04

「大丈夫かい?」

 廃校となった小学校を利用した宿泊施設の一室、廃れた木目が目立つ教室の隅でうずくまる私に、メモリアが心配そうに声をかけてくれた。

 そう──これは記憶。追体験している、私の過去の話に過ぎない。それでも、痛む心は確かに今の私のものだった。

「もう本当に·····なんでこんなに子供なの? 私って·····」

 不甲斐ない小学生の自分と、変えられる距離にいて変えられない今の自分が、両方とも耐えられないくらいに嫌になった。

 なんであそこで再びたくやくんを傷付けたのだろう。なんで素直に言いたいことを言えなかったのだろう。いや、言いたいことって本当はなんだったのだろう·····

「仕方がないよ。誰だっていつだって、自分の思う通りにはできないのだから──」

「でもあんなの! あんなのは·····あんまりだよ·····」

 私は自分の言葉でたくやくんを傷付け、そして自分を傷付けた。あの一言で大切な人との記憶を、一生後悔し、封じ込めて忘れてしまいたくなるような記憶へと変えてしまった。

「けれど、自分を嫌いになってしまってはだめだよ。自分を嫌いになってしまえば、みんなを嫌いになってしまう」

「でもこんな私を私は許せないでしょ!?」

 私は怒声をまき散らした。それでも、部屋の数名の生徒はその声が全く聞こえていないかのように、ぐっすりと眠ったままだ。

「なんで私は最後の時を、たくやくんと過ごせる大切な残りの時間を、こんな風に──」

 けれど、いくら唇を強く噛み締めて悔やんでも、これも変えられない私の記憶だ。

 痛む心にバリアーを張るように、私は体育座りで丸くなった。

「知ることはできるよ──たくやくんの気持ちを知ることは、できるよ」

 座り込みながら立てた膝の間に頭を落とす私の肩を、メモリアは優しく撫でた。すがるように顔を上げると、メモリアはもう片方の手を私に差し出していた。

「彼と話し、本当の気持ちを知ることはできるよ。辛いことを言われるかもしれないし、あなたはさらに後悔することになるかもしれない。それでもあなたは、ちゃんと最後に彼と話したいかい?──話して、ちゃんと彼の気持ちを知りたいかい?」

