第6話 ロープの黄
俺は、どうしようもない悪臭の中、途方に暮れていた。
俺にできるのは、鼻の全細胞を殺して、なるべく、口で呼吸することくらいだった。
突然、ユキジが叫んだ。「出タ!」
もう知ってる。今さら、言うか。
と呆れていたら、突然、ユキジが「イイ、アイデア、出タ!」ともう一度、叫んだ。
次の瞬間、ユキジは「マトちゃん。待ッテテ!」という言葉を残して、ひょるっと穴の外に飛び出した。
え、と思う間もなく、俺はハチマキ石とユキジのクソと腐り野菜汁とともに、穴の中に取り残された。
嘘だろ、おい、ユキジ!
俺は慌てたが、もし俺が穴から出て、ハチマキ石から離れたらどうなるかわからなかった。
「ドン!」原爆雲みたいな真っ黒な雲から、ビカンと稲妻が伸びる。
「一家全滅」という言葉が俺をつかまえる。
怖くて、穴から出れない。
俺はハチマキ石の中央にへこみに腕を回して、抱きついて必死で祈った。
「ハチマキ石の神様、どうか許してください!!」
そして20分経っても、40分経っても戻ってこないユキジに怒った。
1時間以上経って怒りが不安に変わると、心の中で、ユキジに土下座した。
ユキジ、早く助けに来てくれ!!
頼む!!、誰か大人を呼んできてくれ。
父ちゃんでも母ちゃんでもいい、誰でもいいから、
大人を連れてきて、このハチマキ石を、なんとかしてくれ!!
もうこの時には、さすがに俺にもわかっていた。
ハチマキ石を、穴から動かして地上に出したとしても、
それを後ろ向きにぶん投げるなんてことは、
俺とユキジ、子どもの非力な力ではできっこないということを。
雨に濡れたハチマキ石は、ゴツゴツするのに、冷たいのに、真ん中がくぼんでいるせいで、ちょっとだけ母親の体に似ていた。
怖い夢とか見て起きて、思わず潜り込む母ちゃんの布団と、しがみつく母ちゃんの腰。
そういうときの感じに似ていた。そう思った瞬間、穴の中で、俺は変なことを思い出してしまった。
それはユキジに差し出された菊の花を踏みにじった日のことだった。
苦手なトマトを、自分の皿から母親の皿によけながら、俺は何気なく言った。
「あの墓の小屋にさ、住んでいるガキって、普段、何しているか、母ちゃん知ってる?」
しかし、母親は、きょとんとした声で言ったのだ。
「墓? あの小屋に子どもなんていないわよ」
「いや、いるって。
ちっちゃくてさ、いつも墓のお供え物を食べているガキだよ。
俺、今日もその、ユキジとさあ」
「お供え物を食べる? マトオ、あんた、何言ってんの」
母親は心底、気持ち悪そうな声で言った。
「あそこの家は数年前に奥さんが火事で死んで、住んでいるのは墓守のおじさんだけよ」
「嘘だ!」
俺はガタッと音立てて、ちゃぶ台から立ち上がった。
それまでユキジのことは何度も何度も親父にも母親にも話してきた。
それだけじゃない。
以前、ユキジが俺の家までついてきたことがあって、母親に見せたこともある。
その時は、
「ついてきちゃったよ。墓の小屋のガキ。墓ガキ。
母ちゃん、なんか食べ物、くれない? 持たせて帰らせるから」
と俺が言うと、母親がすぐにおにぎりを握ってユキジに持たせてくれた。
それも俺ははっきり覚えていた。
俺が踏みにじった菊の花も、ユキジの青っぱなも脂っぽい臭い匂いも、絶対に本物だと思った。
だから俺が、母親に向かって「でも、本当にいるんだよ!」と叫ぶと
「マトオ、いい加減にしろっ」と親父の怒声が飛んだ。
「いないもんは、いないんだ。これ以上、母さんを困らせるな」
ああ、どうして、よりにもよって今、俺はこんなことを思い出したんだろう。
穴の中は臭くて、気持ち悪くて、寂しくて、俺はもう、泣きそうだった。
その時、
ずりずりずりずりと、奇妙な音が頭上で、した。
なんだ?
俺は、しがみついていたハチマキ石から腕を離した。
頭上で声がした。
「マトちゃん。持ッテキタ。大人ト、ロープ、イロイロ」
俺は精一杯、首を伸ばして、穴の中からユキジを見た。
ドロドロにいろんなものがべったりこびりついた半ズボンと汚い足。
それからユキジが手に持った黄色いロープには、腐りはてた大人の死体が、オマケのようについていた。
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