第2話 憧憬の天体観測
01
「星も死ぬんだって」
赤色から青色、そして黒色へと変化していくグラデーションのかかった西の空を眺めながら、私の親友・
「星が死ぬの? どうやって?」
「大きな爆発を起こすんだって」
「それじゃあ、地球もいつか爆発しちゃうの?」
「地球みたいな小さな星は爆発しないらしいよ。でも、太陽みたいな明るい星は爆発するんだって」
太陽さんが爆発──怖がりの私には、それは想像しただけでも十分怖いことだった。朝目が覚めても太陽さんが顔を覗かせることはなくなるし、太陽さんがいなくなればお月さんも光らなくなってしまう。毎日毎日、真っ暗になってしまう。
「ねぇ、たくやくん。太陽さんはいつ死んじゃうの?」
「そんなにすぐには死なないよ。何十億年も先の話だよ」
怖がる私を
何十億年──それもなんだか怖くなってしまうような長さの時間だったけれど、少なくとも、私達が生きている間に太陽さんがいなくなることはないということ。
それだけで、私はとても安心した。
たくやくんは、こうしてよく私を安心させてくれる。転校したてで上手くクラスに馴染めなかった私にも、たくやくんは優しく親しげに接してくれた。おかげで学校にはたくさんの友達がいるし、今は毎日学校に通うことがとても楽しい。夏休みであることが退屈なくらいだ。
けれど、何よりも楽しい時間は、こうしてたくやくんと話をしている時間だ。
私は去年、小学五年生の時に、お父さんの仕事の都合でこの町へと引っ越してきた。お父さんの仕事の関係上、引っ越しや転校はよくあることだったので、またこれからも新天地で頑張ろうというような気分にはなれず、またいつか離れてしまうのだからそれなりの学校生活でいいやと、私は半ば投げやり気味にこの町へとやって来た。
何度も転校は経験しているけれど、一つのグループとして出来上がっているクラスに入るということには全く慣れなかった私は、例によってあまり友達を作れなかった。いや、作ったところでまたすぐに離ればなれになってしまうけれど。
そんな私に、たくやくんは気さくに接してくれた。どうやら彼も、私と同じように転校を繰り返していた時期があったらしい。事実、この学校へとやって来たのも一昨年のことだとか──だからというか、私はたくやくんとすぐに親しくなった。クラスでも人気者のたくやくんと仲良くなれたから、すぐにクラスのみんなとも仲良くなれたし、クラスに溶け込むということが生まれて初めてできた。
家が近かったこともあり、たくやくんとはしょっちゅう一緒に帰っていた。たくやくんはとても物知りで、先生は「たくやくんはとても
そんなたくやくんとの会話はまさに勉強で、しかし学校の授業のように退屈な勉強ではなく、夏休みの宿題のように
私はたくやくんの傍にいることが好きだった。
そんな私達の最近の話題は
夏休みが始まる前、学校で募集されていた『天体観測合宿』は、他校の生徒も含め十数人の生徒達と数名の引率、施設の方などと共に、夏休み期間中に施設を借りて天体観測をしたり天体について学んだりするという企画だった。これに最初に興味を示したのは私の方で、それをたくやくんに話したら彼も一緒に行きたいと言ってくれたのだ。
そして今は、その合宿に必要な物の買い出しの帰り。背中のリュックサックにはいっぱいに買い揃えた道具が入っていて、足もそろそろ限界だったけれど、隣に同じように歩いているたくやくんがいたから、私は苦しさを押し殺して平然と歩いていた。
「合宿、今週末だね」
視線を美しいグラデーションの空から私の方へと移し、にっこりと微笑んでたくやくんは言った。誘ったのは私の方からだったけれど、たくやくんもとても楽しみにしているようだった。これだけ重たい荷物を背負っているというのに、その足取りもとても軽やかだ。
「星さん、綺麗に見えるのかな?」
「天気予報は晴れだったから、きっと綺麗に見えるよ。こんな住宅街からじゃ、星の光は見えないからね」
「──なんで星さんは隠れちゃうんだろうね」
無意識のうちに、私はとても寂しそうな声でそう言っていた。なんだか、星さん達が私と会いたくないから姿を見せてくれないような気がしていたのだ。
「町が明るいから見えないんだよ」
「町が明るいから?」
「うん。町の明るさに負けちゃって、星の明かりは消されてしまうんだ」
月と一番星くらいしか見えない暗い空を見上げながら、物思いげにたくやくんは言った。その横顔には、どこか悔しそうな表情も垣間見えた。
「私達が悪いから、星さん達は·····」
「人間は、星の明かりよりも蛍光灯の明かりを選んだからね。誰の
たくやくんの言っていることはとても大人っぽく、わかりそうでわかりにくかったけれど、私を庇ってくれているのはよくわかった。そんな優しさに、私はまた心が軽くなる。背中の重たいリュックサックも、もうへっちゃらなくらいだ。
「それに、見えないだけで星は輝いているから。僕達に見えなくても、あの暗闇の向こうには眩い星達がいるから」
私はたくやくんを真似て空を見上げた。けれど、やっぱり本やテレビで見るような満天の星空は見えなかった。お月さんとほんの少しの星さんしかいない真っ暗な夜空だ。
たくやくんには、満天の星空が見えているのだろうか?
