月夜の森の魔女学校。
ピクルズジンジャー
1
あたしの通ってる魔女学校は‶月夜の森″ってところにある。
それはどこにあるかって? どうやって通うかって?
まず近くのショッピングモールかちょっと大きめのスーパーに行ってみて。それから、スポットゲームのコーナーがあることを確認。
――あった? じゃあ次はね、そこのスポットゲームが自治体と
〝月夜の森″はいわゆる異世界にある。
その空にはいつも明るい月がある。つまりずーっと夜。朝は決して来ないのだ。
自転だとか公転だとか、そういうことが気にならないわけじゃないけど、ま、そこは異世界だもん、夢と魔法の世界だもん。あたし達が生活しているこの世界の物理法則があんまり通用しないからこその異世界って言えるんじゃないかな?
ともあれ、あたしの通っている魔女学校はまるで海みたいに広い〝月夜の森″のほんのすみっこ、そのちょっとした広場にある。
学校とはいっても木の幹にぶらさげた大きな黒板と教卓、生徒が座る五組の机と椅子が置かれただけのびっくりするくらいシンプルな学校だ。
――ていうかこれ学校? 社会の教科書でみた戦後の青空教室みたいなんだけど。あ、青空教室じゃなく夜空教室か。
自己紹介が後になっちゃった。
あたし、望月真帆はそこに通う栄えある魔女見習いだ。一応中学二年生でもある。
本来なら様々な呪文や薬の調合を習って、かわいくかしこい見習い魔女としてのスタートを切るはず……だったんだけど。
なぜか、あたしが机の上に広げているのは中二数学の教科書と問題集だ。
「う~ん……」
あたしの口からはうなり声ばかりがもれている。
さっきから読んでいるのは問題集のページ。それに印刷されたつまらない文章問題。
200㎖の食塩水があるがその濃度はいくらかとか、その食塩水に濃度4%の食塩水を何㎖くわえたら濃度6%の食塩水になるかを求めよとか……。うう、目がすべる。
文章を目がつるつるすべっちゃうんだから、意味なんて分かるわけがない。うう、何度読んだってわからない。
解き方が全っ然わからないのは当たり前。それ以前に、なぜどうして食塩水の濃度を求めなきゃならないんだろう? そこからまず分からない。
大体どうして魔女学校に通ってるのに、市の中学とおんなじカリキュラムにそった数学の勉強をしなくちゃなんないの? それがそもそも分からない。
――いやね、一応この魔女学校はフリースクールって扱いになっているから学校でやるような勉強もきっちり学ばなきゃいけないって理屈はわかってるんだけど!
でも、はっきり言ってもう限界。
すでに半泣きだったあたしの目は涙でにじむ。情けないけれど、一度涙が出てしまうともう止まらない。最悪なことに鼻までつまってしまう。
そんな私を見て先生も困ったように息をついた。
「何も泣くことはないでしょう? 先の問題と考え方は同じですよ?」
先生はグレーのローブを纏った男の人だ。名前がわからないのであたしたちはシンプルに先生とだけ呼んでいる。
先生の本当の年齢はわからないけれど、見た目は二十代くらいに見える。
白い肌はつやつや、黒い髪はサラサラ、目鼻立ちの整い方は完ぺき。そんな少女漫画やゲームに出てきそうなすごくきれいな顔をしている人だけど、表情には優しさってものが足りない。あたしたちをみても全然笑ったりせず、いつもつまらなそうにむっつりしているか、つんと無表情でいる(見とれちゃうほどきれいな顔をしていても、にこりともしない人といる時間って本っ当に最悪! この魔女学校にきてあたしはいの一番にそのことを勉強した)。
正直あたしはこの先生が苦手。
数学の問題でいちいちつまづくあたしを前にしたときの「……はあっ!」っていうため息の感じ悪さったらないんだもん。だって、私は六年とプラス一年、こんなため息とともにいたんだから。勉強もスポーツもなんだってできる子たちが、あたしみたいなどんくさい生徒のみっともない姿を見て「なんでできないの?」って問いつめるのをガマンする時とおんなじため息なんだから。
数学も苦手、こんな問題も解けないのかってオーラを放ってくる先生も苦手、苦手が苦手を呼ぶ負のスパイラルにハマってしまったあたしの目から
「だって、だって……わからないものはわからないんです……っ」
さっきも言った通り、この魔女学校はいわゆるフリースクールとしてあたしの地元の市立中学と
学校の決めた学習計画通りの勉強がすみましたって認められば、市立中学の在校生の一人として扱われるのだ。十五歳になったばかりの三月に無事中学の卒業証書をもらうためには、義務としてでも普通の中学校の勉強をしなくちゃなんない。頭では理解できるんだよ?
