第5話 河原穴の茶

河原に行くと、驚いたことにユキジはいた。

ユキジは1mほども河原の土を掘って、その穴の中にすっかりもぐりこんでいた。

それでも、ハチマキ石はまだその全容を見せていなかった。

数時間前に俺が河原でけつまずいたハチマキ石は、ほんの氷山の一角だったのだ。

それは南極に浮かぶ巨大な氷、海水の水面下に恐ろしくふてぶてしい巨大な塊があるのに似ていた。そして、タイタニック号を沈没させた巨大氷塊みたいに、それは放っておいたら、

確実に「死」とか「破滅」というものを、俺に味あわせるという確信があった。


ダカダカダカ、雨が降っていた。

川面が雨粒の投身自殺に、バシバシ揺れた。

ドンドンドンと、殺人鬼が玄関のドアをノックするみたいに

雷がとどろいた。

俺はユキジのいる穴の隙間に、飛び込んだ。

「ユキジ! ごめんな! 俺も一緒に掘る!」


狭い穴の中。

ユキジとぎゅうづめになって、ハチマキ石と河原の湿った土の間で、俺は穴に入ったことを激しく後悔した。

ユキジのカラダはひどく臭かった。腐った脂みたいな臭いがした。

ユキジがポッケの中に入れていたトマトやキュウリやワンカップや線香が、俺が穴に入ったことで押されて、ハチマキ石に当たって、ぶちゃと潰れたり、ガチャリと割れたりした。

ユキジの半ズボンは雨と腐った野菜汁や合成酒で、太ももまでびっしょり濡れていた。

その濡れた足が、雨で塗れた俺の半ズボンの足に、ピトピトとまとわりついた。

それが気持ち悪くて、ユキジのカラダから放たれる腐臭とあいまって、吐きそうだった。

しかし、もしハチマキ石にゲロなんて吐こうものなら、何がわかるかわからない。


父ちゃんと母ちゃんの命だけじゃ済まない。

俺も想像もつかないような悲惨な死に方をして、

一族郎党、昔一度会ったきりの親戚まで、全員、皆殺しになる、そんな気がした。


とにかく何とかしようと、俺は石を抱いた。

ハチマキ石が動かないか、確かめてみたのだ。

抱いてみると、ハチマキ石は真ん中がくびれるようにへこんでいた。

そのちょうどいいへこみに、俺は両手を回して、

ふんっ!! と力を入れてみた。

しかし、巨大なハチマキ石はうんともすんとも動かなかった。

一人じゃだめだと思った。

石の横を覆う土に触れると、ずぶりと腕が沈んだ。

激しい雨が、穴の中の土を緩ませているようだ。


「ユキジ!」と俺は叫んで石の横の土を掻いて、石の向こう側、俺の反対側に行けと言った。

「ウン!!!」

ユキジは、死にかけのもぐらみたいに、石の周りの土を掻いた。

めりょめりょとハチマキ石の向こう側の土の中に、少しずつユキジが埋もれていく。

やがてユキジは完全に視界から消えていなくなった。


ダダダダダダダダダダダダダダダダ

ぐちゃっずっちゃ、むちゃっずっちゃ


マシンガンのように川面や河原を打つ雨の音と、

ユキジが泥を掘る音だけが響いた。

しばらくして、「向コウ側ニ、着イタ!」

ユキジの抜けた歯の間から、ひゅうっと風が鳴るような声がした。


「石を抱け」俺がそう言うと、ユキジは「抱イタ!」と叫んだ。


ユキジの両手が、石に腕を回した俺の両手に触れた。

俺とユキジのカラダは、まるで巨大なハチマキ石に取り付いた、人間ハチマキだった。

「力を入れろ!」

「入レル!」ユキジが叫び返す。


俺は石をしっかり抱きなおした。

「いいか、いっせーので、持ち上げるぞ。

いいか、いくぞ!!」

「いっ・・・せーの・・ふんっ!!!!」


ブリョッ!!!


思いっきり力を入れた瞬間、ユキジのいる方から奇妙な音がした。

次の瞬間、信じられないような悪臭が、穴の中に満ちた。

いや、満ちた、などという言葉は生ぬるい。

鼻の骨が、悪臭でへし折られてもぎ取られるような恐怖さえわいた。


ユキジのヤツ、やりやがったな。

と確信したが、どうにもならなかった。


俺は俺で、悪臭でひっきりなしに誘われる嘔吐の津波と戦うのに必死だったからだ。

ユキジと俺、二人ががりでも、びくとも動かない、呪いのハチマキ石。

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