01-3

12月16日 10:00



「…ぃ…にぃ」

「んん?」


どこからかぼんやりと声が聞こえてくる。


「…く、おきて……」


その声はどうやら僕に目覚めるように言ってきているようだ。

だが、そうしたいのはやまやまではあるが身体はピクリと動くことはない。

動かすことができない。

金縛りでもされてしまっているのだろうか?

金縛り。

それは意識がはっきりとしているというのに身体を動かすことができない状態の事。

身体が締め付けられているような感覚からそう呼ばれている。

幻聴や人が見えるなどといったことによって心霊現象と結び付けられることもある。

なるほど妖怪のせいなのね。そうなのね。


「早く……」


いやしかし残念だな。

身体が動かなければ、起きるように催促しているきれいな声の主に返事することも声の主に言われた通りに起き上がることも出来はしない。

そうだな。うん、二度寝をしよう。

身体が動かないんだからしょうがないじゃないか。

それにもう一度ぐっすりと眠って起きれば、ちゃんと身体も動かせるように……。


「言い訳はいいからさっさと起きろ!!」

「グフッ!!」


甲高い叫び声とともに腹にめり込んできた衝撃に防人は目を見開き、クリティカルダメージボイスを発しながら身体を『く』の字に歪める。


「おっぉぅぅ……」


腹に走る激痛によって防人の脳は一気に覚醒し、その痛みによって腹を押さえてうずくまる。


「やっと起きたわね」


防人の横に立っている少女は少し強めの口調で言い、その黒茶の瞳で見下ろして睨みつける。

少女の名前は『湊(みなと)』。

防人慧の妹であり、頭痛の種でもある。


「ぅぅ……おまっなんで殴る」


防人はまだジンジンと痛む腹をさすりながら起き上がり、目の前に立っている白いネックのTシャツを着た灰色の髪をした湊に聞く。


「あたしは殴ってなんかいないわ。変な妄想は止めてよね」


彼女はそう言ってそっぽを向く。

ではいったいこの腹の痛みは何だというのか。

いや、殴ってはいないということは攻撃したことは認めているのか。


「……じゃあ一体何をしたんだよ?」

「蹴ったのよ」

「同じ事じゃないか。なんで攻撃する」


そう聞くと彼女はムッとした表情に変わり、両手を腰に当てる。


「何度起こしても一向に起きないからよ。そのうえ二度寝をするためにわけのわからないことを言ってさ」

「聞いていたのか?」

「割とはっきりとね」


なんということだ。

心の中だけに思っている事だけだと思っていたのによもや声に出てしまっていたとは。

ってことは――。

金縛りになんてなっていなかったってことじゃね?

つまりは意志の弱さが招いた――。


「いやまてよ。もしかしたら頭から下だけが動かなかった可能性も」

「またわけのわからないことを言ってないでさっさと起きなさいよ。さもないと」


そう言いながら彼女は自分の控えめな胸の前で拳をつくる。


「――っ!! わかったわかったからもう殴るなよ。いや殴らないでくださいよ。」


あれ結構痛かったからな。

というかまだヒリヒリと痛い。

しばらくしたらお腹全体が真っ青な痣になってはいないだろうか?


「だから私は殴ってなんかいないわ。蹴ったのよ」

「あぁそうだったそうだった。ところでいったいどうやって蹴ったんだ?」


しかしそれならば衝撃は腹の真ん中ではなく横腹に来るのだはないだろうか?

まぁどのみち僕の胴体が耐久力限界までのダメージを負うことに変わりはないのだがな。

いや最悪部位破壊されてもおかしくない衝撃だった。


「え? かかと落としだけど」

「平然と言うなよ! それは確実に殴るよりもやばいからな」


パッと考えると拳の方が聞きそうではあるが、こいつの身体のやわらかさを侮ってはいけない。

自分の頭よりも高く振り上げられた足は遠心力によって僕のお腹に到達する頃にはそれなりの速度になっているはずだ。

これは本当にいけない。


「そんなわけないじゃない。あたしは格闘技とか習ってないし」

「いやそういうのは関係ないし、そもそももっと穏便に解決する方法を――」

「わかったそれじゃあ次からはこれでしてあげるね」


湊は穿いているショートパンツに巻いたベルトに隠れるように挟んでいたバタフライナイフを取り出して防人に向ける。

確かそれは『狼からの護身用』ではなかったか?