でもあたしの体がそれを受け入れてくれないんだ。あたしは数学を勉強しにここまで来たんじゃないって、変なところでガンコになるんだもん。
あたしは鼻声でなんとか先生にうったえてみた。
「あたし……っ、魔女になりに来たのに……っなんでこんな勉強……っ」
「たかだか連立方程式も
……ほら、机につっぷして泣くあたし相手でも、先生は厳しいのだ。
でも、泣いてはいたってあたしにだって先生の言うことは正しいのはわかる。
わかるけれどやっぱり体がこれ以上数学を受けつけないんだからしょうがないじゃない。この問題風に言えば、望月真帆の脳みそが許容できる量以上の数学が加えられようとしてるんだから。水に溶ける食塩だの砂糖だのの量が決まってるのと同じであたしが一日でこなせる数学の問題の量はきまっているのだ……。ああこのことを先生に伝える魔法を今すぐ教えて! あたしはそういう魔法を勉強しにきたのに!
そんな魔法を習っていないあたしの気持ちは、先生には当然伝わらない。
お手上げだといわんばかりに先生がため息をつく。これがまたやるせない。
でも、そこへ救いの主が現れる。
「これこれ」
そう言いながら校長先生がやってきた。天の助けだ!
校長先生は長くて白い毛を持つしゃべる猫だ。
先がくるくるとうずを巻いている木でできた杖を横に倒して宙に浮かせ、その上に立っている。
動いていない口から聞こえる声は、アニメにでてくる優しそうなおじいさんそのものだ。校長先生は杖からあたしの机の上にひょいと立つ。
そう月夜の森の魔女学校の校長は、長くてふさふさのグレーがかった白い毛のせいで一見古いモップのようにも見えるこの猫なのだ。驚いた?
「できないからといってヤケをおこさぬこと。落ち着いてからもう一度取り組みなさい」
「うう、校長先生……」
涙と鼻水まみれの情けない顔であたしは校長先生に泣きついた。
「私の体は数学アレルギーなんですぅ。どうしてもできる気がしないんですぅ」
いくら異世界だからって、毛のかたまりにしか見えないようなこの猫が名だたる魔女学校の校長先生だと聞いた時はめまいを覚えたものだけど、今ではこの優しい校長先生があたしは好きだ。ロッテンマイヤーさんみたいな先生よりずっと親しみやすいんだもの。涙でべたべたの顔をすりつけても校長先生はちっともいやがらない。
「望月さん、校長先生に甘えない!」
先生があたしをしかったけれど、校長先生はほっほと笑ってとりなした。だからあたしは先生には伝えられなかったことを安心して口にできるようになる。
「校長先生、私、魔法の勉強がしたくてこの学校に来たんです。となりのソラミちゃんみたいに魔法の杖でものを動かしたり空を飛んだり、そういう勉強がしたかったんですぅ」
あたしの左どなりに座っていた女の子・
机の上で短い杖をふり、小さな妖精たちにダンスを踊らせるというかわいい幻を作り上げていたソラミちゃんの魔法が、そのとたんにぱっと消えた。ぱっつんに切りそろえた前髪の下の目でソラミちゃんはじろりとあたしをにらむ。
「センパイ、私を巻きこむのはやめてください」
「うう……学年がちがうからってセンパイって呼ぶのやめて……」
「ホホホ、悪いが真宵さん。真帆さんに代わってこの問題を解いてくれんかな」
校長先生に言われたからか、あたしが手渡した問題集をだまって受け取る。それらソラミちゃんはしばらく考えて、問題集の余白にシャーペンでさらさらと解答を書いたあと先生に手渡した。
それを見た先生は、満足そうにうなずく。正解したんだ!