 知りたい──知るべきだ。たくやくんの本当の気持ち。あの時、私に言おうとして躊躇っていた言葉を。私がどれだけ彼を傷付けたのか、それで彼はどんな思いをしたのかを。

 やっぱり私のことを嫌いになっているのかもしれないけれど──それでも、私には知る義務がある気がした。

「──話したい。私はたくやくんに酷いことをした。だから嫌われていても仕方ないから、それよりたくやくんの気持ちを知って、それからちゃんと謝りたいよ」

 今日のことを、今までのことを、全部謝りたい。

 小学生の頃の私ではなく、ちゃんと大人になれた今の私の言葉で謝りたい。

 このままこの思い出が辛い記憶になったとしても、せめて後悔だけは残したくないんだ──

「わかった。それじゃあ行こう──彼の夢の中へ」

 私が手を取るとメモリアは強く握り返し、それから手を離し、その手のひらで私の目を覆った。

 私は落ちるように、夢の世界へといざなわれた。




 そこにはたくやくんがいた。

 真っ白な部屋の中に配置された真っ白なテーブル席に、たくやくんは真っ白なシャツの姿で座っていた。彼も私も小学生の頃の姿みたいだ。

「××·····?」

 目線がぶつかった瞬間、たくやくんは目を丸くして、掠れた声をこぼす。

 たくやくんも戸惑っていたけれど、しかし私もちゃんと心の準備ができていたわけではなかった。ただただ焦燥感に駆られた勢いで、ここ、彼の夢の中へと来てしまったのだ。

「たくやくん·····」

「これって、夢か何かかな·····?」

 辺りをきょろきょろと見渡しながら落ち着かない様子のたくやくん。そんな彼の答えを求めるような視線を受けて、私はぎこちなくゆっくりと頷いた。

「私、その·····どうしても言いたいことがあって、たくやくんの夢の中に·····」

「よかった──」

 鳩が豆鉄砲を食らったようだったたくやくんの表情は、なぜか落ち着いたような笑顔に変わった。

「もう、××とは話せないと思っていたから·····」

 迷子の我が子を見つけた親のように安堵した表情を浮かべながら、たくやくんは手招きをする。私は俯き加減になりながら、石のように固まった足に力を込め、内側から胸郭が圧迫される感覚に耐えながらたくやくんの座るテーブル席へと向かった。

 驚くほど軽いイスを引いて、そこに私は腰を下ろす。けれど、一度俯けてしまった頭は上げようとすると驚くくらい重く、なかなか顔を上げられない。

「改めて言わせて欲しい。あの時は、本当にごめん」

 たくやくんの後悔と自戒の混ざり合ったような口調は、私が初めて聞く口調だった。なんだか聞いているこちらまで辛くなってくる。

「なんと言うか·····僕にも余裕がなかったんだ。もうこれが最後だと思うと、どうしても隣にいる××の手を握っていたくなってしまって·····」

 たくやくんの気持ちはよくわかる。私とたくやくんが逆の立場だったとしたら、きっと私もそうしたはずだ。

 あの時が最後だと思うと、そうせずにはいられなかったはずだ。なのに──

「××、やっぱり怒ってるよな──」

「そ、そんなことない·····」

 重い鉛でも吐き出すような彼の口を、私は勇気を振り絞った声で塞いだ。

「怒っては、ない·····私が腹を立てていたのは、たくやくんじゃなくて──私自身」

 そうだ。あの時、満天の星空の下でたくやくんを突き放した怒声の源は、自己嫌悪だった。

 たくやくんの気持ちを汲むことができず、もう二度と触れられなくなる手を拒んだ自分が嫌で──そして耐えられなくなって、勝手に責任転嫁をして、たくやくんを傷付けた。

 けれど、今なら言える──ずっと言いたかったこと。言うべきだったのに忘れてしまっていたこと。

「本当に、ごめんなさい」

 私は重たい頭をさらに落とした。声が震え、自然と目頭が熱くなる。堪えていた何かが、言葉と一緒に溢れ出ていくのがわかった。

 そんな私の頭の上に、温かくて力強く、そして安心するような不思議な力を持った何かが触れた。それからくしゃくしゃと、心地よく髪の毛越しに頭皮を撫でてくれる。

 胸郭の圧迫感は治まり、唇の震えや不安感が取り除かれていった。けれど引き換えに、目頭は一層熱くなっていった。

 あぁ、私、たくやくんに頭を撫でてもらえているんだ──そう理解すると、目からこぼれる涙を止めることはできなかった。

「僕の方こそ、本当にごめんな──」

「うぅん。私の方こそ、ごめんなさい·····」

 記憶は失くしてしまっていても、ずっと胸の中に封じ込めていた記憶や感情は風化してなかった。そしてそれが今、涙となって瞳から零れ落ちて真っ白なテーブルの上に水溜りをつくっていく。

「本当に、文字通り夢のようなことだよ。こうして××と、もう一度話せるなんて──僕はもう、××とは会わない方がいいって、勝手に思い込んでいたから·····」

 私はあの天体観測合宿以来、たくやくんとは連絡を取らなかった。たくやくんも、私に新しい連絡先を教えてはくれなかった。

 今思えば、私もたくやくんも不器用過ぎて笑ってしまうような話だけれど、あの時の私達には、それが精いっぱいだった。

「あの時──?」

 私は急に気がかりになって、温かい手のひらを乗せたまま頭を上げた。驚くほどにすんなりと、頭は上がってくれた。

 私の目の前にいたのは、幼い小学生の姿のたくやくんではなく、成長したたくやくんだった。背は高くなり、髪は茶髪になり、大人しそうな雰囲気はまるでなくなっていたけれど、幼いあの日のたくやくんの面影がはっきりと残っていた。

