運命の恋

第2話

「セルリア、もうそろそろお昼食べな! あんたってば朝からずっと働き通しで」

「待って、エマおばさん。もうすぐ全部干し終わるの。せっかくのお天気ですもの。この分なら子供たちのシーツもすぐに乾くわ!」


 元気に答えたセルリアは、銀色の髪に紫色の瞳をしている美しい少女だ。生まれる前に父を、8歳の時に母を亡くした彼女は、街の隅にある孤児院で暮らしている。

『孤児院』といっても陰鬱な感じはほとんどせず、院長の人柄のせいかみんなが陽気で明るい。職員にも子供達にも笑顔が絶えず、彼らはつましい中でも日々楽しく過ごしていた。


 歴史ある聖堂脇に建つここは、古くても清潔で、手入れが行き届いている。敷地には結構な広さの庭もあり、陽当たりも良い。働き者の彼女はそこで、みんなの分の洗濯物を干しているところだ。


 そんなセルリアは以前、母と二人で暮らしていたらしい。けれど、その辺の記憶が曖昧あいまいで、住んでいた土地も母親のことも、ぼんやりとしか覚えていない。

 はっきり覚えているのは、雪の中で差し出された温かい手の記憶だけ。優しい人との大切な出会いが、彼女の唯一の想い出だった。


「ああ、そうか。今日はあんたのイイ人が来る日だったね。だからそんなに急いでたのか。いいよ、それならあたしが代わってあげるから。年頃の娘らしく、髪くらいかしなよ」

「イイ人ってそんな……」


 思わず顔が熱くなるのがわかった。彼とは身分違いだと、わかっているのに。


「セルリア、もっと自信をお持ちよ。あんたには、そこら辺の貴族のお嬢様だって敵わない。あんたのイイ人だって、とっくに気がついてるとあたしゃ思うね」


 エマおばさんと言われた中年の女性は、セルリアがここに来た時からずっと面倒を見ている。そのため少女のことを娘のように特別に思っていた。

 銀色の髪も上品な仕草も、平民ではあり得ない。それなのに、母親を亡くしたというだけでここに連れて来られるとは。

きっと訳ありなんだろう。だけどいくら可愛いくても、他人様ひとさまの事情に口を出してはならない。貴族が関わっているならなおさらだ。

おばさんはセルリアを見ながら、こっそりため息をついた。


 一方セルリアもまた、別のことを考えていた。

 おばさんの言うイイ人とは、レヴィンのことだ。彼はあの時、私を雪の中から救ってくれた黒髪の男の子。私より三つ年上の彼は、なんと伯爵家の一人息子だった。

 人のいい彼は私を助けてくれただけでなく、それからも時々孤児院に様子を見に来てくれた。その度にお菓子や玩具など、子供の喜びそうな差し入れを持って。

私は彼の訪れをいつしか心待ちにするようになっていた。


「僕の友人としてうちに来たらどう?」


 優しい彼のそんな申し出を、以前セルリアは断った。これ以上彼に甘えるわけにはいかないから。

 街中にあるレヴィンの屋敷には、父親であるロアード伯が時々訪れる。

 孤児の彼女がそこでお世話になっていると知られたら、大切な嫡男をたぶらかしたと責められてしまうだろう。そればかりか、レヴィンにまで物好きだと悪評が立つかもしれない。セルリアは、己の立場をわきまえていたのだ。


 好きだからこそ、越えられない壁はある。いくら彼を好きでも、孤児の平民と貴族とでは、身分が違い過ぎる。想いを告げたところで迷惑にしかならないのなら、黙っていた方がいい。

レヴィンへの想いを、彼女は表に出さないことに決めていた。


 ここでの彼は敬称を付けずに「レヴィン」と呼ばれることを好む。きっと、助けたセルリアのことを妹のように思っているからだろう。


「でも、レヴィン様」

「違う、レヴィンだ。でも、は無しだよ? 僕がそう望んでいるんだ。ほら、言って」

「レヴィン……」


 年上の彼はセルリアが名前を呼ぶと、本当に嬉しそうな顔をする。その度に胸がキュッと苦しくなる。

 彼女は自分に言い聞かせる。

 勘違いしてはいけない。彼は気さくで優しいだけ。面倒見がいいだけなのよ、と。

 けれど親しくしているせいか、周りは変な勘違いをしているようだ。おばさんまでもが楽しそうにからかってくるのだから。

 

 セルリアは、たまにレヴィンに会えるだけで良かった。優しい彼の声を聞き、ガーネット色の瞳に映るだけで、満足していた。彼はいずれ伯爵の身分に相応しい、どこかの貴族令嬢と結婚してしまう。

 妹のような存在の自分が、彼の負担になってはいけない。そう思った彼女は、今日も妹のように振る舞うことにする。どちらにしろ、レヴィンは先日16になり、成人と言われる年齢になった。これからは気安く会えなくなる。貴族は催し物や社交界の人脈作りなどで忙しい。無論そこに、彼女の入る余地はない。


 --だから今だけ。

 彼と会える今、この時間だけを大切にしたい。



「可愛いリアは、今日もご機嫌斜めかな?」

「レヴィンこそ。チェスで私に勝ったからって、得意になるのはどうかと思うわ」


 セルリアが対等な口をきいても、レヴィンは怒らない。敬語を使う方が嫌がられてしまう。残念ながら今まで、彼女はチェスで彼に勝てたためしがない。レヴィンは頭も良いから、先の先まで読んでしまう。セルリアがボロ負けして悔しがる様子を、赤い瞳をきらめかせていつも楽しそうに眺めているのだ。


 小さなセルリアを雪の中から助け出したレヴィンは、目の醒めるような美青年に成長していた。

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