あたしは打ちのめされた。ソラミちゃんてば、あんなに難しそうな問題をものの数分で……!
しかも学年はあたしが中二、ソラミちゃんは中一なのに(三月生まれのあたしと四月生まれのソラミちゃんの誕生日は十日ほどしか違わないんだけど)。
「ソラミちゃん、なんで中一なのに中二の数学が出来るの?」
「王立魔法学院の受験には高校レベルの数学が
なんでもないことのようにソラミちゃんが言うのを聞いていたら、あたしの涙も乾いてしまった。
ソラミちゃんはあたしとは違い、ほんものの魔女の子だ。最近では在来魔女って呼ばれている、この世界に昔からいた魔女の血筋の子なのだ。だから魔法や魔女にに関することにはあたしよりずっとくわしい。
中学卒業をしたらエリート魔法使いを養成するという異世界の名門校、王立魔法学院に入学したいという夢をかなえるために、この魔女学校でいまから受験勉強しているような子なのだ。
しかもそれをきめたのが小学校高学年のころだっていう。数学ができない程度のことでピイピイ泣くあたしとは違ってとにかくスゴイ子なのだ。イヤミや意地悪じゃなく、本当に意識が高い子なのだ。
はっきり言って、あたしよりソラミちゃんの方がセンパイって呼ばれるのにずっとふさわしいと思う。背だってあたしより高いし。
涙も乾いてしまったのでおそるおそるたずねてみる。
「……上級の魔法学校にも数学ってあるの?」
「ありますよ」
「もっとこう、シャラララーンって呪文を唱えればなんでもできるような魔法ってないの?」
「そのような流派もあるにはありますが、そういう所っていうなれば伝統芸能みたいなもんですよ。考えるな感じろとか、ワーッときたらシュバーッとしろとかフィジカルな思考と教え方しかできない昔気質の厳しい師匠に弟子入りして住み込みで下働きしながらビシバシ叩かれながら身に着けるんです。そういうのがお好きならおススメします」
「……」
だまってあたしは考えた。
名作児童文学にでてくる家庭教師みたいなうちの先生の教え方に根を上げているようなあたしに、厳しい弟子生活なんて
ソラミちゃんはさらにおいうちをかける。
「おっかない師匠にビシバシしごかれて魔法を身に着けるか、ここで数学やりながらこつこつ地道に異世界でも通用するの現代魔法の基礎を習うか、どっちを選ぶかって話になるんじゃないですかね」
「……」
数学は嫌い。だけど厳しいお師匠様は泣きそうになるほど怖い。
あたしがおとなしく先生から問題集を受け取ると、校長先生が満足したようにホッホッと笑った。
すると、ちょうどどこからともなく授業の終わりを告げる
「今日はここまで。望月さんは真宵さんの解答を参考にして、次のページの問題を解いてくるように」
先生はあたしに宿題を出した。国語に社会に英語といったほかの科目の宿題を合わせたのと同じくらい大量の数学の問題を。
げっとうめきたくなったけど、でもガマンした。だって殴られる弟子生活より大量の宿題の方がずっとマシ。
はあい、と小さく返事をするあたしを、校長先生は満足そうにながめてまたホッホッとわらった。
――はあ、魔法の勉強っていつできるんだろう。
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