「やっぱり。××は美人になると思っていたよ」

「たくやくんだって·····もう、いつの間に髪なんて染めるような子になったの?」

「大学の友達はみんなそうだ」

「残念だけど、私は茶髪や金髪よりも黒髪がタイプなの」

 私が冗談めかして言うと、たくやくんは頬を引きらせながら自分の髪をいじった。

「はぁ·····なら、いくら夢の中でも言えないな」

 悔しがるように、たくやくんは独りごちる。

「茶髪にしたって、たくやくんは奥手な人なんだね」

「うるさいなぁ·····まぁでも、やっぱりせっかく話せているんだもんな──」

 私を視界から外すように顔を横に向け、たくやくんは大きな咳払いをする。

「本当は、引っ越しの話をした後に言おうかと思っていたんだ。けれど、やっぱりやめておこうっていう迷いもあった。その一言で××が傷付くかもしれなかったし、少なくとも僕は傷付くことになっていたから。だから××が離れた行った時、僕は追いかけられなかった。そしてその言葉も、奥深くに呑み込んだ」

 その口調には後悔が色濃く現れていた。

「けれど、今なら言える」

 しかしその声は力強く、たくやくんが大人になっていることを感じさせる。

「──僕は、××のことが好きだった」

 その凄まじい衝撃は、私をどこまででも遠くへと飛ばせそうなものだった。まるで強風が瞬時に吹き抜けたように、心だけが置き去りにされたような感覚にとらわれる。

 でも、私はすぐに理解した。たくやくんの気持ちも──あの時の私の気持ち、本当に言いたかったことも。

 窺うようなたくやくんの視線と私の視線が重なった時、私の頬は自然と緩んだ。

「私も、たくやくんが大好きだったよ──」

 たくやくんの不安そうな表情は消え去り、感慨と喜びと、ほんの少しの後悔が混ざりあった複雑な表情へと変わっていた。そして私も、同じような表情を浮かべていたと思う。

 不器用な私達がお互いにもう少し素直であったのなら、私がたくやくんとの記憶を封じ込めることもなく、たくやくんがここまでこの言葉を抱えることもなかったはずだ。幼い頃の私達は、やはり何も知らなかった。

「ごめんね。本当はもっと早く言いたかった──生きている間に、言いたかった」

 私がそう言うと、たくやくんの表情は心臓が止まったみたいに固まった。

「え·····××? 何を、言って·····」

「でもよかった。死んだから、こうして夢の中でたくやくんと話せたんだから。もう、何も思い残すことはないよ。だからこの記憶はもう辛い記憶じゃないし、たくやくんのことも、私はずっと忘れないから」

 私の二つ目の告白に呼応するように、真っ白な部屋やテーブルやイスが輝き始めた。

 夢が、終わる──

「ちょっ、ちょっと! 待ってくれよ××!」

 気付けば、無重力のようにふわふわとした光の中に、私とたくやくんは揺蕩たゆたっていた。

 あぁそうか、私、またたくやくんを置き去りにするんだ──それだけが、少し心残りかもしれないな。

「××っ! 僕はまだ、××と!」

「記憶の中にさようなら──たくやくん」

 でも、もう後悔はしない。ただほんの少しのすれ違いが、やがて大きな歪みとなり、あの時の二人を引き裂いていただけだ。辛いと避けていた記憶も、本当は素晴らしい記憶だったんだ。

 記憶は変えられなくても、記憶の上書きはできる。

 封じ込めて忘れてしまっていた辛い記憶は、今まさに、大切な記憶となって私の所へと戻ってきた。私はもう、この大切な掛け替えのない記憶を手放したりはしない。いつまでも。

 やがて眩い光でたくやくんは見えなくなっていき、必死の思いでたくやくんが差し出していた手を、ついに私が握り返すことはなかった。

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