「星は夏と冬で見えるものが違うって、知ってる?」
「うん。本を読んでたら書いてたよ。私はちゃんとした星座を見たことがないから、違うなんて知らなかった」
「僕も。なんだかんだで都会から都会への引っ越しばっかりだから、綺麗な星空を見たことがまだないんだ」
私は驚いた。これだけ色々と知っているから、きっと星空をよく見たことがあるのだと思っていたのに、実はたくやくんも本物の満天の星空を見たことがないのだった。
「たくやくんよく知ってるから、何回も見たことがあるのかと思ってた」
「全部ただの知識だよ。記憶じゃなくて、ただの知識」
足元の小石を蹴り飛ばしながら、どこか悔しそうな口調でたくやくんは言った。
私から見たたくやくんは、なんでも知っている頭のいい人だ。けれどたくやくんは、自分をなんでも知っている人ではないと言っていた。それに、自分が知っていることについても、いつもそう言う──「記憶じゃなくて、ただの知識だよ」と。
私はこの言葉を何度も聞いているけれど、今もまだ彼が本当は何を言いたいのかがわからない。記憶と知識が違うことはわかるけれど、それでたくやくんは何を悔しく思っているのかがわからない。
「僕達には、知らないことが多過ぎる」
「──でも、今度の合宿で星さんはちゃんと見られるよ? そしたら、ちゃんと思い出になるから──記憶になるから」
たくやくんは驚いたように目を丸くしながら私を見つめ、そしてクスっと笑って微笑んだ。
「そうだな」
それからしばらく歩くと、いつもたくやくんと別れる場所へとたどり着いた。
「また今週末ね、たくやくん」
「あぁ、またね。××」
私は目を見開いた。けれどたくやくんはそれに気付くことなく、私に背中を向けて道を進んで行ってしまった。
たくやくんが最後に言った一言は、それは掠れたラジオの音のようなただの雑音だった。不愉快に感じるような機械的な音で、全く日本語としては聞き取れなかった。けれど、私には彼が最後に何を言ったのかすぐにわかった。
たくやくんは、最後に私の名前を呼んでいた。
「小学生の頃の記憶、みたいだね」
声に驚かされて振り返ると、そこにはあの中性的な少年・メモリアが遠のくたくやくんの背中を眺めながら立っていた。
そうか──ここは記憶の中なんだ。身体も確かに小学生だ。この白くて裾に青色のビーズをあしらったワンピースはよく覚えている。お母さんが作ってくれたお気に入りの服だった。
「名前はまだ思い出せないみたいだね」
「たくやくんの、私の名前を呼んだ声が聞こえなかったのって──」
「そうだよ。まだ、あなたが受け入れていないからだ」
私が私のことを受け入れていないから、私の名前が聞こえなかった。それがとても悔しかった。聞かなければいけないことが、聞きたかったことが聞けなかった気がした。
「大丈夫だよ。記憶を辿っていき、あなたがあなたを受け入れられれば、ちゃんと名前も思い出せる」
深く頭を落とす私の頭を、メモリアはそっと撫でてくれた。
そうか──今は私の方が背が低いから、彼は私の頭を撫でれるくらいに高く見えるのか。
「ありがとう。もう大丈夫」
「ならよかった。これはまだ序の口だからね」
「だよね·····うん、でも色々と思い出したよ。確かにこの日、私はたくやくんと買い物に出かけていた」
そして、星の話をしていた。今週末に控えた天体観測合宿を楽しみにしながら。
「ここに来る時に、あなたに流れ込んだものだよ」
「でも──天体観測合宿のことは全然だめ。何も思い出せない·····」
「記憶は辿っていくものだからね。順番だよ。これからもっと思い出す。そして追体験する──辛い記憶だけどね」
メモリアの口調は重く、それは今の私の心には重くのしかかり、僅かな不安を生んでしまう。
彼の忠告がよくわかった。身を以て体感した。わかっていても、あのように自分の名前が掠れてかき消されるのは思った以上に大きなショックだった。けれど、私はこれに耐えなければならない。
耐えて、たくやくんとの記憶を取り戻さなければならない。
「これが初めの記憶だ。あなたの忘れた辛い記憶の冒頭部分。あなたはまだ、ページを捲れるかい?」
「──もちろん。私にとってたくやくんは、とても大切な人だったから」
だからその記憶が辛い記憶だとしても、そこにたくやくんがいる限り、それは大切な記憶なのだ。
私の忘れた、忘れてはいけない記憶なのだから。
「わかった。なら僕も、あなたを案内するよ。そしてサポートする」
差し出されたか細い手を、私は握り返した。ほとんど沈んでいる夕日でメモリアの瞳が輝き、私は頷く。
「この先に、私の知るべき記憶があるから」
そう誓いを立てると、急に辺りの夕景が滲み、歪んでいった。つられて意識も
「僕も、あなたの名前が知りたい」
倒れ込んできた私を抱えながら、最後にメモリアがそんなことを言ったような気がする。
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