応用されるようになっていく。

 学校に通えなくなった子供たちに居場所と教育の機会を与えること、そしてこれから絶対必要にになってゆく魔法技術を学ばせるためにも異世界の魔女学校へ通わせるという、あたしが今モニターも兼ねて体験しているこの自治体主導のこのプロジェクトもその一つってわけ。

 

 つまり、今やスポットゲームは単なる遊びじゃないのだ。

 

 もちろんこちらの世界とあちらの世界の交流は、決していいことばかりが起きるわけじゃない。文化摩擦や種族間の差別問題といった、残念な問題や事件が各地でいっぱい起きている(おまけに二十世紀以前からずっと地球上の様々な問題だってぜーんぜん解決されていない)。


 でも、ただの中学生であるあたしは一九九九年以降に生まれたありがたさを感じるばかりだ。


「娘が魔女学校に通うなんてねぇ……、母さんが子供の時には考えられないわ」

 

 何度目かの家族会議の後、公立中学をほとんどドロップアウトするように、誰も今まで通ったことが無い異世界の魔女学校に通うことを決めた時にも、そんな生活にちょっとずつ慣れていった今でも、あたしの母さんたらこんなふうに呟くんだから。

 だって母さんたちがあたしと同じ年齢だったころには魔法なんて物語の中にしか存在しなかって言うんだもん。一九九九年より前に子供時代を過ごしていた母さんや父さん世代の大人にとっては、魔法も異世界も本当に存在するんだってことが未だになかなか実感しにくいことみたい。

 

 うーん、そんな時代に生まれなくて本っ当~によかった!

 あたしみたいに本気で魔女を目指す人間なんて 今現在ですら気持ちの悪い不思議ちゃんあつかいされちゃうんだよ? なのに、そんな時代で中学生をやっていたとしたら……! 

 

 二十世紀末に生活しながら、待ち望んでいた一九九九年の七月に何も起こらなかったという悪夢をあたしは時々見てしまう。そのたびにあたしは恐怖でびっしょり汗をかきながら目を覚ましてしまうのだ。

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