一体いつからナイフは目覚ましセットとなったのか?


「余計にアウトだわ! 殺す気か!?」


例の法律がある限り、そんなことをするとは思えない。

しかしこいつならばやりかねないという考えもないことはない。

防人は身の危険を感じ、すばやく傍にあった身を守る防具たる枕を手に取るとそれを構える。


「え? だってあたしの言うことなんて聞かないでいつまでもグーグーと眠っている兄さんなんてただのゴミじゃない?」


防人の目の前に立つ殺人未遂者はナイフアクションを片手で軽々とこなしながら平然な顔でさも当たり前のように言う。

台詞から察するに確実に殺されるのだろうな。


『起きなかったから殺した。後悔はしていない』


うん、新聞の見出しは間違いなくこうなることであろう。

いやいやそれじゃあ駄目じゃないか。僕が殺されてしまっている。

ここは少しでも話を逸らさねば。

違和感ないように自然な流れで。


「確かに起きなかったことは悪かったけど、ゴミは無いだろう?」

「う~ん……それもそうかもしれないわね」


どうやらわかってくれたようだ。

防人はそう思い安堵の息を――。


「ゴミって言ったらゴミに失礼だもんね」

「……。」


吐けなかった。

息が途中で詰まって声も何も出なかった。

まさか湊から人間としてすら扱われてはいないとは思わなかった。

なんだか傷つくなぁ。


「何? なんで黙ってるの? もしかして心に傷でもついたの? 兄さんはその程度で傷つく程、柔な心は持っていないでしょう?」

「いやいや僕のメンタルがどれほどにまで柔なものか知ってるだろ?」

「自慢していうような事じゃないでしょ?」

「いや、別に自慢とかしたくて言ったわけじゃないからね」

「あぁもう、うるさいうるさいうるさい! 兄さんのメンタルがスライムでもなんでもいいのよ」

「いや、それじゃあ僕のメンタルはドロドロだよね? 原型とどめてないよね?」

「逆に考えなさい。どれだけ切りつけても傷一つつかないわ」

「いや、確かにそうかもしれないけどなんか嬉しくないな」

「別に褒めてないもの」

「うん。別に言わなくても良かったよ」


こういうことは湊を知っているときから始まっている事だと記憶はしているから慣れつつあるけどこうもはっきりと言われるとやっぱり傷つく。

それも家族からそんなことを言われたという事実にその傷は倍増する。


止めて。僕のライフはとっくにゼロよ。


いや待て、これも彼女なりの愛情表現だと思えば、好きの裏返しだと思えば――

いや駄目だな。

それではこいつはヤンデレと化してしまう。

そして刺されてしまうという結論に舞い戻ってしまう。

うん、やっぱりここは単に僕のことが嫌いなんだということにしよう。

あぁ、傷つくなぁ……。

よし考えないことにしよう。

だからそろそろ話題を変えてこのノリを止めていただかないと立ち直れなくなるかもしれない。

何か話題はないものか。

ん? あぁそうかノリか、うんノリだな。

ポジティブシンキング。

そう、これは彼女のこういった行動は全部僕を楽しませてくれているんだ。

うん、きっとそうだ。そうに違いない。

そう思うことにしよう。

防人は心の中で頷きながら思いついた事を話を逸らす行動を開始する。


「あぁそういえば何か用があって来たんだろ? ご飯だとか買い物行きたいだとか」

「よくわかっているじゃない」


湊は笑みを浮かべると器用にナイフを折りたたむと元の場所に戻す。

そして身をひるがえして歩き出し、ドアノブに手を触れ、開ける。


「それじゃあご飯だからさっさと下に来てよ。あぁ後、食べ終わったら買い物に付き合ってもらうから」


そう言い残して湊はバタンとドアを閉じて出て行ってしまった。

足音が遠ざかっていくのを聞いて防人は掴んでいた枕を元の位置に戻す。


「はぁ~ひとまず殺されるという危機は去ったか……な?」


現在時刻は10時20分。


防人は腕時計で時間を確認してからクローゼットに納められた衣類を取り出して着替えを始める。


「全く……あいつ絶対いつかとっ捕まって警察行きになるな」


防人はぶつぶつと呟きながら長袖の水色Tシャツの袖に腕を通して、紺のジーンズに足を通す。

そして出かけるときのために黒のダウンジャケットを取り出すとベットの上に置いてから部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る